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はてなキーワード: 自己言及とは

2024-02-11

↓なんかchatgptっぽくね?

ゲーデルの第1不完全性定理は、形式的論理体系内での数学特定命題に関して「証明できない」ということを示しています。この定理によれば、ある論理体系内で自己言及的な命題を含む場合、その命題が真か偽かを証明することはできないということを意味します。

まりゲーデルの第1不完全性定理は、「この命題証明できない」という命題を考えた場合、それが真か偽かを判断できないことを指摘しています。したがって、特定命題が「証明できない」ということは、その命題現実には真か偽かになっているかどうかを示すものではありません。

ゲーデルの第1不完全性定理は、形式的論理体系の限界を示すものであり、数学論理学の基本的性質理解する上で重要な結果です。しかし、この定理特定命題の真偽を示すものではないため、その命題現実に真か偽かを判断するためには、他の手段情報必要です。

ウィトゲンシュタイン思想ゲーデル不完全性定理には、いくつかの類似点があるかもしれません、それぞれ異なる観点から論理数学アプローチしています

ウィトゲンシュタインの「論理空間」の概念は、言語記号による表現の枠組みや制約を強調し、言語論理限界について考察しています。彼は「言語ゲーム」という概念を導入し、言葉文脈の中での意味理解に注目しました。ウィトゲンシュタインの主張は、言語論理使用特定文脈ルールに従って行われることを強調し、その文脈ルールから外れた場合意味崩壊する可能性があるというものです。

一方、ゲーデル不完全性定理は、数学的な形式的論理体系に焦点を当て、その体系内での命題証明可能性について論じました。この定理は、特定命題がその論理体系内で証明できないことを示し、論理体系の限界示唆しています

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13286033693

2024-02-09

ボアニメOPの鍔迫り合いの話

現在放映中の深夜アニメ勇気爆発バーンブレイバーンを楽しみに見ている。

ジャンルのものメタ系統作品で、一見「令和の勇者ロボシリーズ」だけど、おそらく最終的には「令和のまどマギ」枠になるのではないだろうかという予感がある。ジャンルについて自己言及的なあたりのメタさは「SSSS.GRIDMAN」にも通じるところがある気もしなくはない。

ジャンルメタる上で重要になるのが「様式」で、本作の序盤は「スーパーロボットアニメ」の様式が(相対的に)リアルロボット寄りの世界観に持ち込まれときギャップ違和感描写話題になりXのトレンドに上っていた。

本作の監督である大張正己その人は、特にロボットアニメ造形や演出において数々の様式を作り上げた人で、特徴的ながらも非常に汎用性が高く効果的な技法名前文字って「バリ○○」みたい名前がつけられたりしている。アニメに詳しくない人でも独特のケレン味と「気持ちの良さ」は一度見ただけで確実に印象に残るはずだ。

氏の功績や影響力はめちゃくちゃ大きいのだが、それにしてもロボットアニメというジャンルは全体として演出様式を重んじる傾向にある印象がある。理由はいくつか考えられるがそれは置いておきます



演出様式という視点で注目すると非常に面白いのがオープニング映像だ。ロボアニメのオープニングアニメーションは様式美が強く、翻ってそのアニメ作品がどの程度ジャンル様式に則っているかを測る一種のリトマス紙にもなる。


冒頭で例に出した「SSSS.GRIDMAN」はアニメーション全体が映像演出教科書になっていいんじゃないかというレベルで非常に様式を押さえた作りになっている。OP映像も非常にわかやすい。

https://www.youtube.com/watch?v=ku6Lz0dlTfs

味方は上手(かみて)からベクトル最後ラスボスは下手(しもて)画面上側。物語キーになる人物の配置、顔の向きなどかなり構造として作り込まれてあり完璧だ。余談ながら、この作品は大張演出オマージュしすぎたあまり、本人から若干苦言を呈される(のち和解)ということもあった。

上手下手は映像演出の基本のキながら一瞬のカットでも効果が抜群なのと、ロボットには人間ほどの露骨な顔の表情がつけられないからか、OP映像では比較様式に則って素直に使われるようだ。


バーンブレイバーン」でも見事なくらい上手下手の様式に則っている。

https://www.youtube.com/watch?v=Zkg_03wzNKQ

味方勢力が上手から下手向き。グリッドマンもそうだが、徹底することで非常にヒロイックな印象になる。ここで気になるのが、1分あたりからの鍔迫り合いだ。当初上手にいたブレイバーンが途中で相対する敵(?)と逆の向きになり下手側に移動する。

下手側は「攻撃を向けられている側/劣勢側」にもなるので、この剣戟シーンでブレイバーンが押されている状況なら無くはなさそうだが、キメのカットではほぼシンメトリーで力が拮抗しているもの同士に見える。

他方同じような構図で味方側が下手にくる鍔迫り合いは他にもある。


ガンダム00 2nd 1期OP

https://www.youtube.com/watch?v=5gdItTOUpDM

ガンダム00 2nd 2期OP

https://www.youtube.com/watch?v=CgqXWXjA8WE

どちらも終盤、主人公機とライバル機が鍔迫り合いをするが、主人公側が下手、ライバル機が上手になる。

これは作中での2人の関係性を理解すれば納得がいくもので、というのもこのライバルキャラ主人公一方的に執着して付け狙うだけで逆に主人公側にはこのライバルキャラとは特に戦う理由がなく、都度からまれてはあしらうというだけの関係性でしかない。ライバルの強い一方通行片思いが反映されている演出だろう。

ガンダムといえばそれ自体様式重力が強い作品だが、中でも演出様式を重んじていると思われる作品に「ガンダムSEED」がある。シリーズの中でも妙に大張成分を感じさせる作品は、メカデザインも含めて独特なケレン味を帯びた作風になっている。

この作品OPでも鍔迫り合いが登場する。


SEED無印、確か3期くらいのOP。※期間限定公開(おそらく劇場版上映のため)

https://www.youtube.com/watch?v=AHwxpKaufrw

ここでも1分あたりで味方と因縁のある敵との剣戟があるが上手が味方機だ。

ちなみにこのOP物語が大きく動くタイミングでの新規OPで、演出によってその後の勢力の変動が暗示されるものになっており楽曲歌詞とも絶妙リンクしたSEEDシリーズきっての名OPになっている。


鍔迫り合いではないが、上手下手の扱いが非常に巧みなのがガンダムW後期OPだ。

https://www.youtube.com/watch?v=ICOwBtm8L_s

冒頭で上手からまっすぐに抜けていくウイングゼロがとてもヒロイックだ。最後ウイングゼロライバル機と相対して下手に地球を写したあとの掴み合いで画面が回転してウイングゼロが下手下側にくる。その角度のままライフルを発射する。

牽強付会すれば、初代ガンダム1話アムロザクを刺した決めカットと同じ構図で劇的であるそもそもガンダムWという作品自体、味方がとにかく劣勢になりがちでだいたい常に負けている側なので、主人公の見上げるカットとともに逆転の一発、というのはとても熱く効果的だ。


最後に、同じガンダムシリーズOPでいうと映像演出の面で興味深いと思ったのが直近の「水星魔女」。ネタバレが含まれるので未視聴の方はご注意。

https://www.youtube.com/watch?v=aU8ruUe7UlE

冒頭で主人公が上手入りの動きをするのに対して、主人公であるエアリアルはサビ部分の見せ場で、一瞬上手から入ったあとは画面中央奥に飛んでいく。そして最後に逆光シンメトリーという、若干不穏なカットで終わる。特に最後の構図は何か小骨がのどに刺さったような違和感を覚えるものがある。

初期の作品キービジュアルではエアリアル逆立ちをするように反転していたりと、何かしらエアリアルという機体に異質さを表現しようとした意図がうかがえる。

そして2期OP

https://www.youtube.com/watch?v=0Zmt74GeVpY

45秒あたりでようやくエアリアル改修型が上手入りするが、それを見上げるスレッタの表情は不安気で、新型機登場というOP華のシーンながらどこか不気味なシーンにもなっている。

そして、物語クライマックスに入り、OPカット更新される。

https://www.youtube.com/watch?v=bJa4Fwi5X9g

1分あたりからスレッタの本当の後継機になったキャリバーンが満を持して上手から随伴機とともにバーストし、その先から敵対してしまった改修型が下手入りし、剣戟カットでキメる。

2023-11-29

anond:20231128234829

別に「僕みたいな」にこだわらんでも「僕ら」やら「我々」でもええんやいか?二文字やぞ

それすら入れられないくらいギチギチなら #自己言及 とかタグ使えばええんちゃう

って考えながらコトブキ君のブクマページ見たら #僕自身を含めて ってまさしくこの為にあるようなタグ使ってるやん

これもっと使っていけ

2023-10-23

anond:20231023084543

大体Vtuberだったら防音室だろ。しかもVsingerならなおの事頑丈な防音室だろ!?

ファンならしないであろう勘違い

あなたたちだって匿名の皮を被って嘘ついて生きてるじゃん。

自己言及による仄めかし

るしあの時は

直接関係しない執拗話題振り

騒動にかこつけた潤羽るしあのアンチ増田ですね

2023-10-16

anond:20231016031323

まだ挙がってなかったので、ロードバイクもしくは乗馬おすすめ

どちらも道具にこだわる余地はあるけど、本質としては自己研鑽的な趣があるとおもう。

補足すると、前者は自己言及的で、後者他者と向き合う感覚が強くあるかなとはいえ、いずれも上達したら競技会的な場もあるし)。

2023-10-01

anond:20230930193522

面白いなぁ

この投稿自体への自己言及でもあるのだとしたら、この増田自身はどういう考えを持っているんだろう

2023-08-20

[]8月19日

ご飯

朝:なし。昼:玉ねぎ炒め。焼きそば。夜:だし豆腐納豆ピーマンシメジ玉ねぎスープ魚肉ソーセージブルーベリーヨーグルト。間食:オーザック。豆菓子ハチミツ味のポテチばかうけ。(お菓子食べ過ぎ)

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

お菓子食べすぎた上にご飯ちゃんと食べちゃった。

まあ休日だし許して欲しい。いや内臓休日概念はないし、許してくれないのだけれど。

Dear My Abyss

・はじめに

陰気で友達が少ない女子高生スバルと、その数少ない友人で正反対な陽気な性格ミスカの友情と断言しがたい歪な関係が、お人形さんの様と評される美少女転校生ルウの登場で変化していく様を楽しむノベルゲーム

だけでなく、混沌蔓延ってきて日常侵略するホラー要素もあるのだけど、そちらは元ネタありきの展開が多くそういうものとしてふんわりとしか理解できる読んだので感想特にないためこの一行以降はふれないことにする。

学校という閉じた人間関係と、思春期らしい自己の有りように悩む様とが、ある場面では丁寧に、別の場面では幻想的に描かれていて、この二点が文量の多くを占めている。

甘い恋愛的なイチャイチャする読んでいて楽しい気分になるシーンよりも、関係性に悩み他人を気遣うがあまり自傷的に自己言及を繰り返す辛くて悲しいエピソードが多め。

そんなこと一人で考えても答えは出ないし一生悩んだり楽観的になったりを繰り返すしかないよ、と大人になった今でこそ思うものの、自己他者関係性の有り様を悩む様は読んでていて共感する場面が多かった。

そんな辛い中でも食事のシーンは彼女達の悩みも何処へやらで舌鼓を打ってくれるので、夕飯の時間が待ち遠しくなったりもした。

献身的ミスカと自己中心的なスバル関係性が辛い

陽気で友人が多く、テストの成績こそ悪いもの教師からの覚えもよく、容姿可愛いと褒められ、前向きで良い子なミスカ。

そんなミスカはスバルのために一生懸命に色々と尽くす。

しかし、スバルの方はミスから向けられる好意を素直に受け止めない。

それどころか、些細な表現物言いをどんどん悪意を膨らませてしまスバル生き方は苦しそうだった。

ミスカの一人称と、スバル一人称を行き来することになるのだけれど、二人はすれ違い続ける。

ミスカは衒いがあるわけでなく、本当にただの根明で、楽しいことが好きなだけの普通の子

ところがスバルはどこからでも悪意を見つけ、彼女好意を受け取ろうとしない。

この関係値の噛み合わなさは読んでいて本当に辛かった。

ミスカが友情でなく恋愛としても惹かれていて、その理由スバルの言う悪意のあるものでないにも関わらず、それが本当に一切伝わらない。

誕生日ケーキをご馳走するという、善意100しか考えられない行為ですら、スバル穿ったもの見方をし、ミスから気持ちを真っ直ぐ受け止めない。

ペットボトルの回し飲みでミスカが間接キスにドキドキするも、スバルは喉が渇いたとしか思っていないシーンなんかは、もう読んでて可哀想だった。

空回りするミスカの好意が、物語的な意味でも何も前進させないのも読んでいてしんどかった。

献身的スバルに尽くすミスカと、自分内面世界のことでいっぱいなスバルのすれ違い。

スバルが素直になれば、開幕5分でハッピーエンドまっしぐらなぐらい、ミスカの好きは真っ直ぐで一貫してるのがもどかしい

そして何よりスバルの素直な気持ちミスカではなく、転校生のルウに向けられてしまう。

無垢なルウと素直なスバル可哀想ミス

そんな端的に言ってしまうと性格が悪いスバルが、海外から転校してきたルウと交流することで変わっていく。

ルウは箸の使い方を知らず、麻婆豆腐唐揚げメロンパンを食べたことがない程に無垢存在

危うげというわけではなく思慮深いのだが、学校という枠組みからは大きく外れたような物言いもする。

そんな無垢さがスバルの悪意増幅センサー回避するのか、ミスから好意を悪意に変換し距離を置こうとしていたのとは対象的に、ルウとはドンドン距離を詰める。

ミスカの好意一方的ものだったのに対して、スバル好意はルウに受け止められ、スバルとルウはドンドン関係を深めていく。

ルウの方も、スバルのことを深く知りたい、会話したいと甘えるように距離を詰める。

繋ぎデート、夕飯を一緒に作るなどの高校生らしいそれもあれば、添い寝過激スキンシップなどもあり、CERO Cとしてはそれなりに攻めたシーンも。

ルウとスバルイチャイチャすればイチャイチャするほどに、ミスカは空回り続ける。

こうなっても客観的にはミスカはオカシイことをするわけではなく、ひたすらに良い子なのが可哀想さが増す。

ミスカは僕が先に好きになったのにと反転するでもなく、転校生の面倒を見れるスバルの成長を喜ぶ良い子なのだ

スバル精神世界

では、なぜスバルはこのような歪な性格になってしまったのか。

ミスから好意は悪意に変換するのに、ルウから好意はそのまま受け止めるのか。

ということは、スバル精神世界幻想的に描くシーンで抽象的に描かれる。

まだ人権概念が無く子供を産むことだけが女性価値であった時代を生きていたとある女性エピソード他人がおらず四季の移ろいをただ楽しむだけの世界などの、夢のエピソードと共にスバル内面ゆっくりと掘り起こされていく。

一人で無限牛乳果実を食べ続ける生活示唆するスバル本音は、納得できるところもあったが、だからと言ってミスカの可哀想な空回りが救われるわけではない。

ここが本作の賛否別れる大きな箇所だろう。

スバルにはスバルなりの理由があるとはいえミスカの気持ちはどうにもならないのは、正直僕はあまり好みではなかった。

あんなにも根っからスバルのことが好きで純粋にそのために良いことだけをして来たミスカが、フラれるとか、恋愛対象として見れないとかじゃなく、嫌われるのは、辛い。

ただこのミスカの好意の空回りの先が知りたい気持ちの牽引力は凄く、楽しいとか面白いではない、マイナス方面感情で読ませる物語はよく出来ていた。

・さいごに

スバルを好きだけど見向きもされないミスカの空回りと、スバルとルウのイチャイチャという三角形の一辺が欠けた歪な関係に着目して感想を書いた。

ミスカの一人称ではスバルのことが大好きで一生懸命善意で良いことをする前向きさが、

スバル一人称ではことごとく空回りし、

ルウの無垢さに惚れていく展開は、辛いけど読み進める手が止まらなかった。

ミステリやコメディといったわかりやすハッピーエンドが好きなので、好みとは大きく異なっていたが、終わってみるとコレはコレで好きな作品だった。

2023-08-12

[]8月11日

ご飯

朝:コーンフレーク。昼:ナポリタン。夜:豆腐えのきベーコンにんじんオクラ玉ねぎの鍋。たまごやき。間食:チョコ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

アーキタイプ・アーカディア

・はじめに

ケムコウォーターフェニックスコンビが送る文明崩壊した世界で何故か稼働し続けるVRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」を巡る、熱く燃える熱血ノベルゲーム

中人物達が遊ぶ「アーキタイプ・アーカディア」はゲームの設定が作り込まれていて、それを遊ぶ様がまず楽しい

そしてそんなゲームを遊ぶ日常がいつの間にか世界の命運を巡る壮大な物語に広がるんだけど、あくま個人の良いところもあれば悪いところもある生き様の格好良さで魅せる展開が多めの沸るシナリオ面白かった。

主人公のルスト、その妹クリスティンの二人っきりの旅から始まる物語が数多くの人を巻き込んでいきどんどん話が広がっていくのも群衆劇っぽくて好み。

インキャラ、サブキャラわず、どのキャラ重要役割があるを序盤から繰り返しやってくれるので、回想シーンやサブキャラの掘り下げが繰り返されるパートもダレずに楽しめた。

・「アーキタイプ・アーカディア」が面白そう

VRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」内の出来事物語の大半を占めているが、このゲームがよく考えられている。

ゲームログインすると、今までの人生で印象に残っている記憶カードが4枚入ったアルバムもらえる。

アルバムからカードを取り出して呪文を唱えると、その記憶媒体としたアバター召喚されるので、アバター同士で戦うPvP

アバターは人それぞれで、ごっこ遊び記憶から剣や銃や石といった直接攻撃系もいれば、愛し愛されの記憶から回復系、単純な乗り物の移動系、辛い出来事を耐え忍んだ防御系、複雑な事情能力からも伝わる状態異常系などなど、記憶出来事ゲームっぽさとが融合している。

他にも色々とルールはあるのだけど、記憶と共に戦うから戦闘を通じて対戦相手過去理解していくストーリーと密着したシステムになっている。

そのため、ゲームの中のバトルがそのままキャラクタの掘り下げになっていて、バトル描写が退屈しない。

お歌で戦うアバターから元アイドルなのかな? 縄のアバターで縛る子はSM好きか? など敵の記憶を予想しながら楽しく遊べた。

全員分の掘り下げがあるわけじゃないのが残念なところだが、主人公が持つ4枚の記憶カードについてはじっくりたっぷりストーリーが楽しめる。

他人記憶カード交換することもできて、そうするとその能力だけでなく記憶のものも受け取ることになるので、主人公だけでなく他のキャラクタ達の掘り下げも多い。

物語が進むと色々なシステムによってそれだけじゃない手段でも記憶カードの中の記憶を辿るストーリーが楽しめる。

・翔太が可愛すぎる

そんなカードのやり取りで記憶の一端が描かれるメインキャラの中でも一際惹かれたのが翔太。

見た目と表向きの態度は可愛い思いやりのある女の子記憶カードでは回復を使える優しい子なんだけど、VRMMORPGのキャラメイクシステムを使って女性を演じている22歳の青年男性

ネットゲーム用語でいう「姫プレイ」のような遊び方をしており、取り巻きを作り閉じた人間関係の中で悪循環を回している中々に攻めた設定だ。

他人依存し自立できない幼さがある癖に、すぐ調子に乗り増長する愚かさが愛らしい。

であることがバレるのを怖がっているが、性自認女性というわけではなく、あくま他人から都合よく愛されたいがために異性装している打算あるキャラ

とまあ嫌な視点ばかり書いてきたが、そんな人間の愚かさをある意味肯定的に、ある意味否定的に描く、人間人間であるだけで尊いそんな弱くて愚かだけど強くて可愛いキャラだった。

主人公やその他の男性キャラとそういう雰囲気になる展開こそないものの、22歳男性が自立できずに大人の男の人に依存して甘えた態度を取るのはエッチだった。

攻略対象として専用ルートも用意されており、男性キャラながらゲーム内の見た目が女性なのでヒロイン的なポジションとも言える。

なお「ぷぷぷー騙されてやんのー。残念! 男でしたー。おじさん男相手エロいことしようと思ってたのウケるんですけどー」な二次創作Pixiv投稿されていると予想したが一切されておらず涙した。

大人リゲルさんをはじめとしたサブキャラ達も良き

記憶カードの掘り下げこそないものの、他のサブキャラ達も魅力がいっぱい。

特に防衛隊隊長リゲルさんは出番こそ控え目ながら、相手カメラ撮影すると閉じ込める状態異常系のアバターと、竣敏な動きで攻撃する猫の攻撃アバターと、バイクの移動系アバターの三種類を同時に使いこなす屈指の強キャラだ。

アバターの同時併用は二つでも高等技術扱いなので三つでかつそれぞれの役割が被っていないのは強キャラの風格があった。

防衛隊なので物語の都合上どうしても負けシーンは多いが、彼ほどの実力者が負けることに毎回きちんと理由があるし、それが主人公の乗り越えるべき大きな壁になるので、主人公師匠キャラっぽさもあるリゲルさんは美味しいキャラだった。

他にも映画大好きなキャンディさん、翔太の取り巻きながら男を魅せる集落代表最後最後で良いところを持っていく奇妙な倫理観ローズ、肉体を使った「癒し」が得意なカーラのお母さんなどが印象的なキャラだった。

インキャラだけでなく彼らサブキャラたちの想いも乗った熱い展開が幾つもあるので、サブキャラ書き込み上長に感じず楽しめた。

・メインキャラとの思想ぶつかり合いバトルが面白

先に翔太という例外と魅力的なサブキャラ達の感想を書いてしまったが、この作品のメインは記憶カードをぶつけ合って戦う思想の殴り合いだ。

VRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」のシステムを利用した作戦や工夫のシーンも沢山ある。

この作戦を立てるシーンは楽しく、実際に何か3Dキャラを動かしたりステータスが変動する要素は一つも無いのに、このゲームを実際に攻略しているような気分になるのが面白い。

しかし、毎回色々、本当に色々あって、最終的には主人公ルイスが妹のクリスティンと遊んだ記憶カードと、章毎のメインキャラ達の思想のぶつかり合いが主題となる。

最強を目指して奪い取った様々な記憶カードに成り切り演じるリア、自身の犯した罪の意識から自死の願望が強いオリーブ恋人再起不能になったこから世界を憎むアレグロなど、様々な理由の「楽しい」以外の感情記憶対峙する。

これらを主人公ルイスはどのように破るのか、どの章でもここが見どころになってくる。

この思想バトル通じて得た仲間たちの輪がどんどん広がっていくのも良かった。

特にアレグロは表紙に映っているだけあって超重要キャラ対立が一度や二度じゃないのが、物語に深みが生まれていた。

主人公と表裏の関係にあるエピソードなんかもあり、名実共にもう1人の主人公だった。

彼らのエピソードはどれも単純な否定で終わらず、考え続けていくことで、作中でも後々には意見が変わることもあるのが、単純じゃ無さが伝わる難しい話だった。

良い/悪い、正義/悪のように一言で分類できないグラデーションのある多様な意見のぶつかり合いは読み応えがあった。

ゲーム楽しい

自己言及型のメタミステリのような物言いになるが、このゲーム主題を要約するとこれに尽きる「ゲーム楽しい」だ。

主人公ルイスが妹のクリスティンと遊んだゲーム記憶

これが物語最初から最後まで一貫して強く肯定される。

ゲーム楽しいシンプルな主張だが、多種多様な様々な状況においてもこの主張は繰り返される。

「悲しい時ほど遊ぶ」作中で何度も引用されるクリスティンの台詞

どのような意図なのかを細かに解体する必要もなく、遊んでいるプレイヤー自身もまたゲーム楽しいから遊んでいるのだから、この主張には納得しかない。

そんなメタ的な構造の話では終わらず、作中ではきちんと噛み砕いて説明してくれ、ゲームは殺し合いと違って次があること、次があるからこそ工夫をしたくなること、工夫するから技術進歩すること、終わったら勝っても負けても楽しいこと、誰かと時間を共有することの楽しさなどなど、ゲームの魅力をこれでもかと手を変え品を変えアピールしてくれる。

間違っても何度でもやり直せるように取り返しのつかないことだけはしない、そして自分相手も許す、ゲーム肯定することがいつの間にか人間肯定することになっているテーマ性の広がりが最高に決まっていた。

・さいごに

主人公の妹クリスティンが興したギルドで使われていた仲間の中だけで通じる内輪ネタ「ラスモス・ゾティーラ・トゥーラッカ」の意味オーラスオーラスで明らかになるんだけど、これこそが正にゲームだった。

ゲーム遊ぶことを肯定するどころか、ゲーム的でないもの否定するような強いメッセージ性のある強烈な作品でありつつも、そのような良い意味脱力する展開で、緊張がすごく解けてスタッフロールに迎えた。

ゲーム楽しい、そんな当たり前の感情を丁寧に解体して色々な部位で楽しませてれた。

僕もテキスト主体アドベンチャーゲームを一人で遊ぶのではなく、ステータスゲーム技術が求められる人と人との交流がある類のゲームを遊びたくなった。

2023-07-28

anond:20230728170548

自分の"分"は「分をわきまえる」とかの分っぽいな

役割とか力量という意味合いで、自分とはもともと「己のできうること」って感じか。

そう考えると自分という言葉にやや自己言及的なニュアンスがあるのも分かる気がする。

2023-07-16

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

君たちは好きにしろ(きみいき)

君たちはどう生きるか」は見る価値がある。

その価値がなんであるかというと、映像作品としての面白さが半分、宮崎駿作品の置き土産としての価値が半分。

俺には、宮崎駿が「私は好きにした、君らも好きにしろ」と言っている映画に思える。自己複製と自己言及、断片化されたジブリ作品イースターエッグとして配置し、もしかしたら自己解説をしているかもしれない。

ビッグネームが自らの総集編として、最高のスタッフを集めて、贅沢に時間と金を使って作ってしまった、一世一代の怪作。同じポジション作品を見ることはもう二度と無いだろう。

2023-07-09

[]7月9日

ご飯

朝:なし。昼:チャーハン。夜:くるくる寿司。間食:ポテチ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみん。

○ 超探偵事件簿 レインコード

・はじめに

ダンガンロンパシリーズで有名な小高和剛さんが6年間作り続けてきたらしい完全新作ADV

雨が降り止まない街カナイ区を舞台に、超常現象的な能力を持った超探偵達と様々な事件解決していく。

ADVだがカロリーの高い作りになっていて、街を自由に歩き回ったり、3Dキャラクタが演技をしたりと、ゲーム的な表現映像的な表現豊富に楽しめる。

あくま主体文章なので、じっくり文章を読みながら自分の中で咀嚼していくパートもしっかりある

同社のAI: ソムニウムファイルシリーズでは3Dの演技が小慣れていないというか、演技で表現できないパートではカメラキャラから外して文章に寄る表現で補足するような少し不自然パートが多かったのだけど、レインコード文章と演技をしっかり擦り合わせていて、そのような不自然カットがなく、3Dキャラクタの演技と文章表現がしっかりと融合していた。

(念のため補足するとAI: ソムニウムファイルシリーズライターの癖の強すぎるギャグパートがあまりにも多く、かつそれが本編といっさい関係がない上に、そのギャグシーン一回のためだけに3Dモデルを作ったり、キャラに演技をさせるのがあまりにも大変すぎて、それが表現されたか別にプレイヤーが楽しめる訳でもないので、あれはあれで良いと思っていますEver17から続くこめっちょパートそもそもの是非は置いておくけども)

この文章と演技の融合はかなり力が入れられていて、2Dイラスト豊富に使うのではなく、3Dモデリング豊富に使う方向へ進化したADVの形としてかなり満足度の高いボリュームクオリティも抜群の素晴らしい出来だった。

・魅力的がすぎる超探偵

ゲーム開始早々からこの贅沢なゲーム部分、それと超探偵達のキャラクタの魅力さが両輪となってレインコードは進んでいく。

探偵とは現実離れした超常現象じみた能力事件解決に活かす探偵たち。

主人公のユーマは彼らと協力しながら事件解決していくのだけど、この超探偵たちが全員可愛いし格好いいしで最高。

この超探偵能力事件解決する前提として利用されるもので、それぞれの探偵達の能力はかなり早めに共有される。(公式サイトにも書いてある)

どのキャラエピソードが進むごとに明らかになるネタバレ注意的な展開が多いため、あまり個々人の良かったシーンなどを詳細に感想を書くのはやめておく。

簡易に少しだけ紹介すると、時戻しという世界干渉するチート級の能力者でありながら世間知らずで無知な様が可愛いフブキが僕は好きになった。

上述した通りカロリーの高い3Dモデルでの演技と、しっかり読み応えのある文章キャラクタを本当に魅力的に表現してくれる。

捜査が本格的に始まるまでの僅かな時間でまずは超探偵との交流パートがあってから事件に挑むという構成になる。

この交流パート、それと捜査パートでの会話の応酬が短いながら過不足なくしっかりとキャラの魅力が伝わってくるものになっていて、この辺はダンガンロンパシリーズで出席簿会話のあの短さの中で瞬時にキャラを立てて、プレイヤーキャラの魅力を伝えてきた小高さんらしさを強く感じた。

そこに加えて今作では3Dモデルの演技もキャラの魅力を引き立てていて、胸や太ももがムチムチな様が可愛いフブキが僕は好きになった。

この魅力的な超探偵達と力を合わせるからこそ、主人公二人も輝く良い循環が楽しめる。

・ユーマと死に神ちゃんの分かち難さ

記憶喪失見習い探偵のユーマと、彼に取り憑いた人魂幽霊死に神ちゃんコンビ主人公となる。

探偵達に負けない魅力があるのは勿論ながら、なんと言ってもこの二人の分かち難さが大好き。

ユーマは記憶喪失なため探偵としての能力は今ひとつ死に神ちゃん死神なので死体に関する捜査はお手のものながら探偵ではないので推理は苦手。

そんなわけで、凸凹というよりは凸凸とか凹凹のような割と似たもの同士のコンビ

ユーマも突然人魂に取り憑かれているため彼女のことを信頼できるのか悩む上に、彼のことをご主人様と慕いつつも残酷死神としての責務を真っ当する人間とは異なる倫理観死に神ちゃんに振り回され続ける。

死に神ちゃんはユーマ以外とは会話もできないため、彼らのシーンは二人っきりが多いのだけど、本当に少しづ距離が近づいていき、バディとして成長していく。

ミステリとは探偵役と助手役のイチャコラを楽しむ要素もあるけれど、この二人のそれは本当に分かち難く、二人が二人だからこそ、レインコードオリジナリティを感じさせられるシーンがたくさんあった。

・良い意味でも悪い意味でも贅沢な作りの謎迷宮

そんな死に神ちゃん能力、謎迷宮

かなり複雑な設定なのでざっくり要してしまうと、発生した事件の謎を遊園地のようなアトラクション満載のミニゲーム集に具現化する能力

容疑者目撃者証言証拠を剣にして戦う推理デスマッチや、犯人防衛する謎の城を巨大化した死に神ちゃんに乗って攻める大進撃死に神ちゃん、などかなり多くのミニゲームが遊べる。

正直、ここはかなり賛否が分かれると思う。

とても贅沢ななんだけど、ここのパートは正直その贅沢さが面白さに寄与していない。

それどころか、ロード時間が長すぎて不快に感じることも多かった。

おそらく遊んだ人誰もがツッコミを入れたくなる、謎迷宮という名の一本道をただ歩くパートはかなり虚無感がした。

事件の謎自体は魅力的だし、証拠証言からトリックを暴いていく基礎の部分は面白いのだけれど、それをこうしてミニゲームで遊ぶのはちょっと違うかもだなあ。

ミニゲームが本当にミニゲームになっていて、謎解きやってる感が薄いシステムが多いのも、良くない点。

それぞれの事件の謎を解き明かす解決パートになるのだから、もう少し自分が謎を解いている感覚を楽しませて欲しかったなあ。

この謎迷宮でそれぞれの事件解決しても、あくま犯人とそのトリック主人公のユーマが理解するだけで、死に神ちゃんと二人で議論していただけのように思えてしまうのもしっくりこなかった。

とはいえ事件の謎を理解することで、もっと大きな物語が見えてくる構成面白かった。

迷宮のその先にも謎がある。

・カナイ区の物語

幾つかの事件解決していくと、徐々に縦の筋となる今作の舞台カナイ区に潜む謎が見えてくる。

街そのものに潜む特大の謎解きはかなり衝撃的で痺れる熱い展開が待っている。

その展開そのものについても感想を書きたいが、流石にまだ発売一週間でそこまでネタバレを書くのもどうかと思う。

なので、少し目線を変えて、何故僕がこの謎解きをこんなにも魅力的に感じられたのかを書きたい。

それはレインコード3Dマップを探索しながらお使いイベントをこなすサブストーリーも楽しめるゲームだったことが大きく寄与している。

舞台となるナカイ区はずっと雨が降り続けている奇妙な街で、そこを大企業アマテラス社が一方的かつ暴力的支配している。

アマテラス社に近しい人間理想的生活を送っているが、彼らに反抗的な態度をとっていると乱暴なことをされてしまう。

そんなカナイ区を自由に探索できるのだけど、ここの作り込むが本当にすごい。

ただ町並みが作り込まれているだけじゃなく、依頼というサブイベントを通じて、カナイ区とそこに住む無辜の人々を好きになっていく。

ここにも短いテキストキャラの魅力を伝える小高さんの特徴が生かされている。

勿論、超探偵達とコンビを組んで挑む本丸のメインストリーからもこのカナイ区のエピソードはいっぱいあるのだけれど、サブイベントを遊ぶことでより一層カナイ区を好きになれた。

僕は全てのサブイベントをこなしてからクリアしたのだけれど、これは大正解だったな。

クリア後にまとめて遊ぶとダレるし、何よりカナイ区にまつわる謎解きに際にきっと悩まなかったと思う。

今作のテーマを十分に楽しむためには、舞台となるカナイ区を好きになれた方が良かったんだろう。

探偵真実を暴くことの是非を問う

そんなわけで、謎迷宮以外は褒め続けているレインコード感想だけど、一番楽しめたのは今作のテーマ

引用でなく自分言葉で書くと「探偵真実を暴くことの是非を問う」がテーマだと僕は感じた。

今作の事件はどれもトリック犯人を暴いたその先にまだ物語が残っている。

動機と言ってしまうと十分じゃなくて、本格ミステリでいうホワッツダニットもののような展開だ。

この謎解きの先を用意している展開、そして探偵をもその謎解きに組み込むような自己言及的な自覚のある展開。

それを個々の事件を通じて学んでいく、最終的に大きな縦の線となって問いかけられる。

(後期クイーン問題と評する人もいるかもかな)

探偵真実を暴いても良いのか? 真実にどれほどの意味があるのかを。

探偵という超常現象を用いてまで謎を解かなければいけないのか、ユーマは何故記憶を失い死に神に取り憑かれているのか、謎迷宮では本当に謎を解けているのか、そもそもナカイ区の人々は真実を求めているのか。

今作の魅力的な部分が全てこの一点に集約されていく。

そして、ユーマと死に神ちゃんのバディが二人だからこそ辿り着ける結輪。

レインコード面白かったです。

・さいごに

探偵とは? を問い続けることで、二人の主人公が出した結論を尊く思い、レインコード終わらないでくれ、もっと遊びたい、俺はカナイ区に住む、ユーマと死に神ちゃんをずっと見ていたい。

そんな読者として色々な気持ちをいっぱい感じることができた本当に楽しいゲームだった。

続編がもしあるなら、ユーマと死に神ちゃんとまた会える日を楽しみにしている。

まずは毎月配信される超探偵達の番外編DLCを楽しみに待とうと思う。

2023-04-15

anond:20230415141736

これは自己言及だけど

そもそも一国の総理大臣の命と死にもしない宗教2世の苦しみどっちが重いですか、なんて議論にもならないでしょ

山上の方が重い時点でその天秤パヨ成分含まれてる

人が死んでるんだぞ

分かってんのか

2023-03-30

グリッドマン ユニバース』を観た。

シンエヴァあくま現実を主軸として虚構も悪くないよね、というスタンス作品だったと思う。対して本作は同じメタフィクションでも、現実を生きるアカネちゃんの姿も写しつつあくまフィクションをそのものを優しく、熱く肯定してくれる作品だった。落書きグリッドマンが新フォームになるのは意志の槍ガイウスみたいなだなって思った。

冒頭の前置きのシークエンスで、虚構世界にも日常はあり、グリッドマンと共に戦った後に帰る大切な場所なんだろうと思った。

怪獣出現と新世中学生との再開が割とすぐで、話が早い作品だと思った。ダイゼノンメンバーの出し方も良かった。

文化祭の準備の辺りから劇中劇についての話でメタフィクションとしての主題提示され始める。設定盛り過ぎじゃない?リアルじゃないよ、とか。六花は人間ドラマ大事にしたいけど周りからは反対されたり、内海アクション大事だろ、とかの話もまさに自己言及

結局台本は書き直されてアカネちゃんが消される話とかも、この作品自体への言及になっている。

ガウマが姫と再開したり、嬉しい要素ではあるけど、ん?と思うような展開に視聴者違和感を抱く頃、裕太もそれに気が付く。フィクションなんてキャラが多いほど良い。カオスで良いんだよ。だけどなにかヘン。

そこでアレクシスが現れてから物語が展開して加速的に面白くなった。シリアスさは演出しつつ、コミカルさも残すシュールさが良かった。BLEACH月島さんのアレを思い出してちょっと面白かった。おちゃらけて飄々としたキャラが立っているのは終始一貫していて良かった。

その後の裕太の混乱から怪獣出現、別次元キャラ消失するシークエンスアンチくんとグリッドマンのアノシラスが現れた時の安心感といったらね。その辺りのキャラちゃんと拾ってくれるのかと思った。

アカネちゃんに作られた世界キャラクターに過ぎない事実を受け入れられるのか、という蓬の言葉は、グリッドマンから続く虚構の是非の話だ。アノシラスの国家とかだってフィクションじゃん、でもそれは別に悪い事じゃないよね、というのはナラティブから離れたマジレスだな……と思った。この辺りからメタフィクションとしての主題がかなりはっきりと提示された気がする。グリッドマン実体を持たず、人間が云々という辺りも劇中の射程を超えたフィクションのものへの言及なんだろう。何度か観てもっと咀嚼したい。

グリッドマン自身宇宙になって云々、というくだりはほぼ理解できなかったし、まあ初見理解させる気もないんだろうと思った。とんでもない存在と化したグリッドマンと一体化すれば解決するけど、裕太の自我も失われてしまう、という点を押さえればまあヨシと思った。

妙に棒なバイクの兄ちゃんプール監視員の人?何故……?と思ったが、調べたら電光超人絡みのファンサービスらしい。

アクセスフラッシュ後の暗転から、オープニングの実写の人間の目の意味が明かされる。現実に帰ったアカネちゃんが、箱庭の中のキャラクターを友達として助けるというのが良かった。真っ当に生きていたんやな。

グリッドマンが裕太の日常を奪ってしまった事に謝罪するけれど、楽しかったよと肯定するのがとても良かった。

アレクシスドミネーションして敵を探す辺りからもゴチャゴチャしていて、あまり細かく理解させる気はないなと思った。ラスボス怪獣現実存在サムシングメタファーと受け取ったが、より具体的な事はまたじっくり考えたい。

なんやかんやでインパーフェクトユニオンが流れて色んな合体を見せる所で同窓会映画お祭り映画としては既に満点を叩き出していた。TV版ではちょっとユニオン使いすぎじゃね?と思っていたが、2時間映画で満を持して流れた日にはもうね。劇場に来て良かったと思わせてくれるには十分の迫力あるシーンだった。

アカネちゃん魔法少女シーンや巨女化する二代目

こちらがちょっと気恥ずかしかった。立花の太ももあんまりフィーチャーされないんだなと思っていたが、アカネちゃんデカパイ露骨だった。

トリガーらしいノリと勢いで大団円を迎えて、お祭り映画に終止しない良い映画だったなあ……と思った。

ラストは二人がくっついて百合オタクは不満だったかもしれないが、直前にダイゼノンを履修してヘテロの口になっていたので私は大満足だった。ダイゼノンテーマであった、過去清算した未来に進むという事もしっかり拾われている。

六花が劇で自分の伝えたかった人間ドラマが届いたかは分からないけど、楽しめてもらえたなら良かったと言う所もこの作品を優しく包み込んでくれた。

ガウマの姫の出会いと別れはカオス引き起こしアクシデントだったけれど、 彼らが交わした会話は紛れもなく本当にあったもので、だからこそ彼も過去をすっきりと清算して、新しく得た居場所で前に進めるんだと思った。

お祭り映画としてだけでも、こちらが欲しているものを存分に与えてくれた。怪獣優生思想の人らは出なかったが、あくまグリッドマンユニバースだし、彼らは過去に囚われた過去の人達なのでまあ……と思ったら二回目に観たら一瞬だけ文化祭を楽しむワンカットが挟まれてた。

そして何より、グリッドマンから続く虚構肯定ダイゼノンから未来を勝ち取るという主題について優しく、熱く、力強く語りかけてけれた作品だった。

2023-02-22

anond:20230222094020

自己言及パラドックスにおける言語階層解決「『信用すべきでない』という主張自体は『信用すべきでない』に含まれない、という注釈をつければ問題ない」

2023-02-15

anond:20230215150637

そういうのは自己言及パラドックスとしてすでに確立していて

多様性否定する多様性否定してもいい」

不寛容には不寛容であってもいい」

というふうに除外規定を設けて対処するのが世界常識だよ

2023-01-12

anond:20230112140415

自覚なしアホ「アホほど賢さに関する話をする」

これで自己言及が発生するのであとは再起ループ

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