はてなキーワード: 輪郭とは
りんちゃんの体型、顔が好みすぎて、あああこの顔に私も生まれたかった!!りんちゃん大好き!!と思ってる34歳デブス女です
りんちゃんのビジュアル好みすぎて美術館の美術品を愛するようにりんちゃんを愛してるけど
それでも、さんま御殿に出てくるりんちゃんでも充分美人の部類に入るし、動画のりんちゃんが美しければ作品として完成されてるんだからいいんじゃね?と思う
実際のりんちゃんの顔も気になるしりんちゃんに会えるイベントがあるなら
ぜひ北海道に行って会ってみたい
りんちゃん、もう地上波にはでてこないんだろうなあ。YouTubeで活動してほそぼそと暮らしていくんだろうなぁ
おじさん受けする絶妙なパフォーマンス、返しをするりんちゃん好き
透明感とか色気とか、ショート動画でファンに何回忠告されても生肉を食べるところとか
野生のキツネを抱っこしましたとかほんとなのかうそなのかわからない発言してるとことかも含めて好きなんだよな
北海道の湧き水を「この水は飲めます!」と動画に出してたけどコメントで「北海道で飲める湧き水はありません。エキノコックスに感染するおそれがあるからです」と注意されていたけれどりんちゃん、今もペットボトルで湧水組んで飲んでるのかな
あのさあ
食うのが好きで止められないから太ってるだけだろ?
ナンパがどうとか人のせいにするのやめろよ
156cmで85kgってとてつもねーよ
181cmでウエイトトレーニングが趣味の俺と大差ねーじゃん
俺の骨格で俺の筋肉量でもそうなんだぞ?
156cmの筋肉もない女が85kgってお前それは脳が壊れてるよ
たぶん俺が120kg超とかになるのと等しいだろ
そんな体になるのを想像しただけで苦しいわ
ナンパが嫌なら化粧しないで頭丸刈りでもしとけばいいじゃねえか
お前は単に食うのが好きすぎて少しずつ脳が壊れて
今もう食事の歯止め利かなくなってるだけだろ
なんかサモ目的があって敢えて太ってるんだみたいに言うんじゃねーよ
それがナンパだってなれば人のせいにもできて被害者ぶれていいってだけだろ?
ウエイトトレーニングやってるとたまにフィットネス相談みたいの受けるんだわ
お前が食ってるぶん太ってるだけなんだよ
って言うのを認めない奴が多かった
体質だとか食ってねえとかそんな事ばっかり真顔で言う
ジャンクなものをだらしないリズムでだらだらだらだら食ってるだろ?
それも全部ナンパを避けるために意図的に計画的にやってることか?
それも全部ナンパする奴等が悪いのか?
ちげーだろ?
お前は食うのが好きでほぼ連続的に食って食べてるもの炭水化物や脂肪の爆弾で
それにどんどん脳が慣れて満腹中枢壊れて太ってるだけだろ?
デブって本当に問題から目を逸らしたり先送りしたりすることの天才
自分の体型を人のせいにするな
お前は体型より心が醜い
黒髪眼鏡だったら「チー牛」を自称して良いと思ってるやつらがいる。
・黒髪ではあるけど床屋ヘアではなく美容院でまめにおしゃれカットをしているし、日常的にも髪をブロー、セット等している。
・似合う眼鏡を選んでおしゃれになっている。
・アデノイド顔貌ではない。輪郭も歯並びもきれいで、笑顔がぎこちなくない。
・目が小さくない。
・姿勢が良い。
こういう奴らが、頭髪を脱色していなくて眼鏡をかけているというだけでチー牛を自称していて、違うだろ!と思う。
不正をする存在をアスリート(絵師)が許容できるわけないんだよな
そもそもAIは原理的に既存作品のツギハギコラージュしか生成できない
だから目だけ、ポーズと顔の輪郭だけなど部分の著作権侵害が必ず起こる
今まではキメラトレスのような犯罪行為は炎上によって処罰できたんだけど
イラストAIによって抜け道が出来てしまって、手書きでは違法なのにAIを使えば無罪放免
昔から色即是空、空即是色と言われるように、意識なんてあると言えばある、無いと言えば無いと言う程度のもの。
原子が流れ分子が波打ちシナプスのミステリーサークルが不確かな論理的輪郭を持つ
そんなのが崩れることは当たり前。むしろ一瞬も意識が同一を保つことはなく、もし意識を生存の定義とするなら、常に我々は死に続けている。
花が咲いて枯れて土になるように、ヒトも生きて死に朽ちるように、雨が川になって海に戻るように、全ては一である。
お前はそこにいない。お前は全てだ。お前は世界だ。シナプスのつながりが特定の表象を生み出すように、縁がお前の輪郭を形作る。一瞬として同じ形はない。全ての瞬間で何も変わっていない。
一つのシナプスが死んでも、脳は動き続ける。一人の人間が死んでも、お前は動き続ける。
お前は意識の中に居るのではない。お前は意識ではない。お前は脳ではなく、お前はホモ・サピエンスではない。
お前は知覚できない古代からの物質の本流の先端に在るだけであり、連綿と続く因果こそお前だ。
因果は全が一になり、一つとしてつながりのない存在はなく、それこそがパラメータの集合のゲシュタルトとなっている。世界のゲシュタルト、お前のゲシュタルト。
私がアスペで辛い点
②理想への執着が凄すぎること
最近、そもそも幸せになれる人間と幸せになれない人間がいるよな、などと思う
よくこういう場でさ、「青春はもう取り戻せない」「いくら港区やマッチングアプリでどれだけで会おうがあの頃は取り戻せないのだ」みたいなメタ認知(笑)が流行るが、理想に囚われて目の前のことを素直に大切にできないその心根のせいで青春時代に青春できなかったんだと思うよ
どうせその頃、「学生の勘違い恋愛wwwどうせすぐ別れるくせに」などと思っていただろ
青春時代に青春してたやつは、港区飲み会だってきっと楽しめるし、マッチングアプリで出会った人に「所詮マッチングアプリだから、自然な出会いの恋愛とは違う」とか思わずに、素直に目の前の人と幸せな時間を積み重ねていけるだろ
上記のような意見を誰かと分かち合ってはしゃげる人たちは、私の人生よりマシな人生を送るんだろうな
それはさておき、そう言う性根って何から生まれるんだろうね?多分アスペだと思う
大抵の拗らせた思考の全ては、幼少期や環境に問題があると語られるけど、残念ながら掘っても掘っても、私の幼少期や環境に問題はなかった
両親は喧嘩もするが仲が良く、伸び伸び育ててくれたし、子供がやりたいことに金を全て出せる経済力があり、思春期の私にもきちんと向き合ってくれた
人間性が終わっている私でも、歩み寄って私のことをよく理解してくれるような友達ができる環境で過ごしてきた
自分の生まれ持ったスペック的にも何かコンプレックスが発生するようなものはないと思う
タイトルが「アスペルガー症候群が辛い」だけど、発達障害を持つ人間たちの中では、限りなく恵まれた立場で生きていると思う
だからこそ絶望的な気持ちになる、私の幸せでない原因が多分、生まれ持った障害である、アスペに収束するから
冒頭、そもそも幸せになれる人間と幸せになれない人間がいると言ったが、幸せになれるやつは多分周囲のひとつひとつを大事にしている
様々な自分の理想よりも、現状、つまりは、自分の今大事な周りの人間がどう思うか、どう感じるかで行動できる
そんなことわかりきっていて、私はこんなに終わっている(空気の読めない発言、ADHDの遅刻、約束破り、その他諸々)自分のことを受け入れてくれる周囲の人間が大切だし、感謝しているし、愛しているから、私もそうありたいと思うんだけど、
でも実際そうあれるかというと、自分に超余裕がある時しかできないのだ
「そんなのみんなそうだよ」
って、多分発達障害じゃない人は言うと思う。で、それは多分その通りだ。でも、余裕がある時って、発達障害にとってはめちゃめちゃ少ない
毎日、朝起きて、仕事に行って、仕事をして人と会話をして、ご飯を食べて、お風呂に入るだけで、もうすごく疲れている
その上で、多分普通の人は、余裕がない時でも、相手の痛みが自然と想像できて、色んなブレーキがかかるんだ
でも私は、それを重々承知していても、落ち着いて考えて、相手の立場になってみようと心を決め、頭をその人に切り替え、順を追って、物語を読む時のように状況を追走しないと、その痛みが想像できないんだよ。
(それは、サリーとアン問題を解くのに一拍かかることの延長線上にある)
しかもその痛みも結構ぼんやりしていて、漠然と「こー思っちゃうよな」とかは思うんだけど、たとえば悲しい話を読んだような、心から痛みを想像できているものではなくて。出来の悪い映画を見た時のようで。輪郭はわかるのに、はっきりと掴めないことが、すごくもどかしくて、悲しくて、自分にがっかりするし、人間になれない感じがする
人の立場になって考えようとするたびに、考えることしかできなくて、感じることのできない自分が、何か人間ではない化け物のように思う
人生を何回やり直したって、私が私である限り、周囲の人間を、普通の人ほど大切にできないし、だから私が歩みたいような、あたたかな人生は送ることができない。
こんなにも恵まれているのに。
いかに私が苦しんでいるかの話を聞いてくれて、「そうなんだね、それでも周りのために頑張ろうって思えているのがすごいよ」と心から言ってくれる友達だっている。
そしてそんな友達が一握りいることが幸せなんだと頭では分かっていても、自分の送りたかった謎の「あたたかな人生」という理想に囚われて、苦しい気持ちになって、時にその人たちを羨み、妬んでしまうことが、きっと一番絶望的なんだ。
とか言われそう
改行が反映されないー
芸能事務所所属のモデルやってるような「同レベルの顔面の男としか俺は会話しません」系綺麗め男子も、ビッグスクーターを乗り回し色んな黒ギャルと付き合いホンモノの犯罪者の友達もいるガチムチオラオラ男子も、平等に女性化願望あるんじゃないかというのを目の当たりにした。
モデルのほうは「俺こういうのも可愛いでしょ」的に自信満々にヘアピンつけたりゴムで髪結ったりしてた。
一方でガチムチ男子のほうもメールの文が妙にメスメスしかったり学生鞄にスティッチのキーホルダー付けてたりして、たまに血迷ってモデル男と同じようにヘアピン付けて体育参加して周りの同級生たちを震撼させてた。
男というのはもしかしたら等しく潜在的女性化願望あるのではと思っている。
自分のフェイスアップを見せびらかしたがる男もあれほど多かったことを考えるに。
余談。
高校当時、塚本高史やNEWSのメンバーよろしく輪郭を覆い隠さんばかりにもみあげ(というか姫毛)を長く蓄えていた男性ホルモン薄い系イケメンに典型のオシャレをしていた同級生たち。
彼らは30歳過ぎたあたりでほぼ例外なく青髭モンスターになったのは衝撃だった(とにかく色白が多かったからか?)。
ある者は服装髪型自由な会社に勤めていたため、青髭を逆手に取り顎髭も口髭もボーボーに伸ばし放題にして、そのまま頭髪もヒッピーさながらに長~く長~く伸ばしてアーティスト系イケオジとして容姿の延命を図ってた。
また、ある者は服装髪型にうるさい会社に勤めていたため、フィットネスジムガチ勢に転向し、筋肉ダルマとして生まれ変わり、併せて日焼けサロンに熱心に通って、やはり延命のためのモデルチェンジに必死になっていた。
素直に永久脱毛すりゃええのに。
目をつぶったときに見える模様をデッサンの精神でできるだけ正確に描いた芸術家の絵ってないんでしょうか?
巷に出回ってる絵は明らかにイメージで適当に描いていますよね。
添付画像ほど色相が豊かじゃないですし、輪郭がわかるような描き方をしてる時点でおかしい。
もっと狭い範囲のグラデーションが視界を覆っています。個々の部分の近傍への色の変化が本当に微妙で、注意深くみなければ視界全体を単色が覆っているように見えることも確かですが、そこには確かに無数の微妙な違いを持った黒が混ざった緑や赤系統の色が散らばっています。
芸術家だからこそ、デッサンや写実的に描く対象としてはもっとも難しいモチーフの一つだと思うので、これに挑んだ絵が一つや二つあってもおかしくないと思うんですけど、ネットで調べてもなかなか見つけられません。
そういう絵はないんでしょうか?他者が描いたものを見て「これだよこれ」って実感が得たいのです。自分でも目をつぶればいつでも見ることができるものとはいえ、この模様は絶えず変化するものなわけで、たととばある一点を見つめようとするとその一点にあったパターンが煙のように形も色合いも微妙に変えながらどんどん動いていってしまうので、一瞬を捉えたものがあると何か安心できるのです。
いわゆる利権にしがみついて公金を必要以上に掻っ攫おうとしてるように見える動き、これはまだ全体の輪郭を想像(妄想?)してる人としてない人と分かれてるものだと思う。
だからこそその中で起点となったともいえる某団体の名称を使って⚪︎⚪︎問題と呼称する人がいるみたいだけど、もはやそれは矮小化して捉えてるとすら自分は感じてる。一方の思惑のひとつとすら勘繰ってしまうのはやりすぎか。
まあ何が正解なのかを自分は知らないとも言えるし、今後の動向によっては正解という名のゴールポストが変容する可能性すらあるのだろうが。ただまあ、ここ数年、いやここ一年でずいぶん「流れ」が変わったように見えるのは自分の気のせいだろうか。
「ボランティア」という、世間的に輪郭のあやふやな概念が邪魔にしかなってないな。
何も知らずにわけもわからず称賛したり叩いたりするネットの空中戦が現場の疲弊に拍車をかける。
個人か団体か社協仕切りの個人の集団か、どういうニーズがあるのか、そもそもニーズが集約されてるのかプッシュ型支援が必要な状態か、要素掛け合わせで全部事情は違うのに「ボランティアは是か非か」のワーワーに一元化されてしまう。
当然ながらいまは人海戦術のニーズも受け入れ体制もなく、しかし人手が足りてるのでもなく「被災者でもあるエッセンシャルワーカー」に限界が来てると。
そういうピンポイントのニーズはボランティアの枠組みはなじまないだろう。
被災地以外で現にその仕事をしてる人が十分な手当を得て一時的にスライドするしかない。
頭が悪すぎて受験に大失敗し見事に定員割れのFラン大学に入学する羽目になったが、運良く国立大学の大学院に滑り込むことができた
人生大逆転だと喜んだのも束の間、頭が悪いので全く周りについていけず見事に落ちこぼれてしまった
しかも発達障害の気があり、数えきれないほど課題や打ち合わせをすっぽかした
次に絶望的に顔が悪い
ブヨブヨの一重瞼を毎日1時間かけて二重にしているがどうしてもブヨブヨなのでカスみたいな瞼になる
学校がひと段落したら整形するつもりでいるが、目以外のパーツもカスである
人中は10kmくらいあるし輪郭もゴツゴツしていて面長で、鼻も低くてデカくて救いようがない
本当に生まれてきたくなかった
Aさんに絵を描かせると、Aさんの輪郭の特徴で、Aさんの塗りで、Aさんが得意なポーズで、Aさんがよく描く胸と、Aさんがよく描く脚のキャラクターしか出てこない
一方、AIだとAさんの輪郭の特徴で、Bさんぽい塗りで、CさんDさんEさんFさんGさんHさんIさんのポーズバリエーションで描かせる
みたいな出力をさせることが可能なんだよね
なんなら「胸はAさんぽく、でも脚はCさんぽく」みたいな絵も描かせられる
だから、「性癖にジャストフィット」が発生しやすいし、そういう組み合わせや微調整をする、生成AIを使う個人個人の「クリエイティビティ」が影響する
すでに「固定ファン」がついている"AI絵師"がいるのもこれが理由なんだよね
プロンプトからポン出しじゃなくて、いろいろな再調整と微修正を繰り返しての最終生成物には、すでに「その人にしか作れない」が発生している
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前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。
ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。
案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)
でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。
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18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、
35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、
この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。
結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。
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富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。
物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会の演劇の主役をしていたし、生徒会の会長も務めた。
私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。
部活も学園祭実行委員も最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。
卒業アルバムを開けば、嫌な記憶はひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。
学校名は伏せるが、所謂、最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。
バイト、サークル、ゼミ活動。大学生のお手本のような生活を送っていた。
講義をサボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。
某代理店で、新卒女子が自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職を経験したが、
次の会社でも大きな挫折を経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。
ある程度の給与をもらえていたので、都内の繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。
その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落たバルやら、ネオ酒場やら、
ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。
フレンチもイタリアンも中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。
連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。
嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。
衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。
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理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。
入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。
別に島耕作の時代でもないので、離婚が出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。
でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。
(子供が欲しくない詳細理由は割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれからの日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)
俗にいう若手エリートのモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、
でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業も軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。
お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。
思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。
夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。
10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。
だから、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。
若い頃からずいぶんと分不相応な美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。
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となると、だ。
残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生が漠然と待ち構えているわけだが、
そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。
金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、
将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。
君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、
やべ、とくに生きる理由ってなくね?
老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。
生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。
結局のところ、人類なんてものは大いなる生命の螺旋を繋ぐための歯車でしかなく、
子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。
冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。
生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。
でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、
その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?