はてなキーワード: バーンとは
ぶくぶ
このヒーラーめんどくさい
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先輩頑張りましょう https://pokapokasyouga.web.fc2.com/sengan/sengan.html
ねこに転生したおじさん
ギャグマンガ日和(しばらく読んで無い)
『僕以外全員転生者かよ』 ←万人向け。天才だと思う。売り出しかたの問題と違う?
『阿武ノーマル』 ← サイコパスな発達コメディ。だいたい悪気はない。怖いと感じる人もいる模様
『地元のいじめっ子達に仕返ししようとしたら、別の戦いが始まった。』 ←萌えエロ大丈夫な人向けね。ギャグのキレが好き
『令和のダラさん』 ← 濃い人向け
『OLとアザトース』 ← 自称一般OLとアザトースが同居している漫画
『ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~』
女児向けはこれでいいんだよというお気楽ほっこりコメディ。お気楽コメディだけど説教にならぬ程度に割と道徳的なことも言ってる原作もおすすめ(人を裁いてはならない、赦そう)
アニメはミーアの作画とすみぺは可愛かったけど冒頭の曇らせアニメスタッフの趣味でしかないと思いました。あれで取りこぼしたの多そう
『俺は全てを【パリイ】する』
人の話もすべてパリイする。ブレイバーンの人の話を聞かない感じが刺さった人ならツボると思う
『僕は今すぐ前世の記憶を捨てたい。~憧れの田舎は人外魔境でした~』
登場人物全員あたおか。白痴の王ってこういう解釈もあるのかぁと思いました。原作完走したので今月で終わっちゃった
なぜか知られていないけどテスラも人型ロボットの開発をやっている
どうして人型ロボットなのかというと、ロボットを人型にすることで既存の設備で人間と一緒に働くことができるからだとか
ロボット専用の新規設備で汎用性を無視するなら専用ロボットが有利だけど、世の中そうじゃない方がずっと多いから汎用性のある人型ロボットが有利だよね、ってことらしい
例えば一戸建てを作る時、柱を建てるロボット、外壁を貼るロボット、左官工事をするロボットと別々に用意するより、人型ロボットの方が使い勝手がよさそうなことは容易に想像できるだろう
一戸建てを作る時なら人間サイズの人型ロボットでいいだろうけど、倉庫や体育館みたいなのを作る時は人間サイズではなく、大きな人型ロボットの方が使い勝手がいいだろう
そのようなレイバーを使った犯罪が起きた場合、それを制圧する装置が必要となった警視庁が人型であることを採用条件に求めたところで何ら不思議はない
その辺の川でも深海でもエビは似たような形をしているわけで、人型ロボットが生まれれば人型巨大ロボットが生まれても科学的根拠に基づく妄想は可能だろう
ブレイバーンの地球軍?が運用しているアーマード・コアみたいなのが生まれた経緯はわからないけど、人型巨大ロボットが現実的ではない、ただのロマンということはない
スーパー系ロボットとリアル系ロボットの括りぐらい崩れてきてる。
リアル系ロボットは昔とった杵柄をブンブンすりゃいいと思って全く進歩がない。
厳密に言うと、ガンダムのような古典的リアル系ロボットが進歩を諦めて「俺らは昔からこれでやってっから!」と逆ギレしている横を、新世代のリアル系ロボットが言い訳としてスーパー系の要素を盛り込み始めたことで、リアル系でありスーパー系でもあるロボットが増えた。
技術が進歩すれば巨大人型ロボットが実用化されるという可能性が、ドローン技術の発展によっていよいよ非現実的なものとして確定していったことが、リアル系ロボットに対して『半端じゃない言い訳』の必要性をつきつけ、その結果として古典的なスーパーロボット的SF要素との融合が進んだってことだ。
スーパーロボットとして端を発したコンテンツについても、観賞者の技術的な基礎教養が時代とともに高まるに連れて「レバーで操作」なんてものは受け入れられにくくなり、脳波コントロール等の技術を導入する必要に迫られ、結果としてリアルロボット色の強い設定が組み込まれていくようになった。
こうしてスーパーとリアルの垣根は崩れていき「非現実的な巨大人型ロボットといふものを、なんとかして真面目な顔して使わせるにはどうしたらいいのか」という方向に業界全体が流れていったわけである。
ぶっちゃけ、『巨大ロボで真面目に戦争やっても許される雰囲気作り』が重要なわけである。
バーンブレイバーンなんかはこの辺が結構力技で、そもそも地球に元々巨大人型ロボが実用化されているという無茶苦茶すぎる大嘘に向かう視聴者の意識をブレイバーンという特急異物の異常性によって上書きしている。
地球で既に軍事用人型ロボットが運用されているという無茶すぎる設定を、ブレイバーンという大ボケをかますための『前フリだったことにした』わけである。
昨今、ロボットアニメではこのような、「これは半分ギャグだから細かいこと気にしたら負けです」という言い訳も使われるようになり、いよいよもって「そもそもリアルロボとかありえねーよな」という空気になってきている。
巨大人型ロボがいる時点でリアルなんてものは存在しないという大前提があり、その上に「でも人間模様とかにはある程度のリアルが介在するじゃん?」って態度で作劇をしている。
スーパーかリアルかの垣根は、作中のキャラクターがその状況に対してどう対応するのかによって描かれるものになりつつある。
つまりは、ロボ自体が無茶苦茶でも人間模様が生々しければリアル系、ロボだけじゃなくて人間まで滅茶苦茶ならスーパー系というわけだ。
現代を生きるスーパー系の代表がゲッターロボシリーズで、とにかく出てくる人間の生き様や設定があまりに熱血かつ豪快で非現実じみているという所によって、ゲッター線というSF考証要素によってともすればリアル系によってしまいそうな設定を抱えながらも、この時代において古典的スーパー系としての立場を維持しつつあるのである。
現在放送中のロボットアニメ『勇気爆発バーンブレイバーン』が面白いと今話題なっている。
なかでも話題となったシーンは、主人公がブレイバーンに搭乗して戦闘を行っていると主題歌が流れ始め「なんなんだこの歌は!?」と主人公がツッコミところである。
ただ気になるのは、それはあくまでもメタ的な面白さであることだ。
確かに熱血系のロボットアニメでは活躍と共に主題歌が流れるのは定番である。その上で、そこで流れる主題歌が演出ではなく実際にコックピットで流れている、となって笑えるのは明らかにそうした一連の流れを視聴者側が把握しているからだ。
ここでは別にそのようなメタさを批判したい訳でもなければ、良い悪いを議論したいわけでもない。
しかしブレイバーンというアニメの話題性はそうしたメタ性にあるというなら、それは新規さがあるのではなく従来の作品を踏襲した上でそれを利用しているに過ぎない。
要するに、目新しさがないのだ。
これはブレイバーンのみならず、昨今の作品にも同様のことが言える。新たな世界観や新規性のある設定を考えるというよりかは、これまでの作品を踏襲してメタ的にイジる、という安易な形に逃げているような気がするのだ。
80年代の作品では良くも悪くも実験的、新規的な作品が多かったが、今ではそうした作品群を食い潰さんとした粗めのメタ作品が量産され、以前であれば同人誌止まりであったような作品が一次作品として容認される。
自分も怖いという理由で小学生のころ見ていないアニメが多かったんですよね。特にデジモン・ポケモン・ウェブダイバーの3つ。
特に一番怖かったのが小4ぐらいの時にやっていたウェブダイバーってので、放送時間帯(テレ東系がなかったので日曜朝6時からやってた)はテレビのない部屋で震えているときもあった。
そのうえ6時30分からは別の局で見たい情報番組がやっていたので、どの瞬間にテレビをつけるかって悩ましかった。もしつけてウェブダイバーが流れていたらどうしよう…って考えただけで頭がおかしくなりそうだった。
幸い親には露呈することはなかったが、もし親に知られたら大変なことになっていただろう。
というのもテレビで怖いシーンとかがあるたびに自分は隠れたり目を伏せたり部屋から逃げたりしていたんだけど、そのたびに両親は「なんでその程度のことで怖がるの!」と厳しく叱責してきた。
特に一部のCMが異常なまでに怖かったんですが、そういうCMが流れて逃げようとするたびに叱責されるのだ。思い出すと気分が悪くなる。
で、最近やっている『ブレイバーン』ってアニメを娘への脅しとして使っているというネットの書き込み。それをみて幼少期の諸々を思い出してかなりつらくなった。
いや大人にしてみれば「変なことで怯えている子供がおかしい」って程度なんだろうけど、子どもにしてみれば天地がひっくり返る程度の恐怖なのだ。
それが虐待かどうかというのは専門家なのでわかりかねるけど、自分の経験を踏まえると冗談でもやめてくれって感じる。
むろん親が『ブレイバーン』が好きなのは何の問題ないと思うけど。
そういや『ブレイバーン』含めロボットアニメの類は全く見た記憶ない。当方91年生まれの男。ガンダムとかも全く興味なかったし。
アニメは基本こち亀とかクレしんみたいな日常ギャグしか見てなかったですし(成人以降に見たのだと帰宅部・あそびあそばせ・ジャヒー様・4ウソあたりが特に好み)
よな
@lessjonahhome
小学生の娘がブレイバーンを気持ち悪がって「私の前で視聴しないで」と要求してきたので
いうことをきかないと「ブレイバーン観るよ!」「やだやだやめて!」「ごめんなさいは!」「ごめんなさい!!!」
今日はとうとう「ブレイバーンが来るよ」と言ったら笑って片付けを始めた
もはやなまはげや
94.3万 件の表示
https://twitter.com/lessjonahhome/status/1761222633465786845
その手の嫌がらせってガチでメンタルやられるよ子供にとって。本気で嫌だと言ってることを親が執拗に繰り返すって本当に嫌だから。
https://twitter.com/ritubow/status/1762037844049342606
実際ワイも何話か観たけど、野獣先輩とかのゲイフォビアで面白がる気色悪さみたいなの感じて視聴止まっちゃった
https://twitter.com/honshiboli/status/1762121207477153873
娘の嘆く声を聞け
娘の安らぎも守れ
https://twitter.com/SUITEXSUITE/status/1762062846194798906
話が進むほどブレイバーン自身が地球侵略のラスボス?疑惑が俺の中でますます膨らんでる
1話のピンチで上空から駆けつけてたがアイツこそ地球付近に突然現れた母艦の主じゃね?とか
バーンブレイバーンってタイトルからして語呂の良さ採用じゃなくて「ブレイバーンを燃やせ」って意味に勘繰りたくなる
ヒーローごっこがしたいアイツにとっては ブレイバーンの機体がプレイアブル機体ってだけで
地球や人類はゲームのマップや登場キャラといったオモチャの類いに過ぎないんじゃないのか?
あまりに能力がチートで次元をいくつも突き抜けてる上位存在すぎて 敵機体すら自分で用意してそうで
別個体?のスペルビアもあいつならチートでサクッと作れちゃいそうだし
この基準なら謙遜ではなくガチ無能なワイくんが高給でも別に問題無いですね・・・とは思うものの、
AI、Python標準搭載時代にいい加減にしとけよとは思いました
(フィジカルワークの人は仕事で使わないので気にすることはないんですけどそれ以外の人よ)
ワイくんの無能自覚モード(自分の自認より2〜3倍無能と噛み締める状態)が解除されそうになりましたが、
以前は自分自身の無能ぶりに怒り狂う・なにクソと奮起することが多かったけど、
最近はなんか『ふぅ・・・😔↓ 凹み〜』で終わりにすることが増えた気がします
その程度で済むようなミスしかしなくなったとかではなく、以前と変わらず、ポンコツと自認がある人でもしないようなミスをかますんですけど、
ずっと悩んでいた異常な怒りのコントロールがうまく行っている・気持ちの切り替えが出来るようになったのか?
昔の目標の年収に到達したことで、エリートビジネスマンじゃないのにあがりみたいな顔してサボってぬくぬくしているのか?
でも前者がまったくないのか?と言われたらそんなこともない気がします
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
れは俺の癖(へき)だから
癖なんて十人十色なんだから良いと思うことも悪いと思うこともあらあな
アニメおにまいのかえでちゃんとか胸盛りすぎでうわぁってなったわ
あと咲......咲とかな.........
エイケンはわかるよ?最初から爆乳がテーマだしチャンピオンだから
ライザのアニメとか太ももミームに全乗っかりしすぎててマジかよって思ったわ
これだろ?これが好きなんだろ?wってホラホラされるの胸焼けすんだよね
よく見たら太くね?くらいのバランスがいいんだよ
線が出ない服などで肉体が隠されてる時の方が素直にエッチってどういうことやねん
この作品は男のセクシーシーンを盛ることでバランスをとってるな
弱点を晒してどうするんだろうか?
でもお前ら対魔忍じゃねえじゃん
鬼滅で言ったら蜜璃ちゃんと禰豆子は気にならん
でも天元の嫁3人衆は気になるわ
なんかKoeiの三国無双とかのムービーみたいなすわりの悪さを感じるぜ
着せ恋の海夢ちゃん?オッケーです
エッチです。オッケーです。
僕ヤバの山田
でも、本当はエッチなんだよ...!
市川もそう思ってる!
まあ一番癖にきたのは萌子と市川の背が同じくらいってとこなんすけどね
気になることはいっぱいある
俺とお前の癖の戦いだ