「乾燥地帯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 乾燥地帯とは

2024-05-01

anond:20240501074231

マジレスすると乾燥地帯じゃないと涼しくないので日本みたいな高温多湿地域では拷問みたいなもん

2024-03-02

anond:20240302084227

これから色々忙殺されたりトラブルが降ってきたりで

「きっちりやってた家事ができなくなった」→自己嫌悪からの鬱→関係崩壊 とかよくあるから

家事大好きでもない限り、家事の最低限ラインはできるだけ低く設定しといた方がええよ

彼氏の方も「俺はこれくらいハードル下げた生活でいくから、君もごちゃごちゃ細かいこと言わんといて」という言外の主張があるのかもしれん

 

ただ洗面所とかのタオルは二人暮らし以上ならできるだけ毎日変えた方がええんとちゃうかな

余程の乾燥地帯でもない限り湿りっぱなしになって雑菌沸きやすいという

皮膚分泌物の関係か、男の使うタオルはすぐ臭くなってにおいも取れにくいんやと

2023-01-22

[] 細田守 バケモノの子 感想

公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要監督家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。

アクションが退屈

改めて見た率直な感想がこれだった。

OPCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まるカンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。

しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲闘牛ボクシングといったようなものオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまたことになる。

古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。

長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。

どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。

(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)

九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ


その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいかバケモノ界は闘争世界ではないし、武術を習った主人公人間ボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。


直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。

(剣が震えるところとかは好き)

世界観が見えない

バケモノの子映画にしては場面が少なく感じた。

熊の家を斜め上から見た図と家までの階段坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。

渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公視聴者異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代雰囲気を醸すことができていたと思う。

バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。

絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクター支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。

今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。

(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)

これ即ち強さな

バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的選択しなくちゃならん。

当初の九太は選択余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語最後最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。

同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月ライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分意思将棋世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。

九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノから人間界に戻ったって記号しかなかった。

センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期不安定青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。

なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。

からやっぱり

尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートなっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。



そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画ぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)

脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分オタクすぎる気もする。ポストジブリファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。

2021-12-14

持続可能センターボット

センターボットと言われても分からない人もいるかもしれないが、要は『円形の農地中央スプリンクラーを置いて灌漑するやつ』であるアメリカ中国乾燥地帯などではこの方法を用いて大規模な穀物生産をしている。

このやり方、水効率は確かに良い。が、水の出所は多くの場合地下水であり、地下水は限られた資源だ。一方で灌漑に用いられた水は一部は植物に取り込まれ、一部は蒸発し、一部は地下に還っていく。

まりセンターボットによる農業を続けている限り地下水が減少していくのであり、大規模なセンターボットを行っている地域地下水が尽きたら農業生産が大きく落ち込む。明らかに持続的ではない。

もちろん、「だから今すぐセンターボットを止めろ。穀物価格が上がって貧乏人が餓死しても知ったことか」などと言うつもりはない。が、今のうちに持続可能ものにする必要はあるだろう。

とはいえ、水が豊富地域からパイプラインで持ってくるくらいしか方法は無いか

2019-05-14

国際情勢に全く関係ないメイク事情

韓国メイクオルチャン)ってのが結構から日本で凄い流行ってて(見れば分かると思うが)

理由としては日本アイドルたちが処女性などをアピールするために同じようなメイク系統する中で

韓国アイドルたちが、昔のモー娘。安室奈美恵浜崎あゆみのように女子受けを狙った派手なメイクをして

つの文化を作っていることが大きな理由だとは思うのだが、

アジア圏では日本の化粧ブランドの質が良いと言う話は有名で

ドラッグストア爆買いする女性外国人がたくさんのプチプラ化粧品も購入していくのはよく見られる光景だ。

勿論違いはあって、韓国は寒く乾燥地帯が多いので油分が多いツヤ系ファンデーション(クッションorスティックタイプ)が多い。

日本梅雨など湿気が多いので、パウダーファンデーションさらりとした下地ファンデなどが好まれる傾向にあることか。

あとは韓国人は使うファンデが厚塗りなので白くなる白くする傾向もあるが、日本流行は「自分肌色に合ったものを」だろうか。

多色ファンデといって10色以上出すブランドが安物でも増えてきたので、その辺は違うかもしれない。

韓国人を真似していることで、文句を言う思想をもった人もいるかもしれない。

しかし美の探求に国境は無い。そのとき良さそうなものを使うのだ。

年末からじわじわきてるのが、中国メイクだ。

メイクを全くしない人から見ると韓国中国どう違うんだと思われそうだが、明らかに違う。

それでいて手順が日本と似ている気がする。彫を深くする工程とかも。

韓国メイクがまるで能面のように顔を統一していくのと比べて(悪い意味では無いのだが)

中国メイク自分個性を隠さない方向でのメイクが多い。

まぁそんなこと正直どっちでもよくて、化粧をする=顔をちょっと変えるのは事実なんだが、前者と後者では聞こえが後者の方がいいだろう。

から中国メイクは多分これからもっと流行ると思う。というかきてる。去年よりガンガンきてる。

既に中国という名前を出さず明るいピンクで目を覆うメイクファッション誌が推奨しだしてもいる。

眉毛韓国メイクよりかなりふんわりだ。

しかしはたしてそのことに、メイクをしない日本人の男性政治家のおじさんたちが気付くことはあるのだろうか…と思う。

中韓否定しているおっさん中韓メイクをしている女の子に手を出すとか、日々起こっていることだろう。

そういう意味で、個人的に興奮している自分が居る。

別に中韓を好きなわけではないしどうでもいいのだが、あの国ダメだ関わるなという気風が強くなるなかで

まるで鎖国時代密航した歴史上の人物のような気持ちになって、ちょっと興奮するのだ。

きっとそのうち北朝鮮メイクとかも流行ると思う。

そのときあなたは気付けるか。そう考えると、禁断の遊びとしてワクワクするのだった。

2018-12-31

大晦日正月にはアウストラロピテクスに会える

実家山間にある水田農家で、遠くに高速道路が走る風景は昔から変わらない。

さな駅に車で迎えに来てくれた両親と共に、私は私の家族と共に実家に帰る。

山際の家に到着し、一泊して今日を迎えた。

近くの家の庭先を訪ねると、アウストラロピテクスに会える。昔からいるやつだ。とっても。

アナメンシスなのかアファレンシスなのかは尋ねたことがない。骨格は外面からはうかがえない。

昔と変わらず、彼は石で骨を割っていた。そういう仕事なのだ

骨を割り続けるアウストラロピテクスのとなりに蹲踞する。

作業を続けながら、彼が問うてきた。

ホモサピエンスもさ、骨食うよね」

場合によってはな」

「この飽食時代だ。俺も骨以外も食べる。ところであんたたちの主食は?」

「米だと言われている」

「いや、それは最近のことだろ。もともと何食ってたんだよ」

「そういう意味なら、日本人なら魚かな」

そう言って私は、もう少し考えて言葉を出すことにした。

「精確に言うと、現在日本列島とされる空間に住した人間は魚だ。まずは魚だったはずだ」

「そうかい

「俺たちより昔は果実だった」

「そうだ」

未来はどうなるだろう」

「藻とかじゃねえのかな」

「ありだな」

例年他愛ない話だ。互いの親戚の話とか共通の友人とか。仕事の話とか。

そしてそれぞれの社会に戻って行く。

ちょっと違うやつと話すと、いつもの不断に続く一年仕事に対して、何だかよくわからないやる気が生まれてくる。

彼らをはぐくんだアフリカの4百数十万年前の乾燥地帯を思って、そこにある石をぐっと掴んだ。

 
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