はてなキーワード: 明確化とは
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
健康診断受けさせて、実際に各数値がどうなっているか見えるようにするといいよ。
IT エンジニアなら「推測するな測定しろ」という習慣が身についてるから、数値がすぐ見えるようになって、健康とは何かが数値的に定義されていればそれに向かって改善したくなる。
オレも一時期体調がなんとなく悪かったときに健康診断を受けて、コレステロール値が高いのが分かったので、毎月のペースで健康診断を受けながらいろいろ生活スタイルを試行錯誤で変更してコレステロール値を落とすことに成功した。
【追記】
「炎上について説明が足りない」という予想外の反応がきているので追記。
男性作家のものは勿論、女性作家のものでも大抵違和感が酷く気持ちが悪いと感じる。
作品の出来とは話が別だが、これで作家本人が同性愛者差別をしている政党を支持していたりすると役満だ。なるべく苦しんで〇ねと思う。
そうは思うが、当然そんな過激な事を、個人として認識されている場では表明しない。
更に言えば、私自身ヘテロ創作を嗜むのだ。自分とは異なる属性を消費する楽しさは理解できるので、そこはお互い様だとも思っている(支持政党の件は実生活に直結するので許せないけれど)
それが前提だ。
さて、そんな私だが、知人と喧嘩別れをした。
彼女は笑顔がパグに似ており、学生時代よく男子からいじめられていた、自分に自信がない、死にたい。よくそう言っていた。
他方、作中で「是」となる主人公を嫌いながら、推しキャラとカプ化させていた。
作中でのヘテロ描写をひどくいやがり、主人公とヒロインのカップリングが成立するのではと恐怖し、叩いていた。
そんな彼女がふとした時に、反差別フェミを名乗るようになった。
元々敵と味方を明確化し、推しに都合の悪いキャラを狂ったように叩いていた、いじめの経験故に男性嫌悪も強い彼女だ。
まあ、わかりやすくミサンドリー色の強い、反出生主義のフェミ化したのだ。
フェミニズムなんてものは腐った羊水のババアが若い女に嫉妬しているだけだと言うバカな男たちには、腐った金玉ぶら下げてくだらない妄想してんじゃねぇよと返すだけだ。
私が彼女へ苦言を呈したのは、とある男性がプチ炎上をした時の事だった。
だが、彼女はそれが気に入らなかったのだろう。
瞬時に、私へありとあらゆるレッテルを貼りはじめた。
アンチフェミ。ネトウヨ。ちんよし。名誉男性。ミソジニスト。いじめっこ。等。
ああここまで愚かだったかと驚くと同時に、
まさに彼女が挙げたネトウヨやアンチフェミと同じく、意見が異なる人間を「仮想敵の陣営側」だと認定するのは、思想信条にかかわらず知能が一定以下の人間のする共通の行動なのだと再認識した。
更に言えば、彼女のような男性から加害された女性こそフェミニズムは包摂すべきなのだが、いかんせん彼女のような人間がフェミを名乗ってSNSなどで暴れた場合、ただの無能な味方にしかならないので、
「最も救うべき人間に足を引っ張られる」というよくわからない事になるのだ。これはフェミニズムの構造的欠陥かもしれない。そうも思った。
結局、彼女とは喧嘩別れをしたわけだが、彼女が私に対して「ヘテロ創作を好むあいつは似非レズ。本当はヘテロだからちんよし名誉男性なのだ」と言っていると聞いた。
これはもう失笑せざるを得ない。
僕は消極的野党支持者で、固定支持政党を持たず立憲、共産、国民にそのときそのときで投票している。自民党はもう少し議席を減らしてバランスを取ってほしいと考えるからだ。とはいえ、安倍元首相が殺害されたのはとても遺憾であり、犯行はどんな理由があろうと同情も支持もしない。
事件以来、インターネット上では統一教会批判一色だが、僕は自分の態度を決めかねている。もちろん感覚的には理解できて、政府にカルトが食い込んでいるのはとても嫌だ。しかし統一教会そのものを、または自民党との繋がりを確実に断てるだけの法的根拠があるのか?について僕は疑念を持ってしまった。
まず党と宗教団体の繋がりについて。
公然の秘密として、自民党や公明党は特定の宗教団体と懇意にしているが、これを排除することはできるだろうか。「政教分離の原則」を考えてみることにする。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
“国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。”
この解釈が争点になるはずだ。
広義に捉えると、政治家・政党に宗教団体が介入すること自体が「政治上の権力を行使」と捉えることができ、
自民・公明両党(もしかすると他の政党も)は違憲ということになる。
狭義には、政教分離は国民の信教の自由を保障するためのものであり、宗教側からの政治介入はグレーゾーンとも言えるようだ。
そのため、狭義解釈では政党と宗教団体との繋がりを即座に排除できるものではない。
実際に、公明党や幸福実現党はこの解釈をエクスキューズとして採用している。
https://info.hr-party.jp/faq/2492/
狭義・政教分離の観点から自民党を追及するには、特定の事案で政府が統一教会に肩入れした、特別扱いしたと証明する必要がある。
しかしながら、安倍元総理がプライベートに肩入れしていたとしても、これは根拠として弱いのではないだろうか。もし仮に行政での事案が見つかったとすればモリカケ・桜くらいのインパクトを自民党に与えることになるだろう。(逆に言えば、誰かが謝罪したり辞任したりで幕切れ、または関係者である元首相がこの世を去ったことで有耶無耶になる程度かもしれない。)
9条の自衛隊解釈を見れば分かるように憲法解釈は神学論争に陥りやすいので、白黒つけるには改憲・立法・裁判所による違憲判決を待つしかなさそうだ。付け加えると、世界に目を向けてみても広義での政教分離を成し遂げている国は米国も含めて殆ど存在しないのではないだろうか。また、仮に内閣全員が統一教会信者でも、それは個人の信教の自由であり、やはり排除することはできないだろう。
もう1点、見落としがちな点としては、たとえ組織票だとしても自民党や公明党を支持する信者は確かに存在するということだ。宗教団体の支持する政治家がこれによって当選し、(政教分離に抵触しない範囲で)宗教に都合の良い政策を行うことは通常の選挙・政治プロセスと見分けが付かない。僕は保守的な反LGBT政策には反対の立場だが、それを是とする宗教と政党が支持され、議席を持つことは民意であり否定することはできない。これは反ワクチンを掲げる参政党についても同じことが言える。必要なのは支持層への関心と対話であり、一足飛ばしに政治家や政策をキャンセルすることはできないのではないだろうか。
次に、統一教会そのものをカルトとして断罪することはできるか考えてみる。
いくつかの記事では、オウム真理教同様に統一教会の宗教法人格を剥奪するという話が出ていたようだ。もちろんこれができれば良いが、その基準と法的根拠は何になるのだろうか?(間違っていたら申し訳ないが)僕の知る限り、カルトの定義は日本の法律では存在しないように見受けられる。オウム真理教のようにテロ・国家転覆・殺人を計画・実行した組織なら公安による監視・取り締まり対象だろう。しかし、(詐欺や人身売買などで立件できるならともかく)悪質な宗教団体、というだけでは警察も公安も動けないのが現状ではないだろうか。
やまとQ(正しい漢字を調べるのも面倒だったので割愛)は取り締まりの動きが早かったが、これは医療施設への妨害行為が原因と考えられるので、やはりサボタージュなどで教団外の社会・一般人に対する直接被害の有無が分水嶺と見て間違いなさそうだ。また、オウム真理教の関連組織であるアレフは宗教法人認定されていないが、その後も活動を続けていることから、銀の弾丸にならない可能性があることにも注意したい。
公安や警察による取り締まりにしろ宗教法人認定の厳格化にしろ、(意外なことだが)国による宗教の選別となり、政教分離的には後退にあたると考えられる。立法によるカルトの定義明確化なしでは国による恣意的運用を許すことにもなる。
僕の意見としてはフランスのように反セクト法相当の立法をしてカルトの定義を明確化し、宗教法人格の管理と罰則化は必要だと思うし、これを欠いて恣意的に宗教を規制するのは法治主義とは言えないはずだ。それに加えて累進的な宗教課税も検討すべきときが来ていると思う。さらに僕なりの結論としては、現行の法体制で統一教会に感情論以上の追及は難しく、居直って自民党との関係を公然のものとし、公明党と同様のスタンスを取り始めたら手が出せない可能性がある。法整備が急務である。
自民党と統一教会の繋がりを良しとする人。あなたは今後も自民党に投票し続ける自由がある。
それはあなたの権利だし、法根拠なく自民党や統一教会を止められるものでもない。
共同親権のやつ
https://mainichi.jp/articles/20220619/k00/00m/040/184000c
法務省は、家族法制の見直しを議論している法制審議会(法相の諮問機関)の部会に、離婚した父母双方を親権者にできる「離婚後の共同親権」の導入を提案する方針を固めた。現行民法は離婚後の単独親権を定めており、部会は民法改正の中間試案を8月をめどに取りまとめる。その上で意見を公募するパブリックコメントを実施し、詰めの議論に入る。
これに母親をDVされ自分も虐待された経験のある成人がめちゃくちゃ反対してた。
このへんが特にヤバい。日本の離婚協議はわりとめんどくさい。そこを通してはじきだされたクズ親、
つまり子供を金づるとかサンドバッグくらいにしかおもってないやつがごねたいだけにも使えちゃう。
https://public-comment.e-gov.go.jp/
まだでてないけどね。
もはや国がまもらないと生物学上のクズ親だけに責任負わせようとしたって
クズはどこまでいってもクズなんだから虐待になる可能性しかないと思う
実質上の捨て子でありヘイハイズくらいの悪政
https://anond.hatelabo.jp/20220615174308
さんに対するアンチと思われるようなタイトルにしてしまったけど、実はそうでもなくて、前提の認識は特に全く同意。
・日本は一度雇用したスタッフをやめさせるのは、まともにやろうとするとすごく大変。
(いや、クビにされた!という声も多いだろうが、それはまともじゃない会社の話)
・派遣や業務委託はいざとなったら切れるから、それを前提として一時的に報酬を大きくできる。
・人材の流動化(解雇規制の撤廃、新規就労の活性化)が経済活性には必須。
完全に同意。
それでも、スタッフの定期的な昇給は続けていきたいと思っている。しんどくても。
その理由を書く。
私は40歳。業種はWeb関係。個人事業主から法人成りして、会社はまだ3年目のペーペー社長。スタッフはパート含めて10名弱。首都圏の地方都市で地域密着の業務をしている。(ちょっとフェイク入れてあります)
首都圏の地方都市の宿命として、優秀な人材は東京に出てしまい、大きな案件も東京の会社が持っていく。なので、活気があるのは地場の土建屋さんと公務員、あと大手企業の工場くらい(先は見えないが)。当然のようにブラック企業的古い価値観の同族企業や、最低賃金ギリギリの待遇などがまかり通っている。
そんな中で若手(Z世代)を中心に、社会的公平性や社会の持続可能性を重視し、資本主義的考え方に偏りすぎないライフスタイルという価値観が広まりつつあるのを実感している。その一方で精神的な充足感や働きやすさ、持続的な仕事のあり方や環境などを重視した価値観が生まれている。
そういう考え方を大切にする顧客も増えつつあり、個人的にもそういう価値を大切にしたいと思っていることから、会社の方針(企業理念やビジョン・ミッション)をその方向に明確化しようとしている。地方のビジネスに一石を投じたいという思いもある。
顧客といっしょに一緒に地域を盛り上げていく。だれかがしわ寄せを食うのではなく、取引先・スタッフ・お客さん、みんなで利益をうまく分配し、かつお金だけでない価値(温かい人と人の繋がりであるとか、感謝であるとか、居場所であるとか)も同時に作っていく。そういう理想を掲げている(まだまだぜんぜん未達だけど)
5年10年先を見据えたとき、そういう価値観で働く人が社会の主流になることは間違いない。であれば、先行者としてその分野でのポジションを確保することは重要と考えている。
そういう理想を掲げている限り、スタッフの賃上げも積極的にしていく必要があると考えている。
ただ現実は厳しく、税金を払うと利益はほぼゼロ。売上は毎年1.5倍くらいずつ伸びてきてはいるが、それでも運転資金が足らないこともあり、すでに個人資金を1000万円投資した。ちなみに自分自身の月給(役員報酬)は個人事業主時代の半額以下。スタッフの給与も基本給は低く、残業代はゼロ(残業時間自体はゼロでは無いが強制することは無い)、ボーナスは基本無し(この夏はちょっとだけがんばって出した)。それでも、一緒に仕事をしたいと言ってくれるスタッフには心から感謝している。
今後数年かけて、利益率を上げてまっとうな給与まで引き上げていきたいと思っている。そのため、1万~1.5万くらいずつではあるけど、先行投資として毎年昇給してきている。
ちなみに会社作ってから、「人関係」の悩みが圧倒的に増えた。その半分以上はスタッフに関すること。
雇用する側からすると、まともに信頼できる期待通りの人が就職して働き続けてくれるなんて、奇跡的なめぐり合わせなんだな、と感じている。採用したら期待外れ、ということもあるし、トラブルが起きるとメンタル的にはどん底まで落ち込むし、この先の会社経営に絶望したりする。
・低賃金でも、やりたい意欲がある人のみ採用する。一方で、職場の魅力は頑張って高める。
・契約社員として半年~1年様子をみる。だめそうなら契約更新しない。
ここまで慎重にしても、それでも応募があるのは、現代的で人気の職種だからだと思う。これがブルーカラー3K的職場だったらこんなことはできないとも思う。
こういうフィルターをくぐり抜けて、目先の低い給料にとらわれずに本気で価値を生み出したいと努力を続けてくれるスタッフが定着してくれているからこそ、毎年昇給したいと考えている。そういうスタッフには、泣きたいくらい感謝しているし、今のような待遇しか提供できない自分に不甲斐なさを感じている。
(しかしながら、会社におんぶにだっこを期待するなら昇給できないし、ましてや採用しない。)
さまざまな条件が噛み合えば、閉鎖的で後進的な地方においても風穴を開けられるビジネスが生み出せると信じているし、それによって自分やスタッフ、クライアント、パートナー、そして我々が生きる地域にも価値を提供できるようになり、みんなが幸せに少しでも近づけるビジネスモデルができると考える。
なので、結論としては
・新しい価値観を重視したいため、しんどくても昇給は続けたいと思っている
・けど、スタッフに求める条件も、厳しい
・それらをうまく回して実績を出すのが経営者としての責務だし、そのためにはリスクも取る
・結果的に、私自身はちょっと人並み以上にお金稼げればいいかな
という考え。
要約しますと、
社長「会議しましょう。役割の明確化とかもあってオフラインじゃないと話せないから出社して。
私「申し訳ありません。急すぎて無理です。」
社長「当日とか2、3日の連絡調整が急っていう意識は変えてください。弊社では普通です」
私「???」
※ちなみにフルタイムで働いてますけど、前もって言ってくれれば時間の融通きかせられますよ。と事前に話してます。
なるほどな〜融通効くなら良いですね。と話したのが2週間ほど前。
なんなのこれは。私が悪いのか?
ちなみにスラックでやりとりしてて、みんなが見れる場所で「急すぎて無理」って言ったことがどうやら気に食わなかったぽい気配はある。
見てる全員が「連絡調整が急すぎる」っていう意識になるのが嫌だからやめてくれ。っていうのと
他の人もあなたに連絡がしづらくなるからやめなさい。とのこと。
これってどうなんですかね。
そもそも「急だな」って思うことに「意識」とか使われている時点でもう萎えてくる底辺の人間なもんで理解に苦しむ。
その後もだらだら長文でなんか言ってくるので、
これ
家庭にBacklogを導入してタスクを可視化しようとしたら大失敗した
https://anond.hatelabo.jp/20220607152713
会社でもよく見かける気がするんだけど、複合問題だと思うんだよな
やりたいこと:タスクをやってほしい
ここでずれてると思う
「タスクをやらせる」の解決策として「タスク管理ツールの導入」は間違いどころか逆効果かもしれない
元増田も気づいてるけど
会社では、予算や計画を立てて、リソースを確保し、それを実効するというのが基本サイクルだから
その全タスクが膨大だったとしても「やりたくないなあ」にはならない、仕事なんだから
じゃあ私生活でこれをやるとどうなるかというと
・可視化されたらやることが膨大でやる気を無くす
・リソースが限られている
・やっても金が稼げるわけでもない
から、当然やらない
これは家族間でやってもそうだし、自分でやってもそうだろうと思う
「タスクをやらせる」というのは、普通に親のようにガミガミ言ってやらせるか、もしくはゲーミフィケーションの導入が妥当だと思う
ものすごく平たく言うと「恐怖で支配する」か「褒めて伸ばす」か
つってもゲーミフィケーションも難しいし大変なんだけど
夫婦間?無理に決まってる
ところでこの
・可視化されたらやることが膨大でやる気を無くす
・リソースが限られている
・やっても金が稼げるわけでもない
から、当然やらない
という状況はベンチャー企業の状況に似ている
彼らがよく言うやり方は「タスクの取捨選択」「イテレーションを回す(スクラム、かんばん)」だ
タスクを洗い出す、1週間でできることだけやることリストに入れ、実施し、振り返る
このフローだとよりうまくいくかもしれないが
これだってやる気が無いやつのケツを叩くだけのパワーはないので
スクラムマスターのような、いわゆるマネージメントをする存在は不可欠であり
マネージメントでできるのは上で言った「怒る」「褒める」程度のものなんだろうと思う(ここらへんは専門外なので詳しくない)
ちなみにBacklogはこのようなかんばん方式もフォローしたらしいので使ってみるといい
https://backlog.com/ja/blog/backlog-update-2020-01-28-kanban-board/
長かったね
俺の記憶だとブームがredmine→Backlog→jiraと変遷したと思ってたけど着実に頑張ってたようだ
たまに使ってるよ
ーーー
確かそう言う本あったよね、詰んでるわ笑
腐女子って、推し語りとかはめっちゃするけど、なぜか自分の感情の分析や平易な言語化をしたがらない。不思議に思う。
もしかしたら女オタク全般なのかもしれないが、私が交流のある女オタク≒腐女子で、非腐女オタの生態が曖昧なので腐女子として書く。
言語化しないというのはつまり、評論・批評的な作品への言及をしたがらないし(稀にする奴は浮いてるとして敬遠される)、「地雷を嫌がるのはこういう感情の動き」みたいな言語化もしたがらない。
たまに「地雷って何がどう地雷なのか」みたいな話をしていることはあるが、そこではアレルギーなんですとか宗教なんですとか、地雷というたとえ話にさらにたとえ話を重ねていて、共感や説得の手法としてはアリだが分析的言語化はされづらい。
それに自分が分析をしたがらないだけではなくて、他者が分析していると「わかってない」「レッテルの押しつけ」という反発が大きい。
もちろん分析的な言語化にある種の乱暴さがあるのは間違いない。
たとえば物語作品を理論的に分解して言語化するのは、マジックのネタバラシのように、「魔法的面白さ」をある程度解体にして「仕組み的な興味深さ」にしてしまう面はある。
感情の分析も、言葉からこぼれ落ちるものは絶対にあるし、それがむりやり型にはめることになるのもたしかである。
そうではあるが、それでもその「言語化という乱暴な試み」には価値があると思うし、男性ジャンルだとそのような蛮勇をするやつがそれなりにいる。
年々、評論家気取りのオタクが嫌われるようになっている傾向は男オタクにも言えるのだが、それでもやろうという奴とそれを読む奴は今でも出てくる。
なぜBLを好むようになったかという話題で、ハマるきっかけになった作品を語ることは盛んだが、己の欲望や執着がどこから来るか分析するのは嫌われる。
地雷を見た時の拒否感がどのような感覚なのかを表現する言葉は見るが、その拒否感を分解することはされない。
エモい作品のどのシーンがエモいのかは熱く語られるが、どうしてその描写がエモく感じられるのか、ここでいうエモとはどのような感情なのかを明確化することはやってはいけない。
男性ジャンルでも、このような分析をすると「無粋だ」「野暮だ」「理屈っぽい」「難しくいおうとしてるけどただ可愛くて好きなだけだが」と散々叩かれたりするのだが、それでも分析したいという欲望が抑えられない奴らが活動しており、何年後かにはそれが界隈の財産になっていることも多い。
だが腐女子ジャンルだと、なんというか本当にタブーという感じがある。
言語による解剖の手際がいい話ほど、「恐ろしくて存在すべきではない話」のように思われる。
己の欲望やコンプレックスや悪意の根を探る/探られることへの恐怖が男性より強いような。
なぜなんだろうな。
俺がそうなんだけど。以下に失敗のパターンや要因を考察して、少しでも失敗しないようにしたい。
袋が何個あるのか。
袋の中身をどのタイミングで入れるべきなのか。
フタの上で温めるのか。
パターンがありすぎる。また、例外が多すぎる。乾燥かやくの野菜はお湯を入れる前に入れるべきものが多いことは言えるのだが、後入れのかやくもある。
また、油系の袋はフタの上で温めるものが多いけれども、時たまフタの上で温めないタイプがある。
また粉系の袋も同断で、お湯を入れる前に入れるのか、お湯を入れた後に入れるのかわからないものがある。
これがわからない。暗くてラインがわからない。プラスチックの凹凸面が不確かな上(暗い)、ときに乾燥麺の付近にあり見分けがつかない。
わからない。世の中にカップ麺があまりに多すぎて、何分待てば良いのかわからない。
私の食べたことのあるカップ麺の中には、最短2分、最長5分の待ち時間が書かれている。
これを間違ってしまう。
また、分数を確認できたとしても、所定の時間を守ることができない。
例えば別の家事をしてしまい、そちらに夢中になって7分経過してしまう。
あるいはyoutubeやnetflixを見て、時間が経過してしまう。youtube等を見るのは理由があって、シークバーのところに時間が表示されるためだ。
動画を見ながらタイマーがわりに使っているのだが、動画に夢中になり時間を経過してしまう。
またあるいは、動画を見ながら時間を見るので、何分経過したかわからなくなる。
以上のように、カップ麺を作る工程には、適当なタイミングで袋の中身を麺に投入し、適当な分量のお湯を入れ、適当の時間待って食べ始める必要性があある。
ここまでお読みいただいた諸賢は、ちゃんと説明文を読め、と思うだろう。おっしゃる通りである。
ただ、そもそもカップ麺というものは、気軽に食べられるから良いのだ。
おいしいものを食べるのであれば外食もするしwoltを頼んだりする。
工程やお金を気にしないで食べられるのがカップ麺のいいところだ。
気軽に食べたいのだから、説明文を読むような堅苦しい思いをしたくない。
そんな気軽な気持ちのままでカップ麺を作ろうとしているところに私の悪いところがある。
何も考えずにチャチャっと作ってチャチャっと食べたい。
ところが、カップ麺の多様さはそれを阻むのである。すなわち、説明文をしっかりと読み込むことを前提として作られているのである。
これは本末転倒では無いか。またややこしいことに、ただお湯を入れるだけでいいカップ麺もある。
世の中の全てのカップ麺が何らかの能動的な袋の中身をいれるアクションを強いるのであれば、私ももう少しこれに心を配っていたと思う。
ところが、である。
お湯を入れるだけでいいやつもある。これがいけない。
いつも同じやつを食べればいいという指摘もあるだろう。本当にその通りで、焼きそば弁当ばかりたべている。
ところが、仕事の付き合いでよく私は売り出し中のカップ麺をもらう。だから難しいのだ。
多くの人が食べられるように設計されているのに、食べようとしたら油の小袋が容器の中に入ったままだったりするのだ。
多くの人が食べられるよう設計されているのに、お湯を入れすぎて味が薄くなってしまうのだ(お湯は粉に混じってしまうと捨てることができない)。
何故落ち込むのかというと、説明文と違う行程をとってしまうところがいけないと思う。
説明文は絶対的なものだ。そのようにできるか、説明と違うことをしてしまうかの2択になる。
説明文があると、何が正解か、何が不正解か明確になってしまい、不正確なことをしがちな私は落ち込むのだ。
こうしたことから、私はカップ麺を食べることをやめて普段は自炊をするようにしている。
例えば、私が野菜炒めやおいしい無水カレーを作るわけだが、ここには説明文がない。またもちろん説明文を作る予定もない。
説明文がないから、私の料理には不正解はない。もちろん生のまま食べてしまうのはダメだが、そういうことではない。
作る工程をあえて明確化しないから、料理の作り方の間違いが生まれないということだ。
ここでもよく職場の不満日記を目にするけど、たいてい仕事が増やされたとかそういうのが多い。
基本給10万、他は抱えてるタスク作業ごとに何万円、ってすればいいじゃん。
タスクが終わるなら何時間かけてもいいし、何時間休んでもいい。
これ究極じゃん。
あの人はあれだけもらってるのはタスク多いから当然だ、って納得するし不満もない。
あの人は家庭の事情でタスク少ないから給料も減るしみんな納得。
これでみんな納得で仲良しな職場になる。
今も使われてる「なんちゃら手当」だけにするイメージ。
ベースサラリー+顧客A見積作成手当+顧客Bアフターフォロー手当、みたいな。
<追記>
手当が大項目だけだと、
顧客A対応手当と顧客B対応手当は、規模が違うのに不公平じゃん!となる。
それさえしっかりできてれば、
まあこれができるのはせいぜい数百人規模の会社までかなあ。
<追記2>
https://youtu.be/iGZUJLjtGWo?t=213
<Q&Aコーナー>
世の中のサラリーマンってそんな同僚の給料とか仕事量とか把握して
5000円でも違ったりするとギスギスする。
中途で入ってきて、役職が高かったりすると、まず古参の平社員とトラブルになる。
「なぜあいつのほうが多いんだ!」というのは、判断基準がクリアじゃないからで、
もしそれをクリアにできれば、
究極の民主主義じゃん?ってことで書いた。
基本は同じ発想ですよ。
営業マンと開発・間接部門がギスギスするのはコミッション性と固定給制の違いも一因としてある。
少なくとも不公平感がなくなるかなと。
これは書いた直後に思った。
少人数だと談合とかが起きるのは明白で、だから全社で透明にするしかないですね。
あと、給与も全員オープンにすることが前提となるので、まずそこがイヤな人は入ってこないから、
そういう人材がキックバックとか談合を好むとは思えない、ってのはあるかも。
「自分は今月これだけのタスクをやったので給与アップを希望します」
って言える人が入ってくる。
これを公平に達成するには、一社だけだと厳しくて、絶対にブラックボックス化する。
タスク内容を国レベルでオープンソースにしないとだめかもしれない。
ああいうかんじ。
「A社ではこれこれタスクを〇〇円でやってました~」って実績で活動すれば、
「ウチでは〇〇円ですが大丈夫ですか?」みたいな。
それこそ資本主義じゃない?
「本日は良いお日柄で・・・」「趣味はなんですか?」「アハハハハ…(ちいかわ)」
そこでオープンソース化ですよ。
JDに書かれているタスクと募集職種でだいたい平均値に収れんしていくはず。
同業種で業務内容がめちゃくちゃ違うなんてことはないんだから。
まとめたら国が基準として発表する。
今までになかった新しいタスクの時にどうするか、は、
それをベースに毎月全社員で固定タスクの単金に落とし込んでいく、みたいな。
そのために、参考にできるオープンデータ(勘定項目)みたいなのがあればベスト。
50項目も抱えてれば、明らかに給料高くても誰も文句言えない、みたいな。
むしろ「この毎月発生してるトラブル解決タスクはなんですか?」と、
突っ込まれてやりづらくなりそう。
すべてガラス張りのタスクになるから、闇でやるのが好きな人はいろいろ不都合感じそう。
まあ実現性はともかく、
「スキルの希少性」は、その人の財産になるのでは?と思ってる。
今の正社員システムは、スキルの希少性がない人ほど、転職できなくなる。
他社で使いまわせないから。
逆に会社としては都合がいい。
とがった人材を作らせない。
これで飼いころしにできる。
成績表の英語数学美術体育でオール3の人材を作る。(忠誠度だけは5)
これがほとんどの会社員の、「月曜日に仕事にいきたくない病」の、
遠因なのではないかな?と思ってる。
今回は、どれかを5にしてほかは2とか1でいいという案ね。
タスク量を定量評価して、人事に反映させるのが上司の仕事なんだけど、日本の場合は給料払えば定額使い放題と思ってるから、優秀な人間の評価ができない。お金を稼ぐには残業。優秀かどうかは能力ではなく(時間)
ある意味、処女を開発して洗脳させるのが新卒採用だからなあ・・・。
経営者には都合がいいのだろうけど。
時間給だと、どうやって一つのタスクにかかる時間を延ばすか、にスキルポイントを振ってしまうのはあると思う。
結果として、その人の能力50%も使ってないってことになるのでは?
JDを明らかにして、その人が意識的にスキルをチョイスしたほうが、長期的にはいいと思うけどなあ。
完全歩合制みたいなの考えたりもしてたけど、結局それやりだしたら無能が弾きだされるし、
効率最優先になって、どんどんいらない仕事が減っていく(失業者だらけになる
そろそろおかしいんじゃね?と気づいていいんじゃないかっていう。
まあ効率最優先になると、国レベルでどんな弊害が出るかもしれないし。
なので10万円っていうのは、ベーシックインカム・セーフティネットのつもりで書きました。
まあAIやRPAが発達すると、多かれ少なかれそっち(効率優先)の方向になっていくのかと。
そういうことができなくさせるための仕組みづくりが、今回のアイデアって感じですね。
民主主義を捨てると何が起きるかってことが。
ほかの社員への協力というのもタスク化されるから、それも成果として可視化される。
あと、このモデルが仮に実践されるなら、教育も必要なくなると思ってる。
最初からタスク内容が100%分かって入ってくるのでミスマッチがない。
風通しについては、
給与とスキルデータが全社員に可視化されるから、全員スケルトン状態。
誰もやりたがらないタスクは少しずつ対価が値上がりしていく仕組みとか試してみたくはある
これは思いつかなかった。
これができれば究極だよね。
明らかなブルシットジョブでも、誰もビッドしなければ値上がりして、最終的に誰かが食いつく。
MSはバルマー時代にこういう評価制度を導入したら皆が自分の短期的成果に繋がる仕事だけする状態になったので、ナデラCEOが「他メンバーの評価に貢献したら評価ポイントがつく」という制度に改革したという逸話がある
「マネージャが自分の仕事やキャリアを助けてくれる」のあたり。
https://www.publickey1.jp/blog/22/1_regional_scrum_gathering_tokyo_2022.html
そんな回りくどいことよりやっちまえよ、セックス
やっちゃえ日産
多分一生公式からは明かされないであろう話。供養のため細かいフェイクを混ぜつつここに書いておく。
ポケモンカードってのは、ゲームデザインの素人が作っただけあって初期はマジでそびえ立つクソって感じのゲームだった。
ルール、カードそれぞれにいろいろな問題があったんだけど、アホみたいに売れたんで、ポケモンジャングルか化石の秘密が出るぐらいに「さすがにちゃんとしたほうがいいのでは」ということになり。
クリーチャーズには全くノウハウが無いので、とりあえず外部からカードゲームゲームデザインを知っている人間を呼んできて、カード/ルール両面を見直していくことになった。(確かロケット団ぐらいまではこの体制だったと聞いている)
ルール面では、あいまいだった部分の明確化と、何よりゲームスタート時に控えポケモンを出せるようになった。最初期はゲームスタート時はたねポケモン1枚しか出せなかったのだ。これによってHP低いたねポケを出す→ワンキルが多発していたので速攻で修正された。
カードについてはゲームに足りないカードやデザインスペースを広げるカード、追加の進化カードなどが作られていった。
進化先やトレーナー、グッズが刷られた結果、いろいろなカードが実用レベルになり、ルールの整備もあってか(まだまだ粗削りだが)やっとゲームらしい感じになっていった。
ポケモンカードには「相手ポケモンを倒したらサイドを1枚引く」というとんでもないクソルールがある。
ポケモンを倒した相手は、更にアドバンテージを得て、ポケモンを倒された相手はポケモン+エネルギー複数枚という膨大なリソースが失われた挙句、テンポアドバンテージを取られ、さらに1ドローされるというとんでもないリソース差が開く。
普通に考えればポケモンを倒された方がカードを引くべき(※)で、当然このルールは外部のスタッフからもすぐ問題視された。
当時の開発の偉い人に「サイドのルールはすぐに見直すべき。勝っているほうがアドバンテージを得るルールはおかしい」と説明したところ、
「ポケモンを倒したのだから、倒したほうにご褒美があるべき」と頑として譲らず、さらに説明した外部スタッフを更迭してしまった。
こんな経緯で、ポケモンカードの超欠陥ルール「サイド」が現代まで生き残ることになった。
※ 後年に開発された「デュエルマスターズ」では、攻撃されたほうがカードを引き、更にその時に引いたカードを使用できる場合があるため、逆転が起きやすいデザインになっている。これはこれで制圧からのOTKが重要視される>プレイヤーが勝ちが確定するまで攻撃をしなくなる弊害があるのだけど、それはまた別の話。
https://anond.hatelabo.jp/20220127115426
を書いた増田だけど、案の定の言い訳がずらずらと並んで吐き気が倍増した。
作品や作者に迷惑を掛けたくないから伏せたけど、そのせいで物事を具体的に考えられない人の反応を抑制出来なかったなと反省した。
だからもう少し具体的に考えてみよう。(勿論作品名は出さないけど)
問題は、その表現の問題点が「TPOによる」もので、広告やコラボの時にだけ問題になる、と”本当に言えるのか?”という事だ。
と、TPOの話に入る前にまずその作品は全年齢向けでインターネットで公開されていて、不特定多数が見るツイッター上にも(時には全年齢向けの範囲内でセンシティブな)イラストが公式で上げられ、その状況も許容されている。
つまりAV等の18禁コンテンツを例に出した反論は余り意味が無い作品である事は言っておく。
では本題に入る。
広告やコラボの時にだけ問題が発生するなら、確かに矛盾は発生しない様に思える。
では本当に指摘される問題点は「広告やコラボの時にだけ」発生するものなのか?
それは問題とする中身によって変わるだろう。一つ一つ少しだけ具体的に考えてみよう。
そのコンテンツを見た人が性犯罪や性加害を行うきっかけになるから問題だ、と批判する場合だね。
この場合は当然、「見る事」が条件な訳だから広告やコラボ等というTPOには依存しない。またその漫画で煽情的な描写は肯定的に扱われているので、漫画の時だけ文脈上誘発が抑制されているという事実も無い。
これも表現そのものの問題点であるので、広告やコラボ等というTPOには依存しないし、漫画上の文脈はむしろ(もし作者の意識を反映していると主張するなら)漫画が問題を抱えていることを積極的に肯定する材料にしかならない。
これも、程度問題として公的な団体の方が問題であるとは言えても、「私企業なら問題無い」とは言えない以上、漫画だけ免責する言い訳にはならない
これも雑誌やインターネットで見ても同じく性差別を助長する事に成るので、漫画だけ免責する言い訳にはならない
そもそもその漫画には余り当て嵌まらない気もするけど、これも表現の中身によるものなので、広告やコラボ等というTPOには依存しない
当然「見る事」が条件なので広告やコラボ等というTPOには依存しない
これもその漫画に当て嵌まるか微妙だけど、そう思う親も居るかも知れない。
ただその場合も漫画でその要素は変わらないし、インターネット上で子供でも普通に見られる(子供にとって馴染みの薄い公共施設等よりもずっと接点も多い)上に既に人気なので、既に子供が見ている可能性も十分にある。広告やコラボ等というTPOには依存しない。
一先ず思いつく範囲で並べてみたけど足りないと思うから他に「こういうのが有るよ」というのが有れば教えて欲しい。
こんな感じで、「TPOや文脈の問題」で回避できない問題点は結構有るから、「TPOや文脈の問題だから自分は矛盾しない」で思考停止せずに、
具体的にその表現が問題であるとする根拠として自分が何を選択するのか明確化してから、「その理由は本当にTPOや文脈の問題なのか?そうとは言えない可能性は?」と考える必要が有るよね、というお話。
そして冷静に考えて「広告とかコラボになると作品を撤去しないといけない程問題だけど、漫画の時は奇跡的に回避しており無害」なんて都合のいいケースは常識的に考えて非常に稀だろうから、大抵の理由ではその関門を超えられないんじゃないの?というお話。
以下追加分
有料コンテンツと、無料だが検索しないとたどり着けないコンテンツと、CMや屋外広告等「嫌なら見るな」が通じないものの取り扱いが異なるのは当然だと私は思う。そこに“不快だから”以上の理由が必要だとは思わない
そう、恐らくこれが一番正解に近いんですよね。
全年齢向けで公開されている以上、その表現が不快に感じるかは広告やコラボ等というTPOにはほぼ依存しないだろうけど、不快に感じる人にも届き得る。
だから性犯罪を誘発とか嘘を吐かずに、「ただ自分が不快だから」と本当の事を言えばいいのに、と思っていました。
ただ、「そこに“不快だから”以上の理由が必要だとは思わない」を正とした場合の影響範囲を考えなかったのは少し考えが足りないと言わざるを得ませんね。
その場合、漫画の広告やコラボだけでなく、あらゆる人から「不快だ」と思われ得るすべての広告やコラボが許容されなくなる。
極端な例で言えば、幸せな家族というものを言えられなかった人の中には「家族の団欒」の描写も不快に感じる人が居るだろうし、「カップルの描写」を不快に感じる人も居るかも知れない。
・・・・というように、「どういう理由で問題にするか?」という事を具体的に検討していくと、自然と色んな問題が見えて来て「そうとは言えないかもしれない」となってくるものなんです。
そうなって無いという事は、考えることをサボっているだけ、もしくは考えても思いつく能力が無いだけ、なんですよ。
公共掲出やコラボなどで受動的に見せられてしまうのと、自分から探しに行って能動的に見に行くのとでは結構な差があると思うんだけど…いくら後者のハードルが低いからって同一視するのは乱暴すぎでは
何の?
「結構な差がある」って何の差?性犯罪の誘発度が受動的かどうかで変わるの?それとも受動的に見せられたら女性蔑視な表現が能動的に見に行ったら女性蔑視じゃなくなるのか?どういう仕組み?
それともメッセージの度合い?性差別の助長度合い?傷付く量?子供への影響の量?不快さ?
何の結構な差が有るの?
そこはっきりしないと文が意味を為さないよね?なんでそこをちゃんと考えないの?
どういう理由で問題だとし、その問題の度合いがTPOで変わるのかを考えよう、というのがこの増田の主旨なんだけど、ちゃんと読めてる?
そういう風に考えた気になって思考を停止してしまい、自分が何を問題視の根拠として選択し、それが適切であるかを検討するとこまでいかない、サボる、
そういうのが良くないよ、っていうことが書かれてるんだけど、分かる?
何で「何の」結構な差があるのかを書かないの?
個々の論点について何か言う気はない(というか知識不足なので何も言えない)んだけど、結論のとこの「すでに社会的に受け入れられてない優生思想」とか書くのはやめてくれ。障害者福祉に関わってる人間からすると、「受け入れられまくってる」としか思わないよ優生思想。多くの人間が、優生思想を内面化した上で「自分は優生思想なんて『悪い考え』とは無縁だ」と思ってるだけだよ。
例えばこの記事を見てみろ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20181118-00104575
「キリスト教保守のバックラッシュに対して怒れるフェミニストが立ち上がった」という論調で書かれてるし、これをTwitterとかで肯定的にRTしてるリベラルも多く見かけた。でもこれ、優生思想以外の何物でもないだろ。
(ダウン症などの人間に対する差別と捉える人もいる)ってカッコ書きがついてるけど、「障害者か健常者かで堕胎OKのラインが変わる」のが、「差別と捉える人もいる」なんて言葉で済ませていいものだと思うのか。障害者にとって「お前らは生まれるべきでない存在」というメッセージになるという想像ができんのか。
もちろん堕胎自体は全面的に個人の自由だ。差別的な内心に基づくものであっても構わない(内心は覗けないしな)。でもそれを口に出したり、法制度上で明確化したりしたら、それはやまゆり園犯人と同じ川岸に立ってるということだよ。
欧米なんかの場合、キリスト教保守などの「堕胎の全面反対」勢力が日本より遥かに強いため、ファミニズム内で「どのようなものでも、わずかなものでも後退は許されない」という「蟻の一穴」的な考えがどうしても強くなってしまう
(こういう考え、「表現の自由戦士」と揶揄される人らにもよく見られてどうも乗れないなとはなる。それと、「表現の自由戦士」「ツイフェミ」「ネトウヨ」「パヨク」みたいな「嫌いな集団を揶揄する、内向きな言葉」、例外なくクソだと思うね)
という事情もあるので、一概に非難だけはできない(荻野美穂先生みたいにこの辺をちゃんと問題として捉えてるフェミニズム学者もいるしね)んだが、しかしそれでも「優生思想は現役だよ」とは言わなきゃいけないし、生殖技術の進歩に伴ってなし崩し的に内面化が強化されてるフシさえあるよ。
元アジャイルコーチとして、アメリカのガチの、ガチのシステム開発現場に、言うたらエスノグラフィ(行動観察調査)をしてるようなもんです。三流プログラマながら。
そういうリファレンスみたいなことをお伝えしたら、皆さん(Regional Scrum Gathering Tokyo 2022の参加者)が喜んでくれるかなとか思って、内容を構成しています。
ただ、僕が知っているのはマイクロソフトだけですし、自分の職場だけなので、主語が大きすぎるとか、そう言うのはやめてください。心が傷つくから(笑)
そういうのを踏まえて聞いてください(笑)。全部一次情報で、人から聞いたものではないです。ちょっとだけマネージャ関連のところはマネージャに聞いたところもありますが、基本的には自分が経験したことのみで構成します。
ウォーターフォールは使われていない
まず滝。ウォーターフォールがどれぐらい使われてるのかって話ですけど、これは簡単です。ゼロパーセント、本当に見たことないです。
だからといって本当に素晴らしいスクラムをみんなやってるかっていうと、そうでもない。どれぐらいプロセスに対してマチュア(成熟)かはチーム次第なんだけど、少なくともイテレーティブじゃないのはないし、アップフロントデザイン(開発前の仕様策定)を大量に時間をかけてやってるというのもない。
デザインドキュメントっていうのを書く人もいれば書かない人もいて、書く人が多いですけど、書いても5ページぐらい。
何年か前にサム・グッケンハイマーというDevOpsで有名な人が日本に来たときに日本のお客さんに「ウォーターフォールとアジャイルのメリットデメリットを教えてください」って聞かれて、彼が「ウォーターフォールは全くメリットがないのでやめておきなさい」って言い放って。
私は間違っていた。ごめん。ウォーターフォールは何のメリットも無い - メソッド屋のブログ
分かります。誰も使ってないんだから。やっぱりもうやめといた方がいいですよね、正直話無理があります。
次は、僕のチームがどんな感じで運用されてるかっていうお話をします。
マイクロソフトには統一プロセスとかなくて、基本的にチームをどう回すかはチーム次第なんですよ。でもだいたいみんな似たような感じでやってると思います。
基本的にはスモールチームです。どんな大きなプロジェクトであっても、スモールチームの集まりって感じです。
自分のチームについては、これがよいやり方かは分からないですが、個人商店みたいなもので。「IC」というのはIndividual Contributorですね、開発者。
マネージャからアサインされるバックログが基本的にはふわっとしているので、ICがそれを明確にします。
ICが仕様を自分で明確化して、自分でデザインして、インプリメントする。だからそれぞれがレスポンシビリティを持っていて、それぞれが実装をする。
ただ、同じマイクロサービスをメンテする役割の人みたいなのがいて、それは「Buddy」(バディ)みたいになっていて、僕の場合は例えば「スケールコントローラー」っていうのを開発していますが、スケールコントローラーのチームでバディになってると、質問というかお互いに話が聞きやすい。すぐに答えてくれやすいですね。
他のチームとかになると、ちょっとバリアがあって。やっぱりみんなそれぞれの仕事をやっているので、プライオリティがそれぞれあるんですよ。だから違うチームの人になると意地悪じゃなくて彼らのレスポンスは1日に1回とかになったりするわけですよね。仕方がないことです。
多分このチームの単位はマネージャが管理できる最大以下の人数で構成されてるんじゃないかなと思います。だから本当に自分のチームはそれぞれが個人商店みたいな感じですね。自分でレスポンシビリティを持って自分でやる。それは新人であっても一緒です。
司会)ここでちょっと会場から質問が入りました。このチームというのはどういう単位なんでしょうか。プロダクトの単位なのか、どういう単位なのか。
(右下の点線で囲われたところ)このチームはスケールコントローラをやっていて、(右上の3つのICを指して)このあたりはプラットフォームと言って中の基盤みたいなことをやってたりします。
でも基盤もかなり巨大なので、内部でいくつか分かれているんですけど、同じマネージャが見て、みんなを助けている、という感じですね。
司会)隣のチームと、このチームを分けているのは、マネージャが違うだけ?
ええと、大きな機能で分かれているというのがあります。例えば隣のチームはランタイムっていうチームなんで、Azure Functionsのランタイムを担当してるんですよ。
さて、エンジニアの評価っていうのはどんな感じになってるかっていうと、この図にはマイクロソフトは入っていないのですが、僕の友達に「ゆうさん」っていう人がいて、彼がブログでGAFAの給与体系みたいなをまとめてくれて、マイクロソフトも似たような感じです。
参考:GAFA米国本社のエンジニアの年収をジョブレベル別に比較してみた【Google・Amazon・Facebook・Apple】
こういう情報って外部に公開されてるので別に隠すことはないし、マイクロソフトの給料の額とかも調べられるんですよ。
どういうふうになってるかっていうと、エンジニアとしてランクがあるんですよね、「SDE1」「SDE2」とか。マイクロソフトの場合は「シニアソフトウェアエンジニア」があって「プリンシパルエンジニア」がある、みたいな。
このランクの人はこういうことができる、っていうのが明確に定義されていて、それによって給料が決まるんですね。
だから自分が給料を上げたかったらどうするかっていうと、プロモート(ランク上げ)してもらえるように頑張るって感じです。他の人との戦いじゃないんです。
いまより一つ上のランクの仕事をしばらくしていれば、マネージャが「こいつは今はシニアだけどプリンシパルの仕事してるからプロモートしよう」とノミネートしてくれる。
そうやってノミネートされたら次のレベルに行けるし、行けなかったら転職をする。転職するとそこでネゴシエーションしやすいので、その時に例えばシニアとかプリンシパルになれればその給料がもらえる。
ただ、そういうふうに上に行くとレスポンシビリティも大きくなるので、自分でチョイスする感じですね。自分でチョイスするし、自分との戦いなので。だから他の人と比べて不公平とか全然思わない。
給料を上げたかったら次のレベルになればいい。そういうアクションをとればいいので、あくまで自分との戦いって感じになります。
マネージャの存在っていうのは僕的にはすごい(日本と)違ってるように感じています。
日本にいるときはマネージャって進捗管理や課題管理をしたりとかして、プログラマとか開発者を指揮するとかそんなイメージだったんですかね、僕のイメージとしては。
アメリカの場合は、彼らが重視してくれるのは僕のキャリアなんですよ。僕がハッピーかどうかとか、僕がキャリアで成功するかっていうのをすごい重視してくれるんです。
これまで何人かマネージャが変わりましたけど、みんなそうでした。マイクロソフトには明確にそう定義されているんです。だからマネージャはみんなそういう動きをしてくれます。
マネージャのすごく大事な仕事に「アンブロック」というのがあります。IC、つまり開発者の人がどこかで詰まっている状態になると、マネージャが助けてくれる。ブロックされているものをアンブロックしてくれるんです。
例えば、僕が技術的に詰まるとして、誰かに聞かなあかんけど、誰か聞かなあかん人がなかなか答えてくれへんとか、そういうこともあるかもしれないです。
そういうブロックをされる状況が一番生産性を阻害すると思うんですね。
そういうときにマネージャがアンブロックを手伝ってくれる。ある人に繋いでくれたり、マネージャ経由で他の人が僕に協力してくれたりとか。
マネージャが、このプルリクエストを見たら分かりやすいよと教えてくれるとか。
あと結構面白いのは、少なくとも今の僕の職場では、納期が基本的にない感じです。
あるときもあるんですよ。どんなときかっていうと、マイクロソフト最大のイベントの「Build」というのが5月ぐらいにあって、そのキーノートで発表される予定のプロダクトみたいなもの。それが決まったら納期があるのかもしれないですけど。
マネージャも僕に対して「早くしてください」って言ったことは1回もないですね。どっちかというと、僕が「何か遅くてごめんな」とか言ってたら、「いやそんな気にすんなよ」って、「よくあることだよ」とか言われたりする。
これは多分いろんな意味合いがあるんですよね。多分クラウドのプラットフォームって、難しいことがいろいろあって、例えば自分が1週間でできるって思ったのに2カ月かかったりとか、ほんまにあるんですよ。
例えば、JVMにあるJarをアタッチするだけに見えた仕事に、僕は半年かかりました。
僕の能力のなさもあるかもしれないですけど、そういういろんな予想外のことが起こる。
やっぱり世界中の人が使うプラットフォームなので、よく分かってない実装とかしたらむちゃくちゃになるんです。ちゃんと理解して、より良いアーキテクチャを作らないとひどい目にあう。
だから多分マネージャは絶対に急かさないんだと思います。ちゃんと理解して出来るようになれば、次からは開発が速くなる。だからマネージャとしてはそこで急かさないことによって未来への投資をしてる感じなんじゃないかなと、僕は思ってます。
バックログはあり予定もあるが、達成されないこともしょっちゅう
司会)すいません、マネージャの話しに行く前に。質問が集まっていて。納期がないという話に関して皆さんが大混乱に陥っていてですね(笑)。納期がないとすると逆に何があるのか。バックログみたいなのがあるのか、ロードマップがあるのか。どういうものを始点に駆動されていて、牛尾さんの仕事が始まるのか。
バックログですね。大きなトピックだけはある。今期はこれをやろう、というのはあるんですよ。
だいたい今期はこれとこれをやっていこうというのがあって、それを荒い粒度ですけどブレイクダウンしたストーリーにして、それをICにアサインするんです。
でも、それが今期に達成されないということはしょっちゅう起こります。
思ったよりもすごく難しかったとか、あるシステムで改変が入るのでそれまで作れないとか、そういうのがしょっちゅうある。でもそれでそのICが責められることはないです。
変化は見通せないので仕方ないですよね。オーガナイズはされているけど、できなかったときはできないと認める、ということです。
司会)お客様からバックログの元になるような要求がきて、それがリリースされるまでのタイムスパンはどのくらいなんでしょうか?
僕らの場合はプロダクトオーナーみたいなチームとしてプロダクトマネージャがあって、バックログの発生元はプロダクトマネージャが決めるのですが、そのインプットソースとしては、彼らの戦略(ストラテジ-)とカスタマフィードバックですね。
あとはハッカソンでエンジニアがなにかプロポーズするときもあります。
そういうもののなかからプロダクトマネージャが、今期これをやればインパクトがあるんじゃないかと考えるものがピックアップされます。
で、それが達成されてリリースされるまでの期間は本当にピンキリです。
僕の場合は、早いときは1週間で終わりましたけど、さっきの話みたいに1週間で終わると思ったやつが半年かかったこともあります。
僕の上にはプリンシパルマネージャがいるんですね、それが日本で言ったら課長みたいなもので、その上に部長みたいなのがいて、で、テクニカルフェロー、これは事業部長みたいな感じです。
彼らの技術力はどんな感じか。
僕の1つ上の上司は、Azure FunctionsのJavaランタイムをイチから書いた人です。
その上の人は、Azure Automationの開発をしている人で別チームなので細かいところまでは知らないのですが、技術力がハンパない、ということだけは分かります。
何でかと言うと、どんなテッキーな話題を振っても、ものすごく早く深く理解するんです。彼が経験したことのないことであっても、Kubernetesでも、彼がやったことのないPythonとかでも、完璧に理解してアーキテクチャの深い話をするんです。
で、テクニカルフェロー。これはAzureの主要なサービスをイチから書いていたりします。
つまり何が言いたいかというと、僕の上司で僕よりもプログラミングができない人なんて一人もいないんです。
そしてこういう人が僕の仕事のサポートをしてくれる、応援をしてくれるわけです。
だからこんな上司に何かを説得する必要なんてないんです。彼らがテッキーなミーティングに参加して、しかも僕らにすごい鋭いアドバイスをくれるんですよ。
皆さんがもしマネージャをやるときには、こういう人たちと世界で戦わないといけない、ということをちょっと意識していただきたいんです。