はてなキーワード: 不正解とは
何ていうんだろうなあ
狭い界隈にいて、自分が信じるスキルで他人を崇めたり見下したりっていうのする
20代後半が一番顕著
自分のスキルレベルは昔からさして変わってないと思うんだけど、30代になったら変な勝手な価値観で見下されるみたいなことが減った
周りもそういう年の人が増えたのと、専門性が違う人と関わることが増えたから
今あいつらの10倍は稼いでると思うんだけど、今でもああいうの思い出す
あの時あいつらって20代だった、一番上の経営層にいたのが31歳だったか
もう10年も前だから、今は彼らも価値観変わってるだろうけど(変わってなかったらどうしよう)
仕事してると今でもちょいちょいそういう20代に出会うことがある
今でもたまに見下されるんだけど、もうどうしようもできないよな
例えば野球命な小学生がいたとして、「どれほど野球できるか」でしか他人を測れない子から
何言っても不正解な気がして
ネット民の知ったふうな見解(関わらないのが正解、とか)の間の隙間で
個人的にできることややるべきことがあるんじゃないか、という話をしてるのかな?いまいちよくわからんけど。
そうだとしたら、ボランティアマインドってつまりそういうことだ。
ボランティアといえばなんかどっかに登録してやるものとか特別な活動というイメージが固まっちゃってるけど。
迷子の徘徊老人保護するとかさ。単なる親切と地続きなのがボランティア。
気づいた人が自分の意志と能力と責任において試みるべき人助けがボランティアの本質であって。
そこが全くわかってない人(≒人助け経験値ゼロの人)が、懐手であれはいいとかこれはわるいだとかのネット品評会をやっている現状。
間違ってはいけないのは善意であれば何やってもいいというのとは違うということ。人助けというのは一にも二にもテクニカルな問題。できることはやればいいし、できないことはできない。
放置子に関しても「児相に通報するか一切関わらないかのどっちか」だなんていうゼロ百のルールはない。その間のところで、自分の責任においてがっつりコミットしてもいいしちょっと言葉かけるくらいの超ささやかな関わり方があってもいい。何が正解だとか不正解だとか他人にジャッジや指図してもらうことじゃない。
自分たちのガサツな部分嫌がられてそうだなぁとか
事実性犯罪する馬鹿が多いせいで怖がるのもわからんでもねぇとか
話してる最中ついついおっぱい見ちまうの嫌だよなそうだよなとか
した上でどうするか選んでるだけ
そこで気遣う男だっているし、嫌だって思って女性と対立する男だっている
結果対立してるみたいになってしまっているけど人付き合いが下手くそなせいでほんとは気遣ってるつもりみたいなのもいる
出来る出来ないやるやらないがあるだけで大小差はあれど自覚はある
この自覚が合ってるかどうかではなくて、そういうことを考えたりはしてる
「まったく分かってない不正解」とか「ぼくたちだって気を遣ってるんだからよしよししろとか男さんは馬鹿だなぁ」とかそういう話じゃないってことね
逆に女性は男性に対してそういう思いというか、口にはしなかったりするけど、迷惑かけてるよなぁって考えることはあるのだろうか
別にこれも男側から見て「いや男が本当に迷惑被ってんのそこじゃねぇから」っていう話ではなくて
たとえ不正解だったとしてもそうやって気にしてることはあるのか、あったらそれは何なのかってのが知りたい
『水曜日のダウンタウン』の名探偵津田シリーズに関する書き捨てのメモ。
あのシリーズは、本質的にはミステリードラマを模したクイズ番組とも解釈することができる。ピラミッドかどこかに閉じ込められ、そこから脱出するためにパズル問題を解かなければならないという設定のクイズ番組を時々見るが、それのミステリードラマ版が名探偵津田シリーズと解釈できる。クイズの部分は、ミステリーの要点(「犯人はこの中にいる」)やトリックを津田さんが台詞として回答しなければならない点が対応する。
しかし、通常のクイズ番組では出演者が間違った回答をすると不正解者が穴に落ちるなど不正解である旨を明示する演出がなされるが、名探偵津田シリーズの場合、進行と関係ない津田さんのツッコミは無視され、津田さんが進行を阻害する間違った回答をすると、仕掛人が同じ台詞で状況整理を繰り返し、正解に誘導しようとする、という特異性がある。この点はミステリードラマという設定に寄せた演出であり、リアリティーショーのような要素ともいえる。
まとめると、名探偵津田シリーズは従来のクイズ番組ともドッキリともリアリティーショーとも異なる、全く新しい番組フォーマットだと思う。
上からなお前はどっち側だよ
俺は4枚カード問題(ウェイソン選択課題)が30秒以内に解けたので偏差値58以上の側だと思っているぞ
https://statistics.calculator.jp/column/wason/
そもそも偏差値58に壁があると感じたのが、大学の友達と職場でこの問題出した時に正解者がMARCH以上と未満で完全に分かれたからなんだよ
俺の友達(旧帝理系)はほぼ全員正解、職場だとMARCHと早慶は正解、それ未満は不正解
元の4枚カード問題(ウェイソン選択課題)は認知心理学的の実験としてやっているのは知っているが
「日常的なテーマだと正答率が上昇」する人は、ChatGPTの存在を知ってからは「よく知っているから正答を選ぶ確率が上がっているだけ」という確率論的挙動しているだけで、決定論的挙動ができないのではないかと考えている