はてなキーワード: 魔女とは
大学進学してから気がついたというか体感出来ました。ダメな母親からは離れた方が良い。
なので、 #魔女集会で会いましょう に批判的な @anbakurakoya さんの感覚には共感しますね。。。ほんとこういう女性というか母親のロールモデルに憧れ持っちゃう女性こわい。
姑が嫁に「孫を産め!男産め!男の子を!」と迫る系の話をネットで読んでも、ホラー創作にしか思えなかった
けれど、とられた息子の身代わりが欲しいんだな
嫁のお腹を借りて、リアルで魔女集会で会いましょうっぽい何かをやりたいんだな
ああもうすごい可哀想、くるってる
子供のころから溺愛されれて(口にキスされてた)、男子としては(うわー、なんかお母さん辞めて)とか思ってました。
でも、まぁ、母親なので愚痴も聞くし手伝いもするし割と理想的な息子であろうとしてました。兄の反抗期が(私観点では激しくて)それもあったからかも。
で、結婚してみると、嫁の素敵さが眩しすぎる。え、こんな女性存在してるの。優しいし愚痴言わないし料理うまいし(母は共働きだったので料理は下手だった)
でで、母親のダメな部分を否定しつつ、嫁さんを賞賛するようになったら、
なんだか母親は嫁さんに対して感謝するようになってました。不思議なんだけど息子に良くしてくれてありがとう、という立場らしい。立つ瀬がない、という感じもする。
なので鬼姑って事にはならなかったんですよね。
昔の日本の女性の中には、自分を守ってくれるイケメンは(夫ではなく)自分が産んだ息子だけという人が多くいたんだよな。
息子を嫁にとられたと言ってメンタル壊す姑の気持ちがわからなかったけれど、今日初めてよくわかった。
わかり手氏のコメントが炎上に近い状態になっており、自分も興味があったのでわかり手氏のツイートをザクっと読んでみた。
以下引用
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961
ここまで引用
要点はここで、「キモさの自覚」というものをどう捉えるか、が肝になる。
私も俗に呼ばれる立派なキモオタなので、自分がキモい、という自覚がどういったものなのか、想像がつく。
ここでいう、キモいことを自覚せよ、というのは、「その欲望を自覚し、公共の世界でそれを表出させないよう注意を払え。」ということだろう。
漫画や小説やアニメは素晴らしいが、まずはそうはいっても、現実に生きる自分は、冴えない集団に属し、替えの利く賃金労働をしており、あまつさえ大っぴらにすべきでない要素で高揚感や幸福感を覚えてしまう。ということを前提にせねばならない。
そしてなにより、人間はそこまで賢くはないので、創作や美談に影響されて、性的であったり、支配的であったりする欲望がリアルでダダ洩れになってしまう。
行くとこまで行けば神の声が聞こえてしまう人がいるように、信心から妄想まで、いつリアルの自分を侵食するかわからないのだ。
ロリコンなので少女を守る、や、YesロリータNoタッチ、という標語はとても正しい視点で、ロリコンがいかに世間から受け入れられない嗜好か、を警告してくれている。
BL業界のような女性に需要が多い萌え業界で、このような警告はあるのだろうか。
BLも、オメガバースも、おねショタも、ロリも、巨乳も、種付けも、触手も、NTRも、何もかもフィクションであるのは誰だってわかっている。
しかしながら、そういった欲望が現実に表れてしまう、というのはみんなわかっているからこそ忌避するし、気持ち悪がる。(これは直感的な事実なので、ソースは聞かないでほしい。)
何も難しいことは書いていない。
要は、善良で無辜なる市民の義務として、それは個性だとか、自分は自分とか言わず、「うわ、こんなんあるんだ。」という態度を社会で示してほしい。
公共と想定されうる場面では、私はまともな倫理観と社会性を持ち合わせています、とアピールしてほしい。
みたいなことを原案者(一番初めの元ツイートの人)が言ってるから
あのタグに載ってる作品に関してはそういう幅広さだとか深さとかそんなに必要ないよ
そういう設定を好みにしてる人しか寄りついてないわけだし、そら賞賛コメントしかないし
そういう ”背景” は調べてないの?
Twitterの創作女子界隈(特に腐)のイナゴっぷりと嗜好(及び思考)の浅さに辟易しているという話。
流行るのはいいとして、目に付いたのは「尊い…」とか「わかりみある」とか
感じたのは「たかが4枚でよくそこまで賛美できるな」という感想です。
確かにそれなりにステキでした。でも大体どっかで見たことあるような構図なわけですよ。
「おじいちゃんになって一緒に添い遂げるもの」
「人間だけ死んで『だから人間は嫌いだ』と悲しい思いをする魔女」
このモヤモヤはなんだろうなーと思ったら、うたプリとかFree!とかその辺の熱狂に対しての感情と同じ事に気づきました。
なんでオタクの皆さんは毎度毎度提供される新規性の欠片もないキャラクターたちにそこまで熱狂できるんですか?
・熱血バカ ・執事系メガネ ・無愛想マッチョ ・無邪気毒舌ショタ ・ビッグマウス残念俺様 ・目隠れ根暗ヤンデレ
だいたいこんな感じじゃないですか。もうフォーマットが大体同じ。
打ち込んでる何かがフィギュアだったり水泳だったりアイドルだったりで方向性が違うだけで新規性がなさすぎる。
もちろんこの問題は女性だけではなく男性向けコンテンツでもあります。
・ピンク髪メインヒロイン ・暴力ツンデレ ・ロリ ・地味メガネ ・熱血お姉さん ・天然巨乳
だいたいこんな感じ。
でも、自分が女性に対して特にモヤっとしてるのはその熱狂っぷりが男性よりもはるかに熱しやすく冷めやすい物である事と
そのスピードが尋常ではない事です。(すぐに次のコンテンツに行く)
「創作」女子とか「腐」女子名乗るくらいだったら拘れよ!!!もっと深い設定とバックストーリー込みで愛せよ!!!と思うわけです。
私は、脚本家としていかにその人物がフィクションに存在しつつ、かつ
リアリティがあるかを生み出す事にめちゃ苦心しています。細かい動作や台詞回しや語尾の一つ一つ
そうした書ききれない背景全てを含めキャラクターを愛して欲しいと思い悩んでいます。
なのに、そんなポッと出の4枚に書かれたベッタベタて使い古されたキャラクターに「尊い」とか言われたら立つ瀬がないわけですよ。
最近Twitterの創作界隈で #魔女集会で会いましょう というタグが流行している。やたら流れてくるのでTL上で一度や二度はタグを見たことがある方もいるだろう。
これら#魔女集会で会いましょう タグの付いた作品は、Twitter上で1作品概ね1〜4枚の画像としてアップロードされている。大まかなストーリーは、どの絵師が描いたかに関わらず「魔女が人間の男の子を拾い、育てる。時は流れ、育った男の子は魔女のナイト的な役割を担う」という感じである。
もちろん異なる絵師が各々作品を作っているのだから多少の違いはあるが、大体そんなところである。
これらの作品に対して、わかり手(@anbakurakoya)氏が非常に痛快な批判をしていたのでまずは紹介したい。毒親に育てられた身としては、「ああ、わかり手さんは毒親(母親側)問題について理解があるんだな」ということがよく伝わってくる。しかし、わかり手氏の批判はツイッター界隈の老害化の象徴であるかのようにも見える(これについては後述)
まずはわかり手氏の良さを伝えることからはじめよう
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
「彼氏みたいな息子が欲しい」という願望を持つ母親(毒親の一種)が一部にいて、とんでもないことになっているのは経験上よく分かる。また、毒親が自分のキモさについて自覚的でないというのも共感できる。
さらに、下記のように「リアルと創作を区別しろ」と仰っているのも非常に納得が行く。
自己擁護の事例としてはこういうのね。いやその関係性が「幸せ」じゃねぇだろ、リアルでやったら毒親まっしぐらだろって話をしてるんだけど、どうも「虚構と現実の区別」とか言いつつ全く区別がついてないっぽくて怖いんだよね。
リアルと創作というのは別のものであり、明確に区別を付けるべきだという意見は全くその通りだと思う。
で、ここで立ち止まって考えてみよう、 #魔女集会で会いましょう タグとはそもそも一体なんなのか??#魔女集会で会いましょう タグを叩いたり援護したりしている人は当然趣旨をある程度は理解していると推測されるが、念の為確認してみよう。
このタグは九頭さん@coneshait という方が最初に始めたタグで、元ツイは以下のようである。
https://matome.naver.jp/odai/2151839444121733201
#魔女集会で会いましょう このタグで、『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』の絵を描きますので、誰か描きたい方いらっしゃればこのタグつけて好き勝手に…
ここに絵師が集まって、沢山の作品が投稿された模様である。2日後や3日後の「どんな設定盛っても構わん」という追加の発言もあるものの、多くの創作が1レス目のお題に沿った『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』というリファレンスに沿った内容となっているようである。
なぜこういったタグが流行るのかと考えると、絵師が「お題」に餓えているか、流行に乗っておいて自分の絵を少しでも見てほしいと思うからなのではないか。
絵を描く力と、ストーリーを考える力というのは全く別物である。一枚絵の画力はあるがストーリーはあんまり思いつかないというような絵師がこういったタグに飛びつくのも合理的だと思う。魔女と青年を絵にしたら映えそうだし。
ではここでわかり手氏の発言の話に戻ると、 #魔女集会で会いましょう タグに群がっている人に「毒親願望」があるのだろうか?これはTwitter上の流れを見た私の推測だが、タグに群がる人々の多くは毒親願望を持っておらず、「魔女とかショタとかのかっこいい絵を描いたり見たりしたかった」という程度の意思しかなかったのだと思う。
ここでもう一度わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートを引用する。
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
果たして、「魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望」なんてあったんだろうか?お題なんて記号にすぎず、毒親願望なんて多くの人が持ちあわせていなかったところにわかり手氏が「彼氏みたいな息子が欲しい♡という欲望」なるありもしない概念をいきなり持ち込んでしまったのではないかと私は考察する。
同時に、わかり手氏のこのツイートについても的外れであると思う
私がこのツイートを的外れであると思う理由は「ストーリーを考える手間を極力省き、決まったお題で絵を描く遊び」をしているところに「ストーリー考えろ!」と言うのは、ナンセンスだからである。
毒親についてであっても、そうでないことであっても、自分の意見を貫き通せるのは素晴らしいことである。また、経験則から色々なことを語るのは、後の世代にとって有益となる可能性が大いにある。
だがしかし考えてほしい。刑事モノのドラマを見て雑な気持ちで楽しんでいるときに「本物の刑事はこんなんではなくてだな...これは、現実に全く則していなくて...」とやたら絡んでくるオッサンがいたら「老害キモっ」と思わないだろうか?
わかり手氏はまさにその老害の絡み方をしていないだろうか?
Twitterの特性上、TLに流れてくるのは基本的にはフォローしている人達の意見である。しかしフォローしている人の意見なんて小さな部分集合に過ぎない。フォロー外にはフォロー外の世界があり、当然自分より若い人達だっているし、そこにはそこの掟がある。
Twitterのはてな同窓会老人村界隈でゴチャゴチャ言い合ってるのも結構なことだが、所詮は老害化しつつある村であることをそろそろみんな自覚してはどうか。
文章もなにもかもぐちゃぐちゃです。
「どうして」
燃えている。わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートが。
>『魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040
>『小学生くらいの幼女レイプしてぇ!というキモオタの欲望と同程度には醜悪な欲望である自覚をな、できればな…』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574949230256128
ああ、『現実に行えば』その通りだ。
その前提条件が読まれる事なく拡散されて反発の声が届くのは、気の毒だと思う。
私が、どうして、と思ったのは、ここじゃない。
その後だ。その後の言葉だ。
>『このツイート、無限に怒りのリプライが飛んでくるんだけど、それを鑑みると女オタクと男オタクの違いは自分のキモさに自覚的か否かだよな…、なんてことを少し思う。「キモオタ」と名乗るか「貴腐人」と名乗るか、みたいな。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280
>『自分がキモいことくらい受け入れた上でオタクやれやと、キモオタの自分としては思いますね。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961
どうして。
ここも同じか。ここも同じなのか。
メルトダウンを起こしている。オタクの、趣味の世界での苦しい記憶がフラッシュバックする。
まとめサイト、「腐女子のせいでジャンプがつまらなくなった」「おまえら夢小説ちょっと読んでみろwwwwww」
抱き合うように密着して仲睦まじい女子高生、マイクロミニのスカートから下着が見えている美少女のイラスト、男性を向いた表現は作品名だけで済むのに。
男キャラで同じような露出が、絡みがあれば、「『腐向け』のタグを付けろ、隔離しろ」と言われる投稿サイト。
『腐向け』『腐女子』は女オタクへのレッテルとして、今も現役だ。
フェミと腐女子の2つがあれば、ネットの世界であらゆる女は罵倒できる。
腐った女、と自嘲する名前。それは『キモオタ』と近い。『貴腐人』も、『腐』、から結局は離れていない。
自覚がない、と言うが。
腐女子の『学級会』は、魔女会でも起きていた。あれは、私は好きじゃない。
あの自縄自縛、自罰の時間を、魔女狩りの様子を知らないのだろうか。
外の誰に指さされる前から、内側で互いに『キモさ』を牽制する、あの空気を知らないのか。
見つからないように、作品名ではなくキャラの名でも引っかからないようにカップリングを独自の言葉で言い換えて。
『純粋に』楽しんでいるファンの世界に、異物が入らないようにとアカウントに鍵をかけ公式の固有名詞を避けている彼女たちは、見えないようにすればするほど「いない事になる」。
そんな事をしても無駄だけれど。
「『女オタク』が『腐女子』が、こんな事をしていた。やっぱりあいつらはろくでもない」
『アスペルガー』が『ADHD』が『ボーダー』が、健常者の世界で、異物にならないようにと過ごして、障害が、疾患が、見つからない、いない事になる。
そんな事をしても無駄だ。
職場で、学校で、リアルの世界で見つかった、『迷惑』な奴が一人でもいればいい。
「『アスペ』が『ガイジ』が『メンヘラ』が、こんな事をしていた。やはりあいつらはろくでもない」
『一般人』から切り離された『オタク』が、『男』『女』に分断されていく、そこから『(普通の)女』と『腐』に細分化されていく。
男の女の、うつ病双極性機能不全発達障害エトセトラエトセトラ。
そうだね。嗜好は、まったく違う。
『うつ病』は『ADHD』は『統合失調症』は『摂食障害』は違うように。
そう。苦しいところは、違う。
わかる。わかるんだよ。
わかる、だけど、どうして。
たまになんかズレてるというか、ちょっと人とは違う発想のアタシ凄い!!みたいなのが紛れてる
上手い人の上手いアレンジに憧れてるのか、それとも最初の目的がそもそも理解できてないのか…
ああいうの見てると、レシピ見てても妙な隠し味加えて料理をぶち壊すメシマズって
こんな感じなのかな、って思う
ブックマークの漫画フォルダ内がけっこう賑わってきたので独断と偏見でランキング作る。あくまでアプリでなくサイトのランキングなので注意してください。
ビューワー:良
ジャンプ+とどっちにするか迷ったけどこっちが1位。カドカワから出ている全てのレーベルの雑誌の中から選ばれた漫画が無料で読める、というシステムなので読める漫画の量が桁違いに多い。わかりにくかったらごめん。とにかく多いってことだけ言わせて欲しい。その量に対する面白い漫画の密度は小さいけど、良い漫画は本当に良い。
あと単行本が発売される漫画は表紙が全て発売当日サイトのトップに掲載されるのでとてもわかりやすい。ビームとハルタに載ってる漫画は無料公開されてないけどこのシステムのおかげで単行本が出たらすぐわかる。
あとこのサイトのいいところはビューワーで漫画を最後のページまでめくった後、次の話と前の話に飛べるようになっているとこ。この「前の話に飛ぶ」っていうことができるサイトが意外と少ない。というかほとんどない。この機能があったらジャンプ+が1位だったかもしれない。
おすすめ:ウメハラFIGHTING GAMERS! 高校時代ウメハラの話(少なくとも今現在は)。自分はスト2世代でもないし格ゲーもやらないけど面白い。ゲームとどう向き合っていくかとか、どこをどうしたらもっと強くなれるかとか、ゲーマーなら、いやきっとゲーマーでなくてもわかる要素が良い。ウメハラと同世代なら3倍楽しめそう。
ビューワー:良
迷ったけど2位。読める漫画のタイトル数はそれほど多くないけれど面白い漫画の密度が大きいのは流石ジャンプと言ったところ。一週間の中で最低でもひとつは好きな漫画が見つかるはず。
ビューワーに関しては前述の通り「前の話へ飛ぶ」機能があればなぁ。まあ画面下からいけるんだけども。
あと全く個人的な話なんだけどここ2,3年くらい集英社から出る漫画を買って無い気がする。なんでだろう。こんなに面白いのに。
おすすめ:星の王子さま 画太郎先生ありがとう いつもおもしろい漫画を描いてくれて
ここから少しずつ雑になっていきます。なぜなら飽きてきたからです。
更新:金曜
ビューワー:なし
際立って素晴らしい!という漫画はないけどどの漫画も個性があって良い。
おすすめ:少女週末旅行 が終わってしまったのでマグネット島通信に期待。
更新:5の倍数の日
ビューワー:不良
ビューワーが良くない。漫画読んでからトップに戻るたびになぜ新しいタブを作らなきゃならないのか。あと全画面表示ボタンはもっとすぐ押せる場所に置いて欲しい。漫画は面白い。
更新:月~金曜
ビューワー:なし
おすすめ:男爵にふさわしい銀河旅行 こないだなんかの賞に入った(うろ覚え)。どこか懐かしい世界観とかわいい絵。テンポが素晴らしい。あとマグメル深海水族館も読んで。
ビューワー:不良(4コマは無し)
ご存知竹書房。メイドインアビスも読めるよ!でもメイドインアビスはコミックガンマというサイトからの出張掲載という体になっている。そこのビューワーが使いづらい。
長くて投稿できなかったのでanond:20180202153954に続きます
https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。
大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。
それだけじゃ何なので、掲題通りである。
一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。
小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。
低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。
その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこまごましたものが特集されていた本だった。
ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。
不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。
自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。
なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。
きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。
あとすべり止めで受けた私立高校の入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。
そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。
なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。
勉強はあんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。
当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。
ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10冊前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。
多感なお年頃なので、性描写のあるものに出会うと成人指定の境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業したかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)
野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。
後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。
地元の公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。
アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品の初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)
同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。
学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。
その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。
ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。
森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。
お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。
ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。
大型書籍は比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。
専門書も同じく時が止まっていた。
半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。
卒業後も利用できるということだったが、生憎地域の図書館の方が便利であった。
今につながる本の思い出。
急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館は存在してくれればいいなと思う。
読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。
ひどいようだがそんなもんだよなと思う。
あるときブログで家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。
家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。
教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。
面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)
それだって、きっかけは耳をすませばだ。(個人的な気質はあるにせよ)
こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。
作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。
もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。
ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭の先生方には感謝を伝えたい。
思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。
期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。
平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
http://magurojuice.blog.shinobi.jp/Entry/19/
上記のやり取りや内容は特に面白くなかったのだけど、ブコメやツイッターでも評価が真っ二つで面白い。
「BIG FISH」という映画・小説は読んだことあるだろうか。
簡単に言えば「おとぎ話の様な人生はおくれないかもしれないが、人生をおとぎ話の様に語ることはできるよ」ってだけの話で
これが評価が両極端。
主人公は子供の頃から巨人男や狼男や魔女等が出てくる父親の創作話にうんざりしていたのだけど、父親が死にそうになって身辺整理をし始めたら魔女や狼男は出てこないにしても、似た様な人間が周りにたくさんいて父親は案外嘘つきではなかったのかもしれないな、と主人公が思う話。
息子側に感情移入すれば実際大人になった自分や親戚たちに自分のどうでもいい出来事をおとぎ話の様に喋られたら、息子としては「もう勘弁してくれ」と思うだろうし
おとぎ話を話続けた父親側に感情移入すれば、本当は語れる程何もなかった自分の人生を語らなければならない時に少しだけアクセントを加えてちょっとだけ面白くなる様に話をしただけ。
息子と父親、どちらが悪でどちらが善ではない。
父親を「夢ばかり見ていて大人になれなかったクズ」呼ばわりして評価する人もいれば、息子が冷酷すぎて父親がかわいそうだと評価する人もいる。
今回の前世の記憶がどうとかってのを楽しめない・ニセ科学や新興宗教を心配する人はきっと息子側で現実主義者なだけで別に間違ってはいないと思う。
楽しめる人は父親側で、自分の特に波のなかった人生を少しだけでも面白く語れる人なのかもしれない。
内容は違うのに、評価が少し似ているなと思った。