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はてなキーワード: 魔女とは

2018-03-16

男性向けの百合百合じゃない」っていうのは「エロが嫌」ではない

 まず発端の百合展中止に抗議したフェミはいなかったということは言っとくね。

 ふともも展とは趣旨も違うし、「百合展まで中止させられた!フェミめ!」ってツイが流れてきて「えっ百合展なんてあったんだ」って初めて知った人ばかりだったよ。

 さて、フェミというのは「なんかやたら男が好きなエロ文句つけるうるさい奴」と思われてることが多く、今回の「男性向けの百合百合じゃない」も「エロだろーと女二人の恋愛もの百合だろーよ、これだからフェミエロを目の敵にしやがって」と反発を感じる人がいるのはわかる。

 わかるけど、男オタクと女オタクはかなり前提が違う。

 主語が大きくてほかの人を巻き込むのは悪いのでここからは『私』の主観の話をするね。

 あのね、「女=俺のためのもの」って思想創作物うんざりしてるんだよね。

 まずさ、男がエロ好きなのは当然と思われてるけど、女が性的ものを好むのははしたない、更には好色であると見る風潮あるでしょ。

 例えば無理矢理強姦される作品を読んだり描いたりすると「そうされたいんだろ?」と言われる。男女エロなら当然のように言われるし、BLであっても何故か受けに自己投影していると見なし嘲笑う人が沢山いる。

 私ずっとこれが不思議だった。BLで受けに自己投影する人、いることはいるけど、少数派だ。仮に自己投影してたとしたって、それの何が問題なのか? その人の勝手じゃない? なのに何故腐女子でもない部外者が訳知り顔で「腐女子は受けに自己投影してるからBLの男は男じゃない」とか言うのだ?

 で、男性向け界隈を覗いて見てやっと腑に落ちたんだけど、男性向け、当たり前のように自己投影がある。

 元々そうだったし、主人公無双して美少女ヒロインハーレムを築く話が山ほど創られている今は更に加速してる。男性向け界隈では自己投影スタンダードであり、「美少女に俺がモテる」が普通だと思い込み過ぎて百合にもそれを求める人がいる。女性しか出ない創作物一見自己投影できる存在がないように思われるが、しかし彼らにとっては「女キャラ=俺のためのもの」なので、出てくる女キャラは画面の向こうのオレに媚びているという思考が前提としてあるのだ。

 

 まぁそれならそれでいいんだけど、あなたがたの趣味はどうでもいいんだけど、厄介なことにこの手の人達は「絶対腐女子自己投影してる。お前ら尊いとか綺麗ぶってっけど本当はエロいこと好きなんだろーw エロいことされたいんだろーw」って決めつけと嘲笑をぶつけてくるのだ。

 BLエロは主に「好きなキャラエロいとこ見たい」という願望の結果なのだが、「女=俺のためのもの思考の人は女が主体的に男のエロいところを見たがるという行動が受け入れられないので、「受け=女側、つまりエロいことされてる受けを見て自分エロいことされてるつもりになってる」という解釈をする。

 このような揶揄を向けられると、腐女子はついつい「自己投影じゃないしエロけが目的でもないし――」と反論してしまう。

 何故なら実際に8割ぐらいの腐女子自己投影じゃないしエロけが目的でもないからだ。そして、エロい女だと蔑まれている状態に焦り、誤解を解こうとして強く否定し、自ら「BL自己投影なんてイタい」と言うようになる。

 これは男性が言われる「お前ホモだろw」に似ていると思う。言われた側が元々同性愛者に対する差別意識がなくても、「お前ホモだろw」にこめられた嘲笑を感じ取り、「もしホモだと誤解されたらヤバいことになる」と思い強く否定してしまう。「まさかホモなわけねーじゃん。キモいし」みたいに。

 本来同性愛者が堂々としていいのと同じように、BL自己投影する人もエロ創作大好きな女も堂々としていいはずなのだ。そしてそうじゃない人も、「お前ホモだろ」「お前エロいこと好きな女だろ」と言われた際に、「違うけど、もしそうでもいいじゃん」と返すべきだ。

 しかオタク界隈にはかなり強固に「女は男をエロものとして扱うべからず(男はいくらでも女をエロく扱っていいよ!)」という暗黙のルール存在している。

 いや、というかぶっちゃけ暗黙じゃない。

・男キャラ二人が並んでる絵だけでBL扱いされる。

・男キャラ複数いる作品BL扱いされる。

腐女子に人気のある作品BL扱いされる。

PIXIVBL二次創作ばかりがランキング上位を占めるようになると「腐女子侵略された、BLキモい」とクレームがつけられる。

 などなど多数。

 この「BL扱いされる」は正確に言うと「BL扱いされて気持ち悪がられる」である

 現在PIXIVは男女別にランキングを分けたことで理不尽クレームからは逃れたようだ。

 が、イラストランキングを見ればはっきりとわかる傾向がある。女キャラ露出が激しく、扇情的ポーズのものが多くランクインしている。男キャラはそうではない。これは女オタクが男キャラエロく描かないせいではない。ちょっとでもエロかなと思ったら、表紙にしないかR18に設定するからだ。

 私は気が向いたらランキングを覗くのだけど、いつ見てもそう。女キャラは平気でエロいのがばーんと出てる。男キャラはとっても健全

 これほど気を使っていても腐女子は「原作はそうじゃないのに男同士でくっつけちゃって申し訳ない。BLきじゃない人に見せないようにしなきゃ」という人が結構いる。私もそうだった。

 でもさぁ、私、男性向け二次エロ描いてる人で、「原作はそうじゃないのにエロにしちゃって申し訳ない」って言ってる人見たことないんだよね。

 当たり前のように「男女エロ普通、女をエロく描くのは普通」って考えなんだよ、男性向けって。「女=俺のためのもの思考蔓延している。

 それに気づいたとき、「あ、この人達あんなに腐女子を責めるけど自分らのことめっちゃ棚に上げてる……図々しいな」って思っちゃった。

 そう、「女=俺のためのもの思考の人は図々しい。自分達の考えを押し付けてくる。自分達の嗜好に沿わない者を排除しようとする。そのくせ「腐女子侵略された」とか被害者ぶってる。

 しかも男がやる創作と女がやる創作基準を明らかに変えてくる。

 「魔女集会で会いましょう」という創作ブームがあったとき、基本形となる「魔女が拾った少年が成長して魔女を守る」という話に、「男女逆なら幼女レイプと同じ」って文句つけてた人いたけど、違うよね。男女逆なら「魔法使いが拾った少女が成長して魔法使いを守る」だよね。まぁこの「守る」は「慕う」でもいいけど、絶対幼女レイプは対比にならない。

 が、「女=俺のためのもの思考人達にとっては、「魔女が拾った少年が成長して魔女を守る」は幼女レイプ並に罪深いのだ。何故ならこの創作は突き詰めて言えば男が女を喜ばせる類のものからだ。女の欲望に沿う形の男キャラが描かれることが我慢ならないのだろう。

 このように、「女=俺のためのもの思考人達基本的に、創作キャラのみならず現実の女の人権無視してくるので本当にうんざりする。

 以上のような前提があるので、私は「男が部外者のはずの百合にまで『女=俺のためのもの思考を持ちこむなや」と言いたい人たちに共感してしまう。

 落とし所としては、「女=俺のためのもの思考で描かれた女同士の恋愛ものは別ジャンルとして確立する、かな。

 ゾーニング大事




 以下、百合とは関係ない「女=俺のためのもの思考人達に関する愚痴

 ふともも展もそうだけど、この人らマジであらゆるところに自分のためのエロ要素をしこませようとする。

 エロじゃないですよというふりをしてエロ公共の場にひっぱりだし、エロとして楽しんでるのに指摘されると「エロじゃない! エロいと思うお前がエロい!」と逆ギレする。

 わかりやすい例をあげよう。

 雑誌建築知識』のこのイラスト

https://twitter.com/ismiiiru/status/931479789361233922

 困り顔女の子自分の服をおさえて「どこまで面積小さくなっちゃうの?」と言っている。

 ゾーニングされるようなエロイラストではないように見える。が、明らかにこれはエロ文脈で描かれている。

 何故わかるか。

 仮にこれがエロじゃないとしよう。

 するとイラストは単なる困っている、あるいは恥ずかしがっている少女だ。敷地面積の解説に何故嫌な思いをさせられている少女を出すのか?

 少女意思に反して服は縮む。少女はそのことに不安を感じている。

 つまり、読者は、いじめられている少女を見せられている。

 いじめられている子を見た普通の人の反応は「可哀想」だ。敷地擬人化可哀想がらせる必要がどこに?

 編集部がよっぽどすっとぼけ性格でない限り、「可哀想女の子イラスト敷地面積の理解に役に立つ! 読者にも喜ばれるはず」とは思わないだろう。

 だから正しくは、「服が縮むのを恥ずかしがってる女の子エロいか男性読者に喜ばれるはず」なのだ

 だがまぁ当然、これは「恥ずかしがってる女の子エロい」という性癖人間以外にとっては普通に「可哀想女の子である

 そして『一般向けの雑誌エロ文脈を持ちこむこと』『可哀想女の子エロいと見なすいじめっ子精神無自覚なこと』に嫌悪感を覚える。

 日本、恥ずかしがる女の子エロ扱いするの滅茶苦茶一般エロ扱いされてるけど、あれ特殊性癖だよ。特殊性であること自体は構わない。でも「自分はいじめ創作が好きなのだ」という自覚を持ってくれ。そして一般向けにそれをどうにかして持ち込もうとする努力を止めてくれ。

 「女が嫌がってるのとか恥ずかしがってるのエロくていいよね」と自分の不幸を喜ぶ奴らが日常的に現れるの本当にキツいんだよ。

2018-03-15

anond:20180315155909

ファイアパンチ 全8巻

藤本タツキ

『氷の魔女』によって世界は雪と飢餓狂気に覆われた。凍えた民は炎を求めた…!

2018-03-14

痴漢経験してませんと言うとカマトトぶるなとかハブったりして

女子人間関係では痴漢存在しないと言えない空気なんだろう

まるで魔女蹴りだ

2018-03-12

anond:20180312125842

魔女菅原とか正司優子 に比べたらきれいって話じゃないの

2018-03-11

もし俺が魔法少女に誘われたら、あらゆる存在するものをなくすというか、

スピノザ実体みたいなのがあるならそれをなくす、みたいなことを願うと思うが、

そんなことを願うのは最初から魔女っぽいものか。

まどかマギカ魔法少女化と魔女化は

人間性の奪われの例としていいな。

本体特殊宝石にされただけなら人間性が奪われたとまでは思わない。

そのことを告げられなかった点では人間性ではない何かが奪われた感はある。

魔法少女魔女になるのが(ほぼ)必然なら、

その点で人間性が奪われていると思う。

魔女は外見的には人間とは大きく違うようだし、

心理的にも恐らく人間性の水準が低下するみたいな感じだと思う。

2018-03-07

魔法使いキャラで誰が好き?

魔法使いあるいは魔女、あるいは魔女っ子で誰好き? あるいはどんなタイプが好き?


俺は魔道物語ぷよぷよウィッチみたいなオールドストロングスタイル魔女が好きだなあ。

からキキも好きっちゃあ好きだし、古きをたずねてモンスターメーカールフィーアなんかも好きだし魔理沙も勿論好き。

2018-03-06

作者の設定を受け手体感より優先する展開

ドラクエ11の話なんですけどね。

クリア後の追加要素で村の幼馴染のエマ結婚できるんです。


いや、待てと。

かに設定上のエマは隠れ里のたった2人の同い年として主人公と16年過ごした仲ですが

プレイヤーからしたら最初操作ガイダンスちょっと出てきて途中でまたチョロチョロッと出てくるだけの脇役なんですよ。

エマとの間に思い出なんかないし愛着思い入れも無い。まだ雪の魔女の方がやりとりが多くて魅力感じる。

結婚できるなら一緒に長い旅をしたマルティナ・ベロニカ・セーニャから選びたいだろ普通

「勢作側が当初正ヒロインとして用意したキャラから」とかそんなことどうでもいいんですよ。


ぬ~べ~や変態仮面が叩かれてるか?

叩かれてねーだろ。

ちゃんと読者の体感に従ったからだよ(作者自身も描きながら心変わりしてたはず)。

モンキーターンはどうだ?

ガッカリされて叩かれてるだろ。(作者自身も心変わりしてた(自白あり)のに初期設定に固執した。)


自分の当初の予定や設定に拘泥するのはプロじゃない。

2018-02-22

魔女はいない

魔法少女もいない。

人類歴史上、魔女狩りという行為はなされても、本物の魔女というもの存在しなかった。

すべて「普通人間」が魔女と言われただけだ。

なんとなく夢がない話だが、魔女はいないのだ。

しかし。

間男存在している。

この現代社会にも確かに

2018-02-20

anond:20180217230335

トラバ元増田です。1日ほど見てたけどブクマトラバもつかなかったので「あ、これはスルーされるんだな」と思ってそれきり忘れていたのだけど、今見返してみたらトラバリーが伸びていたので「あなたの考えももっと聞いてみたいと思う」という言葉に甘えて少しだけ。

なお、私も母親との関係は必ずしも良好とは言えない。毒親とまではいかないけれど、あれこれ世話を焼かれると「あ、これは私が自分の影響下にあることを示したいんだな」と思って身構えてしまう程度には距離を置いているが、その辺は余談なので割愛

わかり手氏やトラバをくれた増田(以降トラバ氏)と私との意見の相違の根本は、「魔女を母と見るか子とみるか」ということに尽きると思う。私は魔女母親ではなく、愛されることも愛することも禁じられ、世界から疎外された「子」であると感じた。大人もしくは老人であるという魔女の外見や、拾った子を世話する庇護であるという立場魔女本質ではないと感じたのである

一方で、拾い子もまた「子であること」は彼の本質ではないように感じた。寄る辺ない子供という外見は成長というドラマ演出するための舞台装置にすぎず、その本質は一貫して「魔女の愛を許し受け入れ、自らも魔女に愛を与えてくれる存在であると見たのである。なので、自分の感じたストーリー構成としては「かえる王子様」や「美女と野獣」に近いかもしれない。呪いで醜く、小さく姿を変えられた心優しき存在が、同様に心優しき存在出会いその愛により本来の姿(成人男性)に戻るというアレである。2作品場合は解呪により本来の姿に戻るが、魔女タグ場合魔女が不老であることで、通常の年月経過が解呪の役割果たしているといえよう。

はいえ、そうした見方こそが毒親たる所以であると言われたら、返す言葉もない。何分にも私も上記のような親との関係のせいか家族を持つことに魅力を感じられず、独身子なしを貫いているのでその辺の「母親心理」はよくわからないが、毒親問題の一端が「母親の未熟さ」にあることは十分理解しうるので、「大人の女性を子とみてそれに同一化する」のは毒親的と言われても仕方がないかもしれない。

「子である魔女」が「愛してくれる拾い子」を取り上げられるように感じてつい過剰反応してしまったが、ある作品にどんな物語を見出すかは受け手感性とそれを育んだ生育環境に大きく依存すると思うので、これ以上は魔女毒親説について言うことはない。最初のツィートだけだと魔女毒親という見方が短絡的に感じてしまったが、トラバ氏の文章でそれに対する論拠を読むことができて、同意とまではいかないが納得することはできた。

その意味で、トラバ氏の文章を目にすることができたのはまさしく僥倖だったと思う。トラバしてくれて、「あなたの考えも聞いてみたい」と言ってくれて本当にありがとうあなたの誠意に感謝したい。願わくば、この文章トラバ氏の目に留まりますように。そしてトラバ氏も今後とも良き物語に、良き作品に巡り合えますように。

2018-02-19

anond:20180218162624

どうしようもないクソガキや惨めな捨て子を魔女が拾って育て、のちに子供魔女を守るなどして立派に育ったところを見せる、という落差が萌えポイントからだろ。わかってねえな。

anond:20180218162624

子供魔女より強く逞しく成長する」のが前提のお題だからでは?

子供の方が魔女より強い前提なのに、魔女が庇うのおかしいやん。

2018-02-18

魔女のなんたらで会いましょう

ツイッター流行ってるイラスト企画タグのアレ。

子供を拾って育てて、まぁ彼氏・あるいは母子みたいな存在にするのはいい、そういう趣旨企画からな。

で、死ネタにする時、なんでどいつもこいつも、最終的に「魔女を守ってそいつ死ぬ」にしたがるんだ

見識が狭いだけかもしれんが、今までただの1つも、その「大切になった存在を守って魔女側が死ぬ」の見たこと無いぞ

結局「女は守ってもらうもの」って認識を持ってるのは女じゃねーかよ

2018-02-17

Twitter話題になっててたくさん絵が貼ってあった。

魔女集会って、毒親持ちにはきついの?

ぜんぜん内容しらないで、たくさんの絵が見れそうだからブクマしてたけど

それなら意味ないな。というのでまとめのブクマ増田をチラ見して外しました。

anond:20180217035036

くだくだ言ってるけど、この物語キモいと思われてるのは「返礼として庇護者を愛すること」「自発的庇護者を、唯一無二の相手として愛すること」をハッピーエンドポジティブものとして描いていることなんだよ。

私たち毒親持ちは、返礼として、自発的に(という建前で)傅くことをを親から要求されるんだ。そして「自発的に」その希望に反することをすると抑圧が発生する。スーザフォワードを読んだならダブルバインドくらいわかるだろ。

毒親は決して自分が悪役だとは思ってない。そういう魔女集会みたいな物語を美しいと思い、規範化し、そして子供それから逸れると抑圧し始める。これは愛である形容しながら。

別に私たちハッピーエンドあなたたちの物語強要することなんてしない。ただ私たちが考えるハッピーエンドは、わかり手が言っていたように、子供達が庇護である魔女から愛を受け、そしてそれを以って外の世界に開いていく、自分人生を作っていくことなんだ。庇護者と2人で閉じていくことではないんだよ。そういう物語が美しいという感覚もわかるけどさ。

このハッピーエンドについては趣味の違いだから別にどうしろとは言わないしいう権利もないさ、ただこういう趣味人間がいるってこともちょっとはわかってやってくれよ。

とりあえず追加、言及先の増田へ。

わざわざやってきて創作物キモい文句つけてるキチガイと思ってるかもしれん。

そのへんはちっとすまんとは思ってる。

しかしそうではないんだ。私は絵師さんたちにわざわざ名指しで文句つけるような悪趣味な真似はせんよ。しかし目に入った創作物について感想独り言的に述べる権利くらいはあると思ってる。そして、絵は好きだけどストーリーは少しアレだなという感想を持った。

その感想を頭おかしいように言われるのは心外だ。それにはそう思うだけの私の理由があるんだ。

そして増田よ。クリエイターとして、それらの感想おかしものとして何も考えずに棄却したり、自分創作物に対するネガティブ感想を全て不当なものとして処するのであれば、あなたと話すことは何もない。しかし少し思うところがあるのであれば、あなたの考えももっと聞いてみたいと思う。私の言いたいことはそれだけだ。

女は男をいらない。#魔女集会で会いましょう、のように。

女は男がいらないので、自分の子どもが男であった場合、「いらない男」になるようにと育てる。

年をとらない魔界の男が幼女を拾ってそれが自分の思うような異性に育つって気持ち悪すぎるだろ…。

anond:20180217203403

最近なら魔女集会とか

あいタグに乗っかって宣伝していくのが一番早い

anond:20180216151153

まとめ見たけど、「息子みたいな彼氏」なんてストーリーですらないものが大多数な気が。

大抵魔女は若くて歳を取らない前提だから、息子が成長すると同世代~息子の方が年上にしか見えず

「母と息子」と言うリアリティなんかまったく感じられない。

魔女少女で息子がおっさんになっても少女のまま、という設定のものもあるが、よくあるおっさん×少女萌え一種だろうし。

いずれ息子の方が先に死んでしま悲劇性も共有されてるだろうし。

男女逆なら炎上とか言ってるけど、むしろ

「男の魔法使い少女を拾って育てる。男はいつまでも若いままだが少女大人になりおばさんになる」という前提だと

女性向けにしかならんだろ。

まーんさんと対話不可能

女性専用車両運動魔女集会タグ批判が同日にホッテントリ入りしたことによって確信したんだが、あいつらが使っていた論法ブーメランされていることにも気付けず逆ギレするんだぞ。

あいつらは論理的思考の欠片も持てないよ。

anond:20180216151153

わかり手氏の例のツィートについて非常にモヤモヤしていた者として言及させていただく。

まず、氏の「魔女毒親」という見方的外れであることについては元増田同意である。ただしそれは、元増田の言うような「魔女集会タグイラストストーリーはない」からではない。むしろ魔女集会イラストは深い物語性をはらんでいるが故にあれほどの盛り上がりを見せたのだと考えているが、それについては後述する。

氏の抱いている「毒親」の概念は、「息子を溺愛し、子離れできずに子に害をなす母親」といったものだと思われるが、これは「毒親」の語源となったスーザン・フォワードの「毒になる親」やそこから発展した議論にみられる毒親像とはいささかのずれを感じる。そこで語られているのは、自身人格からして非常に未熟で、子供への愛情他者に対するものではなく自己愛に近い、それ故に子供独自人格意思尊重できず抑圧したり無視したりしてしまうという親の姿である。このような毒親にとって子供とは「彼氏」のようなパートナーとしての存在ではなく、自身社会に受け入れられ、社会で称賛されるための道具であり自分の一部であるとも言える。何より、こうした毒親子供の成長・成熟を望まないことも多い。子供いつまでも自分支配下にあることを望み、その望みに反して成長を遂げようとする子供に対しては敵意をむき出しにして虐待に走ったりもする。

これに対して魔女集会タグにおいては、大前提として子供は「自分を守るほどに強くたくましく成長する」ことを何より望まれている。「母を愛する子の当然の行為として母を守る」のではなく、母から独立した上で、自身意志として彼女を愛し守ることを選択するよう望まれているのである。この「自身意志として」という点が魔女集会モチーフの最大のキーポイントである。息子や娘としてでは意味がない。彼らが生みの親を愛するのは当然である(とされている)のだから。それは、養い子がほとんどすべての場合「捨て子」である要因にも通じるだろう。

魔女集会イラスト魔女たちはしばしば、ツンデレ言動をみせる。彼女が拾い子を養うことにしたのは、中には子を気に入って可愛がるために傍に置くことを望むケースもあるが、多くは「気まぐれ」であったり「ふとらせて食う」ためであったり「下僕としてこき使う」ためであったりと、「愛情動機ではない」ことが本人の口(モノローグ含む)から語られる。にも拘わらず、長じた子供は「自分意志で」彼女を愛するようになり、その愛によって恐ろしい魔女もついデレてしまう、というのが基本的な構図になっているのである。ここまででも、魔女集会モチーフに込められたストーリー性の存在は明らかである

さらに、「魔女」「捨て子」というキャラクター属性についても考えてみたい。まずは「魔女」についてである

上記のごとく、魔女たちはツンデレである。子を拾う以前から彼女らは孤独であり、人間社会から(時には同族社会からも)隔絶された存在である。そうした彼女らが子を拾って育てることを「愛情からではない」と殊更に強調するのは、彼女らが「愛情より子を育てること」を世界からあらかじめ禁じられているからに他ならない。白日の下を歩く人間にとって、魔女からの愛は呪いと同等であり、忌むべきものなのだ彼女らは人から愛されないと同時に、人を愛することも禁じられた、二重に孤独存在なのである

一方、養われる子の側もまた、孤独存在である。元より天涯孤独であったり、不慮の災難により親を失ったり、何らかの偏見から共同体を放逐されたりして、他者から物理的な庇護精神的な愛情の両方を失った状態にある。さらにそれは一時的ものではなく、将来にわたってもそのような状態にあることがあらかじめ定められた存在として描かれる。そのような状態で、彼はこの世でただ一人、自分を愛し守ってくれる可能性のある存在としての魔女出会うのである。失われた愛護魔女に求めるよりほかはないのは言うまでもない。魔女が親の仇であったりして表面上は魔女罵倒するシチュエーションもよく見られるが、彼が魔女庇護を受けなければ生きられない存在であることが動かせない以上、そのことは二人の関係性にスパイスを添える程度の要素でしかない。

愛を与えることを禁じられた魔女にとって、その禁にもかかわらず自分に対して愛を求める養い子の存在はかけがえのない存在となる。愛護を失った少年にとっても、禁を犯してまで愛を与えてくれる魔女はかけがえのない存在である。こうして互いにオンリーワンである二人が強固に結びつき、愛を与え合うようになる過程をBefore/Afterの2つの描写によって想起させること、それこそが魔女集会タグに込められたストーリー性なのである

なお、上記の論とは独立した別の要因として、「過程を描く」以上、不老であったり元からある程度の年齢であったり、せいぜい少し老ける程度である魔女を養い子の視点描写するより、子供から大人へのシフトが発生する養い子を魔女視点描写するほうがよりドラマ性を感じさせることになるだろう。そのため、作品群の多くは魔女視点描写されており、描写されるストーリー魔女側にやや傾いたものとなるようである

以上をまとめると、魔女集会で会いましょうというタグは、

「愛を与えることを禁じられた魔女が、その禁にもかかわらず自分に対して愛を求めてくれる存在出会い、彼の求めに応えて愛を与えることで彼を成長させ、その返礼としてより大きな愛を彼から与えられる」

物語である結論付けることができよう。

長文失礼。

anond:20180216230520

逆に魔女=嫁な気がするな。

夫には血を分けた家族と縁を切って(捨て子)

新しい家族としての自分を選んでほしいという願望。

魔女集会タグ叩きを見ていて思った

せっかくタグを皆つけてるんだからミュートすれば解決するだろうに何でグダグダ叩いているのだろう。

ミュートの存在知らないんだろうか?と思ったけど、嫌いな人は魔女集会ミュートすればいいのにって意見に「数の暴力だ」とか切れてる人もそこそこ居て謎過ぎた。

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