はてなキーワード: 萌えフォビアとは
仁藤夢乃の異常な萌えフォビアと、彼女が流してきた数々のデマと暴言に比べれば、近藤顕彦のミソジニーは比較的控えめと言えるんじゃないかな。「どちらも酷いのだから比べるものではない」と言われれば、そうかもしれないが。
フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー男性の持つミソジニーというものも、ゲイ男性の持つミソジニーと同程度には、シスヘテロ男性の持つミソジニーとは区別しながらも丁寧に語る必要はあると私は思う。無視しないで、向き合うべきだとは思う。でも、「それができる状況じゃないな」とも思わされるんですよね。あなたたちを見ていると。
私は、仁藤夢乃がどれだけの人々を傷付けてきたかを考慮したとしても、colaboは立派な活動をしてきたと思うし、それとこれとは別として評価すべきだと思っている。彼女を批判すべき文脈があったとしても、それと彼女の業績を結びつけて批判すべきじゃないと思う。
私としても、近藤顕彦の言動について、賛同できないと思うことも、何なら腹が立つと思うことも、いくらでもある。それでも、彼がフィクトセクシュアルを公言して、少しでもその地位を向上しようと、彼なりに考えて行動していることについては、私は彼を尊敬している。彼を批判すべき文脈があったとしても、それと彼の業績を結びつけて批判すべきじゃないと思う。
そういうことを、お互いに考えていきませんか。
「男のくせにナヨナヨしてホモかよw」と虐められ続けた人がホモフォビアを抱えてしまうように、「大人のくせにアニメ好きとか、『萌え~』ってやつ?w」と虐められ続けた人が萌えフォビアを抱えてしまうんじゃないかなと思ってる。
例えば、「透け感」という言葉は物理身体をベースにジェンダーエクスプレッションを行う人々の間では当たり前のファッション用語として定着しているけど、創作キャラクターを用いてジェンダーエクスプレッションを行う人々が「透け感」のあるデザインを取り入れると「わいせつなエロ表現だ」というレッテルを貼られるわけです。
そうした不平等、非対称には目を向けられるべきなんですよね。
それはそうなんだけど、まあ、ゲイやトランスジェンダーでなくても男性がスカートをはいたりしてもいいし、フィクトセクシュアルやフィクトジェンダーでなくても大人がアニメを楽しんでもいい。
そうした大衆にとって身近なジェンダー論は、セクシュアルマイノリティ論だけでは掬い上げられない領域だろうなとは思う。
なるものを16ページというのを見てコメント欄だけ読んだんだけど
やっぱ人によって見てる景色は違うよね
私の主観だと、最初の主戦場はエロで、松文館裁判とかレイプレイ事件とかのころは、もっぱら知識人と業界人が闘ってた
オタ界隈でも暴力的だったりロリだったりするエロに否定的な人は居て、レイプレイの時には掲示板が紛糾してたのを覚えてる
「道徳」が持ち出されはするけどポリコレって感じじゃなかった記憶
個人的に萌えフォビアの転換点は「人工知能学会誌」(2014)あたり
あれで謝罪文的なものを引き出せてしまって、そこから結果を得やすい「公共」に戦場を移していくようになる印象
のうりん(2015)の頃は峰不二子のエロは主体性があるからOKとか良く分からん基準が示されたりしてた
表現全体を焼き払う焼夷弾を萌えだけを狙い撃つ狙撃銃にしたくて
その後はポリコレ活動家や政治家やら弁護士、フェミ騎士が参入して先鋭化していくにつれ
なりすましだのなんだの収拾がつかなくなっていく
【わざわざ公式サイトの設定を掘り起こして】
それが何を産んだのかは記憶に新しいよね
批判すべき点はあるけれども
あの辺りの事象を「いきなり表現の自由戦士が殴りかかってきた」みたいな話になってるのも
都合の良い記憶回路だよなぁって感じ
艶のあるモンスター(ところでさぁ)
先鋭化した一部の人間がおかしいなら、僅かでも関わりがある全部をオカシイとして扱ってよい
みたいな話なら
用法・用量を守らないレッテル貼りは「『自分はコイツが嫌い』と言いたいだけ」というレッテルを貼り返され、効果が薄まってしまいます
有用なレッテル貼りを今後も使い続けるために、濫用は避けましょう
wikipediaでも定義が複数あり、概要も「ネット上で右翼的な言動を展開する人々のことである」とフワフワしています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%8F%B3%E7%BF%BC
はてなキーワードでも「明確な"定義"というものは存在しない」とまとめられており、実際にブクマカ達も定義がバラバラです
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230222004618
用法が定められずに濫用された結果、ほとんどの日本人はネトウヨになってしまいました
本当に有害なネトウヨを指すときには「限界ネトウヨ」や「Jアノン」などを使いましょう
類義語としてはパヨク(サヨク)があり、こちらも濫用されています
ネトウヨと違い「特定の表現しか守らない人」に対して使う、という用法が決まっているように思えます
例えば、はてなキーワードでは「特定秘密保護法案等の、表現の自由への制限が懸念される法案には特に反対の意を示さないように見受けられる人」という定義があります
そのため、特定秘密保護法に反対の意を示している山田太郎は表現の自由戦士には当てはまらないことになります
https://taroyamada.jp/cat-other/post-1712/
ですが、山田太郎を「表現の自由戦士」と認定する人がおり、合わせて赤松健も批判していることから
「萌絵を擁護したら表現の自由戦士」という用法を無視した使われ方が一般的と考えられます
https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1515224560903200768
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bucchinews.com/society/7040.html
単なる萌えフォビアやオタク(サブカルを除く)嫌いではなく、特定の表現しか守らないことや過度な攻撃を批判したいのなら「アンフェ(アンチフェミ)」の方がまだ良さそうです
(アンフェも単に嫌いな人へのレッテル貼りとして使われことが多いため、五十歩百歩かもしれまんせんが…)
ネトウヨの項目で「Jアノン」を例に出したのですが、今は使い方を少し難しくなっています。気を付けましょう
原因はColabo騒動を追及している暇空とその界隈に対して「暇アノン」と名前がついてしまったためです
元になったJアノン(もしくはQアノン)から転用して暇空側の陰謀論めいた推測や間違った指摘に対しての揶揄なら問題ないのですが
そもそもColabo関連を追及すること自体を「暇アノン」としてレッテル貼りをする人が出てしまっています
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2031096
使用者側も○アノンと揶揄されないためにも、用法の厳守をお願いします
霊感商法を揶揄する表現であり、最近では旧統一教会の信者(または深く関わりのある人)、という意味で使われるようになりました
現段階でこの用法から逸れた使われ方は見かけないのですが、問題は壺認定(信者認定)の濫用者が多数いる点です。
「自民党は壺」からの「ネトウヨは壺」の拡大解釈をした使われ方が広まっていくと、
自民党とも宗教団体とも関連性が無いのに「白饅頭は壺」「暇空は壺」といった言論も出始め、嫌いな人を叩くための棍棒になってしまいました
無理やりな信者認定は2021年から既にVtuberに対して行われていた事を考えれば、こうなることは必然だったかもしれませんが…
いいたいこと一杯あるので箇条書きにしとく
・あの広告は、あくまで雀魂と咲-saki-とのコラボに関する広告。批判がYostarに行くならまだしも、原作漫画に行くのはそもそも筋が違うね
・駅に掲出する広告としてふさわしいかの議論はあっていいと思う。個人的にはやるにしてももっと穏やかなやつを使ってほしかったね
・尾辻議員はあくまで思ったことをつぶやいたのだと思うが、野党側の前衆議院議員でLGBT公言しているという立場を考えると不用意だったね(批判的な人間の餌にされるだけだし、よりによって女性同士の恋愛関係が当たり前にある咲-saki-)
・尾辻議員の批判者も、ここぞとばかりに尾辻議員の言ってないことを拡大解釈し、表現規制派や萌えフォビアの暴論という文脈で各所に放火しまくってるね。卑怯者だね
・もへもへとかあの辺の界隈が特にそうだね。そいつをRTしてるフォロワーがいたら即ブロックだね
・一方彼女のその後の対応は、批判者、賛同者にそれぞれ対立する燃料を与えて、自分の手を汚さずに燃やそうとしているね。卑怯者だね
・国政復帰を目指す立場であれば、個人としても政治家としてもどう思うかをはっきり伝えるべきで、その結果起こる反応に対しては真摯に向き合うべきだね。それが出来ない時点で国政復帰は無理だね
・もちろん、脅迫者に対して向き合う必要はないけどね。そっちは警察に粛々と通報するといいよ
・ところで、なぜ広告としての議論から、咲-saki-という作品そのものの議論に移ろうとしているの?賛同者を背中からマシンガンで撃つの好きなの?そんなんで国政復帰は絶対無理だよ
・尾辻議員の賛同者も、脅迫に対することへの非難はいいけど、尾辻議員のそういった行動を諫める言動があまりみられないね。こういう時こそ甘やかすべきではないと思うよ
・目立ってるやつら、ほとんど雀魂にも咲-saki-にも興味のない奴らばっかりだね。勝手に宣伝してくれてありがとう
・咲-saki-はスピンオフ各作品含めてとても良質な麻雀漫画です。絵だけみていては見失うものがたくさんあるので、ぜひ原作、アニメ、実写映画にも触れてください
・今回の雀魂コラボでも、部キャプ描写が全開で唇をかみしめています
【追記】
結構な反応あって驚きだよ!
まず謝んなきゃいけないのはファンの癖にSが小文字だったことね。正しくは咲-Saki-です。戒めのためそのままにしておきます。
しっかし腹立つのが、トラバにある染谷まこファンなんているわけねえだろってコメントよ。んなもんいるに決まってんだろ!
どうしたら信じてもらえるの?咲-Saki-オンリーでbolze.が出した部まこ本2冊(折本とオフセット本)とも現地で買って持ってるっていえばいい?
オフセット本の方は中古買取25000円になってるの見たことあるけど、100万って言われても売る気ないよ?
その他ブコメにも反応の中に気になったものがいくつかあったので答えるね。
jou2 批判すべきは「広告の掲載許可を出した施設」の方で、広告出した所でも原作でも無いと思ってる。それはさておき、咲シリーズは雀荘メシと咲日和が好き
Yostarに行くならまだしも、としたのはYostarに行くのも筋が違うと思ったからなのよね。自分も施設側に問うなら行動としては理解できる。
まこメシは早々と終ったのが残念だけど、連載してくれただけで感謝してるし、久まこ美穂子のいいトライアングルな回もあったのもよかった。
咲日和ともどもネタ出しは大変そうだから続けるのは難しいのかなあ。
Helfard フォントカラーを変えてもリンクがあると黒くなってしまうという知見を得た
はてな記法に自動キーワードリンク停止記法ってのがあって、[][]で自動リンクする単語を囲むと停止されるはずなんだが、これは他の記法やHTMLタグとかち合うとうまく機能しないらしい。
キーワードになりそうな場所を囲ってみたが改善しなかったから不格好だけどそのままにした。
mayumayu_nimolove イーロンが最近トランプにケツ突き出してる女の風刺画ツイートしたけど同じだよね。増田はイーロンの投稿見た時なんて感じた?対象が興味あるものとないものだとかなり印象が違う事例だと思うよ。
僕はイーロンマスクが嫌いです。ついでに言えばトランピストも同様です。イーロンがやることについては正直興味がないのでそのツイートをしたことすら初めて知りました。
文字みただけで不愉快になるので今後自分から見に行くこともしないです。
Twitterで彼が好き放題やっているのも、昔いた会社でワンマン社長に振り回されてメンタル壊したことを思い出すのでたまったもんじゃないですね。
www6 前半「個人の感想かよ…」後半「個人の感想かよ!」
ぐうの音も出ねえ…
mito2 そういや、「作者女性なのに」って言ってるのを見かけたけど確定したの?
それ、この騒動を遠めにみてる咲-Saki-ファンが特に笑ってるところじゃないかな…
tomoP 全部正しいこと言ってる。特に後半。特に最後。
同志よ。他に部まこ派といってくれた人も心強い。
S_Maeda “竹井久の本妻は染谷まこです” ??「どうやったらこんな思想になるのでしょう?部キャプが嗜好だっていうのは明らかなのに…
teraph 染谷先輩はまこ飯でモブ男子に告白されて嬉しそうだったしノンケでしょ(着火) 部キャプ派かつ京咲派です。
咲のど派でもあるので、君とは分かり合えないが否定はしないよ。
その他部キャプ派の方多くいるようですが、僕は他のカップリング推しを排除したいなんて思ったことはないからその程度の付け火なんて屁でもないさ。
とかいいつつ薄荷屋の同人誌を1冊も買わないことでささやかな抵抗心を示しているよ。スロウスタートは好きだけどね。
Windfola 「良質な麻雀漫画」ここは全力で釣りに行くスタイル
そんなつもりはなかったんだけどなあ…「良質な漫画」といっても引っかかるならすみません…
satomi_hanten え、良く分かんない福路美穂子派閥と染谷まこ派閥があるの?(5chとかは見ないので分からん)。僕は・・・悩むな・・・。どっちも良い・・・。/ あ”?能力モノも面白いだろ!(少年雀鬼 東など
竹井久のお相手には、恐ろしいことに加治木ゆみ派閥という第3勢力もあり、主に東横桃子(及びかじゅモモ派)からの妨害を食らっているともっぱらのうわさ。
広く見わたせば国広一派閥もあるとかないとか。
能力物も面白いよね。咲-Saki-は能力者(とされる人)に、非能力者(とされる人)がしっかり立ち向かうから好き。
tori_toi 咲、アニメ化された分は好きだけど、ここ最近のキャラの爆乳化は一般漫画の枠に入りきらなくなってる気はするよ…正直。作者が描くの辛そうなのも見ててつらい。
大星淡とかね。あの辺は先生の手癖なんだろうけど、好きなように書いていいんやでと思う一方で、程ほどにしてくれやと思う気持ちもある。
単行本の書店特典だとさらにリミッター外れてるところがあるので、おとなしめの所でしか買ってないです。
swampert260 咲-Saki-警察だ!Sを大文字にしろ!/私も十年来部まこ派です
マジごめん。そしてありがとう。
id:ruin20である。自分のIDが出ていたのでいっちょ噛みしておこう。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
元増田が無知なのか無知を装ってるのかは知らんが、アイちゃんが選ばれたのは『たわわ』のシリーズヒロイン、つまりは『月曜日のたわわ』を象徴するヒロインだからだ。
本シリーズは、Twitter上で、「月曜朝の社畜諸兄にたわわをお届けします」と銘打たれて始まった。当初は巨乳少女の水着姿が中心だったが、33回目にアイちゃんが登場する。それまでいいねは1万前後だったがアイちゃんは2回目の登場で2万いいねを稼いだ。作者も(アイちゃんを)「ちょっと気に入った」と述べており、アイちゃんを連続して描くようになる。2回目、あるいは3回目にはぼかしながらも「相手」が登場し、4回目にはスーツ姿の男性らしき人物がアイちゃんの視線の先に現れるようになった。
このように、アイちゃんはシリーズにおいて始めて連続して登場した少女であり、シリーズ飛躍のきっかけになったキャラクターであり、元々はただの巨乳少女を描くだけだった本作に「たわわな女の子と男性」という二者間の関係性を描写するという枠組みを導入したキャラクターなのだ。人気アンケートを取れば当然1位になるだろう。歴史的にもコンテクスト的にも人気的にも『たわわ』の顔であり、だからこそ広告にも登場した。「電車の中で会える女子高生だからアイちゃんがおすすめ」というまとめ方は本質を外していると言わざるをえない。私はここでハンロンの剃刀ということわざを思い出すべきだろうか? 難しいところである。
元増田が無知なのか無知を装ってるのか気になるところは他にもある。
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
上記の根拠として元増田はリスク認知について持ち出している。一定納得するところもあるが、リスク認知が文化的影響を受けるというなら麻薬に対する不安レベルがアメリカより日本の方が高くなるのは明らかにおかしい(当該論文の図4)。レイプの発生件数や発生率はアメリカやイギリスなど先進諸国とくらべて日本が圧倒的に低いと統計的に明らかになっている(※1)が、本邦フェミニストは日本が欧米に遅れた性犯罪大国かのように喧伝する。アメリカに比べて麻薬がまったく社会問題化していない日本の方がそのリスクを感じていたり、レイプ統計を合わせて考えれば実態を伴わないイメージだけで過大にリスクを感じているだけではないのか。
また、元増田はまったく無視しているが、歳を経るごとに『たわわ』に対するイメージが悪化していくのは、若い人ほどオタクに対する偏見やネガティブイメージがなくなっていくからだという点を見逃してはならない。オタクはもともと蔑称であり、宮崎勤事件を頂点に変質者・犯罪者予備軍として社会から差別されてきた。この事件は今40歳であればだいたい10歳ごろにそれを経験している。リスク認知に文化的影響があるというならオタクに対する偏見が社会に満ちていた時代を経験した世代かどうかを無視してはならない。
2010年に行われた調査では10代女性の50.9%は自分がオタクだと回答し、35~39歳の女性は17.6%に過ぎなかった。同調査においてオタクに対するネガティブイメージは10代だと29%だったのに対し、35~39歳は40.5%だった(※2)。自身がオタクである割合が増えればオタクに対するイメージも良化する傾向にある。別の調査元ではあるが、2020年の調査では自分がオタクだと回答した10代女性は86%に増加している(※3)。これらを踏まえれば「40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていない」はむしろ正と言える。
「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
これもありふれた理由付けである。誰かの個別的体験に配慮して表現を規制するのであればあらゆる表現が規制されねばならない。表現規制しろとまでは言ってない、と言うのだろう。しかしこれもいじめではなくからかっただけ、と同じで攻撃者が好むご飯論法だ。
誰かの権利を抑制しようとするとき、そこにはフェアネスが必要だ。オタクや萌え絵を攻撃する連中にはそれがない。
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
元増田は上記ブコメに感銘を受けたようだが、俺に言わせれば萌えフォビアのフェミニストにこそ信頼が置けない。月曜日のたわわ、温泉むすめ、宇崎ちゃん、境ホラ、のうりん、人工知能学会表紙エトセトラエトセトラエトセトラ。連中はいくつものコンテンツを燃やしてきたが、それを批判されると反論するのではなく論点を変えてやり過ごそうとする。たわわも最初は公共の場にふさわしくないという話だったが、日経新聞というブランドでやったことが問題視され、次は「見たくない表現に触れない権利」などというものが持ち出され、どちらも論破されると「日経新聞はUN Womenのアンステレオタイプアライアンスのメンバーだから守るべき」という話にすりかわってそれも論破されると元増田のように「講談社の意図が気になる」みたいのが出てくる。もはやいたちごっこであり、誠実さの欠片もない。広告だったことが問題なのであれば何故たわわ以外のコンテンツを燃やしたのか? 主張の一貫性などどこにもない。たわわのような表現によって性犯罪が増えるという統計的裏付けがあるならまだしも出てきたのがたわわのような表現があると不安になる女性がいるから、とか言うんだから話にならない。
萌えフォビアのフェミニストにフェアネスがないのは、ananSEX特集の駅ナカ広告や宮崎県日向市のCMをスルーしたり擁護したりすることからも指摘できる。これを引き合いに出すと決まって必ず「Whataboutismだ!」などと吹き上がる連中がいるのだが、ここで問題にしているのは社会を背景に表現を批判する者が持つべきフェアネスと一貫性である。萌えフォビアのフェミニストがオタクコンテンツを燃やすとき決まって必ず社会性をまとう。私が気に食わないからという理由で攻撃しても誰もついてこないからだ。だから「公共の場所に性的と感じられるコンテンツを置くべきではない」という論調になるが、それであれば渋谷駅の駅ナカで展開されたananのSEX特集の広告など真っ先に批判されるべきだろう。しかしそれをやってるフェミニストは見たことがない。けっきょく「私」が気に入らないから攻撃しているに過ぎず、それであれば「私はそれが嫌いだから私の見えないところにそれをやれ」と言われた方がよほど誠実に感じる。
フェミニストにフェアネスと一貫性があってもっと信頼感があれば言うことを聞く人も増えるだろう。だが今はその対極にいる。その事実をまっすぐに受け止めた方が良い。
※1:https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_1_3_4_0.html
いつもならイラストに難癖をつけるところなんだろうが、今回はケチのつけようがないためパネルに記載されていない(宿先で見ることができない)プロフィールをネタに燃やそうとしている。
この時点でおかしいだろう。萌えパネルが気に入らないとしても「not for me」で済ませればいいものを、わざわざ公式サイトをつぶさに見て、何か燃やせる要素がないか探し、プロフィールに狙いを定めたのだから。フェミやリベラル界隈がふだん吹聴してる「多様性」なるお題目は「私たちの権利だけを認めよ」というエスノセントリズムであって色んな人の色んな権利を認めようということではないとよく分かる。
しかもフェミは、2021年11月現在120名ほどいる温泉むすめの一部のプロフィールをことさらあげつらっているにすぎない。
まず、120名のうちほとんどは穏当なプロフィールであることを確認しておきたい。フェミはそのうちのわずか数名を強調することであたかも温泉むすめ全体がそうであるかのように印象操作している。同時に、わざわざそんな数名のプロフィールを抜き出せるほどに公式サイトと調べあげ瑕疵を探したとも言えるだろう。なぜそこまで執念を燃やすのだろう? それはただの萌えフォビア、オタクフォビアではないのか?
そして決定的なのは、温泉むすめプロジェクトが日本全国の温泉地や地方都市の魅力を国内外に発信するために作られた「地域活性化プロジェクト」であり、温泉むすめは人ではなく土地神であって、それぞれの土地の伝説等に依拠してキャラがつくられていることへの無理解だろう。
スカートめくりが指弾されている定山渓泉美は、その名の通り定山渓温泉の温泉むすめだ。プロフには「河童伝説からイタズラが好きなむすめ」とある。定山渓温泉といえば河童伝説であり、河童といえばいたずら好きと尻子玉だ。スカートめくりはそこから来ているのだろう、と容易に推測できる。定山渓泉美のキャラデザも広いデコは河童の皿だろうし、基調カラーが緑なのも河童を意識してのことだろう。
夜這いネタが指弾されている小野川小町は小野川温泉の温泉むすめ。小野川温泉といえば小野小町が偶然発見したことが開湯の由来になっており、「小野川」がそもそも小野小町に由来する。小野小町といえば美女として有名だがそれにちなんだ後世の創作として「百夜通い」がある。深草少将の求愛に「百日通えばあなたのものになる」と返したという伝説だ。「今日こそは夜這いがあるかも」という小野川小町のプロフィールはその伝説に依拠している。
肉感もありセクシーで叩かれている和倉雅奈は和倉温泉の温泉むすめだ。和倉温泉といえば織姫で、織姫といえば大国主と少名毘古那(スクナビコナ)をもてなした人物として知られる。プロフィールにある「スクナヒコの晩酌に付き合う」はそれに依拠している。キャラデザもショールを羽織っており、これも織姫の羽衣に由来するものだろう。「肉感もありセクシー」というのは織姫由来の美女表現の1タームであり目くじらを立てるようなものでもない。
このように、フェミが叩いている温泉むすめのプロフィールもオタクに媚びるために適当にでっち上げたものではなく、日本全国の温泉地の「地域活性化プロジェクト」として、それぞれの土地のそれぞれの伝説から丁寧に組み上げたものに他ならない。キャラクターやそのプロフィールを通して温泉地の伝説や温泉地のことに興味を持ってもらおうという試みを、フェミの視点のみで切り取って攻撃することは妥当だろうか?
そういった知識も理解しようという姿勢もなく、関係者の努力に対する敬意も当然なく、自分たちが嫌悪するものを叩ければそれでいいという態度は多様性に対する理解の欠如であり、まさに「エスノセントリズム」、まさに「フェミニストイズム」に他ならない。
一部フェミの萌えフォビア、オタクフォビアは本当に目が余る。やっていることが「女性の権利拡大」ではなくミサンドリーの発露であり、自分たちが気に入らないものに「性差別」「性搾取」とレッテルをはった徹底的な攻撃だ。そろそろいい加減にするべき時だろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1424539
「メンズ」のニュアンスがなんjにおける「ちん」とか「まん」な感じで
聞き方は別にして店員にオーダー確認しただけで「自分の方がカロリー摂取できるという傲り」とか言い始める奴とそれに乗っかってバカにする囲いって全員ガイキチじゃない?
みたいな苛立ちを生じた。コミュニティ内でのルール(今回は呼称やノリ)をどうこういうつもりはなかったので、いっそ見なければよかった、と思った。
ノイズと言うか絵柄が強すぎとは思った。あくまでも個人の印象。
あたしンちくらい(絵柄に上下があることを言いたいのではない)ならそうは思わなかっただろうな、と。
萌えフォビアらしい(と私が勝手に思っているに過ぎない)人物には良い印象を持たないので、強すぎるフォビアに生長しないよう注意しなければ、と思った。
白人至上主義者に有色人種を見せると理性を失わせ、過度に攻撃的になり、わけのわからないことを主張するように追い込む効果があることが明らかなため、有色人種は有害である。
在特会に在日韓国人を見せると理性を失わせ、過度に攻撃的になり、わけのわからないことを主張するように追い込む効果があることが明らかなため、在日韓国人は有害である。
ホモフォビアに同性愛者を見せると理性を失わせ、過度に攻撃的になり、わけのわからないことを主張するように追い込む効果があることが明らかなため、同性愛者は有害である。
萌えフォビアに萌え絵を見せると理性を失わせ、過度に攻撃的になり、わけのわからないことを主張するように追い込む効果があることが明らかなため、萌え絵は有害である。
連中がやってるのは自分が気に入らない表現をただ叩いているだけでそこに正義などありはしない。なのに社会一般から見てこれは公共の場で許されない表現! などと理屈として成立しないこじつけをしながら叩くから反発が大きくなる。
ただ単にお前が気に入らない表現というだけだろ。なぜ素直にそう言えない?
もちろん理由は単純。理屈をつけないと広く支持を集められないと思い込んでるからだ。ただのこじつけにすぎないから支持など元より集められないのに近視眼的になっているからそんなことも理解できず理屈にならない理屈をこねる。
萌え絵化された駅乃みちかを一般人が見てヨガり顔だと思うだろうか。ブレザーを着てるにもかかわらずおっぱいがデカいと思うだろうか。スカートが透けてると思うだろうか。
答えは何とも思わない。
そう読み解く目がないし、そもそもそんな細かいところまで見ていない。
なのに一部クレーマーがメトロに凸って表現を変えさせる。自分が気に入らないことを公共ふさわしくないと言い換えて。
1950年代には悪書追放運動が沸き起こり、マンガが叩かれた。
一部クレーマーは自分の理解できないもの、嫌いなものを社会のためと言いながら徹底的に攻撃する。そこにはあるのは自分が嫌悪するものを社会から消し去りたいという下卑た欲望だ。
叩くことそのものが目的だから「美おっぱいグランプリ」を擁護しながら駅乃みちかを叩くという無理筋なことさえしてしまう。
クレーマーは「美おっぱいグランプリ」が「女性目線」だからセーフという。おっぱい=エロへの批判だからセーフという。女体に関して、女が自ら主導権を握っていればセーフという。
ではなぜ主催者は新聞社を集めて撮影会などしたのか。写真が表に出れば男性視線を向けられることは避けられない。女性が女性のために自らのおっぱいを誇るだけであれば報道も写真もいらないだろう。むしろ報道によって写真が表に出ればそういったコンテクストは失われ、おっぱいは性消費物に堕する、と思うのだがそういった批判はフェミニストからなぜか聞こえてこない。むしろ駅乃みちかがダメな理由として引き合いに出される始末だ。
「美おっぱいグランプリ」をエロ目線で見る男が悪いということか?
「美おっぱいグランプリ」がニュースサイトで報じられることは男性に対するセクハラだと考えたことはないのか?
あるいは「Fカップにマギーが思わずおさわり 」という見出しになぜ怒らないのか。これは純然たるセクハラではないのか?
しかしフェミニストは駅乃みちかを叩いて「美おっぱいグランプリ」にまつわるエトセトラは叩かない。
そこにあるのはけっきょく女性の尊厳を守りたいといったことではなくただの萌えフォビアである。
となどと
3次元の水着女性のグラビアに欲情するのは、普通のスケべな性欲だと思うけど、
萌え絵はオタクの欲望に応じて、オタクの理想通りに作り上げられた、非現実の女性だから。
オタク差別ではありません。
以下のエントリが参考になるであろう
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070615/1181838818
たまごまごごはん - オタ会話の中にある、キャラ独占欲とキャラ共有感
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070619/1182190585
以前「俺の嫁」発言は面白いなあ、と思って記事を書いたところ、多くの意見をいただき非常に興味深かったです。
その中でも面白いなあ、と思ったのが、この用語を見て「独占欲」と感じる人と、「共有感」と感じる人がいたこと。コレ別に言葉の意味的にどちらが正しいとかじゃないんですよね。
どうも、少し前のネットでの使い方と、今の開けた使い方のギャップが大きいようです。
萌えフォビアならそのまま突き進んでいって