仁藤夢乃の異常な萌えフォビアと、彼女が流してきた数々のデマと暴言に比べれば、近藤顕彦のミソジニーは比較的控えめと言えるんじゃないかな。「どちらも酷いのだから比べるものではない」と言われれば、そうかもしれないが。
フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー男性の持つミソジニーというものも、ゲイ男性の持つミソジニーと同程度には、シスヘテロ男性の持つミソジニーとは区別しながらも丁寧に語る必要はあると私は思う。無視しないで、向き合うべきだとは思う。でも、「それができる状況じゃないな」とも思わされるんですよね。あなたたちを見ていると。
私は、仁藤夢乃がどれだけの人々を傷付けてきたかを考慮したとしても、colaboは立派な活動をしてきたと思うし、それとこれとは別として評価すべきだと思っている。彼女を批判すべき文脈があったとしても、それと彼女の業績を結びつけて批判すべきじゃないと思う。
私としても、近藤顕彦の言動について、賛同できないと思うことも、何なら腹が立つと思うことも、いくらでもある。それでも、彼がフィクトセクシュアルを公言して、少しでもその地位を向上しようと、彼なりに考えて行動していることについては、私は彼を尊敬している。彼を批判すべき文脈があったとしても、それと彼の業績を結びつけて批判すべきじゃないと思う。
そういうことを、お互いに考えていきませんか。