はてなキーワード: 自殺願望とは
生きている世界が違うんだからさ、一般的な感覚を考慮した内容にならないことなんて分かるじゃん。
なんか有名人に対して夢見過ぎだよなって思う。
「あの人有名だけど私達の気持ちもわかってる!好き!」
とかヤバイだろ。
本田氏のツイートの言葉尻をとって発狂している奴って、普段から周りの発言に耳をかたむけて、
なんかあったらやたら権利ばかり主張してウザそう。
弱者を虐げたー!ひどいー!燃やせー!
デビルマンみたいになりそう。
話が飛んだ。
「ひどい!もう死ぬ!」
って騒ぐ前にさ、周りの人間が
「ひどい!ねっ?ひどいよね?!自殺した人、しようか迷っている人を侮辱しているよね?ねっ?ひどいよね?!」
大騒ぎ。馬鹿なんじゃなかろうか。
寛容が大泣きしてるよ。
「居場所が無い」って。
鬱を患ってこれを読んでいる人もいるかもしれません
ただここで一つ強く言っておきたいのは個人個人によって適切な対処は違うと言うことです
ここに書かれていた対処をしたからと言ってうまくいかないこともあるでしょう
参考記録としてでも聞いてください
私は第一志望の大学に落ち、滑り止めに受けていた遠くの大学に進学します
初めての一人暮らしということもあり少し気持ちは浮ついていたような気がします
そこでは店長の理不尽な文句に腹を立てながらも同じバイトの人がいい人だったので続けていました
そんな中私の元彼女が、私と付き合っていた頃にすでに二股をしており、私を彼氏と笑い者にしていたことを知ります
よくわからない感情が込み上げてきて、テスト勉強をしていたにも関わらず1週間ほどあった期末試験を全て休みました
寝ようとするとどうしてもその元彼女のことが頭をよぎり眠れない日が続きます
起きているときは何か別のことを考え続けていればそのことから逃れられました
寝ようとして頭を空っぽにした瞬間そのよくわからない感情がわきあがってくるため、眠さの限界が来た時に気絶するように眠っていました
ご飯も食べる気が起きず、このままだと死ぬなぁ、それはやだなぁと思った時に食べるのみでした
3日に一回ぐらいの食事はとても疲れるもので、食べることが嫌いになりました
もともと吐きやすい体質だったのもあり、度々戻していましたが3日に一回しかない、苦労して飲み込んだ食事を吐き出してはいけないと思い、口腔まで上がって来たものをまた無理やり反芻してました
陰鬱な気分は当然心地いいものではなく、好きだったことをして気を紛らわせようとしますが、以前は大好きだったことがこの時はまったく楽しくありませんでした
高い学費を出してもらっている以上行かなきゃならないという義務感から講義開始から嫌々数日は通いました
自転車通学だったのですがペダルを漕ぐ足に鉛が乗ったかのように重くなり動かなくなります
そもそもろくに食べていなかったため当然だったのかもしれません
家に引きこもり、バイトの時だけ外出をし、ご飯もその時に買ってきたもので済ませていました
このままじゃいけないという思いと、それでも何をする気にもならないという思いがぶつかりあい続けていました
自殺願望もありましたが何をする気にもならないという気持ちにまだ押されていました
そんな中このままじゃだめだいつか死んでしまう、逃げようと思い、親に連絡を取ります
今から帰っていい?という私のなんとか涙まじりに絞り出した言葉にただならぬ気配を感じ取ったのか、理由も聞かず、良いよ、迎えに行ったほうがいい?と返答してくれました
その親の答えを聞いてもなお、他人に迷惑をできるだけかけたくないと思っていた私は自分で帰ると言います
バイト先に急用が入ったとだけ連絡し帰ると、駅まで親が迎えに来てくれていました
好きだった人に裏切られたこと
バイトが唯一自分を必要としてくれているように感じて、店長が嫌いでもやめられなかったこと
死のうと思ったこともあるが死ぬ気力も出ないこと
他の細かいことも伝えました
親は何も言わず相槌をうってました
違うところといえばかろうじて出て来たやる気をふり絞らずともご飯が三食出てくることでした
様々な検査を受けました
そこで自律神経失調症、それに付随する症状を診断されました
精神だけでなく、肉体にもガタが来ているとのことで入院措置を取られます
寝て起きて寝るを繰り返す私の生活自体は何も変わりませんでしたが、大学とバイトを休んでいるという罪悪感からは入院を理由づけすることで解き放たれた気がしました
退院した後は大学の学期が始まるまで実家で休み、始まってから自宅に戻りました
雨が降っているときや、大学に行かなきゃという義務感に駆られた時点で大学に行くのはやめ、大学に行こうという気になった時だけ行ってました
この頃にはカウンセリングや、すでにもう一年休んでいるのだからここで半年増えたところで変わらないという思いから、罪悪感なしに休んでいました
こうして時が経つにつれ大学に行こうと思う日も増え、今ではある程度通えています
私が今思い返してありがたかったのは、親が自分に特に何も言ってこなかったこと、しかし私から何か話しかけたときは手を止めて対応してくれていたことです
あなたは一辺があなたの身長よりちょっと大きいぐらいの立方体の中にいます
ストレス耐性がある人は一辺が身長より割と長いかもしれませんし、ストレス耐性がない人は身長ギリギリかもしれません
この中に何か嫌なことがあるたびに水がたまっていきます
定期的に排水もされますが、これも人によって期間や量が異なってます
排水がうまくされなかったり、排水よりも速いペースで水がたまって足首まできました
ここまでならまだ普段と運動能力も変わらず自由に動ける気がします
じゃあまだ大丈夫だと思っているうちに水位が膝まできました
運動能力は制限され、水がない状態と比べ動くのに体力を使います
胸まで来るといよいよ動くのが難しくなってきます
水によって体温が奪われて行くという、不安によって不安が生まれる悪循環も発生します
口元まで来るといよいよ水で立方体がいっぱいになるのも近いです
頭まで水が来ても顔を上にあげて立ち泳ぎをすればまだギリギリ息はできるかもしれません
しかしこうなったら体力が尽きるのが先か、水で満たされるのが先か、酸素がなくなるのが先かという状況になってしまっており、どうにか排水をするしかありません
逃げて別の方向に進むことで私はどうにかなった気がします
本当はなってないのかもしれません
返信が遅くなりましたが。
整理して書けなくて悪いのですが。書きながら順番が前後しました。
去年の11月頃から、月に1-3回、一回につき2.5時間-5時間のペースでイベント会社でアルバイトしていました。(ただ、3月までやってみて、そのイベント会社は、もう辞めた方が精神衛生上いいかなと、という風に感じています。)
また、週3程度の職への応募も先月から始めていますが、ストップは掛かっていません。
4月から新たに、軽作業のバイトに切り替えて、先日1日働いてきました。
それほど、職場環境が悪くなかったので、前向きな気持ちになれました。
私としても、「最初は無理にでもやろう」という気持ちと「悪化するのが最悪、何の為に療養してきたのか?」という両方の気持ちがあります。
じゃあどうするのか?っていうと、まず考えられるのは生活保護。
年金暮らしの親族(母親)から、去年の秋より送金をしてもらっています。
ただ、月々の健康保険料や家賃・光熱費・通信費で仕送りの8割ぐらいが経費として出ています。それまでは、幾らか手元にある貯金を崩したり、なんだかんだで、なんとかなったのですが。
親にも呆れられていて、もう、お金送らないから、下旬まで耐えなさいって言われているところです。
→いまここ。ここの部分を切り取って、書いたのが元増田の状況です。
なので、私に必要なのは、家計管理というか、きちんと身の丈に合った生活を送るということなのでしょう。
家計簿をつけるとか。節約のために、安価で栄養の良い調理方法を身につけるとか、スーパーは割引の時間帯を狙うとか。
ここ1年半程は、生きる気力がなかったです。
仕事を休む・辞めるとか、言うときも、自殺願望というのですか。未遂まではしていませんので、さほど重症ではないのかもしれません。
通院を真面目にやってさえいればなんとか、なるのかな、ぐらいに2年前には考えていました。
(職場を辞めた後、一月以内にハローワークで、手続きを行えば、失業手当の受給資格の延長が出来たようなのですが、もう、1年半が過ぎました。自分でも治療にこれだけの期間を要するとは、夢にも考えていませんでした。)
制度の利用について。
2年ほどから、自立支援医療(精神通院医療)の適応は受けています。
『増田さんは、精神医療への通院実績が1年あり、休職もされているので障害手帳の等級で言えば3級への申請が出来ますよ』
と言われたことがあります。
死の実感がほしい。
情けなくも30近くにもなって、死の実感を抱いたことがない。
そもそも人の生死立ち会った経験がない(幸せなことなのだろうが…)
私は死のイメージができていないので、死ぬのが怖いという実感がきわめて薄い。なんてことよ。
こんな私でも物心ついた頃に「死んだらどうなる」について一日中考え、泣き喚いたことがある。
その時の最大の不安は「自分が死ぬこと」よりも「母が死ぬこと」だった。
しかし成長した今、母が死ぬことについても「まあ仕方ないよね」くらいの印象しかない。
恋人や友達や自分に対しても「まあ仕方ないよね」とかいって納得しちゃってる。
死ぬのが怖くなったら今生きてることや他人を大事に思えるのか。
私はずっと寝たように生きてないか?
「死の恐怖」で検索すると「克服ふる方法」系の結果が多く、「死の恐怖を知りたい」なんてページはほとんどない。
保守的に生きてきた代償で、生きててよかったと本気で思った経験なんてほぼない。
死ぬのが怖くなりたい。
自分の日常にはわりと満足してるけど、これが一生となるならぞっとする。
まだ若いだけか?それなら尚更、早くケツに火を着けたい。
どちらも「死にたい」という点で同じ意味を持つが、自殺願望は自ら命を絶ちたいと願うことで希死念慮は自ら死ぬ気はないが何かの拍子に死んでしまいたいと思う気持ちである。
たしか中学2年の頃からだったと思う、自分には希死念慮がある。
希死念慮という言葉の響きがあまり好きでないので、自殺願望と比べる時以外は「死にたい気持ち」という。
(何となく漢字の「希」や「念慮」という言葉に違和感があるのと、感情の表現はより平易な言葉を使ったほうが想像しやすいからだ。)
「死にたい」
他人が聞けば何となくあんな感じかなと思うかもしれないが、自分にとってそれは何となくなどではなく手にとって形や大きさがわかるほど、一つ一つ凹凸や歪みがわかるほど鮮明に自分の中に在る。
中学2年といえばスポーツも勉強も多少暴力的なほどのスピードで学習する時期だ。
当時ちょうどアメリカにいた自分はそれと同じくらい暴力的なスピードで「沈黙」を覚えていった。
最初からそこにいたのかもしれないし、舞っていた塵がゆっくりと沈み形作ったのかもしれないし、最初はそこにいた違う感情が色を変えてしまったのかもしれない。
今となってはどうやってそれが自分の中で形作られたのか覚えていない。
それはちょうど手がかりの少ない歴史の一事象のように不確定さと推論をもって自分の中に在る。
「死にたい気持ち」に気づいてからは、ただずっと自殺願望と希死念慮と忘却を行ったり来たり。
忘却は決して長くは続かず、それが自分の内から来ているものだと裏打ちするようだ。
今となってはむしろその感情以外に自分を自分たらしめるものなどないのではないかとさえ思う。
「人間は必ずどこかに致命的な矛盾を持って生まれる」これは自分の好きな言葉の一つだが、死にたいと思う感情が生きている自分のアイデンティティなんて神はまったく皮肉な矛盾を与えたものだ。
自らの持つ毒で死ぬ蛇のように、数学という学問に刺さった不完全性原理というトゲのように、私はそれを愛している。生きなくちゃいけないという苦しみ以外は。
10代や20代前半はなにかと向上心があった。
綺麗になりたいとか、賢くなりたいとか、スキルつけたいとか、精神的に強くなりたいとか、
実行できたかどうかは別にして、向上したいという気持ちは常にあった。
だから、無駄なく時間を使いたいと思ったし、なにはなくとも日々充実がしていたと思う。
20代後半になってから、向上心がないわけではないが、面倒くさい、ゆっくりしたいとか、
だから、今後生きていくことに対するメリットというか「良さ」が見いだせないでいる。
生きてても結構辛いことたくさんあるよなーって。
逆に幸せなことってそんなにないよなーって。
ああ明日も仕事で嫌だとか、老化していくことへの絶望とか、この後生きてて楽しいのかな?という疑問がすごくある。
楽しいことに目を向けるようにしてみても、
なんか辛いことにフィルターをかけているような、
そんな無理やり幸せ感じてどうすんだよ的な気持ちがむくむくと湧き出る。
そのくせこんな気持ちになるのが早すぎるというか、まだ20代後半なのに今後大丈夫か?という不安もある。
50代後半くらいなら、後は楽して楽しく生きようもありだって思えるのかもしれないけど、
いやまだ寿命までいきるとしても折り返しもまだ先なのに、って焦る。
どうやって生き生き生きてんだよ。
いきいき人生ってなんだよ。
http://www.afpbb.com/articles/-/3089875
最も入手しやすい抗うつ剤は、深刻なうつ病を患う子どもや10代の若者に対して効果がなく、一部は安全でない恐れもあるとする研究論文が9日、発表された。
英医学誌ランセット(Lancet)に掲載された論文によると、有効成分を含有しない偽薬と比較した際、より高い抗うつ作用がみられたのはフルオキセチンのみだったという。
一方、ベンラファキシンは、偽薬や5種類の他の抗うつ剤と比べて、自殺願望や自殺衝動のリスク増加と関連性があると指摘した。
さらに、これらの薬剤が若者に及ぼす影響について適切に計画された臨床試験が十分に行われていないと警告。国際研究チームは、若者が抗うつ剤を服用する場合、特に治療を開始したばかりの時期には、薬の種類を問わず若者から目を離さないよう勧告した。
何かにつけて頭が悪いけど、息子として許容してきた
「こんなことしてあげてる私は偉い」と悦に入っていただろう
僕が自殺未遂した時もめんどくさそうな表情をした
入院した時はさすがに心配してくれたが、原因が何かは聞かなかった
僕の発達障害にも気づいてはくれなかったので、その後の人生でしなくてよい苦労をした
でも責めなかった
僕はそれを親孝行だと思っていた
その孫のプレゼントに、やたらと乗り物をプレゼントするのだ・・・
妹の住居はアパートの一室であり、置く場所もないし、遊ぶ場所もない
それを考えられない
さすがに三つ目となる今年のクリスマスプレゼントには、苦言を呈した
母は当然嫌な顔をしてふてくされる
あの人は何を考えているんだろう
いつでも遊べるおもちゃを買おうとは思わないのだろうか
深く考えることのできない人だった
そのため傷つけられることもたくさんあった
仕方ないからと僕は諦めた
でもその結果が、甥っ子にも行くのかと思うと
やはり精神的に殴らなければ成長しない人というのがいるのだし
現在28歳の男
最近、生きていることがどうでもよくなっている。
自殺願望はないが、生きていることに対して何の感情も得られない。
昨年の5月に新卒で入った職場は精神的に病んで、1年で退職。以降は転職活動をしたり、職業訓練校に通って現在に至る。
今年の2月からはアルバイトでスーパーのバイトをするようになった。大変な時もあるが、それなりに充実感はある。
積み残している本や、来週に行われるコミケにも行きたいとは思っている。ただ、もし行けなくても、そんな人生だったのだろうと割り切っている部分がある。
自殺願望はないが、職場にいた頃に同期からつるし上げに近いことをされ、一度だけ袋を頭からかぶって死のうとしたことはある。
今はそこまで踏みこむことはないから、生きたくもなく死にたくもないどっちつかずなのだろう。
いろんなものを得ても、手放しても、きっと何も感じなくなっているのだろう。
何も無いから、ただ惰性で生きてしまっている。自責の念も特になく、ただただ日々を過ごす。
だけど、このまま生きていても、何かが変わることはあるのだろうか。
これはあくまでも一つの可能性だし、私の勝手な憶測で書いていくが、あの事件は拡大自殺なのではないか。
植松容疑者が措置入院していたということは、精神障害なり精神病があったと医者から診断されたわけだ。そのとき彼は何を思っただろうか。
「障害者は死んだほうがいい」という思想を貫徹するためには、まず自分自身が死ななければならないのだ。彼は「それならば死刑になって死んでやる!」と考え、その自殺願望が犯行動機になったのかもしれない。
ところで、話はすこしズレてしまうが、政府の対策会議では再発防止策に「措置入院の見直し」が挙げられている。これは安倍首相がじきじきに提言していたし、読売新聞も社説でそのような主張をしていた。
私は見直しの是非について論じることはできないが、「措置入院をさせられたことこそが犯行動機だったのでは?」という可能性を思い浮かべてしまった。
措置入院は、確かにやむをえない処置ではあるかもしれない。けれども、犯罪をやりそうな者を予防拘禁するという部分もある。あれがまちがいなく人権制限であり、それを受ける側にとっては大きな負担だということを忘れてはならない。
昔の時代みたいに精神病院の環境が極めて劣悪だったり、患者への虐待が横行しているというようなことは、現代ではさすがに減ったと思う。しかし、監視カメラつきの病室に24時間施錠されて閉じ込められること、そして強制的に治療をされるということが当人にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。そのような経験をした人が何を考えるかと言えば、それが原因となってかえって社会への絶望と憎しみを募らせることだってありえるのだ。
また、「措置入院」というのがスティグマになっている可能性もある。措置入院の過去がある人に対して社会は偏見を向けるが、植松容疑者もその偏見を信じこんで、「俺はどうせキチガイだし人間失格なんだ」という自暴自棄な気持ちになったかもしれない。(彼はもとから障害者差別をする傾向をもっていたのだから、それがめぐりめぐって自分自身に向くことも容易だったであろう)
今となっては結果論でしか語ることはできないが、もし措置入院ではなく、大麻所持、殺人予告などでさっさと逮捕し、それを刑事事件として粛々と処罰しておけばどうだったろうかと想像してみたい。
そしてそれと同時に、精神科やカウンセリングの受診の方はもうすこし本人の自由意思を尊重し、措置入院のような絶対強制とは違った形でやらせていたらどうだったろうか?
その場合、上述のような問題は発生しないから、植松容疑者があのような凶行に及ぶことを抑制できたかもしれない。
このエントリーを何回も読んだ。マウンティングや、独身者をバカにしているような雰囲気を受けなかった。ただ、幸福の只中に存在して、感謝と未来への展望でいっぱいなんだろう。彼女の世界には全ての異端は存在しえない。なにせ、独身者という大きな主語すらも、彼女にとっては理解しえないものなのだから。
善悪じゃないんだろう。彼女の無邪気は私を酷く傷つける。自分の事情を語るのは無粋だが、私は同性愛者だ。漠然とした自殺願望は機能不全家族に組み込まれていたときから存在するし、それは実行を伴わない形でこれから先50年以上、深夜に縄を持って首に挨拶しにくる。結婚はしないのか。前に付き合いがあった彼はどうなんだ。子供は2人は産め。女は教養は要らない。お前は何もできないんだから、なぜお兄ちゃんよりも勉強ができるの。女なんて要らなかったのにお前が勝手にできた。お前のせいで私は何も自分のことができなかった。数年前までどうしようもないほどの底辺でもがいていた。救ってくれたのは現在同棲している彼女だった。
彼女は私の生きがいだ。これから先、何があっても、どんなことがあろうと守って一緒に生きていく。貯蓄のこと、税金、老後、収入、法律、保険、里親になるかどうかのこと。たくさん話し合って、寄り添っている。
だが、結婚できない。
厳密にいえばこの国では。どんなに経済的に余裕があっても、愛し合っても幸せでも、婚姻の紙を受理してもらうことすらできない。
事情を知ってほしいわけじゃない。
だが、もしこれを読んで、なんでもいい、あなたが何か感じることがあれば幸いだ。
そして母子ともに健康で、お子さんが「異端」であったとしても、あなたの正義で傷つけないで欲しい。
no offence.
and with love.
辛い上に孤独で死にたいって気持ちを無理に押し殺して生きてるので、
でっかいかさぶたを無理やり剥がされた挙句崖から突き落とされた気分だよ。
独身の人って生きがい何なの?
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
について
追記前の記事を見て「自分は意図するところを理解できたがこれは荒れるだろうな」と思っていたら案の定
予想通りのコメントも多くついていた。
追記も言いたいことを補完するのではなくどちらかというとオッカムの剃刀で除外されるような内容だったのも良くないのかも。
元増田が言いたいことはこうだ
・何が何でも生きていたい、生きていきたいと言う強い信念、生への執着が生じてこない事への事漠然とした不安(消極的自殺願望)
・それが結婚を、そして出産をきっかけに大きく変貌した(強い生への執着が産まれた事への喜び)
・目からウロコの経験をしたことで自己の大きな変化があったが、自分とは別のケースを知りたくなった。
→多分訊き方が悪い
追記部分で気になった、-というか確信に触れたと思った- 部分はここだ。
でも家族が出来て生まれたことに心の底から感謝できるようになった。小学生のころから持ってた上記の”消極的な自殺願望”が消失したのを発見して、ものすご~く嬉しくなった
これ本人はサラリと書いているが、心の奥底、魂の願望、-上手に表現できないが- に「生への執着、基礎的な産まれてきた事への感謝、消極的自殺願望の消失」を願っている自分が潜んでいて、
それが昇華された事に対する純粋な喜びを表現している。元増田が持つ奥深い根本的な願いが成就した幸福感が書かれている。
そして、みんなに訊きたいのは
・同じような境遇(消極的自殺願望を持っていて)で、それが解消されたような事柄が自分に起きたような事例を知りたい。
・そして出来れば結婚や出産をきっかけとしないもの(他例)を知りたい。
無意味に長くなったけれど私の例を。
・それでもちっとも不安(不満)を感じない、焦りを感じない。
・独身38歳、男性、女性にも縁はない、結婚の予定も候補パートナーもいない。
・年収は800~1000万(比較的多いのか少ないのかという知識はない、そもそも金銭にあまり興味がない)
・博愛主義で全くの他人、他国、他生物であっても幸せに暮らしている様子を知り、感情を同化させるような所がある。
・同等に悲しみにも同情してしまう。憎しみは遠ざけよとするタイプ
・解消されていないと書いたものの、それでも焦らない、不満・不安をそれほど感じないのはどこかで自分の命を燃やす日が来ると漠然と考えていて、それを信じているから(多分)
至って精神的、肉体的に健康だけど小学生の頃から「まぁ別に明日事故で不意に死んじゃっても苦しまずに死ねるなら別にいいかな〜」って思ってた。「生まれてきた意味?うーん分かんない、別に今人生楽しいけど、もし生まれてこれなかったとしたらそもそも生まれて来たかったって考える意識すらないんだから、そう考えると別に生まれて来て良かった〜!!とは別に言えなくない?」とも思ってた。
そんな意識が変わったのは結婚して一年が過ぎた20代後半の時。初めて思った。「生まれて来てよかった!!ママありがとう!私はこの人と幸せになるために生まれてきたんだ!」
次に意識が変わったのはつい最近、妊娠した時。「絶対、まだ死ねない!この子をまず健康に産むまでは、まだ死ねない!!」
で、思ったんだけど例えば30.40で独身の人って生きがいなんなの?仕事とか趣味?
no offense です。単純に疑問で是非教えてください!
●追記です●
独身を攻撃したいわけではなかった。マウンティングしたいわけでもなかった。
不快に感じた方ごめんなさい。自身の生きがいを教えてくれた方、ありがとうございます。
私の場合は、趣味も知的好奇心も友達も親も彼氏も社会的な成功も、生きることがそれなりに楽しい理由にはなったけど、絶対的な生きる理由にはならなかった。
例えば休日に友達とBBQして楽しい、会社で成績上げた嬉しい、ご飯がおいしいやったね。人生ってこういう楽しいことも多いけど、おっちょっとこれは辛いなって心が折れそうになるときもあるし、辛いとまではいえないけどただ漠然とこなすように仕事をして過ごす日々も多かった。
「たぶん人生はプラマイゼロだ、幸せなときもあれば辛いときもある。人に迷惑をかけることもあれば、人に感謝されることもある。トータルでプラマイゼロなら、ゼロな自分がもし明日不慮の事故で死んでもそれは別にもったいなくはない。突き詰めると、別に生まれてこなくてもそれはそれでよかったけどね」ってぐらいでなんとなく生きてた。
でも家族が出来て生まれたことに心の底から感謝できるようになった。小学生のころから持ってた上記の”消極的な自殺願望”が消失したのを発見して、ものすご~く嬉しくなった。
独身の人に「結婚してないから生きがいなんてないよ」って言わせて、それを聞いて喜びたくて質問したのではない。
周りの独身は「結婚願望は別に無い、何でそんな若くで結婚したの?」「結婚なんてしたくない、他人と一緒にずっと住むなんて無理」という人の方が多いから、その答えはそもそも想定していなかった。でも実際に言わせてしまってごめんなさい。
夫に依存しているという指摘は、ご指摘の通り。それが良くないことも分かってる。だからこそ、そうじゃない人の意見を聞きたかった。