はてなキーワード: 自己嫌悪とは
私はあるバラエティ番組のADだ。ほとんどの人が知っているであろう、有名な番組だ。
そんな私の昔話を聞いて欲しい。
私は高校生の頃、自己嫌悪が酷くて、生きているのにしんどくなり自殺未遂を何回か図ったことがある。
ODやリスカもしてきた。正直、本当に死にたかった。早く死んで楽になりたいと思っていた。
しかし、自殺をしようとするといつも頭に「あ、そういえば来週のリンカーン観たいな…」「明日のめちゃイケの企画、面白そう観たい…」とめちゃくちゃテレビっ子だった私は「あの番組を観てから死のう」と思ってはいつも自殺未遂を繰り返していた。
そして観た後に死のうと思っていても、次回予告を観て「あ、また次面白そう」と思いまた、自分の自殺が延長されていっていた。
そして、そんなバラエティ番組のおかげで私は生き延びており、高校を卒業し、進学先としてテレビ・映像系の学部がある大学にに進みそこで番組制作のことを学んだ。
私は企画を考えることがとても好きで、大学内の企画コンペではいつも上位に入っており、周りからも称賛され「私にはこの道が合っているな」と確信をしていた。
そして、就活生になったとき、私はテレビ業界を第一希望として就活をしていた。
面接では志望理由として「小さい頃からテレビが好きで私もこんなのが作りたいです」と話をしたが、実際は「バラエティ番組に命を救われたから、同じように死にたいと思っている人に少しでも生きる希望を与えれたらいいな」という志望理由が心の中にあった。
そして、私はあるテレビ局に就職ができ、誰もが知っているバラエティ番組にADとして配属された。
私はめちゃくちゃ嬉しかった。
生きる希望を作っていたテレビ業界に入ることができ、他の人にも少しでも生きる希望を与えられるんだ。
そう思っていた。
ただ現実は違っていた。
朝は早くに出勤し、リサーチや資料作りが多すぎて、帰宅するのは終電がザラ。
先輩のADやディレクターの人達は、まともな社会経験がないので教え方が下手くそすぎて、自分で考えて行動するしかなかった。
それで失敗をするとめちゃくちゃ怒鳴られる。「なぜ聞かないんだ」「なぜ先に言わないんだ」と言われる。
聞いたところで、まともに教えてくれるはずもないのにさも「自分は後輩教育してますよ」感を出してくる。
そして一番びっくりしたのが、バラエティ番組を作っているスタッフで面白い人が全然いないと言うことだった。
確かに一部のスタッフは人間としてめちゃくちゃ面白く、いつも突拍子もないアイデアを生み出してそれを実現させて爆笑をとっているのを観てとても尊敬している。
しかし、大多数のスタッフは「俺、めちゃくちゃ面白いよ」と言っているくせに出してくる企画はどこかの真似事や流行っているものを取り上げた、クソつまらないものだった。
私はこんな人たちになるまいと、私はテレビ局の企画コンペに応募した。
すると、最終選考まで残り、採用こそはならなかったが新人ADがそこまで行くのは初めてのことだったらしく、社内でも評判になっていた。
しかし、それをよくは思わなかった先輩たちが、ことあるごとに仕事が遅いと文句を言い怒鳴ってくる。
そして最近それが酷くなってきており、私はもうテレビ業界で働くのが嫌になってきている。
「テレビ業界は面白い人が偉い」と思っていたが、実際はただの年功序列だった。
同じ時期に入社した同期はもう半分が辞めている。
ただのテレビ好きだけではこの業界は無理だ。上がクソったれすぎて、下が育たない。
もう無理だ。死にたい。
あれだけ好きで生きる支えをくれたテレビに、今は殺されそうになっている。
私はあるバラエティ番組のADだ。ほとんどの人が知っているであろう、有名な番組だ。
そんな私の昔話を聞いて欲しい。
私は高校生の頃、自己嫌悪が酷くて、生きているのにしんどくなり自殺未遂を何回か図ったことがある。
ODやリスカもしてきた。正直、本当に死にたかった。早く死んで楽になりたいと思っていた。
しかし、自殺をしようとするといつも頭に「あ、そういえば来週のリンカーン観たいな…」「明日のめちゃイケの企画、面白そう観たい…」とめちゃくちゃテレビっ子だった私は「あの番組を観てから死のう」と思ってはいつも自殺未遂を繰り返していた。
そして観た後に死のうと思っていても、次回予告を観て「あ、また次面白そう」と思いまた、自分の自殺が延長されていっていた。
そして、そんなバラエティ番組のおかげで私は生き延びており、高校を卒業し、進学先としてテレビ・映像系の学部がある大学にに進みそこで番組制作のことを学んだ。
私は企画を考えることがとても好きで、大学内の企画コンペではいつも上位に入っており、周りからも称賛され「私にはこの道が合っているな」と確信をしていた。
そして、就活生になったとき、私はテレビ業界を第一希望として就活をしていた。
面接では志望理由として「小さい頃からテレビが好きで私もこんなのが作りたいです」と話をしたが、実際は「バラエティ番組に命を救われたから、同じように死にたいと思っている人に少しでも生きる希望を与えれたらいいな」という志望理由が心の中にあった。
そして、私はあるテレビ局に就職ができ、誰もが知っているバラエティ番組にADとして配属された。
私はめちゃくちゃ嬉しかった。
生きる希望を作っていたテレビ業界に入ることができ、他の人にも少しでも生きる希望を与えられるんだ。
そう思っていた。
ただ現実は違っていた。
朝は早くに出勤し、リサーチや資料作りが多すぎて、帰宅するのは終電がザラ。
先輩のADやディレクターの人達は、まともな社会経験がないので教え方が下手くそすぎて、自分で考えて行動するしかなかった。
それで失敗をするとめちゃくちゃ怒鳴られる。「なぜ聞かないんだ」「なぜ先に言わないんだ」と言われる。
聞いたところで、まともに教えてくれるはずもないのにさも「自分は後輩教育してますよ」感を出してくる。
そして一番びっくりしたのが、バラエティ番組を作っているスタッフで面白い人が全然いないと言うことだった。
確かに一部のスタッフは人間としてめちゃくちゃ面白く、いつも突拍子もないアイデアを生み出してそれを実現させて爆笑をとっているのを観てとても尊敬している。
しかし、大多数のスタッフは「俺、めちゃくちゃ面白いよ」と言っているくせに出してくる企画はどこかの真似事や流行っているものを取り上げた、クソつまらないものだった。
私はこんな人たちになるまいと、私はテレビ局の企画コンペに応募した。
すると、最終選考まで残り、採用こそはならなかったが新人ADがそこまで行くのは初めてのことだったらしく、社内でも評判になっていた。
しかし、それをよくは思わなかった先輩たちが、ことあるごとに仕事が遅いと文句を言い怒鳴ってくる。
そして最近それが酷くなってきており、私はもうテレビ業界で働くのが嫌になってきている。
「テレビ業界は面白い人が偉い」と思っていたが、実際はただの年功序列だった。
同じ時期に入社した同期はもう半分が辞めている。
ただのテレビ好きだけではこの業界は無理だ。上がクソったれすぎて、下が育たない。
もう無理だ。死にたい。
あれだけ好きで生きる支えをくれたテレビに、今は殺されそうになっている。
先天的な性差の話はしらないが、現在形成されている文化にそういう傾向があるのは実感できる。
欠点が指摘されることも多々ある。
だが、モラル欠如の注意喚起がされた時にも、非常にまじめに受け取られ、拡散や啓蒙などが行われやすい。(気に食わない対立陣営から発された時はその限りではないが)
「はぁ?何か口うるせえこと言ってるアホがいるな(ハナホジー」みたいな流され方がされづらい。
そのぶん、モラルの皮をかぶった謎ルールへの抵抗力が低かったり、モラル破りに対する義憤が魔女狩りめいたいじめ・リンチに発展しやすいという危険もある。
長所短所両方あるが、女オタクは男オタクに比べて、ルールやモラルというものが大切であり、自分は極力ルールを守りたいし他人も守った方がいいという意識が強い文化である。
この特徴はどこから来るのか。
女オタクのモラル重視は、女性の自己嫌悪と、暴力への恐怖が背景にある。
自己嫌悪は「私は悪い存在なのだ。だからせめて良いことをし、良いことを広め、罪滅ぼしをすることで生きている価値がある存在に近づきたい」という心理に繋がる。
暴力への恐怖は「私は肉体的暴力に負ける。身を守るためには、法、モラル、ルールを広めて秩序が保たれた状態にしておく必要がある。そして私自身も、ルールの庇護を受ける権利を保てるような正しい生き方をする必要がある」という心理に繋がる。
女オタクは精神的にも肉体的にも不安にさらされているので、精神面はモラルという徳を積むことで、肉体面はルールを守りその庇護を受ける権利を持つことで、安心を得ようとしているわけだ。
罪悪感を抱えた人間は毒親になりその娘も自己嫌悪がある毒親になる再生産構造と、男女の身体能力の違いを解決しなければ、男オタクと女オタクのモラル意識のギャップは解消されないだろう。
「女性の自由よりも、女性の安全や保護を重視する運動はフェミニズムではない。むしろパターナリズムだ」という批判がされることがある。
そうかもしれないが、それを自力で安全を確保できる強い人間が言ってもなかなか届かないだろう。
精神的安全をモラル順守で得て、肉体的安全をルール順守で得なければならない人間には、説教ではなくまず十分な安全を確保しないと話が進まないだろう。
この一年ずっとやめられない癖がある
傷もそれなりに目立つけどどうにもやめられなくて、マスクに助けられている
親は前から心配してたんだけど、ついに今日あと一ヶ月で顔が治らなかったら学校と塾を辞めさせると言われた
顔を傷つけるのは勉強してる時だけだから、その勉強を断ってしまおうということらしい
本当に嫌になった
自分はどうしても勉強したいし(勉強しないことの方が5000倍辛い)傷についてもやってしまったな…くらいで、マスクで周りに見えないこともありそこまで気にしていなかったのに
親に泣かれるほどの負担をかけているとは思わなかった 気にしないで欲しいと言ってもそうはいかないらしい 親としてそれはそうなんだろうけど、頼むから気にしないでくれ…
親に辛いとか負担になってるとか言われるのがとても嫌だし余計に自己嫌悪が進む
一ヶ月後、勉強続けられてるのかな
20時過ぎ、研究室からの帰路、コンビニで夕飯を買いさあ帰ろうと車に乗り込むと、80代くらいのお婆さんが助手席の窓を叩いてきた
ああよくある少額詐欺かと思って一瞬警戒したが、一応話を聞けば乗るはずだったバスが目の前で行ってしまったとのこと
この足で駅まで歩いたら電車に間に合わないかもしれない、もし方面が同じなら駅まで送ってくれないかと言われ、無害そうなのでとりあえずドアを開けると、よくある手押しのキャリーケースを支えてやっと立っており、いかにも足が悪そうである
田舎なので電車を逃すというのは数十分、場合によっては1時間以上ものロスになる。もしかしたら乗ろうとしていた電車は終電かもしれない。他県で一人暮らししている足の悪い母の姿も重なり、またこの人が明らかに自分より弱者であったので、乗せることにした
根っからのコミュ障が災いし、道中何を話せばよいかわからず無言であった私の態度を静かな怒りと感じたのか、否か、とにかくお婆さんはひたすらに頭を下げてずっと謝っていた
帰り道の途中なので気にしないでくださいと、負けじと壊れたテープレコーダーのように繰り返した
到着までの15分弱、車内の会話はそれだけで、車から降ろす最後までお婆さんは謝り続けていた
良いことをしたにはしたのだろうが、気休めの雑談の一つもできなかったことに自己嫌悪が酷い。就活が今月まで決まらなかったこと、友達と呼べる同期がいないこと、この日の出来事、すべてが頭の中で繋がってぐるぐる回り続けている
ウマ娘は周りがやってるので何となく始めたが、キャラクターがかわいいのでそれなりにやっている。
しかし、Twitterや周りの友人を見ると、ウマ娘リリース以前は競走馬の話なんて全然してなかったのに、リリース後はどの馬がどうだこうだと盛んに話題にするようになっている。
この擬人化コンテンツから史実に興味を持つというのに違和感を感じているのは、完全に自己嫌悪だと思っている。
自分もかつては中高生時代艦これにハマり、艦これにでてきた軍艦のwikiを見漁ってみたり、大和ミュージアムに行ったりしていた。まさに今軍艦が競走馬に変わって同じことが行われている。
周りの人達を見ていると、艦これの時に自分が第三者から見てどういう風だったのかを見せつけられているようで、心の辺りがギュッとなる。
ただ、どんなきっかけであれ興味を持って学んだことは知識として結構残るので(実際艦これの時調べた内容は結構頭に残っていたりする、にわか知識だけど)、周りの人達に史実に興味を持つななんてことは言わないが、自分だけは1歩引いてウマ娘やりたいな。
男の性欲の反対は女の性欲!!
ナプキン代を言うならエロ本代を…というブコメを見たが、女もエロ本買うわ。買う買う。全然買う。DLsiteでエロ同人買う。動画も見る。GIFを見る。めちゃコミも読む。エロ小説も読む。かつてはクリックするとあんあんするエロフラッシュをおかずにしておった。
でもオカズは無くてもよい、なくても出来る。
男女じゃ性欲の強さが違うんだよ、とおっしゃるかもしれませんが、私は毎日やってたぞ。生理の時もやってたぞ。
メンソレータム塗ってみたりもした、マッキーつっこんでみた、携帯のバイブレータで気持ちよくなれないか試した、ありとあらゆる創意工夫もした。
中学生のある時期はあまりにも性欲を持て余してて、男性の股間に目が行ってしまうし、身近な人をネタにして自己嫌悪したり、オナニーばかりしてるからニキビが出来るんだろうかとひどく悩んだ。ニキビがあるやつ=オナニーしてるやつというネット情報にふるえた。
最近というかここ1年位、もの凄く自分が嫌で嫌で消えてしまいたいと思う事が増えた。
そんな事で周りと比べるな、自分だけの良いところがあるでしょう、という言葉をかけられることもあるけれど、嫌でも複数の人間が集まるコミュニティで交流しながら日々過ごす中で、そんな自分を肯定的に捉えることが出来ない。
自分は本当に性格が悪いというか大分ひねくれていて面倒な人間で、周りの人に相談すると幻滅されるんだろうな、というような事を考えていたりする。本当に最低である。
自分で「自分は性格が悪い」と言うのは予防線を張ってるみたいであんまり良くないのだろうけど。
かつての同級生や友人が学校を中退して家庭を持って幸せにしているのを見ると、素直に「おめでとう」と感じる自分と、嫉妬に近いようで、憧れはしないよく分からない感情が湧いてくる。
今でいえば「コロナかかりたくない」と言う割に頻繁友人宅や外に遊びに行ったりするのを見ると「どの口が言ってんの」と思ったりする。
メンタルを病んだ友人に表面上は優しい言葉をかけるけど、心の中では「そういう事をするからそうなってるんじゃないの」なんて思っている。それは自分にも言えることなんだが。
歳を重ねるごとに、比較的恵まれた環境で育ってきたんだなと思う機会も増えた。
でもそれに伴って周囲の友人の非常識な部分が目につくようになってきて、嫌だなと思う機会も同時に増えた。口には絶対にしないけれど。
もちろん、他の人から見た時に私も非常識だと思われる事もあるのだろう。
でも結局周囲を見下している。本当に最低だ。
周囲の人にもそれぞれの価値観があって同じ場面でも受け止め方が違うというのも分かっている、つもりなのかもしれない。
ずっと友人が少なくて、まだ交流のある友人も本当に限られていて、今この人との関係を絶つと、その友人グループを抜ける事になるんだろうなと思い、ズルズル付き合っていたりする。顔を合わせる機会は少ないけど。
育ってきた環境も学歴もなにもかもが本当にバラバラなグループだから違和感があるのは当たり前なのだが。
正直に思ったことも言えず惰性だけで続けてるような関係いつまで続けるんだろう。
この感情について考え始めると、いつも考えがまとまらなくてモヤモヤとした気持ちが積もり続けているような気がする。
あまりメンタルがガタッと落ちるような性格でもないので自分では何ともないと思っているけど、本当はどこかで崩れそうになってるのかもしれない。
勉強がとても得意なわけでもなく、何か特別得意なことがある訳でもなく、コミュニケーション能力も優れているとは言えない。そんな自分なのに周囲に不満を抱いてばっかり。
こんな最低な事言える人いない。親にも恋人にも口が裂けても言えない。今すぐ消えたい
消えたいと言いつつも自分には甘いから決断もできない。最悪だ。
自分自身にコンプレックスとよく分からない自信を中途半端に持っているから、卑下したり周囲を見下したりするのがずっと止まらない。こんな醜い自分を受容出来なくてずっと辛い。いつまでこんな事言ってるんだろう。普通の人間になりたい。
高校生の時。モテるかな、と思って。近所のハードオフで買った。コードを押さえられなくて挫折。ギターが悪かった、手が小さくて向いてないと自分の中で言い訳。家族に譲った。
アコギからの派生。ベンドが上手くできなくて挫折。まだ手元にある。
・イラスト
昔の作品にも詳しいとカッコいいかな、と思って。結局抜きゲーで抜いていただけ。
・バイク
大学生の時。旅を趣味にしたかった。中古バイクを購入。機械もいじれるとカッコいいかと思ったけど、メンテもそんなにせず結局あまり乗っていない。まだ手元にある。
社会人になりたての時。買ったばかりの頃は馬鹿みたいに撮っていたけど、設定とかを覚えるのが面倒になってしまって埃をかぶっている。あと、レンズが高い。
同上。ヤフオクで買って、モルトプレーンだけ中途半端に入れ替えたけどまだ一枚も撮ったことがない。
・登山
近所の山をちょっと登った。高い山に登るのは面倒くさい。高かった登山靴は埃をかぶっている。
・キャンプ
バイク旅のために買ったけど、結局家でダラダラしている方が好きなことに気がついた。道具はまだ持っている。
・タロット
覚えているとカッコいいと思ったけど、覚えるのが面倒くさい。本だけ何冊も持っている。
・映画
名作と言われる作品は知っておきたいと思ったけど、数が多すぎる。見たところで語れるほどの経験も知識も含蓄もない。自分の浅さに自己嫌悪。
覚えることが多い。本ばかり持っている。でも読んでない。
・筋トレ
継続は力なり。ただ自分にはその力はなかった。めちゃくちゃ量のあるプロテインだけ持っている。ジムも契約したっきりほぼ行ってない。勿体ない。
文章なら俺にも!と思ったけど、そんなわけなかった。形から入るタイプなのでMacBook Proなんか買っちゃったりして。むろん埃をかぶる。
指輪物語、十二国記、ラブクラフト、シャーロックホームズ、アガサクリスティ、館シリーズ、鬼平犯科帳、グイン・サーガ…全部挫折。根気が続かない。作者で読んでみようとしてもまず続かない。
・作曲
高いソフト買ったのに、何も生み出せてない。
・御朱印集め
外に出ないので、ほぼ白紙。
やる友達がいなかった。
思いつく限り書いてみたけれど、まだ有りそう。
こうして見ると、如何に自分が人からよく見られるために色々なことに手を出しているかがよくわかる。
自分はこれをやってます!って胸を張って言えるようなものがないや。
・裁縫
・盆栽
・家庭菜園
・天体観測
・釣り
・自転車
押しつぶされそうだ。
※追記
コメントを頂いて、いくつか思い出したので残しておく。皆さん俺のことよくそんなに分かるね。
色々教えてくれてありがとう。
カチャカチャカチャって素早く揃えられるとカッコいいよね。買って説明書を見ながら数回6面揃えたけど、今は部屋のオブジェになってる。
今の仕事が嫌いすぎて転職を考えた時に。本も買ったよ。やってないけど。
道を歩いていて、「この花は〇〇だね」って言いたかった。図鑑を持ってる。
・読書
積ん読って言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、結局根気がなくて読んでいないだけ。買ったことで読んだ気になってしまっている。自己啓発本とか、小説とか、詩集とか、図鑑とか、資料集とか。紙、電子問わず読んでいない、または読みかけの本が大量にある。
趣味と言えるかわからなかったから書かなかったけど、服もめちゃくちゃある。わかってもらえるかわからないんだけど、「定番」とか「一生モノ」って言葉に弱い。例えば、「このアイテムが欲しい!」ってなった時は一時的にめちゃくちゃネットやら雑誌で調べて、「これ買ったら間違い無いだろう」ってものを買ったら満足してしまう。たまに気がついて着るくらい。
・麻雀
ネット麻雀にハマって、麻雀牌まで買った。小手返しやってみたいな、と思ったけど手が追いつかない。あとやる相手がいない。
一時期通っていたけど、自分の身体の可動域の狭さにびっくりしてやめてしまった。
小説ダメならこっちだな、と思ったけどそもそも書けるようなネタがない人間がセンスを求められるこれらをやろうとしたところで、という結論に至った。
・競馬
このブームに自分みたいな人間が手を出してないわけないよね……。自分でも呆れる。
ダービーで800円、鳴尾記念で500円、安田記念で300円、エプソムカップで600円負けてるよ。
・ゴルフ
職場の付き合いで。クラブセットも持ってるよ。知人が「120に壁が…」なんて言っていたけど、そもそもそのレベルにも達していない。たまに職場でコースに出てもひたすらボールを追いかけてマラソンするばかり。
・料理
鉄のフライパン、中華鍋なんて買っちゃったりしてメンテを怠ってこげつくようになっちゃったり。調味料ばかり揃えてみたりして期限を切らしたり。自炊程度ならやっているけど、趣味なのかこれは。
・TRPG
これもやってた(やってないけど)。ソードワールド、クトゥルフ。ルールブックを買ってきて、キャラシまで作るんだけど「え、これ誰とやるの?」という疑問が出てやめている。オンセがあるのは知ってるけど、そこまでのバイタリティがない。
・データベースになろうとする。詳しくなろうとする。
ナンバリングタイトルやシリーズもののゲームを全部やろうとする(ドラクエ、FF、メガテン、ポケモン、ゼル伝などなど)。
ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすいものに金を出して何か始める」パターンが多い。
誰かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。
このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。
〇気になるコンテンツを見つける
→気になるコンテンツの作者が影響を受けたコンテンツやルーツとなったコンテンツを調べる
→これを理解しないとこの気になるコンテンツを完全に理解することはできない!
→手を出す
→量の膨大さ、内容の難解さに挫折
このパターンが非常に多い。指輪物語とか、クトゥルフとかが一番わかりやすい例だと思う。映画もそう。服買う時とかでもこういうことがある。(調べまくった結果、定番モノしか買わない、とか)
勉強、部活とか何かに打ち込んだり、成し遂げたりしたことがないからその反動じゃないかなって考えている。積み重ねがないから急いでそれを何かで埋めようとしている感覚。
AmazonとYouTubeとTwitterは余りにもキラキラし過ぎていて、人に影響を受けて流されやすい自分のような人間には本当に毒です。Instagram?だめだめ!
英語、キーボード(ピアノ)、動画制作、プラモデル、格闘技(ボクシングor空手)、アマチュア無線、DJ全部昔気になってたことだ。
発信者になろうと思って昔作ったブログの残骸もネットの海で化石になってる。発信するような積み重ねがないし。
部屋は汚い。よくわかったね。
お金はないよ。カツカツです。
ものがどんどん増えるのは、始めてしまったからにはやり切らないといけないって言う心底下らないプライドがあるのだと思う。
20代の初めの頃は、なにか始めなければと焦っていたが、大きな環境の変化を作れず焦りばかりが先行し今の状況から動けないでいた。
年を重ねていくうちに、幼少期こんな風になっているんだろうなという漠然とした思いからもどんどんかけ離れていったり、
ちょっと知っているタレントや偉人たちが世の中に出だした年齢と比較して、なにもできない現状と比較しどうしようもない気持ちに襲われている。
最近だとなんの興味も持てず、最低賃金ギリギリのアルバイトを掛け持ちするだけの日々を送っている。
アルバイト先でも誰とも接点を持てず、ただ黙々と作業をするだけ。夜になると自己嫌悪でどうしようもなくなり、毎晩ベッドの角に頭をぶつけている毎日だ。
俺もそんなことやって、たまに自己嫌悪だ。時に君は?
俺は今までTwitterをやっている時、就活系の広告で就活生の不安を煽るような内容のモノを見かけた時は必ず『冒涜的』と通報するようにしていた。
いや、『冒涜的』はちょっとおかしいなと自分でも思っていたけど、人の不安を煽ってそこに付け入る広告の悪質性をピタリと言い表す言葉が通報時の選択肢にないから仕方ないんだ。
そこはどーでも良くて、俺が今悩んでいるのは、その行動がエセリベラル勢力のやっている行為と同じなのではないかとふと気づいてしまったことだ。
俺は自分の気に食わないという感情を独善で武装して他者に圧力をかけ、勢力内で認められたモノ以外のあらゆる文化に火をつけていく、リベラルを名乗る連中が大嫌いだ。
個の自由を大切にする原義的な意味でのリベラル思想には大いに共感するが、現代におけるリベラル勢力は反吐が出ると思っている。
ただ、自分の通報行為もそういう連中の火付け行為とやっていることの本質は同じなんじゃないのかと気が付いて自己嫌悪に陥っている。
俺は少なくともその手の広告は悩める就活生をさらなる泥沼に沈める邪悪だと考えているけど、ただTwitterはその広告表現を良しとして掲載しているわけで、それに対して自分が噛みつくのは筋が違うのではないかと思った。
まあ、広告は突然目に入ってくるので嫌でも見てしまうのだが、そうしたリスクも込みでネット上のプラットフォームを使っているわけなのだから、やはりそこに文句をつけるのは違ったのではないかと思う。
「こういう表現はいかがなモノだろう?」と疑義を呈するくらいならともかく、通報という極小でも圧力の伴う方法で糾弾を行うのは暴力的だったのではないかと反省する次第だ。
ただそのことを考えていた時、同時に自分の中で異論も生まれた。
リベラル勢力が表現に嚙みついているシチュエーションは、多くの場合、その表現を愛好している人々がたくさんいるモノに対して所謂繊細ヤクザが火炎瓶を投げつけている構図だろう。
そうした問題に対しては、「お前の嫌悪に誰かの好きを侵すほどの重要性はねーよ」と思う。
だがそれに対して、俺が嫌悪している『就活生の不安を煽る広告』を表現として愛している人たちが果たしているのだろうか?
金儲けの手段として用いている人々はいても、その表現を心から愛している表現者は、あるいはその表現を受けて「ああ、私に厳しい現実を気が付かせてくれてありがとう!」と感謝した受け手はいるのだろうか?
ただただ私欲を貪る屑が人を追い詰めるために使う表現にを叩くことは悪いことなのか?
随分とキツい状況のようだ。
何度も不満や気持ちを思い切って伝えているにも関わらず、相手がそれに対して対応してくれておらず、根本解決に至っていない。
夫自身も優しさからくるものか、相手にも不快感を与えたかもしれないと若干自己嫌悪に陥っているようだ。
見てみると段階がある。
第一段階は、なぜセックスができないのかの疑問だ。これは解決している。
第一段階。
客観的に見ればセックスに応じない妻に対して夫の不機嫌は当然の反応なのだが、
夫が思い切って客観的に妻がセックスに応じられない明らかな理由を問いただしたところ、
「もう、セックスをする気になれない」との回答が得られた。
これをちゃんと伝えない妻も世の中にはいて、ここで拗れることは多々あるのだが、
しかも数次にわたり「する気になれない」との回答が得られている。
ここで、夫がセックスを諦められたのなら一件落着だ。
だが夫は、夫婦生活においてセックスは欠くべからざる要素であるという認識だ。
「妻がなぜセックスに応じてくれないか」については「もう、セックスをする気になれない」の回答が得られており、これは妻の偽りのない状況である。
今度は、夫が「それでもセックスがしたい」という次のコンフリクトの対処に焦点が当たる。
第二段階。
妻側も、「セックス以外は」夫側に譲歩しようとする姿勢が見て取れる。
夫は、それに対して感謝はあるものの、一番の目的であるセックスが慎重にかつ確実に逸らされていることがわかるため、満足に至ることはなく、むしろ不満が鬱積し抑圧されている状況だ。
夫は自分が最も大事にしたいセックスが蔑ろにされており、妻はセックス以外は夫に何とか対応しようとしてくれているため、感謝と怒りが綯い交ぜとなっており、混乱している。
「セックス以外は」順調であるがため、なおさらセックスが満たされない焦燥が肥大化しているように見受ける。
そして困ったことに、夫側の主張によればそのセックスは単純な性欲ではないため、性風俗産業の利用といったいわゆる外注では解決できない。
妻その人とセックスできなければ満たされないのだ。
まあ浮気や不倫といったリスクが排除されるためこの観点からは良いことだが、
妻側の意思の変更以外には解決がなく、現状打破の解決策の狭隘という意味ではむしろ手詰まり感は更に強い。
(余談だが、「お前だけを愛している」という感情は、無条件の愛ではなく、むしろこうしたコンフリクトを生じることがままあることを社会は知る必要があると感じた)
気になるのは「大事な話だからまた話そうね」という妻側のセリフである。
気休めならこんなセリフは言わない方が良い。
本当にしたくないなら「する気になれない」を繰り返せば良いだけである。
或いは妻側も、「大事な話を繰り返せばセックスの要求を諦めてくれる」ことを暗に期待しているのかもしれない。
それであるなら大事な話はすればするだけ亀裂を深めるだけである。(両者の気持ちが不変であることを前提)
心の奥底では、これ以上踏み込んだら「破綻」も覚悟するような賭けに出なくてはならないかもしれない予感を無意識に感じているのかもしれない。
お互いに。
…夫婦生活にはセックスが前提であり、これに応えない場合は応えない方に責任があるというのが、法的側面も含めた我が国の社会の解釈である。
だが責任問題として争いをすることも夫の望むところではないだろう。
だが、一番求めているものが、お互いの間ですれ違い、もつれていく。
もし妻が浮気しているのならここまでダラダラ書いたことは完全にムダだが、
そんな片鱗すらないというのなら、
お互いの最も望むものが噛み合わず、つらく、くるしいという人間関係のコミュニケーションそのものなのかもしれない。
吐き出してスッキリしないのなら、
このままの現状を維持することが夫側の目的ではないと思われる。
行くところまで行かなければこのすっきり感は得られないだろう。
そしてこれは心の問題であり、
形式的に「夫が諦める」を選択しても「妻がセックスに応じる」を選択しても、
そこに心が本当に存在していなければ、どちらにしてもどちらの「スッキリ」も得られないだろう。
上辺だけ、形だけ、その場しのぎのことをやったとしたって、
夫も妻もそれは必ずわかってしまうだろう。
現に夫は形式上諦めようと試みたが、あらゆる心の反応が嵐のように起き、諦めることは(今のところ)できないことは証明済みである。
「夫が本心から心の底からセックスを諦めてくれた」とは到底言えない状況だったからだ。
同じように、妻がたとえセックスに応じてくれたとしても、そのセックスの反応、満足度等々から、
「妻が本心から心の底からセックスに応じてくれたとは到底言えない状況」がセックス最中・セックス後に感じて取れてしまったら、
妻がたとえ何百回セックスに応じてくれてもこの問題は解決しない。
「わかった、セックスは諦める」
これは言葉だけでは、形だけでは、そして実際にそうしてみただけでは、どれほど意味がないかがわかるだろう。
たとえ他人からはどれほど幸せに溢れた夫婦生活や家族生活が営めたとしても、
『自らが本心から望む人生』において永遠の飢渇に苛まれることは疑いがない。
………或いは、この世界において、心の底から望むものなど決して叶うことはないのだと思い知ることも必要なのかもしれない。
周囲を見回してみれば、そうした選択をしている大人は数限りなく数え切れないほどおおぜいいる。
どちらを選ぶのかは夫の選択であり、
そして、妻もこの選択に参加しなくてはならないだろう。