はてなキーワード: 場の空気とは
今は生活保護を受けながら安売り弁当買ってショッピングモールのフードコートで一人で食べてる挙動不審の小太りの中年女
それが自分です
15年働いてた
他人が普通にできる仕事が全くままならず同期が全員役職ついて後輩が上司になったところでさすがに耐えられなくなり一丁前にメンタル崩壊した
結局見た目が健常者っぽく見えるだけのボーダー人間だったということが分かっただけの15年だった
ヒラとはいえ最後の方は一応年収600万あったけどお金の計算ができなくて結局1円も貯金が出来なかった
働き続ける分には生きていける目算だったから制度の類も知ろうとしなかった
もう親いません
化粧頑張ったところでデブなので化粧頑張ってるデブにしかならなかったです
自分の知能では食事回数自体を減らすダイエットしか出来なくて(運動続かない、代替系だと結局食欲の制御ができない)
一時的にはガリガリに痩せましたが髪が抜けまくって肌が死んで最終的に鬼リバウンドした
お金がないです
子供の頃から場の空気が読めず言ってはいけないことを言って場を凍りつかせてしまうアスペ女だったので多分無理です
あとメンタルぶっ壊したときについでのように極度の潔癖症もこじらせてしまいました
デブでも一定以上に行くと一周回ってぽちゃ専デブ専に需要が出てくるみたいだけど
自分は胸には肉が行かずデブのくせに貧乳とかいうクソ残念なただの小太りです
「地雷女専門」を謳ってるという風俗店のサイトも見てみたけど小太り以上の人はちゃんと胸にも肉がついていて自分の目線では「需要のある」女性だらけでした
ド正論です
返す言葉もないです
どうしたらいいんでしょうか
祖父母は怒っているから母はビクビクして、父は近くにいないから。
祖父母は私は可愛がるが親にあたりが強かった。
その帰り道は必ず両親は喧嘩をする。
父は母を守らないし、母はわからないことばかりのなかでなんとかきちんとしようとするがうまく行かない。それを怒鳴る祖母、威圧感のある祖父。
落ち込み父をなじる母、怒る父。
誕生日も何も楽しくなかった。なんとか親や祖父母や場の空気を明るくしたくて振る舞っていた。
つらい気持ちを飲み込んで自分が馬鹿なことをしたり賢い発言をすると喜んでもらえる。
とにかくそれに注力しようと思った。
また親戚の伯父伯母も性格や性根が曲がりまくってて、しかも財産争いでみんな出し抜かないようにお互いに監視し合ってた。
お宮参り、お食い初め、ハーフバースデー、ひな祭り、一歳の誕生日、父の日母の日、敬老の日、正月。
夫の実家は隣の県にあるためすぐ会うことができる。
産後、里帰りから帰ってから、義母が週一回手伝いに来てくれてとてもありがたい。
しかし、義母が、義父が、子どもに接する度、自分の子どものころのトラウマが蘇る。
お利口さんにしていないと。
母よりしっかりしないと、でも何をしたら正解なのかまったくわからない。
しかし、義実家の些細な一言で、私の役目もまた終わってしまったんだと言うことをひしひしと感じる。産んだら私の役目も終わりなんだ。
実家に里帰りしたときも、父と母は昔に比べて優しいけど、なぜあのとき私は優しくしてもらえなかったんだろうとどうしようもない悔しさがある。
厳密に言えば、アプリリリースが延期になってからも、アニメが放映されていたり、メディアミックスがあったりと
「ウマ娘」というコンテンツは走っていたとおもうが、スマホアプリがリリースされて、加速度的に火がついたと思う。
かくいう自分も、インストールして、ストーリーを読んで、楽しんだ。
魅力的でかわいくて、それだけじゃないーーー闘争心を持ち合わせた、かっこよさのある少女たち。
史実を踏まえた絶妙な設定は、悔しいほど巧妙にプレイヤー心を揺さぶる。
ウマ娘は、最新の技術と、既存の美少女ゲームに無い斬新さと、安心感のある”お約束”、すべてが入った、間違いなく完成度の高いコンテンツだ。
それでも。
「その馬たちは、本当にそれを望んでいたか?」
こんなことを、脳内で自問してしまうたび、自分はこのコンテンツを、心のどこかで全く肯定できなくなっていった。
「ウマ娘」の世界においては、彼女たちは「自分の意思で」トレセン学園に入り、自分の意思でレースに出走している。一位を望んで、毎日過酷なトレーニングをこなし、栄光へと走っている。
けれど、現実の馬は、そうじゃない。
競走馬は、生まれたときから脚質や血統を重視され、競走に適しているか否かで選別される。
出走して脚を駄目にすれば、良くて種馬、最悪の場合、文字通り潰される。
ウマ娘の綺羅綺羅しい脚色は、この、必ずしも「美しくもない」競馬の背景を、砂糖でコーティングしている。
実際、「本人たちが一位のために頑張って走ってる」と思えば、競馬は倍楽しく見れるようになってしまうのも事実だ。
だからこそ、すごく怖い。
「負けたら怒られる」「怪我したら潰される」のに、走る以外の道がないなんて、剣を持たされて闘技場に立たされるのと同じなのに。
(※馬をこっぴどく叱る調教師さんは少ないが、馬は繊細な動物なので、会場の空気や調教師・厩務員・身近な人間の感情はとても敏感に察知する)
そのうち、ウマ娘関連で、現実の競走馬の「物語」が拡散されるのを見るたび、苦々しい気持ちでいっぱいになった。
どうするんだ?ゲートで暴れていたゴールドシップが、「俺ァレースなんか出たくねえ!野山を駆け回りてぇんだよ!ド畜生!!」って言ってたら。
どうするんだ?「楽しそうに」走っていると言われてた馬たちが、本当は微塵も楽しんでいなかったら。
僕たちはそれを「レース前にゲートインをボイコットする馬w」なんてコンテンツ化して、ネタにしている。
そのうちのどれだけのお金が、馬が本当に望むものを得るために使われるんだろう。
それとも、「あの子は栄光を望んで、それを手にしたんだから幸せなはずだ」って皆に思われて終わるんだろうか。
きっと僕が知らなかっただけで、競馬業界には元々あったいびつさなんだろうが、
「苦手なコンテンツなら距離おけよw」派の僕がこういう文章を書いてしまったのは、多分、僕一人が距離を置いてもどうしようもないと思ったからだと思う。
馬たちは、自分の意志で自分を売り物にしてる芸能人とも、擬人化された無機物とも、想像上のアイドルとも違って、今も生きてる。
もし、誰かの心に響いたなら、物語を見出してるのは人間であって、馬たち自身じゃないことを、覚えててください。
お願いします。
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https://anond.hatelabo.jp/20210314155906
元のnoteからは下心やDV気質が透けて見えるのに、無害な男性はなぜ無視されるのか。無視どころかさげすまれるのか。
女性からモテる、あるいは好感を得るためのポイントはイケメンや優しさではないのだ。勘違いしてはいけない。
女性は絶対に言わないし、もしかしたら気づいていないかもしれないが、モテるためのもっとも重要なポイントは「その場の空気を支配する力」である。
その点で元のnoteの人は主導権をとろうとしているし、その後の魚拓の怪文書を信じると彼は明確に空気を支配しようとしている。
空気を支配する、というと存在感やオーラのような言語化しにくい要素のように思えるが、主に発声と話術である。
DV男やヤクザがモテるのもこれで説明がつく。それほどイケメンではないお笑い芸人や大物司会者やパワハラ社長がモテるのもそうだ。
芸人の話術は単なる面白話の技術ではない。その場の空気を一変させる支配力を切磋琢磨しているのだ。
だからこそベテラン芸人はヤクザのようになり、空気をピリつかせることも爆笑させることもできるようになる。
「ふーん、おもしれー女」みたいな少女漫画定番の主人公の心理を翻弄するのもまさにこれ。
だからこの先も無害なモブとしてさげすまれて生きたくないのなら、イケメンに生まれなかった自分を呪うのではなく、自分が支配できる程度のコミュニティーの中で空気を支配することに努力してみよう。
父の話したいことを聞いてあげて、聞きたことを言ってあげるときしか、会話が成立しない感じ。
父の話題を拾うのと同じように、他に人の話題を拾っていると、「なんでそっちだけで話してんるんだ」と不快を示してくる。
不快な時間など過ごしたくないし過ごさせたくないからと気を張って、ヘトヘトになる。暗い気持ちもしばらく残る。
こちらは大分不快なので、父との場にいい印象を持たず、なぜ声をかけてくるのかと反射的に疑問を感じてしまうほどだ。
父に不快さを伝えるべきだろうかと考えるが、都合のいいところしか耳を貸さないまま不機嫌な態度を取るだけで、こちらも場の空気とかを考えて僕が悪かったことにして話をどうにか収めようとしてしまいそうで、悪い方向にしか行かない気がする。
こないだここに書き込んだ人が「ここならもっと面白い反応貰えると思ったけどそうじゃなかった。つまんない。」ってあって
俺も「だよねー」みたいに返したんだけど、匿名のサービスで初心者同士が出会うってなんか珍しい。
俺はここに書き込み始めて半年ちょいなんだけど、はじめてやって来た人向けにここの楽しみ方を書いてみる。
ここを知ったあるいはここに書き込もうとする人は皆、はてなブックマークからやってきた人がほとんどだ。
はてブで注目されてるようなここの記事は、専門的だったり知的だったり文章力が高かったり、感心する内容が多い。
コメントをする人も興味深いことを書いてることが多い。
でも、ここはそういうことが書ける人ばかりではない。むしろ少数派。
自分が書いた日記にはなぜかクソリプばかりが来る。あるいは無視される。
バズった日記ばかり見ていた人からすれば不思議に感じるのも仕方ない。
その代わり自分の書き込んだものがバズると返信のクオリティはぐっと上がる。なぜかクソリプ率も減る。
なぜか分からないけどクソリプを書き込んでる人の一部はバズった記事には返信しないと決めてるのかもしれない。
匿名ダイアリーで楽しく過ごすにはネタの力や文章力がないと難しい。
でも誰かの書き込みに返信するというだけなら、そんなに高度な技術が無くて良い。
だた、ここはログを読むにはあまり向いていない作りなので、場の空気を読むのに多少時間が掛かる。
俺はほぼ毎日3,4つくらい書き込んでるけど、半年の間で多くブックマーク貰えたのは3つだけだ。
1つはネタが良かった。あとの2つはお題系(○○ってある?みたいな)。
自分はいつも字数多めなので、スター100以上もらえたコメントもだいたい80文字超えてる。
出遅れても追い上げてトップ10入りしたりトップコメまで登り詰めたりすることもある(これはかなり気持ちいい!)。
ちなみに出遅れには有利な点もある。
要するに後出しジャンケンなんだけど、多様な論点が出揃った後だと、それらを踏まえた上で考えを組み立てられるので、そのぶん説得力のあるコメントになる。
また、早い段階で書かれた強い(けど浅い)コメントに引きずられて場の空気がそっちに行っちゃうことがあるけど、そういう時に、たまたま見落とされている新しい視点を提供できると、そこから急にブコメの流れが変わったりする。これも気持ちいい。
そんなんだから廃れんだよ。
GMクソって言うやつとそれに☆つける奴って、そもそもTRPGやったことあんのかが疑問だけどな。
GMとPLはそれぞれ別の権限を預けられたプレイヤーなんてのは1時間もやれば嫌でもわかる。
そもそもGMの役割なんて舞台におけるナレーションみたいなもんよ。
無茶振りスルことはあるかも知れないけど、その中でうまく踊ってみせるのがPLの責務なわけ。
それを共有できるかは卓の全員の協力が必要不可欠。
お前がウジウジしてるのも変な空気になった一因だよ。
ファンブルだした奴こそがまっさきにその場の空気を修正してかねえといけねえ。
口先で逆転することを目指すのもいいが、それ以上に目の前のダイス目から面白い空気を作っていけ。
この鉄則をいつだって忘れるな。
ごっこ遊びだとか、サイコロ博打だとか、たたいてかぶってジャンケンポンだとか、ジャンルによって色んな呼ばれ方、喩えられ方があるが、クトゥルフは完全に物ボケだよ。
重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいか分からない。
昔仲良くしてた女の子の母親が事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ。映画にプールに遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行が台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレを差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実でしか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公や登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しかし人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。
彼女の母の葬式のとき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラスの女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女の不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。
葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校の給食の時間に馬鹿男子が牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式の引き出物だった。しかも彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議な感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説をサンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるときは相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。
葬式で馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式のハンカチを日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動ものの小説やドラマや映画は大体感動ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手の気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。
重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説や漫画にあるのは、聞き手がはてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。
土曜日の夜に一緒に大久保でチュニジア料理を食べて、赤羽の彼の部屋に初めて行った。
世はワールドカップで、埼京線で、ケーブルテレビではフジロックのまとめがやっていた。
その夜は、カーテン越しに街灯と青い月光で灯された部屋で、駅前の喧騒の静かな雑音を聞きながら、
毛布に包まって、寝た。
日曜日の朝の空は高く透き通って青色で、空気は凛として冷たく清潔な感じだった。
ドトールコーヒーに行ってミラノサンドやジャーマンドックを食べたりコーヒーを飲んだ。
「えーっ」と、私は「そんなこと言うの?」とゆう軽い軽蔑を含めたつもりだったが、
私の顔はニヤけてた。「そっちも見せてくれるならいいですよ。」
ロボは好機を逃すなと、立ってジーンズを足首まで下ろした。
トランクスに手をかけて、数秒躊躇って考えたあと、「大きくなってます」と言い訳言って、
トランクスを下ろして、ジーンズと一緒に脱いで、それは軽く畳んで横に置いて、
おちんちんがそこに見えた。それから正座にしゃがんで、足を崩したり、広げたり、
「ささっ、ささっ」とロボが促し、「えーっ」と言いながら、私は床に座ったままで、
デニムのボタンを外してチャックを下ろして、ズボンと一緒にショーツを脱いだ。
ショーツが汚れてないか、ちらっと見た。脱いだ後はどうすればいいんだろう。
ロボが「膝を立てて。脚を開いて」と言う通りにやったら、股間がすーすーした。
恥ずかしいとかゆう気持ちは、その場の空気も、ロボとの関係も、無かった。
むしろラブホのベッドの上でエロい雰囲気でより、こうゆう状況の方が良い。
ロボは無言で私の股間を見ていた。私のマンコを見て興奮してロボのちんこは勃起するのだろうか。
いやさっきより少し小さくなっているようかの。
「私、自分でよく見たこと無い」。ロボは鏡を取って、私の股間の前に置いた。
太陽の自然光で、よく見えた。毛が生えていて、お尻の方まで、お尻の穴も見えた。
大陰唇、は、見たことあるようなピンク色ではなく、焦げ茶色だった。
クリトリスの下に、ピンク色の肉があって、小さくぽつんと黒い穴が開いていた。
「あー本当に穴が開いてるー!」と少し感嘆した。それと同時に、
「ぜったいちんこなんか入りません。って」と思って、言った。
「ちょっとチソコよく見せてください」。「はい」「これがいちばん大きいんですか?」
「いま65%くらい」「最大にしてくださいよ」「じゃあ、脚を広げてもらえるよ」。
私はチソコを観察したまま股を広げて、左右に「ぱくぱく」までしてあげた。
チソコは「ぐんぐん」と膨らんで大きくなって、少し上向きになるまで勃起して、
表面は引っ張られてテカっていあ。たまにびくンと跳ねる。でも、よく見えない。
立膝になっても、立っても、よく見えない。椅子に座って脚を開いた格好がいちばん見易かった。
「なんか、『ペニス』って感じ」。エロ漫画や妄想していたイメージの、形や大きさだった。
「ちょっとオナニーしてみてくださいよ」「いまするとすぐイキそうだから。」「いいじゃないですか」「いや」。
動物の本能か、もともとしたかったのか、「ちょっと、入れれるなら入れてみたいかも」と思って、言った。
「入れてみましょう」。自然と私が下側で脚を広げてる。普通は恥ずかしくてエロいところを、思いっきり見せてる。
自分にだって見せたことがないけど。じっとロボのちんこの先と私のまんこの間を見てて、
ちんこの先がまんこにkにゅと触れた。「痛っ」。硬いうんこでお尻の穴が切れる時のような。
ちんこの先が私の穴に少し入ってる感じはするけど、ロボは「入らないかな」と言った。
私はロボのちんこをディルドと思ってぎゅっと握って、自分のまんこに入れようとした。
入らなかった。「入りませんねー」。自分の穴の大きさはといじっていたら、指に少し鮮血が付いていた。
「私、シャワー浴びたいです」「じゃあ一緒に入りましょう」「なんで一緒に」。
もう下半身は裸だからシャツを脱いで、でもブラを取るときの方が恥ずかしかった。
胸を腕で隠そうか、でも恥ずかしがってると思われたくないから隠さないか、どうしたら。
広くはない浴室で二人一緒にシャワーって。
ロボが軽く抱きついてきた。全裸で肌と肌が触れる。おっぱいもほわんと下から揉まれて、
乳首に指が触った時に「びくん」と感じたから、なんか悔しいから、
ろぼのちんこをぎゅって握ってやった。
そのあと激しくべろちゅーして、洗って綺麗になったからクンニもフェラもして、
私は壁に手をついてお尻を上に突き出して、イメージはまんこの穴を見せつけるように、
あー私は女で自分の生殖器のまんこに男の生殖器のちんこを入れてもいい、
って状況だこれは。少しの間だったけど、早く入れてくれないかなと望んでた。
私は振り向いてキスをして思いっきり舌を吸って、自分の唾液をいっぱいロボの口に入れたった。
キスしながらおっぱいと乳首とクリトリスとペニスがまんこに挿れられて、
人肌触れ合って「中に出してもいいよ」って私が言う前
#
いわゆる勉強は出来てテストでは良い点が取れるが、要領が悪かったり、常識が欠如していたり、人間関係に問題が有ったり等々の理由で「馬鹿」と周りの人間に評価される人の事だ。
ここで書きたいのは「頭は良い(が、他人や自分が感情を持っていてそれに大きく左右される存在であることを意識できていない)馬鹿」の人の話。
例えば頭が良いが正論で人を殴るのが大好きなタイプ。仕事はできるが、他の仕事が遅い人を馬鹿にしたり怒鳴ったりして場の空気を悪くする人。
口癖は「バカ」「クズ」「遅ぇよ」「何でこんな事もできないんだ」「少しは自分の頭で考えろ」
自分の周りにこういう人がいるので(隣の部署の上長で、頭が良い人と評判だがよく怒鳴り声が聞こえる)、それを考察したい。
こういう人は頭は良いが、人間の半分が「感情」で出来ているというのをたいがい意識していないように思える。
相手にも感情があって、自分の発言や行いが相手の感情をいたく傷つけるのに無頓着だ。
いわゆるサイコパス。他人と共感する能力が低いor欠如していて、しばしば組織内でパワハラ・モラハラを行う。
プライドは高く学歴等でマウントを取ることも多い(その人の場合は分かりやすく学歴で人を馬鹿にすることはないが、初めて会う人には大体出身大学を聞く)。
普段の会話からも「あのバカは~」みたいな発言が随所に見られ、周りの人を見下しているなというのが良くわかる。
そのためか他人から馬鹿にされたりするとすぐ「あ、カチンと来たんだな」という感じの表情になり、声色も若干変わる。声は荒げないが発言が攻撃的になる。
他人の「感情」に無頓着であるのに、自身は大変に「感情」的である。
その割に自分自身をそれほど怒りっぽい人間だと思っておらず、「部下に厳しい事も言うが良い上司」だと自負している節すらある。
当然、周りの人間は波風立てないように表立ってその人を批判したりはしないが、自然と飲み会の場などではその人の悪口大会になるし、パワハラの調査などでも浮かび上がってくる。
そして、いざという時に味方になってくれる人が周りにいないのだ。
ゆえに、こういうタイプの人を「頭は良い(が、他人や自分が感情を持っていてそれに大きく左右される存在であることを意識できていない)馬鹿」と自分は整理している。
本当に頭が良い人というのは何事も自分と相手の感情を損なわないようにうまく振る舞うのだろう。
このように感情を意識できていない「頭が良い馬鹿」の人を反面教師にし、自分と相手の感情を意識しながら「自分に良し、相手に良し、世間(職場)に良し」な三方良しを心掛けたい。
キャス主が男性であり、深夜に配信されていたのもあって猥談もOKという自由な配信だった。
私は女性であったが、猥談は何とも思わないし、なんなら混ざってみたい気持ちもあった。しかし、女であるのに男の猥談に参加しては、話しづらい雰囲気となり男性側に迷惑をかけるのではないか?と思い、コメントを送信するのは控えた。
その後、話題は「配信主が最近観た作品」になり、これなら私も参加してもいいかな?と思い、震える指でコメントを入力し、送信をした。この時点では何ともなかった。でも心の中では(自分が参加したら、変に気を遣わせてしまいそう)という気持ちも少なからず存在していた。
この時の内容は、話題に取り上げられているキャラを「いいよね……いい」するものだった。私もそのキャラが好きだったので、コメントして幸せだった。
私も調子に乗って、その猥談に参加してしまった。しかし、一回送信した時点で私は後悔した。
そこには場の空気も読めず一人ではしゃいでいる馬鹿女が存在しているだけだった。この辺りでキャス主が敬語を使っていたので、私がさっき想像していたことが現実で起きてしまったのだ。
男性の言う「巨乳最高」と女性の言う「巨乳最高」は違うのだと痛感した。男性の性欲は女性には当てはまらない。
女性が「女キャラシコれる」と言ったと仮定しよう。何を言っているんだお前、って困惑するよな。シコる棒は存在していないのに。
流石にシコれるとは言っていないが、「エロい」とは言った。正直この言葉でさえ、違和感があった。男じゃないのに、女キャラに欲情して、男の真似事のように「エロい」って言う。
男性の感情と女性の感情は相反するものだと18歳にして初めて実感したのだ。
今後は、自分が女であることを自覚し、男性の猥談には挟まらない、性的な話題を振らない。場の雰囲気を壊さないようにROM専に徹すること。これらを忘れないようにしたい。邪な念を抱いたら、それは心の中に閉まっておくこと。無理に文章にしなくていいし、インターネットに載せることも、他人にそれを話す義務もない。