はてなキーワード: サイコロ博打とは
・進退の判断
・運
コンピューターと延々サイコロ博打を続けるだけのようなゲームである。
プレイヤーの選択も進むか引くかのみで、全数交換しか許されてないポーカーのような……いやもっとずっとずっと介入の余地は薄い。
ぶっちゃけ大当たりがピカピカ光るのを見て運の良さを噛みしめるだけのゲームだ。
ゲームで頭なんて使いたくないけど達成感は味わいたいというのは、実に素直な欲望のあり方だし、それに応えるゲームがこの世界にあるのは多くの人にとって幸せなことだ。
(なぜなら、そういうゲームを求める人間が、他のそうじゃないゲームにあれこれ言い出しても「艦これやってろ」で終わるのだから。)
・多岐に渡る情報収集
・先を見据えての選択
・敗因の分析
・運
しかし運以外の要素も非常に多く、正しい選択を選んでいくことで勝率を上げる余地がかなり残っている。
ひたすら画面の前で祈りを捧げることしか出来ない運だけのゲームとは、運の絡む濃度が全く異なる。
プレイヤーは手持ちと過去の経験から今後の流れを読み、その上で運に翻弄される。
運が絡むことのメリットはトライ&エラーに紛れが起こることであり、これにより戦略の読み取りが複雑化することが遊びを長持ちさせる。
これは「ランダム要素が強すぎてもはや試行回数だけが正義になる」こととは全く別物である。
理想の攻略方針が引きによって揺らいだ時、残された時間をどう使うかを考える余地があるのと、ただ祈ることしか出来ないのはゲームとして全く別だ。
そんなんだから廃れんだよ。
GMクソって言うやつとそれに☆つける奴って、そもそもTRPGやったことあんのかが疑問だけどな。
GMとPLはそれぞれ別の権限を預けられたプレイヤーなんてのは1時間もやれば嫌でもわかる。
そもそもGMの役割なんて舞台におけるナレーションみたいなもんよ。
無茶振りスルことはあるかも知れないけど、その中でうまく踊ってみせるのがPLの責務なわけ。
それを共有できるかは卓の全員の協力が必要不可欠。
お前がウジウジしてるのも変な空気になった一因だよ。
ファンブルだした奴こそがまっさきにその場の空気を修正してかねえといけねえ。
口先で逆転することを目指すのもいいが、それ以上に目の前のダイス目から面白い空気を作っていけ。
この鉄則をいつだって忘れるな。
ごっこ遊びだとか、サイコロ博打だとか、たたいてかぶってジャンケンポンだとか、ジャンルによって色んな呼ばれ方、喩えられ方があるが、クトゥルフは完全に物ボケだよ。
同じ理由かどうかは判らないけれど
> シナリオをシナリオたらしめたいなら、最後の大事な選択くらいダイス無しでやらせてくれないか
という気持ち、判る。
ダイスは人間の努力や選択じゃなく、プレイヤーにはどうしようもない所で結果が決まる。
プレイヤーにはどうしようもないからスリルが発生して、その結果、プレイヤーにはどうしようもない「そのプレイヤーの失敗」なんてものが発生する。
それって本当はそのプレイヤーの失敗じゃないのに。
サイコロの博打性を楽しむ場で、「失敗」になっても誰も気にしないなら、それでも良い。
失敗や敗北自体が、皆の納得が行く素晴らしい物語になるのなら、それも良い。
でも、絶対に成功が必要な、成功でなければ「皆で楽しむ」というそもそもの大目的が達成されないような、そんな物語の結末をサイコロに委ねたくない。
サイコロ博打ではない、人間のための物語で敗北を見せるのなら、人間自身の意志で失敗の物語を選び取り、人間自身の意思でカタルシスに溢れた敗北を表現したい。