はてなキーワード: ヤンキーとは
彼らは過去のヤンチャという名目の犯罪行為を自慢する余裕がある
今や都心周辺の寂れた田舎には、かつて繁栄を極めた新興住宅街がゴーストタウンと化し、
彼らマイルドヤンキーが我が物顔で自治会長をやるようにまでなっているという
若い頃のヤンチャという名目で暴力行為や放火、窃盗(万引き)、路上強盗(カツアゲ)、強姦などを行ってきた彼らが、
どの面を下げてそんなことができているのだろうか
そのうえ、彼らはアメリカにヤンキー・スタジアムを建設している
このヤンキー・スタジアムに続き、マイルドヤンキー・スタジアムの建設が予定されているとも噂されている
ヤンキーはバカだが地頭は賢いという名目で、ユダヤ人、ロスチャイルド、フリーメイソン、イルミナティ、
まあ「愛、生命、尊い」って論破しきることは絶対にできない主張だし、分かりやすくていいってことなんだろうな。
オタクとヤンキーは同根という論は昔からあるけど、オタクも最終的には「俺。父。俺。」みたいなヤンキーにぶっ刺さる世界観に回帰したわけだ。
物語の構造ともシンクロしてて綺麗に締まってるんじゃないか。登場人物達は呪縛から解放され、視聴者はかつて呪縛と自らが呼んでいたものに回帰し、どちらも幸福になった。
敢えてキツいこと書くけど、
と俺は思ってるんだけど
というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たかが電気」だの、
人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、
マクロスやアクエリオンの河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコでロハスでスピな新興宗教のアニメ?みたいなの作っちゃうし、
例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、
自分のような理系の視点から見た宇宙やロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか、
つまり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、
一からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、
アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、
というのも、リアルな研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある
つまり、天才的な科学者とか理系の女性が登場したり、こんなこともあろうかとでミラクルな超兵器がいつの間にか登場したり、
実際の研究や開発は、たしかに歴史的な天才、偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、
ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事がベースになっていると自分は思っていて、
ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです
でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない
だから、ビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです
しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか
恐れ多いのだけど、宮崎駿氏だって朝から晩までスタジオにこもってアニメを作ってる
もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、
電気なくても構わないから原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、
アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、
そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコでロハスでスピリチュアルなのに走っていってしまうのは
そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、
SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ
SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、
宇宙や宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、
こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリー、
それとジョン・レノンとかヒッピー、メリー・プランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、
LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、
結局は理系の研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしまう
人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか
考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキーも天才的な数学の能力がありながら、
世捨て人のように山奥で自給自足の生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、
将来的にテクノロジーが人類を破滅的に不幸にすると思ったことから、
だったら将来性がある科学者を爆弾で○せば、悲劇的な未来は回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、
これはターミネーター2のストーリーのベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である
話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、
エヴァをリアルタイムで放映していたときが就職氷河期近辺ではなかっただろうか
その時期に庵野氏は、今は飽食の時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、
こちとら現実の就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、
庵野氏はエヴァを作っているとき、ちゃんとニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか?
なんだかんだ、バブル世代の自分の価値観でアニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?
と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって
まあ、たしかに現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない
というか、そういう人たちに人生で出会ったこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかにちょっとおかしいというか、
差別的になるけど軽度の知的障害?ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、
そういうところで昨今のDQNやヤンキーの方がアニメと親和性がある状況というのを理解できる気もする
自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、
SFとかサイエンスなフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、
理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、
自分は大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、
どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、
「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます」
とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、
その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、
多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ
やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、
電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う
まあ、ストーリーの本質は技術ではなく、結局は人間関係なわけで、
今回のケンケンとアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、
まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、
当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、
リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、
シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか、
つまり、庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、
みたいな、まあ、勝手に自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど
そんな感じで、最近の自分はアニメやゲームへの興味が皆無になりつつあるし、
それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分の個人的な人生のイベントだったり色々なわけだけど、
そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、
自分は死んでも大学、大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、
高卒の資格がないと今後いつしか行くであろう大学の道もないのでとりあえず単位制高校で高卒資格を取るのが良い。
かくいう私も16歳で中退し、17歳の冬に大阪茨木市にある向陽台高等学校という単位制高校に編入した。
いつでも入学できると謳っているので思い立ったが吉日で電話をして学校見学に行くといいと思う。特に本人一人でも親御さんとでも、自分の目で見に行って確認するといいと思います。
授業は単位制で自分で時間割からコマを指定して満遍なく指定の教科を取って行く。私は約1年半通って19歳で卒業したが週2、3回程度に詰め込んで通っていた。
当時20年前は生徒の半数はヤンキー、3割は地味目の普通、2割は引きこもり系の感じで私も引きこもり系のど真ん中としてしっとりと通学していた。その他ごく少数の中に当時16歳でプロになっていたサッカーの日本代表選手やジャニーズの人もいたようだがお目にかかることはなかった。
授業の難易度はとっても易しい、テストもとても標準的、それでいて高校の単位がもらえるのだから、大検取得のようにハードに勉強する必要もあまりない。ただし宿題はきっちりあるからきっちり納期通りに提出するようにしなければならない。
一つ珍しかった教科は哲学の授業だった。高校中退してからというもの生きる意味を探して哲学入門書に没頭していたので毎回の授業がとても楽しかった。一度、宿題の作文でなんの脈略もなく、中島らもの「僕に踏まれた街僕が踏まれた街」というエッセイ本の書評のようなものを書いて提出した時、先生に声をかけられて「あれ面白いわな、先生も知ってるで」と言われたことがある。同じ趣味の友人を見つけたような感覚になって嬉しかった。それ以上特に話はしなかったのだけれど。
体育の授業で印象的だったのが、期末テストがソフトボールの対抗試合になっており、1打席でもヒット打ったら優がつくというものだった。結果は忘れた。でも楽しかったのは覚えている。
友達は最後までできなかった。駅から送迎バスに乗り、学校で授業を受け、少し自習して、また送迎バスに乗って帰る。そんなルーティーンを繰り返すだけの日々は、友達どころか「この先どうなるんやろか」という不安な気持ちでパンパンだった。友達を作って遊んでなど多分余裕がなかった。またそんな自信もなかった。でも授業は真面目に出て宿題もテストもこなし多分ほとんど優で卒業したと思う。もうあまり覚えていない。
人との関わりのエピソードといえば一つだけあった。僕が自習してたらグラサンをかけた見た目ヤンキー君が近づいてきて「シャーペンの芯くれや」と凄まれた。1本あげればいいところを怖かったので2本あげた。ヤンキー君は礼も言わずにその2本を私の手からむしり取って去っていった。なぜ1本ではなく2本差し出してしまったのか、自分のビビリ症にずいぶん自己嫌悪に陥った。多分これが人との触れ合いで覚えている思い出だ。その他はもうあまり覚えていない。
そんなことで19歳の3月、僕は晴れて高校を卒業した。卒業式があったのか、そして出席したのかも覚えていない。でもただ一つ覚えているのは、卒業証書の筒を家で父親に見せた時、「よかったな、高校卒業までやりきったな」と笑顔で褒めてもらったことだ。僕としては高校中退で通信制の高校を1年周回遅れで卒業したことが恥ずかしくて全く祝う気持ちにもなれていなかったし、当たり前のことを周回遅れでやっただけという惨めな感覚だったので、その言葉にも何も反応しなかったと思うが、今その言葉を覚えているということは素直に受け取らなかったが、何か言葉にならない感情が湧いていたということだろう。多分嬉しかった。
そして今がある。今は元気に働いている。あの時高校卒業したから今がある。あの時の勉強が続いて続いて波があったけどその延長線上で今専門分野でご飯が食べられている。だから言いたい。高校を卒業して将来に繋げてほしい。高校を卒業したら祝ってほしい、自分自身でもあなたの子供でも。高校卒業とは希望そのものだ。
例えばだけど
「日頃から周囲を威圧していたヤンキーが教師に殴られた」という話と
「大人しく反抗もできないオタク男子が教師に殴られた」という話
どちらにも同じだけ怒り同じだけ抗議できるか?
ていう
これが法律なら殴るという行為についてはなるべく平等に判断しようとするけど
後者についてはネットで祭り上げられて教師が叩かれるかもしれないが
(厳密には法廷ならヤンキーがどれ程日頃から威圧的だったか、で教師に情状酌量は求められるが、ネット民はそこまで精密に検証なんてしないだろう)
もうこんなもんはどうしようもなくて
ある出来事に関する想像力や当事者を慮る気持ちや義憤に駆られる衝動なんて
きっとさっきのたとえばなしだってヤンキーに非がないならヤンキー仲間は理不尽を訴えるだろう
増田はそれをどれだけ真面目に聞いてやれるだろう
ヤンキーにもおとなしいオタクにも公平でいてやろうと増田が思えるならそれは素晴らしいことだけどそれほど簡単ではない
それはもう本当にどうしようもないことで
森がセクハラされてかわいそうだと思える想像力が自分にあるのなら増田が抗議してやればいい
思えないのなら単に自分は公平な人間ではないと飲み込むしかない
そして増田も公平な人間ではないのだから、他人が公平ではないと言い立てたところでたいしたカウンターにもなりはしない
ただ他人の訴えを無効化するために別の問題をもってくるナンタラ話法と同じで
真面目に議論している人には捨て置かれるだけだ
https://anond.hatelabo.jp/20210305071103
ふらっとツイッター見てたら結構著名な方に反応されてておおっとなってしまった。
この文章の著者が「情報系の学部の生徒がたくさん入るサークルだったのでオタクはたくさんいた。多分そのサークルで『鬼滅は自助・共助を…』と言い出したら友達はなくすかな」と言っているのはおそらく正確な観察で、議論ができず「畜群」的関係しか持てないのが「ヤンキーに近い」オタクなのである。
これがその方の反応なのだが…
議論ができずというのが
どっちなのかはわからないので何とも言えないが、
議論ができないというか「おっ、やべやべ、逃げろ逃げろ」という感覚のほうが近いかな。
こう行動するのも、畜群みたいな関係しか築けない、つまり、鬼滅を批判する奴は許せないので排除したいからというわけでもない。
大げさに言ってしまうと、軍歌かけながら「大日本愛国~」と書かれた真っ黒な街宣車乗ってメガホンもって叫んでる右翼が突撃してきたから逃げる。
鬼滅が好きだろうとなかろうと、右翼だろうと左翼だろうと、やべぇからビビッて逃げる。
俺の田舎はまあ酷かった 荒れてた
小学校、同級生が10人以下で、複式学級だったので、まあ過疎だったという資格があるだろう
そんで、荒れてた 近くの児童養護施設のやつらがたくさん通っていて、彼らの多くはまあヤンキーだった
俺の学年は巡り合わせがとくに悪くて、施設出身者は全員ヤンキー、施設じゃないやつらも全員超性格悪かった そして貧乏だった
一方俺の家はなぜかそこそこ金があり、俺自身はなんとなく勉強ができ、オタク気質で、音楽にハマったりもした
絶対土壌はあった
「こんな田舎出てってやる!東京で夢を掴むんだ!」的スピリットをもつ可能性はあった
全然そうならなかった
地元大好き!とはついぞ思ったことがなく、むしろ結構嫌いだが、じゃあ都会が好きかっていうとそうでもない 東京には憧れない
都会に出たら自分の趣味が受け入れられる、あるいはヘンな目で見られない!みたいな意識もなかった
そもそも趣味なんて大して表に出すもんじゃないし、多少流行りに乗れなくたってそれで全ての人間関係が崩壊するわけではない
俺は「遅れたダサいやつ」としてだが、そこそこ快適に過ごせていた 友達なんて究極いなくてもなんとかなるし
結果として地元は出たが、それだって地元を出たいから出たってわけでもなく、ただ行きたい学部が地元になかったからだ
そもそも友達あんまり作らないし、外にも出ないので、差を感じる余地がなかったのかも
でも、コミュニケーションの質に違いがある感じはしなかったし、いくら店がたくさんあったところで興味を惹かれないなら無いのと同じだった
ときどきバズってる、閉塞感にまみれた田舎を脱出して東京にいくんだ!みたいな話、正直理解できん
どこにいようと一緒だろ 東京にいないと充実しない内面世界なんて、ないのと同じじゃん 外付けじゃねえか
今日び、インターネットもあるんだし、マジで東京に出たいってモチベーションがわからねえ
何が違うんだ?ネームバリュー?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 109 | 16869 | 154.8 | 41 |
01 | 35 | 4048 | 115.7 | 52 |
02 | 25 | 2565 | 102.6 | 65 |
03 | 19 | 4493 | 236.5 | 118 |
04 | 17 | 4248 | 249.9 | 102 |
05 | 20 | 2992 | 149.6 | 78.5 |
06 | 40 | 5677 | 141.9 | 60.5 |
07 | 68 | 9468 | 139.2 | 45 |
08 | 88 | 8366 | 95.1 | 50.5 |
09 | 152 | 11698 | 77.0 | 41 |
10 | 177 | 16470 | 93.1 | 49 |
11 | 277 | 23182 | 83.7 | 43 |
12 | 171 | 19543 | 114.3 | 48 |
13 | 117 | 8991 | 76.8 | 35 |
14 | 199 | 20655 | 103.8 | 40 |
15 | 165 | 14772 | 89.5 | 31 |
16 | 197 | 12346 | 62.7 | 31 |
17 | 184 | 15496 | 84.2 | 47 |
18 | 117 | 11666 | 99.7 | 39 |
19 | 125 | 8185 | 65.5 | 32 |
20 | 138 | 13337 | 96.6 | 34.5 |
21 | 160 | 19507 | 121.9 | 39.5 |
22 | 145 | 9734 | 67.1 | 43 |
23 | 108 | 12715 | 117.7 | 49 |
1日 | 2853 | 277023 | 97.1 | 42 |
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https://anond.hatelabo.jp/20210305071103
これの追記として書いておく。
「ただエロ目線でしか見れないのはオタクではなくヤンキーではないか」ということをメインで言ったが、ついでに、
「作品を考察・評論し社会への影響などを考えるようでなければオタクにあらず!」というが、あなた方左翼の掲げる多様性というか、個人主義というか、それはどこ行った?
自由に楽しむということは許されないのか?これはこれで排外的では?というのが気になっている。
また、ものすごく失礼なことを承知でいうし、理解が乏しいかもしれないし、関係ないかもしれないし、いろいろ申し訳ないのだが、コスプレについても気になっている。
基本的にはアニメのキャラになりきることが目的のもの。おそらく社会への影響だとかそういうことは関係がないはず。
「エッチなコスプレだ…」というのはまたヤンキーと一緒だが、「アニメのキャラになりきってみたい!」「ああいう服を着てみたい!」といった女性の欲求も「オタクにあらず!」否定されるものなのか?
https://anond.hatelabo.jp/20210305082054
横だけど、エヴァを世情と結び付けて考察してたようなオタクが(はてなの左翼的なオタクが言うところの)「真のオタク」でそういう事を嫌って萌えキャラをエロ目線で見る事しかしないオタクはヤンキーである、って話じゃ?
この一言に集約される。
フェミがどうとか、ラブタイツは問題なかったとか、今回の増田では関係がない。
政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァの考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログも記事も死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?
後だしで悪いが、1990年代生まれで、高校生になるころにはもうそんな時代じゃなかったんだ。ただ単に子供のようにアニメを楽しむような感じだったんだ。
あと、フジの嫌韓デモもあったせいで、なんとなく「左右関わらず、政治にのめりこむのってヤバいな」っていう意識が個人的にもあった。
俺もつい最近やっと気づいたんだ。彼らが言う「オタク」ってこういうものなんだって。
「君は涼宮ハルヒのキャラで誰が好きなの?」のコピペも、オタクのやばい言動や笑いを示したものだけじゃなくて、オタクはガチで考察とかをするもんだったんだって。ただのコピペだけどさ。
「なぜ90年代のブログも記事も知らないんだ!お前はなぜ古典に学ばないんだ!」っていうならそれはそれで済まない。
(中学の時にハルヒが流行ったし、同じ中学の美術部女子がこぞってはまってたが、あれはなんでだろう。オタクのくせしてハルヒを見てないのでわからないが・・・)
フェミニストたちは"オタク"を攻撃してるんじゃなくて、公共の場でポスターとして、もしくは広告として使われていることに怒ってるんだよ。オタクのことは誰も攻撃してないので萌え絵もそのまま好きでいたらいい。
オタクとして萌え絵を見ている間に感覚が狂ったのか知らないけど、公共の場にやたら胸が強調されている宇崎ちゃんポスターが使われているのも、股のシワが描いてある(現実にはありえない)スカートを履いてるポスターが使われているのも普通に気持ち悪いよ。
アツギのタイツに至っては顧客が女性なのに、なんで女性を客体化した広告使ってるんだって話だし。タイツ履いてる女性をエロいなーっつって鑑賞する広告じゃん、顧客を性的搾取する広告なんだから批判されるの当たり前だよね。
エロを強調した絵が嫌なんじゃないの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギの一つ一つの絵も別に全然嫌いじゃない。
ただ、それを公共の場で広告として使ってるのが嫌だって言ってんの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギもpixivに上がってりゃなーんの問題もないよ。ツイッターで個人があげててもなんも問題ない。
この絵を広告として使うのはどうかと思うってだけの簡単な話なのに、オタクが攻撃された!表現規制だ!って思うの自他境界線ゆるゆるすぎるから考え直したほうがいい。別にその絵を好きなオタクのことは誰も攻撃してないので。
公共の場、オタクも非オタも老若男女が見る前で、胸が強調されてたり股のシワがあったり、そういうエロの記号的表現がある絵をどうしても掲げたいって思うわけ?自分のことヤンキーかも〜とか言う前に広告として絶対に胸が強調されてる絵を使いたいって感覚がおかしいって気づいたら?
あとオタクとフェミニストは普通に両立する。何で両立しないと思ってるんだか。
それと、政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァの考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログも記事も死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?
男性で、左翼で、オタクっていう人が萌え絵に難色を示している。
この人たちの今までのツイートを見てみると、オタク観が何となくわかった。
「"オタク"は作品を深く考察・論評し、社会的意義や社会に与える影響を論じるべきだというのに、お前らはただエロければよい萌えればよいという極めて低俗な人間だ!お前らはオタクじゃない!」
こんな感じだ。
https://anond.hatelabo.jp/20191122203342
ここの増田にも書いてあるように、実際にそういうことをした人もいるようだ。
https://note.com/iovis_takahasius/n/n5d806216d51c
まさにこれがオタクの例。
俺も大学ではサークルに入っていて、別にアニメサークルというわけではないが
情報系の学部の生徒がたくさん入るサークルだったのでオタクはたくさんいた。
多分そのサークルで「鬼滅は自助・共助を…」と言い出したら友達はなくすかな…
「自己責任論っぽくてイヤ」でギリギリ何とか踏みとどまれるか。
あ、有名なものを批判してるから敬遠されるとかいう理由でなく、
「そういう政治にもってくタイプの人なのね」と判断されて敬遠される。
(これは左右関わらずネットで過激に政治を語る人たちのせいなんだろうけど、
俺が上で上げたような作品を論評するオタクがだいたいこんな感じの人なんだよなぁ…)
それで、左翼オタクが否定しているような"オタク"というのは、考えてみればヤンキーに近いんじゃないかと思ってる。
昔のドラマ・アニメとかで、女子更衣室を覗くのはどちらかというとヤンキーのイメージが多い。
「ごくせん」でも不良が当時あまり流通していなかったノートパソコンを使ってエロ画像をダウンロードしていた。
ヤンキーに近いというよりかはヤンキー的な目で女を見ているといえるか。
とにかくエロいのが見たい。エッチしたい。蹂躙したい。こういうヤンキー的目線。
宇崎ちゃんのポスター擁護してる人全員がこう思っているとはいわないし、全員レ○プ願望あるとも言わない。
ただ、萌えればいいというのはヤンキーに近いのかなという感じ。
ちょっとしたおまけだが、オタクとフェミニストは両立しないという意見をちらほら見るが、別のオタクとなら成立するのではないか?
別のオタクというのは、先ほど挙げたような作品を論評して、左翼思想の元に社会の問題点を指摘するオタク。彼らに言わせれば真のオタクか。
例えば、なろう系の作品で女騎士が敵国の捕虜になり悪徳大臣の下で「超ミニスカ絶対領域、胸の谷間大あらわ」の破廉恥メイド服を着させられて奉仕させられるというシチュの時は、
「中世ヨーロッパの時代はこのように女性の人権が云々…」「今こういう作品が日本で受け入れられること自体が日本の人権意識の云々…」