はてなキーワード: ボールペンとは
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
点線に沿って下半分だけ綺麗に切り取られたような夜だった。
シクラメンは設問に答えない。申し訳程度に首を傾げて空が落ちてくるのをずっと待っていた。
前線には四人の仲間がいて、それぞれがそれぞれのグラスを感傷で満たす。賢人はノートを切り離さないらしい。
電解質の消しゴムで春の憎しみを描いていたら、Bluetoothが起動して心と頭がペアリングされた。
面接で言えなかった特技は忘年会で昇華しようと思う。OB・OGなら笑ってくれるだろう。
検閲されなかった痛みは二週間遅れで僕の髄膜あたりに再降臨した。成功したと思っていた告白が、卓袱台と化して寝込みを襲ってくるように。
ボールペンが滑り、万年筆が掠れる。鉛筆は言い当ててもらえなかった。ただスプーンだけがコーヒーカップに寄り添い、勝者の笑みを浮かべている。
順不同やで
ノリノリになれるので、夏以外でもしょっちゅう聞いてる。
あと意味わからないこと書くけど、僕の中でシュタインズゲートの裏テーマソングになってて、シュタゲの外伝とかがある前にこれを聞いてテンションを上げてる。
なんでかなあと歌詞を見てて気づいたけど「そんなエンドロールなんて今すぐ巻き返してみせるから」がシュタゲっぽいのかな?
なにかの公録のときの伊福部さんパートが増えたバージョンがもっかい聞きたいなあ。
世界を敵にしてもこの星を救う戦いの歌
この命捨てても君を守りたい愛の歌」
ここは、ワンピの麦わらの一味が仲間になる順番で歌詞を覚える。
ってのを聞いて以来、アーロンパーク編の思い出が合間って妙に泣ける曲になってる。
ただ、5回に1回ぐらい、ボールペンの歌を思い出してゲラゲラ笑ってしまう。
これ、あと何分の放送を録音したのを加工してるんだけど、CDになったことあるのかな。
ポアロの何かの会話で
「素晴ラシキ哉、人生って何年だっけ? あっ2001年の素晴らしきひーにー、だから2001年か」というくだりのときの、伊福部さんの歌いかたがめちゃくちゃ好き。
マイフレンドで「あわい恋の思い出が全部アニメの中にあったって大丈夫」と歌っていたポアロが
「ああ素敵な今日はあの日の僕と繋がっているんだよ辛いことさえ」と歌うの、もう、そりゃもうポアロのアルバム出せなくてもいいのかもなあ、と思ってしまう。
涙出る。
曲というより、これがいい曲なんだよと語り合う回のあと何分が大好きだから
なんか最近この曲に超ハマってる。
つうか、これを歌った人の中に、アイマス声優がいるってのが恐ろしい話だなあ。
ビックバンってすごかったんだなあ。
「きっと君は家で12ch見てる 」なのか
「きっと君は家じゅうで2ch見てる」かと思ってた。
最後の女の子の語りって浅野真澄さんなのかな? 気持ち悪い感が出しきれてない感じが逆に好き。
この歌詞大好き、事あるごとに呟いてる
ここだけの話なんだが、
「透けとる」→「透けとるん」のアナグラムが元になっている。
これを考案したのが大阪の「大木製作工業」という町工場で、ポリカーボネート樹脂を世界に先駆けて家電製品に使用した知られざるエポックメーカーだった訳だが、最初のスケルトン(今で言うトランスルーセント)製品がボールペンだったことが、この件を知られざる豆知識にしてしまった。京都の文具メーカーからのOEMだったわけやね。
大阪と京都の民族性というかトライブっちゅうやつや。どちらの府のメディアにも取り上げられることは無く、歴史に残ることも無かったと。流行の考案者と、それを世に出した者が違うと噂は広まりにくい。なんせ名前が2つあるから、記事にしたときの見出しがパッとしない。
そういう訳だが、いい機会だったので「スケルトンの発祥は日本の大阪なんですよ」ということを改めて書いてみた。今度トリビアの泉にでも投稿してみてください。
よく自分の身に付けたり、
長く使ったりしているものが、
ふと壊れたりなんかすると、
私に降りかかった災難を身代わりになって壊れたのかな?
とか思っちゃったりする今日この頃。
超お気に入りのさ、
ビックリしたわ。
昨日の出来事よ。
こんなところ割れるかしら?って感じで。
替え芯いっぱい買ってただけに、
同じ替え芯使えるペンを探すのも大変だわ。
よくある、
その逆、
この替え芯の本体はこれですよ!っての
そこが知りたいのよね。
もう時すでにお寿司。
なかったりするのよね。
替え芯1本からネット通販やっちゃうのもどうかな?とも躊躇しちゃうし、
世の中そんなものね。
とりあえず、
体調の不調は今のところないわ。
あとでどーんと不調が炸裂したら嫌だけど留意するわ。
目覚める前に付くようにしておけば
部屋はポカポカよ。
目覚めが良いわー
冷たい物もグイグイ調子に乗って飲んじゃいそう。
そんな
あの味は出せないのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
世の老人はこう言います。今の世の中は便利になったと。
それはテクノロジーという面では間違いありません。私たちは、かなりの時間を短縮することができるようになりました。
一つ例をあげましょう。
違う時代を生きるAさんとBさんは、上司からこう言われました。
「この2枚の表のデータの中から、どちらか片方にしか無いものを探してくれ」
十数年前を生きるAさんは印刷されたふたつの表を見比べ、ボールペンで一つずつチェックマークを入れました。
現代を生きるBさんは、エクセルの関数一つで30分もかからず終わらせました。
さて、世の中が便利になったことにより、BさんはAさんより1時間半早く同じ結果を出すことができました。
ではBさんはAさんより1時間半早く家へ帰ったでしょうか?
残念ながら答えはノーです。私たちは未だ変わらず少なくとも週5日、10時間近く拘束されています。
世の中のエンジニア(このケースの場合はエクセルを開発したMicrosoftの)が短縮した時間は、一体どこへ消えたのでしょう?
もちろん、これは極端なケースですし、全ての仕事はここまで単純ではありません。
しかし、パソコンに向かって働く人なら似たような経験をしたことがあるでしょう。(もしかしたら、今日も隣のデスクに座る古い方法に縋り続けるAさんを見た人もいるかもしれません。)
世代間格差は年金問題だけでなく、仕事の密度にも現れています。
そして、現在進められている働き方改革は、仕事のスピードアップにだけ目が向けられています。
パソコンの性能は上がりましたが、人間の脳が耐えられる負荷の量は増えていません。
いくら仕事をスピードアップして早く帰れるようになっても、帰った後にもう何もする元気も無いのであればその改革には何の意味もありません。
先人の手によって生まれた浮いた時間、その分を早く帰るか、もっと働くかを選択することができる。
俺のシフトは18:30〜のときと、19:40〜のときがあって(学習塾なのでこういう半端な時間からはじまる)、それぞれ10分前に塾に到着することが求められる。
俺はその日、二つの時間がごっちゃになってしまって何を間違えたか、18:40〜からだと思いこんで塾に向かった。当然10分の遅刻になった。
授業終了後、俺は社員から詰められることになった。「なんで怒ってるかわかる?」と言われ、俺は「私が遅刻をしてしまったからです」と答えた。社員は「違う!」と言った。違うのかと思いながら聞いていると「お前は、遅刻の理由を(俺の到着時に)聞いたとき、二つの時間を間違って18:40〜はじまると勘違いしたから。と答えて、嘘をついたからだ。そんな理由、聴いたこともない」
もちろんこれは嘘ではない。信じにくい話かもしれないが、本当に俺は二つの時間がごっちゃになってしまって大学を出るタイミングを間違ってしまい、遅れているしまった。「嘘ではないんです、本当に勘違いしてしまいました」と言うと、なんだか嘘をつき通そうとしてるみたいな雰囲気になってしまった。社員は続けて「遅れるならその時点で連絡すれば多少のフォローはできるのに、連絡をおこたったのが一番悪い」と言った。俺は勘違いしたまま大学を出たので連絡することはできなかったが、それは遅刻した身には言い訳無用だ。ただもうご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ありませんでした、以後このようなことがないよう気をつけますと謝るしかできなかった。
そこから、この社員(教室唯一の社員で、管理を一手に担っている)の微妙な嫌がらせが始まった。挨拶をしても返してくれないし、給与明細は各バイトに引き出しが与えられておりそこにこの社員が時期が来ると入れているのだが、入っていないようになった。シフト希望も突然受け入れられなくなり、俺が絶対に入れないでほしいといった曜日(朝一からみっちり授業があってバイトなどしたくない日)に入れようとしたり、支給されるボールペンなどが壊れていたり。確かにアホな間違いで迷惑をかけてしまったのは俺だが、この仕打ちには疑問をいだき、この社員より上の地域長の社員にかけあって定期圏内の別教室に移動させてもらった。
中学一年生から、僕は個人指導でお馴染みのあの塾に通って英語と数学を三年間習っていた。
僕に英語を教えてくれていたのはK先生で、バイクで全国を旅してお城を回るのが好きな先生だった。(ガラケーで撮った写真をよく見せてくれたものだ)
僕も歴史は好きだったし、英語もわりかし得意だったので、K先生の授業が(それと雑談が)とても楽しみだった。
(K先生は大学生だったから、たまに授業を受けられないこともあって、その時は残念だったことを覚えている)
ある日のこと、どんな話の流れだったかは思い出せないが、K先生が僕に「テーゼとアンチテーゼ」の話をしてくれたことがあった。
今になって思えば、多分先生自身が授業で習ったことを教えてくれたのだと思う。
ノートの隅に図式でテーゼとアンチテーゼ……そしてもう一個ジンテーゼってのがあるんだよ。と書き込んでくれた。
僕はアンチテーゼぐらいまではなんとなく知っていたけど、ジンテーゼは聞いたことがなかったので、そんな言葉というか、概念があること驚いたし、「僕だけが難しいことを知っている」というちょっとした優越感も持つことができた。
もう10年以上前の話だし、その時説明してくれた言葉の意味については正直に言って覚えていないのだが、aufhebenと先生愛用のBIG(黄色い芯に青いキャップのボールペンだ)で書かれたドイツ語はとても魅力的に見えた。
僕は高校生の駆け出しぐらいまでその塾にいたのだが、中学校卒業間近ではほとんど会ってないような気がする。
「K先生は家庭の事情で退職されたよ。お父さんが病気で体調を崩されたらしい」と塾長が僕に教えてくれた。
先生とメールアドレス交換すりゃあよかったな、と少し後悔した。
僕は大学へ進学しドイツ語を学び、先生と同じように塾でアルバイトした。
あんまりアウフヘーベンと関係ないけど、今話題になってるのを見て、K先生も同じように「そういや昔、アルバイトしてた塾で中学生に説明してたな」と思い出していたらいいと思う。
不祝儀袋(ぶしゅうぎぶくろと読むそうな)をAmazonで買った。御霊前、御香料、御香典の3種類だ。人付き合いが少ない自分の事であるから、10枚*3パターンで今後を含めて一生分のちょうどよい数だと思っていた。御霊前は10袋入りで問題ない。透明なパッケージに入っていてこんなもんだろうという感じがする。
ところがそれ以外の2つは見た目からして何か違っていた。まず1つ御霊前を10束ぐらい積み重ねた大きさの紙の箱があった。入出荷時開封厳禁と書かれたシールが上に貼ってある。中身をみると透明なパッケージに入った御香料10枚セットが10個収まっていた。そう、100枚だ。相手の宗教・宗派によるがこれは自分が生きているうちに使い切れないだろう。
だがまた別に紙の箱がある。大きい。御香料の箱よりも高さはなくておよそ3分の2程、でも上からみるとA4よりもやや小さいぐらいの箱が残っていた。200枚?と心配しながら中をみるがそれほどではなかった。
5束のセットが横に2つ並んでいただけだった。つまりこちらも100枚と行ったところか。合計210枚。御香料と御香典は仏式でないとだめな気がする。やはり、全部使い切れないだろうなと思う。
以前、シャーペンの芯をたくさん買った時の事を思い出す。お年玉をもらった頃だったか。あの芯が入った長細い長方形のやつを50だか100セット入りの箱で買った時だ。無くしてしまった分も相当あったけれど、勉強熱心だった僕はそれを使い切る事が出来た。
今はボールペン主体でシャペーン自体手元に数本しかない。換えの芯入れも最近買ったHBとBがそれぞれわずか1セットづつ机の中に入っているだけだ。
びっくりするぐらい字がきたなくて自分に驚いた
いや元々そんなに綺麗な方でもないんだけど、高校の頃のノートなんかもう少しまともに書けてたはずなのに
シャーペンだとなんか上手く力が紙に伝わらなくて、トメハネが制御できずにヘロヘロな文字になってしまった
思うに、このところキーボード入力がメインになってて、メモとるときもジェットストリームみたいなスルスル系のボールペン使ってるもんだから、力の加え方を忘れちゃったんだろうなぁ
ジェットストリームと同じように書くとかなり引っかかる感じがあって、すげー手首が疲れた気がする
鹿児島の進学高に通っていた。
学力スクールカーストが酷く、学年一位の男の子が成績が悪い女の子に、廊下ですれ違いざま「バーーーーカ!!」と言っても
当たり前のようにみんながゲラゲラ笑うような環境ができていた。
夜10時就寝・夜2時起床〜登校まで勉強が、学校の推奨スタイル。
先生たちも、手をボールペンで刺しながら勉強する、とか氷水に足をつけながら勉強することを勧めるような人たちだったので
やや狂った校風だったんだろう。進学高なら当たり前なのかもしれないけれど。
いつも成績上位だった生徒が試験の回答間違えを訂正しようと職員室に侵入した事件もあったし
勉強のしすぎで狂った生徒がトイレに引きこもって泣きわめいたりしていた。
…
西船まできて東葉高速鉄道(高い)へ乗り換えて船橋日大前駅で降車
東口から出ようとしたところ駅員さんに西口をご利用くださいと誘導された
オーキャンがあるためにわざわざ?
東口を出るとすぐそこ
受付用紙を貰って誘導された建物で事項を記入し終わったら前の人についていって総合受付
紙を渡すとよくあるカサカサの袋を貰える
中身はボールペン(赤青1本ずつ)、入試詳細の載ったパンフレット(ついこのまえ200円払って申し込んだのに貰えるんかい)、学食体験チケット・ドリンク引換券等
後うちわがそこら中においてある
早く着いたのでオリエンテーションに参加
偉い人の話、スケジュール等の案内
みんなぼーっとしているので休憩室かと思ってパンフ落ち着いて眺めようかと思ったら全く興味のない学科のミニ講義が始まった
途中で出るのもなんかあれなので仕方なく最後まで聞いてみた
内容は面白かったけど深めたくはない
授業内容も役に立つ
その他
個別相談できるコーナーは1Fにもあった(入試個別相談)学科別の相談とは何が違うのかな
ネットカフェというと快活やゲラゲラみたいなのを想像してしまうが、普通のカフェだった。
その端っこに数台パソコンがおいてあるって感じ
僕はレストランで食べました
カツカレーを注文
あまりお腹すいてなかったので後半は無理やり押し込み…
オープンキャンパスのためにわざわざ特別メニューを出してくれているみたいですが僕らはいつも食べられるものが見たいんですよね
時間なくて引き換え忘れた
レントゲン写真をボールペンのケツでつつきながら、医者はそう言った。
目の前が一瞬暗くなって、それから、さっきまで石ころのように
小足で蹴りながら運んできた仕事、家族、可能性が、ドブに落ちていくのを感じて、あっ、と思った。
手術でしょうか?入院でしょうか?治るんでしょうか?
医者は、はいともいいえとも言わずに、顎に手をやりながら暫し沈黙すると、
「まあ、悪いものでもなさそうだし、とりあえず様子見ときましょうか」
拍子抜けとともに、思わず笑顔になった、医者も笑顔で頷いた。世界に色が戻ってきた。
自覚症状が無いだけで、大抵の人は加齢とともに価値観が出来てしまうものらしい。
あーあ、俺ももう若くないんだなあ。
家にいるときは筆が進まない。この事実に対していくつかの仮説を立てる。
①今日はたまたま疲れている。実際に今日は朝から思考の活動が常に活発化していて、不快な場所にいる時間もあった。(反論)一昨日のほうがストレスは強かったのではないか?不快な場所で過ごした時間は今日よりもずっと長かった。
(反論)一昨日はまだ文章を書くという習慣は始まっていなかったので比較対象にすることが間違っている。(余談)一昨日に起きた出来事。不快な人混み、サピエンス全史、ギャンブル、宗教的体験、自殺願望。
そもそも一文目の記述自体が正確ではない。昨日書いていた文章の続きは書くのに難航したが、今日書き始めたこの文章については比較的滞りなく書き続けている。
(新しい解釈)「筆が進まない」という言葉が指すのは文章全般についてではなく、ある程度の一貫性を持った文章のことを指しているのではないか。
そろそろ思考のスピードに筆記が追いつかなくなってきた。一度、喫煙に行く。
喫煙中に考えたこととその続き。
この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。
実際には頭のなかで「かいけつほうほう」とは発音せずに「ソリューション」と発音していた。
何故わざわざその語を選んだのか。そして何故文字に起こす段階で「解決方法」に表現をかえたのか。どちらも根底にある理由は同じだ。それは情報量の圧縮である。
「かいけつほうほう」が8音節なのに対し「ソリューション」は5音節だ。ネイティブな英語なら「so-lu-tion」で3音節で更に短いが、残念ながら頭の中で使っていたのはカタカナの方だ。
文字に起こすときに「解決方法」が選ばれたのも同じで、「ソリューション」や「solution」よりも少ない文字数で表現できる。
何故無意識になるべく少ない情報量で表現しようとしているのかについては、はっきりした理由は分からない。
本題からは逸れるが、文字に起こす上でコンピューターが扱う情報量においては「解決方法」は2バイト言語で4文字なので8バイト、「solution」は1バイト言語で8文字なので同じく8バイトである。だからどうした。
まだまだ(一貫性があるかはさておき)話を続けることはできるが、キリがないのでこの辺りで止めておく。
実は『この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。』という部分を書いたころには増田に投稿するというアイデアが浮かんでいた。
しかし、その時点で投稿してしまっても大して面白くないな、と思ったのでもう少し量が溜まってから投稿しようと考えた次第である。
幸い、ある程度まとまりのある話が書けたので、そのまま投稿するよりも少しは興味を惹ける内容になったかと思う。
最後にこの文章はルーズリーフにボールペンで書いたものである。つまり、投稿するためには電子データに清書しなければならない。この時点ではパソコンの電源すらついていないので、先が思いやられる。