はてなキーワード: ハンサムとは
モデルレベルの容姿を誉めそやすことと、日常生活においてブサイクが蔑まれることが、どこまで直結するのかなあ。
他の例、運動神経を例にとると、エリートスポーツ選手の活躍とその運動神経を称えることはあっても、小学生はさておき、パートナーに対する評価基準で運動神経ってだいぶ下だよね。
確かに、パートナーに対する評価基準において、容姿が大きなウエイトを占めているのは事実だよね。
「子どもをブサイクにしたくないからだろ」って言われそうだけど、それは「時代が子どもの世代になっても、容姿は重要なままのはず」っていう考えがあるわけだろうし。
昔話含め「見目麗しい」「ハンサムな」とか、ルッキズムを刷り込まれてきたからなんだろうね。
まあ少なくとも「モデルレベルの容姿の賞賛」は、「エリートアスリートレベルの運動神経の賞賛」と同じで、あなたの容姿と直接比較してるわけではないので、そこまで気にせんでもとは思います。
最近ね、やっと自分に一番似合う髪型に出会ったんです。それがハンサムショート。横から見たときに目元が隠れて、それが大人っぽくて素敵なヘアスタイル。ショートでありつつ女っぽさも残っていて、人生で一番似合っていると思うし、周囲からも好評で、鏡を見るたびに「素敵だなあ」と思ってる。
それがね、きょう客に、「でか。髪も短いし男と間違われるだろ」って言われて、バキバキと音を立てて崩れていきました。
身長が169cmあります。周囲には167って嘘ついてるけど、本当はあと1cmで170cmに到達してしまうくらいの背です。子供の頃から背の順じゃ一番最後で、今の今まで高身長であったことで何一つ良い思い出が無いから、正直コンプレックス。
たとえば小中学生の頃、女の子のほうが男の子より多い学年だったから、背の順であぶれた私は体育祭のフォークダンスとか男の子のポジションで女の子の相手をしてきました。男子と女子で練習する場所が違ったから、私だけぽつんと男の子の中に入れられて練習して、ダンスをすれば「女の子だ!安心する〜」って相手の子に言われて、その度に地味に傷ついて。男女を意識しだすくらいの年齢でコレするの、だいぶキツいんですよ。「私だってそっちに行きたいのに!」ってずっと思ってました。それからずっとずっと、コンプレックス。毎年こんなのが夏にあったから、運動会も体育祭も大嫌いでした。
そんな身長を持っている私、小さいころから髪型はほぼショートかボブ。ただでさえ背が高いのに、髪なんて伸ばしたら、もっと面積が増える(※追記1)じゃないですか。怖いんです、圧を感じられるのが。「高い」を「でかい」に変えられると、もう心臓潰れそうになるんです。ほんとに。
で、身長があってショートヘアってなると、ちょっと男性っぽくなっちゃうんです、どうしても。女らしさとか男らしさとかがボーダレスになってきたこの時代でも、「高身長、ショートヘア」より「低身長、ロングヘア」のほうがちょっと女性らしさを感じちゃったりするでしょ。それでよりによって私がひとえだから、くりくりおめめの可愛い女の子から程遠いのね。泣けるでしょ。
過去に外見で「男の子かと思った」って言われてメンタルをボコボコにされた経験があるので、少しでも女性らしくと思って頑張ってきました。整体に行って女性らしいラインをキープしたり、カジュアルになりすぎない服装を心がけたり、眠たい朝でもまつげはばっちり伸ばしたり、乱暴な言葉はなるべく言わないようにしたり。ぱっと見たときに「あ、ショートヘアの女性だな」って思ってもらえるように。
そんな中で出会ったのがハンサムショート。女らしさのあるショート。もうね、運命の出会い。ショートヘアが得意な美容師さんに切ってもらって、「めっちゃ似合うじゃん!顔見えないようにブログ載せていい!?」なんて言われて、毎日鏡を見てウキウキして、楽しくて、自分を少し好きになれたのね。
さっきまでね。
やっと持て始めた外見に対する自信を見ず知らずの出会ったばかりの赤の他人に破壊されて、たまらんよ。本当に。
初対面の人間に対していきなり上から下までじっくり見たあとに外見についての評価を下してきて、その後にセクハラまがいのことまで言われて、その客が終わった人間性を持っていることはわかってるんだけど、でも本当にショック。"可愛い"と無縁の外見だからこそ、そう思ってもらえるようにって頑張ってるのに、男性に「男と間違われるだろ」なんて言われて、傷つかないわけがないのね。「素敵な大人の女性に近づけたかも」なんて思ってたのに、男って。「でか」なんて言われて、コンプレックス刺激されて、「結局身長なんだ」「何をしても私はちっさくて可愛い女の子になんかなれやしないんだ」「ハンサムショートだって結局意味ないんだ」って、もう、この文章打ってて涙出てきた。でもやっぱり私は今のハンサムショートが大好きだし、ロングヘアにはしたくないし、はあ、もう、どうしたらいいの。
【追記1】
いきなりコメント来て驚いた。拙い文章でほんとすみません。仕事は接客業です。
ロングヘアだと面積が増えるっていうのは、もつ意味わからん表現でした。長方形が2つあったとして、一部でも欠けてたほうが小さく見えるでしょ。それを言ってます。表現が乏しくてすみません。意味わからんかったらそのまま飛ばしてもらっていいです。すまんな。
『映画秘宝』の元・編集長による恫喝DM事件が発覚した当初、一部の『映画秘宝』関係者が「映画を観て、差別に反対し、社会の不正や権力に立ち向かう姿勢を学んでいたのに云々」といった主旨の言葉を述べていましたが、果たして本当にそうでしょうか?若い読者の中には信じてしまう人たちがいるかも知れないので、元・愛読者の一人だった私が記憶に基づいて(と言うのも手持ちのバックナンバーはほとんど処分したので)、これについて反論のような事をポツリポツリ試みたいと思います。
『映画秘宝』が現在のサイズになって間も無い当時『映画秘宝』は、自民党政権を援護射撃するメディアの一つでした。これは何も『映画秘宝』に限った話ではありません。当時は、例えば『ミュージックマガジン』の故・中村とうようが「自民党を壊してくれるなら小泉純一郎を支持する」と公言していたように、小泉政権を支持する反・権力系メディアやその関係者は珍しくなかったのです。
同じ頃『映画秘宝』は、当時の秋田書店の漫画雑誌『少年チャンピオン』で連載されていた漫画『アクメツ』を誌上で紹介した上で「この漫画は傑作なので『映画秘宝』の読者も読んで応援しよう!」と推薦していました。ご存知ない方の為に解説すると漫画『アクメツ』は、小泉純一郎をモデルとする政治家(※ハンサムに描かれる)が行う改革を応援する為に、主人公である高校生テロリストが改革に反対する勢力の人間たち(※こちらは醜い外見で描かれる)を殺害しまくる(しかも、その殺害の模様を映像で配信する)と云うのが大まかなストーリーです。
それだけではなく『映画秘宝』の読者投稿欄では「映画の中で公務員が死ぬ/殺される場面が出てくると、映画館で拍手喝采します」と云う内容の手紙を掲載したり、映画紹介記事の中に「公務員の奴らは他の仕事に就くことが出来なかった無能たち」という文を態々差し挟む形で書いたりと、当時の小泉改革により巻き起こった公務員バッシングの風潮に『映画秘宝』は全力投球で乗っかっていました。公務員バッシングをしてくれる雑誌メディアの一つとして『映画秘宝』を愛読しているネットウヨク的な人間たちも、当時は少なくなかったのではないでしょうか?少なくとも、読者投稿欄などに「小泉改革に乗っかって浮かれるのは止めた方が良い」という意見が載る事や、ライター内部からの批判記事が書かれたは無かったものと記憶しています。
町山智浩は小林よしのりに対して「ネットウヨクたちを生み出した責任を取れ」と批判したようですが、四人がかりで女性1名を標的にパワハラを行うような町山智浩たちが作っていた『映画秘宝』に対して、私は「貴方たちが過去に行った自民党政治への援護射撃の責任を取れ」と言いたいと思います。
奈良さん・小沢さん・ギンティさん・市川さんたちからの告発を受けた町山智浩ら4名は、近年『反・権力』の姿勢を盛んにアピールしていましたが、私の目から見ると「ナチスの戦犯が過去を隠して戦後を生き延びた姿に似ている」と思います。仮にも『反・権力』を謳うならば、過ちを犯した時には自己批判して、反省する事が肝要でしょう。それが出来ない、他人に厳しく自分たちに甘い町山智浩ら四人は、決して「反・権力」や「不正と戦う」と云う人間たちではないと私は思います。
元『映画秘宝』愛読者だった私。家族に『映画秘宝』を読むことを勧めてしまった私。この私にも『映画秘宝』のモンスターを育てた責任は有ると思う。だから、元・読者の一人として、恫喝DM事件の被害者に謝罪します。こんな人たちを批判するべき時の過去の時点で批判する事を怠り、彼らを増長させて育ててしまい、その結果として貴方を傷つける事態を招き、本当に申し訳ありませんでした。
今なお町山智浩ら四人に心酔しきっている状態の私の家族の洗脳をたとえ解けなくても、他の誰かの目を覚ます事はできるかも知れない。そのような一縷の望みを託して、読者だった当時の記憶を記しました。見出しに(1)と付けたので、気力が湧けばまた何か書こうと思います。悪文によるお目汚し、失礼致しました。
【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である
【おことわり】
・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞のファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ
(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれる殺陣のせいで話が分からなくなる。
しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから。
殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると
・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる
・戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報を認識できなくなる
刀剣乱舞を題材にしている上殺陣を特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。
(2)台詞が頭に入って来ない
末満さんの詩情が体質に合わない(完)
これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。
筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明を台詞やモノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台で物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人の仕事だと思ってる。
(3)複数ラインの物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間の舞台二個やればよくない?って思う。
①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分は秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか。自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)
②弥七や真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点や恣意に影響され、ある事柄を完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ
関連性のない複数のストーリーラインが(殺陣や長台詞をガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる
あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付けは加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……
諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……
「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。
(5)物語の恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……
ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……
今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし
三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ
ようわからん(完)
基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。
ちゃんと考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。
ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式で解説本出してくれ。図解してくれ。
そもそも作中での情報開示渋ってファンの考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……
まあ昨今はインターネットやSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……
ツイッターで考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……
「史実に存在してはいけないもの」を登場させたから物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決からの無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣を遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?
これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人の性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラは適当です)みたいなシーンが頻出してた。
今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤、江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康に対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズの主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。
(9)加州顔濃ッ
ごめんて
ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった
ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど
ただただHandsomeになっていた
「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった
【よかったところ】
ステアラをよく活用してた。クライマックスの360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。
弥七が健気でかっこよかった
韓国の女性用の大手掲示板。イルベのような男性中心の女性嫌悪コミュニティに対抗するために作られたため、その辺りとの対立はとても激しい。
女性への性的搾取として韓国内の大手ポルノサイトを国会議員に請願して閉鎖に追い込むなどその影響力は大きい。
なんやかんやあって今は閉鎖したが、後継サイト等にて未だに韓国ネットのフェミニズムには大きな影響を与えている。
ちなみに上記メガリアのロゴは6.9cmを人差し指と親指で表したハンドサインが元になっている。
より過激なフェミニストコミュニティでは6.9ではなく2.9という呼称の方がよく使われる。
男を殺すという意味。
「男性が女性を見ること自体が暴力だ」という主張のもとに作られた造語。
女性活動家の話を間に受けた海水浴場が女性専用海水浴場を開設したものの客が激減しすぐに廃業に追いやられた逸話は多くのイルベ民に都合よく使われることになった。
韓国人女性への蔑称『キムチ女』への対抗で考えられた韓国人男性を虫に例えた蔑称。
韓国のフェミニストの間では韓国人男性は虫として扱われている。
昔は対抗として『キムチ男』がそのまま使われていたがインパクトが弱いということでこちらの蔑称が定着することになった。
漢虫に関連。
幼い男児は漢幼虫と呼ばれ、多くのフェミニズムコミュニティでは幼い子供であっても差別や虐待を仄めかす書き込みが絶えない。
漢虫の対義語として使われる。
幼い女児のことを指す。
漢幼虫の対義語として使われる。
主に中絶に罪悪感を覚えないメガリアの女性ユーザーが胎児のことを指すときに使う。
「胎児は母親に寄生するだけの存在なので寄生虫と同等だ」という主張がよくなされている。
↑に関連する話だが、胎児が男児の場合は『漢幼虫』で代替されることも多い。
フェミニストが自分たちの差別や問題行動をイルベ民に押し付けるためにイルベ民の行動を模倣することを指す。
上記の説明にもあったが『漢虫』は韓国人女性への蔑称のイルベ用語『キムチ女』へのミラーリングとして造られた造語である。
その他にも中絶経験のある・または抵抗のない女性を指すスラング『中絶虫』のミラーリングとして妊娠させても責任を取らない男を『ヤリ逃げ虫』と呼ぶ等、
韓国のフェミニストの間では女性への蔑称があれば同等かより過激な男性への蔑称を造り出し、女性に侮辱的なネット文化があればこちらも同様に男性に侮辱的な活動を広めようとする文化が広く根付いている。
生理のことを指す。
女性に与えられた社会的な役割や女性としてとるべきとされてきた行動から女性は開放されるべきだという運動のことを指す。
夫や父にはATMとしての価値しかないという意味が込められている。
『男女』は韓国語にも対応する言葉が存在するがフェミニストコミュニティでは女性を先頭に女男という言葉が使われる。
フェミニストが男性を装い女性を擁護するときに必ず頭につく文言。
使用例:「俺は男だが、胸の大きな女性よりも小さい女性の方が魅力的に感じる」「俺は男だが、韓国人女性が韓国人男性を中傷するのは歴史から見れば当然だと思う。」
男性でありながら韓国の過激なフェミニズムに迎合(クンニ)することで多くのフェミニストと肉体関係を持つことに成功した男性を嘲笑の意味を込めて指す言葉。
正確には『ボパル(穴吸男)』
「私は私の考えを主張するが、私の主張に誤りがあったとしてもそれは私の所為ではない」の略。
食感とか所々すごいリアル(経験ないけど)で、これ男体なら夢精という結果を残してたのでは、というくらい気持ち良かったので記録。
セックスの前に何か経緯なり会話あった気がするけどはっきりと思い出せない。相手はその日初対面の人だった。見た目少し太めで中の中。夢の中では顔しっかりしてたけどもう忘れた。え〜直近で読んだweb小説はスパダリ国宝級ハンサムだったんだけどなと思いつつ、多分そっちが出てきたら緊張と羞恥心でこんな展開にならんかったな。
とりあえずはっきり記憶あるのフェラしてるところからなんだけど、フェラ楽しい!やってみたかったんだ!!とテンション上がる。けどあれなんか既にゴムつけている。でもゴム臭くない。こんなゴム臭くないやつもあるんだなーとか感心しつつ正常位で挿入される。
こいつクンニしねーのかよ。いややっぱ恥ずかしいからいい。指でさえ慣らさず挿入。これぞ夢。現実だったら痛いと思うよ!分かんないけど!
腰振り始めたけど両手どこに置こうと彷徨わせながら相手のお腹触ったらめちゃくちゃプニプニでなんかごめん!と思い枕握った。脇毛大丈夫か心配になってめちゃくちゃ脇締める。
この人必死で腰振ってるけど、中で動いてる感じ全然しないぞ?集中すると先だけトントンしてる感じするけど棒の面の部分が動いてなくてこの人小さいのかな。フェラの時はでかかったんだけど。この前後がむちゃくちゃな感じ夢だわー。現実のセックスはこんか感じなのかと感心。現実じゃないけど。
で感覚研ぎ澄ませてたらだんだん気持ちよくなってきた!なんだこれ!オナニーのときビクともしなかったGスポットめちゃくちゃ気持ちいいぞ!!
子宮口もさっきからトントン当たってたらだんだん気持ち良くなってきた!うわー!ポルチオだ!!進研ゼミでやったやつだ!!!自分で開発しようと思ってポルチオの記事読んでたからだなこれ。
いろいろ感動してたら相手射精。出てる感が伝わってくる。ここすごい夢とは思えない感触だった。現実はどうなんだろ?経験ある人教えてください。女性ね。お尻ほじられた男性はノーカウントで。
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。