はてなキーワード: ハンサムとは
イケメンをハンサムや男前で言い変えたところで言われた人は怒らないだろうけど、
パパ活を援助交際と言われて起こるのはその二者が違うという前提が必要だけど、
実態として同じならそれ言葉をライトにしようとしてるだけで実態同じだよね?って言われてもしょうがないでしょ
消費税を国民福祉税と言い換えたところで実態が消費税なら、それ消費税だよね?って指摘されるのと同じで
ちなちょっと気になって調べたらハンサムの語源って、見た目がいいから簡単に女を「手で扱える」男のことなんだってね
結構ひどい言い方
アメリカ大統領の若い頃の写真を一通り見てみたけど、漏れなくイケメンだ。強いて言うならトルーマン、アイゼンハワー、クリントンが童顔で正統派イケメンではないくらいだ。アメリカ大統領には容姿フィルターがかかってるよな。顔が全てでは無いが、容姿が人生や社会に与える影響がいかに凄まじいかを思い知った。以下はそれぞれの大統領に対する感想。ブサイクのくせに人の容姿を上から目線で評価していきます
絵なのか写真なのか分からないけど男前。でも、年取ってからの方がカッコいい
恰幅の良いイケメン。正直画質が悪くてよく見えない。
男前。
イケメン。おひげが立派
イケメン。いくつか写真があるが個人的にひげを生やした写真が超絶格好良い。
イケメン。おひげが立派
同上
イケメン。上述の例に漏れずひげ生やすとかっこよさが格段に増す
いかにも英国紳士という感じのおひげが立派なハンサム。レットー・バトラーを思い出す
面長のイケメン。引き締まった顔つきの他の大統領と比べると穏やかな顔つきで坊ちゃん的な印象
丸顔。格好良いと言うよりは愛嬌のある顔。ハリーだけにハリー・ポッターに似ている
・ドワイト・アイゼンハウアー
童顔。これも格好良いと言うよりは愛嬌のある顔
下ぶくれ気味だがイケメン
いかにもアメリカのスクールカースト上位って感じのイケメン。SF映画で陰キャの主人公を虐める役として出てきそう
唇厚いのが玉に瑕だけどイケメン
イケメン。
童顔。格好良いと言うより愛嬌のある顔。優しげな印象を与える。
優しげなイケメン
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
イケボでめちゃハンサムでLemon歌ってる人よ🍋
28歳。婚活は諦めた、頑張ろうと思ってた時期もあったけどなんていうか戦う前のリングに立つことすら許されなかった。
最近本当に日常が辛い、ここ3年くらい業務連絡以外人と会話した記憶がない、プログラマーだしそもそも会話もほとんどない。
コールドスリープ状態で百年単位の惑星間移動中に宇宙船の中ただ1人だけAIの不具合で覚醒してしまった男の孤独との戦いの話。
宇宙船の中は衣食住は確保されているし、1人用の近未来ゲームや読み物やbotとの会話くらいはいくらでもできる、でもそんな如きじゃとてもじゃないが耐えられない、人はそれで生きていけるようにはできていない。
主人公の彼は強制的に孤独でいることに気が狂いそうなほど苦しみに続ける、なんならいっそ死んだ方がましなんじゃってところまで追い込まれ、それはまるで今の自分みたいだと思った。
彼は狂気と葛藤に苦しみながら藁をも掴む思いで同乗していた同船内のコールドスリープ中の美人なヒロインを不具合を装って覚醒させる。
まあ不具合を装って起こしたことがヒロイン本人にバレて超険悪になったり宇宙船が全損しそうになったりするけどいろいろ乗り越えて結果オーライでヒロインと末永く幸せに暮らしましたとさ、ってオチ。
ああ、そうだ、忘れてた、彼はハリウッド映画の主人公で、白人のマッチョなハンサムで、世界中の誰1人にも相手にされない醜いアジア人の男とは全くわけが違う。
俺には掴める藁すらなかった、彼の前半パートのまま野たれ死ぬのが俺の末路なんだ。
やっぱり俺へのアドバイスなんて「お前が望むものは手に入らない、足るをしれ、諦める価値観を持て」しかないんだよね。
でもやっぱり辛いものは辛い、このまま死ぬまでこれが続くのかと思うと絶望しかない、多分苦しみの種類としては「誰もいない閉鎖空間に1人だけで閉じ込められてる感じ」が近いと思う。
本当金なんてマジで意味ないって最近つくづく感じる、結局男の収入って、多分大切な人を守るためにあるんだよなって。
独身1人暮らしで転職して年収上げたって、多分今住んでる1DKが2LDKくらいにグレードアップするくらいで、結局はほとんど何も変わらないんだろうなって。
誰でも構わんから誰か助けてくれ、俺は一体どうしたらいいんだ。
私は彼の採用時、彼を狙おうと思いましたが、結婚指輪をしていたので諦めました。
彼は仕事も早く帰らないといけなくなったため子供が大きくなるまでは、出世は難しいと思います。
彼はいつもお昼には奥さんが作ったお弁当を食べていたのに、カップラーメンとおにぎりだけとかコンビニ弁当だけになっていました。
それを知ってか同じ部署の既婚者の女(32歳)が子供の世話で大変だろうからと彼にお弁当を作ってあげるようになりました。
彼は毎日それを食べていました。
私は「既婚者が他の男にお弁当を作るなんて浮気もいいところよ。明日から私が作るから止めなさい。」といいました。
その女は「そんなつもりはありません。いつもお世話になっているから気持ちだし、いらないのに課長からお弁当代もいただいています。主人の許可ももらっています。」といいます。
「先輩に口答えするな。」というと、やっと納得しました。
そして彼にお弁当を持っていきました。
彼から「お互いに独身なので、変な噂が立つといけないので受け取れない。」といわれました。
私は「既婚者のお弁当は食べるのに、結婚可能者のお弁当は食べないのね!」と泣き喚き帰りました。
その後、彼から謝罪の電話があり、会社に来てほしい、 お弁当は今後誰からももらわない、妻と別れたばかりで誰とも再婚は考えていないといわれました。
でも彼と結婚したいです。
田舎の市役所で働く地方公務員ですが、若い世代は男女比も同じくらいだし、みんなコンプライアンスを守って仕事するので、同世代間で性差別を感じることはあまりありません。
ところが課長とか部長クラスとなると、古き悪しきおじさんばっかりなので、悪気のないセクハラが横行します。
同じ部署に、仕事ができて気風の良いハンサムな女性職員がいるのですが、切り返しが良いせいか、すごくおじさんから人気があって。
「お、〇〇ちゃん今日の服かわいいなあ、ベルト引っ張ってあ~れ~とかやりたいなあ」とか「テロテロした服で、触り心地良さそうだな!さわってもいいか!」とか「おっと、ぶつかっておしり触っちゃうとこだった」なんて言われてるんです。
もちろん彼女はただただ真面目に仕事をしに来ているだけです。。
彼女は大人の対応で適当にやり過ごして笑い話に変えてしまいますが、なんでセクハラされた側が大人の対応せねばならないのか。
彼女に現状をどう思っているのか聞くと「良い気はしませんけど、まあ適当に流しておきます」と笑ってましたが、過去にも優秀な女性職員が人間関係を疎んで退職しています。彼女もそうならないと限りません。
彼女の直属の上司もまだ若い女性で「それセクハラ過ぎますよ」と直接オジサンに言っていましたが、俺とあの子のコミュニケーションだから大丈夫!みたいな感じで。
男性職員が「いやいや、アウトですから」と言ってようやく冗談じゃないと気づいてくれました。
女性職員が指摘したときは無視するのに、男性職員が指摘したら気づくって点もクソだなと。
しかも女性へのセクハラ以外にも、男性への旧時代なジェンダーロールをゴリゴリに押しつけてきます。新生児がいるから早く帰ろうとする男性職員に「男は仕事!」と仕事増やしまくるパワハラ。残業にならないよう周りがカバーしていますが、甘やかしすぎだとよく文句を言われます。。
もうあと数年で定年なので、今更人事に通報してアレコレするのは非常にめんどくさいし忙しい。
まともな人もいっぱいいるのに、数人が最悪なせいでおじさんみんなが悪く思われてるのもかわいそう
ネタバレと他の人の感想で先入観を持ちたくなかったのでなるべく早く見ようと土曜日の朝一に行きました。
一番好きな作品はぼくらのウォーゲーム、次点が時かけ、その次がサマーウォーズ。
サマーウォーズは昨日の金曜ロードショーで久しぶりに見たのですが、12年前というだけあって今見ると結構キツイ部分もあって少ししょんぼりしました。
好きなシーンはいっぱいあるんですけどね。
典型的な細田監督が脚本を手がけるようになってからの作品があまり好きではない人間です。
おおかみこどもで「う〜ん」となり、バケモノの子で盛大にがっかりしました。
それはわたしが作品のターゲットから外れてしまったということなので、それ以降は少し寂しく思いながら劇場に見に行くことはありませんでした。
それなのに何故、今回劇場に足を運んだか。
一つは、描きたいと思っている作品の題材被る可能性があり、それがないかチェックしたいと思ったこと。
もう一つは、主人公のアバターであるベルのデザインをディズニーのジン・キムが手がけたという情報を目にしたからです。
細田作品でよく言われている「ヒロインへの興味の無さ」が、一部他者に委ねることで、もしかしたら今回は解消されて好きになれるかもしれないと期待したのです。
それ以外は流れてくるCMくらいで、ほぼ事前情報なしで見に行きました。
前置きが長くなりましたが、決してアンチがアラを探しに行った訳ではなく、むしろ「おもしろかった!」と思いたい気持ちで見に行きました。
がっつりネタバレしていくのでご注意ください。
仮想空間という3Dと相性のよい舞台設定もあり、2Dと3Dの違和感も少ないです。
映画の一つの見どころでもある竜の正体探しなんですが、これは細田作品今まで見てきた人はすぐわかっちゃうんじゃないでしょうか。
わたしも早々にわかってしまって、もうちょい誰なんだろうって楽しみたかったのが正直なところです。
それはさておき、主人公すずのAsの名前「ベル」からも分かる通り竜そばは美女と野獣のオマージュが多く登場します。
オマージュ自体は別にいいのですが、ただ単に竜と女の子の二人が美女と野獣っぽいから表層的になぞっただけいう印象を受けました。
同じ美女と野獣をオマージュしたシェイプ・オブ・ウォーターは、野獣がハンサムな王子にはならず最後まで野獣のまま二人が結ばれ、本家を踏襲した上で独自のストーリーになっていました。
ですが、竜そばはそれが出来ていません。
そもそも竜が作中で醜いと言われてますけどかっこよくないですか?
怖いかもしれないけど醜くはないでしょう……。
人間だらけの中なら浮くかもしれないですけどUの世界みんな色んな格好ですし。
竜の野獣である要素が薄く、本家でも言われているルッキズムの助長がむしろ強化されてしまっているようにも感じられました。
Uならまったく別の人生を生きることができると謳っているのに、アバターは生体情報から自動生成で自分の意思では自由に出来ない。
そして見た目で差別を受ける。
仮想空間は理想の世界ではなく現実の地続きで、ある意味リアリティはあるのかもしれません。
竜のあざやベルのそばかすが現実とリンクし、すずに竜の正体を気にさせ、探せるようにするために必要だっただけではないでしょうか。
細田監督はこういったシーンを描きたい!といったところからストーリーを膨らませていくタイプに見えます。
その手法は全然アリだと思うんですが、キャラクターやストーリーがそれを実現するための駒に収まってしまっています。
特に脇役はひどいです。
ルカちゃんはすずとベルとのギャップが際立つよう、現実での立ち位置を対比で表すため。
ヒロちゃんはすずをUの世界でスムーズに活躍させるための便利屋。
しのぶくんに手を握られて学校中の女子から叩かれ炎上する際のゲームのような演出も力が入っていましたが、あまり必要性を感じずやりたかっただけのように見えました。
敵役の魅力も乏しいです。
明らかな噛ませ犬だと竜の強さが伝わらず、バトルシーンにも緊張感が生まれません。
自警団とのバトルはストーリーの本筋ではないですが、アンベイルという重要な能力を持っています。
そんなキャラクターの作りが蔑ろなのはマイナスでしかありません。
何故Uの管理者でもない彼らが、キックやブロックや削除ではなくAsのオリジンを暴く能力を持っているのか。
権威がある印象をつけるためスポンサーが多数いる描写がありましたが、それでは説明になっていません。
おそらくストーリーが進めるため、ベルがすずになって歌うシーンを作るために作られたのだと思います。
それでも説得力のある設定を付随してあげればいいのですが、それがなされていません。
描きたいシーンとシーンの間をとりあえず大きな齟齬が出ないように埋めているだけのストーリー。
とりあえずでは見せ場に行く前に気持ちが躓き、せっかく力を入れて描かれたシーンが空虚に感じられてしまいます。
メインストーリーであるはずのすずの成長はこれでもかと言うほど分かりやすく描かれています。
母が死んで歌えなくなった
↓
Uの世界なら歌えるようになった
↓
↓
母のように他者を救えるようになった
他者との関わりから閉ざされていた心が開いていく王道のストーリーを美女と野獣でオマージュし、今までやってきた得意なものを詰め込んだ今回の作品。
新しい試みは何かあったのでしょうか?
でもそれ以外は既視感のあるものがほとんどで驚きがありませんでした。
唯一あるとすれば音楽へのこだわりでしょうか。
それもライブシーンに至るまでのストーリーで白けてしまうのがあまりにも勿体ない。
わたしにはケモとショタとクジラと電脳世界でのライブが描きたかったことしか分からなかったです。
結論としては前置きで書いたものと変わらず、細田監督は脚本を他者に任せるか、共同にした方がいいと言うものになってしまいました。
残念ながら今回もやはりわたしはターゲットにはなれなかったようです。
あくまでわたしのものさしがストーリーに重きを置くのでこういった評価になってしまうだけで、他の評価軸で見れば全然楽しめる作品であると思います。
まだ他の方の感想を読んでないので、どれくらい自分との感じ方どれくらい差があるのかちょっと楽しみです。
書き慣れていないので読みづらかったかと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
モンちゃんの衣装にびっくりした。あんなにハイセンスな衣装を着こなしてるなんて流石だと思った。
彼女は育ちが良いので食べこぼしもないし、ちょっとコンビニへ出かけるときもおすましすることができる。
僕には無理だ。
モンちゃんはまちなかですれ違うたびに振り向かれる。彼女は紛れもなくいい女であって、僕のようなものには釣り合わない。それに、彼女と名前を交換したいと思うことがある。僕の名前はさくらで、彼女の名前はモンだ。まるであべこべじゃあないか。僕はまるで女の子で彼女は男の子だ。それもとびきりキリッとしていてハンサムなんだ。彼女が衣装を着替えるたびに僕の中でハッと気づくものがある。立ち姿はモデルのようだ。これじゃだめだと自責の念に駆られる。だってまるで僕は素っ裸だ。彼女に見せる衣装だってないんだから。先日も主人がくれた骨を一日中我を忘れてしゃぶってしまった。これは違うと思った。彼女と決定的な違いだ。彼女はそんなに卑しくはない。まさにセンス・オブ・わんだーなのだ。