はてなキーワード: グローバリズムとは
偽善者リベサヨはチョロいから新自由主義グローバリズムの洗脳にコロっと騙される。
ちょっと考えればすぐわかることだが新自由主義の移民政策こそ白人至上主義のレイシズムであり現代の奴隷制度。
これ強烈に思ったのは、去年イギリスのボリスジョンソン首相がコロナになって入院してアジアだかアフリカだかの移民の看護師にずいぶん世話になったとかいう話で
偽善者リベサヨどもが「移民反対のボリスジョンソン首相もこれで少しは改心したかな(ニチャァ〜」とか気持ち悪いこと言っててキモすぎてゲロ吐いた。
偽善者リベサヨどもはその移民の祖国の病人の命はどうなってもいいんだろうな。
アジアやアフリカの貧しい国から優秀な労働者がより賃金の高い先進国に流出し、先進国はより安い賃金で労働力を買い叩くべくアジアやアフリカの貧しい国から移民を集めようとする。
そしてアジアやアフリカの優秀な看護師は先進国の上級国民のためだけに働き、祖国の貧しい人々は国内の医療従事者がみんな先進国に移民したので医療を受けられずにタヒを待つのみ。
これが偽善者リベサヨの望むグローバリゼーションだ。
こういうグロテスクな白人至上主義の搾取構造に反対したら「レイシスト」なんだそうだ。
貧しい国々の人々の命を救えと主張することは「差別」なんだそうだ。
難民もだ。
そうなると難民という名の安い労働力を確保できなくなるから偽善者リベサヨは戦争や貧困が無くなってほしくないわけだ。
だからリベサヨはみんなテロ組織や独裁者が大好きで擁護しまくっているのだ。
まさか俺以外誰も気づいてないって事はないと思うが、あのくっせえ難民ブームが起きた2015年以降、世界中の偽善者リベサヨは誰も「戦争反対」とか「アフリカの貧しい子供たちを飢えから救うために寄付しましょう」とかいっさいがっさいピタッと言わなくなったよな?
安倍さんの訃報のニュースが飛び交っている。あまりみたくないニュースだ。酒でも飲んで忘れたいとも思う。でも生活をしていたら見ずにはいられないから、ある程度自分の中で安倍さんに対しての考えていることを文章にしておきたいと思う。これはメンタルを安定させたいがための行為である。
「グローバリズム」の最大の擁護者であったのが安倍晋三であったことは皆さんもご存じのことかと思う。グローバリズムは国内および国際的に格差を助長し、むしろ資本主義の健全な発展に資するものではないと批判されるものであった。国際的な自由ではなく、国内の国民を第一に守ろうというのが世界の潮流であった。とにもかくにも批判され、時代遅れの、周回遅れである「グローバリズム」を馬鹿の一つ覚えのように推し進めていたのが安倍さんであった。野党の時代にはTPPを反対していたのに与党になったらTPPを推進しまくってアメリカが離脱しても条約を成立させたのが安倍政権であった。FTAを各国と結ぶことは単純な善であるとして成果と喜んでいたのが安倍政権、乃至その路線を継承する自民党政権であった。この鄙びた、古く、異臭さえただようグローバリズムを無邪気にも支持していた。だがそんな打ち捨てられた、惨めな、正しくないグローバリズムにも、利点があった。脆弱な、強力でない、不安定な、ただ一つの利点があった。それは。
経済的結びつきが戦争を抑止するという話は第二次世界大戦後から注目された。古い話であった。WW2の反省をもとに生まれたのが現在のEUの前身であるECだった。この取り組みはある程度機能した。なにせ、ドイツとフランスとイギリスとスペインが何十年も戦争をしていない。こんなことはヨーロッパではありえなかった。民主主義国家であって、経済的結びつきがあり、適切な安全保障がなされていえば世界平和は実現できるのだと皆が夢想した。それは夢だった。どれだけ経済的結びつきがあろうと、独裁国家であれば個人の考えで戦争を起こせてしまうというのは当たり前のことだった。それでもWW2の敗戦国であるドイツと日本はグローバリズムを推し進めた。
戦争で負けたものにしか分からない教訓というものがあった。それは孤立してはならない、ということだった。自国の利益を差し出してもつながりは維持すべきものだと学んでいた。安倍さんは色々な人と「友達」になるのが得意だった。「友達」に利益誘導するのが得意だった。それは癒着、腐敗、法の軽視、人治主義であった。
その方向は世界平和をいつでも向いていた。
そうしたかったらそうしたのかは知らないが、安倍さんは世界平和に貢献していた。
日本の偉大なリーダーだったかは分からないが、世界の偉大なリーダーだった。
安らかに眠ってほしい。
日本企業が日本以外の海外に投資したりするのを規制するしかないのではないか?
海外に現地工場を作って、現地の人間を雇うことを禁止とまでは言わないが、ある程度の制限を掛ける。
2021年末の時点において、日本の対外純資産は411兆1841億円だったらしい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26B630W2A520C2000000/
日本人の賃金が上がらないのは、日本企業が海外に投資して海外の人達の賃金が上がっているからでしょ。
だったら「アンチグローバリズムだ」と批判されようとも、海外投資を制限するしかない。
日本企業の言い分はわかるよ。
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
そうだよねグローバリズムとかクソだよね
k8sとかwebフロントに限らず広範に科学技術全領域の進歩が2010年で停止している 正確には20世紀の終了と共に終了したのだが graceful stop で10年遅れて主電源遮断に至ったため続いているように見えていたもの 二十世紀内はグローバリズムと軍産複合体(笑)への投資が民生品に移行するモデルがこれ以降の未来における標準の技術開発モデルだと考えられていたが今では二十世紀という短い特異な年代だけの事象であり十九世紀以前のモデルへの復帰が起こったという主張もある
フロントエンドとかいうコンサルティングと美観デザインだけの世界からそれを感じ取った増田の能力には目を見張ると賛じたいがフロントエンドとかいう左クリックパチンコ業界は滅びてくれと感じている人は俺だけではないと思う
昨日2021/05/16付のはてな匿名ダイアリーに、リベラルについて思うところを投稿をした結果、予想外にブックマークコメントを頂戴した。その幾つかに対して考えたところを述べる。
(1) 「保守の方こそ云々」「ウヨの方こそ云々」という類いの反応をした人に対して
リベラルではないと自認する人ならば、たかが私という無名の一個人の投稿ぐらい、笑って受け流せば済む話である。
仮にリベラルを自認する人であっても、私が書いたような問題のある言動を自分はしていないという自信が有るならば、他山の石として受け流せば済む話である。
もしもリベラルを自認し、且つ、私が指摘したような問題のある言動を取っているという自覚が有るならば、反省して改めるなり何なりすれば済む話である。
私の投稿を受け流せず、かと言って、行動も改められず、どうしても何かを言い返さずにいられなかった人が「保守/ウヨが云々」と書いたのだろうと推測する。おそらく、彼らは「コイツはリベラルを批判する人間だから、きっと自民党の支持者・回し者/保守/ネトウヨに違いない」と判断したのだろう。しかし、昨日の投稿で私は「自民党支持者である」とか「保守である」とか、何らかの政治的・思想的な立場を表明しただろうか?
「リベラルを批判する人間だから、コイツは自民党の回し者だ」或いは「ネトウヨだ」と決めつけた人は、戦前・戦中の日本の過ちを指摘する人間を見て「特亜の回し者だ」とか「日本人に成りすますザイニチだ」とか言い出す人間と同じレベルの短絡的な振る舞いであったと自覚して欲しい。
(2) 「お前の立ち位置は?」という反応をした人に対して
そもそも、そのような問いはダルトン・トランボ等ハリウッド・テンに対して「お前は共産党員か?それとも、過去にそうだったのか?」と問い詰めた人たちと似たり寄ったりの言動だと私は思う。だから私は、その質問に答えない……で済ませても構わないと思うのだが、それでは気が済まない人もいるだろう。
私はリベラルではないし、自分で自分の思想的な立ち位置は分からないと昨日の投稿で書いた。おそらく、最後まで判らないまま一生を終えるような気もする。
また、リベラルの人たちから学ぶところは多々有るとも私は書いたが、同様に、リベラルと思想的に対立する保守の人たちからだって、学ぶことは多々有ると思う。
自分よりも知性や教養が高い、学ぶべき点を多く持つ人たちのような「本物」を前にすれば、私ごとき人間が「自分はリベラルである」とか「自分は保守である」と簡単に明言するのは、身の程知らずで烏滸がましいというものだ。
生きている限りは自分よりも優れている人たちから学ぶことに終わりは来ないだろうし、私ごとき浅学非才の人間は、グラデーションを成している左右の間を死ぬまで迷い続けることだろう。それに最近の世の中は、左右の座標軸だけでは不十分になりつつもある。
私が、自分の思想的な立ち位置が自分でも判らないと書く理由は、だいたいそんな感じである。
(3) 「自民党政治に対してお前はどうするのだ?」という類いの反応をした人に対して
どうすると言われても、私は既にずいぶん前から自民党及び所属政治家には投票していない。
民主党にも、自民党から民主党への政権交代が起きる前から「第二自民党」にすぎないと考えていたので、投票したことが無い。
選挙の度に共●党に投票しているが、これは別に積極的に支持しているからではない。
私の投票行動の理由は、新自由主義、グローバリズムの猖獗に歯止めを掛けるため、意思表示の手段として、他の選択肢が無いからという消極的な理由にすぎない。他の選択肢を与えられたならば、すぐにでも投票先を変えるのに吝かではない。
まあ、いくら私が投票先やその選択理由を此処に書いたところで、それが本当であるとは証明しようが無いのだから、これを信じるも信じないも好きにしてもらって構わない。
(4) 上の(1)〜(3)を読んでも腹の虫がおさまらない人に対して
気が向いたら、保守を攻撃する内容も投稿するかもしれないので、それで勘弁して下さい。
(5) 終わりに
落ち着いた反応をしてくれた人たちへ。ありがとうございます。
台湾沖の問題ではないし、間抜けに見えるのは共産党支配体制だから
まず、米国の閣僚たちにとって、どんな中国が理想的なんだろう?
対して、中国(中南海)の閣僚たちにとっては、どんな米国が理想的なんだろう?
簡単な方を先に済ますと、中国の閣僚たちにとっては、グローバリズム(自由貿易)のロジックに基づいて、(米国が)自分たちの製品を大量に輸入してくれて、中国人留学生を制限なく受け入れてくれて、有能な中国人は多国籍企業に就職することが出来て、共産党支配が永続し、チベット・ウイグル・台湾・南シナ海・東シナ海、そしてコロナ発生源の問題については口先介入だけで済むのが理想的な状態だろう。
対して、米国の閣僚たちにとっては、中国は「日本のように飼いならされなければならない存在」になったといえる(巨大になりすぎたので)。そして、そのために、最終的には中国共産党体制を崩壊させなければならない。それは、中国資本を米欧主導の国際金融システムの下に組み込むということであり、その過程で、中共支配体制下にある北京系(習近平)だけでなく、現状、上海系(江沢民)・深セン系へのプレッシャーも強化傾向にある。
この問題についてはは、米欧中心の資本主義体制VS中国共産党体制という構図に加え、白人支配層VS黄色人種支配層という構図も内包されており、太平洋戦争による敗戦を経て「色目人」として教育・飼育されてきた日本人が、白人側のポジションで戦線に加わるという珍妙な事態?も生じている。
日本人にとっては、太平洋戦争というイベントは、敗戦を経て価値観の根本的な転換を生じさせるものだったが、戦勝国である米英仏などの首脳・国民にとってはその様な転換は余り生じていないのであり、当然の様に継続しているということである。そのように捉えないと、英仏の空母・軍艦がインド洋などに派遣される目的・理由が理解できない。
チベット・ウイグル・台湾・南シナ海・東シナ海、コロナ発生源の問題は人権などの重要な問題を含んでいるが、本来、それで「戦争(第三次世界大戦)を始めよう」という話にはならない。しかし、いくつかの条件が重なった場合、戦争を始める動機になると思われる。
まず、中国の国力が米国を越えるのは’20年代後半から’30年代だと考えられている。その要素だけで判断すれば、これから数年は、人権問題で中国を追求したり、諜報活動が活発したり、戦闘機や軍艦のニアミスが生じる、あるいは経済的な包囲網が強化される程度で済む可能性がある。
次に、大恐慌と比した場合、コロナショックの経緯は類似しているといえる。どちらのケースでも株価暴落後に金融緩和でジャブジャブの状態になっており、また、バイデンのコロナ復興プロジェクトは大恐慌におけるニューディール政策に相当する。ニューディール政策では、一旦は景気が浮上するも(数年後に)結局失敗し、第二次世界大戦の開戦へとつながった。つまり、バイデンのコロナ復興政策で一旦は景気が上向いても、数年後にポシャったらヤバイといえる。大恐慌から第二次世界大戦開戦まで9年間くらいかかっているが、情報網が発達している現在では期間が圧縮されると思われる。
台湾侵攻については特にない。台湾内部に「親中派」が多数存在し、状況次第で親中派が政権を握る可能性が普通にあるのは事実。
現在の価値観では「第三次世界大戦」なんて言うと笑える話だが、数年後、米欧日の経済状況が悪化したら、現実味のある話に変化してくるのは間違いないだろう。
そして、その際、米欧にとっての戦争の現実的な目的は下記のようなものとなる可能性が高い(ここらへんはオブラートに包んで表現される)。そして、日本はそれに追随してゆく予定。
『人々を魅了する野心的な目標を掲げて世界中の研究者の英知を結集しながら困難な社会課題の解決を目指し、挑戦的な研究開発を進める研究開発制度』
ふむ、これだけ聞くととてもいいことに思える。学術分野や研究活動にお金を出し渋り長年非難されてきた日本政府もこの世界規模の動きには同調していて、平成30年度補正予算で1,000億円を計上し基金を造成、令和元年度補正予算でも150億円を計上した。まあ額の是非は今はどうでも良いので話を進める。
1、2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
SFの世界かな?という感じである。身体という制限からの解放が軸になっているのは明白だろう。
HPを見てもらえれば詳細が載っているので、詳しく知りたい方は自分で調べて欲しい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
本題は、このMS計画が誰のために作られたものであるか、ということである。
『Moonshot for Human Well-being』だかなんだか御託を並べるのも大概にしろと思う。
身体に障害を持つ方々や病気に悩まされる方々を救うのに、べつに全人類をサイボーグ化する必要なんてないのだ。
これは、今現在社会の様々な分野で決定権を握っているクソ老害どもの、クソ老害どもによる、クソ老害のための、身体からの解放を目指した夢もロマンもないクソみたいな計画である。
こんなことに使われるくらいならば科学も情報技術も死んでしまえ。
僕たち若者の、未来の人間と人間の繋がりの中にある社会を壊すな。
さんざん地球環境を汚染し、グローバリズム化を無理に推し進めて差別や格差をまき散らした奴らが!
この後に及んで僕たちの未来を、自分たちの都合がいいようにどうにかしようとしている。
あいつらは30年後もサイボーグ化した身体で地球を、いや月も火星ものうのうと牛耳るつもりらしい。
まっぴらごめんである。老害にはさっさと死んでもらわなければ困るのだ。
30年後の地球にお前らのための場所はないし、僕たちが作り上げる30年後の未来は、人間と人間同士の確かな繋がりの上に立つ生きた社会だ。
『人々を魅了する野心的な目標を掲げて世界中の研究者の英知を結集しながら困難な社会課題の解決を目指し、挑戦的な研究開発を進める研究開発制度』
ふむ、これだけ聞くととてもいいことに思える。学術分野や研究活動にお金を出し渋り長年非難されてきた日本政府もこの世界規模の動きには同調していて、平成30年度補正予算で1,000億円を計上し基金を造成、令和元年度補正予算でも150億円を計上した。まあ額の是非は今はどうでも良いので話を進める。
1、2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
SFの世界かな?という感じである。身体という制限からの解放が軸になっているのは明白だろう。
HPを見てもらえれば詳細が載っているので、詳しく知りたい方は自分で調べて欲しい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
本題は、このMS計画が誰のために作られたものであるか、ということである。
『Moonshot for Human Well-being』だかなんだか御託を並べるのも大概にしろと思う。
身体に障害を持つ方々や病気に悩まされる方々を救うのに、べつに全人類をサイボーグ化する必要なんてないのだ。
これは、今現在社会の様々な分野で決定権を握っているクソ老害どもの、クソ老害どもによる、クソ老害のための、身体からの解放を目指した夢もロマンもないクソみたいな計画である。
こんなことに使われるくらいならば科学も情報技術も死んでしまえ。
僕たち若者の、未来の人間と人間の繋がりの中にある社会を壊すな。
さんざん地球環境を汚染し、グローバリズム化を無理に推し進めて差別や格差をまき散らした奴らが!
この後に及んで僕たちの未来を、自分たちの都合がいいようにどうにかしようとしている。
あいつらは30年後もサイボーグ化した身体で地球を、いや月も火星ものうのうと牛耳るつもりらしい。
まっぴらごめんである。老害にはさっさと死んでもらわなければ困るのだ。
30年後の地球にお前らのための場所はないし、僕たちが作り上げる30年後の未来は、人間と人間同士の確かな繋がりの上に立つ生きた社会だ。