はてなキーワード: ウエディングドレスとは
表題の件について。今まで全くメルカリというものを使ったことがなく、やれ現金が販売されているとか、やれ怪しげな商品の温床になっているとか、
そういうニュースといくつか実際に出品されているモノを見たことで、自分の中では爆サイユーザーとかが中心のなんでもありなアングラマーケットなのだと認識していた。
自分も昔ヤフオクでオーディオ機器などを落札したことがあるが、そういった日々のやりとりとは違う、何か得体の知れないテクノロジーだけが先行している
結婚式の準備を一緒にしているパートナーが、小物やアクセサリーなんかの正規品のユーズド品をメルカリで探して、嬉しそうに報告してくれたのだ。
中古がイヤじゃなければこれで浮いた分を他の費用に回せるね、色々探して頑張ってみるね、と微笑んでくれたのだ。
自分はなんて矮小な考え方をしていたのだろう。良かれと思って様々な方法を駆使して節約してくれているパートナーに対して、
「メルカリは得体が知れないからなんか嫌だ。ヤフオクやeBayならいいけど」とでも言うつもりだったのだろうか。
結局は使う人間の心持ちとスキル次第であって、最初から悪だと決めつけてかかるのは典型的な老害思考ではないか。
別に全部新品で買ったりレンタルしたりできる財力がないわけではない。ただ、パートナーの気持ちとそれを実現したツールに対して
心から感謝して、考えを改めた。僕もこれからは機会を見つけてユーザーになってみようと思う。
結局のところ、僕が今のところ受け入れにくいVTuberや仮想通貨や行き過ぎた多様性や退職代行ビジネスなんかも、
元を辿ればより良い世界になるようにという意思を少なからず込めて誰かが発展させているものなのだろう。
ただユーザー層の偏り(に見えてしまうような表層の雰囲気)が今までの僕の価値観と擦り合わないだけで、
どれもそのものが世の混乱と質の低下を目的とするようなツールではないはずだ。いつかそういった自分にとって新しいものと
触れ合わざるをえない機会がきたら、もう少し柔軟に考えてみようと思う。
浮いた予算で、パートナー用のウエディングドレスをレンタルではなく、ハイブランドのものを購入することにした。
なんかねぇ。
70kg越えたときも「あれ?太って……ないかも」みたいな自分補正フィルターかかりまくってたんだよね。
自分で聞こえる自分の声は良いのに、録音すると最悪みたいな。上手く言えないな。
数値的にヤバすぎるのに実感無かったんだよね。
もう80kgという大台にのって、いよいよやば過ぎるって自覚した所なんだ。
やせようって言う必死さが無いのは本当かも。
病気でも無いから~みたいなのと、面倒くさがりなのがきて「まぁいいか」になりそうな気もしてる。
実際生活的には困ってない。
膝だって痛くないし、走ったりも普通に出来るし……困っては無いけど
ウエディングドレスだけは着たいんだよね。それに向けて、頑張ろうと思う。
健康グッズとか凄く好きで「楽して痩せよう」っていうアホな思考が根付いてるんだけど改めるよ。
健康面だけで言えば一日1万歩だけ頑張れたらいいと思う。
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
どんなことがあっても泣かない、男らしい彼が泣くのを初めて聞いた。
彼自信が男は泣くべきじゃない、と言っているのも聞いたことがあったんだけど
電話で彼は堪えることもできないほどに泣いていたので、私までもらい泣きしてしまった。
昨日、「俺が頑張らなきゃ」とそれ以降泣かずに色々作業を頑張っていることを聞いた。
でも、もしかしたらお前に会ったら泣いてしまうかもしれない。そのときは胸を貸して。」
私の前だけだと本音を見せれるみたいに勝手に思ってキュンキュンしてしまった。本当にごめん。
そんな事で愛おしさを感じてしまった罪悪感半分あるけど、ちゃんと話聞く。
私の祖母は数ヶ月前に亡くなったけど今でも近くにいる気がする。
そして、彼のおばあちゃんも近くに居る気がする。なんかどこかで生きている気がする。
おばあちゃん、今私の近くに居るんでしょ。
分かるよ。なんかあったかいもん。
お見舞いにいけたし、今の彼氏と顔合わせも出来たから少し満足してるよ。
でも、ウエディングドレス姿見せれなかったことだけ後悔してる。
亡くなる2週間前、1週間前にお見舞いに行ったね。覚えてるかな。
呼吸すら辛そうにしていて、見ているこっちも辛かったよ。
手を握ったらいつも通りのおばあちゃんだった。柔らかさが増したように思った。
「増田ちゃんの手はやわらかいねぇ~!気持ち良い」って言って笑って欲しかったよ。
亡くなってお葬式のときでさえ、おばあちゃんが居ないことを実感できなかったよ。
最後のお水を飲ませたり、足袋履かせたり、手を握ってあげたりしたら異常に冷たくて
綺麗に化粧してもらって、お葬式のあと。
「お顔を拝見できるのは最後です」と言われて、おばあちゃんにお願いされていたことを実行した。
明るい声で「バイバイ!」って笑いながら言ったよ。
その後、母と目が合ってお互い泣きそうなのを見て、二人して笑いながら大泣きした。
何故か、泣くのを我慢してた。泣いたら本当におばあちゃんが居ないって証明したみたいで嫌だった。
父方の祖母だったけど、お母さんもおばあちゃんの事が大好きだったんだよ。
近所づきあいも、近所仲も良いし、誰かに何かしてもらったら「そんな良いのに」って思うほど御礼を言うし
おせっかいなことも一切言わない完璧な「可愛くて優しいおばあちゃん」だったよ。
本当に、おばあちゃん、尊敬しているよ。
歳を取ったらおばあちゃんみたいな人になりたいな。
よく賛否両論になる男性絵本作家のぶみ、おかあさんだからの歌詞も賛否両論だ。
ママのスマホになりたいという絵本では、元になった作文のパパとママのスマホになりたいからパパだけ消えて、ママに見てもらいたい息子の心情が語られる。
母子家庭で息子が「ママと結婚する」と言うので、散らかった自宅でドレスを着て母親と息子が結婚式をし、その後ママが死んでおばけになり息子の成長を見守る。
大人になった息子の結婚式で、お嫁さんはママのウエディングドレスを着て、昔のママとの結婚式の映像が流れお嫁さんと息子は感涙、息子は大好きなママに届け僕の声と号泣する。
その後産まれた娘がママにそっくりで、驚く息子は何故か三歳に戻っており、それからママのおばけは出なくなりハッピーエンド。
読んでいて母親としてもお嫁さんとしても、背筋が寒くなる程に母親が重かった。
パパが娘に結婚式をプレゼントして、立派な教会に牧師や招待客達を集めて綺麗なドレスを着てパパと結婚式をし、忙しいのに結婚式ありがとうと感謝する娘に感動して仕事から早く帰るようになったと言う粗筋。
娘がドレスアップしたりキスをする横で招待客の男の子が「俺も娘と結婚したかった〜」とずっと悔しがっているのがパパの欲望丸出しっぽかったが、ママに比べたら情念が薄い内容だった。
何故こんなに母親愛が重いのか不思議だったが、このインタビューを見て納得した。
『ママがおばけになっちゃった!』作者・のぶみが語る、32年越しの母との和解
https://wotopi.jp/archives/36431
友達いないのもあったけど。 醜い自分が綺麗な着物を着ているのはひどく自分の醜さが引き立って気持ち悪いのが想像に難くなかった。ブスはロリータを着たらモンスターだろ?馬子にも衣装なんてのは迷信。
成人式は逃げられたが大学の卒業式の袴は逃げられなかった。卒業式には出なきゃまずいし、でもスーツだと浮くから目立ちたくなかった。トイレで見た自分の姿がえらくブサイクだった。 式後の懇親会にも出ず(友達いないからね)、速攻着替えて電車で帰った。髪だけはセットされてる状態のままだったから、えらく奇妙な格好で帰った。
帰りの電車の中で彼氏から懇親会場にクルマで送ってやるというトンチキなナルシストメールが来たが、帰ったと言ったらキレられた。モラ男だったのだ。
もちろん結婚できてもウエディングドレスなんて着たくないと思っていた。
ここまで書いたのなら鋭い読者なら私が毒親育ちなのは想像つくだろう。ご明察の通りです。憎んでいる両親はお世辞にも美しいといえる容姿ではないし、その遺伝子を引き継いでいる自分が大嫌いなのだ。
しかし妹は母親譲りの頑固さとヒステリーを持っていたにも関わらず大変可愛らしい容姿で周囲から愛され、素敵な相手と結婚した。
30すぎた今、私は当然結婚もできず、ウエディングドレスの気配はない。悲惨さはない。むしろどんどん醜くなっていく容姿に安心すら覚える。
「今までお世話になった人たちへの感謝の気持ちを表す場だ」と言う人もいる。
その心持は偉いなぁと思うけど、別に式をあげるだけが恩返しじゃないよなぁと。
「親に晴れ姿を見せてあげたい」と言う人がいる。
自分も両親にやりなさい!とは言われたけど・・・・うーん・・・。
写真取って送るだけでいいかなぁ、、、、なんて、、、、思っているううちに籍入れてから数年が立ってしまった。
大勢の前で涙涙の親への感謝のメッセージを言うのがクソ恥ずかしいし、そもそも表舞台に立つよりも裏でひっそりとしていたいタイプなので、なるべくならやりたくないなぁ。
みんなどういうモチベーションでやってるんだろう。
彼氏→同級生専門職。母子家庭育ち→学生時代母親が恋人と蒸発した経験あり。
彼氏とは中学時代からの付き合いなのでもう人生の半分一緒にいる。
出会った頃から彼氏の家はハイパーごたごたしていてそれをネタに笑いをとるくらいだった。
付き合ってからも「俺は子供は作らない。変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」というのが彼の持論で
私は「そんなことないでしょ~」とたしなめるのがお決まりだった。
私は両親も揃っているしずっと普通の家庭に育っていると思っていた。
高校生の頃はゴタゴタと仲が悪かったし、大学生の時もなるべく家族と顔を合わせないように授業とバイトを調整してたし
一人暮らしを目指して就職したけれど、別に変ったことではないと思っていた。
しかし私の就職したそこそこの安定した会社でその認識は打ち砕かれた。
若い人は親元にめっちゃ帰るし、既婚子持ちは子供や配偶者の話めっちゃするし家族に優しいし、家族に対する愛が溢れていて驚いた。
せっかく就職して一人暮らしを始めた安住を犯され壊される感じがして、職場の人間が怪物に見えた。
ウエディングドレスにも奥様業にも子供にも興味はなかったが、社会で生き抜くための責務と義務だと思っていた。
と、同時に「どうにかこの役割から逃げれないかなぁ」ともぼんやり思っていた。
彼氏のことは心の底から好きだけど、結婚することで今の関係から「夫」と「妻」になり
更に子供をもうけることで「父」と「母」になることを考えると嫌悪感でいっぱいだった。
子供を捨てたり虐待する母親はクズ中のクズだから絶対になりたくないが、子供というだけで私を縛り付け、仕事や社会生活を不利にする存在を
心の底から望み喜んで誕生させ育てなければならないという事実は許せないと思っていた。
しかも仕事をしながら育てるとなると両実家の協力は不可欠で、またあの実家と密にかかわりを持つのかと思うだけで憂鬱だった。
とにかく「経済的身体的自立を手放したくない」「実家と触れ合いたくない」という気持ちが強く、それが崩れるとなると泣きそうなくらい恐怖を感じた。
そんなこんなで、速攻でメンタルクリニックのお世話になった。
カウンセリングを受ける中で、私の強迫的なまでの自立への執着と家族に対する嫌悪感は生育家庭に問題があるのだな、という結論が出た。
私の両親は「こうあってほしい娘」像がすごく強固な人で、そこから外れることを許さない人だった。
どういう娘像かというと「成績優秀・スポーツ万能のオールマイティ優等生で、清楚で可愛くて、家の家事は全てこなし、家族に尽くすことを喜びとする」といった感じ。
私は運痴で地味だったので勉強と家事でその穴埋めをして家に置いてもらわないといけなかった。
年々親の求める学業のレベルと自分の出来るレベルにギャップが出来てきて、勉強と家事以外のことをしていると責められた。
更に父親はナチュラルに女性蔑視をかます人で、思春期以降は毎日セクハラ的なイヤミを言われ、女だからと母親や兄弟のケアを負わされた。
母はまさしく「社会に承認されるために子供を産んだ」としか思えない人で、仕事に忙しく子供に時間を割くことを本当に嫌がっていた。
勝手に進路を変えられたり入る部活や課外活動を決められたリ、といった学生時代だった。
親に認められないと生きていけないと思い込んでいたから結婚と出産子育てをしないといけないと思っていたけど、
親と過ごす生活や自分が親になることが感覚的に耐えられないから結婚出産子育てに嫌悪を感じる。
これがわかった時、彼の「変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」という言葉がスッと飲み込めた。
いわゆる変な家庭で育っても結婚出産をして立派な家庭を築いている人はいる。
いるけれども、現在の私はその段階ではない。
彼氏とはずっと一緒に居たいけど、世間の求める夫婦の型にははまりたくないし、子供も欲しくない。
それは関わった全員が不幸になることだから。
このまま自分の治療を進めて、結婚して子供を持ってもいいなと思えるようになったときに
もう子供を産めない身体になっていたとしても、それは仕方のないことだ。
そう決めて、彼氏にもそう告げて、家族全員の電話とメールを着信拒否した。
今は薬を飲みながら、子供の頃できなかった趣味に手を出したり、勝手に進路変えられたせいで就けなかった仕事に就くために勉強している。
とても心が穏やかです。幸せになるぞー!
こんなところに書くことじゃないかもしれないけど、独り言ならいいかな。
私は女なんだけど、彼女がいるんだ。好きになった人がたまたま同性でさ。世界でたった一人の愛しい人。20年とちょっとの人生だけどいろいろあったんだ。
けど、彼女に出会うために生きてきたんだって思えるくらい。まあそんな惚気話は聞いてて楽しい人もいないだろうし置いとく。あのさ、彼女と結婚するために、わたし、何ができるかなあ。
今の日本の憲法では結婚は「両性の合意」の元ですることに決まっている。つまり同性間では不可能、というのが解釈の主流。
普通に婚姻届けを出して、普通に家を借りて、普通にウエディングドレスを着て、普通に「妻」だと紹介し、法律の下で「家族になった2人」として生きていきたいって、思うんだ。
このまま生きていったとして、二人で暮らしていくこと自体は困難があってもできると思う。でも結婚することは、今のままじゃ不可能だ。
それってすごく、なんというかすごく、いい言葉が見つからないんだけど、2浪してたときの気持ちにちょっと似てる。ええと、将来に対する不安っていうのかな。絶望っていうのかな。上手く表現できたらいいんだけど。
だったら私が、覚悟を決めて打ち壊すしかないのかもしれない。誰かが、立ち上がらなくちゃいけないのなら。変えたいと思うのなら。
長く腐女子をやってると、タイトルみたいなことをいう腐女子をたまに見かける。異性愛規範が憎いし、恋愛至上主義も憎い、と。でも彼女たちが作ったり愛するBLはゴリゴリの異性愛規範だし、ガチガチの恋愛至上主義であることが多い。BLなのに異性愛規範とは?と思う人も多いだろうけど、チンコを入れる方を男役、入れられる方を女役として固定し、男役には逞しさ、経済力などを描写し、女役には小ささ、母性、弱さなどをデフォルメ強調して描写するBLのことである。宝塚歌劇団の男版とも言うべきか。異性愛規範が嫌なのに、BL結婚式ではチンコを入れられる方だけが何故かウエディングドレスを着ている。特に女装やドレスが好きという意図はない。チンコを入れられる方は女役だから作者はドレスを着せる、それだけ。強烈な異性愛規範だと思う。憎んでいるとまで言っているが実は誰より愛しているのかもしれないと思う
女が犠牲にならない、女が消費者として強者になれるBLの世界はウーマンリブ的であり、私を救った〜BLは「一歩先を進んだ」表現なんだ、っていう腐女子が結構いる。私はそういうオタクが大嫌いだ。BLの最も大きなマーケットである二次創作界隈において、「受け」と呼ばれるチンコ突っ込まれる方の男に、かつて女がやられてきたことを押し付けているから。別にトランスジェンダーでも、そういったファッション携行もないのに、BLの結婚イラストで「受け」がウエディングドレスを着せられる率といったら。そういう女らしさの押し付けに反対じゃなかったっけ?って私は思う。受けはやたら家事が得意だったり、泣き虫だったり、妊娠できるというSF設定では必ず妊娠するのは受けだしさ。
やりたかったこと
女の子と仲良くしても茶化される心配をしないで済む性別で居たかった
シルバニアファミリーのセットが欲しかった
髪をのばして人に結ってもらいたかった
身長伸びたくなかった
お母さんになりたかった
人を好きになりたかった
男だったらこうするって考えて行動にフィルターを掛けないで普通にしていたかった
こういうこと考えてる自分が気持ち悪いって思わないで済むように居たかった
こういうの全部大人になったら気にならなくなって男として生きるのだと思ってたのに、全然全く収まらないし
明確な好きって感情が無いのに性欲だけ女性の方を向いてて、変態的で異常っぽくて、やれるなら相手は誰でもいいって言ってる気持ち悪い男と同じに見えて自分が気持ち悪いし
ずっとどんなに思っても男として扱われ続けてたのに服装変えて髪型変えただけで扱いが変わるとは思えなくて
髪型変えて脂肪がついて鏡で見て女に見える瞬間が多くなって、それは嬉しいのに自分の顔見て嬉しいって事が普通じゃなくて気持ち悪くて、もし普通の人は鏡を見る度に嬉しいって思ってるとしたらずるくて
今月の誕生日で全部終わりにする
先日大好きな友達が結婚した。結婚式にも呼んでもらった。真っ白いウエディングドレスを着て、新郎と微笑み合う彼女はとてもきれいだった。その光景を見て私は涙がとまらなかった。
中高一貫のキリスト教の女子校で、地域で一番偏差値が高いということもあり、個性的な生徒が多かった。
彼女は、その中でもひときわ冗談を言うのが得意で、愛嬌があって、私はたちまち彼女の虜になった。彼女と同じ部活に入って、いつも彼女と一緒にいたがった。彼女はカースト上位のキラキラ女子、というわけではないが、おもしろくてチャーミングだったので、みんなに好かれていたので、隣をキープするのに必死だった。放課後、マクドナルドで駄弁ったり、休日に買い物に行ったり、好きなバンドのライブに行ったり、お互いの家に遊びに行ったりした。
高校に上がってからも、仲の良い友達だった。親友だったと言っていいと思う。私から見て、彼女はとても素晴らしい女の子だったが、彼女はたくさんのコンプレックスを抱えるようになっていた。成績が良くない、だとか彼氏ができないだとか、思春期特有のものが多かったと思う。
彼氏ほしい、と冗談めかしていう彼女をみて、悔しいな、と思ったことを覚えている。
世界で一番だよ、と言って抱きしめることができたのに。
私では彼女の恋人にはなれない。女の私が何を言っても意味ないんだろうな、ということはなんとなくわかっていた。
その時の私は「私も欲しい〜!大学入ったら絶対作ろうね!」と言うしかなかった。できたら一番に教えてね、と言いあった。
大学進学のため、私が地元を離れてからは年に数回しか会うことができなかったが、帰省の際は必ず会うようにしていたし、何度か旅行にも行った。
彼女は大学で彼氏を作った。惚気も愚痴もたくさん聞いた。一通り自分のことを話すと、「彼氏できた?」と私のことを聞いてくれた。
まず、ブスでコミュニケーションが苦手、と言うのがあったが、誰と喋っても「彼女といたほうが楽しい」と思ってしまっていた。
私に彼氏ができないまま、彼女は旦那さんと出会い、結婚にいたった。結婚前の彼女の話を聞いていると、旦那さんは素晴らしい彼女にはふさわしくないように思えた。何度そんな男やめなって、まだ若いんだからもっといい男がいるよ!と言ったかわからない。
しかし、結婚式の彼女は幸せそうだった。旦那さんも誠実そうな、いい人に見えた。親族と友人たちに祝福されている彼女を見て、涙が溢れて止まらなかった。
高校生のとき、コンプレックスで泣いていた彼女はもうそこにはいなかったし、彼女を幸せにできるのはやっぱり私ではなかったのだと、身に染みた。私は10年以上彼女のことを知っているけれど、まだ知り合って2年もたたない旦那さんには一生勝てないのだ。
そんな異性愛者の感情論が通るなら「愛する人と一緒に居たい」っていう同性愛者の感情論も通して下さい。
愛する人と一緒に居たい、のほうが美しいし良くね?
なんでそんなに結婚したいワケ?とかよく聞かれるけど、異性婚禁止になったら異性愛者はつらいでしょ。
何がつらいんですか?って言われたらたくさん理由が出てくるでしょ。
同性婚が認められれば、国に認められているという強い後押しで、「キモい」という見方もだんだんとなくなるんじゃないかなあ。
ハッテン場とか言って、同性愛者は性にルーズだと言われるけど、同性婚ができれば同性愛においても不倫が成立するので、そのへんも厳しくなるんじゃないかな。
異性愛者でも、「不倫」というものがこの世になかったら、きっと男女ともに性にルーズになっていくと思うよ。
同性愛者をロリペドといっしょくたにする人いるけど、それは片方に迷惑が掛かってるからダメなわけで、同性婚はお互いに合意してる大人なんだから同列に語るのはおかしいよ。
偽装結婚なんて男女でもありえるし。
うーん。何がだめなんだ?
私は別に結婚式を挙げたいとは思わないし派手なイベントに参加したいとも思わない。
・・・でも彼女のウエディングドレス姿は見たいな。絶対可愛いだろうな。え、自分も着てみたいかも。
話がずれた。
とにかく、異性愛者と同じように一緒に暮らしたり、変に隠さず部屋を借りたり、社会的な手当をもらったり、
親にも「この人と結婚します!」ってふつうに紹介したりしたい。
残念なことに子供は作れないから、養子をもらって大切に育てられたらなと思っている。
うーん、養子を貰う人も増えるし、海外で暮らす人も減るし、色々良いところもあると思うんだけどな。
私も、元ノンケだから偏見がわからないわけじゃないけど、認めない理由って具体的なものじゃなきゃダメだと思うんだよね。
その具体的な理由ってなんなんだろうか。