はてなキーワード: 高まるとは
ブクマではApp Store以外が認められることでユーザーにメリットがあるって言ってる増田が多いが、およそ信じがたい。
AndroidだとAmazonのKindleストアやHuaweiのストアなんかが比較的メジャーだと思うが、特にメリットを感じたことはない。Amazon Kindle ストアは使ったことがあるが、Playストアに対する優位性はゼロで、アプリが少なく不便なだけだった。
そうは言っても、具体的に何が起こりえるのかを列挙してから出ないと判断はできないと思うので、以下のとおり検討してみる。
App Store以外のアプリストアが認められることで、ユーザーにとって起こり得る変化としては、以下が考えられるだろう。
自社ストアに誘導したい特定のパブリッシャーが手数料を割り引くことや、そもそも自社ストアなので手数料分を割り引くことを行えばあり得る。フリーライド以外の何物でもないけど。
ちなみに、EpicがやってるSteam対抗のPCゲームストアは、手数料割引分を開発者に還元しているのでユーザーにはほぼメリットのない状況である。
これは更に以下の3つに分けられる。
メリットといえばメリットだが、具体例に乏しい。AndroidであってiPhoneにないものとしては、ゲーム機のエミュレーターなんかが挙げられるだろうか。違法に近い。
WeChatやTikTokをダウンロードできるのは、人によってはメリットになるかもしれない。米国政府を敵に回すので、起こりそうにもないが。
Emulatorなどの違法アプリを導入できる可能性が高まること、米国からbanされる中国製アプリを使用できる可能性があるほか、一般ユーザーにとってのメリットは見当たらなかった。
ただのお気持ち長文。
まぁ当然の結果である。
……が、全然納得せず式を強行しようとするクソマンコ新婦 vs 非常に理性的で常識的で心優しい新郎と新婦家族連合軍による双方泣き叫び、ティッシュの備蓄が尽きる丸二日の大乱闘(非暴力)が発生したのであった……
普段遣いの語彙としてチンコもマンコも登録されていない生活をしているので、ここまでだけでも自分の文章だというのに嫌悪感が凄い。
まずなぜ「クソマンコ」という称号を用いるのかというと、先述の2日間が丁度月経の冒頭2日間と完全に噛み合ってしまっていたので肉体的にも精神的にもコンディションが最悪な状態で結婚式やるやらないの話に突入したことが言い訳の一つとして発生するためだ。
自分の月経は人より軽症だと自負しているが、それでも月経開始前の4日間くらいは明らかに些細なことでイライラして社会性が低くなる。
そして開始から2日は必ず熱を出し、判断力が著しく低下して、普段ならあり得ないようなミスを連発する。もう何してもダメになる。こういう時に何らかの決断を下すと失敗する。
この時点で「私はマンコに振り回されるダメな生命体です」とアピールしているようなもんである。
事態を重く見てついに要指導医薬品プレフェミンキメ始めました。効くといいね。
*「体調はただの言い訳ではないですか?」
Exactly
(その通りでございます)
どうせこのクソマンコは体調が良くても結婚式強行論者だった。一度は延期をした3月時点でもそうだった。延期しようと自分から言い出したことはただの一度もない。
非常識!不道徳!お前のせいでコロナにかかったら、クラスターが発生したらどうしてくれるんだ!
と言われるのは目に見えているのにも関わらず……実際言われた。妹に言われた。
ここで
「②こいつ社会情勢や他人の命よりも自分の欲求優先するバカマンコじゃん」
*「最低ですね」
Exactly
(その通りでございます)
早く死ねよ……ゾンビ映画でゾンビを解き放っちゃうタイプのやつじゃん。デッドライジングで犬のために扉開けちゃう(うろ覚え)大戦犯ババアと同じじゃん。
湧き上がる自己嫌悪!高まる希死念慮!オッケーグーグル、コイツ殺して。
Exactly
(その通りでございます)
健やかなる時も病める時も「話がある」と切り出されたらまずは離婚届に思いを馳せるし、もう今回の件はいい機会なのでは???って思っている。
にんげんおんななんて星の数ほどいるんだから、すぐにもっといいの見つかるよ。
「結婚式」に私は何を夢見ているのだろう。
コスプレイヤーじゃなくてもブリブリのドレスを公然と着られる、見せびらかして、幸せですアピールして、バカ高いご祝儀と言う名の入場料払わせて、使い古しの祝福定型句が浴びせられるだけのお遊戯会が私はやりたかったのか?
Exactly
(その通りでございます)
私が中止に際して喚き散らかしたと言うことは、そんなクソイベを親類や友人を殺してでもやりたかったという事なのだ。紛れもなく!
し、死んでくれ〜〜〜〜!!!!
みんなのために死んでくれ!
防疫!
とりあえずあらゆる人間と関わるべきでないなと思う。
終戦までに2日もかかったのは月経のせいもあるかもしれないが、それがなくてもどうせ戦争は回避できなかった。
結婚式は中止だ。
またn月後に再始動する気力はない。
延期は延期で体力かかる。
お知らせのハガキ作って送って、友人たちにラインして、また数カ月後から仕切り直し。
本来だったら式だったはずの日の、家に引きこもってゲームするしかないやるせなさ。
正直二度と味わいたくない。
幸いなことに世話になってる業者さんたちはみな優しくて、タダで延期させてくれたけど……
これからもずるずる延期を続けていくのか?
一体いつまで?
延期連絡を受け取る側だって「またかよしつこいな」ってなるでしょ。
またかよ。しつこいんだよ。こんなクソイベに拘泥している自分が果てしなくダサい。穴があったら入るので埋めてくれ。
同人活動経験を生かしてわざわざ印刷所に頼んだ紙小物以下諸々、何もかも無駄になるが、倫理観のないクソマンコが自分もまともな人間女だと勘違いして用意した自己顕示欲塗れのクソの山だ。とっとと下水に流して終われ。
写真だけは撮るらしいが、当日まともな顔ができるだろうか。自信はない。
というかさっさと死んでね。
床屋に行きいつものように髪を切ってもらっていたのだが、顔剃りが終わったところで「冷やしシャンプーはじめたんですけどどうですか」と話しかけられた
「冷やしシャンプーですか?」「ええ、暑さ対策として夏場限定でやってるんですよ すごく頭スッキリしますよ 追加料金300円かかりますけど」
300円も払うのだから、これまでに体験したことのないさぞ気持ちの良いシャンプーをしてくれるのだろう
あまりの爽快感で帰り道は汗ひとつかかずに帰れるかもしれないと勝手に想像しながら、とりあえずやってもらうことにした
「冷蔵庫で冷やして保管してあるんですよ」と嬉しそうにシャンプーを持ってくる理容師 いやが上にも高まる期待
「さあかかってこい冷やしシャンプー 我が頭を思う存分冷やしてみよ」と待ち構える私
顔につめしぼを乗せられ身動きのとれない状態で私の頭にはついに冷やしシャンプーが…
そう、あのメントールたっぷりのサンスターのトニックシャンプーである
「どうですか 痒いところはないですか すごくすっきりして気持ちいいでしょう」と勝ち誇ったように話しかけてくる理容師
メントール入りのシャンプーは肌がひりひりするからあまり使いたくないんだよね
一度OKしてしまった以上、来月床屋にいってもまた冷やしシャンプーを勧められるのだろう
http://hiroitz.sakura.ne.jp/styled-20/index.html
育児ノイローゼは、1970年代に広く使われるようになった。1970年代は子殺しや母子心中が問題にされ、その原因として、しばしば育児ノイローゼが挙げられた。たとえば、1971(昭和46)年版『厚生白書』は、次のように書いている。
児童の養育について自信の持てない両親もふえている。一部の母親は、育児ノイローゼがこうじて心中に走る場合すらある。児童を私物視して、親の手で殺したり心中をはかつた事件で、児童の生命が断たれた事例は、昭和45年1月〜昭和46年4月までの期間に72件、1か月平均4.5件生じたとされている(全国養護施設協議会調べ)が、なかでも母親の育児ノイローゼは原因中に大きな比重を占めている。児童の問題は親の問題と言われるが、現在の家庭環境における問題点は問題児ならぬ問題親がふえている状況にあると言つても過言ではあるまい。
また、1979(昭和54)年版『厚生白書』は、核家族の場合、「特に重要な相談相手たる姑の活用もほとんど行われておらず、夫と相談する度合が高くなっている」「このような場合、未経験な母親ほど育児についての不安が高まることが容易に想像され、これが高じれば、例えば育児ノイローゼといった不幸な現象を引き起こす要因ともなりやすい」と述べている。
このように、1970年代には、育児に自信のない母親や不安を持つ母親が問題にされ、それが高じると育児ノイローゼになると捉えられていた。
ぐぐったら即出てきたが
ふつう、生理は1ヵ月に1度来る。だいたい25~35日に1回は来るだろう。
ところが自分は稀発月経というやつで、大体4、50日に1回ぐらいのペースでやってくるようになった。
自分だけかもしれないが、自分はいつも生理前に異様に性欲が高まる。
特に「今日はマジでやべーなエッチなことしか考えられない」という日があると、大体次の日に血だらけの便器を見る事になる。
生理というのは単に股から血が出るだけという話ではない。その裏でホルモン物質などのバランスコントロールが行われているのである。
だから、性欲が高ぶると次の日は生理が来る、というのが一つの指標でありルーティンだった。
ところが少し前から稀発月経といって、ペースが4、50日に1回になった。
その結果「約30日後に性欲の高ぶりが発生した後、次の生理が発生するまでひたすら性欲が収まらない」という事が起こってしまったのである。
故あって「頭の回転が速い人間が集まるSNSコミニュティ」にいるんだが、その人間達がどうも気に入らず、辞めようか考えている。そのコミニュティに属していること自体で自尊心はちょっと高まるし、出会いもあるから、辞めよう辞めまいとグズグズしているのだが…。
頭の良さや回転の速さと、いわゆる「人間性」なんかこれっぽっちも関係しない。頭の良さを鼻にかけて、自分を持ち上げ、他者を見下すような奴が8割くらい。小学生でも知ってるようなことを今更気付くなんて、本当に愚か。
自分の持ち上げ方も、「見て見て!これ凄いでしょ!どやどや!!??」みたいな無邪気さがあれば素直に受け取れるが、なまじ頭が良いものだから「まぁ、こんな感じかな…」みたいにスカしちらしたひけらかし方なんだな。でも「俺は凄いんじゃ」的な傲慢さは全く隠し切れてない。そのギャップがまた気に障る。
コミニュティにはまだ若い高校生もいるが、そういう傲慢さを見て「こうやってひけらかして良いんだ」と学んでいるのか、もともとそうだったのか、真似ごとのようにイキっている。思春期でそうなると、もう止まらない。そいつの人間性はそうなってしまうのだろう。
頭が良いのは良いことだ。大学にいれば学術の発展に寄与し、会社にいれば事業を推進し経済を回す。完了なら国だって動かせる。歴史を作ってきたのはいつだって頭の良い人間だ。傲慢だろうがなんだろうが、そうやって実益があればそれが「正義」なのだというのも分かる。ただ、その傲慢さはとことん気に入らない。自分上げ・他者下げの性格まで一緒くたに「正義」と認識されたくはない。頭の良さに評価を与えたいのであり、その人間全体を評価したくはない。
そんな世の中にならないかな?
選択肢が多いというのは、天井が高いことであり、フェアなマッチングが起きやすいことであり、自分らしくいられることであり、やり直しがきくことだ。
例えば飯で言えば地方のNo.1の名店みたいなレベルの店が近所に3~4店舗あって、さらにその上の地方にはないランクの店もある。それがあらゆるジャンルである。イタリアンもフレンチも鮨も焼き鳥も割烹も焼き肉もタイもベトナムもスイーツもあらゆるジャンルでそうなる。食べたい時に食べたいレベルの食べたいものが食べれる。(ただし残念ながら固定費が大きく地のものも貧弱なので、概ね安い飯は地方よりまずい)
仕事だと地方のトップ企業が10段階のレベル7で、二番手企業がレベル5だとする。地方だとどんなに優秀でレベル10の能力があってもレベル7の会社でしか働けないし、なんかのミスや事情でレベル7の企業が無理だとレベル5の企業で働くしかない。でも東京には10の会社が無数にあり、それがダメでも9の会社が無数にある。自分にあった業界の、自分にあった会社で働ける可能性が高まる。
異性も友人もあらゆるレベルのあらゆる嗜好を持った人がいる。ニッチなアイドルだろうがスポーツだろうがそれを好きな人がたくさんいて自分に近しい人とつながれる。一つのコミュニティで万一やらかしても他のコミュニティでやっていける。恋愛や結婚の相手だって無限の選択肢がある。
一方でその選択肢の多さこそが東京で生まれやすい不幸の源泉でもある。いつまでも上と自分を比べて苦しんだり、人との関係性を築くことよりも相手を選ぶことに囚われたり、一つ一つの機会を大切にしなくなったりしがち。
とりあえず入手の確実性で大企業のヤツ持ってきたよ
商品化の背景 / ますます高まるグルテンフリーや糖質制限へのニーズ
健康・美容意識が高まる昨今では、小麦に含まれるたんぱく質であるグルテンを食事から取り除くグルテンフリーや糖質制限を食生活に取り入れる人が増えています。一方、小麦粉や糖質を多く含む食品を避けることで、食事の楽しみが減り、ストレスからそうした生活を続けられない方も少なくありません。
そこで当社は小麦粉を大豆粉に置き換えることで、無理なく美味しく、グルテンフリーで糖質もカットできる食生活を提案しています。大豆粉は糖質が低く、グルテンを含まないだけでなく、植物性たんぱく質のソイプロテインを含むほか、食物繊維など様々な栄養素を摂取することもできるため、近年注目を集めています。
この半月ほどのことだ。まあ今のところ、実際に休んだのが2回と2時間くらいの遅刻が1回だけだが、明らかに今までと違う。
私は決して精神的に強いほうではない。
スクールカースト底辺出身者、発達障害グレーゾーン(未診断)。鬱か?双極性障害か?という感じの症状とともに生きている。
本当に動けなくなって引きこもりになったことはない。たぶん。ないとはっきり言いきれないな。それっぽい経験は何度かあった。
小学生のときに習い事を数か月休んだり、大学生のときにかなり引きこもりっぽい生活を送ったりした。
育児中(特にひとりめの産後とふたりめの頃に毒親と戦っていたころ)も相当引きこもりに肉薄していたと思う。
私をなんとか助けてくれたのは本だった。本と、本に出合うための窓口としてのTwitterだった。
育児はもともと興味があったし、やってみたいと思ったことはどんどんやってきた。
親といえど、本質的には対等な立場なんだよ、と言動で示してきたつもりだ(もちろん限界はあったが)。
この感じ、自分でも気に入ってるな、安定してきたな、とここ1年半くらい思っていたところだった。
朝、起きられない。些細なことでキレて八つ当たりする。何が嫌でどうしたいのか聞くと「わからない」を連呼する。
というのが主な症状。
いつも通りのことも多い。多いけど、ストレス負荷が高まると症状が出る。
素人意見だけど、なんとなく「うつの入り口にいるな・・・」という感じがする。
原因を考えた。夫婦でも話し合ったし担任の先生との連絡も頻繁にとっている。
学校の休み時間にあった友人間のトラブル、自立を促そうと自室での就寝を勧めたこと、それによって就寝時間が遅くなったこと。
ほかにもいくつか原因となりうる要因を洗い出してみて、できることから対応してきた。
学校でのことは逐一連絡をとり、就寝スタイルは元に戻し、9時には眠れるよう調整し、朝日を浴びて目覚められるようにした。
結果、休んだり遅れたりせず登校はした。したけど、解決とはほど遠いように見える。
むしろ無理やり行かせているようにも思えてくる。
長くなってきたので一旦切ります。
治療というと思想の統制だと思われるかもしれないが、そうじゃないから聞いて欲しい。
小児性愛があることは犯罪ではない。しかし未成年と性的な行為をすると同意うんぬん関係なく犯罪だ。
そして、殺人は犯罪だ。でも人を殺したいと思う気持ちは犯罪にはならない。
高齢者が車を運転することは犯罪にはならない。ただ犯罪を犯すリスクが高まるから運転は控えようといっている。
現時点では全員犯罪者じゃない。ただ、その先に犯罪になるリスクがある。
(性的欲求の先にレイプがあるからそれはすべて犯罪というのは違う。ドライバーは事故を起こすから犯罪予備軍と言っているようなもの。)
嗜好や思考を変えろというとなんとなく拒否反応が出るが、嗜好思想のほとんどは脳や体から出る化学反応に過ぎない。
それで苦しい思いをするようなら、適切に治療を行うべきだ。小児性愛のあなたの思いが成就する日は来ない。一度精神科などを受診し、性的欲求をコントロールしたほうがいい。
もう一度言うが未成年と性的関係を持つことは犯罪だ。小児性愛者は運転免許を持ってはいるが犯罪を犯す可能性が高い高齢者ドライバーだと自覚してほしい。
あえて煽り気味に書く。
進学校出身の女性(が複数人集団にいる場合)に多いんだけど、メリットないところまで「減点方式」で考えてくるからやめてほしいと思っている。
対外的なビジネスや内部でのビジネスどちらでも、はじめにどんな形であれ目標到達点を設定すると思う。
この到達点の設定があまりに理想的だし、そっからの減点もあまりに恣意的で、生産性が著しく減じている。
新たに人を雇うことになった際に、まだ着任前なのに履歴書の細かなところを論って、
「こんな人とは一緒に働きたくないし、こんな履歴書の書き方ではこの業務のここに支障が出る」とか言い始める。
確かにその人の履歴書は結構常識的ではない部分があったのだが、結局今では戦力として不可欠の存在だ。
この人が戦力になったかどうかは、実はここでの問題の本質ではない。
来るまえからあーだこーだ言って、配置の直しの相談をしたりとか、ツテを通じてその新人の情報収集に余念がなかったり、そういうことをしていた。
新人が働けるか、は、働きそのもので見るべきで、事前の減点た値踏みで思考したり判断したりするものではないだろう。
「一緒に働きたくない」「業務に支障が出る」は、あくまで実地の仕事ぶりから判断するべきだ。
実際勤務始めた際にも細かい誤りや、間違いから起因する面白エピソードばかりを給湯室的な噂にしたりとかして、その新人が今日何をできたか、今週何をなし得たか、下から積み上げる発想が全くない。
ボトムアップの思想が必ずしも良いとも思えないのだけど、その思想がなく減点方式ばかりなのもまた問題だ。
要点は二つ。目標地点が高すぎることと、「減点」が厳しすぎることだ。
仕事でも私生活でも、目標にわずかでも届かないと、「減点方式」人間はとても落ち込むしモチベーションが下がる。
「減点方式」の人と、一緒に遊んだり仕事の相談を受けることも結構あるんだけど、「え、なんでそんな難しいことを?」「それ、そもそも目標到達無理じゃない?」と思うことが多々ある。
できなかったことをくよくよするのは結構自分でもあるけど、しようとする事柄の理想が高すぎ、かつ「減点」が厳しすぎる。それで物事が進まなかったり、くよくよする度合いがぐっと高まる。
夜眠れなくなったり、あるいは薬を飲んだりとかってのもあるようだ。
こんな経験があるから、過度な「減点方式」ってのは何か呪縛のように人々の身体を蝕んでいるような気がする。
俺もどうかと思うけど、あえて、「目標なんてどうでもいい」とか、「私たちの「できた」or「できなかった」なんて瑣末なもので、苦しくなったら木星の大赤斑とか宇宙のことを考えると気が楽になる」とか極端な話を色々してみるんだけど、むずかしい。
たしかに仕事の世界でも成果主義的な考えがはびこっている。それがないと生産性が高まらないとも思う。
「減点方式」をとる人々は優しいし優秀だ。きっとそういう世界で鍛錬を積んできたからそうした思考になるんだろう。
※基本自分用。ついでに公開という体。
元増田の言うところの分解する手法は大変有効で、社会的な事柄のみに限定すれば肯定感は高まる。だけどこの方法では社会の節目が訪れ、概念が180度変わるシーンでは無効化されると思う。例えば玉音放送前と後のショックの大きさについて数多くの証言が残されている。国家というアイデンティティを個人レベルに適用していた人は自信がもろく崩れた。海外でパスポートを失ったとき、辻仁成は、所詮肩書など紙切れに過ぎない。遠く外国において自分は何者でもなかった、と小説の後書きに記した。
自己肯定感を至極真面目に考えると、自己の定義から始まり、自己の発生箇所、範囲、形而上的な自己という精神について絶対に避けられなくなる。デカルト~フッサール~ハイデガーをつらっと見てゆくと、自己とは何かがますますあやふやになってゆく。分子や細胞など、SF的な見地でもいいかも知れない。自己という要素は認識や意識にまで還元され細切れにされる。
相対的な評価は、たとえそれが当時絶対的に見えても絶対性がまるでない。わたしというものを社会性と接続されるあらゆるものから切り離すべきで、そうでないならば、実際のところ自己評価、他者評価とは単なる一社会一形態・一時代のマーヤーに過ぎないことが理解できる。自己がマーヤーであるなら他者もマーヤーであり、そこには般若心経的な世界観が広がってゆくばかりだ。空とはなにもないわけではなく、"ある" と錯覚するものが多数の変じ易い要素によって形成され、例えば社会的な成果や経験に見える、といったものらしい。自己に言い換えるなら、自己が存在しているという実感は単なる各細胞(社会的なレッテルや成果を含む)の成り立ちに過ぎない。自己を考え、また認識することはまるで無意味だ。したがって元増田の希薄さとはまた違い、自他ともに興味が消失するところに真実があるものと思う(あるというより、ないのだけど)。
じゃあなんだ、どうすればよいのか。
自己と他人に無頓着になり、興味のみを追えばいいと思う。これは多少齟齬を含んでいて、他者に興味を持てない状態で他者に興味を持つというおかしなロジックを持っている。言ってしまえば他者に "ある" ものは追いかけなくていい。社会的な地位や金、恋人、そういうものではなく(仮にそういうものであったとしても)純粋に動物的に欲求するということ。たとえば奇妙な話、金という働きに極度の興味があるなら金集めに奔走してもいい。ただしその場合でも金にまつわる "ある" と錯覚する自己認識を持つ必要性はない。それは自己ではないから。