あえて煽り気味に書く。
進学校出身の女性(が複数人集団にいる場合)に多いんだけど、メリットないところまで「減点方式」で考えてくるからやめてほしいと思っている。
対外的なビジネスや内部でのビジネスどちらでも、はじめにどんな形であれ目標到達点を設定すると思う。
この到達点の設定があまりに理想的だし、そっからの減点もあまりに恣意的で、生産性が著しく減じている。
新たに人を雇うことになった際に、まだ着任前なのに履歴書の細かなところを論って、
「こんな人とは一緒に働きたくないし、こんな履歴書の書き方ではこの業務のここに支障が出る」とか言い始める。
確かにその人の履歴書は結構常識的ではない部分があったのだが、結局今では戦力として不可欠の存在だ。
この人が戦力になったかどうかは、実はここでの問題の本質ではない。
来るまえからあーだこーだ言って、配置の直しの相談をしたりとか、ツテを通じてその新人の情報収集に余念がなかったり、そういうことをしていた。
新人が働けるか、は、働きそのもので見るべきで、事前の減点た値踏みで思考したり判断したりするものではないだろう。
「一緒に働きたくない」「業務に支障が出る」は、あくまで実地の仕事ぶりから判断するべきだ。
実際勤務始めた際にも細かい誤りや、間違いから起因する面白エピソードばかりを給湯室的な噂にしたりとかして、その新人が今日何をできたか、今週何をなし得たか、下から積み上げる発想が全くない。
ボトムアップの思想が必ずしも良いとも思えないのだけど、その思想がなく減点方式ばかりなのもまた問題だ。
要点は二つ。目標地点が高すぎることと、「減点」が厳しすぎることだ。
仕事でも私生活でも、目標にわずかでも届かないと、「減点方式」人間はとても落ち込むしモチベーションが下がる。
「減点方式」の人と、一緒に遊んだり仕事の相談を受けることも結構あるんだけど、「え、なんでそんな難しいことを?」「それ、そもそも目標到達無理じゃない?」と思うことが多々ある。
できなかったことをくよくよするのは結構自分でもあるけど、しようとする事柄の理想が高すぎ、かつ「減点」が厳しすぎる。それで物事が進まなかったり、くよくよする度合いがぐっと高まる。
夜眠れなくなったり、あるいは薬を飲んだりとかってのもあるようだ。
こんな経験があるから、過度な「減点方式」ってのは何か呪縛のように人々の身体を蝕んでいるような気がする。
俺もどうかと思うけど、あえて、「目標なんてどうでもいい」とか、「私たちの「できた」or「できなかった」なんて瑣末なもので、苦しくなったら木星の大赤斑とか宇宙のことを考えると気が楽になる」とか極端な話を色々してみるんだけど、むずかしい。
たしかに仕事の世界でも成果主義的な考えがはびこっている。それがないと生産性が高まらないとも思う。
「減点方式」をとる人々は優しいし優秀だ。きっとそういう世界で鍛錬を積んできたからそうした思考になるんだろう。
人事から外せばいいじゃん。それともトップがそもそもそういう考え方とか?
いくらでも人を選べるような人気の会社なんだったら そうやって理不尽なふるいにかけまくっても優秀な奴が列をなして来るんだから問題ない。 そこまでじゃないのにチマチマした言い...