はてなキーワード: 障害者手帳とは
まず職業がしょうもない。定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。
それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。
次に子育てがしょうもない。基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。
それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。
なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。
その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。
でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。
性格がしょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。
謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモのパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしまい店員を殴って怒鳴り散らしていた。
お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。
考え方がしょうもない。俺が精神の病気になってもそれを認めようとしなかった。
父から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。
俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。
抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。
1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。
ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校はサボり夜更かしして笑っていた。すげえな。
俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。
“自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。
子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。
なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。
風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。
母親は俺達を育児放棄していて、保育園の先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。
ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。
「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。
それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。
今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。
精神がおかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。
昔から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。
いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。
妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。
俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。
精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。
ヤ○ザである自分が長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。
「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。
抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分だけが生きていることが虚しいらしい。すげえな。
考え方が本当にしょうもない。生活費だけは絶対に取っておいた。
今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。
どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。
今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。
俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。
いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。
身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。
これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。
自分のことしか考えておらず、いつまでも親から何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。
何をしてあげられるかを考えていない。
世間で言う毒親に自分の父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。
一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。
俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。
なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない。
未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。
しょうもない。騙されやがって。
騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない。
一般的には障害者手帳を持っていることをもって障害者を対象としたサービスが受けられるようになるので、障害者手帳持ちイコール障害者という定義になると思います。
ですが特に精神障害なんかは手帳の有効期限が2年だったりしますし、2年以内でも寛解すれば手帳を役所に返上することも可能なわけで、やはり健常者と障害者の境目って意外と曖昧だなと思うわけです。
私(女です)は難病持ちですが、手帳持ちではないので障害者という枠には入りません。
ですが、公共交通機関ではヘルプマークなどを携帯して優先席に座ることもあります。
なにが言いたいかというと、健常者と障害者という区分って福祉分野で必要とされる概念であって、それ以外の場所ではあまり意味のない分類の仕方じゃないかなーということです。
障害者の中にも健常者に近い軽い障害からほとんど寝たきりの重度障害まで幅がありますし、障害者ではなくても日常生活に困難を抱えている『健常者』もいるわけですから。
鬱病ってそういう本人の意志や努力で治るもんなの?私の友達で鬱病で長いこと仕事休んで結局仕事辞めてだいぶ経つ子がいるけど、いまだに完治してなくて調子が悪い時期はひたすら寝込んで何もできないらしい。
経済的にも家事にしてもダンナさんが頑張って支えているようだが、これで独身だったら生活保護のお世話になるしかなさそうに見える。デイサービスに行ったり、カウンセリングとかで「自分で自分のことを好きになるように」とか指導されているとのことで、先日久しぶりに会ったら元気そうに見えたけど、障害者手帳ももらっているらしい。
たとえさぼりとか逃げとか言われても、そんな重症の鬱になる前にストレス源から脱出しないと治そうにも治らない状態になるのではないかと思う。
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
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父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
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いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
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当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
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なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。
先天性心臓病患者。先天性心臓病患者で手術で健常者と同じ健康を取り戻した人は、ほとんど障害者手帳を持ってない。
LGBTは数がいるからいいよね。心臓病患者なんて、テレビドラマでいつも、すぐ死ぬ役が割り当てられて、揶揄されてる。お陰で、普通の人は、先天性心臓病患者が人口の1%程度いて、しかもその半分以上は運動制限などを除けば健常者と同じように生活できることを知らない。
健常者は、我々が健常者にまぎれて生きてることを知らない。
LGBTはいいよね、生命保険にも海外旅行保険にも入れるでしょ?先天性心臓病患者は基本的にどっちもできない。医学的には、寿命も生活も健常者とほぼ変わりないのに。
LGBTは独身であることだけ受け入れれば、経済的なハンデはない。我々先天性心臓病患者は、幼少時に手術すれば、薬も治療もしなくても一生健常者と変わりなく生活できる人が沢山いるのに、幼少時に手術したという理由だけで、経済的な不利益を受ける。そして、手術で健康になったからという理由で、障害者にもなれない。
LGBTのあなたは、我々の経済的ハンデを取り除く活動を何かしてくれた?してくれてないよね、十中八九。だから、僕も、あなた達の活動を支援しない。
結局、数が多い人が勝つんだよ。少数派に生まれた時点で負け組なんだよ。そのマイナスを打ち消すだけの金なり学歴なりを手に入れる方にエネルギー注いで、自分の弱点については、できる限り隠して生きる方が得だよ。LGBTは、われわれに比べれば数が多いから、多数派に打ち勝てるように錯覚してるのかも知れないけど、そうじゃない。
結局、少数派に生まれた時点で、マイナスなんだよ。不利なんだよ。多数派には理解されないんだよ。だから、ほっといて自分が生き延びることだけを考えて生きたほうが得だよ。俺はそうしたよ。
前年の収入は非課税であったため、受給者証を取得すると無料(またはわずかな金額)で就労移行支援サービスを使うことができるので電話をした。
最近自立支援医療の期限が切れてしまっており、3ヶ月前に障害者手帳と一緒に申請したのだが、障害者手帳は届いたが自立支援医療の受給者証はまだだったため、まずそのことから尋ねた。
以下、あらましを簡単に。
私「障害者手帳は届いたのだが、自立支援医療の受給者証が来ていない」
私『受給していません」
B「電話変わりました。生活保護は受給されていますか?」(この時から大声でかなり不機嫌でした)
私「先ほども申し上げましたが、受給しておりません」
B「なぜこちらに電話してくるのですか?」(すごく高圧的で、責められている意味がわかりませんでした)
私「障害者手帳は届いたのですが、受給者証が来ていないのです」
B「こちらじゃないんですよ!とりあえず変わります」(精神的にぼろぼろになりました)
私「障害者手帳は届いたのですが、受給者証が来ていないのです」
ここで私は電話している窓口が異なり、生活福祉課と地域福祉課をかけ間違えたことに気が付いた。
電話番号を教えてもらい、Bの態度が悪かったと文句をいい切った。
間違ったのは悪かったが、そこから案内を間違えた非はそちらにある。
生活に困ってる人は疾病や様々な問題を抱えているから、Bは電話にも窓口にも出さないでくれ。なんなら排除してくれ。
私「水際対策で大きな声の人を置いてるでしょ?」
上司「そういったことは一切ない。都?からも厳しく指導があるし、常日頃注意しているし、彼はベテランだ。」
私「わたしが生活保護の相談に行った時もBだった。その時も高圧的な態度だったし、生活保護を受給しようとしている人を排除しているんだろ?」
上司「そんなことはないけれど、そう受け取られたら悪かった。」
私「じゃあなぜあんな態度だったんだ?」
上司「まだ聞いてない。」
私「聞いてからもう一度連絡くれ。」
再び電話かかってくる
上司「私の指導不足です。申し訳ない。今後このようなことは起こらないように徹底したい。課長の方にも報告書をあげる。」
私「ベテランだという話だし、強面で大きな声、それで水際対策してるんでしょ?配慮する気全くないじゃん。大きな声という自覚が本人または周りにあるのなら、なぜ穏やかに話を聞いて喋れないんだ。」
上司「今後は徹底する。」
私「彼を移動、排除してくれ。深く気づついた。」
あぁ、改善されないし、今後も強面で高圧的に話を聞いていくんだなと思った。
体格も大きく、声がでかく、周りに話を聞かれないように配慮するため、個室で彼と2人きりになるのだ。
高圧的にまくしたてられたら、生活保護を諦めて死ぬ人も出るんだろうなと思った。
改善も指導もいいが、最近流行りの「排除」という名の配置転換をして欲しい。
大田区長よろしく!
追記1
精神的に弱っている人がくるのに、そんな対応されたらどうなんだ!という一般論だよ。
私だけの話ではない。
私もそう思ってるよ。社会出るだけで、社会への負担は大きいと。
ただ、少しでも働いた方が社会の負担が減るっていう統計が出てるんだよ。
大田区民じゃなくてよかったと思う。
大田区にはこういうキチガイが住んでいるんだなあ、ということで絶対に大田区には引っ越さないでおこうと思えた。
お前と一緒の区に住んでなくてよかったよ。
私が変(障害者)という自覚はあるが、ここまで一瞬でボコボコに叩いてくるのか。
はてなすごいな。
今までチビだけど努力したことが全く実らなかったのでここで訴えたい
どこ行っても小学生?幼児?と驚かれて(ドン引きされるとも言う)身長を馬鹿にされて働けない
また悪目立ちして難癖をつけられて首にされる
会社でも通りすがりでも店でも人から顔を見て爆笑、きしょwやばwと面と向かって言われる、
(やったこと)
髪脱色
毎月ファッション雑誌買って流行の服を買って着る(サイズはちゃんとそのつど直す)
団子鼻だったので鼻プロテーゼ整形
髪は巻く、つけまをつける
これだけやっても142センチでガリガリの宇宙人や小学生体型という奇形身長のため努力が全く実ったことがない
友人もできない、
輪に入れてくれる人が奇跡的にいてもいじりに見せたいじめを受けて逃げたら学校の掲示版と2ちゃんに顔写真と実名晒されてフルボッコ
ここまでやって努力が足りないと言う人がいたら聞いてみたい
学校会社では年代問わず私の姿を見るたびに毎日外見の悪口をしつこく言われて仕事も初日からまわしてもらえない、良い人と評判の人からもいじめられるか腫れ物扱い
正社員の面接も15時間勤務させるブラックしか受かったことない
140cm後半ならまだ自撮しまくって自分可愛いといってる人もいて可愛がられてるけど、
140cm前半では一人も見たことない
自分で可愛いと思えない以上に他人から褒められたことや可愛がられたことがない
似た身長の人々も他人から容姿を褒められたことはないと言ってた
140cm前半の仕事を見ても会社員で働けてる人は一人もいない
140cm前半のちびはここまでつらいんですよ?
ちびがモテるなんてありえないしちびが可愛がられるなんてごく一部だけ
どうか働かせてください
もうどうしたらいいのかわからない
誰か仕事ください
追記
小人症の人はまだマシじゃないですか。障害者として大切にされて道歩く人から罵倒もされない、就職も確保されてるんだから。
双極性障害で医師からは就労不可と言われている。障害者手帳の等級は2級。
この人間が、割引券やクーポンなどを駆使して美容室で3000円で髪をカットしてもらい、Amazonで1箱600円で売ってる髪染めでセルフヘアカラーをする。
ネットの激安アパレルショップで激安セールのときを狙って服飾品を買う。
これで化粧などしようものなら、一見すると普通のオシャレなお姉さんにしか見えなくなるのだが、この外見で生活保護受給者であることを明かしたら、おそらく多くの人から反発を受けるであろうことは想像にかたくない。
だから私は生活保護受給者であることを絶対に世間に向けて明かさない。
叩かれるのが分かりきっているからだ。
生活保護受給者であることを明かした上でオシャレしたり外食したりディズニーランドに行っている写真をSNSに上げている人は何を考えているんだろう、くらいに思ってる。
そういう人は案の定叩かれている。
いくら理想を言ったところで、私たちは税金で生かされている身分であることは間違いなく、目立つような真似をしたら反発をくらう。
楽しむにしてもこっそりする以外にない。
表立って楽しむことは許されない。