はてなキーワード: 語源とは
コップは、飲み物用の容器全般のことをいい、カップもグラスもコップの仲間です。
コップは、英語のcupで、飲料を入れる容器全般のことをいいます。取っ手の有無や素材などは関係なく、全部cupです。
カップは、取っ手があるコップのことです。 カップの語源は、オランダ語で「飲料を入れる取っ手のある容器」=kopからきています。
グラスとは、ガラス製のコップのことです。
日本では、オランダ語のkopと、英語のcupが混在してしまったので、このように複雑になってしまいました。
ワイングラスは、取っ手がないので、グラスです。
優勝カップは、取っ手付なので、カップです。
マグカップも、取っ手付なので、カップです。
ジョッキは、コップの一種ですが、カップでもグラスでもありません。取っ手付でガラス製のため、どちらにも分類できません。
カップ麺は、取っ手がないのに、なぜカップなのでしょうか。
これはカップ麺の開発時、安藤百福がアメリカでコーヒーカップにチキンラーメンを入れて食べてられいるのを見て、カップ麺というネーミングを思いついたそうです。
未就学児のとき、キーホルダーの動物などをプッチー生物という生命体と称して妹と人形ごっご遊びをしていた
プッチー生物はプッチー語をしゃべる
もごもごフガフガしたおばあちゃんみたいな言葉で、ぷっちーしぇいぶちゅみたいな特別なしゃべり方をする
それを話せるのは俺と妹だけだった
プッチー生物のリーダーは俺が持ってたキーホルダーのシマウマくんと、妹が持ってたキーホルダーのカモちゃん
シマウマくんの毛羽立った表面は手垢で真っ黒、カモも毛がはがれてつるつるのハゲ状態になってた
でもプッチー生物全体としてかわいくて人気があったのがカモちゃんのほうだったから、俺はものすごく悔しかった
今ためしにプッチー語をこっそり声を出さずにしゃべってみたら、今でもできた
20年以上ぶりでも覚えてるもんだな
幸い、今朝のJアラートがならない地域に住んでいたので、やはり当事者意識は弱めなのだが、だからこそ、第三者的に見て、色々どうかな?という面も多々あった。
要するに、「地下に逃げろ」「コンクリートの建物の中に逃げろ」と言われてもそんなところなどない、みたいな話があり、全くもって笑い話にならないのだった。
地域ごとに出るメッセージを適切に変えれば良いだけだと思うのだが。
ケータイの基地局の判定するなどして、そこから割り出すとか出来ないんだろうか?
「最初から上手くやれ」とは言わないが、少しずつシステムを改善して欲しい感じはある。
で、ふと思ったのは、どうも、日本のプロダクトは「作っておしまい」みたいな部分が大きい気もする。
もちろん、「改善」の語源から考えると、日本はその元祖的な部分もあるのだろうが、日本の「改善」は、例えば、開発プロセスなど供給者内の製造方法論みたいな話が多い。
それに対し、例えば、顧客体験としてのはてブのバージョンアップは「改善」というよりも、「刷新」的な意味合いを感じてしまう。
逆に、アメリカ製のプロダクト、例えば、YouTubeは動画のサムネイルにマウスカーソルを合わせると動画が動いたり、動画の長さがサムネイルに表示されりするなどして、顧客体験の地道な改善をしている印象がある。
2chもアメリカの業者に乗っ取られてから、専用ではない通常のブラウザで見てみるとかなり使い勝手が改善されている。
もちろん、日米の違いを一概にそう言えるか?と言ったら、違うと思うが(フラットデザインとか)、意識の強弱の差はハッキリと見て取れると思う。
こういう日本語あったっけ? とふと思った
元は「草生える」だ
草の語源はもちろん「www」
と考えると「w」と同様に単独で使うのが自然なので「草」となる
例:草。素直に草。草不可避。
最近この流れ若干ある気がする
「素直に射精です」とか、本当に射精するわけじゃなくて、射精するほどエロいと思うと言う意味
他にもこういうのあった気がするが思い出せない。
__
経緯は分かるんだけど
「私は今こういう状態です」っていうのを、形容詞でも動詞でもなく名詞で表現するのが珍しいと思った
そういやワロスのスって何? ワロタを形容詞にしたの? それならワロシか
__
似た言葉、少し思い出した
「鬱」 鬱だ。非常に鬱。鬱なこと。
「おこ」 おこなの? おこだよ。とってもおこだった。
「危険」と「危ない」だと、前者のほうが色々なシーンで使えるんじゃないかな。
でも従来の日本語に、こういった使い方で感情や人の状態を表すものが少ない(?)のが不思議だ。
何ていうか、外来語に近い使い方なような気もする(とてもセンシティブな話だ。とか)
試しに似た用例考えてみる
意味:凄く焦っている 汗。これは汗。おまえ今汗なんじゃないの?
意味:非常に眠い オフトゥン。今日の授業はクソオフトゥンだった。
だめだ、センスが足りない
_
調べたら形容動詞と名詞、両方に属する語があるのか(元気、健康、自由、特別、最高、親切、安全、不思議)
それを「笑っている」というような気持ちの表現に用いるのが面白くて引っかかりを感じたんだと思う
そもそも自分の状態を俯瞰で見る表現自体が珍しいんだけど。「私は今笑っています」「面白いと感じています」みたいな。「ウケる」みたいな。
笑う行為が自分でやってるのに自発動詞だから引っかかるのかな(「笑う」ではなく「ウケる」「草生える」の方が自発的でしっくりくる)
<現状>
1.戦後、日本は経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の
高等学修機関(大学・短期大学・専門学校等)への進学率も上昇してきた。
2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気(崩壊)までの約20年間(1972年~92年)
は、女性の社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%
台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)
http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/
http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html
3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に
は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)
4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の
上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。
5.しかし、これも上述のように長引く不況や非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、
親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する
という社会問題も出てきている。
6.また、日本の大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生
時代」という独特な文化もあり、企業の就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や
研究してきた事は重視せず、「部活動でリーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など
7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、
バブル崩壊後の長い不況と雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業
で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと
考える事ができる。
8.大学数が増加し、いわゆるフリーパスで入学できる大学(Fランクの語源)が増加した事も背景
にある。
9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代に学習してきた事を活かそうというシステム
になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務に
ついては配属先に丸投げという文化が定着している。
<提言>
1.仕事を創出している企業の経営者・人事部門などの採用する側の意識から、学歴に対する昔の
イメージをなくし、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代
ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。
2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと
3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味で多様性を求
めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学
「〜〜もへったくれもない」の「へったくれ」って何なんだと思って調べてみたら、
リンクがたくさんあると投稿できないのでhttp抜きにするがあしからず。
★「へったくれ」の語源は不明。「妙なことを言う」という意味の「剽軽(ひょうきん)」→「剽(ひょう)げる」からの成立とされる「へうたくれ(ひょうたくれ)」の転訛か?・・・根拠なし。
確かに音的には近い気がする。
//kotobank.jp/word/%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%82%8C-613424
「だってもへちまもない」にも繋がっていてなかなか説得力がある。
いまでも関西では「だってもへちまくれもない」と言うことがあるそうだ。
★『野乃舎随筆』には「今下ざまの人の悪言に、ヘウタクレといふは、ヘタクレといふ辞の転言なるべし。ヘタクレは、クソタクレといふ辞の転言ならん。もとはクナタブレを訛れるなるべし。クナタフレを、屎タフレと訛(あやま)りて、其対言に屁タクレといひしを、それを又、ヘウタクレと、音便にいへるならん」とある。
なんだか詳しい。
★茨城方言に「へったくれる」が残る。もしかすると、これが関わっているか。「へたった」「へこたれた」と同義…参った、挫(くじ)けた、くたびれたなどの意。
「ヘタクレ」「クソタクレ」が挙がっているが、「ヘタレ」「クソッタレ」は関係があるのだろうか。
そういえば「糞垂れ」や「洟垂れ」なら分かるが「バカタレ」などは何が垂れているのだろうか。
糞便の「くそ」に、軽侮を強意する接尾辞「たれ」(用例;「ばかたれ」「あほたれ」、「だら」の変化したものか?)を付したもの。
//ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8C
この場合の「たれ」は垂らす(=もらす)というより、「アホたれ、バカたれ」に見られる目前の人を罵る際に付ける接尾語というニュアンスが強い。
//zokugo-dict.com/03u/unkotare.htm
どうも物理的に何かを垂らしているというわけではないようだ。
ちなみに「へたれ」の語源についてもやはり諸説あるらしいがここでは措く。
この「罵倒に使われる接尾語『たれ』」というのは何だろうか。
「たれ」と「たくれ」が同根だったら話が早いのだが…
上記には「『だら』の変化したものか?」とあるのでそれを調べてみよう。
考えてみれば「あほんだら」の「だら」だろうし、北陸の方言にも「馬鹿」という意味で「だら」というのがあった気がする。
「あほんだら」の語源については「阿呆太郎」であるとの説もあるが、近隣地域で見られる同様の罵倒語である「だら」「たくら」が阿呆と結びついたものである可能性がある。
「あほんだら」から「だら」が出来たのかと思ったが、「だら」が先にあって「あほ」と結びついた可能性があるのか。
阿呆太郎→あほんだら→だら、という順番の可能性はあるのだろうか。
あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が、転じた言葉である。
「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、「安本丹」ともじられた。
ええー…愚か者の意味の「だらすけ」って何よ、検索しても薬の「陀羅助」しか出てこないけど。
と思ったら、関東の方言で「でれすけ」というのがあるらしく、これは明らかに「だらすけ」の転訛なんだよな。
罵倒語「だら」を薬の「陀羅助」に引っ掛けて「だらすけ」と言っていたとか?
それだったらやっぱり「だら」が先にあったということになるのか。謎である。
「ばかたれ」について、別のところの説明にはこうある。
「たれ(垂れ)」は「はなたれ小僧」「小便たれ」「ばかたれ」など、名詞について人を軽蔑する意を表わす語としても用いられる、これは、小便や鼻水などきたないものを「垂れている(ぶら下げている)」ことを表わしたとする説、重みでだらりと「垂れ下がる」姿がだらしなく見えるところからとする説などがある。
一周して、やっぱり物理的に垂れているところから出発してるんじゃないか。
ちなみに「へこたれる」は「凹む+垂れる」が語源だそうなので、前述の「へったくれる」説が正しいなら、この「垂れる」が由来だと言えるかもしれない。
ここで驚愕の新説が登場する。
これについては,実際に何かを「垂れて」いない罵倒語の「たれ」は,平安時代にはやった「たくらだ」という言葉の末裔だといわれています。
中国の古典に「田蔵田」という間抜けな動物が登場するのですが,これが日本人の笑いのツボにはまったらしく,後々までバカ=たくらだとい図式が成立します。
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321653228
「へったくれ」,「ばかたれ」,「ごんたくれ」,「あかんたれ」など,何かを垂れているわけではないにもかかわらず「たくれ」「たれ」という語尾をもっている場合は,ほとんど「たくらだ」の訛りである「たくれ」「たれ」と解釈して差し支えないといわれています。
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321653228
これまでとぜんぜん違う説明じゃん!
いやでも実際に「たくらだ」という言葉はあるらしい。
たくらだ【田蔵田】 の意味
ジャコウジカに似た獣で、ジャコウジカを狩るとき、飛び出してきて殺されるという。転じて、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりするもの。愚かもの。まぬけ。
一人の文殊より三人のたくらだ
東北の方言の「たくら者」「たくらんけ」なども「たくらだ」に由来しているそうな。
これが正しいなら「へったくれ」も合わせてこれが語源ということになる。
ん、そういえば「あほんだら」のところでも罵倒語「たくら」というのがあったな。
それが「たくらだ」由来なんだとしたら、「だら」の語源も「たくらだ」なの?
なんとなく繋がってきたような…。
またはじめに戻って「クナタフレ」説について調べてみよう。
【史料1】では「多夫礼」のみであるが、下って戊午(12日)条の宣命によれば「久奈多夫礼(クナタブレ)」とある。上記では「改名多夫礼」とあるから、久奈が氏(ウジ)で多夫礼が名と思われる。クナは「頑な」のクナ、タブレは万葉集に「多夫礼多流之許都於吉奈(多夫礼たる醜つ翁)」(巻17、4011)を確認でき、狂っている意と思われる。よって、ここでは「頑なで狂っている者」という姓名に改められたことになる。
たぶ・る 【狂る】
気が狂う。
「たぶらかす」なんかも「たぶる」が語源らしい。
最初の『野乃舎随筆』では、「クナタブレ」が「クソタブレ」と勘違いされて「クソタクレ」と訛ってさらに「糞」の対として「屁」を用いて「ヘッタクレ」になった、というような説明がされているが、「たぶれ」が色々なものにくっついて「〜〜狂い」「〜〜馬鹿」みたいな感じで使われているのなら、「糞馬鹿」みたいな感じで「クソタブレ」と言われるのは自然なことのように思う。
この『飲んだくれ』の”だくれ”とはどういった意味なのでしょうか?
実はコレ、、、
だくれは、タクレということばと同義で『愚か(おろか)になる』という意味なのです。
//www.buddhism-j.com/6-27nondakure
でもそうか、最初に挙げられている「剽たくれ」の「たくれ」もこの「たくれ」か。
ということは「剽たくれ」説と「クナタフレ」説は、「剽」と「屁」という字の違いこそあれ、ほとんど同じことを言っているわけだな。
追記:いや「剽たくれ」が「たくらだ」由来の可能性も普通にあるのでここは結論を出すべきではないか。
脇道に逸れるけど、「塗りたくる」とかの「たくる」ってのは何なんだろう。
これか。
「荒々しい」というのは「狂う」に通じる気もするし、「飲んだくる=盛んに飲む」と解釈するとめちゃくちゃそれっぽいけど、でも「ひったくる=むりやり奪い取る」から「荒々しく」が派生したんだとしたら、「ひったくる」は「引っ手繰る」だし、別語源なのかな。
というわけで「へったくれ」の語源はこんな感じに整理できるのではないか。
1. 「たぶれ(狂う)」に由来する罵倒語「たくれ」(剽たくれ・屁たくれ)
2. 「田蔵田」に由来する罵倒語「たくれ」(剽たくれ・屁たくれ)
3. 「垂れる」に由来する罵倒語「たれ」(凹垂れ)
少し時間が経ってしまったが、アニサマのレギュレーションに端を発した『コール禁止論争』について持論を書き殴ってみる。
中立の立場で書いているつもりだが、中立ゆえに少々過激な内容となってしまっているのでご了承いただきたい。
興味なければ読み飛ばしてください。
私自身はアニソンライブに年15~30回程度参加して10年以上になるアラサー男性である。
最近では特定のタレントを追いかけるというよりも、作品推しのスタンスで参戦する事が多くなっている。
渦中のアニサマについては代々木時代に1回、さいたまスーパーアリーナに箱を移してからはほぼ毎年参加している。
いわゆるオタ芸については遠い昔に嗜んでいたこともあったが、色々あって今では現場で打つことはない。
それゆえに近くでオタ芸を打たれることや過激なコールに対しての嫌悪感は他の参加者より小さいほうだと自認している。
この件の一番の問題点は、『言葉の定義が曖昧であること』だと感じている。
人間というのは文章を読んだ際、自分に都合の良いように解釈する動物だと常々思っており、「周囲への迷惑となるコール」だとか「いわゆるオタ芸」なんていう曖昧な言葉を使っている限り、全員が納得する形で議論が収束することは永遠にありえないと断言できる。
ネット上でこの件について言及している方の意見に目を通していて気付いた事として、オタ芸に見識のある人の言う「オタ芸」と、オタ芸に疎い人(忌避する人、規制する側の人を含む)の言う「オタ芸」にズレが生じている事が散見される。
(余談だが、「オタ芸」と「ヲタ芸」は異なるものだ!という意見も見かけたが、個人的には表記ブレの範疇かと考える)
例えば、オタ芸の一つに「タイガー」というものがある。(タイガーファイアー…と叫ぶアレとは別物なのであしからず)
これは、直立不動で動かずにステージの演者に熱い視線を送る行為のことを指し、虎視眈々と獲物を狙う虎の様相を語源としている。
参考⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E8%8A%B8
オタ芸が禁止と明示された際に、オタ芸を嗜む人が規制側に対して「タイガー」もしては駄目なのかと質問すると、
「ここで言うオタ芸とはそういう言葉遊びの事ではなく、腕を大きく振りまわす等の迷惑行為の事を指している」という回答が返ってくる可能性が極めて高い。
(誰とは明言しないが、実際にそういう回答をした人を見かけたことがある)
オタ芸を忌避する方々もこのような一見不毛と思われる似たようなやり取りを見たことがあるのではないか?
ここで私が疑問に思うのは、オタ芸に見識のある人が「タイガーはオタ芸」と定義しているのに対して、
オタ芸に疎い側が「タイガーはオタ芸ではない」と断定し、あまつさえその認識のまま公のレギュレーションに明言してしまう。
このいい加減さ、傲慢さは何だろうか?
前項にも記したが、人間とは自分に都合の良い解釈をしてしまうものである。
運営はもっとオタ芸の勉強をしろ!などと言う気は毛頭無いが、せめてこの差を認識し、万人が納得できるような言葉使いを意識して頂きたい。
自己紹介でも述べたが、私は過激なコールに対しての嫌悪感はあまり感じないほうだ。
平たく言ってしまうが、近くでイェッタイガーと叫ばれても全く不快だとは思わない。
(もちろん綺麗にキマっている事が前提だが)
一方で、広く浸透しているが私は不快だと感じるコールも存在する。
具体的に一例を上げるのであれば、THE IDOLM@STERのAメロの「フワ*4」が有名だろうか。
少なくとも2ndライブぐらいまでは裏打ちで「ッハイ!ッハイ!」だったが、いつの間にか前述の「フワ*4」に変化し、定着していた。
Aメロで「フワ*4」を入れること自体が比較的珍しいゆえに型破りの感があり、個人的には当時のコールの方がしっくりきており、現場で現在主流のコールを聞くといまだに強烈な違和感に襲われる。
乱暴に言い換えると、私の周囲で「フワ*4」する行為は『周囲への迷惑となるコール』に他ならない。
今回主張したい事とは主旨がズレるため、この曲のコールとしてどちらが正しいか・相応しいかを論ずる気はないが、そういった考えを持つ人がいることを知っておいてほしい。
結論としては、『周囲への迷惑となるコール』という言葉は非常に曖昧で、個々人によって定義がまったく異なるという事である。
前項と同じく、万人が納得できるような言葉で記さないことには根本解決には至らないだろう。
最後に、ライブイベントにおけるコールというものに対して、持論を述べさせてもらう。
コールという文化は地域や風習によって異なる『言語』に特性が似ていると感じている。
遠い異国に行けばまったく異なる言語でコミュニケーションを取っていたり(V系のヘドバンあたりが顕著だろうか)、
別の地域や閉じられたコミュニティには『方言』や『スラング』というものが存在する。
若者言葉が時を経て全ての世代に定着するように、コールも時代とともに少しずつ変化している。
かつてPPPHがアイドルライブから声優ライブに輸入され定着したように、時には外来語が定着することもあるだろう。
よく話題に挙がるイェッタイガーも新語の一つとして認知を広めつつあるが、使い勝手が悪ければ大衆には根付かず廃れる、
あるいは一部の人だけが使用するスラングのような立ち位置になるのではないか、などと根拠もない憶測をしている。
自身が新しい言葉を使わないまでも、古きに固執し、新しい文化を受け入れない頑固な人物は
自分自身が変化を受け入れられていないことを棚に上げつつ理想を言わせてもらえば、文化の違いを認識し、変化を受け入れる柔軟さを持ち合わせた上で、それぞれ自分のスタンスで好きなようにライブを楽しめればみんな幸せになれるのになぁ…なんて思っている次第だ。
ナジュケチというのは、北米大陸に生息する虫の名前で、語源はアメリカ先住民の言葉である。
同地域に分布する、アケビに似た実のなる植物に寄生して増える。
植物の実は育つとともに表面が固くなり、鳥などにも食べられないよい寄生場所となる。
親は複数の実に少しずつ卵を産み、一つの実で成虫にまでなるのはだいたい1~5匹程度で、その代わりに結構大きくなる。
人間が寄生された実を割ると、トノサマバッタくらいの大きさの虫が数匹入っていて、ビックリする。
実が成熟して割れると、それらが一斉に飛び立って結婚飛行を行い、交尾後はメスだけが冬を越して翌年産卵する。
数日間のうちに大量発生するところから虫害も大きく、現地語での「ナジュケチ」には災厄というような意味がある。
という虫の夢を見たので、起きてググってみたがそんな虫はいなかった。
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/05/30/205952
このブログ記事で「嫁」を始めとした漢字の成り立ちが、現代にそぐわない思想であり違和感があると述べられている。
男尊女卑がおかしい、男女は平等であるべきという考え方に異を唱える気はさらさらないが、
そもそも「嫁」は「家にいる女」という意味でつくられたのだろうか。
紹介した記事内のマンガでは「初めて漢字をつくった人」という説明書きのされた人が「よめか……外にも働きにも行かず、ずっと家におるし女編に家でええやろ」と言っている。
ブログの筆者は「調べた」と述べているが、出典がないので確認はとれない。
私の方でもネットで「調べて」みると、
http://gaus.livedoor.biz/archives/6242769.html
のような記事が見つかり、別にずっと家にいる女だから嫁ではないことがわかる。
とはいえこんな出典では頼りないことは確かだ。しかし「家にいる女」という主張は同じ程度なのである。
「家にいる女」というのは、現代人が「女と家」そして昔は男尊女卑がひどかったという情報を結びつけて考えついた話ではないだろうか。
繰り返すが、男女平等に異を唱えたいわけではない。差別的な表現を変更しようということにもだ。
しかしその問題となっている語が本当に差別的表現なのか、こじつけなのかはよく見極めなければならない。
そうしなければ、もはやほとんどの言葉、特に漢字なんてものは使えなくなってしまうだろう。
同じブログ内の別の部分でおかしいと感じるのは、ブログ筆者の考案した「ひきこもり」の漢字(人偏に家)である。
“ちなみに作中で、家にいる人と書いて「ひきこもり」という字を作ってみたことで
お怒りになる方がいるかもしれませんが、
まさにその感情を世のお嫁さん方が持ったとしてもおかしくない漢字な訳です”
嫁については(成り立ちの前提を「家にいる女」だとして)問題点は「よめ」が家にいることが当然とする思想そのものを表していることである。
「よめ」(よめの語源についてはまた別の問題であるため触れない)は結婚している女性であり、この段階ではなんの問題もないが、
漢字が女+家で「女は家にいるもの」という思想が反映されているのでお怒りなはずだ。
あれなんでやるんだろうって言ってる人多いから自論だけど教えてあげる。
普通の人間でも会社とか上司の愚痴をネットに書き込んでスッキリしてる人沢山いるし、腐女子にとっての地雷ツイートとか旧ジャンルへの砂かけもその一環。ストレス発散でしかない。
それを普段使いのヲタ垢でやるなよと思うけど、そもそも悪口でストレス発散するタイプの人はその辺の気遣いが欠けてる場合が多い。
それを見て心底ムカーッとしてしまう人も、たぶん同類だから気をつけたほうがいい。自分は分別ついてるツイッタラーだからそんなことする人の気が知れない!って怒りとか呆れにまかせてツイートするのって、その話題に反応してるわけだし、ちゃっかり自分は違うといい人アピールしてるわけでただただ地雷アピールしてる人よりたちが悪いなって個人的には思ってる。
そもそも自分がそういう怒りツイートめっちゃしたい(そして分別ついてるいい人だと思われたい)タイプだから、(ただクソみっともないのもわかるので)鋼の自制とクソ愚痴垢で頑張って抑え込んでいる。
以下、この手の問題を解決するための自分なりの方法を紹介するから、よければ使ってください。
なお、Twitterやめれば解決するって当たり前の事実は無視する。ツイ廃にそれは難しいからね。
まず、プロフに何のアピールポイントも記載しない鍵垢を作る。ストレス発散用なので誰もフォローしないでください。身近な友人にすら教えないでください。ここに書き込むことすべては人間の暗部です。
で、Twitterで何らかの学級会が始まり、ムカムカやヘイトが溜まった場合、鍵垢へ。思う存分心のモヤモヤを書き込みまくる。
その問題について色々ゲスサーチしたい場合も鍵垢ログイン状態で思う存分調べればいいしなんならいいねしてもいい。誰も気付かないし後から何度も嫌いなもの咀嚼して「クソガアアアアア」って怒ることがストレス発散になってる私みたいなタイプの人間にはうってつけだ。
なにより、自分がどんなにいい人のふりしようと闇が濃い人間なのを早く自覚したほうがいい。
これができていると自分の暗部を正確に把握することによって愚痴垢にポイする案件と人に見せてもいいことが明確に区別できる。いい人でもないのにいい人のふりができる。別に自分性格わるっとか思わなくていい。みんな日常生活では当たり前にやってる。
汚い例えだけどクソするときはトイレでするのと一緒。クソを流すトイレを作っておけば誰にも迷惑をかけない。砂かけとかマウンティングとか地雷学級会の何が迷惑かって、誰もかれもがそのままクソを垂れ流すか、クソをきれいに見せようとよくわからない方向で努力するから見苦しいんだわ。そもそもトイレ以外のところでクソするなやってことは意外と誰も言わない。
公衆の面前じゃないとクソできないし気持ちよくない!って性癖の人はもうそういう性癖だから仕方ないにせよ、分別ついてるツイッタラーしたい人ならなおさらトイレ建設を勧める。っていうか誰もがやってくれ。トイレじゃ我慢ならなくてこんな意見表明しなきゃいけない位には人の穢れにうるさいクソ人間なんだよ私は。
そもそも砂かけの語源になってる猫の排泄ですら砂かけて隠そうって意識があるのに人間はクソを隠そうともしねぇのって何なの。そんなに人に自分のクソを見せたいのか。見せたいんだろうな。少なくとも見せられては人を呪う位ムカついている私がいるし、私のような人間は他にも沢山いるってことを肝に銘じて生きていって欲しい。クソはおしなべてクソ。以上。
(※なお、本当に本心からこの問題を理解できない層が一定以上いることも理解している。ただ、人間心理上本当に理解できない事象には触れない人のほうが多いと思うからやっぱりこういう学級会ごとに自垢で「私には理解できない」言わないと気が済まない人は早急に愚痴垢を作ったらどうかと思う。お前の心の闇は深い。)
http://anond.hatelabo.jp/20170515130323
すげー大雑把に言うと
ミソジニーって言葉は語源はともかくフェミニストがほぼ寡占的に多用する言葉で
それでフェミニスト側に立つ人は当然
「善であり瑕疵のない私達に悪くて弱い奴が向けてくるもの」と思いたがるけど
実際にはそんなことは無くて
フェミニスト側からもいろんな憎悪や敵意をガンガン発散しまくってて
単にその反動由来の成分が多分にある
フェミニストが「弱者男性のミソジニー」を問題にしたがるのもまさにそれで
・弱者男性ってどういう人?
これなんなのかっていうとフェミニズムが憎悪で駆動してる証拠でしょ結局
「自分たちに逆らう人間は男の中でもよわっちい奴なんだ」というのは分析と言うより憎悪や侮辱の為の設定であって
「フェミニストなんてブスかメンヘラか構ってちゃんの女がやってる」とかと変わらないただの嘲笑だよね
もう学問でもなんでもなくなってんじゃんという
フェミニストの中にはそういうミサンドリと思想が混ざってる人やほぼミサンドリだけの人もいるけど
フェミニスト同士でそのような人間を批判し合うことは少なく、フェミニズムの枠組みを制定する動きすらなく
まずい人が現れても「フェミニズムは一人一派」とか言ってただ都合の悪さだけ遠ざける処置をする
あれにくらべたら切断処理のほうがよほどちゃんとした処置といえる
女に変な悪意を持つ男や悪意もなく抑圧する男が沢山居るとはおもうけど
丸ぼうろ(まるぼうろ)は、佐賀県佐賀市を代表する銘菓の一つ。「丸芳露」「丸房露」などと記載される場合もある。
丸ぼうろの起源には様々な諸説がある。丸い形をしたボーロ(葡: bolo)という言葉から「まるぼーろ」となった説や、
ヴェネツィアの商人で東方見聞録に日本を含めた東洋を紹介した事で著名な「マルコ・ポーロ」が語源となっているなどがある。
製法についてはポルトガルの北部の都市であるフェルゲイラスに伝わる郷土菓子である「カヴァカ・フィーナ・デ・カルダス」
(葡: Cavaca Fina de Caldas)という焼き菓子が起源となっていると言われる。
現在に伝わる日本の丸ぼうろのルーツとして完成させたのは佐賀市伊勢屋町の横尾家の祖先が17世紀後期に完成させたものを
ルーツとする「北島ルーツ説」、あるいは鶴屋の二代目店主太兵衛が17世紀中期に長崎にてオランダ人より製法を直伝に学んだと
される「鶴屋ルーツ説」が発祥の双璧となっており、そのルーツがどちらが先であるかは定かではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E3%81%BC%E3%81%86%E3%82%8D