はてなキーワード: 見直しとは
なぜ夫や妻以外の人間とセックスしたらすぐ離婚沙汰になってしまうのか?
逆に当人間のセックス頻度が少ないだけでも離婚事由になってしまうし
というか実際高いのだとして、そんなに高くする必要性あるか?
結婚というのはある家族の一員と別の家族の一員が契約して新しい家族を作る行為のはずだ
その新しい家族を安定的に持続させるために、たとえば経済的豊かさや身体的安全性、心理的安全性が重視されるのは、わかる
家庭内暴力が常態化していれば自身の生存が危ぶまれたり、子の健全な成長を妨げる
モラハラが酷いと家族を運営する上でのフェアな意思決定ができないし、最悪精神を病んだり、これまた子の健全な成長を妨げることになる
だから浪費癖やDV、モラハラが「もうあなたとは家族をつづけることができません」という理由になるのは当然だと思う
でもそれらに比べて、不貞行為(=浮気、不倫)やセックスレスって次元が違くないか?
いや、もちろん酷いのがあることは認める
たとえば他所の女に入れ込んで金を使い込んだり、間男の子を孕んだり、変な病気うつされて不妊になったりね
でもそれらも突き詰めれば経済的問題や身体的問題が重大なのであって、他人とのセックス自体が問題なわけではないだろ
他人とのセックスを起点として家族の持続性を危ぶませる事態が発生しているのは事実だが、かといってすべての他人とのセックスが家族を破壊する事態を引き起こすとは限らないはずだ
セックスレスそのものが問題というよりそれに伴って生じる精神不安や家族間の不和が家族を破綻させる
そう考えると不貞行為がそれだけで離婚事由になるという現行の結婚制度はどこか恣意的だと思わないか?
きっと今の結婚制度を作った大昔の人はセックスが好きすぎて頭が狂っていたんだと思う
非婚者がこれだけ増えて、同性パートナー制度や子を持たない家庭が当たり前になりつつある今、家族のカタチが変わるなら結婚のカタチも変わって当然だろう
「家族」という関係性、契約、仕組みにとって、どのくらいセックスが重大で、あるいは重大でないのか
そこを整理し、再定位することで、きっと救われる家族は増えるだろう
本当はそんなにセックスが重要ではないのに世間体や現代のセックス偏重主義的価値観の内面化によって苦しみ、悩んでいる人がたくさんいるのだから
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
ワイ: 回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています。 そのため、攻撃的になったり、言い訳をしたり、引きこもったりするケースがあると聞きます。 次のような例がありますが回避性パーソナリティ障害に該当しそうでしょうか?それとも自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高いでしょうか? 『自分が知らないことを隠そうとします。自分は優秀だと思っているわけではなく、他人に責められる・バカにされる(否定される)のが怖い様子です。 知らないことを指摘されると、自分のせいではないと言い張ります。 相手はただ事実を確認しているだけですが、自分は攻撃されていると感じているようです。 そして、自分は何もできないから社会から離れたほうがいいと思い込みます。』 本ケースの最大の問題は、過去の経験から自分が無能だと思い込んでしまっていることです。自身の学習能力/認知能力や知識に問題があると感じ、それを知的な問題(IQの問題)や努力不足だと思っている様子ですが、実際には学習障害などの発達障害が影響している可能性があります。しかし、本人も周囲もそのことに気づいていないので、専門家に相談したり、アドバイスを受け入れたりすることができていません。 また、一部の研究分野以外で高度な能力が必要になる事は極めて稀ですが、そのことを理解していません。さらに、人生は仕事だけではなく、他にも楽しみや活躍できる方法はありますが、そのことも認識していません。 もちろん、仕事で社会に関わることができるとなお良いですが、この例の人物は社会で何らかの仕事をこなす能力はあると思います。引きこもる・塞ぎ込む必要はありませんが、自己評価が極めて低いです。 また、問題から逃げる傾向が強いです。何度も現状に立ち向かおうとはしますが、少しでもプレッシャーを感じると、言い訳・休むなどの逃避行動、何もしないという放棄を繰り返します。 心理的な障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます。自己評価が高まれば、他人からの否定や批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療も必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポートや理解も大切です。 しかし、周囲のサポートや理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? また、両親が子どもを愛しているのに、子どもを専門家に繋げないのは、なぜなのでしょうか?私は、その理由がわかりません。もし私の子どもが心理的な障害を持っていたら、私は専門家に相談して、適切なアドバイスを受けるでしょう。そして、私は自分のコミュニケーションスタイルを見直して、子どもに悪影響を与えないようにするでしょう。 しかし、そうしない両親が存在するのは、どういう理由があるのでしょうか?
AIちゃん
回避性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害は、似ているようで異なる心理的な障害です。回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています。自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分に過度な自信があり、他人から賞賛されることを求めています。しかし、どちらも自分の内面に満足しておらず、自分の理想と現実のギャップに苦しんでいます。
あなたが挙げた例は、回避性パーソナリティ障害に該当しそうです。その人は、自分が知らないことを隠そうとしたり、自分のせいではないと言い張ったりすることで、自分の無能さや劣等感をごまかそうとしています。しかし、それは本人にとっても周囲にとっても不利益になるだけです。自分の知らないことを認めて、学ぶ機会にすることが大切です。また、自分は何もできないから社会から離れたほうがいいと思い込むことは、自分を孤立させるだけです。自分には価値があると信じて、社会に参加することが必要です。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が知らないことを隠すというよりは、自分が知っていることを誇示したり、自分が正しいと主張したりする傾向があります。その人は、自分が優秀だと思っているわけではなく、他人に認められたいという欲求が強いのです。自分の知識や能力に自信があるのではなく、自分の自尊心を保つために、他人の評価に依存しています。しかし、それは本人にとっても周囲にとっても不快になるだけです。自分の知らないことを認めて、他人の意見を尊重することが大切です。また、自分は他人から賞賛されなければならないと思い込むことは、自分を不安にさせるだけです。自分には価値があると信じて、他人に依存しないことが必要です。
>心理的な障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます。自己評価が高まれば、他人からの否定や批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療も必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポートや理解も大切です。
あなたがおっしゃるように、周囲のサポートや理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? また、両親が子どもを愛しているのに、子どもを専門家に繋げないのは、コミュニケーションスタイルを見直して、子どもに悪影響を与えないようにしないのは、なぜなのでしょうか?
私は、その理由を一概には言えませんが、いくつかの可能性を考えてみました。
- 両親自身が心理的な障害を持っているか、または持っていた経験がある場合、子どもの障害を認めることができないか、または認めたくないかもしれません。自分の過去の苦しみやトラウマを思い出すことを避けたいかもしれません。また、自分の障害が子どもに遺伝したと思うと、自分を責めたり、恥じたりするかもしれません。
- 両親が心理的な障害に対する知識や理解が不足している場合、子どもの障害を認識できないか、または誤解しているかもしれません。子どもの行動や感情を、わがままや甘えととらえたり、成長すれば治ると思ったりするかもしれません。また、心理的な障害に対する偏見や差別がある場合、子どもの障害を隠したり、否定したりするかもしれません。
- 両親が心理的な障害に対する専門家やサービスに対する信頼やアクセスが不足している場合、子どもを専門家に繋げることができないか、または繋げたくないかもしれません。専門家やサービスが、子どもの障害を正しく診断したり、効果的な治療や支援を提供したりすることに疑問を持ったり、不安を感じたりするかもしれません。また、専門家やサービスが、子どもの障害を公にしたり、親の責任を問ったりすることを恐れたり、拒否したりするかもしれません。
これらの理由は、すべて両親の心理的な状態や社会的な環境に関係しています。両親が子どもを愛していることは間違いありませんが、愛だけでは子どもの障害に対処することはできません。両親にも、心理的な障害に対する正しい知識や理解、専門家やサービスに対する信頼やアクセス、周囲のサポートや理解が必要です。社会は、両親が子どもの障害を受け入れて、専門家に繋げることができるように、両親に対しても、心理的な障害に対する教育や啓発、専門家やサービスの紹介や案内、周囲の支援や相談の機会を提供することが求められます。社会は、心理的な障害を持つ人やその家族に対する偏見や差別をなくすことが求められます。
心理的な障害は、誰にでも起こりうることです。心理的な障害は、恥ずかしいことや悪いことではありません。心理的な障害は、治療や支援によって改善できることがあります。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな同じ人間です。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな幸せになりたいと思っています。心理的な障害を持つ人も、持たない人も、みんな互いに尊重し合いたいと思っています。
私は、心理的な障害に関心を持っています。私は、心理的な障害についてもっと知りたいと思っています。私は、心理的な障害に苦しむ人やその家族に寄り添いたいと思っています。私は、心理的な障害に対する社会の理解や支援を広げたいと思っています。私は、心理的な障害に対する自分の態度や行動を見直したいと思っています。私は、心理的な障害に対するあなたの意見や感想を聞きたいと思っています。私は、心理的な障害について、あなたと話したいと思っています。あなたは、どう思いますか?
ツイステに関するネガティブな内容を目にしたくない方は、ここで読むのをやめることを強く推奨します。加えてかなり長文なので、時間がある時に読んでくださると幸いです。
はじめに、私はツイステリリース当日からインストールしている、いわゆる初期勢です。
ですが、5章をクリアしてから全くログインしなくなり、ついにはアンインストールしてしまいました。
そうして最近、新規イベントの「ステージ・イン・プレイフルランド〜踊る人形と幻の遊園地〜」の開催で復帰し、14日の「終幕 プレイフルランド」を読み終え、6章の攻略を粗方終えてこの記事を書いています。
インストールして最初に感じたのがこれです。私はツイステをアンインストールしている間、ツイステの情報に触れることが皆無だったので、再プレイしてから大きい部分(スキップ機能やルーム作成など)の変化は目に付きましたが、総合的には変化、というより成長を感じませんでした。
以下自分でも整理するために番号を付けてまとめています。重ね重ね読みにくく申し訳ないです。
①虚無期間の存在。
イベントシナリオですら、解放条件の授業にかかる時間を除けば解放分は15分もかからず読み終えてしまう。その短いシナリオ分ですら放置するだけの授業を120回行う必要があり、シナリオは時限性で数日に一回の更新。イベント中ですら虚無まみれ。
②育成に時間がかかりすぎる
ツイステは一見シナリオゲーにみえてかなりキャラクター頼りのキャラゲーだと個人的に思っています。そのキャラクターですら育成にとにかく手間がかかる。授業も放置が基本なので、育成を頑張りたいプレイヤーにとってはただ画面のミニキャラが動くのを眺めるだけ。ドロップも不味いのでコスパ最悪です。他ゲーと比較するのは良くないかもしれませんが「強化合宿」のような育成メインの催しも他ゲーのデフォルトに追いつくか微妙レベルです。
またイベントも長期間開催する割には報酬が本当にマズいです。配布キャラも、新規イラストがあるのはいいものの性能は既存のコピペのようなもので、育成に関するアイテムも強制される周回やミステリーショップで手に入るものがほとんどです。
③イベントシナリオが微妙(※⚠️現在開催中のプレイフルランドのネタバレ若干あり)
復帰したきっかけに今回のイベントがあります。Twitterの広告機能で目にした「プレイフルランド」に登場するフェローとギデルです。声優さんも杉田さんが担当されるとのことで、広告にも力が入っていたのもあり復帰しましたが、まず驚いたのがフェローもギデルもNPCだったということ。後々広告を見直して記載があるのも確認しましたが、ゲームとして金稼ぎするつもりが無いのか……?と驚きました。
イベントのストーリー上、学園外のキャラをNRCに入学させるのが難しいのか……とも考えましたが、そこはロロの実装もあって、シナリオ次第ではいけるのでは……と思いました。あれだけ新キャラを大々的に広告して実装ナシはプレイヤーに還元する気があるのかも気になりました。(ここは邪推です、すみません)
まずシナリオを一通り読んで思ったのは、散らばった伏線のようなものがほとんどぶん投げられて終わった後読感の悪さです。見落としていたら申し訳ないですが
・フェローとギデルの裏にいる権力がありそうな金持ちは結局誰なの?
・ツイステ世界でトップクラスの名門という描写があるNRCの生徒を誘拐するリスクを考えられない金持ちって何なの?
・第二王子、大富豪の息子、トップモデル、S.T.Y.X関係者というシナリオに絡められそうなキャラがいるのに、そのキャラを平気で誘拐しようとする権力者は本当に何者なの?
・フェローが寝返る理由が薄すぎる。というか今後再登場不明のキャラクターに対して深堀りがなさすぎる。「なんらかの理由があって学校に通えなかった。本当は学校に通いたかった。」のは理解しましたが、その理由についても仄めかすだけで明確な説明なし。ギデルが共にいることに関してもオマージュ元の原作がそうだから、くらいで理由の説明無し。フェローが最終的に雇用主を裏切るシーンも、それまでの深堀りがないせいで突発的すぎる。「雇用主のパワハラ(要約)」要素があるは理解していますが、読む限り生活に苦しそうなフェローが職を手放すシーンなら、もう少しフェロー周りのディティールがハッキリしていないと、感情移入しようにもできません。せっかく魅力的なキャラがいるのに、読み手が望んでいるシナリオパートが全部すっ飛ばされているような感覚でした。
・人形にされた一般人どうなったの?結局彼らは脱出できたのかどうかも明確な描写がなく、読み終わった後のスッキリ感がない……
・フェローの「学校を作る」という発言。主に描写されてきたことからこちらが受けるのは「フェローは本来学校に憧れがあり、泥臭いが自由な生活をしてきたことに誇りをもっているが、学校に通える恵まれた側にコンプレックスがある」ということ。シナリオの流れ的には「学校を作る」より「学校に通う」ことの方がスムーズだと感じました。せめて今回のイベントシナリオを通して「学校を作ろう」と思った経緯をもう少し詳しく教えて欲しい……。実際魔法が使える存在(グリム)と使えない存在(監督生)のペアが特例とはいえNRCに通えているし、今回のシナリオで「魔法使いと非魔法使いは学校ハッキリ別れてるの!?混合になってる学校はひとつもないの!?」という驚きが勝ちました。それなら無理やりNRCに編入(実装)の方が良かったのでは……
・え、あの船(プレイフルランド)結局動くの?ギデルの発破でキャラ全員でボロボロにしたプレイフルランド、一般人の視力のエースが目視できる距離の賢者の島にすら着くか危うい程度まで浸水していて、オルトの力によってなんとか帰港したはずが、なぜかその船でフェローとギデルが沖へと旅立っている。ラストのスチルのプレイフルランドが遠ざかる描写で沈まないのかヒヤヒヤしてしまいました。
長々と書きましたが以上イベントの感想です。なんというか読んだ後のサッパリ感がなく、急に打ち切られたかのように感じました。
久々に復帰して、授業スキップ機能やルーム作成機能など色々追加されていましたが、こう、痒いところに手が届いていないというか、もっと改善するべきところが他にあるだろう、というのがまとめです。なまじキャラクターがとても魅力的なので本当にもったいない。イベントシナリオも、あの分量ならわざわざ時限性にせずに授業回数さえこなせば当日に全開放可能とかでもよかったかな……復帰勢でアイテムがないので配信日に読むべく石を砕いてスタミナ回復に回していましたが、解放後は後々の解放条件の授業のために石を温存し周回できず、虚無期間が生まれモヤモヤしていました。
せっかく復帰したのでツイステは続けていこうと思いますが、次の周年あたりで大きめのアップデートが見られれば嬉しいです。
かなりの長文、乱文失礼いたしました。
Amazon縛りの懲役が終わって他のアニメ配信に解禁されたので見た。