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はてなキーワード: 自己肯定感とは

2024-01-26

anond:20240126114014

そもそもファン食い自慢が自己肯定感を高めるためというか、こんなに心酔するファンが居る俺スゲーをしたかたからなんじゃないかなあ。単なる性欲だけではなく。

大人ディズニー再履修(シンデレラ白雪姫美女と野獣,眠りの森の美女

ディズニー+に入った。小さい頃に観ていた作品をふと改めて観てみたくなったからだ。

しかしいざ流してみると記憶と違うところや知らないシーンばかりで、懐かしさよりもむしろ新鮮な楽しさの方が勝った。勢いで4作品ほど観たので感想メモを残しておく。

シンデレラ

・思いのほかシンデレラの芯が強い

記憶ではメソメソ泣きながら床を拭いているイメージだったが、ディズニーシンデレラは起きて早々「分かった。起きろって言うんでしょ?起きて働けって」と鐘にキレ散らかすしネズミと鳥に絶対王政を敷いている

・こんな強いシンデレラの心をどうやって折るんだと思ったら、なんとネズミさんたちが一生懸命つくったシンデレラドレスビリビリに破られる。ちょっと人として許されるラインを超えている

・本当に心底絶望したタイミングフェアリーゴッドマザーが出てくるのが救い。でもネズミを馬にしたあと元々いた馬を御者にするのは二度手間だと思う

舞踏会有象無象の女を出迎える王子ペッパーくんぐらい感情がないお辞儀してる

大臣の持ってきたガラスの靴が継母の意地悪で粉々に割れとき、「もうひとつ持ってるの」ともう片足の靴を出すシンデレラがカッコ良すぎた。安心してこの国を任せられる

白雪姫

・かわいすぎる白雪姫がかわいすぎて命を狙われるがかわいすぎて見逃され、かわいすぎて匿われたあとかわいすぎて殺されたあとにかわいすぎて生き返る話

白雪姫カワイイの才能がありすぎる

・森で白雪姫ヒトカラしてたら勝手ハモってきたのが王子との出会い キモすぎたのか白雪姫がいっぺん逃げる

小人たちの衛生観念が終わっており、食事の前に手を洗うよう言われただけで「洗う?」「洗うとは?」とざわつく

白雪姫より美しくなるために毒みたいな薬を飲んで苦しみまくってわざわざ汚い老婆になる女王、さすがに体を張りすぎている。もう優勝でいい

小人サーの姫と化していた白雪姫が急に知らん男とくっついても歌って踊って祝福できる小人たち、真の漢

美女と野獣

ベル父親発明家だが特にそのスキルが活かされることはない→[追記]と思ったら終盤で自動薪割り機を活用してた

ガストンベルIQ20ぐらい違うため会話がぜんぜん成立していない。やめた方がいい

・働きたくて仕方がなかったらしい屋敷使用人たちを見てたらなんだか泣けてきてしまった

ベルに懐いた野獣、「みてみて小鳥さんきたよ」「ご本読んで」みたいな所作をするようになり、かわいい

・野獣のセルフネグレクト物語でもあるかもしれない。「どうせ醜いから」と自分自分呪いをかけてマナーも覚えず人当たりも最悪だった野獣がベルに大切にされて自己肯定感を取り戻し、自分も周りも大切にできるようになる

眠れる森の美女

妖精たちのチート付与しょっぱなから強い

マレフィセントの部下たちが脅威のアホ。「オーロラ姫を探せ」という命令で16年間愚直に赤ん坊を探し続けてたのを聞いた時は流石のマレフィセントも笑うしかなくなってた

オーロラの育ての親になった妖精3人、16年経っても家事スキルまるで成長していない

・と思ったら料理裁縫詰んだ瞬間「魔法は(敵に見つかるから)使っちゃいけないんだけど」と言って慣れた手つきで窓に目貼りをし始めた。たぶん初犯じゃない

・出た、動物使役ディズニープリンセスの得意技

・またヒトカラハモってくるパターンだ。しかもこの王子は踊りもいける

王子「次はいつ会える?明日?」←せっかちすぎる

 オーロラ姫「今夜よ!」←お似合いだったわ

王子vsマレフィセント戦、妖精たちのバフが強すぎる。なんならほとんど妖精たちが倒したまである

最後オーロラ姫のドレスの色が妖精たちの更新合戦コロコロ変わる演出がオシャレすぎた。もしかして色が変わるからオーロラってこと?

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「どうせストーリー知ってるし」と思って長らく観ていなかったのが悔やまれるぐらいどれも面白かった。他に観た方がいいものあったら教えてください。

2024-01-25

昨今流行りの自己肯定感ってやつ、

こんだけ白人女性が美しい!日本人の中でも日本人らしくない顔が美しい!日本人らしい日本人はブス

って言われ続けて自己肯定感なんか上がる訳ないだろ

馬鹿なの?

自己肯定感バリ高村マックあるある

スマイルが0円ではなく、販売不可になっている(クルー笑顔に値は付けられないため)

治安が良い

ポテトの塩が薄め

・セットの枝豆コーンみたいなやつが他店より売れる

2024-01-24

anond:20240124195941

自己肯定感流行ったときはまともに人生を歩めば自ずと自己肯定感も上がるのにネット上にあふれる「自己肯定感をアップさせる小技」ばかりに気を取られて人生をおろそかにし続けるバカが量産されただろ

心理的安全性もそういう感じで本質からズレたわけわからん使われ方がされていくに決まっとるわ

まあ雰囲気的に「キモイ」とか「生理的に無理」をオブラートに包んだ罵倒として使われるのがメインになるやろうけどな

anond:20240124194950

自己肯定感流行たかと思ったら最近心理的安全性流行っとるんか

意味も分からずやたらに知ったふうなことを言おうとするから余計混乱するというのに

一重、口ゴボ、顔デカ胴長短足、と散々日本女性容姿侮辱して美容整形誘導

ミス日本でも白人の美が日本でも最強です!とアピールして日本女性自己肯定感をズタズタにしておきながら

「変だなあ?女はどうして子供を産まないんだろう?」ってつくづくアホだと思うよ

産む訳ないだろ、娘を同じ目に遭わせたくないんだから

2024-01-23

anond:20240123103115

金も自己肯定感もない人ばかりが産んでいて

結婚して子供がいる人のほうが金持ってるので、これは事実ではない気が。

貧乏の子沢山というビッグダディなのは例外

富裕層世帯の女って子沢山を嫌うが、高額納税者である野球選手は子だくさんも多いもんな

一人3000万も掛かるのに、3人以上だと多産DVを疑う

anond:20240123100100

金も自己肯定感もない人ばかりが産んでいて

結婚して子供がいる人のほうが金持ってるので、これは事実ではない気が。

貧乏の子沢山というビッグダディなのは例外

今の時代に女が子どもを産むメリットがないんだが?

昔は子どもを産むメリットがあったはずなんだよね。教育費も養育費も安いし、基本中卒高卒であとは畑仕事を手伝わせたり労働力になった

今は大卒当たり前で養育費教育費だけで一人当たり3000万円くらい必要

22歳を過ぎると出産しても危険が伴うが、大学を出ると22歳、そこから就職せず結婚出産してもキャリアを失い、自分人生から降り、代替わりすることになる

長寿命化して50年そこらではなく、80年も生きる人間になった

可愛い」とか「子供社会自分必要とされる」「老後に介護してもらえるかもしれない」

みたいな大人エゴやアホな感情論ばかりで金も自己肯定感もない人ばかりが産んでいて恐怖を覚える

2024-01-22

anond:20240121111943

わりと風俗で寂しさとか自己肯定感とかを埋められるって人がいるんだな

俺は実際に風俗に行くまでは「風俗ネタ」って好きだったか肯定的に見てると思うけど

実際行ったら金で買ってる感じがすげー虚しくて、そんなことやってる自分自己肯定感ゴリゴリ削れるのがわかって5回くらいでやめたわ

anond:20240121111943

毎回フリーでいってる以外は同じだわ…

性欲ってより寂しさとか自己肯定感だよな…

温もりを感じたい。

継続指名するとその体感心理的距離が縮まって満足度が上がったりするのか。

2024-01-21

anond:20240121130938

わかるけど、ワイみたいなきもいおっさん客の行動で幸せにできるはず無いやんってどうしても感じてしま

嬢がホスト貢ぐみたいなのは応援したいなあって思うけど

世間一般もっと自己肯定感が高いってことなんだろうなって気づいて悲しくなってきた

回避

思えば美大に通って絵を描いているときも、私は自己表現をしたいなんて思いはなかった。

それっぽい、かっこいい、かわいい、誰かに褒められる絵を描きたかった。自分がないから、どこかで見たような絵ばかり描いていた。

自分がないから講評が怖かった。

好きな世界観を突き詰めてそれが否定されるくらいなら、最初から全力で向き合わずに傷つかない道を選んだのかもしれない。

何を言われても、4年間自分のしたいことを貫いて描き続けた人たちは強かった。

私は意味の分からない、理解のできない、粗削りの絵を心の中で冷たい目で見ていた。

自分がそんなだから、人の目が怖かった。

でもそれを続けた人たちはどんどん強くなって、冷笑して逃げていた私はどんどんしょぼくなる。

傷つくことから回避

思い返すと私の行動の理由も、そこに居続ける理由も、傷つきたくないから。

傷ついたり、自分が無価値であると思い知らされるのが怖くて、それならない方がいいと思って全てを回避していた。


最近意識的に昔をたくさん思い出している。

友達野菜を食べなきゃだめだよと言われて泣く、幼稚園の時の私。

自分のことかわいいと思っていて、「あっちゃんかわいい!」が口癖だった。

自分のこと、あっちゃんて呼んでたの懐かしくて死ぬ

繊細ではあったけど人見知りというレベルで、3学期になれば皆と仲良いし、基本人は好きだった。

親の喧嘩が嫌で泣く私。

池田大作の本に、子供の前で夫婦喧嘩してはいけないと書いていたのに、何でお母さんは大好きな池田先生の言いつけを守らないのかがわからなかった。

小学生中学生の頃までは必死空気を読んで、喧嘩する親を和ませようとしてた。自分発言で親が笑って、喧嘩が止まるとほっとした。

中2の正月に、全部終わった。

何とかしようとするのをやめて、ずっとイヤホンをして聞かないようにした。

クラスの全員と仲良くすることもなくなった。

色んなことに向き合うのをやめた。


色々な出来事の中で、たくさんの自分がいた。

どんなに悲しくてもつらくても、生きなきゃいけない。

生きようとする力と、生きづらさがせめぎ合った結果、回避するという術を身につけた。

それが今の人生に影響を与えていて、スムーズに進むことを妨げているけど、でもそうしないとあの時の私は生きてこれなかったなら仕方ないか、と最近ふと思った。

子供環境を選べないので、どうにかその場に自分適応させたのだと思うと泣ける。

自分の心を守った私のことを、今の私が否定して、こんな自分嫌いだなんて言ったらあの頃の私は悲しむかもしれない。

認めようぜ自分を。


経済力がないと、文句しか湧いてこない相手と別れられないと学んだから、自立心が強くなった。

貧しさがいかに人を荒ませるか、清貧なんて嘘だと幼くして知ったから、お金の大切さがわかる。

自分存在意義がわからなくて、あやふやだったからこそ、一労働力だとしても人に必要とされて感謝されるバイトが楽しかったし、仕事も好き。

白黒思考恋愛との相性は最悪だけど、仕事では役に立つこともある。

人の顔色声色を伺って機嫌を取ってきた経験は、接客に活かされている。

自分一人でずっと暮らしていけるお金と、メンタルを保てる仕事を追い求めてたら、20代は終わってしまった。

今は仕事でのストレス許容範囲で、給料にも満足している。

大金持ちは目指してない。日々、ケチケチお金で心が荒まない程度に、自分へのご褒美を難なく買える収入があればいい。

たぶん優先順位問題で、私が一番欲していたのは経済力と安定した仕事で、そのためにもがいた結果、社会人10年目にしてやっと着地できた。

もし私が心から欲していたのが、パートナーとか温かい家族で、この10年めちゃくちゃ恋愛を頑張っていたらそれなりに形になっていたのかもしれない。

両立出来たらよかったのにな。

これから10年がんばったら、恋愛もどうにか着地できるのだろうか。



我慢を続けて抑圧しながら生きていると、40代や50代になっていきなり鬱になったりするらしい。

姉は20代で体もメンタルも壊して、通院することもあったけど今は健康に過ごしている。自分を大切にできているし、私の自己肯定感のなさに引いているくらい。羨ましい。

私は大きく調子を壊すことなくここまで来たけど、どこかのタイミングで病名がついて適切な治療を受けられたら良かったのに。

嫌になるくらい健康から、このまま何事もなく一生何となく不調なまま、終わる気がする。


でも最近強い意志で変わりたいと思ってるので、健康な心を目指すべく片っ端から色んなことやっている。

ドツボにハマらない程度に心理学勉強をするべく、4月から通信大学に通うつもり。

何も変わらなかったとしても、心の仕組みを知りたい。

とにかくとにかくとにかく恋愛が上手くいかないので、日記を書きました。

でもそんな自分も愛そう。

2024-01-20

anond:20240120113950

でもさー、ADHD って常にいろんなミスをするわけよ。

それを常に謝れ!ってのはもう対等な人間関係を築けないじゃん。

常に相手に謝らなきゃいけないということは、つまり奴隷になれってことじゃん。

謝っても責めずに対等な態度を取ってくれるなら謝ってもいいけど、謝ったらマウントしてきやがるから謝りたくないんだよ。

そもそも謝るって言ってもお前ら健常者のオレオレルールじゃん。

なんでわざわざお前らのルールに則って謝って奴隷扱いされなきゃいけないんだよ?

それともお前は ADHD人間を常に下に見て奴隷にしたいのか?

・・・というのが ADHD であるオレの意見だ。

まあ実際には対等に接してくれるフェアな精神がある相手にならば適度に謝ることもあるけど、対等な人間関係を崩してくるような奴が相手ならオレは絶対に謝らない。

これは健常者視点絶対主義によって苦しめられている ADHD 障害者からの世直しだ。

まず健常者どもは健常者視点絶対主義を反省しろ

ブコメにも ADHD の子供に謝罪強要して育ててる毒親がいるけど、そんなことがふつうになったら自己肯定感なんてだだ下がりで、そのうち自分で命を絶つ日がくるぞ。

考えてもみろよ。ふつうに生きてるだけで、しかもどうやっても対処不能なことに対して毎日とあるごとに謝罪しなきゃいけない生活をまずお前らがやってみろよ。

オレは ADHD である自分を大切にしていて自尊心を持っているし、健常者視点絶対主義を批判的に見ているので、自己破壊につながる謝罪なんて絶対にしない。

他の ADHD の人たちもこいつら健常者に従う必要なんかないぞ。

健常者視点絶対主義のせいでオレらが謝罪強要されてるだけだ。オレらが謝罪する必要なんて無い。

肝心の彼氏君に対するアドバイスを書き忘れていた。

まり上記に書いたとおり、謝罪しても対等な人間関係を保ってくれると保証した環境で、健常者特有根拠の無いこだわりがあるけどそれをやってくれるだけで彼氏君は喜ぶから協力してほしいというようなお願いをすれば、ADHD 者であっても協力することにやぶさかではないわけよ。

少なくともお互いに好いて付き合う程度なのであれば、理由分からんけどそれで彼氏君が喜ぶならやってやるか、くらいは考えてやれる。

anond:20240120204908

攻殻荒巻課長が「頭は立場が上の時に下げてこそ初めて効果がある」って言ってたが

ごめんなさいするブクマカはまるで想像が付かないな。

あのときブコメあんな風に言ってゴメン、なんて言ってるブクマカ過去に一人もいないんじゃないか

多分、記事を書くライターよりも長文の日記を書く増田よりも、誰よりも立場が低いと思ってるのかもな。自己肯定感をあげてほしいね

anond:20240120113950

ADHD持ちの男だけど、他人からもらったものを失くすのって割と申し訳なく思うし、自分だったら謝るので、「ごめん」の一言が出てこない彼女さんはどうかと思う……けど。

3つの可能性があると思う。

  1. 「ごめん」を言い過ぎて心が壊れた
  2. 本心から申し訳ないと思っていない(性格が悪い)
  3. 申し訳ないと言う必要がないと心から思っている(ASDを併発している)

1について。根本的な問題として、謝罪自己肯定感を削る。俺はADHD持ちのくせに院を出てからうっかりお役所就職してしまったせいで毎日のように上司から何がしかの怒られが発生してるんだけど、それに対して毎日のように「すみません」と言わなきゃならないっていうのは割と心理的にキツいものがある。今んとこは耐えてるけど、「っていうか専門知識のある人募集とか言っといてちっとも専門知識要らねえ書類仕事ばっかじゃねえか!」みたいな不満はあるし、正直一刻も早く転職したいし、「なんでこの程度のくだらないことで怒られなくちゃいけないんだ」という気持ちがムクムクと芽生えることもある。俺はまだ耐えてる。けど、耐えられなくなって「絶対に謝りたくないでござる!」ってなっちゃう人も一定数いると思う。ここでは仕事の例を出したけど、仕事に限らず、ADHDの人は日常生活ポンコツ動作ゆえに怒られが発生することが他人より多いので、学校とか家庭とかでの積み重ねによってそういう心理状態になっているのかもしれない。この場合は、彼女さんが日常的に「ごめんね」と言えるくらいになるまで自己肯定感を高めるしかないし、元増田はそれに根気強く付き合う or 別れるしかないと思う。どうすれば自己肯定感高まるか? それは知らない……

ネットでたまに叩かれる「傲慢身体障害者」もこれでしょ。健常者がお礼も言わずに駆け上がってる階段を上がる度にいちいち「すみませんありがとう」って言う生活を送ってたら、ある日プツッと来て「介助を受ける当然の権利があるんだからいちいちお礼は言わない。健常者だって階段使う度にお礼なんて言ってないだろ」っていう心理状態なっちゃう人がいるのは理解できる)

2について。本気で「これは病気のせいで私は悪くないもーん」と思ってる人間可能性がある。その考えに一定の理はあるけど、個人的には別れた方がいいと思う。

病気由来の挙動について、当人に対して過剰な責任を求めるのは規範論的に間違っているとは思う。たとえば伝染病他人に移してしまった場合でも、炭疽菌テロのような故意犯でないなら、それは基本的にはその人の責任ではない。その人に責任を負わせようとするのは倫理的に間違ってる。……けど、そうだとしても普通は「申し訳ない」という気持ちが浮かんでくるもんじゃない? いやもちろん規範論としては申し訳ないと思ってなくてもいいんだけどさぁ……)

3について。元増田承知のように、ASDを併発していると、独自論理ものごとの善し悪しを判断していることがある。「あなたからもらったとしても、もらった時点でそれは私のものになるのであり、私がそれをどう処分するかは自由であって口を出される筋合いはない」とか(これはあくまで例で、実際に彼女さんがどういう論理を持ってるのかは知らない)。いや、自由主義とか法律とかの関係ではそうで、もらったプレゼントを即座に売り払ってそのカネでスマホゲーのガチャを回しても完全に合法なわけだけど、そういう法律論理を対人関係適用するのはどうなのよ? ……という判断が苦手なのがASD特性であって、それはもう増田が健常者エミュレーションhttps://healthy-person-emulator.org/)に付き合ってあげるか(以前こういう増田anond:20230927002433があったけど、こんな感じで)、対ASD用の付き合いを身につけるか(たとえば、プレゼントを贈らない。失くしたことを悪いと思ってない本物のASDなら、プレゼントを一切贈らなくても気にしないんじゃないかな)、別れるかを選ぶほかないと思う。

なんか自己肯定感低かったりストレスまったりする人は無心で掃除すると良いよ。

部屋が片付いて綺麗になるし集中するしスッキリするよ。

2024-01-19

うつ文章についての所感

増田を書くとき、大抵「なぜこの文章がこの世に存在する運びになったか」という言い訳から書き始める。

今回もやはり例に漏れない。アノニマスでのダイアリーでご丁寧に言い訳。難儀な性格だと我ながら思う。

うつとは付き合い始めてもう五年近くになるが、未だに自分うつについては何も分からないままでいる。

私の場合は、気候に加えて何種類かの不安や悲しみが同時期に積み重なり、トリガーとなるパターンが多い。

不安や悲しみは自らの努力で解消可能ものから不可能ものまでさまざまだ。

今回もそうだし、五年前もそうだった。

うつについては、それ以外理解できていることはない。ないのだが、最近うつに関して感じたことを書き留めておこうと思い、増田を書くことにした。

未来自分道標になるかもしれないし、ならないかもしれない。これは、私のための文章だ。

新年早々、うつ真っ盛りである

盛りに盛って自己肯定感は低下の一途を辿り、何を言っても、何を考えても面白みに欠ける。独創性もない。何か行動を起こそうにも、冷えて硬くなった脳が軽やかな動きを阻害する。

そうして、「自分はつまらない人間である」という意識から自己肯定感が更に低下する。典型的なうつによる負のスパイラルに陥っている。

おまけに寒い毎日毎日、体の芯から凍りつくような寒さに文字通り震えている。都心大雪など降るなアホたれ。

うつ症状が軽い時期は、アイデアがするすると湧き出てくるものだ。

例えるなら柔軟性のある、水をたっぷり含んだスポンジに近い。脳に少しの力を加えてやれば、まとまりのある言葉簡単アウトプットされる。情報もサッと染み込み、インプットも楽勝だ。

出てきた言葉アイデアには、自信が持てる。整然とした美しさや、鮮やかさに自信が持てる。

力が要らず、アウトプットに不満もない。健康的な思考活動だ。

対して、うつ症状が重い時期の脳は、「凝り固まっている」という表現が適切に思える。

アイデア言葉は頭の中に堆積しているが、脳がガチガチに硬い。硬い脳を叩こうが押そうが、うんともすんとも言わない。

から入ってくる絵や文字情報もろくに整理できず、ドロドロとしていて頭の芯まで染み込まない。

うんと力を込めて、ようやく絞り出された雀の涙ほどのアウトプットは、濁っていて美しくない。

強い力を要し、アウトプットに全く満足できない。これ程不健康で悲しいことはない。

だが、私はこうして文字を書けている。

そして重要なのは、今書いている文章に別段美しさも、鮮やかさも感じないのだが、なぜか心が安らいでいる。

この現象に気がついたのは、ここ数日のことだ。

冒頭からつらつらと書き続けて分かったが、やはり私は難儀な性格だ。

匿名で書く日記ですら書く言い訳必要だと思っているし、「面白みに欠ける」ことが嫌いだ。たぶん発言に「独創性」も欲しいのだろう。

なぜこのような性格なのか。おそらくそれは私の言葉アイデアが、基本的に「自分とセットで社会から評価されるもの」という前提にあるからだろう。

仕事でも、趣味文章を書くときでも、限られた友人同士でしかやり取りしないSNSでも、「自分と、自分発言がどう見られているか」で常に頭がいっぱいだ。そういうシーンでは自分と、自分が発信する表現は地続きのものなのだ

別に私が面白くなくても、独創性がなくても、美しくなくても、実は誰も怒ったり責めたりはしないのだが……そのような自分醜態を、おそらく私自身が一番許していないのだろう。

からこそ、この苦しみはなかなか解けにくいのだ。

だが、気がついた。

自分とセットで社会から評価されるもの」ではない文章は、脳からアウトプットするのがあまり苦ではない。例えば、この増田のような文章だ。

匿名で宙に放り投げる文章は、社会活動している自分からはぷっつりと切り離された存在だ。しがらみや他人の目に囚われない文章アウトプットする行為自由で、とても快適だ。

私の場合は、おそらくこの思考活動リハビリになるのではないか、と感じている。

この活動を起点として、自分が「面白みに欠ける」ことや、自分アウトプットに「独創性」がないことを許す。

自分発言アイデアは、本来もっと自由で快適だったことを、体と頭に思い出させる。そうすれば、次第に脳は元の柔軟なスポンジに戻るだろう。

希望的観測を含むうつ真っ盛りの時期の所感だ。少し楽観的すぎたか

しかし、言葉自由で快適なことを思い出すリハビリなのだから能天気なくらいでちょうどいいはずだ。楽観的に表現できる、ということが重要にも思える。

ともあれ、寒い時期はほどほどであってほしい。願わくば明日の雪は控えめであって欲しいと思う。

暖かい春の訪れを、私は心から待ち詫びている。

女が結婚出産するメリットが何もない

今日Twitter卵子凍結がトレンド入りした

正直「育てる自信がないから」「子どもが好きではないから」「自由時間がなくなる」そんな簡単で単純な言葉で片付く問題ではなく、日本少子化には根深問題がある

小学生の頃から今の社会子供を産み育てるに疑問を抱き、女性視点でのメリットが何ひとつないと結論が出ているため理由を書き出してみた

ちなみに優生思想フェミニズム、反出生主義ではありません

子どもを産むメリットについて冷静に考えてみた結果です

昨今の政治家異次元なことを言い過ぎ


子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない

子育て自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない

会社のように廃業倒産そういったことが何もできない。自分意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる


妊娠間中身体精神負担が大きく10か月間ほどの自由人権がなく、その後も高確率キャリアが途絶え20年間ほど自由を失う

産んだ後は社会的な立場自分時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ

代替わりするので、自由時間がなくなるどころか、自分人生の主役ではなくなる

人生の主役の座から降りることになり、自分子供人生インフラしかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサルインフラ

両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしま
子供競走馬ではないと思う


男性リスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやす

女性は1年近く身体不自由麻酔もかけずに時間自分人生を失い命がけで子供を産むのに対し、

一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない

男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性自分人生をすべて失うことと引き換えになる


100%健常な人が生まれると保証できない

知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもり病気になる可能性がある

医療現場で勤務経験のある自分現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない


老後の世話をしてくれるとは限らない

仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある

ヤングケアラー奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う


今の社会では生きづらい。大学行くのが当たり前の世の中

「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる

とにかく子供のしたいことをさせるには財力は絶対に不可欠

子育てに伴う人間関係は面倒

ママ友付き合い、受験戦争、近所付き合い、親戚付き合い「子供を産んだ」ということだけが接点の人間との付き合いはリスクが多すぎるし苦痛

親戚やママ友からの、顔面比較能力比較セクハラなど、犯罪まがいの暴言差別子供母親を傷つける


国が求めるような消費と納税が出来る子供を3人産んで大卒にするには財力も体力が必要

20代までに結婚20代前半で第一出産、35までに産み終えるなんて高校卒業してすぐ結婚するような女になるしかない


から老後に2000万円貯金しろとも言われている時代に、さら子供を1人の養育費教育費総額約2,000万~4,000万円も用意できない


さら住宅ローンもある場合、1億という金をどうやって稼ぐのか正直イメージできない。もっと安くできるという意見もあるだろうが

子供労働力になった時代じゃあるまいし、学費ケチって子供可哀想な思いをさせてまで産みたいと思えない


そもそも生涯のうちに産める適正タイミングがない

正直国の理想では1020代子供を産むのがベストだが、高卒結婚して金のない状態ですぐ産むなんて多くの現代女性には不可能

大学や働きながらの妊娠出産ヤリマン呼ばわり。職場学校マタハラを受けることもある。キャリアを維持するために産んでも育休が取れない。キャリア形成の出来てくる30代で産むのは厳しくリミットが訪れる

やっと自己実現可能になった40代以降ではかなりハード


とにかく変化の激しい世の中で10代で計画的に80年以上も生きる人間自分意志で作ること自体無理ゲー



anond:20240119100120

この世の中に80年も生きる人間を作る方が大変だと思うが?


子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない

子育て自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない

会社のように廃業倒産そういったことが何もできない。自分意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる


妊娠間中身体精神負担が大きく10か月間ほどの自由人権がなく、その後も高確率キャリアが途絶え20年間ほど自由を失う

産んだ後は社会的立場自分時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ

代替わりするので、自由時間がなくなるどころか、自分人生の主役ではなくなる

人生の主役の座から降りることになり、自分子供人生インフラしかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサルインフラ

両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしま
子供競走馬ではないと思う


男性リスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやす

女性は1年近く身体不自由麻酔もかけずに時間自分人生を失い命がけで子供を産むのに対し、

一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない

男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性自分人生をすべて失うことと引き換えになる


100%健常な人が生まれると保証できない

知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもり病気になる可能性がある

医療現場で勤務経験のある自分現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない


老後の世話をしてくれるとは限らない

仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある

ヤングケアラー奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う


今の社会では生きづらい。大学行くのが当たり前の世の中

「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる

とにかく子供のしたいことをさせるには財力は絶対に不可欠

割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。

昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。

原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。

面白いはいすれのケースにおいても、自分自身能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。

失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。

つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。

間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。

私が比較幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。

私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。

しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。

彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。

趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。

どうしたものかな。

諦めるかやるかの二択だ。

今のところやる気でいる。

いつまでやるのかわからないが。

私は未来計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。

まあ短期テストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。

楽しく過ごしていたというのに。

上手くいっていると思えているとき楽しいものだな。

そして上手くいかいかもと思っているときは気分が沈む。

当たり前のことだ。

心が上を向いているか、下を向いているか現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。

いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。

それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。

そういえば近所のTSUTAYAはもう潰れてしまったのだな。

承認欲求を抑える方法

承認欲求を抑える方法は、個人によって異なりますが、以下は一般的アプローチです。ただし、これらは全てを実践する必要はなく、自分に合った方法を見つけることが重要です。

1. **自己肯定感の強化:**

自分自身を受け入れ、自分の強みや成功意識的肯定することで、外部から承認依存せずに済みます。日々の成果や努力に対して自分でご褒美を与えることも有益です。

2. **他者比較を避ける:**

他者との比較は、承認欲求を刺激することがあります自分の進捗や成功他者比較するのではなく、自分過去自分比較することで、成長を実感しやすくなります

3. **目標明確化:**

自分目標価値観を明確にし、それに基づいて行動することで、他人の期待や承認を過度に気にする必要が減ります自分が大切にする価値観合致する方向に進むことが重要です。

4. **断りの訓練:**

他人から要求や期待に、無理なく「いいえ」と言えるスキルを身につけることが承認欲求を抑える一助になります必要場合は断ることが、自分メンタルヘルスにとって良いことです。

5. **マインドフルネス瞑想実践:**

マインドフルネス瞑想を通じて、現在の瞬間に集中することで、過去未来への過度な不安を軽減し、外部から承認に頼らずに自分内面意識を向けることができます

6. **自己成長への注力:**

承認欲求ではなく、自己成長や学びに焦点を当てることで、内発的な動機づけを強化できます。新しいスキルを身につけたり、趣味を追求することが、自分自身に満足感をもたらします。

これらの方法一般的アドバイスであり、個人によって効果が異なる可能性があります自分に合ったアプローチを見つけるためには、試行錯誤を通じて自己理解を深めることが重要です。

弱い人間ほど宗教福祉みたいな人を救う活動にハマるのしょうもない

最初は本人が救われたくて福祉宗教に近づくのだろう

そこでハマって長い間活動していると、今度は他人を救う側に回ろうとするんだよな

活動の中で鍛えられて外の世界でもバリバリやれるぐらい強くなって余力が出てきたか他人を救おうとするのなら良いよ

でもそういう弱さから宗教福祉活動に身を投じた人間って本人のスペックは大して変わらない、弱いままじゃん

思考の歪みと謎の選民意識を得ただけのパターンが多い

弱者はまず自分が救われて生きづらさを取り除くことに全力を尽くすべきなのに

更なる弱者出汁にして自己肯定感を高めようというキモい魂胆で他人を救おうとするキモいやつが多いのよな

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