はてなキーワード: 社会人とは
ここでいう『バカ』とは知的な困難は無いけど、極端に浅はかな判断・行動をする人たちのことね
結論を先に書くと、粒が揃っていない状態(バカがいる状態)でミッションをこなすためには、見た目の威圧感やカルト的な能力を活用してチームを指導し、ミッションの成功に向けて前進させる必要がある。その後、予算や状況が許す限り、プロを招き入れて組織を再編成し、エンゲージメントを調整して、持続的なチームを構築する必要がある。
自分用に書いてるので説明は要らない気もするが、時間が経ったらなんのことかわからなくならるかもなので、いちおう端折らず下記に書き連ねておく。
『知的困難は無いのに、どうしてその判断・行動になったの?』とよく疑問に思うことあるが、その原因はだいたいは"場"にある。
例えば、園児たちが保護者とペアになって紙飛行機を折って飛ばす競争をしている場面を思い浮かべてみよう。
流体力学や航空力学のバックグラウンドと紙飛行機コンテストの経験があるおっさんおばさんがその場に居たとしても、他の参加者たちは通常、『自分の紙飛行機を折る』というタスク以外には興味を示さない。
おそらくは『折り紙を取って貰う』というお願い以外はしない。親切な誰かが紙飛行機のプロのおっさんやおばさんたちに教えようとすることさえあるかもしれない。
もしもその"場"にいる全員がおっさんおばさんが紙飛行機の技術を持っていることを認識していたとしても、それでも『折り紙を取って貰う』以外の頼みごとをするかどうかは"場"による。
子どもたちにとっての学習機会と考えたり、話のネタとして教わる人もいれば、主役は園児なので大人はしゃしゃり出るべきでは無いと考える人もいるし、お遊戯会でマジになってる大人に対して白けた気分になる人もいる。
園児のお遊戯会だけでなく、社会人が報酬を得る場面でも、技術を持つ人に頼らない人がいることがある。これはさまざまな理由が考えられる。たとえば、自分のポジションを気にして拒否する人や、"場"の主役意識が強い人、出来るだけ働かずプライベートを優先したい人など、無限に理由は存在する。
知的な困難がなくとも、"場"が整っていないと、浅はかな判断・行動は無限に行われるのだ。
ちなみに、"場"を整えて、紙飛行機コンテストで優勝するをチームの唯一のミッションにすれば、技術や優勝の戦略の話に集中できるようになるが、それでもすべてがうまくいくわけではない。
資金調達担当者が技術者に対して紙飛行機の折り方を教えること(河童に水練)や、プライベートを優先したい人がさっさと帰ることはなくなるだろうが、優勝が自分にとってどれだけ重要かは人それぞれだ。メンバーに尋ねれば言葉を尽くして最重要ミッションと答えるだろうが、本心では次の仕事のアピールにつながればいいとしか思ってないかも知れないし、ペットの体調が心配で期待されたパフォーマンスを発揮できていない可能性だって考えられる。
知的な困難がなくとも、場を整えても、バックグラウンドが異なれば、浅はかな判断・行動は無限に行われる。
多くの人と何かをすること、あるいは複数の専門家と一緒に仕事をすることは非常に面倒くさい。
それを無難に解決するのは、法治国家であってもだいたいの場合は腕力だ。まぁガチで殴ったら刑務所行きなので、正確には見た目の強さ、ガタイの良さ、圧のある無しだ。
その代替え手段はカルト的な熱狂を煽る(詐欺師になる)くらいしか今のところ思い浮かばない。
強権を発動してガンガン首にする職場ではチームプレイなんかできやしないし、吊し上げを行う職場では隠蔽や犯罪行為が日常になるだけなので、見た目で威圧するのが最も穏当で現実的な手段だ。
じゃあ、見た目が厳つい人を伝達役として採用すれば問題が解決するのか?と言えば、そう単純にはいかない。
美人と同じように、見た目が厳つい人も自分の外見に自覚的で、それを生かして生きていることが多い。素性や性格をしっかりと確認しないと、半グレ的な人物を組織に招き入れてしまい、手のつけられない事態になる可能性がある。
なら素性がある程度しっかりした体育会系の大卒を伝達役として採用すれば、今度こそすべて解決!!!となるかと言えば、ご存知の通り、それもそうはならない。
体育会系の人々も一人一人が独立した人間であり、伝達やコミュニケーションに自分なりのアプローチを持ち、自己判断を行うからだ。
『キミは見た目で採ってるから自己判断しなくてもいいよ』とは出来ないので、結局は自分自身がマッチョマンになって締めるべところは圧を掛けて締める他ないのである。
メンバーの粒を揃える予算も限られている状況で、リーダーである自分自身が圧力をかけることが難しく、宗教的熱狂を煽ることも難しい状況では、以下の手段が考えられる。
中高はもちろん実家だったので、親にたたき起こされて学校に遅刻することはなかったが、
寝起きのしんどさと言ったら言葉にできないくらいで、休みの日は昼まで寝るのが当たり前だった。
大学に進学して独り暮らしを始めると、朝起こしてくれる人もいなくなり、午前中の講義では遅刻が常態化した。
一方で夜中までゲームをするのをとがめる人もいなくなり、ほとんど大学には寝に来ているような形だった。
それは社会人になってもしばらく続き、朝起きられず出勤できないことが月に1度はあった。
ただ、遅刻魔と思われるよりは病弱の方がマシだろうと、すべて仮病で乗り切った。
しかし気づいたら今、寝坊で遅刻するようなことはここ数年なくなった。
若い頃のような、地獄から這い出してくるような寝起きの苦しさも感じなくなった。
何度も何度もアラームをスヌーズすることもなく、一発目のアラームで目が覚める。
一方で、娯楽にハマって徹夜するようなことも全くなくなった。
飲みに行っても、きっちり終電までには帰るし(当たり前かもしれないが)、
休みの日でも遅くとも9時には起きている。
あれ?なんで、いつの間に俺は、まっとうな生活ができるようになったんだ?
思い返してもいつからそうなったのか、何故そうなったのか全く思い当たらない。
いつの間にか、以前の自分には信じられないくらい規則正しい生活をしている。
分からんけど、これって言うなれば大人になったってことなのかな?
実際、世論を動かしたいならインターハイについて言及した方が効果的なのは間違いない。
インターハイは地元の協力がないと開催できないので、猛反対の声があったら設備が借りれない。実際、コロナの時は設備を貸してくなくて、高体連の中止はかなり早かった。
そもそも、審判や役員を集めるのも大変。社会人は平日に審判にいかないといけないので、会社を休んで出てる。その上で、批判までされたら絶対行かんわ。
空調のない室内競技は実際に今年のインターハイにもある。北海道は例年涼しいから、仕方ないと言えば仕方ないけど。
全国回ってたら、空調のない体育館は勿論、専門設備のない体育館での試合もあったし、照明が暗くて球が見えないところもあった。某県の山でやった時は気圧で見たことない競技になってた。全国回るのもしんどいし、いっそ東京体育館とかを聖地にしてくれた方がみんな喜ぶだろうな。最近だと、四国 → 北海道 → 鹿児島か。
日程はいつも言われているけどやばい。トップ選手と比べると1日あたりの試合数は5倍ぐらいある競技もある。試合中の怪我はあまり聞かないけど、これに対応する練習では怪我しても仕方ない。
金もない。一部の競技はクラウドファンディングで資金を集める状況。
だから、夏のインターハイの危険性が全国的に盛り上がって、地元が猛反対したら多分開催はかなり危うい。
高体連に関わっていたら、本当に高野連が羨ましいと思う。良くも悪くも高野連は世間の声より選手の声を大事にしている感じがする。高体連は構造的に世間の声を聞かざるを得ない。
高体連が堕ちたら、「なんで野球だけ特別扱いなんだ」という人がなぜかたくさん出てくるから、高野連もちょっと困るかもしれない。
でも、コロナで中止になった時は高校生に何て声をかけていいか本当にわからんかったな。本当に生活の全部をかけている選手に慰めも言いづらかった。
ちなみに空調のない体育館で練習しているけど、熱中症気味になる選手は数年に1回みるぐらいで、救急車を呼ばないといけなくなったのは15年で1回ぐらいしか見たことないな。
色々対策しているし、今は気分が悪いと即刻休憩しているし。
https://anond.hatelabo.jp/20230804184428
夫側に立った意見が多いね。家事ってさっさと済ませてほしいちょっとしたタスクが多いから早く終わらせてよと思う気持ちわかるし、言うと不機嫌になるの意味わからんのもよくわかる。言われる前にさっさとやって。
察してもらえないから不機嫌を表に出すとか社会人だったらあり得ない話で、こんなことしたら信用失うし、周囲もその人に対して腫れ物に触るような扱いしなきゃいけなくなる。だから夫側に立ってるんじゃなくて社会人としての規範で別のコメントにスターが集まってるわけだけど、こんなのが支持集める理由って社会人じゃない人が星つけてるからだよ。実際、平日昼間にぐいって伸びてそこから止まってるでしょ。
1億の所得制限儲けるとか、共産主義的な政策で脱成長目指すって言ってバズってる記事あるけどさ
お前らはアイディアすら無いんだから、他人の政策にケチ付けるような立場じゃないんだよ
同じ土台に立ってると思うな
俺はありとあらゆる点でこの政策には共感してないけど、それでもわざわざ否定する話でもない
本来、お前らはこいつと同じようにアイディアを示すべきなんだよ
んで、2つのアイディアが出た、どちらが良いかな?こっちだよね
これだけの言論は成立する
いちいちアイディアを叩いてるから、誰もアイディアを出さなくなるんだよ
他人にあげるんが一番。
あと社会人で書く機会が減っても、なんやかんやボールペンしかなかったら不便だったりするんだよな。
40前になって、久々にシャーペンを導入したら、消せるってことの便利さに感動しちゃったよ。
うどん屋が身近にあるため毎週末はほぼ近所のうどん屋に連れて行かれた。で、そんなにうどんを食べているとうどんが嫌いになっちゃうんだよね。出汁が薄くて麺の太さが嫌いだった。大人が言う「コシが強くて美味しい」の意味が全く理解できなかった。というより麺が細いそばやラーメンのほうが好き。
たまに親と一緒にうどんとそばの両方が食べられる"うどん屋" に行くことがあったんだけど、そういうときは迷わず「ざるそば」(うずらの卵がついてくるやつ)を選んでました。
社会人になって東京に上京したら、立ち食いそば屋の多さにビックリした。嬉しすぎてほぼ毎日のように駅そば食べてた。そしたら身近になったそば屋が段々と嫌になってきた。
数年後帰省したとき家族で「うどん食べに行こう」ってなって近所のセルフうどん店に行ったんだけどそこが無茶苦茶美味しかったの。もっと岡山にいたころのメリットを享受すべきだったよ。
別に理由があるならいいと思って問い合わせたら「個別の事象には答えられません」って回答が返ってきた。ああそうかい
お前らが理由も答えられないくらいに適当に考えた仕事プランになぜこっちが合わせなくちゃならんのだ
なんで適当なお前らが関東で働いて偉そうに上からモノ言って、社内SNSにもキラキラした投稿してるんだ?
住環境も最悪だ
ふとなぜだろうと考えると、向上し続けなければならないという強迫観念にある気がする。
中学は高校受験が目の前に控えていて、(自分の現状より少し高めの)目標を持つこと、その目標を達成するために向上することが求められる最初のタイミングだったように思う。
それからずっと、向上することを求められている。高校〜大学では受験や成績、大学院では研究や就活、社会人では業績や成果…。
そしてそれに応えようとして無理をする。その結果しんどくてしんどくて、生きるのが辛くてめんどくさくて、一刻も早く死にたくなる。「将来はこうなりたいんです」と言うのは上辺だけで本当は向上心なんてない。正直なことを言えば毎日楽しくダラダラして過ごしたい。でも向上心を持っているように見せかけないと今の生活や将来が損なわれてしまうのではと不安になって、心身の健康を損ねるまでやってしまう。
『こころ』のKは「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉が有名だ。彼は最終的に自殺したが、これは不適切な向上心が人を殺すのだということなのだろう。
向上しなくてもある程度許される老人になれば解決するのかもしれない。そういえば中学の時も「早く老人になって解放されたい」と考えていた。
でも老人になるまで耐えなければならないのはたまらない。かといって死ぬのも怖いから、結局死にたいという気持ちをずっと持ち続けて、表にそれを出して迷惑をかけないように必死で生きていくしかないのだろう。
みんななぜ死にたいと思わないのか不思議だったが、おそらく向上を強いられることに対してストレスを感じていないか、向上を強いられていないか、向上を強いられていても無視できるからなのだろう。
学生の頃、法科大学院に行って弁護士になろうと思っていたときがあった それを成し得るだけの適性はあったと今でも思ってる(予備はさすがに無理だったと思う、頭のスペック的に) こんなのただの戯言だけど (学生運動がなければ俺は東大だったんだと宣うおっさんが昔はよくいたらしいな、父親が言ってた)
自分は明らかに向いてなかった、その道に進まなくてよかったんだと思えた方が幸せだった 今でもなぜかそうは思えない
そもそも学習スタートしたのが大2で遅かったのに、ダブルスクールし始めた塾にも真面目に通いきらず、1年すこしで辞めて、親と大揉めして、無駄金だと謗られて(当然だ)、その負い目もあって就活では法律科目が使えるから公務員を目指すことにして、なのに公務員にすらならず就職して社会人3年目
大3のとき、付け焼き刃でもなんとか未修のローとかに潜り込めるように頑張ればよかった
今なら塾は通いやすさとか仲間がいるかとかを重視して選んで、勉強の進め方ももう少しどうにかできるのに、と思ってしまう
部屋を片付けていて、そろそろその頃の塾のテキストとか処分したほうがいいんだろうなと思いながら泣けてきた
どこで人生を間違えたんだろう
周りに偏差値高い人ばかりの環境で、バイトも特にしてなかったから、社会人になって初めてマーチ以下の人と関わりを持つようになった
マーチレベルの人は比較的話が通じるけど、それ未満てなんというか、普通に文字に書いてることが通じない
そもそも文章を読んでない?読めない?レベルなのでビックリした
話も一貫性がなく、話の頭と最後でいってることがあべこべで意味がわからないことも多々ある
偏差値高い仲間にも馬鹿はいたけど、ちゃんと文章は読めてたし、言動の論理に一貫性があった
東ロボくんを作ってる教授が
「世の中には教科書が読めない人がいる」
と言ってたのを知識では知っていたけど、実際に接するとかなりショック
そして世の中ってかなりいい加減でいいんだ、とも再認識した
そんな文章が読めない人でも世の中を普通に暮らせるのが平和なんだろうな
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情報系の教育を受けてない「プログラミングに携わる人間」なんて、10年たっても「情報科の学部卒」に勝てない奴ばかりだぞ。
他の業界と違って新しい技術がどんどん出てきてるし実力の世界だから、「情報科の学部卒」の方がふつうの社会人プログラマなんかよりよほど優秀だぞ。
○ご飯
朝:なし。昼:カラムーチョ。夜:手羽元、白菜、人参、大根、舞茸、ネギの鍋。たまごネギおじや。リンゴ。間食:チョコ。
○調子
○SeaBed
・はじめに
田舎から上京しデザイン事務所を立ち上げたサチとタカコ、二人の日常と休日を丁寧な文体で淡々と描く公称ジャンルは百合要素を含むミステリーなノベルゲーム。
まずミステリという言葉には多様な意味があり、パズラーや本格だけを指す言葉ではなく、衒学趣味だの狂人の解放治療だのをアンチミステリーだと喜んで受け入れた当時の評論家たちが悪いのであって、そのようなものをミステリと呼称することの是非は呼称する側にはないのだ、と言った面倒臭いミステリオタクの言い分はこの一文だけで終わりにして、以後の感想でもミステリ部分への言及は抑えることにする。(なお虚無の幻想描写だけ否定しないのは流水によって解体済みだからなんだよなあ(何が何やら))
そんなわけで公称ジャンルはさておいて、百合作品女性同士の恋愛ものとして僕は楽しんだ。
様々な時系列が入り混じりながらお話が進んでいき、未就学児時代、小中高、社会人、現在と長い時を過ごす二人の女性のエピソードの回想がたっぷり遊べる。
エピソードと書いたものの、所謂起承転結のような物語的な起伏はかなり薄いものもある。
食べたご飯、気持ちのいい温泉、美しい風景、自然の中で感じるニオイや音などなどの、ただそこにあるものの描写、それとそれを二人で楽しむことのかけがえのなさが淡々と描かれる。
良い意味で二人は仲良しなのだ以上の物語のスジが無いエピソードが多い上に、キャラクタの内面の描写もお互いのことが好きなこと以外は控え目。
おそらく文学的な言葉でなにか括ることが出来るのだろうけど、僕の語彙には無いので情景の描写にたっぷりと尺がつかわれているということを伝えたかった。(自然派が自然の描写、森とか山の描写を書く意味でないことぐらいは僕も流石に知っている)
伏線が云々と評価することも出来るのだろうが、これらの美しい文章をありのままに楽しむだけでも十分面白い作品だと思う。
勿論、それだけのゲームではなく、あくまで回想シーンはそのような作風になっていると感じた。
明るくていつも元気で突飛な行動をするが結果をちゃんと出すタカコのカップル。
恋愛に関するフィクションって付き合うまでのドキドキがキモなものが多いけど、今作ではその辺はかなり控えめ。
二人はもうすでに付き合っているところから物語が始まり、回想シーンの大半も付き合って以降のものになる。
そのため、駆け引き無しキス有りセックス有りで、ひたすらにラブラブなシーンばかり。
全年齢向けゲームではあるものの、かなり直接的な表現も多くイチャイチャ度合いをたっぷり楽しめる。
性欲強めなタカコに渋々付き合うサチなパッケージと見せかけて、サチも普通にノリノリなシーンもあったりとシチュエーション豊富。
恋の鞘当て的なシーンもなくもないが、基本的には二人の関係値は最初から最後まで揺るがない。
一番揺らぐのがタカコが性欲ベースで他の女性に手を出そうとするシーンで、それがかなり「らしさ」に思えてしまうのは好きが別れそうだ。
冷静で落ち着いているサチが視点人物のパートでは、最初のうちは一歩引いた客観的な描写のように思う。
事実その通りなシーンもあるのだけれど、ストーリーが進んでいくにつれサチへの理解が進むとなかなかそう単純な話ではないことがわかる。
文体が落ち着いている上に、サチが「怒った」とか「悲しんだ」のような感情を表現しないため気づきにくいだけで、めちゃくちゃ感情補正をかけて客観的に見ている風を装っているように読める。
これは作中でも主観を完全に排除できないことへの言及がされているため、間違いなく自覚的な演出なのだろう。
なかなかに凝った趣向で、読み進めていくにつれファーストインプレッションからずいぶん離れたところにいるサチを見るのが楽しかった。
・タカコの前向きさに救われる
そんな複雑なサチに対して、タカコは最初から最後までほとんどブレない。
公式の粗筋の範疇だけでも彼女にはずいぶんと辛いことが起こるのだけど、それでも前向きの色々なことをしてくれる。
パーティや旅行などのイベントごとが好きなので、彼女が様々な話の起点になるのが特に良い。
サチを引っ張るタカコという繰り返される構図に慣れ親しめば慣れ親しむほどに、SeaBedにハマっていける。
そんな魅力的なサチとタカコについて語ってきたが、彼女達二人っきり以外のシーンだと同僚を交えた職場での会話劇も楽しかった。
大人の女性ながらぬいぐるみ大好きな文と、真面目でちゃらけない犬飼の二人がタカコに振り回され、それをサチがツッコミして締めるのは、他者が混ざることでよりタカコとサチの分かち難さが伝わってくる楽しいシーンだ。
先に述べた食事シーンの豊富な文量はここでも活かされていて、オヤツを巡るいくつかのシーケンスなやり取りが面白かった。
どれも序盤に集中していて後半になるにつれて出番が激減するのは残念なところ。
中盤以降はかなり出番が多く活躍するんだけど、なんといってもサチを誘惑シーンの頭の良さと淫猥さが凄かった。
まず、客観視が得意なサチを納得させるためにペラペラと理屈を捲し立てる。
サチに上手く言い訳を与えつつ自分の欲求を飲ませようとするのが頭良くて賢さを感じた。
その上で、まあ普通にエッチな格好もするという二段構えさが、頭イイ淫猥だ。
中盤ということもあり、サチとタカコの関係値、分かち難さを嫌というほど体験した後にも関わらず、ワンチャンいけるかもかもかな? と思わず七重さん側を応援してしまった。
そんなかなり策を練ったであろう誘惑シーンだが、サチとタカコの関係はブレない。
誘惑しているセリフの量と、断るときのセリフの量の差がえげつなくて、全然笑うシーンじゃないのにクスっときてしまった。
・生と向き合うことで死と向き合える重たいシナリオ
明るくて楽しい見所ばかり書いたが、それだけのゲームではない。
悲しい、落ち込む重たいシナリオの部分もたくさんある。
それが生と向き合うことで死と向き合える重たいシナリオだ。
ここでいう生と向き合うは、考えることを辞めないことのような意味で、思考し理解することを解いていると僕は感じた。
ただその重さも、サチの独特な客観視の妙と、それでも頑張るタカコの朗らかな様が、そんなざっくりした一言ではまとめきれない多様なグラデーションのある感情になる。
読む人によってかなり受け取り方に違いがありそうで、全編ずっと悲しい話じゃんと思う人もいそうだし、同じぐらいと思う人も、いや楽しいの方が多いという人もいるかもしれない。
僕はミステリやコメディにようなエンタメを求めてゲームを遊んでいるところがあるので、明るい楽しいところばかり感想を書いてしまったかもしれない。
(何しろ公式粗筋にいる3人の主人公内2人の感想は書いても、最後の1人については触れてすらいないからね)
・おわりに
女性同士のイチャイチャラブラブの先に重苦しい生きるとは、死とはを問うシナリオが待っていた。
かなり好みが分かれそうだけど、僕は公称ジャンルの是非以外についてはかなり好きな作品だ。
テーマ的な部分以外だと美味しい食事に舌鼓を打つシーンが多いのも好きな理由。
女は社会人に向いてねーなと思う
体感的に
何が向いてないってチームワークよりも自分の好き嫌いが優先するところと
攻撃性が高すぎるところ
会社や部署、プロジェクトチームというチーム単位で働いていても、
女の場合は嫌いな相手にはわざと情報を流さないとか、チーム内から嫌いな相手を排除するように仕向けるとか
チームの不利益にようなことを平気でやる
友達ごっこはしなくても良いが、仲間全体の不利益になる行動はNG
しかし女は平気でやるしそもそもアホなのでこういう物の道理もよくわかっていない
反撃されにくい立場から相手を一方的に痛めつける行為が大好きなので上司にしてはいけない
気に食わない部下を潰して会社に無駄なコストとリスクを発生させる