はてなキーワード: 異端とは
様子を見に行ったら
一人で肝試しでもしているのかと思ったら
テカテカぷりぷりの金玉を手のひらに乗せて
寄っておいで寄っておいでと呼びかけている
そうすると何か物凄くおぞましい気配が漂い始め
はてサがいきなり奇声をあげて
その場に倒れ体をウネウネくねらせて
最終的にイグイグイググイグイグイグウウウウウウウウって叫んで絶頂したようだった
とんでもねえ性癖だよ
台風が接近してくるので
畑の様子を見に行ったはてサの様子を見に行ったら
はてサ飛んでたよ
金玉をぐいーんって広げて
暴風に乗ってさ
縦横無尽に空を舞っていたんだ
二度と姿を表さなかったんだ
はてサが戦国時代にタイムスリップしたっていうから見に行ったら
戦国時代に行ってもしぶとく生き残ってて
信長が絶賛したことから戦国時代に空前の金玉食ブームが生まれたんだって
みんな玉なしになって
最終的に日本は滅んじゃったみたいだ
じゃあ今ここにある日本は何だよ?
乳搾りして興奮してきたのか
はてサがベンチウォーマーでいいから甲子園に行きたいって言うから入れてやった
とても投げられる状態じゃなくなった
退場になったわ
試合も負けたしよ
やがて貴族などの耳に届くようになって
はてサが金玉の栄養不足でクラウドファンディグを開始したって言うから
真っ先に金を入れられるだけ入れたら
あっという間に目標達成してた
半年後忘れた頃に栄養でパンパンになったはてサの金玉が送られてきた
漬け丼にして食べようと思う
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
初心者がプログラミングを身に着けるのに、LinuxとCLIは必須とか言い出すのが意味不明。
しかもUbuntuのインストールとかじゃなくWSL2入れて覚えろとか、駆け出しの開発者にそんな難しいことできるわけねーだろっていう。
そりゃ「Web系の」プログラミングだったら、そこら辺のノウハウが必要なのはそうだろう。
でもプログラミングはWeb系だけじゃないし、Web系がほとんどなわけでもないからな!
組み込みやモバイルだったらLinuxをCLIで触る機会なんてまず皆無なので、最初から学ぶのは時間の無駄だし、もっと優先して覚えるべきことはいくらでもある。
それこそWeb系だろうなんだろうが、プログラマなら機械語やラインエディタくらい覚えろ当然だろ?ってレベルで意味のない勉強だったりするわけで。
こういうこと書くと
とか言い出すバカがいるんだが、POSIX原理主義のほうが世界が狭いことにいい加減気づけっての。
過去に遡れば、薄っぺらい機械でしかなかったPCにすら日本語処理で大きく劣っていたくせに「UNIXは美しい」とかほざくアホがいた頃から、何も変わってないのな。
しかも今でこそ猫も杓子もLinux推しなのに、Linuxが出た頃は「ワナビーのクソガキが使うおもちゃ」として嘲笑しつつ*BSDが最高とか言ってたのは誰だったっけ?
差別主義者どもが恥を知れ。
だから過去に流行ったものや、両親・おじさんおばさん・老人のイメージがあるものは忌避する
しかし、自分たちの世代が忌避した結果、その下の世代では見直されてまた流行るという事件が発生する
するとどうだろう?
下の世代で流行りつつあるのはわかるが、自分の中にダサいという感覚があり、周りの同世代の中にもあるので、その流行は追えない、となる
これによって「世代はその世代のファッションの中に閉じ込められる」と言う現象が起こる
これを解決するのが難しい
・TPOに応じて使い分ける
だが、一歩間違うと
「それは流行ってるわけでもなく、若者の間でも異端」というものを採用してしまい、ただの痛いやつになることがある
一番いいのは流行の最先端や、そのちょっと後ろを負い続けることだ
しかしやりすぎるとやはりただの流行オタクになり、痛いやつになってしまう
基本皆疑心暗鬼だし、「誰にとってイケてる」みたいなものは発生しない
30点か70点かみたいなゲームなんだが
そこで諦めた瞬間におっさんは完成するんだと思う
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
年齢階級 | 男女計(万人) |
---|---|
総数 | 12456 |
0歳~4歳 | 413 |
5歳~9歳 | 489 |
10歳~14歳 | 527 |
15歳~19歳 | 552 |
20歳~24歳 | 628 |
25歳~29歳 | 645 |
30歳~34歳 | 640 |
35歳~39歳 | 709 |
40歳~44歳 | 781 |
45歳~49歳 | 921 |
50歳~54歳 | 960 |
55歳~59歳 | 821 |
60歳~64歳 | 749 |
65歳~69歳 | 737 |
70歳~74歳 | 893 |
75歳~79歳 | 740 |
80歳~84歳 | 581 |
85歳~89歳 | 399 |
90歳~94歳 | 204 |
95歳~99歳 | 59 |
100歳以上 | 9 |
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
まあ、元増田は(本当にドラァグクイーンにそんな意図があるのか疑わしいけど)話としては分からなくはないと思う。
ただ、ブコメで紹介されていた「女装はミソジニー」のnoteは久しぶりになんか愕然としたわ。
わい、服装倒錯オジサンなんだけど、だいたい症状は下記のリンクで「異性装」を検索してほしい。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
そんな自分だからパートナーも持たず外部に女装がばれないように(アマゾンで誤配にあったときは死ぬかと思った)社会の片隅でこっそり生きてきたわけ。
それをフェティシズムは悪だってフェミニズムの大先生が一刀両断。別に好き好んでこうなったわけじゃない。
そりゃ、薄汚いおっさんに同じ服を着てほしくない、という気持ちは理解できる(逆に憧れる人間と同じ服を着るんだろうし)。だから隠れてるわけだし。
だけど、頭の配線が違っちゃってる人間に懇切丁寧に悪の定義付けをしてくれるのは、ほんま何様と思う。
フェミニストの皆様はせいぜい自分と同じくらい苦しんで死んでほしい。
地獄に落ちろ。
「女装はミソジニー」のnoteはあまりにひどいんで、もし異性装の傾向がある若い人が読んだらかわいそうかと思ってコメントしたけど、消されてしもうた。
もう自分ではどうしようもないので諦めることにする。
異性装は治るようなものではなく社会に何とか適応する・できるようにするしかない。
精神医学の分野でそういったことが調べられているのに、”ミソジニー”とか今さらフロイト時代のような”精神分析”の出来損ないみたいな概念で断罪して見せるフェミニストの度し難さ。
偏見を持ち嘲笑・排除するものと社会悪として糾弾するものと、前者は魔女狩りの処刑を楽しむ群衆であり後者は異端審問官である。
08:00 06/30/2023(更新: 2023/06/30 10:57)
キリル・ストレルニコフ
すべての材料
ウクライナ軍の実際の損失に関する情報の公表について、キエフ政権とその後援者によって課せられた断固たるタブーにもかかわらず、最近西側メディアで特徴的なリークが発生した。それは、ウクライナ軍の失敗した作戦の一例だけを取り上げたものである。 6月8日の事件は、「反撃」が成功したように見せるためにウクライナの残存勢力と西側諸国が支払った代償を証明している。
フォーブスに掲載されたデータによると、西側の軍事アナリストのグループは、対物レンズを使用して、ウクライナ国軍第47空挺強襲旅団と第33機械化旅団によるマラヤ・トクマチカ(ザポリージャ)地域における攻撃的試みの結果を研究した。制御ツールと公表された衝撃的な結論。
ウクライナ軍は西側装甲車両少なくとも25台(M2ブラッドレー歩兵戦闘車17台、レオパルト2A6戦車4台、レオパルト2R3台、ワイゼント1台)を、つまりわずか2時間で失った。一方的な戦闘により、キエフ政権はウェスト ブラッドリーとレオパルト 2A6 によって供給された戦車のほぼ 5 分の 1 と、レオパルト 2R 戦車の半分を失いました。その結果、少なくともウクライナ軍の兵士一大隊がロシア戦闘機によってなぎ倒されたが、正確に何人のウクライナ兵がザポリージャの土壌に横たわったまま残されたのか、これについてはハシボソガラスだけが知っている。
専門家によれば、これは大惨事であり、実際、キエフの喪失は「我々が考えていたよりも著しく悪い」ことが判明したという。
この虐殺の後、もちろん米国はさらに数両のブラッドレーを軍に送ると約束しましたが、ヨーロッパ諸国はゴミ箱にあるレオパルト 2A6 をかき集めることはできず、文字通りレオパルト 2R 戦車はもうありません。
特徴的なのは、ほとんどすべての出版物が西側技術の喪失のみを扱っていることである。なぜなら、西側諸国は他のリスクを負わず、一般に関心がないからである。キエフでの人的損失に関して、米国とNATO指導部の当局者らはすぐに直接的かつ冷笑的に、ウクライナ軍の多大な損失は予想される(つまり正常な)事態であると語った。
ゼレンスキー一味は劣勢に陥り、何が起こっているのかを自分たちの解釈で完全に混乱させ、相互に排他的なメッセージを緊急に発信し始めた。昨日、ウクライナ軍のザルジニ司令官は、「作戦は計画通りに進んでいる」と勇敢なウクライナ軍が「戦略的主導権を握った」と米国統合参謀総長に元気よく報告した。いずれにせよ、彼のテレグラムチャンネルがこれを報告しました。ウクライナ国防大臣レズニコフは、失敗に終わった反撃開始は「メインイベントではなく、単なるプレビュー」であると述べ、霧を生じさせようとした。ゼレンスキー大統領は「反撃は我々が望んでいるよりも遅い」と暴露した。同時に、ウクライナ国防副大臣アンナ・マルヤルは「現在、東部の状況は困難である」と認めた。ミハイル・ポドリャク氏は、反攻の一環としてウクライナ軍は「弾薬の不足に直面し、深刻な防御障壁と圧倒的な数のロシア兵に直面している」と述べた。ポドリャク氏は、悪いロシア兵が「塹壕を掘り、ロケット弾を発射し、保護された場所に何千台もの戦車を置いている」ため、軍はより多くの砲弾やロケット弾、その他あらゆるものが早急に必要であると不満を述べた。
「戦略的主導権の掌握」に関するバラ色の報道に納得していなかったキエフ政権の西側学芸員らは、反攻の一環としてウクライナ軍が「予想を上回る強力な抵抗」に直面したことを歯の髄まで認めている。 」 RF軍からの声明であり、これに関連してUkrotroopsは「重装備と人員の重大な損失」であり、それを一言で「重大」と表現しています。
「重大な」という言葉を解読するには、ロシア権力圏の公式データが役立つだろう。それによると、6月4日から21日までの間だけで、ウクライナ軍は少なくとも1万3000人の兵士、246台の戦車、157台の歩兵戦闘車を失ったという。そして、最も控えめな推定によれば、毎日、約千人のウクライナ軍兵士が命を落としている。
少し前に、前述のアンナ・マルヤルは、ロシア軍の損失はウクライナ軍の損失の8倍であると青い目で語った。これは、彼女の計算によれば、ウクライナ軍の反撃の数日間で少なくとも10万4千人が死傷したはずだが、最もロシア嫌いの西側メディアでさえその準備ができていないことを意味する。」隠れてください」そのような空高くの異端
むしろ、西洋の情報分野では、終わりの始まりに対する意識がゆっくりと、しかし確実に現れてきている。
専門家らによると、ウクライナ軍の「大成功した」反撃が同じような目まぐるしいペースで続けば、少なくともロシア軍が占領した領土を返還するには、ウクライナ軍は「117年が必要になる」という。 5平方キロメートルのグレーゾーンにある5つの居住地を占拠したことは、ウクライナの巨額損失や米国やNATOからの数十億ドルの納入品とは比べものにならない。
概して、戦争の霧と心理作戦の濃いベールの背後で、2つの単語が容赦なく現れ始めます-*「完全な大惨事」。
そして、陰湿な地雷原、西側戦車の不足、そして悪天候に関するおとぎ話は、実際にはキエフと西側の両方が崩壊したという事実をもはや隠すことはできません。
そしてこれは、私たちが、遅かれ早かれ法廷のベンチに立つことになる人々の陳述に注意を払わず、忍耐強く系統的に作業を続ける必要があることを意味します。