はてなキーワード: 煮詰まとは
そもそも今から20年前、自民党様の小泉閣下With麻生閣下が「今の日本人の数は多すぎるから減らすべき」とか堂々と公言してた政策今も引き継いでるだけじゃん
だから子供一人に教育投資を極振りできる上流階級やパワーカップルやアッパーマス層が貴族教育レベルで教育を施すか、考えなしの底辺DQNが娯楽としてセックスするしかないのでその余波でポンポン子供増やして半グレ化か学生時代の内に将来絶望して自殺か青葉予備軍作ってるだけの二極化をしているわけで
冷静に考えたら、前者に入れるように目指したうえでチャンスが叶えば子作りや結婚を狙うしか普通かやや平均より上の大卒労働者程度の人間は狙える方法がない
大多数の日本人や日本の金持ちや上級国民が持ってなくて、少数しか保持し得ないスキルがあるとかそんなのがあるにしたって、犯罪スレスレもしくは裏稼業的な怪しいグレービジネスやって上流入りを狙うか
それさえない人間はウシジマくんみたいな世界に徒手空拳で半グレやって奇跡を信じて、戦争でも天災でもおこって小〇元首相の祖父とかみたいに言い方悪いがヤクザの犯罪稼業が当たって上がるくらいしか上流階級に入れる方法がない
なのに、自分たちが発達障害や毒親育ちとかそういう奴ほど、異常にハードルが高い虚構の「普通」に憧れるから、そこに付け込んでやれ恋愛工学がとか婚活ビジネスがとかそんなものに惑わされる。
普通に考えたら結婚ができるっていう段階で現代ではもう普通を飛び越えた異常で、結婚できないのが一般国民の「普通」になってるのに、それに狂って最後は青葉コースかポリコレ棒振り回すキチガイフェミになるか、狂って女子高生や幼児を誘拐して速攻警察にとっ捕まるキモカネオッサン化して破滅していく
それなりに賢い普通の増田は、男も女も口に出さないだけで、そこそこ家同士のつながりや共働きの財を合わせて結婚して、子供は育てるとか、セフレ関係でとどめてとっかえひっかえした後消去法で嫁や夫を選ぶ「古い」とか「悪い」とバカにされる方法を取って、承認欲求に狂った発達や毒親育ちの増田が奇行のような試行錯誤を繰り返すのを愉悦をもって見ている
そういう「本音側の残酷な現実側の人間」にならないと、増田や女増田が血涙流して渇望するほどやりたいと思っている刀剣乱舞とかみたいなイケメンや、FGOとかアズレンとか艦これみたいな女子校生とか女子中学生くらいの美少女と付き合うなんてスタートラインに立てないのに
本音と建て前という文化が薄まったから、建前信じて不幸になる奴がいるわけだが、このコロナ禍で犯罪や他者に危害を加えるほど煮詰まった「建前信じた側」の人間が大量に出てきている
いつの時代も、ありもしない青い鳥を追う人間ってのは、他者の食い物にされるんだなと思うと、俺はそういう増田たちが憐れにさえ思えてくる
・好きな野菜適量(ナス・ズッキーニ・人参・玉ねぎ・アスパラ・パプリカ・じゃがいも・ごぼうなどその時あるもので良い)
・好きな肉適量(鶏肉・豚肉・ベーコン・スパムこれもその時あるもので良い)
・トマト缶(1個)
・玉ねぎ(半分)
・塩コショウ
・コンソメ(1個)
・ウスターソース(あれば)
2.フライパンにサラダ油を弱火で温め、みじん切りにしたにんにくを炒めて香りを出す
3.にんにくの香りが出てきたらみじん切りにした玉ねぎと塩コショウを投下してしんなりするまで炒める
4.玉ねぎがしんなりしてきたらトマト缶、コンソメ、ウスターソースを適当に入れて混ぜる
5.そのまま弱火で放置する(煮詰まってきたら火から下ろしておく)
6.5を放置している間に野菜を切る(じゃがいもや人参などの火の通りにくいものは半月切り、その他は適当)
7.野菜を耐熱ボウルに入れ塩コショウとサラダ油を全体に油がまわる程度に混ぜ、電子レンジでチンして火を通す
8.チンしている間に肉を切って塩コショウで焼く(焼き目がある方が美味しそうだから)
9.肉と野菜に火が通ったら全てを5のトマトソースと合わせて炒める(全てに火が通っているので馴染ませる程度)
若い女やイケメンを囲いたいってつまり10歳年下なら10年前の自分を思い浮かべたらわかりやすいけどよ
例えば10年前なら俺が高校3年生くらいの時なわけだが、今思えば自分をぶん殴りたくなるくらい世間知らずのクソガキだったわけで、
若い女やイケメンをそういうもんとして認識してないと異性と付き合うなんてできないと思うし
そんなものは嫌だと認識を否定して青い鳥症候群に陥ってさらに狂気に煮詰まって狂ってポリコレ棒振り回すフェミか女子高生とか幼女誘拐して警察に捕まるオッサンみたいなのが多すぎる
付き合って囲う異性なんて高級家具やペットの一種みたいな認識でニュートラルにしているから、手に入るし維持できるってところが本当なんだろうな
前回、Twitterに適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。
前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近でオタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。
書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。
本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的なものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単に説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。
具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。
前回述べたように、俺はtwitterを検索エンジンとして活用し、気に入った作品の二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的に評価、消化しかしなかった事が自身を完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。
とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。
どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれ、SNSのタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)
常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。
これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。
Twitterをメインにした定点観測にはいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーやSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterのタイムラインは9割以上ノイズだからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザがおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズ、ノイズ、ノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)
で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)
これらの主な利用方法としては、該当ツイートの巡回、検索だった。IFTTTはツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザがいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイートの巡回を諦めることになる。
(IFTTTの有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )
(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)
結局は無料サービスにフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTTに依存しない情報収集を考える事はいいきっかけだったのかもしれない。
こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいから交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しのアイコンを用意し、無難なプロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間でツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである。
ツイートにいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字がフォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムラインは自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新でシークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。
あたふたした俺はくそつまらない無難なツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートにいいねやリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。
定点観測時代、推し関連のタグでツイートを巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートにいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句…互助会みたい」
はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情を定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイートを巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。
しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねやRTを送り、また自身のツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的な障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである。
俺ははてブの互助会を擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。
評価指標となるいいねやブクマといったものは、当事者間ではカジュアルな肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪的であると糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。
それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思は存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会的文化に、それも破壊されることになる。
ここで述べる"互助会的文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。
それは決まって形式的な挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的な挨拶ツイートと、それにつくいいねのインフレ。ツイートに付けられるタグや画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲの推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?
とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。
そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さないフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない。
俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである。
先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式が内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。
ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い。
たしかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長な挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。
前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分の理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。
だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑なタイムラインを受け入れた時、自分も煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。
ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的に評価したり、ノイズにイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。
本当に好きなコンテンツを摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。
先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。
でもキモくて金のないオッさんは…とかウジウジ寝言ほざいている某増田とかも合わせて見てて思うけどさ
あらゆる真っ当な努力や方法を試した上でダメでもうルール破りの手段以外しかモテる方法が自分にはないから断腸の思いでってのならまだわかるよ
でもそいつらほぼ全てが真っ当な努力や方法なんかやったって勝てないくらい終わってる低スペックだからって言い訳にして楽な非合法手段しかないって考えのやつばっかじゃん
そんなん調子に乗ったアホな大学生や無敵のニートや底辺のオッサンが不躾に開き直って考えなしに犯罪に走るのと同じじゃねーかって思う
たまに自分の子供や連れ子を殴り殺して警察に捕まって事件になる底辺DQNが逆算したら相手はJKの頃に産ませてるみたいな事例を見て
暴力やアウトローになることこそ最大のモテチートに違いないと思い込んでる節がある
実際は普通の人間なら相手にもしないし関わったらヤバイ階層の底辺同士がくっついているだけなので、底辺DQNは本質的に非モテに入るって散々専門家とか警察からも解説されてんのに
「でも実際にJKに中出しできてるじゃん」とお前ら頭おかしいのか?としか思えない結論で同じOSでも頭にインストールされてんのかってくらいことしか言わない
いやーすごいね。近年インターネットでここまでの罵詈雑言飛んでるのウヨサヨ界くらいだと思ってたけど、Instagramなんてキラキラ空間で人種差別に死ね死ね呪うに逮捕されろのヘイトスピーチてんこもりが見れるとは思わなかったね
女性利用者が多いから自然とヘイトが煮詰まって(エコーチェンバーっていうんだっけ?)こうなるんだろうが、木村花氏がインスタグラムの誹謗中傷で自ら生を手放したことがなーーーーーんにも響いてないんすねこの人達。いやはやすごい。
それはさておき、昨今の三浦春馬に関する陰謀論の盛り上がり方は異常だと思う
まあね、突然のことだからね、悲しみに暮れたり一生懸命前を向いたり、受け止め方は色々あるさ。
ただね、それで誰かを傷つけちゃならんと思うし、情報も精査してほしい。
見てると「病院の関係者」「元警察OB」なんて陰謀論の定番モノから、「自称竹内結子の従兄弟」「自称霊と話せる女」「著名なイタコ」「占い師」と何でもかんでも「三浦春馬の死はおかしい」と言う人の言葉を鵜呑みにする
特にイタコだの占い師だの常識的に考えたらおかしいだろ!?なんで信じるの!?と思う。私も思う。でも奴らは信じる。
誰かが「きっとあのドラマの主役は春馬キュンなのに○○が盗ったのかもしれない!」と「願望」を呟けば、それがいつの間にか「あのドラマの主役は春馬キュンなのに○○が盗 っ た」と「確定事項」になる
そしてそれをどんどん広めて、該当の○○を叩く。
木村ひさし氏も、アミューズもそうだ。誰かの描いた「かもしれない」が、誰かの妄想の補強にはうってつけで、いつのまにか事実になっている。
ガスライティングてそれ極度の被害妄想のことですよ?精神病よ?お前ら春馬キュンメンヘラにするのか?
多分ずーーーっとこの調子なので、もはや彼女たちが望むとおりにアミューズや演出家が会見しようと彼女達は納得しないだろう。自分達の思い描いた「事件の真相」出ない限り、嘘を付くな!何かを隠している!とほざきまわるだろう。
子供が2歳になろうとしているので、これまでの感想を記そうと思う。
同じく毒親育ちで、自分が子供を持つってどうなの?と考え迷っている人にとって少しでも参考になれば。
私のスペック
・田舎の毒親家に生まれる。叩く・怒鳴る・暴言当たり前、家庭内のプライバシー皆無(机やゴミ漁り等)、過干渉、貧乏なのに見栄を張って周囲に嘘を付き、子供(私)にも嘘をつかせるなどなど毒要素オンパレード。
・今となっては、THE昭和の子育てだったなと思っており、恨む気持ちも薄れ、どうでも良くなっているが、両親は現在進行形でクズなので早く◯んでほしいと思っている。
ちなみに、若いときからクズな人間は年をとるとさらにクズ部分が煮詰まってタタリ神みたいになるので、年取って丸くなるみたいなことは期待しないで離れた方がよい。
・私はそんな家庭で育ったので、結婚・出産に希望が持てず、一人で生きられるよう仕事に邁進した。
現夫とは交際期間が長かったが、その間いつ別れてもいいよう覚悟してあまり依存しないようにしていた。しかし相手のじいちゃんが死にそうだというので、安心させたいという理由でアラサーで結婚した。
その後5年間くらい子供のことは考えてなかったが、仕事がマンネリ化して何か大きな変化が欲しくて、子作りを始めた。出来なかったら不妊治療はせず子供は諦めるつもりだったが、半年くらいで妊娠して出産、今に至る。
・子供が産まれたら超絶可愛いよ〜、子供のことしか考えられなくなるよ〜との前情報があったが、そんなことはなかった。理由なく泣き続けると普通にムカついたりする。結構な頻度で一人になりてーとか思ったりもする。
子供の満面の笑顔とか、肌がもちもちで産毛が銀色に光ってるのとかはかわいいと思う。
・相変わらず子供全般が苦手であるが、接し方が分かってきたので、子供に対する謎の警戒感が薄れてきた。
・子供との遊び方が皆目見当がつかなかったが、やたら声かけしたり一緒に遊ぼうとしなくても大丈夫っぽい。家事しながら気が向いたら遊んであげたり、あとは公園に行って子供のあとをついていったりでいいみたい。
・子供は、昨日出来なかったことが今日いきなり出来るようになったりする。怖い。
あと、あんまり喋れないのにこっちの言うことはほとんど分かってたりする。怖い。汚い言葉は封印だ。
・今イヤイヤ期に差し掛かり、イライラする場面が増えた。ぐっとこらえ、「この子は私の所有物ではない、言うことを聞かせることは無意味」と心の中で百万回唱える。
それでも怒ってしまった日はかなり落ち込む。なんて酷い親なんだ、自分もあのクズ親と同じだ、と重い気持ちでベッドに入る。次の日が来て、今日は怒らないようにと思いつめながら過ごす。その繰り返し。
・夫に「そんなに怒らないでよ、まだ子供で分からないんだから」と言われることがある。正直、「オ"オ"ン?!」と思っている。
夫は平日休みの仕事で、毎日夜遅く帰ってくるので、朝の一時間くらいしか子供と接する機会がない。そんな短時間であの壮絶なイヤイヤタイムを満喫できるわけない。
しかし休日のワンオペ育児を代われ、と要求するのも現実的な話ではないし不毛である。なので、夫の発言は話半分に聞くことにした。
毎日葛藤して落ち込んで、でも少しずつ子供と意思疎通できるようになってきた喜びは確かにあって、それは夫にはない、私だけのものだ。
10代から20代、家を出たあとどうやって生きるかあんなにグダグダ悩んでいたくせに、結局大きな目的も決心もなく結婚・出産をしたが、今のところ悲惨な結果にはなってはいない。
産んでしまえばどうにかなる、とは言えないが、自分の中の駄目な部分を常に意識すれば、どうにかいける、とは思う。
あとパートナーは精神的に安定した人、楽観的な人だとなお良い。
2歳なんか育児のまだ序の口だろ、という諸兄方もいらっしゃると思うが、子供を持つことに躊躇している人に向けて、まず書きあげてみた。
また節目が来たら書いてみたい。
一応、問題ない行為・グルーピングだけど、他者が間違った使い方をすることによって否定せざるを得なくなるケースはある。
その典型例が「ネトウヨ」で、本来は「ネットで活動する保守派」の意味だったはずなのに、論敵が煮詰まるにつれて「非モテ、ブサイク、無職・低収入」みたいな根拠のないレッテルを張りまくるケースがある。
この際、「ネットで活動する保守派」には異議は無くても、一緒にくっついてくる「非モテ、ブサイク、無職・低収入」を否定差ざるを得ないケースはある。
そういう場合に、
ネトウヨだと言ってるのは論敵のほう
って言いたくなるだろう。
ただ、「一人一派」に「一人一派」以外の意味があるかと言われれば、そんなものはないんで、やはり自分でも問題のある行動だと認識してるのでは...?と思わざるを得ない。