2020-02-01

日本は本当に製造業を諦めて食っていけるのか

製造業なんて古いのは諦めて、これからソフトウエアサービスに変わるんだという話はずっとされている。

GoogleAmazonFacebookを例に、これからはこの方向だ、と理由付けされる。

はいものの、差別化を支えているのは真似ができないほどのサーバーなどのハード資産を持っているからだ。

通常の工場生産設備と毛色が違うのは、汎用性があってラインを組み替えるよりも容易に転用ができる点だ。

中で流すもの食品機械とは異なり、データなので高速だ。ラインを極限まで早くしたのがサーバー群と言える。


日本はというと、国内に有り余るほど計算機は持てなかった。

海外から買ってきて、自分達で作っているわけではないのでノウハウの蓄積もなく産業育成にも失敗した。

サービス時代だと言われるが外貨を稼げるくらい差別化ができたサービスがあるかと言われると疑問がある。

地方パチンコや娯楽に流れていたお金が、スマフォ通信によって東京に流れていって、まだ東京はマシだが全体で見れば徐々に衰退していっている。

地方交付税交付金で一時的地方に戻しているが、地方が頑張ろうとすると東京企業に流れ込む構造で変わらない。


物流よりもデータの方が速く、これからデータ価値を生むと分析結果を出し、じゃあサービスだとと言いたくなるのもわかる。

とはいえお金が誰かの借金とその返済能力で支えられているのを遡れば、資源と誰かの労働だ。

製造業を諦めるということは、そのうち資源というカードを捨てるということになる。

金本位制じゃないんだから国がいくらでも金を刷って支えればいいというのも、誰かの返済能力担保なのだから労働だけで支えられるのか。

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