多様性というのは「現実にそこにある以上、認めるしかないもの」でしかない。
功罪共にあったとしても、その流れを断ち切ることは不可能なんだから、それに合わせて社会を変えていくしかないって話。
それは共産主義が失敗したことと本質的に同じ。「人類の活動」という自然現象を、少数が政治でコントロールするなんて無理だということ。
LGBTを認めようが認めまいが、当事者たちは現実にそこにいる。
「人権は守られるべき」という標語は「多様性」とは何ら関係がない。多様性があろうがなかろうが「人権は守られるべき」である。
LGBTは、女性は、人種的マイノリティは、別に「社会の多様性を担保するために存在している」わけではない。それぞれが生きるために生きているだけだ。彼らの存在が社会の多様性を広げようが狭めようが、そんなこととは関係なく「人権は守られるべき」である。
「多様性が不快なものの許容だ」という人たち、さぞ多様性が不快なんだろうなあと思う。実際は、快か不快かに関わらず、人権にのっとり受容すべきものは受容すべきなのであって、受容すべきでないもの(レイシズムなど)は受容すべきでない。多様性はその結果として生じる。— 北守 (@hokusyu82) January 23, 2020
藁人形と同じ動きする奴に頭抱える毎度の構図
他者の評価が自分の内面を規定してしまうタイプの人がいるんだよな… 「優しい人だね」と言われたら「俺は優しい人だ」となり、「乱暴な人だね」と言われたら「俺は乱暴な人だ」と...
自然現象とあきらめるのは自然現象ではないと思いますよ。
行動はわからないがアカデミックの答えだしな。