はてなキーワード: 感情移入とは
理性や法としての人権じゃなくて、それの大元とかエネルギー原となっている「思いやりの気持ち」っていうのは、ヒトだけじゃなくて、感情移入できる対象全般に向かう。
ヒト型をしていれば思いやりをより集めやすいが、感情移入できるのであれば、別にヒトでなくてもいい。
猫ってのは、かなりヒトの思いやりを集めやすい生き物なわけよ。
そもそもそうやって可愛がられることで生きていたのがイエネコってものだから。
感情移入する対象を殺した、という話に、ヒトは殺人と同様の感情的反応を示すぞ。
厄介なのは、そういう感情を否定すると、理性のほうも破綻するってこと。
https://togetter.com/li/1538542
私はメモが取れない。
正確に言えば取ろうとしてメモ書きをするのだが
理由はおそらく二つある。
ゆっくり書けばそうはならないが忙しい時だと殴り書きになる
二つ:要点をつかめない。
二つ目は私は話の要点をつかめない。というか理解できないことが多い。
他人から人とはずれていると言われていたが、どうも大事にしている箇所がふつーの人とは違うらしい。
その為どうも終日勘違いして作業を行い、後で様子を見てみると意図が完全に違っていたということがままある。
対策としては後者は途中で確認してもらったり、復唱することである程度、減らせる。
しかし確認する相手が時間を取れない場合などがあるとどうもずれたまま時間を浪費してしまうのだ。
ついでに短期記憶も弱いため、一度すべて聞いてからメモを取ろうとすると結構消えている箇所が多い。
正直指示書をメールやslackで届けてくれる場合ミスはかなりの割合が減るが、それをよく知らない相手に伝えるのも気が引ける。
個人的にそんなに関心がなくて、拉致被害者の父親が亡くなったことについてみんな娘に会えずに亡くなったのがかわいそうかわいそうって言ってる状況がピンとこない。
そりゃ本人にとっては無念だろうけど、例えば子供を交通事故で亡くした親とか、同じような境遇の人は世の中にいっぱいいるだろうし…当事者でないのに感情移入できる人がこんなにいるのが謎なんだよな。
いつになったら拉致問題が解決するのかって言う話については北朝鮮を解体しないかぎり無理なんじゃないか? というかそもそもとっくに死んでる可能性が高いのではないか? と思うけどなんでもっと早く解決できないのかとかマジで言ってる人達との乖離を感じるのであった。
軍は軍で矜持とか既得権益があったんだろうけどさすがに現代の感覚で見た時に畑中とか井田の行動原理はまったく共感できるものではなかった。
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
詳しくないなりの解釈としては
1.売れない役者、売出しタレントを起用した、男女のドキュメンタリータッチな描写恋愛ドラマ。カメラワークも含め。
3.ビューアーもヤラセとわかっていながら見ており、フィクションとして楽しみつつも、ドラマよりもリアルな描写のため共感性が高く、推しキャラをSNSでヨイショしたり、嫌いなキャラを叩いたりして楽しめる。
4.そのSNSでの掛け合いも含めてのエンタメ。映画でいう4DX的な。
◆よって叩くビューアーはエンタメの一貫としてやってるのでセーフ。
◆司会的なパーソナリティーも台本に沿っているので仕事。よってセーフ。(山里とかなの?知らん)
バカなのはフィクションに感情移入し、マジに受け止めすぎた、プロ意識が欠如したプロレスラー。って事じゃないの???
間違ってたら教えて。
最初に見たのはBBCのplanet earthのペンギンの回だったと思う。生まれてちょっと経ってやっと泳げるようになったペンギンの子供が海を目指して進んでいたら腹ペコで獰猛なアザラシに見つかって、文字通りの八つ裂きにされて数分後には首から下の大半を食いちぎられて冷たい北極の海中に沈んでいく映像だった。
ある程度成長した動物が捕食される前に見せる必死の抵抗も素晴らしいけど、それよりもまだ抵抗する力もなく、あっさりと捕食者に見つかって数分前まで見せてた愛らしい外見が一瞬でただの餌と化す映像は毎回見るたびに興奮する。
最近はコロナ自粛でずっと家にいるのでストレスが溜まっているせいか、下手したら毎日1,2時間くらいyoutubeで動物の赤ちゃんが捕食される動画ばっか見てる。
俺のお勧めは鳥類の捕食動画。トカゲなどの爬虫類は意外とガタイが大きいので餌を一飲みしてあっけないのだが、鳥類は口がそこまで大きくないので、まだ生きているひな鳥などを捕まえて生きているまま鋭い口ばしで八つ裂きにして食べるというゴア描写がすごい。
ちゃんとした番組が作成した映像だとエグイシーンはカットされてるけど、たまに素人が撮影した動画だと捕食シーンの一部始終がのってたりする。
なかなかエグイのがキツツキの捕食シーン。キツツキは虫以外にもほかの鳥類のひな鳥なども食べている。一番のお気に入り動画はキツツキがひな鳥のその鋭い口ばしでひな鳥の頭を容赦なく叩き潰し、生きているひな鳥の脳髄だけを貪欲に食べあさる動画。食べられてるひな鳥は脳がぐちゃぐちゃにされて翼だけが反射的に動いてる。この動画はここ数週間毎日見てる気がする。
他にお勧めなのがトウゾクカモメがペンギンの赤ちゃんを捕食する動画。小さくて毛がふさふさして愛らしいぺんぎんの赤ちゃんが親鳥から攫われてカモメに首を引きちぎられて食べられるシーンもできればもっと高画質で見てみたい。もっとすごいのになると、ある程度成長したペンギンの子供がトウゾクカモメに捕まって、生きたまま背中あたりを食いちぎられて血液が噴水のように湧き出てる動画。まだピクピク動いてるペンギンの赤ちゃんの内臓を食い荒らすトウゾクカモメの悪魔のような獰猛さ。あれを超える捕食動画はなかなかお目にかかれない。
生まれたばかりのウミガメの赤ちゃんが海鳥やカニやトカゲに容赦なく殲滅される動画もお勧め。できれば蟹さんがどうやってあのウミガメの赤ちゃんをバラして食べてるのか見てみたいけど、ほかの海鳥に見つからないように砂の中に隠れて食べるらしい。この動画をいつか見てみたい。
ただ残念なことに、ここ数か月の自宅謹慎の影響で、自分で探せそうな捕食動画の大半をすでにコンプリートしてしまったことだ。
こんな趣味を書いても大半の人にはドン引きされるだろうけど、1000人に一人でもいいので俺が見たことのないお勧め動画のリンクを教えてくれると嬉しい。
追加:
ブコメにあった昔の増田のリンクすごい!やっぱ増田に聞いてよかった。はてな村の住人なのに見逃してたわ。
でも俺は特に性的興奮は覚えないんだよな。。。voreで動画検索したけどかわいいアニメキャラがサメっぽいモンスターに捕食されるシーンとか、ちょっと違うなー。俺はどちらかというと可愛いアニメキャラが無残に八つ裂きにされて食い散らかされるシーンが見たい。
「きりひと賛歌」のシーンは知らないけど、最近だと「ゴールデンカムイ」で殺人鬼の辺見和雄の幼い弟が野生のイノシシに生きたまま食い殺させるシーンはすごかったね。。。胸糞わるいけどめっちゃ辺見和雄に感情移入したわ。
あーあ、できることなら「けものフレンズ」でかばんちゃんが友達だと思ってたサーベルちゃんに腸食いちぎられて絶命するシーンが見たいなぁ。。。どっかにそんな同人漫画うってないかな。
追加2:
>キツツキの動画は見てみたいと思った。なのに動画リンクがなくて麻呂になりそう。
アリやゴキブリ
魚は胸が痛まないのにマウスに感情移入しかけるのは哺乳類である証であると思う。
人のほんの僅かな延命の為に生かされたり、殺されたり。生命倫理は考え出すとキリがないが焦点を当てる事が大事なのであって、正解を出すのが目的じゃない。
お互いに日々を大事に生きよう。
(これまでの主流)
■殺人事件を私立探偵が解決するミステリ(本格ミステリの王道)
(問題点)買ってきたケーキを誰が食べたかとか教室の鍵が勝手に掛けられてたとか解決しなくても誰も困らない問題が大半
以上の点を踏まえてこれから流行るだろうと思われるミステリをいくつか考えてみた
人はなぜなんのために生まれてきたのかといった謎を解明するミステリ
解明してみせたところでそれが正解なのかどうなのかが確認出来ないのが難点か
身の回りで何か起きるたびに全て政府の陰謀だったり諜報機関の仕業にして解決するミステリ
主人公がただのキチガイっぽく見えてしまうので感情移入出来ないのが難点か
■事件や謎が発生する前に主人公がすべて食い止めてしまうので何も起こらないミステリ
そうそう、
一時期見続けたんだけど、
ふとあんまり面白くないから見なくなったのを機に途絶えてしまったんだけど、
今のやつは観てるわよ。
あの独特な朝ドラの息苦しさがなく、
録画録って観るぶんは毎日楽しみなんだな。
二階堂ふみさんも好演だし、
見ていて楽しいわ。
裕一さんが銀行に勤めていた頃の手練れのコント集団と言っても過言言い過ぎではない、
そこ好きだったし。
今のところ曲書いてレコードが売れてないってだけの苦労で
見るに明らかな明確な敵がいなくて、
周りみんな仲間って感じなので見ていても変なハラハラが無いのよね。
だからちょっと埼玉の映画も観てみたいな!って思った次第なのよ。
いきなり予習無しで見るのもまたいいもんだわねって。
今から残念だけど、
だって窪田正孝くんだってどう見ても街のチンピラにしか見えない映画にしか出てなかったから
初めは、えーって思いながら見てたんだけど
感情移入していくと、
マジで。
うふふ。
やっと巡り会えたわ!
久しぶりに食べるトメイトは美味しいわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
べつに勝手に言わせときゃいいだろ 白人と実生活で関わりないし、今後関わるとしても仕事とかだろうからアニメのことはどう思っていただいてても結構
ジェンダー感覚の話もどーでもいい 俺が女性と関わるのは仕事関係だけだし、雑談みたいなのもほとんどない 結構願望もないから今後婚活なんかをやることもない 女性が上昇婚志向だろうと男性が女性蔑視を内面化していようとどうでもいい 俺には関係ない 勝手にやってればいい
なにか関係ある論争があるとしたら、まあ政治関係か 行政は俺にも降りかかってくるからな
でもそれにしたって、俺にできることって言ったら結局は選挙に行って一票投じるだけだ それにしたって政権監視頼んだ!とおもって共産党に入れてるだけだ
なんつうか、全部どうでもいいんだよな
なのに怒りだけ受け取ってしまう 俺が怒ったってしょうがないんだ 関係ないのに
「寝取りと寝取られをNTRで括るな」派のタカ派だったんだけど、結局のところ誰に感情移入するか・させるかの演出上の匙加減の話に過ぎないのではないかと思い始めているんだけど、どう思う?
これなあ そうなんですよ 寝取られあるところに寝取りありですからね 「日本国内にある上り坂と下り坂はどっちが多いか」みたいな話だ
でもやっぱりその演出上のさじ加減がどっちに寄ってるかってのが大事なんじゃねえかな 寝取りモノでビデオレター撮影して郵送するシーンとかあんまりないじゃないですか せいぜい写真とってLINEで送るくらいでしょ
寝取る側にしか見えないものもあり、寝取られる側にしか見えないものもある どちらを見たいかっていうのが寝取り派・寝取られ派を決めているんであればやっぱりそこは峻別した方がいい気がするなあ
確かに誰でも一発で理解できるようなシンプルな勧善懲悪なんかじゃないと思う。
冒頭部分からちゃんと映像を見て、キャラのセリフもちゃんと聞いてないと誤解するような部分がある。
実況を見るのに夢中になっていたら見落としてしまうような所なのかも知れない。
語るならせめてその部分は理解してもらうか、そうじゃないならおっこカワイイだけ言って終わらせていて欲しかった。
おっこが何を感じて何を乗り越えたのか、山ちゃん(山寺宏一)の演技のどこが凄かったのか、そういうのが分からないならあの場面について何も語って欲しくなかった。
自分は、何者も拒まないような高潔な心の持ち主にはなれなかったからそう思ってしまう。
どこの話だよ?って
ネタバレを回避するために自分の気持ちを先に書いたから分かりにくい文章になったのは謝る。
自分が言いたいのは「木瀬文太(キャスト:山寺宏一)が起こした交通事故は貰い事故であり、彼は加害者でもあると同時に被害者でもある」ということだ。もっと言えば「木瀬文太に対して怒りや憎しみの感情をぶつけることが正義であるかのような態度を取るのは、この映画の描いたものを貶めるような行為だと理解して欲しい」ということである。
冒頭の事故において、木瀬文太本人に落ち度があったかといえば、間違いなくあった。
彼が完璧なハンドリングをしていれば、二次災害で死ぬ人は居なかったかも知れないからだ。
同時に、彼が全てを諦めてしまえば、もっと大勢の人が死んでいたかも知れない。
そしてこれが何より重要なのだが、『彼自身の落ち度は彼の運転者としてのモラルに起因するものではない』。不可避の貰い事故の被害を最小限に食い止めるに足るだけの神業じみた運転技術を持っていなかったことにある。
これで彼が責められるのは理不尽と言っていい。
だが、ハンドルを握るということはその理不尽を背負うということだ。
そのことを彼は理解していた。
彼の口にする「俺なんか」という言葉は、彼があの事故に対して責任を感じている証拠であるし、周りに八つ当たりのような態度を取るのも後ろめたさにより精神がいつも張り詰めていたからだと分かる(それらが観客に伝わるように演じてしまう山寺宏一がこれまた凄いんだが)。
では、本人が自分を責めているのなら、彼を許すべきなのか?
それを決める権利があるのはおっこだ。
おっこはとんでもない小学生だ。
今自分が書いたようなことを、事故の当事者という立場でありながら理解している。
許せないという気持ちが自分の中に湧き上がってくる中で、自分が今思っているような気持ちと鏡合わせの「許されない」という気持ちを木瀬文太が抱え続けていたことを理解してしまう。
彼が自分と同じ被害者であることを感じるだけの極めて高い共感能力を発揮する。
だが、それはおっこ自身を板挟みにすることになる。
小学生の身で事故で両親を失った悲しみだけでなく、事故で誰かの両親を奪った人の悲しみに対する共感まで背負い、許すか許さざるかの決断までもを迫られる。
この世界にある理不尽に対してどう向き合うかの答えをいまここで出せとばかりに現実が迫ってくる。
ある種の限界状況(カール・ヤスパース)を前にして、おっこの出した答えは「花の湯温泉の若おかみとして全てを受け容れる」ということ。
この選択が『正解』であるとういことは理解できても、それを小学生が選ばされるということ自体があまりにも理不尽であり、そこがこの映画最大の精神的にキツいシーンとも言われていますね。
このシーンに対して「うるせー木瀬文太死ね!」とか「コイツ人を殺しておいてのうのうと塩気が足りねえとかステーキうめーとか信じられねえよ」なんて感想を出して欲しくないんですよ!
こういう人達がどうしてこんなに怒れるのかって結局の所「自分は木瀬文太みたいなことは絶対にしない」と思ってるからだと思うんです。
自分が同じ立場になる可能性なんて考えてもいないから、木瀬文太がどういう気持ちで暮らしてきたかも考えられないし、彼に対してぶつける怒りなら絶対的に正義だと勘違いできるんでしょう。
ちょっと考えれば分かりますけど、貰い事故食らって半分被害者で半分加害者になるような事象に遭遇する可能性が0%の人生なんてどこにも存在しませんよ。
車の運転なんてしなくても、自分がドミノのパーツに組み込まれて意志とは無関係に他人の人生を破壊する羽目になる可能性なんてどこにも潜んでます。
そんな理不尽なことだらけの世の中で、みんながお互いに支え合って許し合っているのって尊くて暖かいなあって映画じゃないですか。
嫌なことがあったらそれっぽい理由をつけて攻撃的になるのは当然だと思います。
実際この映画でだって、最初のお客さんを通して観客にそのことを思い出させて来てますもの。
でも、それと対比するように自分の気持ちを飲み込むおっこが凄いって感動する映画でしょ。
そのおっこの健気さがあるからこそ、おっこに感情移入して、だからこそそれを傷つける相手が許せないから怒る、そこまでは分かりますよ。
でも怒ってるから相手に対して何言ってもいいみたいなのってどうなんでしょうか。
ましてや滅茶苦茶な屁理屈で相手の人格を否定するなんてアニメのキャラクター相手でもやるべきではないでしょう。少なくともこの映画の感想としては。
貰い事故であっても木瀬文太が交通事故を起こしたことは許されないことかも知れない。
でも木瀬文太が交通事故を起こした人間だから、正義の鉄槌でボコボコにしてもいいとか、事故を起こすような奴が幸福に生きようとしてはいけないとか、そういうのは違うでしょ。
ひき逃げした人がインターネットで叩かれているのを見て、交通事故の加害者は無限大にその人間性を否定していいと勘違いしているんでしょうか……。
こんな言葉を使いたくはないですが「同じ映画を見ていたとはとても思えない」ような感想が沢山あって驚きました。
以上です。
音楽ですらYouTubeで最初の30秒でサビが出ないと飛ばされる時代に何時間もやってられない。
キャラの生い立ちなど、もう負の設定はインフレしてしまっている。
貧乏や家庭環境の問題を提示されてもありきたりの設定と感じてしまうし、わざわざその問題を解決するために主人公が動くとか、そういうのに感情移入するのも怠い。
ゲームを10分して、Twitterで返事を返して、と短時間のサイクルを通知で繰り返すのに合わない。
1人で時間が余っていて、作品に没入しても問題ないという環境はもうない。
学生と接しているとわかるが、とにかくコンテンツのハズレを引きたくない。
お金も無駄にしたくないのもそうだが、何時間もかけるだけのコストに見合うかどうかを気にする。
仮に大絶賛されるようなゲームだったとしても、他人に同じ時間だけ使えっていうのは言いにくい。
顔出しでエロすげーとは言いにくい。