はてなキーワード: 感情移入とは
SAOとか東京喰種とか、ゼロ魔とかブリーチとか、とあるシリーズとかいろいろ。
でも大人になって、今はやってるなろう小説見ても面白くないんだよね。
多分似たような物だから、昔の自分が見たらハマったと思うんだ。
でも今はハマらない。どうしてだろうかと考えた。
結局、「オタク批判」とかで昔から言われていた事が正しいんだと思う。
自分は昔は社会を知らなかった。そして自分は自分の事を知らなかった。
子供特有の、「何もしてないから」こその無限の可能性。若さゆえの全能感。それを持っていたからこそ、「最高主人公」に感情移入できた。
その自分の幼稚さに気付くヒントは、最高主人公の作品の中にいくつもあったけれど、当時は気付かなかった。
でも今は知っている。受験を必死に頑張った。サークルで頑張って恋愛しようとした。文化祭も力を入れた。イラストレーターになる為に頑張った。
全部失敗した。自分は、「実はすごい」でも「最強」でもない。頑張っても、強くなろうとしてもなれない。覚醒もしない。
血と汗にまみれて、怠惰な自分に向き合って、やっと小さな成果、それもすぐ吹き飛ばされるような物が見えるだけ。そこにはカタルシスも何も存在しない。
『追放もの』にハマる人なんかは、まだ救いがある。まだ自分の可能性を信じているからだ。
でもそんな気力さえ残ってない。
そんな自分でも好きになれるような物語を探してみたけれど、見つからなかった。
昔オタクを批判していた人の読んでいたような、「大人の本」を見てみようとした。恋愛、推理、愛、戦争、社会……
結局そこには、形を変えた「実は凄い」「最強」があるだけだった。
読者の無知につけ込んだ物語。自分に可能性があると信じている人の為の物語ばかりだ。
自分には恋愛小説みたいなものが出来ないと気付いたら、次は戦争作品を見る、そして社会派に行き、推理に行き……
そうした無機質で無意味なループを一生繰り返して、最後は死ぬのだ。
ならば、どういう物語が良いのだろう。
まず、感染病対策に改憲はいらないということは初学者レベルの教科書や判例集の知識でもわかります。意見がどうだ、議論がどうだ、ではなくて、順当に考えていけばそうなるはず。
それは置いておいたとしても。
仮にコロナ対策で正当な補償の下に私権を制限する立法をしたとして、それを訴える市民がいて?、しかも最高裁が違憲判決下す?って、本気で思いますか?コロナのための改憲を謳ってる人が本気でそう考えてると、思いますか?完全補償しろなんて誰も言ってません。
「改憲しないと対策できないぞ」っていうのは本当に悪質な脅迫です。人の命かかってんのに。
ぜんぜん関係ないけど、悪役って目的達成したあとに人質殺しがちだよね!なーに、映画あるあるの話ですよ。
話を戻すと、同性婚もそうだけど、改憲が不要なのは単なる事実。なのに報道では「そういう意見もあります」って議論の一意見みたいに扱われて、本気で一意見だと思ってる人もたくさんいる。
これが、私はめちゃくちゃこわい。
一度、数ある見解の一つだと思ってしまったら。例えばワイドショーを観て「世の中をよくするために必要な」改憲が必要って思う人が現れる。すると、違うんだよ!って説明する側が「相容れない存在」になってしまう。ホントのことを知って目を覚まして欲しいだけなのにね。
話し合おうとしても、闇堕ちした仲間を元に戻すことって難しい。だって闇堕ちする人って敵につけこまれて色々吹き込まれるじゃん。根っこの認識からねじ曲げられちゃってるんだもん。その事に気付けるきっかけがない限りは無理よね。
認識をねじ曲げられたってことには悪役が目的を達したあとに気づかされがち。映画あるあるの話ですよ。
「改憲しないとできないと思ってた事はしなくてもできた?…そうやって言う人もいたねぇ、、え?そんなこと知らなかった?君が聞く耳を持たなかっただけだよ、ほら。そこにいるの仲間じゃないの?ずっと言ってたじゃないの。市民仲間の反対に遭ってもワタクシと共に改憲を選んでくれた、有権者の意思と責任の下に。本当に助かったよ!
あぁそれより、その人質の心配した方がいいと思うよ。ま、この国で初の偉業を成し遂げさせてくれてありがとう!フハハハハハハ…」
映画ならここからとてつもないパワーを発揮して大逆転する展開ですね。
敵がいかに邪悪か、悪行を最後まで示すことで、観客は最大限主人公に感情移入できるから。そして人質もなんちゃらパワーが目覚めて回復してめでたしめでたし。
そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞のキャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ「世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。
そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢の友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。
結果、最高。
本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまったことで生まれる葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せな時間はうたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。
それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃ歌うまいの?????? 私と同じ生き物ではない。
すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める。
しかも、現在進行形でこのコロナ騒動で翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。
まず一つ目。
現在私の学校は集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校の映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。
一日中パソコンで映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!
しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史を勉強する日々……。
「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字を勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。
読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)
文字と戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。
「みほとせの部隊が竹千代を保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康が征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城の造成と郷帳、国絵図の作成)」
とか、
「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」
とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。
個人的に、榎本武揚の五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これからの日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これからの日本に役立ててほしい」となんと敵方である新幕府軍の黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルであんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。
黒田清隆、死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。
しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭を戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。
話が脱線した。
でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう。大学受験はどうなるかわかんないし、志望校に受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史を勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。
ならいいや!!
二つ目。
運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭も夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達の引退ライブもたぶんできない。
つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。
でも!!
ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。
そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業の俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。
もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。
私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。
のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか。
主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか、
そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。
受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています。
最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。
どう味わえと。
昭和の人間が昭和のコンテンツを思い出補正で面白かったと言うのは自由だけど、それを「今の若者にも見てほしい。今やっても楽しめる」とか言い出すときっつーーーってなる
子供にスーファミプレゼントしますって言われても自分が子供だったら「そんなの要らないからスイッチくれ。せめてモニタに繋げられるミニスーファミにしてくれ」って思うし、未来少年コナン再放送しますって言われても最近のアニメを見た方が100倍有意義だと思う
もう一度言うけど個人が過去に浸って懐かしむ分には別に良い。しかしそこから「もう新しいアニメ作らなくていいから再放送だけでいい。昔の方が良かった、面白かった」とか言い出すとキツイ。そういうことを言い出す奴ほど知識の更新が止まっており、最新の経験が無い典型的な「昔のは知ってるけど今は興味が無く、過去の知識だけで語りだす老害」なんだよな。君が見た、やった最新の作品は何?と聞かれても答えられないタイプ。あるいは他人から聞きかじった知識やまとめブログで見た程度の情報で語りだすアレ。
「今のゲームだと映像がきれいだから、想像力を使うことがない。ドット絵のゲームは、十分感情移入ができる。想像力を働かせて楽しめるのが魅力だと思う。子供らの何人かでも、スーパーファミコンの良さをわかってくれたらうれしいですね」。
スーパーファミコン100台、ソフト2本付きで無償提供…日本レトロゲーム協会・石井豊理事長「親子で楽しむ時間にしてくれたらうれしい」
この石井豊理氏が語る「今のゲームは映像がきれいだから想像力を使うことがない」という発言そのものがまさに「自分の想像できる若者像の限界」なんだよなぁ。
例えばこちらの記事にある「小学生が一番遊んでいるゲームタイトル」2位マイクラ、3位どうぶつの森なんてまさに想像で楽しむごっこ遊びゲームなんだけど、石井豊理氏は1時間でもいいからプレイしたことはあるんだろうか?
もうね、オトナ帝国の懐かしい臭いにハマって幼児退行している大人そのものなんだよ。勝手に過去に生きてろよ。若者を巻き込まないでほしい。
岡村氏の風俗に対する発言が物議を醸している。これは到底擁護出来るものではないという見方が強く、インターネット上でも彼を非難する意見が大勢を占めていると言っていいだろう。
しかし個人的には、彼を非難するだけで良いのだろうか?非難している側にも問題があるのではないだろうか?という疑念が湧いてくるのだ、本稿ではそれをまとめてみたいと思う。
世間は彼の発言を「この先美人な女性が不幸にも風俗に身をやつすことで、金の力を以て性的に搾取出来ると期待している」と解釈しているように思うが、これは正しくないと思う。
このような見方は、単純に言って風俗嬢=弱者 客の男性=強者という力関係を前提としており、その権力構造の中で男性による女性に対する性的搾取が行われている、という世界観に基づくものだろうが、おそらく岡村氏自身及びリスナーにこのような考え方は全く馴染まない。
風俗に行くような男性というのは、まあいろいろな例外はあるにせよ基本的にはモテない男性である。
自由恋愛の中で性的な関係を満足に築けない男性が、お金を払って女性に相手をしてもらう為の場所であり、少なくとも本人の自意識の上で客というのはヒエラルキーの最底辺に属するものと思われる。
つまり岡村氏の視座から見れば、風俗嬢というのは最大限に言っても対等な関係であり「今後極短期間だけ風俗業に従事するかもしれないが、まだ従事することのない美人」については、これは当然雲上の存在である。
そんな雲上人がもしかしたら自分たち下々と同じ地平に一定期間だけでも降りてきてくださるかもしれない、ということを彼は楽しみしているわけで、
世間が思うような上から目線の搾取の希望などはなく、とてもとても下から目線の弱者視点なんだろうと思う。
それがリスナーという一般人の非モテ男性に憑依したことで獲得された態度なのか、自身のもともとの女性に対する屈折が招いたものなのかは定かではないが、
そんな超一流売れっ子芸人とはとても思えない弱者的な眼差しから齎された意見なんだということが誤解されていると感じる。
しかし、仮に上で類推した意図が正しかったとしても、この先美人女性が望まぬ性風俗への就業を余儀なくされるというのは一般的には不幸なことで、そのような不幸を喜ぶ態度は非難されて当然である。
という反論が出てくるだろう。だがこの反論には2つの問題点があると感じる。
まず一つには、女性の望まぬ性風俗への就業を支えているのは、上述したようにまさしく望まぬ禁欲主義(Involuntary Celibate:インセル)的な男性の欲望である。
風俗嬢がいなければ欲求の解消も出来ない男性たちが、性風俗への就業を「本来なくさねばならない不幸」と捉えることが、果たしてどのように可能だろうか?
個人的にはそれは、無理がある話だと思う。
もう一つ、なぜ殊更この先風俗嬢になる人間についてだけが取りざたされるのか?ということである。
望まぬ性風俗への就業というのは、既にしていままでにも幾らでも起こっていることである。だからこの先も非難するな現状追認せよという話ではない。
つまり、望まぬ性風俗への就業自体を問題視するのなら、風俗業自体の解体を唱えなければならないはずだということだ。
仮に岡村氏の発言が「風俗にはほんまお世話になってて、僕風俗なしではやっていかれませんわ」というようなものだった場合、これほど叩かれただろうか?おそらくは全く叩かれていなかったろうと思う。
だが、そのような風俗の肯定はコロナウィルスなどとは無関係に望まぬ性風俗への就業の肯定に他ならず、その点については今般の発言と全く同一の地平にあるはずだ、批判者の中で何が違うのか?
コロナウィルスの被害で性風俗嬢にならざるを得なくなるというのは身近で感情移入可能だが、それ以前にあった貧困や教育機会の喪失による就業は遠い世界の出来事なので切断しているのではなかろうか。
結局そのような世界観は、インセル的な客の男性のことも、現在風俗業に従事している女性のことも切り捨て、善意の第三者として勝手に他者を哀れんでいるような空理空論に思えてならないのだ。
とは言え、彼のラジオ番組は風俗関係者と客だけが聞くようなものではないので、無関係の第三者が聞けばぎょっとして気分を害すものであったのは間違いないところだろう。
ニッポン放送及び本人が謝罪せざるをえなくなるというのは当然の結果ではあると思う。
だが、彼が謝罪することに依って何が起こるだろうか?
謝罪は当然こういった内容になるだろう。
「先般のわたしの発言は女性への配慮に著しく欠けておりました。コロナウィルス被害に依って女性が性風俗業へ従事せざるをえないというのはあってはならない不幸で、そのような不幸を楽しみにするなど言語道断なことでした、ごめんなさい」
しかし実態はどうだろうか?やはりコロナウィルス被害によってそのような職を求める女性というのは増えるだろう。
その事実に対して、上述の謝罪は性風俗への従事=不幸というスティグマ化を強烈に強める効果しか齎さないのではなかろうか。
それは風俗業というものを更に一段下のレイヤーに落として不可視化し、風俗嬢及び客にさらなる弱者意識を醸成させる結果にしかならない。それは控えめに言って地獄であろう。
だからこの騒動を奇貨とするならば、岡村氏の考えなしの発言を非難すればいいなどという無邪気な考えでは駄目で、そもそも社会として性風俗をどう考えるのかを問い直すべきだと私は思う。
ということを最近とみに感じるようになった。
少なくとも、本当に最初に成人向けコンテンツに触れたあたりでは
まだそこまでこじれた性的指向はなかったと思う。
当時から触手やオークに女の子が襲われるシチュエーションは好きだったけど、
でも基本的にモンスターであまり意思がないので、単純にぬるぬるしてて
割と女の子も(手段はどうあれ)気持ちよさそうになるやつが好きだった。
けど歳を重ねるにつれて、どうやら自分は社会の底辺なんだということに
薄々気が付きはじめた。何をしてもどんくさくて笑われるし疎外される。
みんな愛想笑いしてるが、本心ではこんなゴミと一緒に居たくないと思ってるのだろうなと
そういうことがようやくわかるようになったあたりで、
攻め役が人権を剥奪して罵倒し暴行まがいの行為をする話に興奮するようになった。
あれこれ作中で顔なし主人公が褒めそやされてもまったく感情移入できない。
たんなるフィクションだとはっきりわかる。
ラブラブなイケメンと美女がエッチしてるのはそれはそれでいいなと感じられるし、
ある程度は興奮もする。まあ普通に絵がよければヌける。
でも罵倒されて豚以下の扱いになる話の方が十倍くらい興奮する。
肯定された気分になるのだ。人間捨てて獣みたいに這いつくばって
喋んな動物らしく鳴いてろみたいな話も、
もう一生懸命考えて口に出した言葉でみんなが変な空気になることもないと思えば
嘲笑はされるけど、それは頑張った結果嘲笑されてるわけじゃない。
そのままバカをやってバカだと笑われるだけだ。裏切りはそこにない。
頑張れやればできるなんてまったく思ってもいない言葉を吐かれて
結果できないやつだと笑われるよりよほど単純明快、わかりやすくていい。
周りは何も求めてない。クズがみじめに踊ってれば笑える。それで十分だ。
もちろん、実際にそういう行為をやりたいわけではないし、
当たり前だが痴漢も拉致監禁強姦も違法薬物も全部犯罪だしやる奴が100%悪い。
うんこしか食えなくてもケツからアルコール注がれても死なないしね。
頑張れ前向きに生きろ努力して偉くなれなんて誰も言わない。
https://heimin.hatenablog.jp/entry/2020/04/17/111700
読みづらいので、改行入れてみた。
一日中家から出なかった。一日中家から出ない、くらいのことは別に普通なのに、今この言葉を書くと、なんか意味を持つようになってしまう。自粛しての結果、みたいな。
しかし思ったけど、2月29日の元町1003でのイベント時、はっきり記憶にあるのだが私はあわててぎりぎりの時間に会場に行ったので、会場に着いた時からぶわっと汗が出てきて、「マスクしたほうがええんかなーしゃあないなー」くらいの感覚でマスクをしていて、でもそれがうっとおしいから鼻を出したり、アゴにひっかけたり、またマスクをしたり、やっぱりうざいとアゴにひっかけたり、そういう動作をマスクの口のとこをぐしゃっと掴んでこう、ぞんざいに繰り返してしゃべっていたんだけど、今ぞんざいに、とか書いたけどよ……、自分にとっては当時マスクの扱いってそれくらい雑なものだったんだよな……。当時て。
あれからまだ一ヶ月ちょいしかたってないんやで。それでもう今の自分はマスクの口のとこをぐしゃって持って何かをしたりしないし、鼻と口を覆ってちゃんとマスクをしている。この変わりようというか、変えられようというか、この一ヶ月、二ヶ月くらいでこういう小さなレベルから、いろんな変化が起きて、だから「え?あれ、たった一ヶ月前の話やっけ?」みたいな感覚になる事が色々な局面でけっこうある。
雨やまへんなあ。きのう「市場ってどうなってんのかな」と湊川のほうに行ってあちこち見てきて、予想していた通りだったのは、多くの店が普段どおりに店を開けていたことで、予想していた以上だったのが、普段より通りがにぎわっているように見えたことだ。直前にMTを見かけて「ちょっとワシ市場見てくるわ」みたいな事を言ったので「市場にぎわってるで」みたいなメールを送る。
市場の特性上(露天やし)、空気がこもりようがない所とか、誰が手に持ったかわからないカゴをさわらなくていいとか、誰が持ったかわからないカートの持ち手をさわらなくていいとか、人との距離をとりやすい、レジに並ばなくていいとか、いろいろなあれがスーパーと違って安心感があってみな行くのかな。
星野源の「うちで踊ろう」という動画に総理大臣が乗っかった動画が話題になっていて、自分はこの歌を巡ってまき起こっているムーブメントになんかこう、全然のれなかったから、正確に書くと歌をめぐって広がっていく大きな輪のようなものが見えて、自分はその輪の外にいる人間だと思っていたから、えっあほの晋三がやってるのかと思い初めて歌を聴いた。映像を見て、なんか久しぶりにこれはおもろいぞ、と思った。
怒りがなかったのはやはり、歌に感情移入していなかったからだろう。たとえば100日後に死ぬワニの話でも、ずっと楽しみにしていた人にしたら最後あんなぐじゃぐじゃにされたら腹も立つだろうけれど、何も見ていなかった自分には滑稽にうつるだけ、みたいな感じだろうか。なんか説明しにくいんだけど、みんながこういう状況の中でもいい感じにやっている事に対してあほの晋三みたいなのがとつぜんやって来て、それで「おまえこっちに来ていい人間ちゃうやろ」みたいな理屈はわかるんだけど、そういう構図があるのならば、私もまた、あっちに行っていい人間とちゃうな、みたいな思いがあり、輪から外れた場所でふと隣を見たらあほの晋三君がぽつんと立っている、みたいな奇妙な感覚すらおぼえた。
うちで踊ろう、と歌ってる歌手の着てるシャツにFuck RacismとかRacist Go Homeとか書いていて、それにあほの晋三が乗っかってきたのなら、おまえ差別と断絶でメシ食ってんのに気でも狂ったのか、と私も驚くけど、あの歌やん。ワシらアレに8年付き合っとんねんで。自分の発言のせいで人さまが死んでも平気な顔してるような人間ならやるやろこれくらい。「うちで踊ろう」じゃなくて「官邸を燃やしてしまえ」だったらぐっときた。踊ろうって言われてもな。
もっと、今の状況にふさわしいドス黒い歌がききたいな。もっと、あほの晋三の顔を引きつらせるような。輪から外れた場所でふと隣を見たらあほの晋三君がぽつんと立っていて、私は、おれら仲間やったりしてなとあほの晋三君の手をとって、おれらはあんなんじゃなくってこれで踊ろうやと言って、赤木俊夫氏の遺書を私が朗読する。そのあと私たちは牛馬に引き裂かれる。
どうしたらむなしさを軽減できるんだ
料理とかもさ 良いものは回復量が多いみたいな感じのシステムは多いけど、美味しさをシステムとして取り入れてるゲームって少ないじゃん
睡眠なんかもそうで、良いベッドで寝ると回復が速いとか回復速度が速いとか体力の上限にボーナスとかそういう形しかない 気持ちよさの表現ではあるんだけど、なんつうかこうもっとなんかねえのかと思う
「快適な睡眠 +5」「ひどい食事 -8」 「身体がべたつく -3」みたいなファクターで主人公の幸福度を表現する まあその幸福度をどうシステムに取り入れるかって言ったら結局「幸福度が高いとステータスアップ」みたいなことになるんだろうけど…
でもやっぱ幸福か否かが示されるのってフレーバーとして大事だと思うんだよなあ 風呂入ってハッピーな気持ちになってる主人公に感情移入して俺もハッピーになりてえよ
まあ、私、エロいですから、エロ広告がでるのは仕方ないと思ってます。検索した記憶はないですが。行動履歴からエロいと思われたんでしょう。このスマホではエロサイト行ってないんですけどね。
それよりもアレですよ。N○Tを冠にしている会社のシ○モアの広告。
基本的にアレに乗ったエロ漫画って他にねぇのかよってくらいリピートされるじゃないですか。女っぽい男の子が姉の代わりに女子校の修学旅行行く奴とか。
NTR自体悪くないです。お好きな方いっぱいいるの知ってます。太田光も好きらしいですから。
でもねー、私、主人公感情移入型なんで全くダメなんですよ。もう超うわぁってなるんですよ。そういう人が1番ハマるらしいですけど。
ただねー、なんで球児のハゲとかDQNの広告出すんですかね。マジしんどいんですよ。これだけでadblock買うレベルですよ。
ここでいう面白くないというのはどうあがいても仮面ライダーは幼児向けの作品なので、感情移入がすごくしづらい作りになっているという意味だ。
えっそんなことになるの?!
えっそんなザル設定なの?!
えっ笑えない、それギャグなの?!
みたいなことが多発する。無理。無理だ。
けれども俳優のファンたちは仮面ライダーをとにかく持て囃す。持て囃してない人間をまだ観測できていない。彼女たちの俳優のスタート地点が仮面ライダーであるから当たり前なのだが、とくに良かった話やエピソードなど挙げてもらっても全く響かない。私の情緒がおかしいのだろうかと考えたりもしたが、よく考えたら俳優目当てで仮面ライダーを観て、仮面ライダー面白くないなんて感想は滅多に言えないだろう。