はてなキーワード: 強い力とは
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マキマはチェンソーの悪魔すなわちチェンソーマンを現出させる必要があった。打ち負かすために。チェンソーの悪魔すなわちポチタに対して意識の上で優位に立っているデンジを無力化する必要があった。
チェンソーの心臓を持った人間(デンジ)では、概念を消滅させることはできないのだろう。
マキマはデンジの心を昏倒させ、無力化するために、デンジを精神的に追い込んだ。絶望の底に落とした。そのために早川アキを銃の魔人と化し、デンジに殺させた。パワーをデンジの扉を開けるという行為を介在させて殺した。
マキマは公安の幹部という立場を利用して手駒を多く作った。チェンソーマンを打ち負かすために。
悪魔・魔人退治の名目のもと、己の手駒とすべくひとつひとつ積み重ねてきた。マキマの行動にはすべて一貫性がある。
マキマの目的は、より良い世界を作り上げること。これは己の善意に基づいてのものかもしれないが、死のない世界とはなんとおぞましい世界か。死がなければ人は執着を手放せない。執着にまみれた人生を永遠に生きねばならないとは地獄そのものではないか。マキマは強い力を持つ存在だが、人間に対する理解が浅く、誤った方向へ世界を変えようとしているあたり、邪悪な存在という他ない。
・マキマの苦悩:
マキマはチェンソーマンのファンであるがゆえに支配できない。チェンソーの悪魔を自分よりも程度の低い存在と認識できなければ目的は果たせず、己にない能力を持つ、尊敬すべきチェンソーマンを貶めるねばならぬところにマキマの苦悩がある。
・名は体(本質)を表すか:
(URL貼りすぎるとスパム扱いで投稿できないっぽいので不便な感じになっています)
車をどう作って良いかは細かく「レギュレーション」で決まっていて、それぞれのチームがレギュレーションの範囲内で頭をひねって車を開発しています。
そうして違う人たちが作ったあらゆるパーツが違う車が、1分以上のサーキットを走ってきて0.1秒差とか0.01秒差とか、果ては全く同じタイムになることも!
ちなみに、空気の流れでどうやって強く車を地面に押し付けるか(ダウンフォース)が大きなテーマです。飛行機の逆をやっています。
ドライバーだけでなく、当日サーキットに来ているスタッフだけでなく、車の開発まで沢山のスタッフが関わっているところも面白いスポーツだと思います。
検知ポイントで前の車の1秒以内に入れると、DRS(リアウイングがパカっと空いて空気抵抗が減る)がストレートで使えて追い抜きしやすくなります。
なので1秒以内に付けば有利ですが、近付いていると空気が乱れるので走りにくくなります。あと、長い間近付いていると、早くタイヤが傷んだり、車のどこかの冷却に問題が出たりしてしまいます。追い抜き前の駆け引きも楽しいポイントです。
あと、コース上での追い抜き以外にも、ピットでの追い抜きもあります。
車の特性やドライバーの頑張りによってタイヤを長く持たせることで、ピットインでタイヤを交換するタイミングをずらすことができます(そもそもライバルと違うタイヤを履く、という戦略もあります)
ピットインのタイミングをずらしたり、減らしたり、時には増やしたりもします。相手を欺いたり、相手にプレッシャーを掛けたり、こうした戦略によって順位が変わることもあります。
各チームとも遠隔にストラテジーチームがいるのもすごい!!
さっきのタイム差の話はドライバーの凄さも物語っていて、200km/hとか300km/hとかのスピードで1周走ってきて、全く同じタイムになることもあるって信じられない世界じゃないですか…?
ストップウォッチを10秒ぴったりで止めるのすら難しいのに、物凄いことをしているなあと思います。
ものすごいスピードで走っているのに、数cm単位でドライバーは車をコントロールしていて、壁すれっすれを走るコースなんかもあります。
さらに高速コーナーだと強い力(横G)が掛かって、息すらできなくなります。その横Gに耐えるために、みんな首がものすごく太いので注目してみてください…!
首に限らずドライバーはしっかり鍛えていて、緻密なコントロールを求められているのに、体的にはずっとハードな状況が続くスポーツです。
どんなスポーツでもそうですが、見続けたり、情報を追っていると、「チーム」「ドライバー」の背景が分かってきます。
これが一番楽しくなる要因かもしれませんが、興味を持って追わないといけないのも難しいところです。
チームは率直に言って、開発予算=車の速さになりがちなので予算の序列で並びやすいのですが、当然全て予算の順に並ぶ訳ではないので、予想される序列より頑張った/調子悪いあたりが楽しめるポイントです。
ドライバーは、インタビューの内容、表情、ドライビングスタイル、課題、エピソードなどなど知れば知るほど楽しくなると思います。
F1の情報サイトは色々あって、ドライバーのコメントを追いかけると色々分かって楽しいです。
Netflixが見られるなら、とっつきやすいドキュメンタリーが配信されているのでおすすめです。
そして、応援するチーム、応援するドライバーを作るととっても良いと思います!
あと、ドライバーは小さい頃からカートで戦ってきた仲間だったりもします。
少し前だと、ハミルトンとロズベルグ(引退しちゃった)は幼い頃からカートで一緒に走っていて、「いつかF1でチームメイトになれたらいいね」なんて話していた友達でした。それが本当にメルセデスというトップチームで叶ったのですが、その二人で何年もワールドチャンピョン(その年に一番ポイントを獲ったドライバー。みんなの目標)争いをすることになり、様々な事件を経て二人の仲は超険悪になってしまう……なんてこともありました。
今だと、フェルスタッペン、ルクレール、ラッセル、アルボンあたりは同世代で、昔から下位カテゴリーで凌ぎを削ってきた同士で仲良しです。
フェルスタッペンとノリスは大のレースゲーム好きで、ノリスはすごいドライバーですが、Twitchでゲームを配信していてお茶目なガキっぷりも垣間見られて親近感が湧きます。
他にもドライバー(やチーム)のTwitterやInstargamも色々な一面が見られて面白いですよ!
順当でグルグル回って終わるレースもたまにありますが、何にも見所がないレースはそんなにないかな。。
あと、決勝レースだけでなく予選から見た方が絶対に楽しめます!
7番手スタート予定だったフェルスタッペンが、スタート前のテスト周回(レコノサンスラップ)で雨で濡れた路面に滑って、ウォールにクラッシュしてしまいました。
車が壊れたので諦めてピットに戻ろうとしたのですが、スタートまで20分もない中、メカニックたちの必死の作業でギリギリ間に合い、7番手から2番手まで順位を上げ表彰台に上がったのです!その表彰台はメカニックに捧げられました。
メカニックとそれに応えたフェルスタッペンのことを考えるとウルっとすら来ました。。
今年の開幕戦でノリスが初めて表彰台に乗りました(順当にいって表彰台に乗れるほど速い車に乗っている訳ではない)
それが、2番手を走っていた車(ハミルトン)に5秒加算ペナルティがあるので、ハミルトンとのタイム差が5秒以内なら初表彰台!という状況で、担当メカニック(無線で色々教えてくれる)のサポートを受けつつ、素晴らしい最終2ラップでギリギリ5秒以内に入ったのです。その最終ラップは、ファステストラップ(レース全体ドライバー全体で一番速かった一周)でもありました。
喜んでるノリスかわいい…!
そして、その1週間後のレースでもノリスが最後に大活躍で、最後の2周で混乱に乗じつつも3台をパスし5位に入賞しました。
こんな感じで、リアルなドラマが沢山あるのも楽しいところです。
まず最初に問いたい。
最後に改めてもう一度聞く。
その時までこの言葉は忘れていてくれていいよ。
覚えててもいい。
俺の生まれた場所は東京から1000kmぐらい離れた場所にある。
日本という国において「標準語」ってのは「関東で生まれた標準語」を指す。
この感覚が関東の人は分からないっていうんだけど、本当にそうなんだ。
たとえば関東の中にだって、埼玉や千葉でしか使われていない言葉があって、それが標準語の喋り方に組み込まれている、らしい。
これは東京の知り合いに聞いたことであって、もしかしたら俺が詳しくないだけかも。
東京弁みたいのがあってそこから外れているだけなのかも知れない。
まあとにかく、この国では「いまどきの東京弁」≒「標準語」なわけだよ。
まあ結局の所、一番強い力を持った方言が日本を支配してるだけ。
俺はそう思っている。
その「東京の標準語」が堪能じゃない人がいたとして、その人は君たちのいう「日本語が通じない」に入るのかな?
そこが気になってしょうがない。
さっきそれぞれの地域にそれぞれの標準語があると言ったけど、これが本当に厄介なんだ。
本当に、すっごく微妙にだけども違うんだ。
99.9%一致してるけど1000回に1回飛び出してくる僅かな違い。
それが時に混乱を生む。
こっちが尊敬語として使った言葉を、別の地方から来た人はぶっきらぼうなタメ口だと勘違いしたりする。
お互いが大人だからその場では何も言わないけど、あとになってからそのことについて苛立っていたと告げられて驚く。
その逆だってある。
自分なんかは、嫌なことは忘れるのがQoLだと思っているのですぐ忘れるけど。
そういうものだと割り切って使えばいいとお互いが考えてればいいけど、そうじゃないと僅かな誤差から喧嘩になったりするのがキツい。
そもそも論として、みんな言葉なんて曖昧なものに完璧を求めすぎている。
たとえば、「汚名挽回」、とか。
「汚名挽回」と「汚名返上」と「名誉挽回」はどれも同じ意味だ。
そう決まっている。
でも、「汚名挽回」って言葉に対して、「汚名返上」と「名誉挽回」が混ざったようなイメージがある。
だから「間違えている気がするので、間違えているということにする」。
他人の揚げ足を取りたくしょうがなくて、苛々することが大好きな人達が。
そうして実に気持ちよさそうに「日本語が間違っている」「日本語が通じない」と口にしたがる。
ああ駄目だ。
嫌な思い出に振り回されてルサンチマンの塊になってきた。
これだけ書けば十分だな。
改めて聞くぜ。
覚えていてくれた人、ありがとう。
本当に、本当に、不安なんだ。
いわゆる大都市圏内の真ん中にある会社。当該地域におけるウイルスの感染者は日々増大し、状況は予断を許さない。
数週間前から弊社で行われていた自宅勤務は、緊急事態宣言の取り下げを前にして解除されることとなった。
代表曰く、
「どうせ向こう数年は事態が収束しない予測ならば、会社としては金を稼がなければならない。何故ならあなた達を食べさせなければならないから」
「しばらく様子を見た結果、リモートワークに向いていない従業員もいて、全体の業務効率が落ちてしまっている」
「人間の総数は変わらないのだから、自宅勤務にしたところで、スーパーなどに密集地がすり替わるだけでウイルス抑制の効果はないように感じられる」
「緊急事態宣言取り下げの後に解除するのでは、他社と競合して一気に人がなだれ込むことになるのだから、むしろこの解除は賢明な英断である」
大まかにこんな理由を挙げて、声明は「こんな時期だからこそみんなで団結していきましょう! 私も頑張ります!」と締めくくられた。
社内の誰も何も言わなかった。
駅にも人の絶えることはない。
だって、「みんなそうしている」から。或いは「そうしなければ生きていけない」から。
何を恨むとか、責めるとか、そういう感情はない。それで即座に解決するならとっくにそうしている。
(まあ、「"接触8割減"とか、できもしないことを、させもできないことを言うな」とは思っている。そしてこれが無意味な憤りであることも当然理解している)
ただただ「どうしようもないな」と無力感が満ちるばかりだった。
たぶんこれは誰にもどうしようもないのだと思う。
ひとりひとりの力ではあまりにささやかで、その大きな流れを止めるだけの強い力なんてどこにもないのだから。
どうしたらいいかな、もうどうしようもないな、とか、そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
やっぱり吊るのが一番楽なんだろうか。有識者がいたらご教示ください。
まず、前提として、自分はマスクによってウィルス感染症を防ぐのは無理だと思っている(た)。
そもそも一般的なマスク着用でウィルス自体を捉える事は不可能である。
・フィルター目よりもウィルスの方が小さい ・一般的なマスクをどんなにしっかり付けたところで、隙間から吸入される ・一部、静電気などでウィルスを引き付けると謳うものもあるが、吸う息(吸気)より強い力ある?
ただ、色々と調べている内に、集団に対する感染拡大を抑制する効果は、しっかりあるのではないかというように思えてきた。
そこで、特に自分が有効なのではないかと思いはじめた理由を以下に記す。
通常の肺炎は、鼻や喉といった箇所から症状(いわゆる風邪症状)が現れる事が多いはずだが、COVID-19では、それらが無いまま肺炎を発症するケースも少なからず見られる。(下記ページ例のSilent pneumoniaなど)
https://www.mod.go.jp/gsdf/chosp/page/report.html
鼻や喉からでなく肺から先に疾患するケースでは、鼻や喉などから順当に疾患するケースと比して、免疫系が対処にかけられる猶予期間が少ないのでは?
また、その症状に気付きづらい(目立った症状が出ない)という事も少なくない筈で、それが重症化しやすい要因なのではないかと推察する。
そこで、鼻や喉を飛ばして直に肺から疾患するケースというのがどういった場合かを考えてみると、吸気の流量(要するに、大きく息を吸い込んだり、強めの呼吸を繰り返すような)がそれに関与しているのではないかと思い至った。
仮にそれが正しいとした場合、
・マスク → 呼気/吸気の流量を抑制する効果があるのでは? ・深呼吸 → こちらも呼気/吸気の流量を増加させる要因となり得そう
ジム・ヨガスタジオ・ライブ会場など、初期クラスター源としてよく挙げられていた場所では、三密空間であるという事にプラスして、マスクを外したり深呼吸を伴った行動が多いようにも見受けられる。
今まで、呼気(Out)に対する言及はそれなりにあったように思うが、吸気(In)に関しての言説はあまり聞いた事がなかった。
もしかすると、日本や台湾などアジア圏のいくつかの国で、欧米ほど被害が拡大していない背景には、マスク文化の根付き…という今更な事実が、思っていた以上に関与していたのではないかと、考えはじめている。
特に台湾など、大臣が率先してマスクMapを作るなど、初期の頃からそれに対する意識が高かったようにも思う。
【海外の看護現場から】外国人の思う日本の不思議:マスクは必要? | IPEC看護英語 | 看護師のための英語教育
海外の病院では、上記URL先にもあるように、施術時以外では原則としてマスクをしたがらない向きが多く、インフルエンザ時期ですら労組でマスク着用を断固として反対するような空気だったらしい・・・。
と、上記でマスクが有効であると述べた所で、医療従事者のPPE(マスクを含む医療向け防具)が不足しているという事は採算WHOからも警告されており、使い捨て医療向けマスクはオススメしかねる所がある。
が、「呼気/吸気の流量を抑制する効果がある」をある程度見込めるのであれば、布マスクでも大きめのハンカチやスカーフを巻くでも、それなりに意味を見出せるのではなかろうか。
欧米(CDCやWHO)でも、一般人のマスクに対するガイドライン(PPE不足に寄与しないようなマスク防具の検討)を考え直そうという動きが出始めている。
米国でも布マスク推奨へ、米疾病予防管理センターが一般人に布マスク着用の要請を出す見込み | TechCrunch Japan
演技には人を感動させ力などないと主張してくれてありがとう
おれは演技には人を感動させるボクシングよりも強い力があると思ってるよ
きっと誰かが見せてくれる
そう信じてる
私も満員電車内の会社員と同じく、女子高生の小さなぷっくりとした手や足に、ほとんど無意識に手が伸びてしまうからです。かわいいお手々に触れると強い力で握り返してくれ、時には天使のほほえみまで返してくれます。私は思わず「ありがとうね」と言い、隣の男子高生にも「お気をつけて」とお礼を言います。
女子高生から生命力や癒やしをもらって、これからも頑張って生きていこうと力をもらえるように感じます。これからは「触ってもいいでしょうか」と聞くよう心がけたいと思います。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14309382.html
でも、女子高生を無菌室で育てることはできません。バイ菌と共存して生き抜かなければならないのです。清潔さに固執しすぎると、体を守ってくれる紳士まで排除してしまいかねません。免疫力獲得のため、守りすぎないよう、潔癖になりすぎないようにと願っています。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
録音を聞いただけで具合が悪くなった
まず脈が早くなって大量の汗が出てきた
気が付くと強い力で歯を食いしばってる
低血圧の時のように視界がチカチカとなる
呼吸が浅くなっているのに気付いて、胸を張って大きく呼吸をした
しばらくして落ち着いてきたが、手が悴んだように動かない
硬く握りしめていて痛い
店を出て歩き始めると足がうまく前に出ず、引きずるように小さい歩幅でしか歩けない
左のこめかみあたりが痙攣してピクピクしてる
傘を持つ手が痺れる
反対の手もレシートを強く握りしめてる
足に力が入らないので傘で杖をつくように歩く
目のチカチカが再開して耳鳴りが強くなってきたのでしゃがんで休む
エスカレータが怖いので階段を使うがうまく足が上がらず2段目で断念
改札を後ろの人の迷惑になりながら通る
手がすごい力で握りしめてる
チカチカと耳鳴りと食いしばりと握りしめがずっと続く
うちに着くが、手すりをつかまないと階段を上れない
座ったら立てなくなった
はあちゅうを見ているといつもこれを思い出す。
君こそ、真ノ邪悪ダ。
君には「敵意」がナイ。「敵意」……「敵意」には力が向カッテ来ル……ヨリ強い力が「敵意」を必ずタタキにヤッテ来ル…
「敵意」はイツカ倒サレル。 実に単純ダ。
俺にとってはあちゅうとは計算高い悪女ではなくてこういう存在だ。
だからこそ最悪なんだけどな。
はあちゅうのやることにあんまり悪意を見いだしてもしょうがないと思う。
この件に関しても彼女は計算的というより本当に馬鹿だったぽい。
https://note.mu/loss60kg/n/ne7604649f09b
でも書かれているが、もともとはあちゅうはニセ医療系が大好きな人間だ。
これについてだけは金もうけ目的では得なく素で信じちゃうくらい馬鹿になってるくさい。
それは幼いころに医療が自分たちを助けてくれなかったという不信があるからだろう。
むしろ、いつも金もうけと承認欲求のことしか考えてない計算高いはあちゅうが
もちろん、だからといって、はあちゅうの過去の発信は許せないし
むしろ、計算じゃないただの無能だったからこそ今後も絶対に改善しないと思う。
むしろ変に勉強したら別のニセ医療にはまって、またそれを無邪気に発信する。
なので、はあちゅうは反省とかいいから、二度と健康について情報発信しないでほしい。
はあちゅうは何をしても害をもたらすことのほうが多かったが、別に他のはいいんだ。
これだけ悪行重ねてるのにいまだにはあ中の言うことを信じるやつが悪い、というとこまで来てる。
でも、健康だけは、まともな人でも精神状態によってはひっかかるし
単なる被害じゃすまない取り返しのつかないことになりかねない。
赤ちゃんの歯固め近いです。骨っこの人間版みたいなのを探しています。
色々考えてくれてありがとう。
赤ちゃんの歯固め→小さいし大人の歯だとすぐ噛みちぎってしまいそうな気がする。だけど試してみる価値はあるかな。子供が使っていたものを洗って再利用してみます。
骨っ子→犬用のものを人間が使っていいのかという気持ちがあったけどそもそも生き物に与えるものだから安全なはずですよね。犬飼っていないのですが買って試してみます。
タオル、ハンカチ、手芸紐→口の中に繊維が入るのが気になるけどよさそうですね。
酢昆布、スルメ、グミ、ガム→もっと強い力でガブガブ噛みたいので物足りないかな?と思ったのですが強い力を歯にかけるのがそもそも良くないですね。
マウスピース→だいぶ昔に歯ぎしり対策で作ったことあるのだけど歯ざわりが嫌いであまりつけられずいつのまにかどこかにいってしまった。作るのにお金かかるし歯医者に行く時間がそんなにとれないんだけど歯の健康にはこれが一番いいのかな。
そもそもストレスがかかったときに自分の腕とかを思い切り齧るとそれが和らぐのでそういう齧るのに適したものが無いかなと探していました。腕は痛いので勧められたもの色々試してみます!