大昔、弥生時代の頃に栄えていたのは地の利。大陸との出入り口。あと、九州北部は割と稲作に適していた。
その後、博多は商人の街として貿易で大いに栄えた。堺と同じ。非常に強い力を持っていた。
しかし江戸時代の鎖国のせいで繁栄は終わり、江戸時代には九州最大都市の地位を鹿児島に譲った。
明治以降は開国と国策で再び繁栄。
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福岡、実際なんで栄えたのかよくわかんない。 大阪、名古屋、東京は地図を見れば理由がわかる。平野で、湾があり、地方の中心に近い場所に位置している。何回リセマラしてもどうや...
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海路・陸路の交通の要衝 大陸との玄関口 石炭
百済と新羅の位置次第だったのとは思うが