いわゆる大都市圏内の真ん中にある会社。当該地域におけるウイルスの感染者は日々増大し、状況は予断を許さない。
数週間前から弊社で行われていた自宅勤務は、緊急事態宣言の取り下げを前にして解除されることとなった。
代表曰く、
「どうせ向こう数年は事態が収束しない予測ならば、会社としては金を稼がなければならない。何故ならあなた達を食べさせなければならないから」
「しばらく様子を見た結果、リモートワークに向いていない従業員もいて、全体の業務効率が落ちてしまっている」
「人間の総数は変わらないのだから、自宅勤務にしたところで、スーパーなどに密集地がすり替わるだけでウイルス抑制の効果はないように感じられる」
「緊急事態宣言取り下げの後に解除するのでは、他社と競合して一気に人がなだれ込むことになるのだから、むしろこの解除は賢明な英断である」
大まかにこんな理由を挙げて、声明は「こんな時期だからこそみんなで団結していきましょう! 私も頑張ります!」と締めくくられた。
社内の誰も何も言わなかった。
駅にも人の絶えることはない。
だって、「みんなそうしている」から。或いは「そうしなければ生きていけない」から。
何を恨むとか、責めるとか、そういう感情はない。それで即座に解決するならとっくにそうしている。
(まあ、「"接触8割減"とか、できもしないことを、させもできないことを言うな」とは思っている。そしてこれが無意味な憤りであることも当然理解している)
ただただ「どうしようもないな」と無力感が満ちるばかりだった。
たぶんこれは誰にもどうしようもないのだと思う。
ひとりひとりの力ではあまりにささやかで、その大きな流れを止めるだけの強い力なんてどこにもないのだから。
どうしたらいいかな、もうどうしようもないな、とか、そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
やっぱり吊るのが一番楽なんだろうか。有識者がいたらご教示ください。