はてなキーワード: 定型発達者とは
生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害の可能性があるかもしれません。心療内科を受診しましょう。」という趣旨の書き込みがなされることが多々ある。
実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。
だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前だけが世間に認知されていった。
その定義も特徴も曖昧で難解なこの障害を説明することは容易いことではないのだ。
マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。
俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人・無能という誤った認識をインプットしてしまった人が多いのではないかということだ。
学校に馴染めない。虐められる。
このような悩みに発達障害の可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。
集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。
発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれてしまったのである。
発達障害者だからといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。
定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか。
悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴなイメージがついてしまったのではないかと思う。
発達障害者を「協調することができず通常の業務を遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。
最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。
せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑の眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。
これからの時代に必要なのは、発達障害者の社会参画を特に知識や経験のない一般人にイメージしてもらうために、実際に活躍する障害者をロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。
障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。
発達障害の診断がくだされたせいで
周囲からあらぬことを影でいわれたり発達障害ってだけで排除されたりする現実に気が付かず、
「やったーこれで周りに合わせようと頑張らなくていいーみんな優しくしてくれる!」みたいな能天気なこと考えてる人多そうだよね
できない原因がわかってもね、どうそれをカバーするか考えなきゃいけないのに
社会的に不具合が生じさせても許される免罪符か何かだと勘違いしてるんじゃないかって人が多い気がする
自分と向き合って適正や嗜好を明らかにして、自分にあった社会生活のあり方を模索するってことは
定型発達者でも自分のことをよくわからないまま自分に合わない職についたりしたら色々うまくいかないことがでてくるよ
逆にいえば発達障害の診断がなくても自分の適正をある程度見極められていれば自分にマッチする生き方をイメージできるし
障害という枠組みに囚われて自分がどういう人間なのかを考えようともしないような奴は
「だめな奴」から「関わると面倒くさい障害者」に周りの目が変わるだけだ
そう考えると診断のあるなしなんて大したことじゃないと思えてこない?
障害をすんなり受け入れられることが一概に聡明だとは言い切れないと思う
我慢も察することも止めて、
我慢(察する)できるようにならなきゃだめだと思うこともやめて、
思うままに「なんでなんでどうしたの!?」って言って、
とうとう離れない男が残ったら、結婚できる。
要するに、女王様になって、
発達障害者は自己肯定感が低いので難しいだろうけど、がんばれ。
もうひとつは「なんでなんでどうしたの!?」の言い方を工夫する。
責めるように言われると、ウザッとなる男は多いので、
(言う方に全く責めるつもりがなくても、受け取る方がそう受け取る場合を含む)
これを常に可愛く伝えることをマスターする。
定型発達者の彼女は、そういうのを、相手の状態を見て、態度を使い分けるのだが、
発達障害者には、そういう判断はつかないので、「いつも」それをやる。
こういう小手先のテクで目先の危機を回避して、普通の男とくっついちゃうと、
発達障害者の側は変われない。
発達障害のくせに、恋愛強者並の打率(付き合った彼と必ずうまくいく)
を目指すのは間違いである。
作家とか作曲家みたいないわゆるクリエイティブ業で考えると理解しやすいかもしれない。
(クリエイティブと呼ばれててもウェブデザイナーとかは多分違う。一部は通じるだろうけど)
あの手の業種は時間を区切って働くことが非常にやりにくい。できる人はできるけど、できない人はまずできない。
他人から見て実際に働いてる時間が8時間でも、脳内で常に仕事のことを考えて、いいアイディアなんかが出れば夜中の三時でも仕事を始める。
本人は寝てる時以外は仕事してるのと同じ精神状態だったりする。
問題は元エントリの人が脳内でそういうクリエイティブな業務を想定してるのにそれにちょっと無自覚で、会社勤めのサラリーマンを想定したような書き方しかしてないところ。
たぶん彼の頭の中でそのへんがごっちゃになってるんじゃないか。
あるいは彼は上記のようなクリエイティブ業の働き方を一般的だと思っていて、どんな仕事にもその態度で臨んでいるか。
bottomzlife氏の論調は自分はあまり好きじゃない。障害者なんだから定型と同じアウトプットを望むなってのは、身の程を知れと言ってるのかな。
補助とか支援とか社会的扶助とか、そういうのから発達障害者は外されがちだし、特にある面で能力が高い発達障害者だと隙間から落ちるようになんの援助も得られなかったり。
(↑の主な理由は、能力をうまくいかすと社会での生きにくさが減るので鬱などの二次障害を罹患しにくいため。能力の高低そのものより自分に合う環境が得られたかどうか。)
(元エントリが強者弱者という軸を持ち出した理由も多分↑これだろうと思うけど、理解されてない。二次障害で就労すらままならない発達障害者等に比べたら強者でも、健康な定型発達者から見たら弱者であるという「狭間」にいる自意識がこの言葉を使わせたのでは。元エントリはさらに大企業と定型発達者、中小零細企業と発達障害者をそれぞれ対比して語ってるため分かりにくさに拍車がかかってる。)
http://bottomzlife.hatenablog.jp/entry/2017/02/28/230920
最新エントリで長時間労働が精神面に与える害を書いてるけど、元エントリは「どんどん積極的に毎日でも今すぐに長時間労働したい」とは書いてないよ。
どっちかっつーと、本当はダメなの分かるし自分もやめたいけど残業する他に解決策が見つからないって話をしてる。
この状況の人に、残業がいかにだめかなぜだめかを諭し続けるのは違うんじゃないの。
まず借金玉氏が9時5時会社員の働き方に馴染めない状況説明と、残業する以外に何か方策はあるかを問いかけるような書き方にすればよかったかもしれない。
発達障害者にとって社会的援助は非常に得にくい状況にあり、それでも社会の中で能力を発揮したいと思っている発達障害者の陥っている現状の解決って、どうすりゃいいんだろうね。
発達障害の特徴として、「空気が読めない」「人の気持ちがわからない」などが挙げられることが多い。
例えば、太っているのを気にしている人に対して「デブ」といってしまうとか。
人の神経を逆なでしてしまうのだ。
しかし、彼らは事実を言っているだけで、誰かを傷つける意図はない。
誰かを傷つけて面白がっているタイプもいるが、それは幼稚な残虐性であり、狡猾さはないように感じる。
発達障害の人は思考回路自体は割とピュアなので、行動原理がわかればそこまで気にならない。
ADHDはかく語りき。
□欠陥社会人
とある販売代理店で営業として働いているのだが、それが死ぬほど辛い。
客とやりとりをするのはやりがいがあるし、苦ではない。
自分には、タスクを整理し段取りを組む能力が絶望的に欠如している。
しなければならないことを忘れるのはしょっちゅうだし、忘れないようメモすれば、そのメモの存在自体を忘れる。
見積もりを作れば何回チェックしても何かしらミスするし、契約書は書き直し無しで作れたことなどない。(ガキの頃は1枚の手紙を書くのに便箋を10枚くらい消費するのが当たり前だった)
客とのやりとりがうまく行っても、それ以外の段取りや処理で毎日叱責をうけている。
そんな時、家族から「お前はADHDではないか」との指摘を受けた。
しっかり診てもらい、足りない部分をどう補うことができるか知りたい。
そうすれば、なんとか人並みに生きて行くことができるのではないか。
暗闇に光が挿したような気がした。
このことを会社にどう伝えるべきか、或いは隠すべきか、という点だ。
ADHDの可能性に思い当たったのは最近のことだし、当然入社時に申告などしていない。
かと言って隠したところで保険証の履歴を調べればバレるし、治療をしないという選択肢は1番ありえない。
これにはかなり悩んだ。
□「ADHDは甘え」
円滑に仕事を進めるための治療だし、理解してもらえると期待してしまったのだ。
「ADHDなんぞ甘えだ。症状とされているものは全てだれにだってあることだ。お前が努力していないのを病気のせいにするな」
「病院にも行くな。もしADHDと診断されれば会社には置いておけない。他に行こうって言っても、お前程度のスキルでは一生アルバイトだぞ」
上司はそう言った。
それは理解をしていた。
それで解決するのなら、ここまで苦しむことはないのに、と。
診断の結果はADHDだった。
他のADHDの方もよく言うことだが、初めて自分がADHDだと意識した瞬間、最初に感じることは「合点がいく」というものに近かった。
それまでずっと苦しんできた原因がやっとわかった、という心持ちだ。
しかし、その感覚は恐らく定型発達の人に理解してもらえるものではない。
日常生活ですべき事をいくら努力しようと完遂できない、という感覚がまずわからないだろうし、「怠けてることに理由をつけてるだけじゃないか」と感じるのだろう。
結局、問題が精神に内在するものであるが故に、それぞれが知識と想像力で補わない限り、定型発達者と発達障害者の間で共通認識を持つのは難しいのではないか。
だからといって定型発達者に対し、発達障害者が一方的に理解と配慮を求めることはすべきでないと思う。
我々発達障害者は治療を通してなんとか人並みに様々な事をこなせるようにするか、自分に合う居場所を見つけて、社会に貢献しお金を稼ぎ、生きていくしかないのだ。
折角の正社員の仕事だし、上司の期待に応えたいという思いもある。
一方で、家族からは一度仕事を辞めたうえでADHDとの向き合い方を考えてもいいのでは?とも言ってくれている。
どうしたら、これから生き抜いてていくことができるか、その答えは自分で見つけなければならない。
このエントリーは、自分の中で考えの整理をつけるためと、はてなユーザーの諸兄から客観的な意見がちょっとでも貰えないかな、という事を少し期待して書くことにした。
こんな拙い長文を最後まで読んでくれてありがとうございます。
昨日「裸ならエロいけど服着ていればエロくない」と言ってる増田がいたな。
ひょっとして発達障害とかそういうのなのかな、と思った。
肌の表面積何%以上なら不可とか決めろ!とか言ってる人もいるけど、
絵に込められた文脈とかキャラの細かい表情とか、そういうものを読み取るのが苦手で
「裸か服着てるか」みたいな明確で客観的な基準でないと理解出来ないのかも。
裸でも芸術的な裸婦像は許されてる訳だけど、それも「不当なオタク差別」としか思えないんだろう。
実際は裸の実写グラビアでも許されない訳だが。
定型発達者なら「何故裸婦像は許されてのうりんポスターやグラビアは許されないのか」ってのは見ただけで感覚的に分かるんだけど、
彼らには本当に分からないんだと思う。
増田のソフトクリームの例えも、両方全く同じものにしか思ってなさそう。
同じ「ソフトクリーム舐めてる絵」でも、違うものだと言うのは見る側からも分かるのに。
勿論違いを分かった上で「エロくても構わないだろ」と思ってる人もいるだろうとは思うけど。
発達障害者の処世術 http://anond.hatelabo.jp/20151101094059
このコピペに結構反応があるようなので、自分なりに構築したもう少し詳しい処世術について書いてみたい。
ここは同じ。厳密に言うと、定型発達者の生き方を見習ってはいけないということ。
幸せそうに見える彼らと同質の生き方ができる解の存在を信じないこと。存在しないかもしれないから。
尖ったところ凹んだところに合わせて、オーダーメイドでより生きやすい形を模索しないといけない。
以下も自分の歪み方や歪みの大きさに合わせた戦略なので、他の人にどれだけ参考になるかはわからない。
対人関係は勘に任せて動くと必ず失敗する。
ただ、社会生活をしてるとどこかで避けられない交流を強制されるので、その時点で無策なのが一番まずい。
匿名で適度に炎上しておいたり、状況として許されそうな時はややリスキーな選択肢を取っておいた方が学習が捗る。
一部のこだわりの対象以外はどんどん忘れていくので全部メモしておく。
特に転んだ結果と把握したタブー、その対処法は確実に保存しておくこと。
自分の歪みに合わせたマニュアルは自分しか作れないので外の言説を鵜呑みにしないこと。
こだわりの対象に関連のある技術や知識が要求される職に就いて、能力如何で生存が決まるような業界に居着くこと。
間違っても人柄がどうのコミュニケーション能力がどうので命運が左右されるような業界を選んではいけない。
特にアスペの場合は瞬間的な話し言葉の送受信に欠陥がある場合が多く、これは定形発達者と同じ土俵で戦う際に著しい困難を伴う。
われわれに限った話ではないけど、発達障害者は特に、家族友人その他どんな相手にも本音を漏らすべきではない。
医療関係者は除く。元増田みたいにネットの掲示板(匿名に限る)で放言するならよい。
ただ、隠し続けた結果自分の本音が分からなくなるとアイデンティティが危うくなって混乱してくる。
抱えている障害の程度によるが、障害者レッテルを受け入れるかどうかは真剣に考えた方がいい。
障害を自称した時点で、対人関係の大部分はマウンティングされることが前提になるので周囲の善意に期待するしかなくなる。
流されていった先に安穏と暮らせる場があるならいいが、無かったら詰みである。
得意なこと以外は実年齢マイナス5歳ぐらいの相手と張り合うのが精一杯で、これは恐らくどうにもならない。
比較して自分の状況を確かめるのはいいにしても、追いつこうとして実現不可能な努力をし始めるとまずい。
指示助言を受けたら一度飲み込んで咀嚼して処理可能な形に変換してから実行すること。
彼らの実行可能領域と自分の実行可能領域は異なることを自覚すること。
何もかもまず批判的に受け取る。結果的にそれがお互いのためになる。当然この本音は外に出さない。
ろくなことにならない。例え同一ラベルの障害を持つ人を模範にしても上手く行かない。
定型のスタイルがベースで、発達障害者はそこからずれた生き物。
それぞれの発達障害者は三々五々に異なるベクトルでずれていて、同じずれ方をする確率は低い。
われわれの孤独はこのようにして生じているので、同質の何かとは滅多に巡り会えないのだと知るべき。
ここまで変な奴が次から次へと押し寄せてくるのは、本人のせいでもあるんだろうけれど、それ以上に「こいつは適当に扱っても良い」という変なコンセンサスが出来上がり始めてる兆候だとしか思えない。
自衛のためにも青二才は、自分が臨まぬ話題を降ってくる奴に対しては会話せずにブロックしていく、で良いと思うぞ。
現在と未来の青二才こと三沢文也さんへ - 私は流行、あなたは世間
こうやってちょっと見知った程度で知ったような口調で自分語りを初めて、その経験を相手に押し付けようとするのって何なの。善意のつもりなの?余計なお世話。ちょっと検索すれば青二才が散々ネットの振る舞いのおかしさから自己愛性人格障害だの境界性人格障害だのなんだのと言われて苦しんで、そのあとナースの手引で専門医の診断を受けて発達障害および躁うつ病だという診断をうけたことくらいわかる。長々とした記事を書く暇があったらまずちゃんと調べろ。
そういう手間を惜しんでる時点で、誠意が感じられないんだよ。
@filmstar75 専門知識もなく人格障害呼ばわりする人は僕が躁うつ病という診断結果をもらう以前からいっぱいいましたが、それはあたってません。差別的にそういった見解を振りかざされることに大変迷惑しています。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 ああ、有難うございます。エントリ読まれたのですね。非常に失礼な質問をしますので、お気に障ったならブロックして下さい。「あたってません」と断言される根拠はどこにおありですか? あと確かに「人格障害」という言葉は「差別的」な響きがするので、私自身実は使いたくないのです— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
これだけ不愉快な思いを率直に伝えてるのに迷惑だったらブロックしてくださいねと言いながらも話しかける図々しさがまず理解できない。
@tm2501 そうなんですね。私も実は境界性人格障害ではないかという疑いを抱いていて、医師や知人からは「いや発達障碍であってそのケはないよ」と言われたのですよ。ですが、自分は境界性人格障害だと考えた方が生きやすいのです。ひとつの尺度として、そんな視点も取り入れた方がいいかと……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@tm2501 有難うございます。まあ、三沢さんがそれで生きていけるというのであればいいのですが(定型発達者であっても心の何処かは病んでいる、という極論も成り立ちますし)、私からしてみれば今の三沢さんはかなり苦しい立場に追い込まれているように思われたので、お節介を焼いたという……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 多くフォロワーを抱え、人気のブログを運営するということはこうした窮地はつきものだと思ってます。もちろん、私自身の最近のマイナス思考・卑屈さが彼らに付け入る隙を与えたのは認めますが、基本的には「ネットにいれば、抱えうるトラブル」と言う認識です。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
あまり言いたくないけど、僕が失言をしたというよりも、僕が書いたことに対して、自分と言うバイアスを掛けていいの悪いのと騒いでるだけの人が多すぎる。もしくは連綿と書き連ねたはずのものから1ツイートだけを抜き出して叩く流れがね— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 本物川氏は悪く無いといった口ぶりなら私はもう話すことはありません。いかがでしょうか?— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 では、今の私が聞けぬのは私が未熟ゆえと…そう仰りたいのでしょうか— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 @filmstar75 10;横から失礼します10;本人にも周囲にも多大な被害を与える典型的なBPDは少数派で、むしろ、診断上微妙なラインでマイルドなBPD的要素を持っている、というタイプの方が多いそうです10;いずれにしても、自覚出来るかが一番の予後改善因子だと思いますよ— Hilenn@充電期間 (@Hilenn) 2015, 6月 21
@Hilenn @filmstar75 傾向ぐらいならまだ認めないでもないですが、今回の場合、いきなり朝っぱらからネットで言及したのなんのと書いてきたと思ったら、ヤれお前は人格障害だ、ヤれ今の君にはわからない、ヤれ未来の君に語ってるですからね…怒らせる気でしてるとしか思えません— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 痛みなど客観視こともできないので、言い張るだけ無意味でしょうが自分の人生があきらめと敗戦処理だと感じるほどの相当な痛い目に遭ってますけどね…。それで「君は痛い目を見てないからわからない。未熟だ」とおっしゃるわけですから人に物を話す態度ではないでしょう— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
正しいか間違ってるかの問題じゃないと僕に説教がましく炎上してるさいに行ってきたのに、炎上した後にやってきた人がこれが正しいのだ。言い方はどうでもいいんだと言う態度でやってくることにいつもいつも「あ、この人僕と同じかそれ以上に自分が見えてないんだ」と感じる次第— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私に言わせれば、資質も論理も言い回しも全部「お前が気に食わない」というためだけにやってる人をいっぱいみかける。だから、そういったものに対する信用がないし、そういったものに騙されて私の旗色次第で「アイツは抜けたやつだった」と後出しジャンケンしたりする人がいて信用ならない(実際いた— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 いや「痛い目を『全く』見てない」とは言いませんよ。三沢さんの生きづらさに関しては、私も繰り返しますが発達障碍者なので共感するところも大です。応援したいとも思ってますよ。ただ、今の三沢さんの生きづらさを客観視しラクになる中に「人格障害」という目指しを組み入れては、と— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@Hilenn @tm2501 ああ、有難うございます。そういうものなんですね。リプライが後手に回ってしまって申し訳ありません。私の場合マイルドなのかなあ……(あくまで「私の場合」)。ネットで本当に炎上を繰り返して来た痛い過去があるので、この年齢になってもその自覚は消えないですね— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 私の母はあなたのためと言いながら、発達障害の人間が最も嫌がることを25年間繰り返し、高校時代にはもうすでに抑うつ傾向にあって精神が壊れそうだった体験をし、そこから5年、地面を這うように生きてきましたが再び病みました。それが私の答えです— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 私は三十三歳という、人生をやり直すには遅過ぎる年齢で「発達障碍」だと自覚しました。今でも底辺を這いずり回っています。事情通なら三沢さんに向けて申し上げていることは全て「お前が言うな」で片づけられることなんだろうと思うんです。ですのでアドヴァンテージは全然ありません— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
医者がそういった記事を書いてる事をリンクを張った事について読まなかったのか…。この人にかぎらず、こういった書き込みが多いから「あんたら、本当にこっちが書いたものを読んでるのか?」感。 https://t.co/cNqfPA1Vx3— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君みたいな反応をする奴がいるからこの記事は書いてから公開しようか1ヶ月ぐらい保留にしてたんだわ…。で、保留にしてた時に「1ヶ月のうちに治すだろ」と思って予約投稿設定にしてたら出たわけでして…あ、返事とかいらないからミュートにするわ https://t.co/8VzWIjjFzA— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君のような人に悪口を書くことしかできぬような人格的なクズがネットの居心地を悪くしてるのに、クズに怯えろとクズの存在を正当化しないでいただきたい。まぁ、クズであることを貫いている点いかにもそれらしい発言だが https://t.co/6qOsIrhUwY— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
「凡人から優しさを取ったら何が残る」と述べたmebaeさんは優しい人だ。だって、僕と違って優しさが人から取り除けるプラスの何かだと考えてる。根本的にズレてる人が優しさだ、あなたのためだということの迷惑さにmebaeさんは触れてないからね。優しさなんて性質でしかないと思う人と違って— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私は今回の体験でもっと積極的に人払いしないといけないと思ったから、ガンガン人払いしていく。話の取っ掛かりからして「これは駄目だ」と思えば、話すだけ話すけど聞かないし、私につきまとうしかない人についてはブロックかミュートにしていく。必要なことだ— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
三沢文也状態っていうのは、今回の青二才-本物川一派()炎上でも見られた、自分が社会的な文脈を認識できないのが大問題だと認識できず、自分の言動が問題になり、かつそれを指摘されても自己正当化・合理化して、また問題を繰り返す(そして見かねて人が離れていく)という状態のこと。togetterのまとめでもいくらかコメントがあったが、同じような体験を発達障害もちの奴はしてないか?たぶん青二才は、炎上元のツイートも、ブスと美人でも比較優位があるぞってブスを応援するつもりで良かれと思って善意で書いたんだと思うんだよね。
定型発達者にしてみれば何言ってんだこいつって感じなのかもしれないけど、発達障害もちだと、「同じ内容の言動でも、人・場所・関係性・言い方など諸々の条件次第で周囲の感じ方は異なる」ということの認識できるラインが低い。極端な例で言うと、「あなたの事を想像していつもオナニーしています」とAV女優との握手会でAV女優に話しかけるのと、職場の同僚の女性に話しかけるのとでは、相手がどのように感じるか、社会的な意味合いがぜんぜん違う、というのを理解できない感じ。で、そんなこと言ったら避けられたり怖がられたりセクハラだと言われたりするだろうけど、こちらとしてはAV女優が喜んでくれたから同じ女性である同僚も喜んでくれると考えた結果の善意の言動を否定されるわけだから丹精込めた料理を食わせたらマズいといわれた時みたいにイラつくし、あなたの言動はここがこのように問題ですなんて懇切丁寧な説明をしてくれる人もまず居ないしで、悪いようだが何が悪いのかわからない、どうしてこうなった……といった具合に落ち着く。三沢流だと女へのいろんなこじらせがあるから、俺がブサメンだからセクハラって言えばマウントとってフルボッコにできると思ってんだろ?ただしイケメンなら喜ぶんだろ?やれやれまたかこれだから女は……みたいな合理化になるんじゃないかな。
発達障害もちの奴なら、こういう体験なにかしらしてて、いつかどこかで思いっきりぶっ叩かれて社会性を学んでると思うんだけど、みなの体験を聞きたい。おれの場合、実際に説明された。大学2年の頃、サークルの部長と副部長に呼び出され「お前の言動は周りの人間にこのように思われている、お前が善意だろうが悪意だろうが冗談だろうがそのように思われている、ゆえにサークル内の士気が問題がうまれる、言動に気をつけるかサークルを辞めるかしてくれないか」と言われてほかのサークルメンバーとおなじラインに立てていないことを初めて気づけた。皆はどうだ?
色弱だと知ったのはつい最近で、色弱検査画像を見ていたら緑の色覚異常のところで引っかかった。
色の違いを見分け、パネルをグラデーションで並べる作業をやってみたら、間違いがとても多かった。
イメージボードに描かれた絵を見て、それに合わせてポスターカラーで色を作っていく。
これがなんだかもうちっとも上手く行かなかった。色指定してくれていてもかなり難しい。
あるとき仕事仲間が「絶対音感があるように、絶対色感というものがあると自分は思う」と言った。
幼少期に色弱テストを受けた世代だけど、緑の色覚異常はレアらしくて、そっちは調べなかった。
それに遺伝的に色覚異常が出るはずがないと言われていたので可能性を考えたことがなかった。
色の組み合わせを学んでも、色自体が見分けられなかったらちぐはぐになるように
赤いということは分かる。青寄りの赤寄りなのか、黄色よりの赤なのか識別するのが難しい。
見分けられる人でも、隣の色との関係で錯覚を起こすことはあると思う。
でも根本的に見分けられない場合、注意しても他の色と比べてもわからない。
見えない色を想像で補うしかない。それでなんだか微妙に違う色を使う。
たぶん一般的な定型発達者以上に気を使いながら、緊張しいしい生きている。
見分けのつかない微妙な色をなんとか見分けていいバランスにしようとするように
知覚できない反応の差異を、経験とその場の反応と勘でなんとか理解しようとしているから。
だから「少し考えろ」とか、「想像力を働かせろ」と言われると、これ以上に?!ってなる。
自分にはマナーブックが役に立っている。特に欧米の歯に衣着せぬ系。
建前と実際が両方書いてあるとなお良い。建前だけ書いてあるとそれを真に受けることも多々あるから。
私は元増田が言及している本を読んだことはない(いずれ読みたいと思っている)が、精神病関連の自伝風漫画はそれなりに読んできた自負がある。ほとんどの漫画の内容は、いろいろあって大変だけれども幸せそうな感じになっている。元増田が読んだ本もきっとそんな感じなのだろう。ただ、それらの漫画に登場する障害者は無職なり、不安定な職に就いていたりして
彼らの生活基盤は決して安定しているようには見えない。きっと難しい現実がそこにはあるはずなのだ。
ハッピーエンドの漫画が多い中、『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』はまんまバッドエンドでなかなか面白い(身に覚えのある人は笑えないだろうが…)。こういう漫画に一石を投じるものとして、一読をお勧めしたい。
いろいろ読んでいて思うのは、発達障害者を彼氏・彼女にするような人はその人自身も何かしらかの問題がかかえているってこと。個性的な人だと思って付き合い始めたんだから、良いところもだけでなく、悪いところも当然ある。恋をしているときは、悪いところが見えなくて、冷めてきたら、見えてきただけの話な気がするのだ。
また、天才には発達障害者が多い、って話がよくあるが、そんなのはレアケースだと思う。発達障害というのは定型発達者がバランスよく備えている能力のバランスが悪いことと理解しているが、定型発達者に能力の総和が高い人と低い人がいるように、発達障害者にも同じことが言えると思う。
発達障害者の能力の総和が高い人に天才がいて、低い人が自閉症ではないかと思う(詳しい人がいたら教えてほしい)。大部分の人は高くも低くもない中ぐらいの人だろう。そして、彼らはその特性ゆえに世渡りが下手だから、予想どおりの人生を歩むことになる。
なので、発達障害者について特性に応じて職業選択すべし的な意見はナイーブすぎる。そういう専門的な職業は世間的に狭き門で、誰もがなれるものでない。成人した人間に対してはなおさらだ。目指すなら、小さいころから、特性を理解して、リスクを承知でそのための努力をすべきだと思う。
そして、そういう意見って、要は、「馬鹿とハサミは使いよう」をやりたいだけだ。難しく考えるから難しくなる。シンプルに考えればいい。障害者に対するイメージって、偏見と言われるけれど、正しいイメージなのではないか。世間では、ナイーブな意見が多いけど、普通に考えて、普通に選択して、普通に行動すればいい。
そうかな? アスペの人間が取り得るパターンてかなりはっきり分けることが出来ると思うけど。
だから極端に言ってしまえば「対アスペマニュアル」があってもいいくらい。
そういうものがあれば、現場で一緒にならなければならない定型発達者のストレスがかなり減るだろうし、アスペ本人のためにもなる。
「私は褒めたら伸びる子です、私は叱られて伸びる子です、私は自分で考えるのに10分かかるのでその時間が必要です、
私は言われなくても進んで出来る人間です」って言うのは流石に誤読し過ぎ。
アスペだから非凡(と思われる)って考え方がベースになってないか?
無神経な定型にうんざりしながらもはや差別用語と化した「アスぺ」当事者だってことを黙ってる人間はものすごく多いと思うわ。
アスペルガー症候群が何なのかまともな本を一冊読んで出直して来い。あんまないけどな!
おまえはビル・ゲイツやスピルバーグにもその調子で人について説いてやるつもりか。
こういうやつらがパラリンピックの選手をアスリートじゃなくかわいそうだけどがんばってる人扱いするんだろうな。
社交的で平均以上の営業能力あるアスペルガー症候群も大勢いるよ。
って反日民族に言われる気分。ああ、なんか半日民族って誰だとかぎゃーぎゃー言うやつ湧きそうだな。
「おまえを女にしとくのは惜しい」
とか女を認めてるつもりで言う男とか、さして親しくもない黒人の使用人に
といきなり言ってくる白人の雇い主の息子みたいな胡散臭さだな。
ハンス・アスペルガーが微笑みながら見つめてるあの子どもの写真は自分にとっては誇らしい希望の画像だ。
「自閉症が治った」と書かれているのを見ると無知と傲慢さにうんざりする。
人間関係うまく行かないからって何でもかんでもアスぺ呼ばわりするのいい加減にしろ。