ADHDはかく語りき。
□欠陥社会人
とある販売代理店で営業として働いているのだが、それが死ぬほど辛い。
客とやりとりをするのはやりがいがあるし、苦ではない。
自分には、タスクを整理し段取りを組む能力が絶望的に欠如している。
しなければならないことを忘れるのはしょっちゅうだし、忘れないようメモすれば、そのメモの存在自体を忘れる。
見積もりを作れば何回チェックしても何かしらミスするし、契約書は書き直し無しで作れたことなどない。(ガキの頃は1枚の手紙を書くのに便箋を10枚くらい消費するのが当たり前だった)
客とのやりとりがうまく行っても、それ以外の段取りや処理で毎日叱責をうけている。
そんな時、家族から「お前はADHDではないか」との指摘を受けた。
しっかり診てもらい、足りない部分をどう補うことができるか知りたい。
そうすれば、なんとか人並みに生きて行くことができるのではないか。
暗闇に光が挿したような気がした。
このことを会社にどう伝えるべきか、或いは隠すべきか、という点だ。
ADHDの可能性に思い当たったのは最近のことだし、当然入社時に申告などしていない。
かと言って隠したところで保険証の履歴を調べればバレるし、治療をしないという選択肢は1番ありえない。
これにはかなり悩んだ。
□「ADHDは甘え」
円滑に仕事を進めるための治療だし、理解してもらえると期待してしまったのだ。
「ADHDなんぞ甘えだ。症状とされているものは全てだれにだってあることだ。お前が努力していないのを病気のせいにするな」
「病院にも行くな。もしADHDと診断されれば会社には置いておけない。他に行こうって言っても、お前程度のスキルでは一生アルバイトだぞ」
上司はそう言った。
それは理解をしていた。
それで解決するのなら、ここまで苦しむことはないのに、と。
診断の結果はADHDだった。
他のADHDの方もよく言うことだが、初めて自分がADHDだと意識した瞬間、最初に感じることは「合点がいく」というものに近かった。
それまでずっと苦しんできた原因がやっとわかった、という心持ちだ。
しかし、その感覚は恐らく定型発達の人に理解してもらえるものではない。
日常生活ですべき事をいくら努力しようと完遂できない、という感覚がまずわからないだろうし、「怠けてることに理由をつけてるだけじゃないか」と感じるのだろう。
結局、問題が精神に内在するものであるが故に、それぞれが知識と想像力で補わない限り、定型発達者と発達障害者の間で共通認識を持つのは難しいのではないか。
だからといって定型発達者に対し、発達障害者が一方的に理解と配慮を求めることはすべきでないと思う。
我々発達障害者は治療を通してなんとか人並みに様々な事をこなせるようにするか、自分に合う居場所を見つけて、社会に貢献しお金を稼ぎ、生きていくしかないのだ。
折角の正社員の仕事だし、上司の期待に応えたいという思いもある。
一方で、家族からは一度仕事を辞めたうえでADHDとの向き合い方を考えてもいいのでは?とも言ってくれている。
どうしたら、これから生き抜いてていくことができるか、その答えは自分で見つけなければならない。
このエントリーは、自分の中で考えの整理をつけるためと、はてなユーザーの諸兄から客観的な意見がちょっとでも貰えないかな、という事を少し期待して書くことにした。
こんな拙い長文を最後まで読んでくれてありがとうございます。
呼んだ?読んだ。 出先で営業日報や営業事務への指示をタブレットPCやスマホから入力できんのかね、その会社は? 治療って、薬物?たぶん薬は、根治させるというより、おしたり...
自分の場合はASDも少し入ってるし未診断だけど、状況は比較的近い。ので思ったことを書きます。 ■世間の理解について 現状の日本で発達障害という特性が理解され受け入れられる...