はてなキーワード: 同族嫌悪とは
類は友を〜っつうか
自分がソシャカスしてるのを羨ましく思う誰かがいて真似されてる、あわよくば金と強運で追い越そうと企んでる有閑貴族だなという印象は拭えない。ソシャゲがこんな低脳を作り出してるのか、低脳がソシャゲに群がってるのか。
更にはあらゆるジャンルを点々とし、流行に左右されながら生きている様に芯の無さを感じる。
同族嫌悪かも知れない。他人は他人で自分の世界で楽しんでて欲しい。煽られたい訳でも無いしどっちかと言えば共闘を好むタイプなんだけどやたら対立されてるように感じる。どちらにせよ常に発言に張り付いていたい人間性とは程遠い。
毎朝毎晩ソシャゲの事を考えてる訳では無いし、絵師の貴重な呟きもたわ言のせいで流れてしまう。
まあ相手が自分に酷似してるとすればブロックされるのも仕方無い事かな。ありがとう、君のお陰でブロックしたい意思が確固となった
主人公に共感できる(する)/できない(しない)と,キャラクターとして好き/嫌いはまた別の話じゃないか?
共感できないけど好きになれるキャラクターだっているでしょう。
例えばFate/stay nightの衛宮士郎の言動に,最後まで「わかる~!」って言いながらゲームプレイしてたひとがどれだけいるかって話だよ。
他には例えば「信用できない語り手」。これは確かに好き嫌いは分かれるかもしれないが,面白いやつは本当に面白いよね。
あるいは,共感できるからこそ嫌いになるキャラクターだっているよね。
アメリカ西海岸に数年滞在してみて、英会話コミュニケーションにおける各人種の性格的特徴について思ったことを書く。
あくまでも個人の意見であり、人種差別を助長させるものでは決してないので注意。
仕事や留学で渡米したばかりの人、またこれからアメリカへの長期滞在を考えている人は参考にしてください。
・白人
アメリカのマジョリティ人種なだけあって、自分に自信のある人が多い。
とにかく喋り方に自信が満ち溢れている。
男性は王様気質で自分が一番正しいと思っており、悪く言えば傲慢だが、気さくな人が多い。
(ただしこれは私が女だから向こうが気を遣っているだけであって、日本人男性に対しては冷たい態度を取る場合が多いようです)
白人女性はプライド高いというかツンツンしてる人が多くて、片言英語だとあまり相手にしてくれない。
余談だが、男女共、自分達が他人種の異性に一番人気あるのを自覚してると思われる。
・黒人
映画のイメージで陽気な人が多いかと思いきや、割と排他的。男女共にマイペース。
黒人女性はそうでもないが、黒人男性の英語は訛りが強すぎて(何故性別によってここまで差があるのかは不明)、何言ってるかわからない。
そしてこっちが理解できないと一方的にコミュニケーションを放棄する。
ゆっくり喋ってくれるとかこちらが理解できなかった単語について説明してくれるとかは一切ないので、英語初心者にとっては彼らとの会話は難しい。
ジョークをよく飛ばすが、日本人とは笑いのツボが違うようで、意味の分からないところでゲラゲラ笑う。
日本人にとっては、彼らとの会話が一番イージーかもしれない。
移民一世はスペイン語訛りの英語を話し、母音を強調した発音をするので、とても聞き取りやすい。
渡米したばかりの英語初心者にはまず彼らと会話の練習をすることを勧める。
また、一応被差別人種であるため、英語に疎い外国人の気持ちをよく理解してくれて、更に黒人ほど酷い扱いを受けているわけではないので、他人種に対しても排他的ではない。
トランプ政権で何かとネガキャンの対象にされているけど、個人個人で見ればいい人たちが多いです。
・アジア系
意外かもしれないけど、やっぱり文化的に近いからか、中国系や韓国系は日本人と気質が似ていると思う。
比較的温厚で相手のペースに合わせてくれる。愛想笑いがよく見受けられる。
あとどの人種よりも日本のことについて興味を持ってくれるので、英会話上達のために彼らとつるむのもアリかもしれない。
逆に東南アジア系は気が強い。
自己主張はしっかりするくせに他人に対してあまり友好的ではないないので、日本人とは合わないかも。
・中東系
周りのサンプルが少ないのでよくわからないけど、大人しい人が多い気がする。特に女性。
男女ともに保守的な考えを持つ。
中東問題についてはタブーかと思いきや、割と自分達から振ってくる。
番外編
アメリカに住んでる日本人は、本国からやってきた日本人が嫌い。
私と一緒に歩いているアメリカ人の友達に対してはフレンドリーなのに、日本人の私にはそっけない態度を取る人が多数。
おそらく同族嫌悪なんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170528064815
「オートバイと性的興奮のこじつけ」もダメな聖域ではないか。昔には鉄道フリークなんてなかった。それに比べれば「オートバイフェチ」はある。一見すると良いようになっている。しかし、鉄道おじが「オートバイガー」「自転車ガー」になるということは、とんでもない。カルトと一緒だ。
私が嫌悪しているネット民のひとりが鉄道おじのシンパのC君だが、Cが若い頃に描いたという漫画もやはりこんな感じで、オートバイガーと無縁なことに気づくことができる。
鉄道おじは基地周辺の飛行機の飛行音やかつての暴走族の車両やその車の走行音を「造型ポルノ」「音響ポルノ」などと呼ぶ、サイコパス・障害者予備軍である。しかし、実際には、あの迷惑的な物を美化する様子を見ると、彼らは同族嫌悪、近親憎悪のように見える。どちらもなんとかフェチではないかと。それを卒業しろよと。卒業する前に高校を出て大学を出た挙句の果てに職に就いたのなら、もう手遅れだ。
「造型やサウンド」で快楽を覚えるように、鉄道おじは自転車やオートバイの形や走行音で興奮を感じる。鉄道おじはサーキットを彼らのための娯楽施設と言っているが、鉄道おじは自転車やオートバイの走行風景や造型などで性的まがいな興奮を感じているの事実である、逆にそれにまたがる人自体には性的興奮を感じない。
鉄道おじは2003年の普通二輪免許取得と同時に行った250ccのオートバイの乗車は「オートバイで興奮を覚えた」一番最初の機会である。で、同じく好きなクラシック音楽感覚でヘッドホンで走行サウンドを聞きながらストレス発散をしていると思われる。つまり鉄道おじのアレなのである。そのようなオートバイフェチと常識を外れた性的嗜好を、鉄道おじのオートバイや自転車の造型で性的興奮していくことが、のちにあのように発展していくのだ。
私がこのような違和感を感じた最大の要因は、ロードバイクやオートバイの大群に興奮を覚えた鉄道おじを批判した人が、逆ギレした鉄道おじによって糾弾されたことにある。楽しさをわからない子供だと。しかし、その後に不正改造車のネタ消費を記事にした鉄道おじは、なぜか「竹箒に跨って飛び跳ねて遊ぶ女性」を批判していた。
もしオートバイや自転車の造型や騒音で性的興奮を覚えるのは良いというのが「竹箒を使った魔女や魔法使いや魔法少女の真似は下品」なら、鉄道おじの主張は明らかなダブルスタンダードになるが、実際はそんな問題ではないし、何より成り上がりである鉄道おじが下品な趣味を捨てていないのだから、鉄道おじこそ「下品」である。
鉄道おじは魔法少女ものの漫画を持っていないし、1990年代から今日に至るまでアニメオタク活動をしているとあるが、魔法もののアニメについて触れたこともない。その際、一度もを調べずに自分の無知や低知識をもとに娯楽論もどきのまとめを投稿したわけだが、オートバイからの興奮のリミッターが鉄道おじの人間性をダメにしていないか。
これが鉄道おじである。もちろん当然、鉄道おじの自宅部屋に行けば、本棚には古今東西の不良漫画やオートバイ漫画が、PCやその周辺にはオートバイや自転車に関する画像を集めたディレクトリやゲームソフトや機械があるから、その時点で問題である。本当にオートバイからの性的興奮は脳内から追放したほうがいい。そして、鉄道おじの異常な性的嗜好をどうにかしたほうがいい。
とても面白かったし泣いたし、心に未だに余韻が深く刻みこまれてる。
けどなんかモヤモヤした。多分そのもやもやは…ああいう強烈なロマンティックラブが好きな監督への同族嫌悪。
どんなに隔たりがあっても、自分と相手の強い結びつきは絶対で、それもただの恋愛関係ではなくて、相手の存在が自分の存在に意味を与えてくれるような、そういう惹かれ合い。主人公達の最初のモノローグのように、自分にはそういう相手がいる、その誰かを探している。ってさ。
そういう相手がいるのが羨ましい、というかそういうふうに言ってる内は「自分は彼にとってオンリーワンの自分なんだ」って思っていられるから、羨ましい。
だってそういう相手欲しいじゃないですか。無条件に惹かれ合ってられるなんて素敵すぎるじゃないですか。
でも現実の世界で男女のいろんな出来事を見聞きして経験してきちゃうと、そんなんねーよ!って思っちゃうし、そんな夢見て恋愛してられないと思っちゃう。夢見て恋愛して上手くいく人もいるけど少数。
オカルティック・ナイン。視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。
シュタゲもそうだったが、まず最初のキャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。
典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラングに日常的に触れていて、ネタを理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。
「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と
「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。
前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化の理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかなファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分が理解者であることを自負したいから、他人が理解を表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者を矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪の感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。
本当に理解が深い人は、他人の表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身は現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さないタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己のステータスにしないしアピールもしない。だから自己と他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現もフラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。
中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体がラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾型キャラなのだ。
さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳の電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品な萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。
シリーズのファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイな描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。
主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済を理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイターが跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体を嫌悪の対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代の産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。
さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ、伏線を匂わせる描写の密度が、一般的な作品と比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口な演出が多用されているかの解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。
ともかくネットというのは悪意的な見方の人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブな制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたものに思考を汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカンは特にそれが求められる作品だと感じる。
あまりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションはスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有の事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベルを圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまり各メディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。
けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味でロックな姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。
思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブにしろ、ガルパンにしろ、エヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品のファンは宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品に思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。
よく、「ノリについていけない」とか「登場人物に感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタな感覚で作品を眺めすぎている。無意識に作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか。原作者の志倉千代丸氏自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種のペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。
感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラの思考回路が伝わってこないからダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないか。フィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格のキャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路や価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメのキャラならともかく、脚本があるストーリーもののキャラであれば、そうやって「キャラを理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラは理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえ「キャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力や積極性、クリエイティビティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢で想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。
難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚は基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。
どうにもオカンの話ではなくネットのアニオタ批判になってしまったが、これからの時代、コンテンツを楽しむということは、イコール、ネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネットの未来。そんな未来だとしても、それでも、日本のアニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。
会員に書かせたりWikipediaコピペしたりして作成した内容の薄いキーワードページを大量のダイアリーにリンクさせてSEO対策した結果、
検索すると必ず出てくるけど見に行ってもメリットのないあのサイトなんなの?変な会社じゃない?お茶も出してくれ無さそう。ぶぶ漬けは出そう。
と噂されていた会社がかつてあったことを歴史から消し去るつもりですか!
Wikipediaコピペで水増しって楽天的な会社の電子書籍と似てますね。変な会社のブログでも批判記事上がっていたのは同族嫌悪だったのかしら?
内容が薄いだけならまだしもWikipediaのコピペをやめた後は未作成キーワードページに誘導して編集しませんか?と言われるガチスパム状態。
調べたいワードで検索してその情報があるんだろうなあと思ってクリックしたら白紙原稿わたされて「お前が筆者になるんだよ」って言われるんだぞ。
本当にひどい会社だと思いました。だが、はてなあ名前が思い出せない。
とにかくそんな会社のサービスで書かれていることは信用してはあきまへんえ。
http://anond.hatelabo.jp/20161129225450
追記
ほんと人間性を疑うよねー
はてなにブログを複数展開していらっしゃる、人気アフィリエイトブロガー様に、
何と不肖私、取り上げていただきました!
どうもありがとうございます!
「嫌いなブログなのに読まずにはいられない理由」 - マリア様はお見通し
http://cantfoolme.hatenablog.com/entry/hater
もう、これほどのスターブロガー様に取り上げて頂いて、本当に光栄です!
http://girlschannel.net/comment/942100/192/
スターブロガー様の、とてつもない人気に嫉妬して、つい書き込んじゃいました、すみません
けれども、私を取り上げて頂いたこちらの記事について、何分自分にまつわるものなので、二三
まず、一つは、スター様、ご自分のことを書かれた内容について反駁するおつもりならば、
私が書き込んだ内容の全文が他の方にも伝わるよう、ズバッとリンクを貼るなりされればよかったでしょうに。
なぜ、ほぼ枕詞でしかないような取るに足らない一言にそこまでの反応を示されるのか甚だ疑問を抱かずにはいられません。
スター様がご指摘の通り、私は、あなたについて"前々から知ってる”とは書きましたが”(あなたについて)全てを知っている”とは
一言も書いてません。
過剰に反応しすぎだし、論点がずれています。何か、大人気(おとなげ)ないです。
思っていたイメージとはまるで違っていました。失望しました。残念です。
スター様の私に関する記事は、ひたすら「自分の書く文章が嫌いであるならば、読まなければ良いのに」という論理のみを中心に
展開されておりますが。
ご自分の書かれた記事に対して、ほんの通りすがり程度の批判でしかない文章にあれだけお怒りになるのならば、
「ご自分が思った通りに反応する方々相手にしか公開しなければ良い」
何であれ、あなたアフィリエイトで稼いでるなら尚更、「自分の文章にケチつけんな」みたいなこと言えた立場じゃないでしょ!?
しかも。
スター様の今回の記事、私に対して相当お怒りなのは分かるのだけども。
そこはかとなく、
「私について、こんな書き込みをするだなんて、あなた本当は私に対して憧れの感情が
強すぎて、やっかんで書いたんでしょ!?」
みたいな。
”ホントは私のこと好きなんでしょー?もー、こじらせちゃって!”みたいな。
自分のことを叩くのは、自分自身に興味があるから、と思い込むのは・・・・・
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
 ̄YYYYYYYYYYYYYYYYYYY ̄
あ、"真性ジブンスキー”っていうのは、こちらのスター様ご自身による造語です。
お時間あったら参照してみてください。
私もね、今回スター様のブログ読み直して知った言葉なのですけど、自分で使ってみて寒気がしちゃったお!
とにかくね、この人、センスがないのです。センスがない、っつのはさ、要は客観性がまるでないからですよね。
この方のことを、”前々から知ってる”と書きはしましたが、それは他の方のブログのリンクやらコメント欄を辿って
訪れたことがあって、という程度の意味合いです。私にとっては。
まぁ、”知っている人”という書き方をしてしまいましたが。
これまでに、何度か「あれ、この文章の感じ、前に読んだことある・・・かな?」という経験をした、というぐらいの感覚で書いたことです。
いわば推量ですよね。
なぜ、偶々訪れたブログをこの人のもの、と思ったか、と言えば、ただただ文章と内容の稚拙さが故、というところです。
ご自分のことをとかく尊大に書き表している割には、どうでもいいようなつまらないことでいちいち他人を叩いてばっかの人がいるなぁ、と。
記事の数が多い割には、内容が似たり寄ったりだし。掲示板に書いた通り、他人を叩くにしても、文章から受ける彼女への印象とそう変わらないような
事柄について、何度も何度も同じようなことを同じように書いていて。同族嫌悪でしょ、ただの。
やっぱり、よっぽど自分のこと好きなんだよこの人。
大した論拠を挙げられるわけでもなく上から目線だし。すぐ他人を見下して。
他人のことばっかネタにするのも、実際には"自分がなくて空っぽ”だから。
コメント欄にもなぜかこの人に「禿同!」みたいな意見ばっかなの。寒気がした。
まぁ、ここまで自分で自分を知らずにいる人に、真実はなかなか伝えられないもんよね。
私が友達でも、「あなた才能もセンスもないよ」とは言えないなぁ。てか、言わずに、ドンドン目立つところに出させておいて、後になって堕ちていくのを楽しんで見守る、かな。
父 | 母 | 娘 | 関係 |
---|---|---|---|
D | D | D | △ |
D | D | W | |
D | W | D | |
D | W | W | ○ |
W | D | D | |
W | D | W | × |
W | W | D | |
W | W | W | × |
D:乾燥、W:湿性
http://anond.hatelabo.jp/20161102211759
http://anond.hatelabo.jp/20161107130534
http://anond.hatelabo.jp/20161108104252
娘が父親に嫌悪感を抱くパターンとそうでないパターンがあるわけだが、
これはどちらが正常ということではなく、遺伝子の組合せによって決まっているだけ。
もちろん、遺伝子的に同族嫌悪の原則があるので、遺伝的に近い父親の体臭に嫌悪感を感じるのは自然なことなのだけど、
それ以上に体臭の個体差は大きいので、嫌悪感を感じない父娘関係は十分にあり得るのだ。
いちばん分かりやすいところで、耳垢が乾性か湿性という特徴で説明すると、
父:湿 母:湿または乾 娘:湿
父:乾 母:乾 娘:乾
↑このパターンは体臭的には近いが体臭自体が少ないので嫌悪感があまりない。
父:乾 母:湿 娘:湿
↑体臭的に母の影響を強く受け継ぐので、父の匂いには好感すら抱くこともある。