はてなキーワード: 労働集約とは
問題は、インフレを予測する正しい方法とは何かということです。最近の物価と賃金の測定値をパンデミックによる特異性に重点を置いたボトムアップ分析するか、経済がどれだけ上または下にあるかを示す従来のトップダウン分析です。その通常の容量。
影響力のあるスタッフを含むFRB内部の一部は、後者をより重視しており、これはより長期にわたる引き締め政策を主張するだろう. 他の人は前者を好み、より穏やかなアプローチを主張する可能性があります.
FRB は水曜日に金利を 4.5% から 4.75% の範囲に 4 分の 1 ポイント引き上げる可能性が高く、 2 回連続の会議での上昇は鈍化します。そうなれば、当局者は以前の利上げの影響を研究する時間が増えるだろう。彼らは、利上げをいつまで続けるか、そしてその高い水準をいつまで維持するかについて議論する可能性が高い.
連邦準備制度理事会と民間部門のエコノミストがインフレを予測するために使用する主力モデルは、国の財とサービスに対する総需要と、「産出ギャップ」で表される総供給を比較します。これは、実際の国内総生産と利用可能な資本に基づく潜在 GDP の差です。そして労働。また、失業率が一定の自然で持続可能な水準を下回ると、賃金と物価がより速く上昇すると予測するフィリップス曲線にも依存しています。
これらの変数を推定することは、パンデミック後やウクライナでの戦争中はもちろん、平時でも困難です。自然失業率は、物価と賃金の動きからしか推測できません。10 年前、FRB 当局者はそれを 5% から 6% の間に置いていましたが、実際の失業率が 4% を下回ったため、賃金の大幅な上昇は見られず、その後 4% 前後に下方修正されました。
ジェフリーズのチーフエコノミスト、アネタ・マルコフスカ氏は、12月の金利とインフレの予測は、自然利子率が一時的に約4.8%まで上昇したと彼らが考えていることを示唆している. 失業率が現在 3.5% であることは、労働市場が逼迫しすぎており、賃金圧力が高くなり続ける可能性が高いことを示唆しています。
先月の連邦準備制度理事会の議事録は、中央銀行のスタッフエコノミストが、仕事のマッチングが非効率なままであるため、自然利子率がゆっくりと低下する可能性があると考えていることを示しており、価格圧力が以前に考えられていたよりも長く続く可能性があることを示唆しています.
スタッフはまた、労働力の伸びが鈍いため、潜在的な生産量の見積もりを下方修正し、実際の生産量は持続可能なレベルをさらに上回った. スタッフは、この産出ギャップが 2024 年末まで続くことを確認しました。これは、わずか数週間前の予測よりも 1 年長くなります。
ジュネーブで経済コンサルティング会社を経営する元FRBのエコノミスト、リッカルド・トレッツィ氏は「これは大きな動きだった」と語った。「スタッフは委員会に、『今あきらめてはならない。そうすれば、中期的にインフレ率は2%を大幅に上回ったままになるだろう』と言っている」と述べた。
それでも、FRB当局者は、GDPギャップとフィリップス曲線に過度に固執することに慎重です。過熱した労働市場は賃金に最初に現れる可能性が高いため、多くの当局者は、それらを潜在的なインフレ圧力のより良い指標と見なしています。賃金は、雇用主が物価や生産性を通じて回復できると考えているものと、労働者が自分の生活費を考慮して何を期待しているかを明らかにします。
賃金が最近の 5% から 5.5% のペースで上昇し続ければ、生産性が年間約 1% から 1.5% 上昇すると仮定すると、インフレ率は FRB の 2% のインフレ目標をはるかに上回ります。
これが、FRB の政策担当者が先月、今年のインフレ予測を上方修正した理由です。より高い賃金上昇は総所得を押し上げ、より高い価格を維持できる消費力を提供します。当局者は、1970 年代に起こったように、労働市場が逼迫しているため、賃金が物価に連動して上昇する可能性があると懸念している。
先月の会合以降、臨時雇用や労働時間の減少など、労働需要が軟化した可能性を示す証拠が増えている。賃金の伸びが 4% に落ち込んだ場合、インフレ率を 2% にすることはより簡単になります。
労働者の供給が増えれば、賃金の不安は和らぐだろう。UBS の米国チーフ エコノミスト、ジョナサン ピングル氏は、移民が回復するにつれて労働力不足が緩和される可能性があると考えています。先月、国勢調査局は、2017 年以来初めて、6 月までの 12 か月間の純移民が 100 万人を超えたことを示す見積もりを発表しました。
FRB 当局者は雇用コスト指数を注意深く見守っています。第 4 四半期の数字は火曜日に発表される予定です。
食品とエネルギーを除く個人消費支出の物価指数の 12 か月間の変化で測定されるインフレ率は、9 月の 5.2% から先月は 4.4% に低下しました。FRB の 2% の目標をまだ上回っていますが、過去 3 か月で年率 2.9% まで緩やかになりました。
商品の価格が下落しているため、インフレは鈍化しています。住宅費の大幅な上昇は鈍化しているが、まだ公式の価格計には反映されていない. その結果、FRB議長のジェローム・パウエルと数人の同僚は最近、食料、エネルギー、住居、商品の価格を除外することで、労働集約的なサービスのより狭いサブセットに注意を向けました.
パウエル氏は、12月に前年比4%上昇したこのカテゴリーの物価は、消費者物価に波及する高い賃金コストの最良の尺度を提供すると述べた。
今月のスピーチで、FRB副議長のラエル・ブレイナードは、その見解をより楽観的に再評価し、賃金と住宅以外のサービス価格との関連性が弱まる可能性がある理由を強調しました。
彼女は、賃金の伸びとは対照的に、現在反転している最近の世界的な混乱の波及効果を反映している場合、物価上昇が緩やかになる見通しを指摘しました。たとえば、レストランの食事、自動車保険、航空運賃の価格は、主に食品価格、自動車価格、燃料価格の上昇がそれぞれの原因である場合、緩和される可能性があります。
UBSのピングル氏は、「賃金圧力が自然に緩和している場合、賃金と価格のスパイラルが進行することを本当に心配するという話をするのは難しくなる」と述べた。
連邦準備銀行の元エコノミスト、ジョン・ロバーツ氏は、サービス・インフレへの圧力を緩和するために、賃金以外のコストを削減する余地があると見ている. 「しかし、中期的には、ここでパウエルの議論に頼らなければならない. 「もし賃金の伸びがこれまでと同じように高水準にとどまるなら、彼らは依然としてインフレの問題を抱えることになるでしょう。」
SESを叩いているのはWEB系企業(ですらない広告代理店崩れ)と転職エージェントだよ。
騙されるな。
WEB系企業といっても、ここで言っているのは〇INEとか楽〇みたいなちゃんとした企業じゃない。
PHPとJavaScriptがちょっと使える程度の技術力で、場合によっちゃwordpressなんかも使ってぺらペらのWEBサイトを作るだけの企業のこと。
零細広告代理店崩れのそいつらが、低賃金で働くエンジニア志望の人材が欲しくてポジショントークしてるだけ。
広告って電〇とかのせいで儲かるイメージだけど、実はすごく利益率が低い。
だからどうしても労働集約型にならざるを得なくて、そこで必要なのが低賃金で残業代も無しで働いてくれる若者なわけ。
そいつらが必死にネットで工作して「WEB系=キラキラ」「SIer・SES=地味、ブラック」というイメージを浸透させようとしているに過ぎない。
そのイメージに騙されて、好待遇のSIerやSESを辞めて劣悪ブラックWEB系(笑)企業に転職していく人が続出しているんだ。
あと転職エージェント。あいつらは人が移動すればそれだけ自分たちに金が入るから、現在IT業界の中で最大の人材を抱えてるSESからなんとかして他の企業に人を転がしたいだけ。
これもポジショントーク。
もう一度言う。
昨今流行っているSES叩きはすべてポジショントークだ。プロパガンダだ。
騙されるなよ。
要はこれ他の先進国なら仕事が見つからないような無能をかき集めて、労働集約型の産業で生産性の低い仕事をやらせてるだけの企業がめちゃくちゃ多いってことだからな。
なんでわざわざそんな儲からない事業をやるかといえば資本が足りなくて、もっと儲かる資本集約型の産業に移行できない中小企業が山のようにあるから。
とりあえず働いてるというだけの人間が何かを生み出せる時代はもう終わった。
しかし日本は先進国としてはアメリカに次いで無駄に大きな人口を抱える国だからそういう穀潰しを養うための社会を維持してしまう。
栄光のメーカーから落ちぶれたSIerの経営者よ、「猿まね力」がないなら変革は無理だぞ
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00322/121300024/?P=2
社名を出さないで「落ちぶれた」などと言っているのも感じが悪いので、はっきり書いてしまおう。メーカー落ちぶれ組とは、もちろん富士通、NEC、日立製作所のことだ。日立は最近「IT×重電」などでDX(デジタルトランスフォーメーション)に成功しつつあるとの評判だが、私は留保をつけさせてもらう。IT部隊だけを見ればSIerであることに変わりがないからだ。この3社にNTTデータを加えた4社が、ハイテク産業のふりをした労働集約型産業であるIT業界で親玉中の親玉として君臨しているわけだ。
島耕作の亀淵は、やらかした後に組織のフォローで事なきを得るが、それはテープ貼りという労働集約率の高い仕事についてだった。
結果的にデザイナーとして独立して成功した、って書き方になってるから、作者的にもどっちかというと日本的な仕事に疑問を呈するような描き方だったね。
① 池ポチャ後、キャディーは元の位置から打つ選択肢も考えられるためにゴルフバッグを残して、池まで行った。
② まだ、どちらから打つか決めていないのに、同伴競技者のキャディーが気を利かせたつもりで大西選手のゴルフバッグを持ってきてしまった。
③ 大江キャディーは、元の位置から打つかもしれないのに、バッグを持ってきてしまった同伴競技者のキャディーに大声で注意した(「なんで持ってくるんだよ!」みたいに強めの口調だった?)
④ そのことに対して、大西選手は大江キャディーに注意した。(18Hの会話で「(バッグを)持ってきてくれてありがとうで終わりじゃん。」と大西選手は言っている
多くの職場でもこうしたことが起きていて、日本の職場の生産性を落としていることが多い
「手が空いたら他人の仕事のヘルプ」は、専門性の低い労働集約ジョブでは意味があるが、
専門性のある仕事であればあるほど余計な事であり、優秀な人間の足を引っ張ることになる
たとえば60分かかる仕事を10分で終わったら、50分を別のブルシットジョブに充てるというのは愚の骨頂である
(SIerの人月計算など、元来的に足を引っ張りあったほうが儲かるビジネスの場合を除く)
おそらくアメリカなどはこの余剰リソースの考えが優れているから大国なのだと思う
余剰リソースを作った=優秀な人間、という評価が下されるのである
日本は逆で、余剰リソースを作らせない、全員が均等になるような方向で動く経営者が多い
根本論として「みんなで平均的でありましょう」という、「運動会みんなで一緒にゴール思想」があるためと思われる
この場合はキャディという専門的判断を要するプロの他人の仕事に、勝手に手を出したことが原因だろう
そもそも労働集約型産業の典型的なスタッフなので、それ自体に良いも悪いもない。
「知識集約型産業であるはずのシステム開発を、日本じゃ未だに労働集約型のメソッドで回してんの?」
という問いかけになる。
というか日本でプログラマと言ったら、現状その大半が顧客の大企業の基幹システムの新規開発ないしリプレースで、
2次請けか3次請け~末端でコード書いてる人達だと思うんだけど、その認識で合ってる?
そんでそういうところのプログラマって、申し訳程度の予備日しかないやたら細かい線表に実装・レビュー・テストがみっちり詰め込まれたスケジュール
=遅れるのがデフォな進捗で、終電近くまで貸し切りビルというタコ部屋に複数人が閉じ込められて作業するイメージしかないんだけど、
今もそんな感じでマネージメントしてんの?
こう書くとライン工のほうが数百倍はマシな仕事に思えるのはともかく、これなら必要なのは大卒みたいな肩書じゃなく気合で耐え抜く力だし、
実際日本語喋れて気合だけあれば誰でもなれそうだから、あんまり人の確保にも困らなさそうで羨ましいわ。
まあ、客への誤魔化しと奴隷をうまく使うという意味で上位層で動いてるSEは優秀なんだろうし、優秀な人が数人で済むのであれば合理的なんだろうな。
後任は、隣の部署の有能な後輩に打診されたらしい。
退職するそうな。
大変面白い。
壊れていくのを外から楽しく見られると思うとワクワクが止まらない。
もちろん会社全体はそんな程度でビクともしないけど、局所的には大変なことになるだろう。退職連鎖しそうで興奮しちゃう。
楽しみすぎる。
一見何事もないように会社は回るんだろうけどさ、労働集約的な部分が大きい仕事なので人が足りなきゃどうにもならんことが多い。
アレらが牛耳る限り、この部署はこれ以上の成長はないだろう。みんな辞めていく。
でも、俺たちは会社と上司への感謝だけ述べて爽やかに退職するよ。
もっと上はアレらとしか接触する機会がないので、実態はわからんだろう。
楽しみすぎて興奮して眠れない。
https://foo-x.com/blog/is-spa-high-cost/
ぐうの音も出ない論駁だと思っていたら、はてブコメントがクソ煮込みうどんになっていてワロタ。
IQの高い起業家に対しては、自分でコードを書くことを薦めている。
そのときに明らかに学習コストが低く、当面のスケーラビリティに困らない方法は、SPA(というか、NextJS等のSSG)+BaaS(Firebase等)。
Railsなんぞ使ったら、あらゆるレイヤに戦線が広がって、労働集約的になってしまって、IQでゴリ押しできない。
正直、最近のサービスは高IQの人間にとっては極めて快適だと思う。いわゆる文系の人でも、セキュアかつスケーラブルなサービスを容易に開発できると思う。
たとえば、今ホットエントリに入ってる「バックアップ」を例にとる。
実はLinuxやWindowsの最新版では、強力なバックアップ機能が最初からついている。
しかしこれを使うと運用がシンプルになり、人月工数が稼げない。
そしてそのソフトが複雑だから、〇〇人月下さいね、と請求することができる。
客は「OS標準よりも、ソフト沢山入れたほうが重厚で安心できそう!」と勘違いする。
LinuxとWindowsの標準機能で100%以上の要件が満たせるのである。
「無知につけこんで、煙に巻いてふんだくる」という行為である。
だから、上のバックアップ担当者などはヤ〇ザっぽい反社人間をつけることが多い。
客がもし「この機能って本当にいるんですか・・・?」とか気づいても、
SIerやSESには、多かれ少なかれそういうビジネス要素がある。
「人売り」という戦前からの手配師にヤ〇ザものが多かった時代となんら変わらない。
より深い理解には、
[B! 労働] 技能実習生、農家「早く来て」 2人不足なら収入1千万円減:朝日新聞デジタル
でもお前らは中国産のほうれん草を毒草を見るような目で見るし、
コロナ禍で技能実習生来日できず 野菜生産に影響 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタルによると実習生に時給1100円~1200円は払っているけれど、
(働くわけないよな。時給1500円って会社勤めなら年収300万円水準だもの)
時給3000円なら働く奴もいるだろうが、
作目別経営収支試算例(島根だけど)のほうれん草を参考にすると、
時給1000円計算→3000円計算にするということは、小売価格ではだいたい4~5割上がることになり、
しかもそれが全作目で上がるんだけど、そうしたら間違いなく「野菜が高い」と文句をたれるだろ。
小売価格に転嫁できないなら経営が成り立たないからと廃業しても、お前らはその農家や従業員を、時給3000円どころか1500円でも雇いやしないし、
廃業して生産量が減れば需給バランスから価格が上がるけれどやっぱり「野菜が高い」と文句をたれるし、
「大規模化機械化して効率化を」といっても、大規模化したくても平地の少ない日本では限界があるし、
コメと違って野菜は労働集約的な産業だから機械化にも限界があるし、
効率化をはかるということは、それだけその産業の失業者を増やすことになるけれど、その失業者を適正な賃金で雇う気もないだろ。
技能実習生制度は問題だらけだけど、この制度なしではにっちもさっちもいかない状況を無視して、あるいはちょっとでも考えることなく、
やれそんな農家は潰れろだのもっと金払えだの、よくも言えるよな。
恥を知れよ。
この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者・経済学者、カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツのトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています。
先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ「講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義が興隆する19世紀英国を舞台に物語が展開し、『資本論』のエッセンスを解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます。
けれども、原作である『資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。
たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋と八百屋が売れ残ったパンと野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます。
何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーやコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品とお金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。
しかし現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品の価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金の価値が大きいと思うからです。
つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。
ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的な基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実は1870年代、オーストリアの経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます。
しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。
もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます。商品の価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家は商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値(剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。
これは商品の価値は労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品の市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき、商品の製造にかかった労働量を調べたりしません。
もしマルクスのいうように商品の価値が労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約型産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業の利益率は均一化に向かいます。ある産業の利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。
マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまいます。
あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスはマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年に出版します。しかし矛盾の解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルスは序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。
そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されます。エンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクスは矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。
第3巻でマルクスは、商品の価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業で利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾の解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品の価値は労働で決まるという第1巻の理論を放棄したものです。
メンガーと同じオーストリアの経済学者、ベームバベルクは1896年に出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクスは解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見に同意します。第1巻で述べた剰余価値の理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家は労働者を搾取するという主張は根拠を失います。ベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。
マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。
今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています。欧州連合(EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。
しかし20世紀の社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクスが話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000
すばらしいまとめ。エンゲルスの隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれてしまったのだろう。