はてなキーワード: 冠婚葬祭とは
三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前を付けられた私から、元増田に頼みたいことと言いたいことがある。
頼みたいことは簡単なことだ。
将来あなたがその姪御さんと普通に親戚付き合いするようになったとしても、決して名前について触れるな。
その名前が原因で避けてたなんて言うな。
姪からしたらそんな叔父の存在を知るだけで、馬鹿らしかったり、呆れたり、叔父を切り捨てたくなったり、よい感情はない。
この下に言いたいことを書くが、言いたいことのついでに自分語りもするので後は読まずに無視してくれて構わない。
一行目にキラッキラッした名前だと書いたが、私の名前は私の年齢にしては非常に日本人らしくない。
幼稚園の先生に笑われ、中学では男子にからかわれ、英語圏にホームスティに行けばホストファミリーにそれはあなたの本当の名前なのかときかれるような名前だ。
「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから」とか「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」とか、うちの親も同じことを言っていた。
だからって、親がむかし世話になった外国人の名前をそのまま娘につけなくてもいいと思うんだ。
日本では変な名前だし、名前のもとになった人の国でも古臭い名前でそんな名前をもつのはひ孫がいる年齢の年寄りしかおらん。
私は小学生の頃親に内緒で改名のやり方を調べて、親の許可がなくても改名できる年齢になったら名前を変えようと思っていた。
中学生になって冠婚葬祭で出くわす親戚のおっさんたち(当時20~39歳)に自分の名前のことを散々に言われてから気が変わった。
そのおっさんたちにはもっと幼いころから名前については言われてたんだが、思春期の中二病的なものと大人への反発が合わさったのかもしれない。
当時はとにかくその人たちが気に食わなかった。
気が変わってから高校や大学で周りを見れば、意外に世の中自分よりもっとキラキラした名前の人がいた。
高校の同級生に漫画の主人公の名前に無理やり字画の多い漢字を当て字した名前の女子がいた。
当時の彼女は、彼女の名前について「親戚からいろいろ言われないか」と無神経な同級生に聞かれた時にこう答えていた。
「名前のことで文句つける親戚は、血の繋がる私のことが大事だと私に伝えるよりも、私の名前を否定したい自分の感情を優先している」
それを聞いて視界が晴れた気がした。
私が成人して何年もたってから、私とそれまで接触がなかった親戚の一人(親と同年代)に謝罪された。
「(私の)名前がアレだったので今まで避けていて申し訳なかった」だそうだ。
(彼はそれで謝ったつもりなのだ)
年齢のせいもあるが、彼より私のほうが社会的に上の立場になったから謝ろうと思いついたのかもしれない。
今も昔も、その親戚は私につけられた名前にかこつけて、私個人を見る気がない。
でなければ、そんな謝罪はすまい。
元増田も姪御さん個人を見る気がないようだ。
姪御さんが生まれて三年。
今何ができるようになったのか。
食べ物は何が好きなのか。
絵はどんなものを描くのか。
どんな色が好きなのか。
どんな風に笑って、何を怖がるのか。
顔立ちは父母のどちらにどこが似ているのか。
そういう姪にまつわる名前以外の全てのものまで、元増田の人生から排斥する意味はあるのか。
たとえ影響がどこかの会社で今あるとしても、姪御さんが大人になる頃には限りなくゼロに近いだろう。
追記:
キラ☆キラネームの当人にとっては、世間の人や同級生よりも一番直接名前を否定してくるのが、自分の親戚だ。
血が繋がっているからこそ、一部の親戚は同級生の親や学校の先生よりも遠慮なく、直接言ってくる。親ではなく子どもに。
子どもは守られるべきで、悪意を受けるべきではない。
保育園入れようと思って、年収別の保育料見たら、うちの自治体酷すぎwww
これうちの自治体だけじゃないんよね?
みんなそうなのよね?
うちの場合
家賃50000
食費40000
水道光熱費30000
ガソリン代30000
冠婚葬祭費もろもろ払って、普通に暮らしただけでほぼなくなる。
パートに出たとしても半分以上が保育料。
そりゃ何のために仕事に出るの?ってなるよなぁ。
私は育休だったからまた仕事に出られるけど、家の都合で仕事一旦辞めてしまった人は本当に考えると思う。
なのに、今の世の中は旦那の稼ぎだけじゃ子供を大学まで行かせられないから、母親はそれでも働きたいと思う。
ほんとに制度が今の世の中に合ってないのな。
実際そう言われたのでは…?
元増田は現状に「開き直ってる」という言葉を使ってるくらいだから、
外見に対してさほど自信があったり気を使ったりしてるわけではないんじゃないの?
「自分を変えたくない」と言うのは、外見について自分なりのこだわりを持ってるならそのままでいいだろうし
イラッとする権利もあるんだろうが、そうでないなら「芋ブス」と言われても仕方ないと思う
・そういう訳ではなくてなんか体型とか整形とかをなんとかする
この三つは整形以外は不可分なのでいかんとも。
体型が標準から外れてるならそれを目指さなくてはならないし、スキンケアや化粧がおざなりならそれも必要だし、
髪型がもこっち状態なら美容院に行くべきだし、そうしてはじめて可愛い服も浮かない。
「磨く」ってそういうことなわけで、ある日可愛いお洋服着たら大変身!なんてこたあない。
Cancamはギャル雑誌みたいなもんなので無難でも何でもないと思うけども。
正直急にオシャレに気を使いだすのが気恥ずかしい気持ちは分かる。
分かるけど、多分元増田は若いんだと思って言うが、服の失敗は若いうちにしておいたほうが絶対に良い。
服屋で迷って、失敗して、メイクに挑戦して、だんだん自分の顔立ちや体形を客観的に把握していくしかない。
それができていないと、ある程度の年齢になった時に本当にみっともないよ。
どんなに私生活は適当でも、冠婚葬祭会社の付き合い、ある程度きちんとした格好を求められることはあるから
そのときに「何着ていいか何が必要か自分の見た目がOKかNGかまったくわからん!!!」てなるか、
ある程度自分の中に服選びと化粧ののノウハウがあった上で臨むかで、生きやすさは全然違うと思う。
ぶっちゃけ若けりゃ多少似合ってなくても若さだけで何とかなる。
失敗してもOKなのは今のうちだ。がんばれ。
今の日本において最も確実な老後対策は、サラリーマンになって結婚することだ。
具体的に言えば、厚生年金に入って、被扶養配偶者の年収を130万円未満に抑える事だ。
こうすると、厚生年金の半分と、被扶養配偶者の国民年金の払込料を肩代わりしてもらえる。
破綻させづらい物価スライド方式の平均払込1.7倍の終身年金が他にない以上、これが最も確実な対策になる。
独身は、ただ独身であるというだけで、基本的には冷遇されている。
だから、毎月5万円貯蓄しよう。
ゆとりある老後には夫婦二人で年金に毎月X万程度不足するというのが常套の煽りになるので、
だいたい3000万はいるぞ、いや一億いるとか言われる。
ただ、喪女喪男に対して、夫婦でたまに旅行に出かけられるゆとりある老後とか、大きなお世話である。
まずモデルとして、理想的なインドア喪の毎月の支出を考えてみよう。
合計は14万8千円で、粗い概算としてはだいたい15万円というところだろう。
独身は不摂生なので、医療費は年60万円の3割負担で18万円を見込んでいる。(75歳以上は3倍かかるとして平均)
どうせ独身で付き合いもないし、冠婚葬祭は全無視としている。(遠征だのオフ会だのは娯楽費)
雑費が高く見えるだろうが、これは5年平均で60万とみている。生活家電の買い替えも含む金額だ。
簡単な概算だが、これに何歳までBlu-rayを買い続けるか、みたいな計算をする。
例えば、50歳までは我慢して働いて、そこから若隠居でひなが一日アニメを見る生活に移行したとする。
80歳まで生きればもう十分だろう。
さらに年収300万弱で30年働いたとすると、年額100万程度年金が貰える。
となって、3900万円準備すれば良いことになる。
逆算すればわかるが、3900万円貯めるには、30年働いて毎月11万円貯金が必要になる。
すると、前提として年収300万円なのでだいたい月手取り20万として、使える金額が9万円になってしまう。
これは老後のほうが豊かであって、本末転倒といえる。
年収300万円であれば50歳まで働いただけでは理想的な老後はおくれない。
つまり「これぐらいの収入なら、これぐらいの老後がおくれる」というのは、計算できることが判る。
ここで、理想的なインドア喪の生活を送りつつ貯められる金額を計算する。
次に、これで老後どれだけ使えるか計算する。
すると、老後に毎月いくら使えるかが判る。
つまり合計9万2千円となる以下の様な老後生活が送れるということになる。
夢も希望もないかもしれないが、まあこんなもんだ。ただ、突っ込みたいところもあるだろう。
まず具体的な数字で出したので、次は汎用化だ。
計算式をまとめよう。
まず、以下を定義する。
毎月いくら積み立てればよいか知りたいなら、以下で判る。
(なお、「老後開始年齢」<「何歳まで生きる予定」などの制約は説明しないので、適当に考えて欲しい)
(また、インフレ時は預金利率も改善される前提だが、国債買うなりは割愛)
ちょっと計算すれば判ることなんだが、結局「老後開始年齢」が一番でかい変数になる。
で、Excelにでも入れてちょろちょろ数字を変えるとわかるが、
老後を60歳からにして、働く年数を35年にすると、15万できっちりバランスする。
こうすれば、毎月15万円の生活を80歳までは継続することが出来る。
60まで働いて、全期間毎月5万円貯金なら、さほどムリは無いだろう。
車が必要なら娯楽費を減らして積み立てたりローンを払えば良いし、
健康に不安があるなら娯楽費を減らして保険に入れば良いだろうし、
社交的なら娯楽費を減らして交際費とすれば良いだろう。
年金開始年齢が65歳から70歳になったらどうしようとか不安に思うかもしれないが、
働いていると貯金が減らない上に増えるので、62歳まで働けば良いだけである。
年金破綻してゼロなら、65歳まで働いて月13万円で生活すれば良い。
年収300万円台で60歳まで働けなくなったら終わりだぞ。体が全て。
逆に言えば、途中切れ切れでも契約社員でも年収300万円台を維持さえ出来れば、現役時代と変わらぬ老後が送れる。
昔の友だちが死んだ。実は友だちと言うほどでもない。実際には知り合いですらない。同じ時期に、インターネットの同じようなコミュニティ(というか界隈)で活動していて、複数人のチャットで2,3回話したことがあるぐらいの間柄だ。でも、その界隈で、すごい近い距離でサイトの更新をしたり、同じような元ネタから二次創作をお互いにしたりしていて、きっと、自分が向こうの事を意識しているように相手も自分の事を意識してるんだと勝手に思ってた。いつか、一緒に何か企画かなんかやりたいと思ってた。それから、時間が流れて、お互い、インターネットで、自分をさらけ出すような身を切るような文章や漫画も書かなくなって、そして、活動してる界隈も遠くなってしまって、たまに観に行くくらいになってしまって。そして、死んでしまった。それがなんだか胸の奥に刺さったしこりみたいになってうまく動けない。すごく怖い時に感じるような、胸の奥から来る寒気がどうしようもなくなってる。多分、いつか、また、合えるとどこかで思っていて、昔みたいにネットの片隅で気持ち悪いものを作って、直接の交流はしないでも、どっかで触れ合ってるような、そういうことが出来る時がいつか来ると思ってた。寂しいという感情に近いけれどもそれとも違う。過ぎ去ってしまった時間は戻らないし、戻せないし、あの、なんか楽しかった時間というのは、もう戻って来ないのだというのを、知ってしまったんだと思う。たとえ彼が死んでいなくても時間は戻せなくて、そして、これからも会う事はなかったのだと。小学校や、中学校や、高校時代の友だちがたとえ死んでもこういう感情は持たなかったと思う。かつて、場があって、そしてその場というのは自分や彼が作っていて、そしてその場が失われて、失われてしまったら、もう戻らなくて。今、彼は、物理的に死んでしまって、そして、もうその場が作られることはないのだけれども、でも、同じように自分も死んでいるのだ、と、この文章を書きながら、分かった。あの時の自分は死んでいて、あの頃、テキストサイトとか、テキッ娘とか、敵ッ娘、とか、不適ッ娘とか、ダークマターとかテキストサイト選手権とかそういう内輪向けの祭りを、ずっと続けてたかったけど、でも、そういうのはいつか終わって、それが出来なくなってしまった時点で、みんな、その場を作っていた死んでしまって僕も死んでしまって、でも生きてるから別のサイトや別の界隈や、リアルで生活をするけれども、失われて、ああ、駄目だ。悲しい。それが何が悲しいのか分からないけど悲しくて仕方がない。自分は冥福を祈るというのが苦手で、というか、もう、分からなくて。それは、死んだら人は無になると思っていて、幽霊も神様もいないと思ってて、でも、冠婚葬祭というのは必要だというのも分かる。それは、生きている人間の為のものだからだ、生きている人間が、死んで失われてしまったものにケリをつけて、過去のものにして、今の生活から遠ざけてしまって、思い出の中にしまいこむのに必要な儀式だからだ。だから冥福を祈る。死んだ人間の為じゃなくて、生きている自分の為に。でも、自分はそもそも人とのかかわりが苦手で、出来るだけ友だちを作らないようにしていたし、誰もいなくても生きていけるようになりたいと思っていて、だから冥福を祈るというのが、わからない。だって元々遠くに会って、これから会う予定のない人が、永遠に会えない人に変わってしまっただけのことだから。でもそれが今とても辛い。過去のものにするには、彼の作ったものがインターネットの海の中に溢れていて、そして、これからも残り続けるだろうし、あちこちのサービスやコピペブログに転載された文章や絵は、そのサービスが終了したり消えていく度にさざ波のように少しずつ亡くなっていくだろうけれども、でも、多分なくなりきることはない。リアルな、リアルというものもよく分からないのだけれども、区切りという、死があるわけではなく、ただゆっくりと今までに作ったものが見えなくなっていって、そしてそれが新しく更新されることがないというだけのことで、それがどういう意味になるのか、やっぱりよく分からない。楽しい事がしたい。インターネットの死は、失われるという事ではなく、時間が止まったままになる、という事なんだと思う。なにか、止まってしまって、自分も動けなくなってしまって、だから冠婚葬祭をしなければならないけれども、どうやって冥福を祈って良いのか分からない。辛い。
横からですが。
突然死したり無差別殺人や事故に巻き込まれたり死ぬ可能性のある人は代わりのきかない仕事に就かないでください
とか言い出さないでね。
同じようなこと書いてると思ってる。正直ね。
作業中に急に意識を失う可能性は誰にでもあるから、ナルコレプシーの人も集中を切らすと大事故を起こすような仕事に就いても構わない、とか言い出さないでくださいね。
正直、同じようなこと書いてると思ってます。
小さい子供がいる人は突然仕事を抜けることになる可能性が圧倒的に高いのです。だから、仕事を囲い込むべきでないし、代替の利かない仕事をすべきでない。
突然仕事を抜ける「可能性がある」「可能性がない」と定性的に考えるからおかしいのです。
可能性が高いか低いか、定量的に考え、リスクの有無ではなく、程度に応じて行動を決めましょう。
同じようなこと書いてると思ってる。正直ね。
そうですか。それはただの想像、思い込みで、事実とは無関係だと思いますよ。
親のいる人が介護のために仕事をセーブしなくてはならない時に、
あなたは同じことをその人に言える?
「計画的に親に歳を取ってもらえ」などと。
親の加齢は回避不能なので、この場合は「計画的に仕事をもらえ」となります。
その例だと「仕事をセーブしなくてはならない時に」セーブしないで仕事を請けていたらおかしいでしょう。
介護の必要な親がいるのであろうが、小さい子供がいる親であろうが、仕事の方を調整することはできるでしょう。
特に、親が加齢してもいつ病気になるかはわかりませんが、妊娠・出産と小さい子供のいる時期はある程度予測がつきますよね?
できるだけ一人の責任の重い仕事をもらわない、責任のある仕事をもらうにしても、常に他の人とできるだけ業務内容や仕事の進捗状況について情報を同期させ、
抜けても極力交代をスムーズに行えるようにする。
まあ、本来これは仕事を割り振る管理者の責任ですが、兼業主婦側にも当然「受け持った仕事を囲い込まない」「代替の利かないような仕事を求めない」「振られそうになったらできるだけ断る」などの対応は求められます。
リアルにもネットにも吐き出す場所がなく、いい加減気がおかしくなりそうだったので、チラシの裏代わりにさせてほしい。
たぶんADHDも併発している。
人の顔や名前が覚えられない(すぐ忘れる)ってのは学生の頃から気づいてはいたんだけれど、
この度、4度目の転職先で、そういった能力の欠如っぷりから職を失って、
ものの見事に高い数値が出たらしい。
診断を受けたいと主治医に頼んだときは、障害と認められたら少しは楽になれるだろうかという気持ちがあった。
でも今は、ただただ不安で、死にたくて仕方ない。
いや、死にたいというのは正確じゃない。
「なんで自分なんか生まれたのか」とこの世の全てを呪っている、と言った方が正しいか。
死ぬという行動は、今の自分には要するエネルギーが大きすぎる。
そんな元気は、ない。
主治医から「就職もできているのだから障害ではなく"傾向"だろう」と言われたのも精神的に参っている理由のひとつだろう。
コネで入った最初の会社からはじまり、転職する先々で三ヶ月もすれば必ず抑うつ状態になって、薬飲まないと会社に行けなくなるのを、果たして「就職ができた」と言っていいんだろうか。
少し判断に困る。
でも、これまでの転職先はみんな自分にあっていると思って選んだ仕事だった。
そして結局は(最後の職場を除き)仕事に関係ない部分でつまづいて退職してる。
たぶんこれからも、状況はそう変わらないだろう。
就職活動中に抑うつになって帰ってきてから、ずっとここで生活している。
中小企業だったら使ってるAdobeソフトが全部違法コピーなんてもザラだ。
そういう会社内の人間関係というのは、推して知るべしというか。
まあ、案の定自分は脱落者となった。
それですっかり一般企業が恐くなってしまって、つい最近までは大学で非常勤の実験助手をしていた。
金を儲けることは悪ではないけれど、やっぱり金に頓着しない組織というのは窮屈でなくて居心地がよかった。
売上成績は上がっているのに、個人的嫌悪感から「おまえの評価を下げて正社員じゃなくしてやる」と三ヶ月ごとに脅される心配もないし。
ただ、そこで判明したのが、自分がどうもアスペルガー症候群でADHDらしいという事だった。
これまではデスクワークばかりで、自分の障害がそこまでダイレクトに不都合を起こしたことがなかった。
だから、電話の言葉が聞き取れない(声でなく言葉が入ってこない)だとか、パソコンに向き合っていると呼び鈴の音に気づけないとか、特に理由がないのに朝礼というだけで気持ちが悪くなるとか…それまでの職場でもあったけれど、そこまで深刻に考えてなかった。
それが、実験助手という仕事についてからは、惨憺たるものだった。
忘れたということ自体を忘れてしまっている。
耳から入った言葉を短時間でも頭にとどめておくのが難しいから、メモを取りながら説明を受けても、必ずいくつか忘れてしまう。
そして、無事に覚えられたとしても、研究室という場所は物の位置が頻繁に変わる。
試薬を持ってきてと言われる度に、「あの試薬はちゃんと前と同じ位置にあるだろうか」と緊張感で冷や汗が出そうだった。
実験動物のケージなんて、ヘタをすれば日替わりで動くので、もう動物舎に入る事自体が恐くて嫌で仕方なかった。
そして、状況判断ができない。
これは指摘されるまで全く自覚がなかったので、多分いまも意識することさえ出来ていないと思う。
危ない行動を危ない事として意識できないらしい。
実験室にこんな人間がいると思ったらゾッとしない。他人事として考えればすごくわかる。
くわえて優先順位をつけるということが出来ないから、目に付いた作業から片付けようとしてしまう。
これも言われれば分かるのだけど、詳しく説明されないと「優先順位」というのがどの程度優先すべきものなのか具体的に理解できてないからなんだろう。
ここまでを読んで、文字だけでもイライラしてくると思うけれど、極めつけがまだある。
そして視界に入っているはずのもの、耳に入っているはずの音が全く認識できない。
流しの排水管が水漏れを起こしたことがあったが、自分は流し台の中にしまわれていた実験器具が濡れないように避難させるのに必死で、その間に別の人が洗い物を始めてしまっている事に全然気がつけなかった。
あとで「なんで先に言ってくれないのか」と責められても、何を責められているのか本気でわからなくて(そのあと詳しくどういう状況だったのかを説明してもらうまで)理不尽に叱責されたと苛立つばかりだった。
これは、あとから説明されたから「自分が見えていなかったのだ」と理解できた希少な例で、たぶん、本当はもっといっぱいこういう事があったんだろう。
アスペルガーのお約束として、雑談が苦手なのも人間関係を冷え込ませるのに実に効果的だ。
他人と共感が本当にできない。
びっくりするくらい出来ない。
だから言わないでいい事を言う。
…と、ここまでは何となく自覚があるので、社会人二年目あたりからは極力しゃべらない事で他人から不快がられないようにしようと出来る限りの努力はしていた。
大して面識のないの相手には天気の話でもしておけば、それなりに定型発達っぽく会話が成り立つし。
子供のころに「人の鼻の頭を見て喋ればいいんだ」と教えられたおかげで、目線が合わせられなくてキョドるなんていう典型的アスペみたいな動きもしない。
おかげで初対面の人間相手だと、実にまともな人間らしく振る舞える。
でも、これが逆によくない。
同類がいたらアドバイスするが、付き合いが長くなるであろう相手に対して、マニュアル通りのまともっぽい振りをするのは絶対にやめた方がいい。
三ヶ月もすると、逆に不自然さが際立って薄気味悪がられ、自然と会話が無くなっていく。
実例が言うんだから間違いない。
何より苦痛なのは、直接話をされていない職場内の人間の冠婚葬祭の話題を、周りの空気から読み取らないとならない場面に数回でくわしたことだ。
健常な人は周りが話してる雑談からそんな情報まで正確に聞き取れるものなのか?ほんとうか?だましてないか?
…まあ、そんなこんなで、好意というか敬意さえ抱いてるような相手にまで嫌われる。
仲良くしたいからと何かするたび、嫌な顔をされた。
けれど、いまだに何故いやがられたのかが理解できてないので、多分これからも好きな相手には嫌われ続けるんだろう。
アスペルガー症候群は鈍感で空気が読めないから、お気楽だろうと思ってる人もいるかもしれない。
でも実際のところ、物凄く気を遣う。
前の晩から「どうやったら喜んでもらえるのか、どうやったら役に立てるのか」を考えて、朝おきてはそれを復唱して、それで現場では何一つうまくいかない。出来の悪いコントみたいだ。
気を使っても使っても、全然気が利かない。
気を遣うのと気が利くのは別の意味なんだって、大人になって身をもって理解した。
気が利かない人間なんて、そりゃ嫌われるよな。書き出して振り返ってみれば、すごく当たり前のことだった。
耳から入った情報が覚えられなくて、状況判断が下手で、危険察知もできない人間が、まともに実験なんてできるわけもなく。
精度はボロボロ。
それでまあ、今回は人間関係とはかかわりない理由で退職することになった。
昔から「おまえは規格外だ」「なんで普通にできないのか」と何度も何度も怒られてきた事の延長線みたいな感じ。
実験助手の仕事をしていて、自分がアスペルガー症候群でADHDだろうというのは確信に近かったから、障害の話も説明したかったけど
全く聞いてもらえなかった。
すぐにでも仕事を見つけてこいと突っぱねられて、
でも自分がもうどうしようもなく仕事ができない事は理解してるから途方に暮れて、
それで逃げ込むように掛かり付けの精神科に行った。
母親は結局だれから間接的に私のことを説明されたのだろう。わからない。
ただ「障害年金がもらえるんなら良いじゃない」とだけ言われた。
診断結果がでるまでは、とても再就職する気になれなかったが、
自分の持ってる技能を活かせそうな会社の中途採用にも申し込んでみた。
たぶん、また「自分が見えてなかった」んだと思う。
急に殴られた。
殴りながら「おまえなんか、そのうち誰かに殺される」と言われた。
そんなの知ってる。わかってる。
きっとそのうち、一番好きだった人に殺されるんだろう。
「だったら、生まれたその日に殺せば良かったのに」
と、殴り返した。
本当に、なんで、自分なんかを生まれさせたのか。
目がついていても見えない、耳があっても聞こえない、口があっても喋れない。
こんな使えないものなら、はじめから持たずに生まれてきた方がどれだけ幸せだったか。
きっと自分は上から生皮をかぶってはいても、本当の姿は大昔の特撮ヒーローに出てきた、いびつで醜悪な機械人間みたいなものなんだろう。
片目だけギョロギョロとでかいレンズがついて、開閉することのないジャバラの口、耳の代わりに電線の出来損ないみたいなモンがくっついてる。
それに人間のどろどろとした黒い髪が生えてるんだ。
可愛げなんてない。ただただ気味が悪いだけの化物。
そんな化けもんでも、人の役に立てるもんなら立って見たいと、思ったのがそもそも間違いだったんだろう。
やっぱり、まともな会社は化物になんて興味を持たない。
違法コピーや密輸やパワハラで溢れかえったような会社しか、気味の悪いおばけを拾っちゃくれない。
きっと死んだら化物として墓も用意してはもらえないんだろうけど、それでも生きてるかぎりは人間たちのヒーローでいられる。
いい歳をしてみっともないんだけれど、今でも仮面ライダーになりたいと思っている。
虫なんて大嫌いなのにな。
きっと本当に変身できたら、自分の顔の気持ち悪さで死にたくなるだろう。
それでも、きっと、今の自分の顔を見るよりはずっとずっといい。
仮面ライダーのことを思いながら死んだら、生まれかわれないもんだろうか。
生まれ変われるならば仮面ライダーになりたい。
先日、引越しをした。引越し先の駅前にはバス乗り場があり、そこからシャトルバスに乗ることができる。ヨーカドー行きの無料バスだ。
ヨーカドーは駅前から15分の少し離れた場所にあるが、かえって住宅地に近いといえる好立地だ。ここには衣類、食料品、生活雑貨はもちろんのこと、薬、化粧品、書籍、CDやDVD、美容院、歯科、眼科、クリーニング、靴の修理、マッサージ、旅券の購入など、生活するうえで必要なありとあらゆるものが集積されている。 若者はヨーカドーの中のゲームセンターでプリクラを撮り、ヨーカドーの中のボウリング場でデートを楽しんでいる。家族連れはヨーカドーの中のマクドナルドでハッピーセットを注文している。爺さんはヨーカドーの中の保険屋で50歳から入れる保険の説明を熱心に聞いている。ヨーカドーには生活の全てがある。
昔は個人商店や中堅の商店も近所にあったと聞くが、ヨーカドーの出現が全てを変えてしまったようだ。ヨーカドーの裏手にまわると、かつてスーパーマーケットであった廃墟や、かつて薬局だった跡地が残されている。
駅前から少し歩くと中堅のスーパーマーケットもある。実際、仕事帰りの買い物はこちらの方が便利だ。しかし、スーパーで買い物をすると、買い忘れをすることがままある。帰り道にはセブンイレブンがある。少し割高だが、スーパーに買い直しにいくよりはるかに便利だ。スーパーから自宅までの経路はいくつかあるが、その経路上には必ずセブンイレブンが出現する。どうも周到に出店計画が練られている気配がある。駅前徒歩0分の位置にもセブンイレブンがある。駅から帰ると、セブンイレブンの前を必ず1回は通過する。
ヨーカドーとセブンイレブンにライフラインを握られている。生活をしていると、たいていこのうちのどちらかに世話になる。どちらもセブン&アイHDの子会社だ。
とても厄介なことになっているのではないか、と思う。
店舗にはカメラがある。防犯カメラだ。防犯カメラの映像は普通、ハードディスクに記録されている。要するに、コンピュータに接続されたカメラが店舗の至る所に配置されている。俺らは犯罪者ではないが、否応なしに記録される。それが安全を担保していると俺らは知っている。だから受け入れている。
今、映像をチェックしているのは警備員。コンピュータではなく、人が見ている。
ところで、あらゆる経費の中で最も高いのはなんだろう。人件費だ。
だから、映像を監視するのはまもなく人ではなくコンピュータになるだろう。そんなことが可能だろうか? と思うだろうか。可能だ。
迷惑メールの検出に使われている、ベイジアンフィルタというアルゴリズムがある。ベイジアンフィルタはメールに何が書かれているのか、ということを理解することはできない。日本語は理解しないし、英語も理解しない。だが日本語や英語で書かれたスパムを検出することができる。ベイジアンフィルタがやっていることは単純だ。単語にスコアを割り当て、スコアが一定の値を超えると「どうやらスパムっぽい」と判定しているに過ぎない。とても単純だが、効果は抜群だ。
同じことを映像にも適用できる。犯罪者はたいてい現場を下見する。滞在時間、店内での移動距離、買った物の種類、など、精緻に見れば必ず異なるパターンが現れるはずだ。今時、コンパクトデジカメですらリアルタイムに顔認識するくらいの芸当はできる。SONYのは笑顔すら判定できる。企業で持っているサーバではもっと精密な分析ができてもちっともおかしくない。今ある技術の組み合わせだけで、「犯罪予見システム」を作ることはそう難しくはないはずだ。
もちろんアルゴリズムはミスをする。スパムフィルタも俺の母ちゃんからのメールを迷惑フォルダにぶち込む。だが、ほとんどの場合、誤検知は問題にならないはずだ。少しばかり余計にセコムさんを呼び出してしまっても、ほんとうの強盗が現れたときにセコムさんがいてくれたほうがいいはずだ。案外、おにぎりやお弁当を買ってくれてチャラになるかもしれない。
「万引きGメン」も不要なコストだ。そのための人を雇うくらいなら、カメラを増やして不法行為の現場を撮影し、アルゴリズムでアラートを上げたほうがよい。絶対に人件費より安くつくはずだ。証拠の写真さえ押さえることができれば、たとえとり逃しても、犯罪者は二度とセブン&アイHD傘下の店の敷居を跨げない。入店した途端に、犯罪者データベースと顔認識の結果のマッチングを行えばよいだけだからだ。
このように、俺たちの生活をコンピュータに接続されたカメラが取り囲む世の中が出現するのは規程路線だ。俺は10年ほど前に「エネミー・オブ・アメリカ」って映画を見て、「アメリカやばいはww」って笑ってた。今この映画を見ると、もはや単なる現実に過ぎないから、「何がすごいの?」ってなるだけだと思う。でも、この映画ですら、生活のシーンの大半を撮影するカメラを私企業が握るとは予見していない。
俺たちは、ヨーカドーとセブンイレブン、セブン&アイHDにライフラインを依存している。セブン&アイHDはカメラを持っている。サーバも持っている。
おそらく、短期的には、とても便利なサービスが次々と出現するのではないかと思う。
さきほど、顔認識について触れた。カメラは映像から人間の特徴を識別できる。これは今では簡単なことだ。もう少しソフトウェアが進歩すれば、「この人は何を見ているか」、「この人は誰を見ているか」くらいは判定できるだろう。ひょっとすると、とっくの昔にできているかもしれない。人が誰を見ているか、何を見ているか。それがわかる。
セブン&アイHDはそれをリアルタイムに握る。人間関係をそれとなく掌握できるということだ。「何を見ているか」もわかるはずだから、趣味の傾向などもわかるだろう。
ところで、「犯罪予見システム」の可能性について触れたが、ソーシャルグラフを使ってこの技術を適用するとどうなるだろう。
「過去のソーシャルグラフの傾向と照らし合わせると、そろそろこのカップルは結婚しそうだ」
「この人たちは住んでいる場所も違うし、今まで出会ったことは一度もないが、食べ物の趣向や映画など趣味の傾向が近いから、結婚すると70%の確率でよい家庭になりそうだ」
未だかつてない高精度で相性のマッチングを行うことができる。ほかにも、それこそTwitterやFacebookなどと連携してもっとデータを預ければ、もっと素晴らしいサービスが実現できるだろう。
とても便利。だからきっと俺らはこれを受け入れるだろう。防犯カメラを受け入れたように。
もう少し、掘り下げてこのシステムの応用を考えるとどうなるだろうか。「過去の事例」が蓄積していくと、アルゴリズムもどんどん賢くなり、予見できる物事の対象が広がっていくはずだ。ヨーカドーがもっと儲かれば、就職、レジャー、冠婚葬祭、ありとあらゆる局面で「予見」や「マッチング」が可能になるだろう。それがもたらすサービスが便利なら、俺たちは最終的にはそれを受け入れてしまうだろう。
俺にはそれのもたらす行く末がどうなるのか、見当がつかない。
これって健全?
家賃:56,000 > 40,000
※公団とかで安いの探せばもっと下げられる
食費:43,000 > 30,000
※まあこのくらいかなあ
※時期にもよるけど、4人家族一軒家でもこのくらいだよ
※通話とメールだけでプランいろいろ使って無駄な電話やめれば月3000円以下でいける
固定電話:2,000 > 2,000
※うーん、いまどき携帯があれば、固定はなくてもいいような気もするけど
おやつ代.:7,000 > 0
※だね。どうしても食べたかったら食費削ってオヤツに回すべし。
※いらないっしょ、と思ったけどまあ冠婚葬祭くらいは必要だろうから積立とういことで
友達と飲み食い、なんかは当然0
娯楽・習い事:40,000 > 0
日用品代:37,000 > 5000
※まあこのくらいかなあ。
灯油代:4,000
※仕方がない
医療費:2,700 > 0
被服費:20,000 > 5,000
給食・教材:13,000
※まあこれは仕方がない
残り:15,380 > 0
※残った分は返金しようず
これで12万でおさまるよ!
今日祖母が死んだ。
風呂場の中で倒れてた。
祖父が最初に気づいた。
様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。
引き上げようにもどうにもならなかったので、
急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、
祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。
呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。
介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので
電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。
息はあるか確認された。
慌てて確認したが、息はしていないように感じた。
電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。
その時点でお湯はだいぶ減っていたので、
いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。
その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。
正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。
やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、
救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。
早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。
心臓マッサージ役はやらないで済んだ。
ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので
そのあとのしばらくは、よく覚えていない。
そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、
急いで向かってもらったが、
救急車の出発には間に合わなかったので、
病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。
自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。
数十分待った。
心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。
これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。
父は蘇生をやめることに承諾した。
そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。
医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。
日付が変わる、20分ほど前のことだった。
そして祖母は霊安室へと運ばれた。
今回、病院では死因の特定が出来なかった。
解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。
しばらくして警察官が数人やってきた。
うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。
どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、
とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、
病院まで来てもらうことになった。
その後遺体を葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。
祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。
もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。
合間合間に待つ時間は長く感じたが、
振り返ってみるとあっという間のような気もする。
今回亡くなったのは父方の祖母だが、
以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、
何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。
子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。
大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。
そして冠婚葬祭に立ち会うと、
父方の家の考え方と母方の家の考え方が
大きく違うことをまざまざと見せつけられる。
自分は今、たぶん父親に似ている。
先のことはあまり考えない。
「なるようになるさ」と流れに身を任せている。
この先自分はどうなっていくのだろうか。
そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。