はてなキーワード: 共感能力とは
こえーよ。
なんでこんな考え方になるのかわからん。
じゃあえ、何、育児で追い詰められてる人は全員自己責任で悪いって話になるの?
それを言ってどうなるの?その人達が更に追い詰められて状況悪化するだけじゃん。
厳しい事を言えば目が覚めてちゃんと育児出来るようになる!って言いたいの?
そうとしか見えないからそうだと仮定して話すけど、そんなの人に寄るし、子供がどんな病気抱えてたり癇癪持ちかなんて親にはコントロール出来ないからね。
自分がたまたま簡単な育児だった(と思い込んで後から子供に恨まれたり、実は子供が何か生きていくうえで精神的、あるいは身体的な障害を抱えたりしてる可能性は考えないんだね)ってだけで、他人の事見下すメンタルの人に育てられたら、十中八九子供もそのように、人の痛みが想像出来ない人間になるのでは?と言わせていただく、レッテル貼りする人はレッテル貼りされても怒るべきではない。
言っておくけど、子供は産んでほしいなんて一言も頼んでないわけで、勝手に産んでしまったからには子供の受ける苦しみ全部、親のせいだからね。
そんなのがわかってて簡単だとか病まない、苦労ないなんて言えるなら、その時点で共感能力や想像力に乏しいから、子供の悩みにも鈍感な親の資格がない親だと言わざるを得ない。
ペットか何かだとでも思ってるんだろ、とね。
大人になるまで立派に育てて後は本人の問題、なんてのは無しだよ。
大人になるまでの間、親は学校や家庭の環境の決定権を持ってるし、例えば子供が他人を傷付ける人間になったならそれも全て親が被害者を傷付けてるに等しい、そう気づくべき。
正直今の世の中に子供を産み落とすなんて皆すべからく虐待でしかない。
悪意のたっぷり詰まったこの世界に子供を放流する、自分はこの世界の事など何も知らないのに、それは無責任な虐待だ。
でも生まれてしまったからには、虐待でもマシになるよう努力しなければらならない、親にはその責任がある。
まず、産む事自体が虐待である事は間違いない、その前提で動けば罪悪感で塗り潰される人こそ正常。
へらへら、育児簡単なのに病む人は暇人〜なんて高みの見物目線で人を馬鹿にするヤツはそんな暇あったら、少しは自分の子供の為に何かしろ、産むという虐待に対して贖罪しろ。
お前の子供は間違いなく将来お前を恨むよ。
受け入れがたいとか抵抗があるとかではなく、問題のレイヤーが違うと思う。
そもそも人間は感情がある生き物で、感情論を法に持ち込むなという話ならわかる。
タイトルはマイルドにしてあるけど、中身みれば序盤の論調で権威と紐付けたあと畳み掛けるように共感や同情=悪という印象を植え付けてきてるように見える。
という図式は成り立たないというのに、まるで二律背反関係であるかのように煽ってる。
この世から憎悪を取りのぞくために誰もに権利を=共感は危険です。はぁ?
そもそも大前提不完全な人間を不完全な人間が裁くために生まれたのが法なわけで、その2つは対立関係であるわけがない。
たしかに司法レベルの話になると民意や世論や被害者感情にバイアスがかかったり情状酌量なんて言葉があったりするくらいだから未熟さは感じるけど…だからこそブラッシュアップは必要。それは何においてもそうで、権利に関することばかりではない普遍的な課題でしかない
繰り返しになるが、法において同情や共感や感情論は不要という話ならわかるよ。
でもこの世においてまるで共感や同情は悪であると言わんばかりの思想には寒気がするよ。
はてなでポジティブな意見が多いのは、共感能力に乏しい人間がここには多いから、ああいう記事から許されている感覚と癒しを得て喜んでるだけでしょ。
とにかく、
世に渦巻く憎悪を解消するために
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/peek-a-boo.love/2018/08/06/post-3169/
https://peek-a-boo.love/2018/08/06/post-3169/
この投稿見て思ったのが、ああ、これならおれもアスペだ。ってこと。その上で書きたくなった。
まずタイトルが気持ち悪い。キャッチーなタイトルつけたね。本人に確認したって言ってるけど、本人の気持ち考えてるのかな?
主は自分の中でアスペって思って、病院でアスペって診断されて、さぞ「なんとかしてやるんだ!」的な気持ちでいるんだろうね。
アスペだから彼は何も気にしないって思うんだろうね。まあ気にしてないと思うけどw
>伝わらないという状況ほど、辛いものはない。
これ、彼も同じこと思ってたと思うよ。君の感情が理解できないから、正論を言ってるんだけど君は怒るか呆れる。
彼からしたら「ああ、この子とは感覚が違うんだ。それかただの赤ちゃん。まあいいや。セフレで。」くらい。
君に対して興味ないから。異様なほど釣りに熱狂できる発達障害なのに君には熱狂しないんだよねw
>「人にどう思われようと関係ないじゃん。事実を言ったことの何が悪いの?嘘をついて褒めれば良いわけ?」
> 私はその言葉に、何も言えなくなった。
これ、どちらも正論。どうして何も言えなくなるの?確かに世間一般で言えば、空気を読んでみんなが良かったと言ってるものに対して糞だと思ったら「何も言わない」が正解かもしれない。
でも彼は自分の感想を言って、「みんなに合わせるか、何も言うな」と言われた。
「何も言えなくなった」のは彼だね。
そこで何が良かったのか、何が良くなかったのか、それぞれの感情で議論できればいいのにね。
食事とかでも一緒。
高級店に行って感動する人もいれば、こんな高い金払ってゴミを食わすなっていう人もいる。おれはどちらかというと、後者の人のほうが話す価値があると思うけどね。
「空気を読むというのが、極端に苦手なように思えた。」君が、自分の信念を曲げても付き合いたい良い女だったら、空気を読むというか、君の好意を得られる行動を取ると思うよ、釣りのようにね笑
> 共感能力のなさに悩みはじめたのは、私が最初に泣いた日だった。
> 「チョコレートが欲しい」と言えば、棚にあるチョコレートを、端から端まで全て買ってきた。
めんどくさい。文句あるなら最初から銘柄指定しろ。君の好みを考える必要がなかったんだろ。
恐らく、普段から曖昧なこといって、自分の思ったものじゃないと少しだけ機嫌悪くなる。そして、ああこの人はアスペだからこうなんだって彼に押し付ける。
結論を言おう。君がアスペルガーだ。自分のことしか考えられない。アスペルガーというよりメンヘラかも?自分大好き症候群。
で、彼も恐らくアスペルガーだが、かなり頭がいい。君に興味がない。結婚する気は一ミリもないセフレ感覚だろうね。口ではなんとでも言うよ。興味ないから。
https://peek-a-boo.love/2018/08/06/post-3169/amp/
件の人物は
①共感能力のなさ
と
が同居しており
①は主にアスペルガーの先天性に拠る所で、
②は①を因子として社会的成長機会に恵まれなかった(常識を育むことに失敗した)ことに拠ったもののように感じた。
この上で、
パートナーの辛さ、寂しさはおそらくある程度は残るのだと思う。
ここで思う事は、
彼女は本当に「彼の心のうち」への共感ができているだろうか、という事だ。
結果うまくやっている人々の関係性には
口を挟むものではないと思うが、
つまるところ
アスペルガー当事者、パートナー、相互に共感能力がないことにより
さらに言えば、この話は
でもあるものの、
でもあるのかな、と思った。
アレ完全にバッテリー女のやつだったよなあって。
別に女の特徴だ!っていう気はないんだけど。
元のやつとかその周辺のやつは自分のお気持ちを表明して無条件で共感して欲しいけど他人のお気持ちはわかりたくないわがままな奴に見えた。
そこに、無条件は無理だなと判断してどういう条件なら共感できるか設定を追加してそれが追加可能か元のやつの考えを探ろうとする奴が現れたり、
元のお気持ちを理想的にまっすぐに伸ばした延長線上を想定してそのお気持ちって結構危険なこと言ってるからやめとけよっていうやつが現れたり。
そのままの無条件な共感じゃなくて、共感がうまくいく手段とか探そうとしちゃう。
で無条件じゃないから元のやつがキレるみたいなそういう。
ランプはつく?ランプはつく?って言われすぎてうるせえってなってる。
「はいこれから車が動かないのって言うからそれは困ったねえと共感してください。 車が動かないの」
って言うか
って言え。
「車が動かないの」にはだいたい「ランプはつく?」が返答されるし、それしか返答したくない奴の気持ちわかれよ。共感能力がないのは無条件の共感を求める方だよ。
今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。
おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根本的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。
ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。
「大学受験には選択科目があるのだから、嫌ならやるな」っていう反論があるだろうか。話にならない。嫌でもやらなきゃいけない構造について問題にしているんだ。
たとえば、法律に興味があって、東大を出て弁護士になりたい高校生がいたとする。彼らは必死こいて下二段活用やらレ点を覚えて、受験に挑む。受かったら数週間で綺麗さっぱり忘れて生涯思い出すこともないだろう。まぁ、百歩譲ってそれはいいよ。でも、落ちたらどうする? 他の科目は合格点に達していたのに、ただ古文・漢文ができなかったせいで、落ちたらどうする? 本当に法律が好きで、法律について学びたくて、東大に行こうとしたのに、全く関係ない「古文・漢文」のせいで行けない。一流の弁護士になって、社会に貢献したかもしれない。彼の可能性を、人生をダメにしてまで、「古文・漢文」は受験科目として”必要”だと言うのか。英語や数学で落ちたんなら、まだ分かるよ。しょうがない、浪人して一年頑張ろう、って気持ちになれるだろうよ。でもさ、「古文・漢文」なんて死んだ言語で18歳の人生を左右すんなよ。元カレが忘れられなくて新しい恋に進めない女子かよ。国家レベルで失恋引きずるな。
こういうことを言うとすぐに保守的な人たちが湧いてきて「日本文化ガー」「伝統としての教養ガー」と言い出すが、まぁ、たしかに分からなくもない。「色んな学問に触れる機会を与える」のは大切なことだ。色んな文化に触れるのは、良いことさ。おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文に出会い興味を持った学生が古典研究者の道に進むことだってあるだろう。そういう"機会を与える場"としての中学・高校を否定するつもりはない。
そ れ を 受 験 科 目 に す る な 。
「古文・漢文」を教えるな、とは言わない。ただ、それなら道徳とか家庭科の授業と同じ括りにしろ。「古文・漢文」に学生の人生を左右させるな。
あるいは、受験の時点で就職活動が始まっているのかもしれない。どう考えても意味のないタスク、心からやりたくないようなタスクをそつなくこなせる人材を、大学側が要求しているのだ。はっきり言うが、愚直にも「古文・漢文」をせっせと暗記してきた連中は、生涯奴隷だ。
それでも、それでも、それでも、
やっぱり「古文・漢文」は必要ですか? 納得のいく理由があるなら、是非聞かせてほしい。
[追記]
「古文・漢文」という学問が根本的に無意味だって言ってるわけじゃない。受験で必須にする必要はないだろ、って話ですよ。
はっきりと書いたつもりなんだけど、伝わらないかな。もうちょっと現代文教育に力を入れたほうがいい。
→例えが悪かったかもしれないが、法律を学ぶのに必要なら大学入ってから教えればいい。大学受験という選抜の場で、有能無能を仕分ける基準にするなって話。
「反論を聞く気がなさそう」
→聞きます。
→これに関してはある程度の偏見を認めるが、少なくともおれは使っている。それはともかく、ここでは「古文・漢文」が受験科目として必要かどうかの話しかしていない。「いらないって言い出したらきりがない」だから「古文・漢文」は「いる」ってことか? 論点をすり替えるな。
→身につけたほうがいい教養なんていくらでもあるっての。ただ、全国の中学生高校生全員にやらせて、受験で競わせるほどの”必然性"があるのか、って話。何度も繰り返すが、興味ある人にやらせるぐらいでいい。教養だとしても、大学で教えればいい。おまえら、「教養はいいもの、いいものはいる!」程度としか思ってないだろ。そういう考え方が構造的、社会的に押し付けられてて、内在化していることを自覚しろ。
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
共感能力低いっていう欠陥だよそれ
ただし同時にこれは単なる「妻に対する当てつけ」でもない(たぶん妻の側には所謂「浮気で異議申し立てされる」ような落ち度はない
残念ながら間違ってる。ブログにも買い物依存と、稼いでいそうなのに生活費は全額夫側が負担していることが触れられている。記述通りならこれはこれで離婚事由にすることはできるだろう。でも夫は全く離婚を望んでいないだろうが。
Midas氏もご存じの通り夫婦は常にどちらが子ども帰りするかを競争しているようなものだから、当てつけとは若干違うといえばそうだが、妻をさんざん甘えさせているという自認の元に「俺の方がもっと甘えてやる!」という強い決意が背景にある。
それとあと
http://b.hatena.ne.jp/Midas/20170720#bookmark-342123923
オンナの「ごめんなさい」はむしろ宣戦布告「てめー覚えてろよ必ず殺す」であってこういうことが理解できないのは共感能力がないのではなく単なる世間知らず。
これも若干、本当に若干なのだが違う。この「ごめんなさい」は「必ず殺す」ではなく「私から離れたら殺す」。全く「わかってくれて」などいなくてむしろ男にわからせようとしているのはその通りだが。
身の回りに家族も含め善玉サイコパスと自己愛性人格障害だとおぼしき人が何人かいる
知能が低ければ自己愛性人格障害的な症状が出て、知能が高ければサイコパス的な症状が出るのではないかと思ってる
自己愛性人格障害は自分からボロを出すため、洗脳されてる人以外から見ればどう見てもクズであることがザラだが
サイコパスの方は一見アスペっぽいけど無害な人に見えるので対処が遅れ、自己中な行動に振り回されることになる
いろいろ試して効果があったのはサイコパスの得意分野で彼らの鼻を折ることである
例えば知り合いの善玉サイコパスは議論が得意で何かと自分の意見をゴリ押ししてくる
話しの内容はくだらないことばかりだが無駄に頭の回転が速いのでついていくのもめんどくさく普段は聞き流していたのだが、
あるときこちらも機嫌が悪く議論に食らいついてみたらそれ以来サイコパスの方からある程度の距離を置いてくれるようになった
こう書くとサイコパスのことを嫌っているように思われるかもしれないが相性が悪いだけで嫌っているわけではない
彼らは衝動に突き動かされやすいだけで明確な悪意をもっているわけではないからだ(ただし善玉に限る)
それに彼らは仕事においては有能で間接的に社会に利益をもたらしていることが多いのではないかと思う
知り合いのサイコパスはその(戦闘本能と)交渉術が重宝され、某海外企業で数千万稼いでる
ちなみに類は友を呼ぶで彼女のまわりは自己愛の強い人間ばかりである
それで衝突するかと思いきや意外にも楽しそうにやっててこれがまた興味深い