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はてなキーワード: 元ネタとは

2022-10-10

登場人物が年を取りライフイベントを重ねる漫画

最近アフロ田中シリーズを全巻読みました。

最初は、有名なミームの「誰も消防車を呼んでいないのである」の元ネタ確認するだけのつもりだったのだけれど、

登場人物たちが高校生からフリーター社会人、伴侶との出会いから結婚妊娠出産までのライフイベントを重ねる様子を読んでいるうちに、自分人生と重ねて意外にもかなり感動してしまいました。

そこで、、こういう感じで登場人物物語の進行と合わせて年齢を重ね、卒業就職結婚妊娠出産子育てなどのライフイベントを重ねていく漫画って他にあるんでしょうか?

ただし、下記のよくあるパターンは除くとします。

・設定上の歳は取るけど物語ほとんど影響しないもの (シティハンターがこのパターンだったような)

最終回まぎわの1,2回で、5年後、10年後の未来が描かれるもの

2022-10-09

人魚姫』は何の物語か?

もちろん、海の妖怪人間王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊人間騎士との恋愛物語を描いた先行作品存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。

フーケの作品ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公人魚姫人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである

この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写元ネタと考えられているものの一つに、アイルランド海浜に近い場所存在する某村に関する民間伝承がある。

周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである

この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーン歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてからセイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。

日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。

ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間人面タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたもの付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れ現場発見されたことも有るようである

してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である

さて、アイルランドの某村に関する民間伝承比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代南町奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。

「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら

根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称であるしかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。

岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?

菅原道真家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏菅原氏との関わりが存在するということである

この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈採掘にも関連・発展したことであろう。

鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土採掘金属採掘精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパ河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである

山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパ親分であったであろう土師氏菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか

ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しか角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属精錬象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属職能に携わる部民」であろうと考えられる。

脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏菅原氏という職能集団的氏族カッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである

本筋に戻ると、アイルランド海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。

上で粘土採掘金属採掘精錬を行う職能集団カッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部から理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカ伝統的な音楽歌唱職能グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せ気持ちにしたり、戦の前に闘争心鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬差別心理アンビバレントに同居している。

日本人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。

西洋人日本渡来するようになると、剥製ミイラ製造技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパ人魚ミイラ製造されたことは、現在日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚形態傾向が、人面タイプや四脚タイプから現代人にも親しみのある上半身人間下半身タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触果たしていた中国を通じて、もっと早い時代ミイラ製造技術日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚イメージも一緒に、早期から日本流入したという可能性は無いのだろうか。大陸西洋から人魚伝承流入によって、前触れ予言というイメージ形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。

まだまだ考察すべきことは多く残る。

人頭獣身の妖怪しかも不吉の前兆予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実世界と、非日常・非現実世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れ予言なのであろう。

また古来、予言神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠出産可能であることから男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実日常世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたかであるセイレーン人魚に限らず妖怪怪物たち(例えば、エデンの園アダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教キリスト教仏教などが地位確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬差別というアンビバレント感情が反映された名残であろう。

最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクト悲劇物語とは言えるのかもしれない。

乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。

2022-10-08

last showの次

ドクロのやつでスクリーミングMADジョージがやってるから元ネタ探ってた程度の浅い感じ

悪魔の毒毒モンスター東京へ行くとか

2022-10-07

anond:20221007233208

カナアンの装衣ってキルラキル元ネタだっけ

かになぁスライムと同じ感じで転生特典に意味が薄れるよな

映画ミストおもしろいやん

昔の映画だけど普通におもしろ

結末に賛否あるらしいけど結末はどうでもいいんだよ

スーパーに籠城ってのが良いし、その籠城した中で人が狂って集団崩壊していくさまもなかなか示唆がある

ひょっとしてこの籠城から集団精神崩壊パターンってこれが元ネタか?

anond:20221007213319

DJ Shadowの"Three Ralphs"のイントロ

同じメロディーYMOの初期のアルバムのSkitで使われてたと思う(というか多分シャドウはこれをサンプリングした)

元ネタは知らない

ポプテピピックアマプラ独占配信コメントできない件

ポプテピピックアマプラ独占配信コメントできないか元ネタが分からず本当のクソアニメになってしまった件、かなしいなあ

謎の流行語「それはそう」が何年も前から流行っている

「それはそう」が流行語になっているっぽい。「それはそうと~」とかではなく「それはそう。」や「○○と言われればそれはそう。」みたいに使う。昔からある表現のようだが、"言われればそれはそう"で時期を指定してググってみると昔はほとんど使われていなかったことがわかる。

「それはそう 元ネタ」でググっても、元ネタを探している人が出てくるばかりで、肝心の元ネタの方はほとんどヒットしない。一応、QMAプレイヤーが使い始めたという説(これこれ)は見つけた。

この知恵袋を見ると、「それはそう」は2016年1月の時点である程度広まっていたらしい。「わかりみ」とかと同時期のようだが、そんな前に聞いた覚えは全然ない。自分はここ3ヶ月で3~4回見ただけだ。「それはそう」はTwitter内で広まったようなので、Twitterをやっていない自分発見できていなかっただけだろうか。この感じだと「それはそうをどこかで見たが、流行語だと気づいていない人」が結構いるんじゃないだろうか。

2022-10-01

anond:20221001185315

>毛色が違うし、性質全然うから当てはまらないって意味なんだよなあ

性質は少しずつ違うけど全て「男が好き・関心がある・自分にとって好ましい相手と好ましい関わり方ならばよい」という意味ではみんな共通してるんだよなぁ。

BL好きなんて男性が嫌いだから女と男恋愛だと無理な人がいるって言われてるじゃん

BL好きで男嫌いって原理的にありえないし、男女恋愛がムリという人は自分ではないフィクションの女にリアリティが持てないというだけの話だよ。

>ていうか「ホストV系バンド2.5次元アイドルBL」ってほぼ全部じゃん

これどういう意味???

アイドルがミソで、アイドル好きな人間は二次元興味ないし二次元好きな人間はほとんどBL2.5次元好きだよ

アイドル好きは嗜好が二次元よりは三次元寄りではあるかもしれんが興味がないというのはウソだね。二次元コンテンツ三次元元ネタなしにはありえないけど、三次元コンテンツもまた二次元コンテンツを手本に(言わないけど二次創作をも参考にしつつ)完成度を高めているんだから本質的にはシームレス

馬鹿

お前がな。

anond:20221001110157

そりゃ体感としても格差はあるよね

同じ計算式で女性版も作っとくよ

元のレポートから交際経験なしも読み取れたので追加しといた

女性は全員恋愛に熱心な印象だったので9%が交際経験なしは意外

25-34歳の女性のうち

既婚 49%

未婚で結婚意識した交際経験がある 31%

未婚で結婚意識した交際経験がない 20

 そもそも交際経験自体がない 9%

25-34歳の男性(再掲、再計算した)

既婚 40%

未婚で結婚意識した交際経験がある 22%

未婚で結婚意識した交際経験がない 38%

 そもそも交際経験自体がない 20%

元ネタ

2022-09-30

「○○、○○する!」みたいなタイトル

何が元ネタなんだろう。

僕は80年代の「カルラ舞う!」で最初認識したんだけど、

その後もいろいろ出てくるので気になってる。

 

あと「○○の話をしよう」みたいなタイトルも気になる。

こっちは永田泰大ゲームの話をしよう」で初めて認識した。

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-26

ジョジョ6部のジェイハウスロックてさ

ひとつ記憶」の範囲物語に都合よく変化しすぎだろって言われるけど、それは元ネタメメントからしてそうだよな。

ジョジョ6部のジェイハウスロックてさ

ひとつ記憶」の範囲物語に都合よく変化しすぎだろって言われるけど、それは元ネタメメントからしてそうだよな。

2022-09-24

『特級呪物』と『黒歴史

マイクラにじ鯖の図書館でアンジュさんの著書が特級呪物って言われてて、なんか呪いっぽい語感だからそう呼ばれてるものなのかと思ってましたけど呪術廻戦ネタだったんですね。今知りました。

『特級呪物』は『黒歴史』以来の「元ネタを知らなくてもニュアンスが通じる漫画アニメ元ネタ用語」だなぁ

等価交換』や『暗黒大陸』も通じるけどこれらは元々あった言葉漫画に落とし込んでるパターン


anond:20220924122613

anond:20220924070430

元ネタであろうYahoo知恵袋結婚する方向でと返事しててゾッとした

不満があるなら別れた方が良いという回答がベストアンサーだったのに

anond:20220924170006

元ネタがわからない。

そもそもパロディなのかもわからない

当然何が言いたいのかもわからない

角田裕毅インタビュー:英語が話せない日本人としてイタリアで暮らす

角田裕毅、『小さな日本人』はすでにF1界で大きな成功を収めている

ヘルムートマルコは時々、「ユキ、私たちの小さな日本人男の子」と言う。

レッドブルモータースポーツコンサルタント笑顔で優しさに満ちた心で言っていることも、2022年社会では、侮辱と受け取られる可能性もある。

そこで、角田(1.59メートル)自身は実際にどう見ているのか聞いてみた。

イタリアGPの会場で彼に会ったとき、彼が2023年アルファタウリのドライバーを続けるかどうかは未定だった。

マルコは裏ではそのことを隠していなかったが、公式に伝えられたのは木曜日のことだった。

これで「リトル・ユキ」は、少なくともあと1年はF1サーカスの中でドライブすることになったわけだ。

2021年F1デビューバーレーンGPでは、9位でストレートポイントを獲得し、鮮烈な印象を残した。

F1スポーツディレクターロス・ブラウンは、彼に「ここ数年で最高のルーキー」と賞賛を贈った。

マルコも感激し、自分の正しさが認められたと思った。

しかし、その後、4回連続でノーポイントが続き、マシンガラクタを大量に生産してしまった。

角田が安定したのは2022年になってからで、チームメイトピエール・ガスリーとの差も縮まっていった。

ちょうど1年前にチームからファエンツァに引っ越しするよう言われたこともあるのだろう...。

トストと朝のジョギングはしない

質問:

「ユキ、チームからファエンツァに移動してフィジカルトレーニングを強化し、精神的なケアをするように言われたそうですね。

具体的にどういうことなのか、ずっと気になっていたんです。

今は、朝はフランツトストと一緒にジョギングして、夜はご飯を食べているのですか?」

角田裕基

「いいえ。正直、一緒に走りに行くことはないです。今、心理カウンセラーがいますが、彼はオーストリアに住んでいます。いつも会っているわけではないんです」

「ファエンツァでの生活は、そこで多くのトレーニングをするようなものです。

イタリア移住した昨年と比べると、あまり変わっていません。でも、今はフィジカルトレーニング時間を割いています。」

質問:

「ファエンツァに移ってからトストと過ごす時間は増えましたか?」

角田

「一緒にランチをすることもありますよ。でも、毎日ではありません。

昼食時や、工場で会ったときに話をするのもいいですね。エンジニアと話をするために、そこにいることが多くなりました。」

F1ファクトリーの内部はこうなっている!

質問:

「イモラの前に、YouTubeチャンネル用にファクトリツアーを収録しました。

フランツトスから、チーム・マネージャーのグラハムワトソン奥さんあなた語学を教えてくれたという話を聞きました」

角田

「でも、もう終わりました。しかも、イタリア語ではなく、英語だけでした。」

レーシングドライバーにとって、なぜ英語が得意であることが重要なのか?

質問:

「私は日本語が話せません。東京一人暮らしをするとなると、退屈するのは想像に難くないです。

ファエンツァの日本人としていかがですか? 会う友達はいるのでしょうか?」

角田

英語のレッスンはもう役に立っています特に発音の面で。

発音』はとても大切です。

第一に、そうすれば誤解が起きにくくなるからです。

そして第二には、ピットラジオの声が鮮明でないためです。

からフィードバックができるだけ明確にチームに届くように、発音さら重要です。それが間違いなく役に立ちました」

「でも、今は、さっきも言ったように、もう英語のレッスンはないんです。正直、かなりうれしいです!(笑

今は、ドライバーとして順調に成長していることを楽しんでいます

また、英語力に関しても、すでに昨年よりずっと良くなっていると思います。それはいいことですね。」

外国語ちょっと違うのでは?

このインタビューの前に、「小さな日本人のユキ」というイメージから言葉話題に重点を置いたが、上達はしているものの、まだまだ不十分な英語力にも関係しているのかもしれない。

外国語よりも母国語の方が自信があるというのは、ごく普通のことである

このセリフ書き手である私は、F1ジャーナリストになりたての頃、まだ今ほど英語が堪能でなかったため、

語彙の少なさから、単に他人認識を正しく分類する方法がわからず、「cxxp」「sxxt」などの汚い言葉無意識に投げかけることがあったことを、今でも鮮明に覚えている。

よって、日本語を話す角田と、英語を話す、あるいはイタリア語を話す角田は、おそらくまったく別の人格なのではないか

そして、それはヘルムートマルコに限らず、彼がどう受け取られるかということと関係があるのではないか、という疑問を持つのは当然だ。

イタリアでは、どこかキュートカルト日本人として、しかし、母国語では強烈な個性として。

汚い言葉を使っていること

角田

「実際にそう思っている友人も何人かいるんですよ。

また、ヨーロッパの友人には、私が日本語を話すとき発音がまったくおかしいと思う人がいます。笑い話にするんです」

「一つ問題だったのは、汚い言葉をたくさん使ってしまたことです。

でも、だんだん慣れてきました。

私が感じているのは、英語を話すとき、少しずつ日本語のような自然な口調になってきていることです。

英語を話すときに自信が持てるようになったからです」

「今のところ、メインとなる言語がないように感じています

でも、英語を話すのは好きですし、語彙の面でも少しずつですが、かなり表現できるようになってきたと実感しています

満足です。」

トストとランチ: これが "タフな犬" の特徴だ!

質問:

工場にいないときは、ファエンツァのフラットに一人で座っているんですね。

身近に友達が少ないと、退屈してしまうことはありませんか?

それとも、とにかく自由時間が少なすぎて、そういうことが頻繁に起こるのでしょうか?」

角田

「それもあって、オンラインゲームをよくやるんです。オンラインゲーム自分にとってストレス解消に重要です」

「そのうえ、日本にいる友人と同時にプレイしながら話ができる。

残念ながら、日本の友人と会う機会がとても少ないんです。ゲームは、たとえネット上だけでも、たまには話をするのがいいんです」

「でも、今のミラノイタリアには、いい友人もいるんですよ。

その中にはチーム出身者もいます。自宅に招いてバーベキューをすることもあります。」

質問:

自分バーベキューの場に立つことはありますか?」

角田:

はい!

ファエンツァでの生活にはかなり満足しています。」

角田とヘルムートマルコ:特別関係

質問

:「ヘルムートマルコは、インタビューでよく『私たちの小さな日本人、ユキ』のことをかわいらしく話していますね。

『小さなユキ』と認識されることが苦痛ですか?」

角田

どうでしょう。言えることは。私たちは良い関係を築いています

また、上司としてだけでなく、友人や指導者としても見ています

「50パーセントサーキット以外のこと、50パーセントレースのことを話しています。仲がいいんです。

ジュニアフォーミュラレースをしていた頃から面倒を見てくれているんです。

からF1ドライバーになれたんです。

彼がいなければ無理だったでしょう。良い関係です」

角田裕毅、ヘルムートマルコ ©レッドブル

質問:

「ヘルムートマルコは、ときどき朝早くからドライバー電話をかけることで有名です。

あなたにもそんなことがあったのですか?」

角田:

「数回⁉

でも、あまりないですね。幸いです。

でも、私自身は普段から早起きしているんですよ。それでいいんです。」

プレミア・アット・ホーム : 鈴鹿が楽しみだ

2022年角田にとって特別な年だ。10月9日には、普段テレビしか応援できない家族や友人の前で、ホームグランプリである日本GPグリッドに初めて立つ。

角田選手2021年からF1に参戦しているが、2020年2021年コロナの大流行で、鈴鹿でのグランプリは開催されなかったのだ。

質問:

日本では、ヨーロッパよりもずっとスター的な存在なのでしょうね。イタリアでは半信半疑で動けるけど、日本では違うんだろうね?、と」

角田:

「正直、日本よりもイタリアでの方が知名度があると思います

日本ではF1が盛んであることは事実です。

しかし、アイルトン・セナドライブしていた頃と比べれば、今となってはその大きさは歴然です。

長い間、日本人F1ドライバーはいなかったし、日本メーカーさえもなかった。そこで関心が下がってしまったのです。

でも、日本の多くの人々がF1に興味を持ってくれるようなことができればいいですね」

日本にはあまり行かないので、F1がどれだけ人気があるかよく分かりません。

年に3週間日本に戻るのですが、前回はそのうちの2週間を検疫で過ごしました。

その時はあまり外に出なかったんです。」

日本ファンからプレゼントが楽しみ

質問:

最後日本にいたのはいつですか?」

角田:

1月ですね。家族や友人を訪ねようと思って。日本も楽しみですけどね。

チケットは早々に売り切れたと聞いています。素晴らしいことです。日本ファンの前でレースをするのが待ち遠しいです!」

質問:

鈴鹿ファンが有名で、ドライバーにいろいろと風変わりなプレゼントを持ってきてくれますね。

テディベアプロポーズを期待していますか?」

角田:

テディベアをもらったことがないんです! 一度くらいはいいじゃないですか」

「真面目な話、日本ファンは非常にクリエイティブファンです。DRSを搭載したヘルメット自作するのです。

彼らは本当に熱狂的なモータースポーツファンなのです。ファンの皆さんの創意工夫が楽しみです。

プレゼントも!? それが一番楽しみなことの一つです。」

元ネタ : Verletzt es Sie, wenn Sie Helmut Marko "kleiner Japaner" nennt?

https://www.motorsport-total.com/formel-1/news/verletzt-es-sie-wenn-sie-helmut-marko-kleiner-japaner-nennt-22092306

まあ例の擬人化ゲームリアル競馬を知ったクチだが

作中でも嫌われ者扱いされてた片目隠れのあれ、アレの元ネタたる馬も現実ですげぇ嫌われてたみたいだが

あれの死因がレース骨折で即安楽死コースだったらしく、やっぱアレを嫌ってた層は大喜びしたのかなっていう興味がある

ファンの多かった静かな鈴鹿が死んだとき馬刺しうめぇぇ!!とか煽ってたのいたみたいだし

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