はてなキーワード: 作用とは
とりあえず食えるものだとわかったなら好事家が試すのはわからんでもない。
たとえ風味が極端だったりまずくても。
やべぇと思うのは死につながるレベルの毒だと思う。 フグとか。
この部位は食えるやろ → あかんかった
みたいなのを何度かやらないと正確な調理法は確立できないわけで。
食って死んだやつがいることを知ってて次に続くってかなりの蛮勇やぞ。
随分ファンタジーな夢を見たのでその内容の一部を書いてみよう。
左右上下が壁に囲まれたダクトのような長い長い空間にいる。ただしダクトほどは閉塞感がなく地下鉄ぐらいの広さはあった。
俺らはそこでずっと向こうにいる相手と魔砲とでもいうべきものを撃ち合っていた。
相手のビーム、こうたとえると間抜けな感じがするが、ところてんのように隙がない。空間と全く同じ太さの極太ビームが迫ってくるのだ。
空間の中にいる人間から見れば高エネルギーという名の壁が迫ってくるようにしか見えない。確実にこちらを後方へ押し出さんとしていた。
そんな中で相手に近づくにはこちらも絶えず同じ火力のビームを放って相殺しながら近づくしかなかった。
こちらに対して相手は遥か少数の精鋭で同等の火力を放っている。しかも余力があることまで目に見えていた。
なんで俺らはこんなに弱いんだろうみたいに言うと、これが夢特有の支離滅裂さと言うものなのだろうが、キングダムハーツの主人公みたいなのが「異世界人がこの世界で強力な力を持つにはこの世界で役割が与えられていなければならないんだ」とか言う。つまり勇者なり魔王なりといった役割をおそらく世界の構築者(メタ的に言えば俺のはずなんだけど)から与えられなければならないってことらしい。
そうだ。この四方を覆っているものを突き破って外へ出ればいいんだ。そうして広々とした上空へと出る。
ここから先までその内部にいた建造物に沿って音を頼りに相手方の位置を特定し、奇襲をかければいい、という考え方だ。
俺はこの戦いに必死だった。
ここで死ぬとリスポーンはされるのだが、現実に目覚めた時にその死と復活に対応して俺と全く同じ人間が一人ずつ増えていくという情報が俺の頭にあった。今から考えればどういう原理であれば想定可能かもめちゃくちゃなそんな荒唐無稽な情報をなぜか信じていたのだ。しかも「現実に」とあるようのこれが夢という認識まであるのにだ。明晰夢では自由自在に行動できると言うが、しかもそも何が明晰夢なのかということ自体一筋縄ではいかないということを示唆している。
この場面の至るまでに俺は空を飛んでいたこともあったのだが、ここに来て空を飛ぶための呪文を忘れた。
この世界ではフライみたいな簡単すぎる言葉では呪文として効力が出ない。これも夢が記憶の整理の副産物という理論に基づくならばこれはおそらくオーバーロードを鑑賞した時の記憶の影響だろう。ある程度それっぽい呪文じゃないとダメみたいな無意識の形成が夢の世界観にも作用しているのだ。(今思えばungravityみたいなこと言えば空を飛べたと思う)
とにかく俺は空を溺れるようにあがき、高度を保って進もうとするが、確実に落ちていく状況にあった。その自由自在に行かないところへ相手の首領みたいなのがやってくる。
首に鋭い手刀を放つ。なんか三人称視点で俺が落下していくのが見える。即死だったのだろうと察した。そしたらゲームのクエスト選択画面みたいなのが視界いっぱいに表示されて、さてさっさと選択してみんなのところに戻ろうかとしたところで目が覚めた。
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この夢でのような奇襲のやり方や、役割がなければ力を持てないみたいな今思えばrpgの村人あたりが力を持ってることなんてそうそうないよなというなるほどな考え方は、今まで意識的には浮かんだことのない発想だった。少なくともそういう発想が出たことがあるという記憶はない。
単なる記憶の整理の結果に過ぎないのか、はたまた別の現象なり原理が働いているのか…
それと薬物で決まっている人間は壁にありもしない鯨がいるのを認識しなぜこいつは動かないのかとマジメに疑問を感じたり外に出れば月が三つ見えたという人もいるらしい。
薬物が現実に別のレイヤーで情報を付加するものなら、夢は現実と無関係にいちから情報が構築されている空間だと感じた。
いわば拡張現実と仮想現実のような関係で両者に近しいものを感じた。脳の動きも案外似てるのかもしれない。夢を見ている人間の脳はキマってる人のそれとそう変わらないのかもしれない。
自分が一番可愛いから一番後方で他人を焚きつけて動かして犠牲にして
美味しいところだけ欲しいから
例えばツイッターでやたらハッシュタグバラ撒いてムーブメント起こしたがるけど
たとえばサッカー・野球といったスポーツ観戦はメジャーな趣味ですが「応援チームが負けたら相手チームのバスを取り囲む」「自分のチームが負けた日はイライラして部下にパワハラする」といった問題行動がよく見られてますね。
推し活も成人式ヤンキーのような奇行種がライブに出現しますし、ガチ恋を自称するストーカーなども問題視されております。
旅関係も旅の恥はかき捨てを免罪符として振り回す異常者が散見されていますし、外食の世界も一部ブロガーによる盗撮や過激レビューの悪目立ちが跡を絶ちません。
映画マニアは素人俳優の起用で関係者に凸をしますし、服飾関係はマウントの取り合いの果てに闇金に手を出し持ち崩した人が最後は精神を壊して暴れております。
どの界隈も、まさしくこの世界にある全ての界隈が、ありとあらゆる危険人物発生の可能性を孕んだ火薬庫なのですね。
それは趣味だけではなく地域であったり人種であったり職業であったり、それはもうありとあらゆる属性が、その内側に無数の犯罪者予備軍を抱えているわけです。
でもそもそもの話として、異常な鉄道オタクが散見されるのを鉄道オタクは異常者であると主張するのが主語デカなのですね。
それなのに我々が異常な鉄道オタクの排除を正常であると主張したがる鉄道オタクにさせたがるのは、自分たちがそのコストを払いたくないからなのでしょう。
まあでもそれは当たり前なんですよ。
日本中の駅に鉄道オタクお断りの張り紙をしまくり、それに違反した人間をガンガン通報するようにすればいいだけなのを、それは辞めてくれと鉄道オタクが言っている以上、それに見合った行動を示すべきなのです。
鉄道オタクじゃない人間、とりわけ鉄道オタクに一方的に苦しめられているオタクとは無縁な鉄道関係業界の側は、本格的な犯罪が起きる前に各種の異常行動を予兆と判断して早目に対処していきたいはずなのですから。
その引き金を引くのを勘弁してくれと頼み込む以上は、その言葉を語るに相応しい行動を取るべき、つまりは自分たちの手で自分たちを律する必要があるのですよ。
たとえば、ロリコンなんかは自分たちの愛読するエロマンガに「YESロリータ!NOタッチ!」なんてシュプレヒコールを掲げておりますが、そういった「自分たちの趣味によって他者に迷惑をかけないようにする意識」が鉄道オタクはちゃんと共有できているのでしょうか?
ソコなんだと思うのですよね。
身内の恥に対して甘い、異常さに対して「いやいやこれは本当に凄い列車なので思わず我を忘れるのも仕方ないのでありますでござござ」と庇ってしまう。
まるで今共産党で話題になっている事象の如き、自浄作用の無さに対する正当化ではありませんか。
そういった行為は、身内同士の自己満足として溜飲を下げる効果はあるのでしょうが、それと引き換えに外側からの信頼は犠牲になるということを理解して欲しいですね。
kkobayashi 売スレじゃないの?
mouseion 今のアニメ円盤売上って意味でなら恐らく“覇権アニメ”を流行らせたアニプレのゆま、あるいは売りスレが初出じゃないか。天体のメソッドで“円盤反対”を作中やった頃には完全に定着し売上と結び付いたのかもね。
nomono_pp 売上スレ的に言うと、ブルーレイとDVDの合算で数える時に「円盤」って言うようになったんだよ。それまでは「DVD」一言で済んだけど、ブルーレイ混じってくると混乱するから。二種まとめて「円盤」になった
minesweeper96 ディスクだから円盤と呼んでたよね、という意味ではなくて、物理的グッズとしてのCD/DVDを円盤と呼ぶ文化のことを指してるんだと理解。で、既出だけどアニメ売りスレでのアニメDVDを指すのが発祥な気はするが、未検証
m7g6s 2chの売りスレ用語やろ。大分昔から使われてる筈
mats3003 2ちゃんの売上議論スレ見るのがいいと思う。似たようなのでは主に海外だが、音楽でCDやレコードでリリースするのをフィジカルというのもいつ頃からか。しかし、ニュアンス分からずにマウント取るのブクマカの悪い癖ね
たし🦀。
「円盤」と言われて思い出すのは、それを戦闘力にして戦っていた2chの売りスレの印象が強い。
そのため、はてなブックマーカーがそう言う気持ちはよくわかる。ただ検索すればそうとは言えないということもわかる。
ツイッターでは2010年10月~12月ごろには「円盤化」という表現が確認できるものの、売りスレでも「円盤」という単語は2011年前半にはあまり使用されていない。もちろん、「円盤」がひろく定着したのは、売りスレ→まとめサイト→一般化という経路かもしれないが。
https://yuzuru.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1319382230/
このスレでは以下のような「円盤」の使用が見られる。現在と変わらない。
57 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2011/10/24(月) 00:09:49.83 ID:+W7VmKA70
177 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2011/10/24(月) 00:17:07.87 ID:604j7set0
448 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2011/10/24(月) 00:46:27.07 ID:fOFx3dXI0
って書いてあるんだけどだれかこの未来を変えてくれ
474 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2011/10/24(月) 00:50:04.89 ID:cVTCs6Ci0
後は原作の売上を押し上げるかどうかだが
みたいなシステムなら相当稼ぐだろうに
もう少し時を遡ってみる。
2011/04/22(金)
https://hato.5ch.net/test/read.cgi/anime4vip/1303437958/
2011年4月の売りスレを上記の4080から4050まで遡ってみたが、「円盤」の使用例は以下の2件しか引っかからない。
521 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/04/19(火) 16:00:29.32 ID:rRSg+U6R0
526 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/04/22(金) 05:46:43.74 ID:tHlBYfbs0
まどっちアンチ暴れる
2011/02/06(日) https://kamome.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1296933288/
2011年2月の売りスレを上記の3800から3770まで遡ってみたが、やはり「円盤」の使用例は以下の3件しか引っかからない。
858 : ミニイカ娘(関西地方):2011/02/06(日) 15:15:51.03 0
買うのが目的化してね?
637 : サイコー(兵庫県):2011/01/30(日) 18:44:48.15 P
2011年の春から秋にかけてのあいだに「売りスレ」において「円盤」が広く定着したのは間違いないだろう。その時期の売りスレをランダムにピックアップしてみた。
360 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/05/09(月) 11:54:11.04 ID:Q/A4ciBz0
913 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/05/09(月) 13:19:35.26 ID:Q/A4ciBz0
伸びれば不問
999 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/05/09(月) 13:40:01.74 ID:Q/A4ciBz0
非処女だと片方は完全に切り捨てることになる
33 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/06/06(月) 23:01:27.29 ID:S5sGHwDs0
アニメーターのTwitter見てると、あいつらビックリするくらい円盤買わないよな。
調理師はどんなに貧乏で忙しくても、一流店に自腹で食いに行くっていうのに。
259 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/06/06(月) 23:13:30.81 ID:6Uj9MEsH0
言っとくけどOVAのラインだけじゃなく本編の方も売らなきゃンゴるかr
649 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/06/06(月) 23:42:16.21 ID:o96kC5e50
195 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/08/01(月) 01:16:56.06 ID:Lm5XtGIB0
AGEも円盤売れるようにはあんまり見えないし秋も無理じゃねえの
226 :メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/08/01(月) 01:19:40.07 ID:h1GNL7sv0
一応円盤の数だけ見ると初代の次だもんな
レス番号500以上は省略。
https://hideyoshi.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1265003295/
2010年10月以前の売りスレを上記の3614から3598まで遡ってみたが、「円盤」の使用例は1件も引っかからない。
2010/02/01(月)
https://kamome.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1286552504/
2010年2月以前の売りスレを上記の3336から3317まで遡ってみたが、「円盤」の使用例は1件も引っかからない。
s2kw まずTwitter検索って20代前半くらいの子達の振る舞いよね。物心ついた時にはTwitterがあったのだからさもあり。
たし🦀。
でもGoogleで2010年以前に時間指定して「円盤化」「円盤発売」「円盤特典」「アニメの円盤」などで検索しても、そもそも引っかからないのだ。ブログも2chもまとめサイトも。
はてな村の皆様はインターネットに詳しいと聞き及びます。いったいどのサイトをどのように使って検索すれば目的の情報にたどり着けるのか、御教授頂ければ幸いです。
シュレーディンガーはアインシュタインに宛てて、量子力学のコペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空の実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。
この効果を、原子というミクロな世界の特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブルや椅子、猫といったマクロな日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガーの思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学のコペンハーゲン解釈の不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしか属さないし、死んだり生きていたりもしない。
ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子が崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。
この思考実験の意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数の宇宙で複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。
通常の話では、波動関数は箱入りのネコを記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。
例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身の過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的な歴史なのだ。
今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数の崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェントが自分の 賭けに手を加えることなのだ。
重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互に排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合だからである。
QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである。
2. ボーミアンについて
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体、特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。
ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?
量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。
なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたからである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。
シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識の可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実的であることではなく、量子系を知識の対象として安定化できないことである。
通常の知識の論理では、私たちの質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。
これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか(現実)ではなく、何が可能か不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想の性質は、量子論の運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものだからだ。
量子論の後継者は、運動法則は根本的に異なるかもしれないが、反実仮想の性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメント、さらには新しい現象が可能になるだろう。
シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理的可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対である。シュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論を理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである。
シュレーディンガーは、量子力学の波動関数は、個々のシステムの完全な物理的記述を提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼンの論文に反発していたのである。EPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである。
シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理的記述を提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身(シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベルの言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである。
もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学的形式を理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界」解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガーが馬鹿にしていた結論に直面することになる。
シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロの領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学はミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。
問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということである。シュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケの写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反の関係にある。
ベルが彼の定理を実験的に検証する前、量子力学の技術が発展し、もつれ状態の実在性を利用し、巨視的なもつれシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションはテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈が必要である。
波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈のアプローチである。シュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数の自由度を収容できる超高次元空間となる。
6. 超決定論について
不変集合論(IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランクの洞察を、今度は量子力学の状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルである。ISTでは、量子力学の連続体ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想の世界が存在し、このような反実仮想の世界は格子の構造と矛盾している。このように、ISTは形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。
ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界のアンサンブルに対応し、各世界は状態空間の特別な部分集合上で進化する決定論的系である。非線形力学系理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。
アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界のアンサンブルを記述していると考えていたが、これは実現可能である。 特に、シュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。
シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学的仮定である。 もし全ての性質が関係的であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。
猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかである。 しかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。
箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれる可能性があるからだ。
つまり「波動関数の崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリー進化」は、外部システムに対する性質の実現確率の進化を表すのである。 これが、量子論の関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。
8. 多世界
物理学者たちは古典物理学では観測された現象を説明できないことに気づき、量子論の現象論的法則が発見された。 しかし、量子力学が科学的理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガーが方程式を考案してからである。
シュレーディンガーは、自分の方程式を放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。
このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態が崩壊することによって、量子系の進化を記述する方程式としての普遍的な有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールドの存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用を回避し、自然界における決定論を守る一つの可能性である。
常在菌のバランスです。
皮脂の分泌量が変化して、袋の上で痒み物質を出す菌の繁殖力が増しているのです。
痒くなったら、まずは、痒み物質と、かゆみの原因菌を洗い流しましょう。
運が良ければ、数時間後には、痒みを出さない方の菌が増えて痒くなくなります。
どうやっても痒くなるなら、洗浄後に、腋臭用のクリームなど制菌作用のつよいクリームを塗って
かゆみ菌が増えなければ、かゆくなりにくくなるはずです。
数ヶ月前に入ったバイト先で出会い、好感を持って何度か食事に行ったりデートっぽいこともして、この前告白をしたのだが振られてしまった。
相手はかなり独特な感性と価値観、立ち居振る舞いを持っている人で、自分はそこに惹かれている。ASDっぽいなとも思っているのだが、それが悪い方に作用しているようには思えない。
・毎日9〜10時間寝るロングスリーパーなので、正社員として働いているとそれだけで時間的に精一杯で、君の期待するような交流頻度(LINEや電話)を作れないと思う。
・容姿的にもつりあわないと思うので(自分=彼女が劣るという意味で)、一緒に歩いている姿を想像すると苦痛だ。
→彼女は街中で容姿が不釣り合いのカップルを見ると胸が痛くなってしまうらしく、それが嫌だという話を聞いたことがある。
自分としては、相手の条件にすべて合わせてもいいから交際したいのだが、正直こういう価値観の人に出会ったことがないので困惑しているというところだ。
自分で言うのも何だが、自分はスペック的にそこまで悪いという訳でもないと思うので、どう突破口を作っていけばいいかアドバイスが欲しい。