はてなキーワード: 丸めとは
もぐらの分類 特徴 勤務場所
法に触れますよもぐら 庶務課にいる。 さいたま拘置支所 ※ なお川越少年刑務所は独立した施設の他に、さいたま拘置支所内にも
申し上げるまでもありませんもぐら 検察官 東京区検察庁 副検事 検察事務官には、稚児を配置するようにしている。
やまだもぐら 検察官 東京地方検察庁 検察事務官は、おっさん。
音巻もぐら 刑務官 さいたま拘置所 バタバタしているが途中で仲間にぶつかる。
星もぐら 巡査 下戸田交番 星優介(本名)、 深作雅男の後任。
さいたま拘置支所の歴史的由来 元々は、 専門的で技術的に構成されている1つの山のような壮麗なものにあこがれを持って勉強してきた者たちが集まるところであったが、
毎日死ぬことばかり考えてて、週末は当たり前のように家に引きこもって風呂キャンセルする典型的ミドルエイジクライシスです。
さらっと書いてますが、とにかく何をするにも「死ねば無意味」という言葉が邪魔をして、やる気が全く湧いてきません。
そこに来て身体的なガタがきて、スポーツはもちろん、ウォーキングもままならない状態。いわゆるよくある八方塞がりですね。
テレビを見てもネットを見ても近しい世代の訃報が毎日のように流れてきて、見ないほうがいいとわかっていながら、速報とかで不意打ちをくらっては鬱に落ちる。
見る夢全部自分が追い込まれる夢で、夢だとわかっていながら現実にも悪いイメージを引きずってしまう。
考えること全てが悪い方向に転がり、その先に待っているものは死。虚無。
それが全ての今を否定する。
あぁ、こうやって人間は鬱になっていくのかと実感するような毎日。
ただ、やっぱりこのままじゃいかんなと思って、なんでそういうふうに考えてしまうのか自分なりに向き合うことにしてみました。
そうすると、どうもなんだか死というものを色々な言い訳にしているような自分が見えてきました。
今抱えている不安というものを色々と並べてみたら、全部がなにかの言い訳みたいに思えてきて、それが何の言い訳なのかを考えたら、要するに今生きるための覚悟に対する言い訳だっていうことに気が付きました。
どうせ死んでしまうことを、ずっと何かの免罪符のようにしているように思えました。
それはたしかにそうかも知れないけど、今生きている事実も現実です。
それであれば、生きている限りは生きる覚悟が必要なのではないか。そんな感じでこの言葉に連想がつながっていきました。
これが面白くて、それまで死という虚無が襲いかかってくるとやんわりと丸め込まれてモチベーションがなくなっていたものが、「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたという気持ちがあると、とりあえず一瞬ではねのけられるようになりました。
負の連想ゲームを、一言でキャンセルできるようになったというとわかりやすいかも知れません。
夜、布団に入ってふと不安に襲われた時、夢うつつの段階で急に死を意識してしまう時、飛び込んできた訃報に悲しみより先に虚無感に襲われた時、自分が「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたのだと思うようにすると、それ以上不安なことを考えなくなりました。
そんなに単純ではないかも知れませんが、でも、いつ死ぬかわからないことをずっと不安に思い続けるより、どうせいつか死ぬのだから生きている限りは生きるのだというように覚悟を決めてしまえば、あとは全てを受け入れるだけになったような気がしました。
まだそう思うようになって時間が短いのでこれからまた別の不安に襲われるかもわかりませんが、他にもこんな方法があるよーなんてアドバイスが欲しいです。
突然鬱な展開でごめんね。
ブルアカ、という名前は耳にしたことがあり、とても人気があるのも知っていた。スマホゲーはやったことがなく、YouTubeでプレイ動画を少し観ると「もういいや」となって興味を失くしていた。
しかし今季アニメ化とのことで、試しに観てみたんだ。で、二話まで観てみたんだけど正直それほど面白いとは思えなかった。世界観が謎なのはもとより、どのキャラクターの顔も性格も設定もスタンプ絵のような既視感あるものにしか思えなかった。はっきりいえばそれが原作をやらなかった理由でもあり、一言で現せば"狙い過ぎ"だと思ったから。
こういうキャラクターを出して、こういう世界観にすれば戦闘が盛り上がるし、あとこうしたバックボーンがあれば…みたいな、如何にもオタクが好みそうな要素を分かりやすく提示し、それにまんまと引っ掛かって釣られるのはどうかなと。もちろん、それが悪いことでもないと分かってる。商売だからね。売れなきゃ意味がない。だからある程度市場調査をして、どちらかといえば尖るよりは角を丸める。ホームランを狙うよりはヒットを狙うわけだ。そこでオタクに媚を売る。美少女、暗い過去、重い世界観。どれもがオタクの大好物。それでコンビニ弁当みたいな美少女たちが加工食品な世界観でパック詰めされた牛肉を食べるような物語を展開する。すべては予定調和で、泣き叫んで牛が死ぬ瞬間を目にすることは決してないような物語を。
こうしたオタク保守的作品がヒットするというのはオタクにも責任があると思っている。狙い過ぎの作品であるのは大抵のオタクは気づいているはずで、大抵のオタクは敢えてそれに乗っかっている。そうすることでテンプレ型の作品はより安定し、傾いた作品は淘汰され類似品ばかりが増えていく。このサイクルを止めるのはオタク自身が一度「それはもう飽きたよ」と云うべきなのだ。分かっていながらそれを拒否するのは自らのアイデンティティを否定することになるからで、「飽きたよ」と言えば自分がもうオタクではない気持ちになり、オタクは冷めた大人になることを酷く怖れる。だがそれは違う。定型な美少女には待ったをかけるべきで、そうした美少女を否定したところでそれはあなたのオタク性を否定することにはならない。何故ならオタクとは本来、自らの拘りを強く抱くものであり、拘りがあるからこそ自らの意思表示をしっかりと行って然るべきだからである。
オタクはそろそろ自覚した方がいい。このままでは紋切り型の美少女だけが歳を取らず、自分ばかりが歳を取っていくことになるということを。
妻側は主に夜にムラムラする。
ピル服用中で、生理(消退出血)が終わったあとのピルシート前半時期が特にムラムラ。
夫側は朝にムラムラする。
たまに夜もムラムラするが、仕事の悩みや疲れでなかなか勃起しない。
朝にムラムラする夫と
夜にムラムラする妻。
休日の午後が一番お互いベストコンディションでセックスできると判明したが
まあなかなかキッチリできるわけもない。
もちろん、平日でもムラムラはする。
特に平日朝、夫はほぼ毎日ムラムラしていて、抜いてからリビングに来る。
朝が一番体力があってムラムラする性質だし、妻は可愛いと言われたので信じるようにした。
やはり夫のちんぽは疲れて挿入できるほど勃起しない。
私がおもちゃで1人でクリイキしてると「僕のちんぽがたたないから…」と泣かれる。今も泣かれた。
まあでもそれはそれとして
夫も朝抜いてるし、私もおもちゃイキしていいよな?
日曜夜とかだと成功率は半々。
COLD SLEEP1巻
病院で目覚めた22歳の青年は、自身の名前すら忘れた完全な記憶喪失に陥っていた
交通事故で頭を強く打った後遺症のようで、一般常識はあるものの過去の思い出を何一つ覚えていない
22歳でフリーターをしていたらしいが、入院している間に家は家賃滞納で追い出されており貯金も少なく退院後の行き場はなかった
しかし、友人だという少し年上の藤島さんが同居させてくれ養ってくれることになった
藤島さんは、以前の青年が写真家志望だったからと写真の専門学校に行くよう勧めるがピンとこない
本格的な高価なカメラをプレゼントしてくれたりするが、特に本腰入れて写真技術を学びたいとは思えない
思い出せない「以前の自分」に戻そうとする藤島さんに苛立ちを感じる
それと同時に「今の自分」を見てほしいのだと、異常に献身的で養ってくれる藤島さんに恋をしているのだと気づく
コンビニでバイトするようになり、ふとケーキを買って帰ったところ藤島さんは美味しそうに食べてくれた
厳しい親に育てられ甘いものを一切禁じられていたという藤島さんは大人になってから極端な甘党になっていた
藤島さんを喜ばせるためケーキ屋の開拓をするようになってから、青年はあるケーキ屋の主人と親しくなりその店に転職
パティシエを目指すようになった
藤島さんは、以前は写真家志望だったのにと不満そうではあったが受け入れてくれた
実は青年の交通事故は人身事故で、相手は一方的な過失があるとはいえ青年のせいで死んでいた
資産家の家に生まれた藤島さんは親の遺産である会社を売ってつくった莫大な金を遺族に投じて刑事事件を力技で回避して青年を守っていた
被害者の姉が納得できずに青年を襲った際に藤島さんはかばって負傷
どうしてそこまで藤島さんが自分に尽くすのか青年は怖く思うほどだった
本当はただの友人ではなく恋人同士だったんじゃないかと問いかけ、答えようとしない藤島さんを青年は抱いた
2巻
青年は製菓の資格を取り順調にキャリアを積み重ねつつ藤島さんとラブラブな日々をすごしていた
色々あって家庭はギスギスしていたが、父親が婚外子を引き取ったことで更に悪化
少年の実母はろくでもない女で元からネグレクトの末に失踪し、仕方無く引き取った父にも愛情はない
無関心な父と憎悪を向ける母に苦しめられている少年を放っておけず藤島さんは隠れて優しく接した
過干渉な母親に性的なことを極端に抑制されている藤島さんは、少年を抱きしめて眠っていたある晩にふと少年のちんちんをしごいた
少年は唯一心を許していた藤島さんにイタズラを受けたことに泣き、藤島さんを拒絶しもう誰にも心を開かないようになった
中卒で少年は家出して親たちも探すことはせず、藤島さんは自分のせいだと後悔した
両親が相次いで亡くなりしばらくしてから、青年が事故で意識不明になっていることを知らされた
また身辺を検め、青年がろくでもない薄給の仕事で苦しい生活をしていることや
そんな中でも貯金して写真の専門学校を目指していることを知った
最悪な環境の中で荒みきった姿を知っていただけに、青年が夢を持って生きていてくれたのが藤島さんは嬉しかった
藤島さんは事故を処理し彼の夢を支えることが償いになると思った
青年がなにもかも忘れて恋人になったことに喜びはあったが、罪悪感もつきまとっていた
3巻
アラサーになった青年はある日目覚めて、なんの前触れもなく事故以前の記憶を取り戻した
引き換えにそれ以後の記憶は失い、知らない部屋で目覚めたこと、鏡に映る自分が老けていることに恐怖した
しかも部屋を調べたら、かつて幼い自分にイタズラした最悪な存在である藤島さんとのハメ撮りが出てくる
カレンダーを見れば数年が経っており、外に出れば土地勘のないところで、青年は途方にくれる
記憶喪失になり、それをいいことに性犯罪者の藤島さんにいいように丸め込まれたのだと怒りに燃える
藤島さんをボコボコに殴ったりもしたが、他に行けるところもなく少しずつ関係は軟化
パティシエとしての頑張りが評価され、町の菓子屋ではなくハイレベルな店に修行に行く話もあったことや、
状態が落ち着いたらひとまずうちの店に復帰すればいいよと言ってくれ実の息子のように扱ってくれる店主の存在
それらは、婚外子だの中卒だのでどこにいっても軽んじられた青年がかつては持たないものだった
記憶を取り戻す前の自分の方がよほど人に必要とされて愛されていたと青年は突きつけられる
製菓の技能は記憶とともに失い、道具を持てば体が覚えてる、などということもなく青年はなんのスキルもないアラサーおじさんに成り下がった
春は変態が野に出る季節。
たまたま催涙スプレーの有効性みたいなのが流れてきたけど襲われて咄嗟にバッグから出して使えるとは思えないし自分にかかると大変らしいし色々疑問。キーホルダー型とかもあるけど…ねえ?
もちろん準備して待ち構えられる状況なら有効だろうけどそんな理想的なことある?
(ていうかたまに撒き散らして事件起こす人がいるから持ってる人の方がヤバイみたいな印象もある)
どんなにマッチョな男性でも指はマッチョにならない。特に小指。
体を掴まれても腕が動かせるなら迷わず指を掴んで力いっぱい折ろう!
ジムなら数十キロ持ち上げられても不意に30キロ40キロの重さがかかって耐えられる人はいない。
羽交い締めにされたら足を浮かせて体を丸め、地面に倒れ込んで振り解こう!
体にある最強の武器、それは顎と歯。
どんなに貧相な人にも肉を噛み切る力はある。首が動くなら相手のどこでもいいから全力で噛み千切ろう。
野生を取り戻せ!
ハリウッド映画なら女性が悪漢の金○を蹴り上げて倒すのがセオリー。
でも護身術講座でやらせてもらえば分かるんだけど金○は襲ってくる相手の「奥」なので届かないし弱点だからこそ狙わせてくれないんだよね。
現実は映画じゃないんだ。私はスカーレットヨハンソンにはなれませんでした。
残念。
それでは皆さまどうかご安全に。
こういうふうに直球で女の容姿を貶すのは美容垢の通常運転なんだけど
何故か「女の敵は女あああ」は一切湧いてこない
涙袋だの中顔面だので女の顔に序列をつけてコンプレックスを植え付けるムーブって服装叩きよりもよっぽど最低だと思うんだけど。
それとも自称弱者男性には言葉の意味が難しすぎて理解出来てないからか?
寿風(じゅふう)
@Jufuu_
この絵に悪意があるかないかはわからないけど、この描かれてる女の子パーツ欠点無し顔で丸めの鼻にえくぼあって涙袋あって眉の形も平行眉に整ってて中顔面短い完全にアイドル顔…これを芋だとか言ってる人達怖すぎる…
ナプキンを畳むのも忘れるくらい美味しかった、という由来のテーブルマナーをしっかりと忘れずに実践するのもなんかどうなんだって思う。
こんな事考えてるから毎回忘れるも何もないし、まあやるかやらないかで言えばやっといた方が無難ではあるだろうから一応やってはいる。ほどよく雑に折り畳み、無意識のもと片付けた風を丁寧に演出して置いてる。昔それを見た父に「ナプキンはこうしとくんだぜ」とマナーマウントを食らった。彼はグッチャグチャに丸めて置いていた。
いやいくら飯の余韻で頭がいっぱいでもそうはならんでしょ。むしろわざとらしいだろ。と思った。乱れていれば乱れているほど美味しかったですの度合いが強いって事でもないだろ。
まあ由来とかはさておいて単に美味しかったですという意思表示としてやっとくもんなんだろうとは思うけど、もっと言えば逆にそこまで美味しいと思わなくても雑に畳まなあかんのかいとも思う。
そもそもおれコース料理みたいに品数優先でチマチマ食うのあんま好きじゃないし。定食スタイルで一品をドカッと食う方が好き。フレンチとか行った時も不味いとは言わんしまあ美味しいのもあるけど、珍しいものを食べたなあ以上のものはない気がする。
繊細さとか目新しさとか、能書きも健康への配慮とかも捨て置いて、もっとストレートに脳が震えるような感じの方がおれは「おいしい」と呼ぶに相応しいと思う。
なんで必然的にコース料理は毎回付き合いで行く事になるし、テーブルマナーにおいても無難な振る舞いをした方が良いんだろうなとは思ってる。社会性を持った大人であり、細かい事で揉めたくない日和見人間でもあるので。
ただ強い自我を持ってもいるので、特別美味くはなかったなというスタンスを取ったっていいじゃないかって気もする。それじゃ連れのメンツが立たないと言ったって、なんでアンタが勝手に店側に立ってんねんって気持ちになるし。
店側に失礼とかいっても、それは畳むの畳まないのを本当に忘れさせてはくれなかった店側の落ち度というか……別にテメーんとこの飯は豚の餌だな!つって店先に痰を吐き捨てる訳でもないんだし。
この日記の内容は、会社の後輩から「最近エクセルマクロを勉強し始めて(キラキラ)」という話を聞いて、先輩ムーブをかますために話した内容になります。
とにかくこれから説明する「計算用シート」が憎くて憎くてたまらず、ちょっと引かれるほど熱弁してしまいました。
ただ、他の方がどうされているのかや、逆に「計算用シート」を愛用する方の意見も聞きたくなり、増田に書いてみました。
エクセルマクロのお作法とか書きましたが、要するにエクセルマクロで「計算用シート」って色々な意味でよくないよね、という話をしたいです。
3行でまとめます。
〇 エクセルシートはユーザーインターフェース(インプット)か出力結果(アウトプット)のためのものとすべき
〇 データ加工をする場合には、原則配列や辞書型配列(連想配列)に格納して加工を行い、最後の結果だけシートに出力するべき
〇 何事にも例外はある。
エクセルマクロにも色々あると思いますが、今回は下記を想定します。
日付や人物名などを入力し、データベースや別のエクセルファイル、別のシートから取得したデータを入力された値を基に加工し、加工後のデータをシートに出力する
この場合、入力欄があり編集可能なシートがユーザーインターフェース、最終的に加工されたデータが出力されるシートが出力結果です。
(もちろん、ユーザーインターフェースの別の欄(セル)に出力する場合もあるし、その場合はユーザーインターフェースと出力結果が一体のものとみなします。)
また、データ用シートは同じエクセルファイル内に基となるデータが含まれる場合を想定します。
(これ自体が非推奨で、SQLデータベースかせめてAccessを使え、という意見はありますがそれは別にして…)
ではここで定義する計算用シートとはなにかというと、文字通り計算を行うためのシートです。
1.元となるcsvファイルをエクセルに読み出してシートに格納
2.そのデータは日付が数値型になっているので、日付(数値型)の入った列を文字列に変換した日付(文字列型)列を新たに作成
これは極端な例ですが、とにかく変数や配列を定義せず(あるいはエクセルのセルオブジェクトを変数のように扱い)、エクセルに値を入力し、それを直接加工することで目的となるデータ加工をしたり、様々な処理をします。
なんかこんな感じの処理をしているエクセルマクロ、どこの会社でも腐るほどあるんじゃないでしょうか。
ある程度マクロに慣れた気の利く人なら、このシートはロックや非表示にして、ユーザーから触れないようにするでしょう。
・・・これ、やめたほうが良くないですか?。
ある程度詳しい人なら同意してくれると思いますが、このやり方でダメな理由はいっぱいあります。
後で説明する配列や辞書型配列(連想配列)と比べると格段に処理が遅いです。
ちょっと詳しい人が知っている「画面更新の非表示」を駆使しても、配列を使った処理からみれば止まったハエです。
いったんエクセルシートにデータを格納して加工しているので、コードとエクセルシートを両方見る必要があり、とても読みにくいです。
変数として命名されていないのも致命的で、処理の意図が余計に分からなくなります。
計算用シートを事前に用意して、別のセルに関数を格納しておき、マクロと関数を使ってデータ加工をするものも見たことがあります。
あまり知られていませんが、セルの最大文字数は32,767 文字です。
セルの最大文字数を超えると自動的に隣のセルに値が入り、シートが滅茶苦茶になります。
他にもエクセルの数値を丸める自動変換の仕様とか文字列→日付の自動変換とか、いくつものバグに苦しめられます。
できる人だと、いちいち最大文字数が多い場合の処理を書いたり自動変換機能を殺したりしてくれますが、そんなことに手間をかけているから日本のGDPは上がらないんだと思います。
他にも、データが大きくなると処理が重くなり不安定になる、計算用シートを人が触ってしまうリスクがある、などいくらでも理由は上げられます。
(逆に利点は、目の前でガチャガチャ動いてスーパーハッカーになった気分になれるくらいしか思いつかない・・・)
配列を使いましょう。
配列とは何ぞや、という人はググってください。
配列にデータを入れて、データ加工は配列や変数に対して行い、一番最後の出力だけセルに値を格納する。
個人的にオススメしたいのは辞書型配列(連想配列)で、うまく使うとデータの管理が簡単になり、処理も爆速になります。
(参考)【VBA】大量データから高速で値を検索【Dictionaryを使う】
csvファイルもなまじエクセルで開けるだけに別のブックやシートで開きがちですが、これは悪魔のささやきです。
直接ファイルを読み出してLine InputやSplitで配列に格納しましょう。
エクセルとして開くやり方はコード書くのは簡単でも、実行時間に天と地ほどの差が出ます。エクセル開くと処理もめちゃ不安定です。
(参考)Excel VBAでCSVオープンするときのパフォーマンス比較
いや、冒頭のマクロを書く人の気持ちも分かるつもりです。自分もコードを書き始めたころは全部シート上で操作していました。
冒頭のマクロのほうが直感的なんですよね。自分が手で書くことをマクロにやらせる、というマクロ本来の趣旨にはあっていますし。
途中の計算過程もすべて目の前で展開されるから分かりやすいです。
ただ、それではダメなんです。。。処理は遅いし挙動は不安定だし後で改修・保守する人が死にます。
あと、エクセルシートやセルは当然エクセルにしかないので、エクセルマクロ(VBA)から他の言語に移れなくなります。
自分もエクセルマクロの里の出なので、計算用シート脱却には苦労しましたが、苦労して会得した配列や辞書型配列(連想配列)のスキルはそのまま他の言語に活かすことができました。
配列の中身を見る方法は別にある(ローカルウィンドウやDebug.printを使うなど)ので、リハビリに取り組んでほしいです。
(参考)VBA デバッグの仕方
計算用シートを許容できる、使うべきケースもあると思います。。
個人的には、
(最後のは、なんでも自分で確認しないと気が済まない上司の発注で、意味不明と思いましたしたがしぶしぶやりました。)
この場合、インプットのエクセルシートに直接加工するのは論外なので、計算用(加工用)のシートを用意してそこで操作を行うことは必要だと思います。
他にも、こういうときは「計算用シート」があったほうが良い、という状況があれば教えてもらえると嬉しいです。
そもそもツッコミとして、「データ加工するならエクセルマクロを使わずにpythonとかRとかもっとまともな言語使えよ」という言葉が来そうな気がします。
ただ、個人的にはエクセルマクロ(VBA)は大好きですし、初心者にもおすすめしたいです。
自分のような非エンジニアだと、セキュリティの関係などでPythonの開発環境とかすごく用意しにくいんですよね。
(あと、コマンドプロンプトの真っ黒な画面が怖かった)
その点エクセルマクロは、開発環境の用意はプロパティでチェック項目を一つオンにするだけだし、入門書がたくさんあるし、セルの挙動を追えば視覚的にプログラムを理解できるし、初心者に優しいです。
(そのやさしさが上述したとおり悪魔の罠なわけですが。)
最初は計算用シートに頼ってでもエクセルマクロからプログラミングを始めて、本格的なデータ加工をし始めたあたりで計算用シートという諸悪の根源から脱却する。
さらに本格的なデータ処理を行うために、PythonやRなど別の言語を習得したり、エクセルからSQLデータベースやACCESSなどに切り替えていく、というプロセスがいいのではと個人的に思います。
チョコレートが売っていた
どうやらバレンタインの時に胸に抱かれなかった
チョコレートたちのようだった
値段は160円もするらしい
だが、味は好みらしいので買った
家に帰ってチョコレートの銀紙を半分ぐらい
雑に破いて、歯で齧った
苦いチョコレートだった
しかし、なかなかにうまいチョコレートじゃないか。歯に染みるぐらいには甘いが
ぺろっと食べ終わり、唾液が奥歯の溝にべっとり
張り付いた糖分の成れの果てを流さぬ内に
柿の種を噛んだ
ぴりっと辛かった
すぐにお茶で消そうとしたけど舌に電気が走ったみたいにぴりっと痺れた
てか、私泣いている辛すぎて?と思い
部屋をみた
そこにはさっき破いたチョコレートの銀紙
そこにはぐしゃぐしゃに丸めた明細表
そこには…紛れもない私があった
それでも
それでも涙が止まらなかった
通知で来ていた
私はただもう一度、柿の種を口に押し込んで
毛布で涙を拭った
これ相手は本気での脈はあったやつだなあと思ったけど海外だと二人で泊まったりシェアハウスしてもセックスの同意ではないのは当たり前っていうの最近バズってるからそれにも当てはまるね
私は段階を経て付き合う可能性はあったけどやり取りでそういうつもりではないのに意思疎通できてなかったので駄目になった、もしくは増田にその気がないので元から意向は一致してなかったと読んでる
というか率直に言うなら同じところに泊まるのはうかつだけど
男性と同じところに泊まるのはちょっと(セックスしたくない)って言ってるのに
気が進まないならいいよ(セックスはするつもり)って返答は普通に考えたらおかしいでしょ
気が進まないならいいよ(そういうつもりはないけどそう考えるのは当前だし断られても気にしないよ)でしょ、馬鹿なん
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。