はてなキーワード: 不公平とは
とりあえずクリアしたということを目指すためだけにやった
キャラ、ストーリー、戦闘、移動、イベント、アイテムクリエイションすべてが・・・
スターオーシャンシリーズってよりはディスガイアに近いやりこみ要素、ゲームバランス
爽快感の無いバトル
魅力のない主人公
犯人はヤス並みにオチ有名だけどオチ以外のストーリーもつまんない
アイテムクリエイションでぶっこわれとかを気軽にできるのがいいのに決まった場所でしかできないっていうふうに良さを自分から殺してる不自由さクソ
いざアイテムクリエイションやろうとしても金かかりすぎでクソ 時間もかかりすぎるのクソ
徒歩移動オンリーでファストトラベルとかルーラ的なやつ、飛空艇みたいなのがない不自由さクソ
マッピング要素で歩けるエリアじゃないとこ埋めないと100%にならないガバガバなマッピング判定クソ
デスティニー2のSPみてーなガッツシステムで好きに攻撃できない不自由さストレスクソ
イベントで会話飛ばしてもマネキンの変なモーションとか間を全部見るまでイベント進まないのクソ
バトルで必殺技出す方法が長押しなのクソ すぐ技出せねえし思ったように出せずに暴発しがちなのがめっちゃストレス
ぼーっとたっとかないとガードできないとかアホか
敵はスパアマでまったくひるまずにスキルしかけてくるのに、味方のスキルは敵の攻撃で簡単に発動妨害されるの不公平すぎるだろ
ノーモーションから出してくるザコ大杉だし こっちの技はなんかクソみてえな間があって、ただでさえ長押しで技でるまで押せえのにひっと するまでもマジで遅い
敵移動してたりしてスカったりするし
クリアしてからが本番とか試練の洞窟とか隠しダンジョンとかあるみたいだけどとてもやる気にならんわ
装備をかなり強くする必要あるけどそのためにはめっちゃカネと時間がかかるからディスガイア並みに効率極めてプレイしないといけなくなるけどディスガイアほどお手軽に爽快感とか強くなった感あじわえなくていつまでもストレスしか感じないからこれ以上はやらん
あからさまなプレイ時間水増しのおつかいと同じダンジョンとか町を行ったり来たりでほんま最悪だったわ
ダンジョンの一番奥でイベント起きたら普通自動で町とかに戻るけど常に歩いて戻る必要あるし
さーあと456の3つかー
4はしらんけど5がクソゲーってのは知ってる
最高裁の裁判官は内閣総理大臣が承認する的な規則があって、これは一見政府寄りの不公平な判決を助長するようにもみえるが、実は首相ならば必ず国民が選挙で選んだ国会議員であるはずなのだから、結局裁判官の人選もまた国民の民意が反映された結果なのであって、判決が政府寄りで不満だとしてもそれは国民の自己責任である、みたいな考えになっている。
しかしもっと考えてみると、たとえ私が一票を投じようとも、現政権もまたそれなりに政権が覆らないように選挙で勝てる分だけの票田を囲んで、その票田を構成する人たちの利害に一致する政策を進めることで票を確保しようとする。
若い私にとってこうした票田は生まれる以前から盤石になっているもので、今更私(たち)が対立候補に票を入れたところで、選挙の結果を変えることはできないのだ。
それに生まれる前といえば、私が生まれた直後は法律には私の民意など一ミリも反映されていないはずなのだが、それでも私は生まれた直後からこれらの法律に従わなければならないことになっている。そして今の今まで自分では如何ともし難い政権によって増やし続けられる法律や税制に上から抑え続けられ続けている。
お前も現政権の票田と利害が一致する立場につけばいいじゃないかって言われそうだけどそんな簡単なことじゃないし、個々人がその立場になれるかどうかは問題の本質じゃないと思う。
言ってみれば、自分が生まれた土地を自分よりも前から支配してる組織に従わなきゃいけないって点では日本もアフガニスタンも同じなのだと思うのだ。別に無政府主義を肯定するわけじゃないし、そりゃ日本の方がタリバンより全然過ごしやすいだろうけども。
でも上記のような状態にあるのに、政府寄りの判決はお前らの自業自得だと言われても、いや政治は政府でこちらの民意パワーでは如何ともし難い選挙対策をしてるわけだし、それは違うんじゃないと思う
普通。
> ・前の彼氏にひどい浮気されたからと、女の影(過去の思い出含め)がちらつくと不機嫌になる
> ・僕が他の女の人にかわいいと言うことにすごく敏感だが、彼女はTVなどに出てくるアスリートを見て「えっちだなぁ」とか言う(僕はヒョロガリとまではいかないけど細身)
> ・彼女の帰りが遅めなので大体の家事は僕がやるが、それで疲れて彼女への対応が雑になると不機嫌になる
> ・2人で決めることの最終決定権はほぼ全てこちらに委ねられる(ご飯をどこで食べるかなども含めて。責任を負いたくないのだと思う。)
> ・上記の責任逃れの癖から、自分は悪くないという理屈を作り上げることに執心しているように見えてしまい、自省の習慣がないように思える
> ・その場を切り抜けるための拙い嘘をつく
なんとなく不公平を感じてるんだろうけど、それ気にし出したら基本的に結婚なんてできないので、全部無視(我慢ではない)するか明確に言って説き伏せるかどっちかしかない。
X(旧twitter)にて
「人口というのは階級を考えたらピラミッドになるべきで、大企業正社員とか医師とかだけが子孫を残せる国とか、どうみても凄い崩れ方するでしょ。彼らの子がダム建設とかマンホール作業員やるの?」という主張を見た。
残酷な現実と偉い人の本音を感じた。少しだけ知恵を付けた愚かな人間がこの事態を招いている、と感じた。
会社を経営してる知人が「最近はみんな自分が知らなくていいことを知っている。知りたがる、そしてなりたがる。それがこちらには都合が悪い」と言っていた。
あまりに情報が多すぎて、入りすぎて、見なくていいものが見えている。
例えばダム建設をしている人が休憩時間にtiktokをのぞく。キラキラしていて豊かで華やかな瞬間を見る。自分に疑問を持つ。妬ましく感じる。
取るに足るとはよく言ったものだ。
【日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。】
今行われてる少子化対策とか、その他の政策もなんだかどれもイマイチで最低だ。これじゃSNSみたいな裕福な生活はいつまでもできない。
でもこれってわざとで、ピラミッドの一番下を作って明確な線を引こうとしてるんじゃないのか。
諦めてもらって、働いてもらって、余計なことを考えられなくなるくらい働かせて、それでも裕福にはなり得なくて、どこかで諦めて妥協して取るに足るを知れるように。
SNSのキラキラやタワーマンションや豪華な生活はディズニーみたいなフィクションで、自分には縁のない、どうにも届かないって思わせれば勝ち。
生活を変えれば、努力すればああなれるかもだなんて淡い期待をさせちゃだめだ。
あんな生活は出来ないけどさ、可愛い子供がいて、家族があって、仕事は大変だけどこれが幸せさ。とか言ってくれたら楽だよね。
ピラミッドの上の部分、もういっぱいなんで!国に裕福にしてもらえると思ってる?w君たちは下で満足しなよ!これは棲み分けだよ
と政治家が言ってる気がした。
確かに男性の方が体格や消費カロリーが多い傾向にあるのは事実だけど、会食時に限られた料理の中で男女の平均摂取カロリー量差に準じた食事を確保しようとしているかと言われるとそれは違うと思う。
少なくとも自分が知人友人彼女と食事行くときは1品ごとに半分もしくは相手が気に入った料理だったら多めに食べてもらえるよう気を付けている。
酒のペースも合わせようと意識はしているが自分の方が1~2杯は多くなることもあるので、そういう事も加味した上で相手が年下や彼女だったらさらに加えて多めに出しているから元増田のいう実質的な公平さは保たれていると思う。
自分の回りの男性も見る限り後輩や好意を持っている異性等に対して多めに出したりする(しそうな)人たちばかりだから、もし精算時不公平感を感じる女性がいたとしたら、相手が女性自身をそういう対象と見なしていないか、何かやらかしている可能性があるか、その時相手もしくは自分、あるいは双方金欠かの3択だと個人的には思う。
関係性を構築したいと思わない赤の他人に便宜は図らないだろうし二度と飯行かないって思ったらどう思われてもいいってなるから機械的に処理するのは考えられる。あとは金欠で恥を忍んで割り勘の申し入れをしているか、そもそも自身が金欠で支出に対して神経質になっている可能性もあるかもしれない。
いずれにせよ不公平が生じている現実に対してぶー垂れるだけより不公平(感)が生じている原因について考えたほうが建設的ではないだろうか。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
既存の技術を活用し、即効性かつ実現性に優れた案を提示したい。
特に飲み会で女性側は奢られて当然(接待要素に対する対価、下心に対する対価など)と考える人間と今の時代割り勘が当然と考える人間の認識のずれ
によっておこることが多い。
奢る側:奢ったのに冷たくされた。奢る気ないのに奢りを強要された。断ったら相手が不機嫌になった。など
奢られる側:奢りが前提なのになんで割り勘なのか納得できない。お酌、取り分け、注文など接待してるんだから奢られて当然。どうせ下心あるのに奢らないとかありえないなど
・個人のスマホ注文、決済により、同じテーブルであっても個別注文、会計とする。
これまでは、会計時に割り勘、男多めね、女は支払い不要などと後出しで条件が決まることが多い。しかし、店側で個別注文、会計システムを用意して
4.会の途中で奢りたいとか気分が変わったらどうるの
奢りたい側は、気がある、楽しかったなどの意思表示が行え、奢られる側は容易に拒否できる。
・できれば店側のシステムで送金や会計を同卓他人に渡せるようにするのが望ましいが、既存のシステムの改修などが必要。また、同じシステムで行うと、結局なあなあで
・既存のタブレット注文システムは1テーブル1会計のため、これを利用する。
→ テーブルに2本程度充電ケーブルを用意する。貸し出す。電気代はかかるが施設投資はほぼない。
無断充電による電気代が気になる場合、料金に転嫁するか、有償貸与バッテリーを用意する。
施設投資は必要だが、自動化できる有償貸与バッテリ方式が個人的にはおすすめ。
→ 大体の人はすでにやってるから実害はない。
潔癖の人のために、除菌液やシートを用意する。(そもそも気にするぐらいなら自分で用意しろとは思うが、ここは店側のブランド構築など費用対効果みて決定すべき項目)
→ 今もそんなに変わらない。
ちゃんとコミュニケーションとれる人は注文でスマホ触るぐらいでは問題とならない。なんならこれどう。(料理や自分のスマホデータ)などと会話の端緒とすることができる可能性もある。
・完全個別会計になることで、飲み負け、割り負けなどの不公平感がなくなる。
・飲み放題は除くが、自分で注文する必要があることから、前後不覚となるまで飲むことが少なくなる。
数十万円の冷蔵庫なども対象になるならそこそこの人数には影響ありそう
金銭的問題で納得できないなら離婚しかないからここでは考えなくていいと思うよ
元増田も勘違いしてるかもしれんが、財産が1/2になるのは結婚後であり、結婚前の貯蓄は各々の持ち分とされる。元増田の1/2が何を指してるかはわからんが。
そも収入格差があるにも関わらず共同財産が1/2とみなされるのは家事など支出に現れない労力などを元に、ともに稼いだとされるからだね。
精神的な面を除いて、収入格差という不公平感をなくす一番楽な方法は家事分担という労働比率を見直すこと。
増田がなんで5:5までしか考えてないかもよくわからんね。収入格差を埋めるなら3:7~4:6でいいんだよ
ぶっちゃけ金銭面になっとくいかなくてレスだっつーなら、レスだけで離婚自由になるんでさっさと離婚してもいいんじゃねえかとは思うよ
一読者のコメントがきっかけで、ペダルナイトが単行本になる前の話題NGになってしまったらしいという件、自分の周りではこのことがたまに話にでる。
〜らしいなのは、NGのきっかけになったコメントがあったとされる当時、自分はまだ弱虫ペダルという作品を読んでいなくて。その事自体を実際には知らないから。
ただ、ネタバレの是非などがネットで話題になると、そういえばみたいな感じで大体誰かしらの口から出てくる。なので自分の思ったこと書いてみたくなりました。
ネタバレに関してはいろんな意見はあると思う。それでもペダルナイトで本誌の話をできないのはいろんな方面ですごくしんどいんじゃないかと思ってしまう。
まず作者の先生。すでに発表して販売もされているご自分の作品について言及できない不自由さ。ただただ気の毒でしかない。
そして出版社。純粋に本誌の売上のこと考えたら、話題にしたいんじゃないかと。参加もしたいしネタバレも嫌なら本誌読んで参加しようとなって、ごく自然な形で売上に繋がる。
告知の時点で「本誌のネタバレ含みます」と記載があれば、参加するかどうかを自分で判断して選べばいい(本誌読んで参加するのか、参加しないのか、はたまたネタバレ楽しむ気持ちで参加するのか)。単行本勢への配慮はこの形で十分なのでは。
先生が優しいから、現状こういう結果になっているのはなんとなくわかる。でも出版社からしたら、本誌を買ってないお客様と、本誌買ってくれてる(そして多分単行本も買ってる)お客様とどっちを大事にしたいかなんて明白なんじゃないかって。いわないだろうけど、正直勘弁してほしいというのが本音なんじゃないか。主催は出版社ではないみたいだけど協力のところには記載されていたし。
最後に読書者。より売上に貢献してる側の本誌勢が我慢しないといけない、というのが不公平すぎる。
もしそれでも単行本勢への配慮というのをやるとしたら、基本は本誌読んでる前提のイベントとして開催し、極々たまに単行本ナイトをやるとか。単行本ナイト、一晩中読書する会みたいな名前だけど。
自分はそう思ってしまう。本来一番意見をいう権利がすくない売上貢献少なめの人の意見のために、それ以外の各方面が不利益を被る構図。なんて理不尽なんだと。
もしこの気持ちが届くなら試しに本誌ネタバレありの本誌ナイトから初めて見るのどうでしょうか(そして、なんとなくその割合が増えていき、本誌の話題に触れる自由を取り戻す的な)。
ただ、これも単なる一読者の勝手なコメントです。だから自分はただ思うだけ。決めるのは先生や、イベントの主催の方とか、出版社とかで。私にはその決定権はないから。思うだけです。だからその思いをどこか吐き出したくて書きました。最後まで読んでくださってありがとうございました。
追記 ちなみに自分は本誌買ってないです。単行本勢です。一番発言権小さい。だから聞き流してください。でもだからこそこの文章を書きたかった。単行本勢の全員が全員、ペダルナイトでの本誌ネタバレやめてほしいみたいな主張を持っているわけではないです。
ペダルナイトに限らず、ネタバレに遭遇してもそれは自分もしくは、運が悪かったと自分の中でおさめます。あと早バレはもちろんまた別のお話。
保育園が完全抽選制じゃないとはいえ、収入ではじかれたかどうかは役所しか知らねえんだよな
「元記事は入れてくれたら働いてお前らより金納めるから行政としていいだろ」ってところが肝要だろ
そんな矜持持ってるならほかの手段でやれよ。保育園しか選択肢ないのか。認可外、ベビーシッター考えたのか。って指摘は出て当然だよ
収入その他で平等な社会じゃないのがほとんどの国家なんで貧乏人はベビーシッター雇えるか。雇えねえだろ不公平だろってのは別問題
ベビーシッターが金かかるのはそうだけど、月給40万よりはさすがに抑えられるんじゃないかと思うし、そもそも専属で一人雇うんじゃなく、民間でやってる保育所とか、私立の幼稚園の延長保育とか、とにかく金があんなら取れるオプションが色々あるでしょっていう話なんだけど。
てか年間500万払ったとしても夫婦のどっちかが働かなくなるよりは年収あるじゃねえかよ。不公平って何?私共低所得者層からしたら世帯年収2000万の人間が人も雇わず全部自分たちのために金を使う方が不公平なんですけど????????????