はてなキーワード: ファンタジーとは
やあ、先日小さい頃に見た映画のタイトルを聞いていた俺だ。結局アレはなんだか未だに不明なままだけどキンザザかもしれないなと思っている。
さて、今回はまたみんなのチカラというか記憶力を借りたい、急にふっと思い出してまた読みたくなってしまったんだ。
ではさっそく覚えていることを断片的に箇条書きしていく。
もう一度この話を読みたい、それが無理なら同じ作者さんのマンガ読みたいです!
一次創作小説を書いている。ジャンルは説明しづらいが、主にファンタジーとGL。たまに文フリなどに出す。部数は30くらいではけたりはけなかったり、弱小サークルであると言って差し支えないと思う。カクヨムなどに上げてもアクセス数は50程度。それでもたまには感想をもらったり、ファンですみたいな人が現れたりする。ありがたいことである。
ありがたいことなのは分かっている。
しかし、感想というものの居心地の悪さ、あれはなんなのだろう。「素晴らしい文章で涙が出てしまいました、どうやったらこんなふうに書けるんですか?はあ……語彙力……」みたいな感想をもらうと、なんというか、たじろぐ。そんなに感動してくれてありがとうございます、でもこれそんなに感動するようなやつでしょうか?
アマチュアで文章を書いているひとを全員上手い順に並べることができたとして、先頭からかなり遠いのは自分でよく分かっている。かつ、一番後ろの方ですよと卑下できるほどプライドが低いわけでもない。その上で、上手くなくても良い作品というのはあるから、そういうふうに思ってもらえてるんだろう……と考えはするのだけど、その頭での理解と感想への戸惑いは別で、「え、こんなに下手なのに?」「なんでプロじゃなくて私の文章を読むんだろう?」と思ってしまう。もっと精神の調子が悪い時には「ろくな文章読んでないから私くらいで感動できるんじゃねえの?」まで行ってしまう。創作をしてる人からの感想で、しかもその創作が自分の好みじゃないと、「尊い……語彙力……とか言ってないでちゃんとやれば?」とか「この程度の人に褒められても嬉しくないな……」とか、全く口に出せない感じになる。
全部の感想にそう思うわけじゃなくて、自分でもよく書けたなと思ったところを褒められれば嬉しいし、自分より上手い人に褒められるとやる気が出る。「この人はちゃんと読んでくれてるな」とわかる相手から的確な批判を受けると燃える。アクセス数は何度も見に行ってしまう。褒められたくないわけじゃなくて、相手を選んでるのだ。ばかだな。
ツイッターの女性文章書き界隈みたいなところでは「文字書きは感想もらえると泣いて喜んで創作意欲めっちゃ湧くからみんな軽率に感想書いてこ!!」というような話がときどきバズる。それを見るたびに情けなくなる。なんで私は素直に喜べないんだろう。あまつさえ読者を馬鹿にするようなことまで考えちゃうんだろう。私も泣いて喜んでやる気を出して次を書くみたいなことしたかった。
オチはありません。
小説でも漫画でも、物語の作家とそれを目指す人に対して「文章力とか画力以前に、これらについて気をつけておいて欲しい」と読者の立場で願っていることが有る。以下にいくつかを記す。
基本的に読者とは「物語の中で、何かが起きて、それに対して登場人物が反応(行動)し、物語の中で時間が経過して、登場人物が『上昇』または『下降』いずれかの変化を遂げる」姿を見届けるために物語を読む。何も起きない、何もしない物語を読みたがる読者は、滅多にいない。
したがって、物語を作る者は最低限、以下のような『構造』を物語が持つように努めるべきである。
= = =
(1)昔の主人公:充足した状態にある。もしくは、主人公自身は「満ち足りている」と思っている。
(2)少し昔の主人公:何か事件が起きて「欠落」が生じる。例えば、宝物や恋人を奪われるなど。或いは、主人公自身が「何かが足りない」と考えるようになる。
(3)現在の主人公:修行して能力を得たり、協力してくれる仲間を募ったり、旅をしたり、戦ったりして、欠落した何か、奪われた何かを取り戻そうと行動する。
(4)未来の主人公:欠落したものを取り戻す。あるいは、欠落していなかったことに気づく。あるいは、欠落をしたものを取り戻せない代わりに、他の何かを手に入れるなどして、欠落を受け入れる。
= = =
もちろん、これは構造の要件としては最低限のものにすぎない。連載途中で完結していない作品の場合には「目的を遂げようとする中で、登場人物が変化をするのであろう」と読者に『予感』させねばならない。その『予感』を持たせられず「本当に目的を遂げるのか?」とか「その目的を主人公が遂げたからといって、それが何なの?」と読者が感じたら、もう物語を読む動機を失ってしまう。
とはいえ、上のような「物語の世界で起きた出来事(1)〜(4)」を、時間経過の順番どおりに並べただけでは、読者の興味を惹いてページをめくらせることはできない。「何故、どうして事件は起こったのか?」という物語の中の『過去』と、「この後、登場人物はどうする、どうなるのか?」という物語の中の『未来』に対して、読者が興味を持つように仕向けければならない。
そのために、事件の発生原因や経緯、それに対する登場人物の反応・行動を「どのように読者に見せるか」という見せ方、見せる順序の構成、視点を考える。それが『構成』である。
最もわかり易い例は、密室殺人などのミステリ作品。単に時間経過どおりに出来事を並べただけでは、読者の興味を惹き続けることはできない。分かってみれば謎でも何でもないことも、見せ方によって「謎」に変化する。それが『構成』の力である。
もっとも、ミステリで言えば刑事コロンボのように犯人の視点で「動機となる出来事」や「アリバイ工作の様子」などを、最初から出来事を見せるという手法もあるにはある。しかし、これとて「効果的な見せ方」として選択した結果なのであって、単に出来事を順番どおりに見せているわけではない。
作家志望者ならば、一日にストーリー(上の1で述べた出来事の羅列)一つと構成一つを作るぐらい訓練をして欲しい。
【3:読者が物語(の登場人物)に『感情移入』できるような『動機』を】
読者を登場人物に『感情移入』させられれば、物語を読む『動機』が生まれる。以下でいくつか例を示すが、感情移入とは親近感や変身願望のことであると考えれば理解し易いと思う。
= = =
ケース1:スポーツやゲームなど、現実の愛好家が存在する物事をモチーフにして、主人公たちが戦う物語を作ると、その愛好家たちを読者として感情移入させ易いといえる。例えば、高校野球で甲子園を目指す物語、サッカーでワールドカップを目指す物語、囲碁の名人を目指す物語、ポーカーの世界大会での優勝を目指す物語など。ただし、そのネタに関心が無い人間を、門前払いしてしまうというリスクは有る。
ケース2:現実世界の読者の立場では様々な制約(物理的なもの、法律など)から実行できないことを、作品の登場人物たちがやっている姿を見て、読者がカタルシスを得る。例:ヤンキーやヤクザが、学校や地域で覇権を争う物語。厳重な警戒を掻い潜る、大ドロボウの物語。報酬を受け取って殺しの依頼を引き受ける物語。詐欺師がコンゲームをする物語。犯罪プランナーの物語など。
ケース3:主人公が闘って勝利することで、脇役も利益を得るような物語。読者は、脇役に感情移入して主人公を応援したくなる。核戦争で荒廃した世界で、無法者によって弱い人たちの生存が脅かされているが、無法者たちを倒すために主人公は闘う。人間を食い殺したり操ったりする怪物が跋扈して、人間社会を脅かしているので、その怪物を倒すために主人公は闘う。大半の読者は一般庶民なので、このように「弱者を救うために闘う登場人物」には感情移入し易い。
呪いのビデオを観てしまった!何とかして呪いを解かなければ主人公は死んでしまう!そのタイムリミットが(a)1週間以内、(b)五十年以内のどちらかだとしたら、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
子供が生命の危機!手術をしないと死ぬ!そのために主人公は(a)有り余る財力と人脈を駆使して世界一の名医に手術を依頼する、(b)金も地位も人脈も持たない主人公が何とかして子供を助けるために苦闘するのどちらかならば、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
何も制限を課されていない登場人物は、読者にとって応援する甲斐が無い。貴方に腕前が有るのでない限りは「パンが無いならケーキを食べれば済む」といった恵まれた境遇の人間を主人公に据えて物語を書くことは避けた方が良い。
特にファンタジー系作品を書く場合、この種の落とし穴に嵌まり易いので作家志望者は注意した方が良い。一度「結局は、作者の匙加減一つじゃねえか」と思われたら最後、読者は興醒めして離れると思え。
【5:補足】
昔、海外のチェス初心者用指南書に『How not to play Chess』という本があった。「『やってはいけない駒の動き』をしないように心掛けるだけで、まともな対局が可能になる」という内容であった。今でも「悪い指し方」「他山の石」の例を見せて教えるのは、チェス・将棋・囲碁などの訓練では常套手段である。
したがって、物語についても「悪い例」を示すのが効果的である。例えば「『海賊王』に俺はなる!」という某漫画は、多くの人が知る有名な大衆的な商品なので、その駄目な所を指摘するのは、物語作家やそれを目指す人にとっては格好の「他山の石」と言える。そこで、この商品の駄目なところをいくつか指摘して終わる。
= = =
定義が不明瞭なのに「海賊王になる」と言われても読者にとっては「パンピレホニョンに俺はなる!」と言われるのに等しい。意味不明。
主人公が海賊王になるのを、脇役や読者が応援するべき理由や動機が有るの?
もしも主人公が海賊王になったら、脇役にとっては何か恩恵が有るの?
いつ迄に主人公は海賊王になるつもり?一週間後?一ヶ月後?半年後?一年後?十年後?
海賊漫画なのに海賊行為(襲撃、略奪、誘拐、密輸)をしていないよね?
どうせ戦っても「ハァ…ハァ…」と言うだけでダメージを負ったり死んだりしないから、単なるプロレスごっこになってるよね?
現在リアルに少年・少女のジャンプ読者は、連載中の海賊王漫画のことを「今、誰が、何のために、何をしているのかがサッパリ分からない」と思ってるよ。その読者の率直な現状を、編集者は把握してる?
= = =
冗談抜きで今現在、漫画なり小説なりの作家を目指している人は、某海賊王漫画を反面教師にして欲しい。
健闘を祈る。
ああいう世界に憧れることって子供ならよくあると思うんですけど、ある年齢までいけばあれが完全に夢物語とわかりますよね。
なぜ魔法が使えないのか、なぜ摩訶不思議なできごとが起きないのかって本気で悩む人ってほぼいなくなると思います。
野球やってた人って心のなかで一度は夢見たりすると思うんですけど、ある年齢までいけば大多数の人にとって夢物語とわかりますよね。
なぜプロと同じプレイができないのか、なぜプロ野球の世界に入れないのかって本気で悩む人ってほぼいなくなると思います。
縁のない人にとって、色恋沙汰も同じことだと思います。
完全に縁のない世界。つまり、ハリーポッターやプロ野球と同列。
そうなると、わざわざ本気で悩むこともないと思うわけです。
存在しないファンタジーやごく一部の人間しか関わることのない例と、巷にあふれている恋愛を同列に語るんじゃないと思うかもしれません。
でも、現に今の時点で縁がないのであれば、同じだと思うんですよね。
何故か努力や工夫でどうにかできるって思う人が多いんですけど、本当にそうなんでしょうか。
すでに努力や工夫を重ねてきたんじゃないでしょうか。
だとしたら、本気で悩む必要は、もうないんじゃないでしょうか。
話は映画版のずっと先まで続いており、人物像も丁寧に描かれているため
クシャナを始めとした敵陣営だったキャラクターたちも魅力的に仕上がっている。
発売されたのがかなり昔なので、大判本なのにやたら安いという特徴もある。
魔界に迷い込んだ女の子と、ひょうんなことからその子と旅をすることになった行商人の悪魔との旅物語。
大人の鑑賞にも耐える絵本といった感じの作品でこころが暖かくなる。
ついこの間完結した。
http://cba5.boo.jp/mado-kyara/index.html
魔導士一人が軍隊に匹敵する戦力を持っているファンタジー世界漫画。
確固とした歴史・世界観を持っていたりと物語構成がうまく、繰り返し読むとより面白い。
そっちに力があるとか継続してゲームプレイしてられる程生活に余裕が無くなったとは考えられへんのかい
なろうを馬鹿にしてるならお前が大好きなファンタジーも大好きなアタマツカウゲームも同じようにゴミ箱に捨てるよ
当たり前だよ、オタク趣味なんて理解できないし保存する価値もないからな
価値が生まれたのは暇人がなろう見て幻想世界の中に理想郷を見たからだろ
今まで趣味だったものが誰かの人生の目標になったり職業になったからだろ
ゲームの難易度が下がったと勘違いしてるのはゲームの難易度が高いままでは誰もゲームなんてやる暇が無いからだろ
どこでも気軽に脳死でポチポチしてるだけでストレス発散になるからだろ
高えって言ってんだよ
誰も若いやつ格ゲーやって来んねえ、お前みたいに高難易度ばっか求めて初心者を排除しまくった奴が多いからゲームに誰も残んねえって言うの
ゲーム自体への寸評も高難易度とか高度な部分での指摘が多いからなんだこの怖い業界ってなんの
steamすらも流行りきったとは言えないゲーム業界でそういう局地化したメインジャンルだったものがあんの
やってねえゲームのことを難しくねえから難易度上げろとか抜かすんじゃねえ大馬鹿がよ
ストラテジーゲームが大好きなのに真っ黒な空間に武装した国があることすらわかんねえからバカスカ人材が死ぬんだろうが
何が原因で自分たちの大好きなものが無くなってるのかわかんねえんだろうが
任天堂なんかはそこをわかってるからちゃんと低レベル向けの処置をしてストーリーを進めさせるの
ストーリーがよくわかんねえからキャラクター達をピックアップさせるの、キャラクター達を好きにさせてそこから更に物語に深みを持たせるの
何でもかんでもケイ素生物だ、こんにちは死ねだやってたら作者のアナニーでしかないし、アナニーに付き合いきれないから売り上げも上がらんの
お前が読んでない作品を幼稚だと断じるなよ
お前が作ってないものをクソだと断じてもいいが、せめてプレイはしてから言えよ
プレイもしてないのに難易度上げたらやるとか言ってるからゲームが売れねえんだろうが
売るために物作ってんのに買わねえ奴のために誰が作るんだよ
誰がお前の希望を聞くのよ
こんなにも難しいのにまだ幼稚だとか難易度が低いとか言ってるからいざやった時に『合わない』になるんだろうが
お前は昔からゲームをちゃんとやってないんだよ、まともにクリアした訳じゃない
『合わない』から逃げてきたんだよ
そんな奴の言葉を聞けって?御免被るね
右も左も分からない子供の頃から大人の願望を押し付けられてファンタジーだと気づかず成長してしまうんだからな
女にとっては都合のいい面もある。
女への幻想を壊さずにいるということは、その分だけ大事にしてもらえるからだ。
というより、他の格闘技のほうが圧倒的に少ない。
実は総合格闘技の漫画はないわけではなく、有名所で『オールラウンダー廻(格闘団体『修斗』の空気感を強く反映している)』、マイナーで古臭い『格闘太陽伝ガチ(『PRIDE』時代の空気を色濃く反映している)』などがあり、未読のものでも『鉄風』、『ハナカク』等があるらしい。しかしほとんど無名でしかも数が少ない。
例えばなぜ総合のスタンディングは間合いが遠いのか、という視聴初心者にはまるでわからない問題から、テイクダウン(相手を倒す所作)タックルの入り方、入ったあとの攻防でどう立ち続けるか、などスタンディングから寝技に入るまですらいくつかの段階がある。寝るともっと細かい。しかしこれだけでは理由にならない。何故ならボクシング漫画にも細かな攻防が散りばめられてるし、こうした細やかさは『はじめの一歩』を皮切りにしてその後の漫画で通例となっている。例えば右ガードを上げっぱなしにして直ぐに左の返しを打つ、縦拳でねじ込むなどの試合を見るだけではわからないテクニックが盛り込まれる。
特に初心者の場合、総合で寝技に入ったあと困惑しがちだ。「この人達なんで抱き合ったまま動かんの?」が一般的な感覚だろう。漫画にする際に一番問題なのがこの地味さだ。ともかく総合のグラップリング(組技)のビジュアルは地味に尽きる。よほどの実力差がないときれいに腕とったかと思ったらそのまま頸動脈を締めてフィニッシュ、なんてことにはならない。ダラダラと抱き合って時々ポンポンと叩いたかと思ったらまた起き上がる、の繰り返しだ。人気が出にくいのも無理はない。しかしその地味な中で選手は常に目まぐるしく考えている。ハーフガードから足を抜いてサイドを取って、裸絞か腕十字の二択をかけながらバックチョークを狙い、更にこの中間にパウンドを挟んでゆく、という思考ゲームを繰り広げる。故に柔術は才能や瞬発力より学習と反復であると言われており、特に能力のうち努力の比重が高い(もちろんフィジカル面において足が長いほうが有利、体重差は関係するなどの条件は一応ある)。こうしたほぼ見えてこない攻防は柔術教習系のYouTubeを何度か見ることによって初めて理解されるものであり、そうでない限りはまるでわからずに試合が過ぎてゆく。漫画でこれを再現するには動きのないシーンをずっと続けなければならない。つまり決定的に漫画やアニメに向いていない。総合を漫画やアニメにする場合、両者が軽量級で締めや関節の攻防がスピーディーに繰り広げられるという目まぐるしい展開を技と作らなければならない。
ボクシング漫画は効能がわかりやすい。こう殴ればこう効く、こう殴ればジョルトカウンターだ、といったビジュアルでの説明がそのまま通用する。ボクシングが思考ゲームではない、頭は使わないと言ってるわけではなく、見た目がわかりやすいのだ。
しかし総合は微妙な違いを上手に絵として伝達しにくい。試合ですらわからないのに、同じビジュアル重視の漫画・アニメで十全に理解されるわけもない。
実は今日のYouTube界ではもはやボクシングのほうがマイナースポーツ扱いである。畑山・竹原・渡嘉敷のご三方が出演するチャンネルも総合格闘家の朝倉未来をゲストに迎えてやっと跳ねるという具合で、井上尚弥以外は完全に下火だ。京口紘人の防衛など一般人はほぼ知らない。
が、いわゆる格闘技と言って未だに思い浮かぶのはボクシングないしプロレスである。なぜなら総合格闘技興行である『PRIDE』が外資に買い叩かれて空中分解し、『K-1』が財政破綻で解体された後、日本の格闘シーンには長い空白期間が存在したからだ。後にキックボクシングなどが日の目を見ることはなかったし、K-1の再生と『RIZE』や『KNOCKOUT』と神童・那須川天心の訪れを待ち、更には『THE・OUTSIDER』『RIZIN』の登場を待たねばならなかった。一般市民がプロレスとボクシングが格闘技だという認識を持つほどに、格闘技は忘却されていたのである。
総合格闘技の知名度は『RIZIN』次第になってしまったが、これからというところでコロナが襲いかかってきた。試合は国内の選手だけに限定され、海外の強豪と試合をするチャンスは潰えた。また、同時に国内のバンタム級王者マネル・ケイプが海外の総合格闘技団体大手の『UFC』で連敗するという事態が起こり、今もまた危機的状況にある。
こうした浮き沈みの激しさから題材化する事が大変難しい。キックの場合でも再生した現『K-1』の安定からメディア化の波が起こってもおかしくはないが、ルールがいわゆる肘ありと首相撲ありのムエタイルールとは程遠く、漫画化するにしてもキックの代表格として扱うには難しく感じられる。
総合は細かすぎる技の数々、見た目の地味さとわかりにくさ、競技人口の少なさとマイナーさなどが相まって漫画家が難しい分野である。キックはボクシングと同じく題材化しやすいものの、マイナースポーツ感がさらに強い。
ちなみにタイトルからして『メガロボクス』を思い浮かべた人も多いだろうが、ボクシングと言うよりボクサーの生き様が焦点であり、今回は語らなかった。『メガロボクス』単体なら長文を書けるほどに好きだが。
追記01:競技として完成されつつある総合格闘技と古き良き異種格闘戦はだいぶ毛色が違う。細かく言えば総合の始まりであるバーリトゥードと今日のMMAは別物と言っていいし、ストリートファイトと総合格闘技もだいぶ違う。そんな意味で刃牙は異種格闘戦あるいはストリートファイト的だし、総合の範囲を広く取りすぎると述べたいテーマから逸脱する。『エアマスター』はストリートファイト的な上にファンタジーが多く、リアリティよりも勢い重視なので総合漫画とは言えないし、修羅の門もファンタジー(技についての意味)武術漫画で総合とは無関係だったり。
けして上記漫画がつまらないと言ってるわけではなく面白いと思う。ただ総合じゃないよねと。あと『史上最強の弟子ケンイチ』に触れてなかったけど、詳しくないのに言うのも気が引けたし、『ツマヌダ格闘街』は読みたいけど読んでなかったのでほんとすまん。
追記02:柔道漫画を上げる人がいるけど、柔道と柔術じゃグラウンドの攻防がまるで違う。そしてMMAの柔術と競技柔術でも全く違う。競技漫画として柔術と柔道が比肩するという意見は的が外れている。
日本人はいつもそうやって責任の所在だけを議論して問題を永遠に放置する。
それが積もって衰退が続く。
十代の男の子のズリネタの定番で「非レイプ願望」というものがあります。
被害者として性欲を満たしたいという「都合のいい」性的ファンタジー
として機能してることは、自分の胸に手を当てて考えてみればわかるでしょう。
SM クラブで M や赤ちゃんプレイをやりがち、というのと似たようなものですね。
で、最近みょーに増えてきたウザい女の子が絡んでくる系のアニメ・マンガも、
基本的に同じ仕組みで(水で薄めてはいるけど)成り立ってるんだろうと思うわけです。
おそらく、マンガ編集者やアニメプロデューサーは、そこらへんをよく分かった上で、
「なぜなら、最近の子はベタだからだ」と判断してるんじゃないかな?
メタ・パロディー世代のオタクみたいに消費者としての自分をメタ視点で眺めたうえで、
あえて(1周回って)オタク消費するタイプのお客さんじゃないから
エスカレートさせても「たぶん、バレないだろう」って慢心があったと思うんだよね。
『イジらないで、長瀞さん』が評判悪いんだとしたら、流石に客を舐めすぎたってことじゃないかな?
(それでもアニメ化される程度にはウケちゃってるわけですが…)
遅まきながら春がやってきた。
仕事をサボって、馬車でバザーにいく。
まず入口の墓地コーナーからして賑わっている。にぎにぎである。平日午前中なのに。
どんだけバンシー並べんねんと思ったのは、バンシーしかわかる怪物がなかったからだろうか。
奥の方にはわけわからん苗コーナーがあり、足腰ガクガクな元勇者おじいちゃんおばあちゃんもここでは元気である。達者での。
店内に入ると馬車コーナーがおっぴろげられていた、が、スルー。馬にもたくさん種類あるけど、あんなに必要なのか?私はよく知らない。多分知ることもない。ウマ娘はそこそこ好き。
さてお目当てはペットコーナーである。ここのアクアブレスはめちゃくちゃラーニングしやすい。アクアブレスはたしなまないが、モンスターのおさかなはきれいだなと思う。やってみたいな、とは思うが、おそらく私は1週間で新ジョブに飽きてしまうだろう。妄想の中のおさかな達、ごめんなさい。
食品コーナーではメイクイーンちゃんが売ってた。プライスダウンで190,000円。奇しくも今日は給料日である。こんな値段で売れるのか…?と思ったが、今月の手取りは19,600円くらいだった。消費税を入れると足らない。きっと私よりも経済力があって、温かいファミリーが引き取ってくれるだろうと期待と祈りをこめながらその場を離れた。野菜コーナーはかわいいという感情よりも、売れ残った時のことを思ってしまいもの悲しくなる。生産者の顔が走馬灯のように浮かぶ。いや、数秒で忘れる。
かぶとむしやクワガタも売っていた。おじいちゃんが店員とあれこれ話しながら見ている。孫にでもプレゼントするのだろうか。
気を取り直して2階の神具コーナーへ行く。ロングソードがほしい。
だがロングソードの取扱いが少ない。お目当ては見られなかったものの、神具コーナーはたのしい。新しい生活への希望を感じられるような雰囲気がある。スライムの一匹でもしばき倒したくなるというもの。もしかすると展示から感じられるものかもしれない…売り場ご担当者様いい仕事しているぞ。
あまり長く見ていると、ギルドに戻ってお小言なりちょっとした問答(混んでた?系のやつ)があってボロを出すといけないのでそろそろ戻るとする。
お店を出ると園芸コーナーとともに、はるか遠くにヤマ(閻魔大王)が目に入る。こないだ死んだ際に出会ったことがあるが、最近では肉眼で見えるらしい。そのまにはまだまだ亡者の列が並んでいた。短い春がはじまったなーとおもった。
店内の酒場で仲間を集めればよかったなでもこれ以上遅くなったらやべーな…などと葛藤しながら、少々暑くなった馬車内に戻り、帰路についた。