はてなキーワード: パターナリズムとは
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
各論点はバズワード満載で耳触りが良いので、TLでは、概ね「今の論点がまとまっている!」や「日本ヤバい!」、「熱い!」みたいに、資料に肯定的な論調が目立つ。しかし、違和感を持つ人も少なくない。違和感の正体はなんなのか。
まず、経済産業省の資料として、一番不安を煽るのは、経済成長について正面から議論していない点。1人あたりの実質GDP成長の効用が逓減したとしても、デフレ環境下での生活満足度が信用できるのか、幸福度が指標としてワークするのか非常に疑問。ましてや経産省が経済成長から逃げてどうする。今では有名な話だが、人口減の先進国も普通に経済成長しており、日本だけが馬鹿真面目にデフレを継続させていて、立ちすくんでいた。
また、経済成長なしでの、資源の再分配は必ず社会的分断に繋がる。この資料では、1.若者への再配分が上手くいってない、2.女性への再配分が上手くいってない、3.高齢者へのパターナリズム的福祉抑制で予算捻出だと思うが、パレート最適はありえない。人口動態から、激しい政治的対立が予想される。高齢者にも現役世代の「産めよ殖やせよ」を忖度させるとする。それを全体主義と言う。
2.国家観の古さ
今更、「誰もが不安を不満を抱えている」(そうじゃないのは、不安や不満を表現できない共産圏くらいでは?)、「人生には目指すべきモデルがあった」(良い大学を出て、官僚になるとか?あと、共産圏)、「人類がこれまで経験したことのない変化に直面」(ここ100年くらいでも、明治20年代の日清戦争前、昭和20年代の敗戦期の方が大きくないか?)など、いろいろ古い。これでは、数十年前からバズワード(今だとAIやIoT、VR)だけ変えて立ち上がる、情報社会論やポストモダン社会学である。
行政が生活をどう定義しようが、定義した頃には既に生活が変わってしまっている。市井の生活はそもそもダイナミックなのに、今更エリートがそれを「発見」する。80年代、主にアメリカが考えていた、日本の高度経済成長が通産省によるものという神話に取り憑かれてるのではないか(79年ヴォーゲル、82年ジョンソン)。経産省がライフスタイルや個人の幸福に口出しは余計なお世話で、そんな不透明な指標で制度設計されてはたまらない。時代遅れの国家観、国民観は語らず、経済問題に特化すべき。「子不語怪力乱神」というわけだ。
3.具体的な政策
「バズったから議論の土台を作った」とか考えてたら最悪で、単に大衆がバズワードを使ってポジショントークしてるだけ。要は単なるポピュリズムで、当の女性やマイノリティは困惑している。何故ならば、「弱者」として「発見」されて、マウンティングに利用されている気分だから。では、何をすべきか。
そもそも、民主的なプロセスや市場の原理で実行されないことを目指すべき。官僚はそもそも民主的なプロセスで選出されていない。専門的な課題を解決するなは、必ずしも民主的なプロセスは向かないから(e.g.BrexitやTrump)。レポートで指摘するような、世代間の再分配は、確かに国家的な課題なので、1.経済成長を進め、2.馬鹿馬鹿しいポストモダンを捨てて、3.真面目に取り組むべき。
2017年現在、完全雇用を実現しているリフレ政策は、たまたま安倍晋三が、第一次安倍内閣後にマクロ経済を勉強したから実行された政策。全く民主的なプロセスとは関係ない(その継続は高い支持率に支えられて民主的)。短期的には、資産を持つ高齢者に課税して、若者含む雇用を生み出す政策(フィリップス曲線)だか、もちろん、消えてなくなるのも偶然。日本でもマクロンのような、見た目の良い構造改革派によって、民主的なプロセスに則り、消え去る可能性大。
また、日本やドイツのようなメインバンク制の強い国では、ゾンビような大企業でも存続し、新興企業に資金が還流しない。欧米に比べて資金供給が少ないのではなく、中韓などのアジア諸国と比べても後塵を拝しているのは国辱と言ってもいいだろう。もちろん、民主的なプロセスでは、既存の大企業が力を持ちがちだし、新興企業はそもそも争点にならない。これが原因で、生産性の低い、古風な企業に人材が滞留する。自然とto doではなくto beで働くようになり、モチベーションが落ちるわ、自殺するまで会社を辞められない。
シリコンバレーの金融環境も一朝一夕でできたものではなく、徐々に成功企業によるMAが増えて拡大したもの(9割以上はMAによるexit)。中国もBaidu,Alibaba,Tencentの活動に寄るところが大きい。日本でも企業の内部留保もデフレ環境下で拡大したので、資金がないわけではない。MAを行いやすくする環境を、政策により整備すべきである。これにより、流動的なキャリア形成(液状化した笑)の受け皿が整備される。若者や女性と雇用の問題も本質はここ。
2017年の完全失業率は2.8%で、ほぼ完全雇用状態にある。しかし、これはよく言われるが、労働市場が流動的な国では、自然失業率高く出る。国ごとの単純比較で失業の質は分からない。上記の流動的なキャリア形成を実現した場合、当然転職が増えることになるので、失業率は上がる。政治的な争点としては、もちろん批判の対象になるだろうが、雇用の質を改善するには必要な政策。また、現在のハローワークは若干懲罰的で、失業期間を支えるセーフティネット整備も合わせて必要だろう。
ただ、政治的な配慮の上、論点を探られたくなくて、わざと混乱した資料を公開したのであれば相当の策士だと思う笑
興味のある方はこちらもどうぞ
腐女子の作るものは好きだけど腐女子は大嫌いなので同人誌即売会なんてとにかくクローズドにして招待制とかにしてほしいし秘密めいたサバトみたいになりゃあいいじゃんと思う。
というか、男性向けエロを含め同人誌というのはほとんどパターナリズムで出来上がっているので早くAIの能力が向上して同人誌は自動生成されるようになって欲しい。
パターナリズムではないオリジナリティ溢れるものを作るパロディ同人作家なんて消費的愛情なんて抱いておらずむしろ憎悪だったり歪んだ愛情だったりなので同人市場では全く相手にされないだろう。
まあ作ること自体作品を自己内面化して作品そのものを自分のものにしたいという願望だからAI自動生成二次創作は夢小説的なものになるだろうなー。
趣味に散財して必要な時に必要な物が買えなくなるのも、まあ金がなくて困ってるんだから「貧困」と言えなくはない。
でも、そういう意味での「貧困」家庭に金の使い方を学校や行政が「教育」しようとすると、パターナリズムだって叩かれるじゃん。
「行政が貧困家庭から娯楽を取り上げるのか」みたいな物言いをする奴が絶対出てくるじゃん。
生活保護の受給者にパチンコを止めさせようとするだけで行政を叩くような人たちが確実に出張ってくるじゃん。
そういう人たちがいる限り「貧困」家庭はずっと「貧困」のままだし、貧困救済の必要性が納税者から認められることもないんだろう。
→心が女の人だけど体は男の人が女子更衣室や女子トイレに入るのを許容するかどうか
※あるいはその逆も
→女性側やLGBTが不利になる表現を規制することで結果としてリベラルな思想と軋轢を生み女性が不利益を被りかねない。
→トランプ支持者で有名な某ゲイの人。議論が難しくなる。でもこのタイプは結構昔からいたらしい
→意図してか意図していないのかはわからないがしばしばパターナリストのような発言をするフェミニストが出てくるようになった。
・自立した女性像を求めるフェミニストの言説と別にそこまで自立自立しなくても良いという女性と相反するようになってきている。
・日本の左派のパターナーリスティックな部分が露呈し始めていること
→右につくべきか左につくべきか最早わからなくなり始めてる
引用tweetにしろ元増田にしろ、当たり前のように離脱の判断を「愚かだ」と捉えているようだが、それこそ愚かさ故の驕り高ぶり、想像力の欠如ではないかと思う。
なぜ英国人が離脱を選んだかということについて、我々はどれほど理解しているというのだろう?
現地の人がどういう苦しみを普段味わっていて、どういう感情が芽生えているか、なんてことは、それに寄り添った文章をいくつか読んだところで圧倒的に解像度不足ではなかろうか。
だから、人の下した判断を安易に「愚か」と言うのではなく、思いを斟酌して大いに尊重し、貧困者富裕層若者老人すべての人の一票を等しく重く見てさしあげること。
そうでないなら、自分たちは賢いと確信する権威者という名の愚か者たちによって、狂ったパターナリズムが敷かれる時代に立ち返ることになる。
そのツイッターの人の考えは知らんけど、俺は以下のように考えてるよ(もちろん押し付けるつもりはない)。
そもそもさ、猫の生き方、幸せを人間の都合で一方的に決めたり奪ったりすることに違和感があるんだよ。
ケガや病気のリスクと、外の世界を一切知らずに部屋に閉じ込められることのどちらを採るかを決めるのは猫自身であって、人間が勝手に決めるのはどうなのよ?って思ってしまうわけ。
去勢についても同様で、去勢によって寿命が延びたり病気になりにくくなったりするメリットがある反面、生殖っていう生物の根源的な欲求・意義を奪われることになるわけだけど、どちらを採るかを決めるのは猫自身であると考えることもできるでしょ?
そんで猫の意思なんて分かりっこない人間が、これが猫にとっていいんだ!って勝手に決め付けて室内飼いにしたり去勢したりするのはどうなのよ?(いわゆるパターナリズム論と同様の議論)って考えてしまうのよ。
自分の飼い猫に対してこういう葛藤の結果、室内飼いにするか/外飼いにするか、去勢をするか/しないか、って決断をするわけだけど、その決断を勝手に他人に覆されたらさ、猫の生き方だけでなく自分の生き方も否定された気分になるんだわ。
野良猫に対する去勢活動についてはこの問題がもっと深刻で、大した議論もなく去勢をはじめてしまってるわけじゃん。
今はまだ理解を得られないだろうけど、将来的に動物の権利(≒人権)が認められるようになる時代が来たら、こういう活動は世紀の愚策だったと評価されるようになると勝手に思ってる。
「飲み会での遅刻」、米国では最大のマナー違反 http://toyokeizai.net/articles/-/98156
しまった。米国である。私は英国在住のおっさん。米国には詳しくない。短期間いたことはあるが語れるほど詳しくない。英国の職場にも米国人はいるが彼らも英国では英国の郷に従っているであろう。既にコメント欄等でツッコミが入っており記事の違和感は明らかゆえ、私は英国の話をしようと思う。
ところでこの記事、連載の3回目のようである。回が進むほど内容に違和感が増す。ネタが苦しくなって来ていると推察申し上げる。住んでいたという知見だけで文化差を語って生業にしようとすると、外国をディフォルメし日本をパターナリズムで語り、差を大袈裟に書きがちである。なんとかケンミンショーとかグルメ漫画美味しん◯で大々的に持ち上げられる郷土料理が、そんな不味いもの普通の県民は食べないよね、というのと似た構造である。ブコメで指摘されているが、タイトルは飲み会だが本文は食事会、会食である。言うまでもなく会食での遅刻は日本でもかなりのマナー違反である。何の中でか明らかにせず「最大」と使うのは品の無い書きかただが、タイトルは筆者の方ではなく編集部が付けているようにも思う。
英国人も確かに仕事の終わり時間はキッチリである。しかし仕事の管理はキッチリではない。時間が来たから帰る。仕事が途中でも帰る。それだけのことである。これは時間管理がしっかりしているなどと殊更言うような話ではない。エリートの話はしていない。中間層の話である。
上を目指しているエリートは時間もキッチリ、仕事もキッチリである。時間管理のプライオリティがかなり高い。会議は厳選、会議前のメールのやり取りで大体決まってしまえば下からでも会議の中止を言い出す。このあたりは是非日本も見習いたい。一緒に出張に行くと分かるのだが、実は必要があれば夜も早朝も仕事をしている(出張で暇だからではなく)。ただそのことは見せない。日本だと見栄の張り合いは「いやー今週殆ど寝てないわー」だが、彼ら彼女らの見栄の張り合いはいかに家族やプライベートも充実させて同時に成果も上げたかである。試験前の「全然勉強してないわー」合戦みたいなものである。違うか。いや本質は違わない。
約束の時間を守るかに関してはエリートも含め日本人より遥かにルーズである。前の会議が長引いた、道が混んだ、電車が遅れた。何か問題が?それは言い過ぎで待たせた非礼は詫びるが、自分が悪いのではなく運が悪かったので、日本人のように遅れの保険に15分前に着いておくなんてことはお客さん相手でもない。だから結構な頻度で遅刻する。5分の遅れに詫びの連絡を入れておくなんてことは思いつきもしないだろう。走っているのはひったくりくらい、というのは外国で日本人がよく言う冗談で、冗談以上としていいのかはどうかな。確かに走っている人は少ないけど、それは記事のように前もっているからではなく、単に遅れたら遅刻するだけというのが自分の感覚値に近い。ここは英国でも米国でも変わらないんじゃないかな。
ソーシャルな場でホストは15分前から応接するのは英国人もそうだが、日本だってそうじゃない?日本人ゲストは15分前をターゲットに来る人も多いから25分前から応接してよとホストにリクエストしたら日本人はそんなに早く来るのか、クレイジーだと言われたな。
ここまで書いてきて思ったのだが、少なくとも英国の場合、オフィシャルで人数が少人数以外の場合は30分前にスタンディングドリンクの談笑から始めるバッファー時間を作るから、着席スタートに遅刻ってそもそも稀だよねと思った次第である。裏を返せば時間厳守の文化ではないということだよね。
パターナリズムっていうのは、他人が自己の責任において選択すれば良いだけのものを、端からいやそうしたらこうなる心配があるから俺が決めてやる(道を踏み外さないような規則を作ってやる)ってやいのやいの言うことを指してる。権力構造を伴うお節介って感じ。各人が自分の判断で「面倒だから慣習に従っておくか」って決めるならそれはそれで構わない。(パターナリズムのpaterは父親が語源。パターンじゃないよ)
覚悟の上で、っていうのは、例えば「男/女らしい服装」っていう文化があるところで、そこからはずれた服を着ることって、全く個人の選択の問題ではあるけれど、とやかく言う人がいるだろうってことは予想できるでしょ。選択の重みは同じであるべき、って理想ではそうかもしれないけど、やっぱり既存の観念と違うことをしようとすると逆風があることは覚悟しないとならない。その程度の意味。
そこで、「男が女の恰好したり女が男の恰好してたらいろいろ言われるだろうから、ルールで異性装を禁止しよう」って言い出したら、それは余計なお節介というものでしょう。それと似た感じを受けるんだよな。「別姓で揉める可能性があるから禁止しとこう」っていう意見には。
元増田のその主張はわかるんだが、その手の主張はどうもお節介に感じるんだよな。パターナリズムというか。
選択的別姓になっても、少なくとも最初のうちは、ほとんどは今まで通り同姓を選ぶと思うよ。慣習ってそんなもの。で、仕事の都合で別姓を選んだごく少数のうち、やっぱり大半は子供の姓はどっちかに揃えるだろう。
根拠は、別姓可の国であっても大抵の人は出身国の文化に従って姓を選んでるから。同姓文化から来てる人たちは同姓にするし、結合姓の文化から来てる人たちは結合姓にする。別姓の文化から来て別姓を選んだ人たちでも子供の姓についてはその文化の慣習に従うことがほとんど。
で、そういう中で敢えて別姓を選びさらに子供の姓で慣習に逆らおうとする人たちってのは、それによって生じ得る軋轢を引き受ける覚悟の上で敢えてそうする、と考えるのが自然だ。元増田が心配するような問題点は当然織り込み済みで選択するわけ。逆に、揉めるのがやだって人は従来の慣習に従っておけばいい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20150910/k10010224521000.html
私も昨今の釣りタイトルの多さには辟易しているが、この件は違うと思うので解説したい。
まず最初に、アルツハイマー病とアルツハイマー型認知症は違う。
アルツハイマー病は、極めて稀な遺伝性疾患で若年性認知症を引き起こす。
映画「私の頭の中の消しゴム」の主人公が罹患した病気。
原因はβアミロイドという異常タンパク質が膿の神経細胞に蓄積して細胞死を起こすことによる。
ゴミが溜まりすぎて死んじゃった状態。神経細胞がどんどん死んじゃうから認知症になる。
アルツハイマー型認知症は、老人性認知症の約半数をしめるもので、
よくある病気というかむしろ正常な老化現象のひとつとも言える。
なぜアルツハイマー型認知症と呼ばれるかというと、βアミロイドが脳の神経細胞に蓄積していて、
クロイツフェルト・ヤコブ病や狂牛病はプリオン病と呼ばれ、異常プリオンが脳の神経細胞に蓄積して細胞死を起こす病気。
正常プリオンは成体に必須の大事な分子で、用済みになると分解されるのだが、
異常プリオンは分子のたたみ方が違うので分解できずに蓄積してしまう。
基本的には遺伝性の代謝異常で起こる病気だけど、外来性に異常プリオンを多量に摂取することで遺伝性背景のない人でも発症する。
狂牛病やクールー病のように異常プリオンを含むものを食べたり、
医原性ヤコブ病のようにヒト由来手術材料(脳の手術をした後に穴を塞いだりする)とか成長ホルモン投与などで起こる。
アルツハイマー病は従来ではβアミロイドの合成・分解に関わる遺伝性の代謝異常と考えられてきた。
しかしながら、このたび医原性ヤコブ病の脳を調べた結果、プリオンだけじゃなくてβアミロイドも蓄積されていた。
ということは、プリオンのみならずβアミロイドも、外来性のものが蓄積する可能性があって、
間違えないでほしいのは、ヤコブ病でも認知症をきたすことは知られているが、今回の研究はその認知症の仕組みを探ったものではなくて、
あくまでもアルツハイマー病の原因となるβアミロイドの蓄積が顕微鏡的に認められたという現象論だということ。
「βアミロイドも人から人へ伝搬されうるよ」っていうのがもの凄いインパクトで、Natureに載るのもうなずけるぐらい凄い研究。
ここでまた補足するけど、病原物質が個体から個体に伝搬されることを感染と定義する。
感染というと飛沫感染とか空気感染とか接触感染とかをイメージするかもしれないけど、ヒト材料による医原性感染も立派な感染だ。
したがって、上記の現象をまとめると、
「アルツハイマー病の原因物質であるβアミロイドが、人から人に感染する可能性が示唆された」ということになる。
それをさらに要約して、「アルツハイマー病の原因物質 人から人に感染か」
というタイトルをつけるのは、医学的・生物学的に正しい表現だし、的外れでも大袈裟でもない。
「バカがこのタイトルだけ読んだら『呆けた年寄りの近くに寄ったら自分も呆けちゃう』と勘違いして差別に繋がる」
なんてことを勝手に危惧してNHKを叩くのは、余計なお世話だしパターナリズムじゃないか。
余談だが、昨年にアイスバケツチャレンジで話題となった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因は、
人と付き合っていて、何か問題が生じると、「おれはあいつのためを思ってかくかくしかじかの対応をしてやったのに、その恩を仇で返してくるなんて、わけがわかない。本当にバカなやつだ」といった反応をして、自己正当化に一生懸命なタイプの人がいる。これをパターナリズム的な人間関係と呼ぶことにしよう。
パターナリズム的な人間関係しか持てない人は、相手と対等な関係をつくることができなくて、かならず相手の上から接する目線で、マウンティングするかたちで対処しようとする。
その背後には、あらゆるひとにたいするものすごい劣等感があると思う。
生のままの、対等な他者と向き合って接するための安心感が根本的に欠如しているので、立場の上下の差というフィルターを人工的に開発して、自分に装着している。
周囲の人はそういった彼または彼女の内心の地獄をうすうす感じているのだが、口を出すとまたマウンティングされて面倒なので、そっと遠ざかる。
右翼左翼って未だに定義がはっきりしないところが自分にはあるんだけれども、
左翼というのは生まれによる格差を減らそうとする理論、地球市民的なものをめざしているのだと思ってた。
なぜってISISによって難民となった人々に資金援助をして、自分の国の人質のために200億円を払うことを拒否した。
もし200億円を払った場合人質となった日本人2人は助かるかもしれないけど、間違いなくその資金で別の国でより多くの人が殺され、難民が発生する。
行くなと言われたところに自分の意志で行った以上ある程度自分の責任を取る必要があるという点も左翼じゃないのかなと思う。
同じ国の人間を優先しよう、とかたとえ自分の意志で行ったとしても最終的には所属する集団が助けなくてはいけない!みたいな、集団主義的なある種のパターナリズムがあるのではないかと思う。
今回すごく不思議なことは、右翼と言われている総理が左翼的な動きをして、左翼と考えられる人々が右翼的な批判をしているように見えることだ。
どうも過去のわいせつ表現関係の裁判例を見てると、その芸術家がいかに素晴らしく価値があり、わいせつな意図はないという方針で弁護する限り、有罪は避けられないなという印象。素人目にはクソッタレな判例が多いが。
どうも弁護士の反応を見ても、法理的な話が出てこない。法の素人としてはそこが知りたい。
ところで自分は初めそのニュースを伝え聞いた時、てっきり男性器かと思っていた。女性器は造形的にうーんと思うのだが、その美意識を打破するという活動なのだろう。
ただ、私が女性器に自信が持てなかったのはお前らが悪い、的なことを言っているのかな?又聞きではそんな感情が発端だったようだが、個人的にはこの手の活動は関心しないな。
ところで、表現規制はパターナリズムだから、いずれ様々な表現を容れることのできる理性的な社会になり、表現規制を廃していくべきだと思うが、国際的潮流としてはどうなのだろうか。