はてなキーワード: 助手とは
あれ? もしかしてこれって哲学さんの発言のこと言ってる?(http://bit.ly/wQEAol)
出典元ktkr。私はたんぶらから拾ったんだけど元はクリスティーナがめちゃくちゃ好きな人がこういう事言うんだろうなーとは思ってた。それをあえて嫌いな人、特に女の人が同じ発言をしたらどういう感じになるかな、と思って<あのキャラ男オタクの欲望だだ漏れすぎて引くわー>を付け足して逆の意味にしてみた。あえて誤読してみたといってもいい。そしたらみんながマジレスしはじめたってのがおもしろいところ。
自分の中でこの反応は「もしドラ」と同じものがあるな、と思った。ハックルさんの手法ってマジで釣りに使えるかも。
もしドラ関連でもう1つ。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2012/01/post_100.html
よけいな先入観を捨て、小説ではなくともかく『パミラ』を読む。そうすると、この作品、たしかに小説らしくはないが、妙なところで「小説」という形式と血が繋がっているのがわかってくる。そして、そこには「ひょっとすると小説がそうであったかもしれない別の顔」が覗いてもいる。私たちの知っている「小説」の背後にもあるかもしれない何か。根源的な言葉のエネルギーのようなものが、そこには宿っている
神経の突っ張ったインフレ気味の語りがつづくと、さすがにこちらもくたびれてくる。山あり谷ありどころか、山の連続である。しかし、こちらをくたびれさせるところにこそ、この作品の一番の真実があるのかもしれない。リチャードソンはたったの二ヶ月でこれを書き上げたというが、それはパミラの体現する種類のエネルギーを彼自身がうちに宿していたということではないのだろうか。この作品を支配するのは、危機と苦難に直面しつづけるパミラの、つねにぴりぴりと緊張しつづける神経そのものである。
とにかくパミラ臭があふれていて、とてもではないが徳だの純血だの結婚だのといった骨張った議論に回収されるものではない。しゃべりまくる女たちの語りの力は圧倒的なもので、しかもそれは女が語る女の語りではなく、男が女に語らせる女の語り。つまり、50歳のおじさんの視点から「女の語り」へと没入するリチャードソン臭が混入しているのである。だからこそ、独特の過剰さがつきまとう。
これだ! 私はハックルさんのことをまた一つ理解したぞ。
ハックルさんは「エースの系譜」において
この作品は、現代の小説にオーセンティックな魅力、本質的な価値を取り戻そうとして書きました。『エースの系譜』は「面白さ」というものをどこまでも追求した作品となっています。人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうことなどが、この中には描かれています。ぜひ、それを知ってほしい。
と書いてある。これの意味が全くわからなかったのだけれど、「面白さ」を読者にとっての面白さ、と考えなければすべて納得できる。
パミラの作者も800ページの大著をわずか二ヶ月で書ききったという。彼は「筆が止まらなくて困った」くらい執筆が楽しかったのだろう。番長マジイケメン。
つまり面白さとは読者にとってのではなく作者にとってのおもしろさなのだ。この手の話は、読む側には苦痛でしかないが、書いてる方はめちゃくちゃ楽しいのだ。
そりゃそうだ。50過ぎのおっさんが、うら若き淑女になりきって、自分と同じくらいの年代のエロオヤジを出し抜くんだぜ?
40過ぎのおっさんが、頭の悪い女子高生に戻って、昔自分を馬鹿にした奴らを真っ向からマネジメントとかいう「謎の白い魔術書」を使って血祭りにあげていくんだぜ。ほむ。
そりゃ「人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうこと」のすべてが詰まってるよね。
・・・ってそれ「魔太郎がくる」よりたち悪いよ。 それなんてセイバーだよ。リプレイ救済願望ダメ、絶対! 征服王に怒られちゃうよ。
「はてブ」とか「なろうネイティブ」とかそんなチャチなレベルじゃねぇ、もっとどす黒いおやじの欲望を味わったぜ。
(この話、西尾維新にも当てはまらなくもないと思ったが、西尾維新は多分また別の話なんだと思う)
そういえば、日本には土佐日記なるものもありましたね。どうも日本には変態的な文章を書く時がもっとも生き生きと輝く「紳士」な人が多いようです。
ちゃんと話の流れを読んでくれないかなあ。
コメント(トラックバック?)下さった方がいらっしゃることに驚いています。
変更前→元増田
変更後→増田
先日に帰りの電車内であったこと。
駅のホームで、先頭の方で電車を待っていた20代のメガネをかけた僕。
その駅は、時間帯の関係で、先頭で待ってたら、間違いなく座れる。
後ろの方で待ってる人が全員座れるかどうか分からない。
ましてや、隣同士で座りたいグループになると、
バラバラに座るか、誰かが立つ必要がある。
電車が来たので、真っ先に空いている座席の端に座る。
まるで、オセロの角を取るかのごとく狙いすましたように。
遅れて、後ろの方で待っていたと思われる、
ちょうど、僕の隣が空いていたので、外国人の一人が座る。
もう一人の外国人が僕の前に立つ。
とりあえず、僕は座っておくことに。
電車内の人の席争いが一段落をして、一つ空いてる席があったので、
外国人が、日本語で「ありがとう」と言う。僕は微笑み返しをする。
空いてるせきに座る頃に、電車は発進。
お年を召した方(以下、お)が、話しかけてくる。
お「君の厚意にありがとうって言ってたね。」
僕「あっはい。(大事なことだから、同じこと言うのね、分かります。)」
お「君の厚意は、素敵だけど、あんまり外国人に気を遣いすぎたら、ダメだよ、
なめられるかもしれないから。」
iPhoneをいじりだす僕にお年を召した方は、
慎重に話しかけてきた。
お「所で、君のやりたいことについてもいいかな?差し支えなければだよ、差し支えなければ。」
それは、自分の為にもなるし、人を喜ばせることも出来るので、プログラミングで、
多くの人の役に立ちたいです。」とたどたどしく緊張しながら言う。
※自分は、説明が下手意識があるので説明する時は、若干の緊張を伴う。
お「プログラミングって具体的にどんなことが出来るの?」
ブラウザの説明をする。
Webサイトの説明をする。
誤解を招くようだが、MicrosoftのOfficeを例えに出して、
それをブラウザでやれるようにするのが
僕のやりたい(Webプログラミング)ことです。的な説明をする。
お年を召した方は、途中途中、相槌を打ちながら、理解してくれたみたいで、つぎのやり取りをする。
お「ということは、沢山の人にとって簡単に操作出来るものを作らなきゃいけないね。」
僕「(おっ、理解してくれたというような感じと思ったので)素晴らしい、素晴らしいです。」と言う。
それに気を良くしたのか、
そこから、暫くは、お年を召した方がこうしたらいい、
こういうものを作らなければいけない等と助言を僕にする。
ちなみに、僕は相槌が上手い方だと思われる。
加えて、iPhoneをいじっていた僕に対して、iPhoneを指差しながら、次のことをいう。
お「全ては、それで操作出来るものを作らなければならないね。」
助手が手放しで喜びを見せるように。
ただの話好きのお年を召した方という感じで終わる。
ここからが、違かった。
お「ところでね、私は、(A5orB5ぐらいの大きさをジェスチャーをして、)これぐらいのパソコンにも興味を持っていてね。」
お「あれだと、重くてね。(iPhoneを指さしながら)これで全て出来るようにならなきゃならない。
私たちみたいな一般人は、それを求めている。」的なことを畳みかけるように言う。
僕「あれは、けっこう年配の方も普通に使ってますよ。」ちょっと無視。
お「これから、高齢化社会になるから、君はそういうもの作らなきゃならない。」
そして最後になぜか自分が消費者の中心的発言の断定。これでちょっと、僕にスイッチが入った。
僕「ですから、iPadも実際に年配の方も使っているのを知ってます。
お「・・・。(iPhoneを指差して、)これをつかって、君は年寄りが分かるように作らなきゃならない。」
また無視。都合が悪い場合に、話題を変えるのは、社会人のやることである。
お「我々のような年寄りにそれを求めちゃいけない。」
僕「だから、なぜ分からないんですか?何が分からないんですか?」
お「我々にそれを求めちゃいかん。」
僕は我慢をせずに、不満な顔をあらわにして、
降りたい駅が近づいてきたこともあり、席を立ちドアの前で待つことに。
年寄りだから?このPCのアプリケーションが使える使えないで、年寄りが理由になるの?
年を取って、身体機能が衰えることは知ってる。
だけど、頭とかを対して使わないようなアプリケーションに年寄りって関係あるの?
まるで、高齢化社会だから自分中心の世界が待ってるみたいな意見とかむかついたし、
恐らく介護は日本人だけでなく外人に頼るようなケースはけっこう出てくると思う。
加えて、日本はTPP参加表明をして、外国人労働者が増えると叫ばれている。
と、こんな思いがあって、かなり腹が立った。久方ぶりである。
とりあえず、腹がたったということは、
外人差別と、高齢化社会に対して、割と興味があるんだなって思った。
こういう感じで腹が立つっていうのは、気が短いだろうか?
※会話は一語一句正確ではなく、あくまでもこんな感じの言い争いでした。
両者とも、声は荒げてないです。僕の方が冷静なトーンで、不満な顔で言ったレベルです。
この長い日記を最後まで読んでくれた方がいたら、お礼を言います。
ありがとうございました。
妻や息子に信頼されないのに会社で部下には信頼されている人がいるからといって、自分も部下に信頼されるとは限らない。なので信頼されないからといって不満に思うのはウマシカだ。というかそもそもそんな事に不満に思う様だから信頼されない。卵が先か鶏が先かという話しではない。ではなぜ自分はそういう連中に不満を感じるのか?、人は知らない事は認識できないという論理に基づくのならば、自分は不満を知っているという事になる。そうだ。元来の欲求とはなんだろう?、そして不満の起源とは何だろう? 何かを得なければ失うという事もない。そう、私達は得てしまった。得てしまったという事に端を発しているとは考えられないだろうか? 一体何を得たのか? メモリー?記憶? 知? 知を知覚してしまったが故に 何かを忘れるということも発生する。 なんだよ くそ どうしてだ。 どうしても自分ばっかりいい思い良い人生を送っているように感じてしまい申し訳ない。この申し訳ないという気持ちは相手にとってもマイナスなのではないだろうか? 例えば自分は蛙を見ると優越感と同時に申し訳ない気持ちになる。おれってずるいよね・・・・って何の努力もせずこんなに幸せで、楽しくて様々な事が豊かだ。その上、悩む事さえどこか楽しんでいる自分がいる。そして社会に貢献もした上で報酬まであるのだから、ん、まてよ。人生そのものが報酬じゃないか! 蛙さんの気持ちになってみろ!神はとっくに死んだし輪廻は無いはずだけど、次が人間ね!って言われたらそれが報酬だという事になるので蛙はなにかをがんばるかもしれない。ん。ん。まてよ。報酬とかいうと対価みたいじゃないか? かといって世の不運不幸を忘れたからと言って、また発生するだろう。僕は悩む。みんなが何も考えず寝ている間にみんなの事をなんとかもっとよくならないかと悩む。悩んでしまうのは下手に今までだいたいの事が運良く成功し上手くいってきたからだ。どうしてもなんとかなるんじゃないかって思ってしまう。赤ん坊を食べてしまうチンパンジーを見てもなんとかしなきゃと思ってしまう。悲しいと思う事だとしても節理として受け止めれば悲しくなくなるけど、無駄に感情を制御コントロールできるので平気でそのほう助手伝いができてしまう。互いに矛盾する事なのでどうしても同時に思考すると行動は止まる。時系列で配分すれば、どっちの思考も行動として体感に上げる事は可能だが、何の意味がある。こんな日記。本当は、普段の人生が楽しすぎるからただ単に悲しみにふけりたいだけそういう時も欲しいだけ。遊びなのかもしれない。ただ・・・あまりにも論理的に考えすぎると、全ての事はどっちでもいいじゃんというかどっちともとれるよねってなってしまうので。結局なにもかも自分の思った通りになってしまう。なんなんだろうこの楽しいと悲しいの混ざった感情。わかる?わかる人は惹かれあう?
@awaikumo
http://anond.hatelabo.jp/20110923004217
http://anond.hatelabo.jp/20110923211227
■http://anond.hatelabo.jp/20110923194927
ま、ぶっちゃけると、教授(研究室)の指導力の問題だよ、これは。
世界ランキング10位以内の大学の教授で、日本の大学でも滞在したことのある奴に聞いたんだが、日本の教授は、Professorには相当しない。
4人は、ニート
3人は、政治家
2人は、研究者
1人は、犯罪者
政治家と研究者の中には、教育者もいるが、ニートと犯罪者の中には、教育者はいない。
最後の1人は、女子学生をレイプしたあげく、「指導が行き過ぎてしまったw」としゃあしゃあといえる人間。まれに、下界で(電車の中)犯罪を起こして逮捕されるバカ以外は告発もされない。
と改名すべきだ
ある種のポエムは、書き手が何かを隠蔽したいと考えている時に立ち現れる。書きにくいことを書かねばならない時や、書くべきことを書かずに済ませようとする時、散文は、詩の似姿をとることで、その場をしのぎにかかるのだ。卑近な例では、グラビアのキャプションがそうだ。アイドル水着写真には、必ず編集部のオヤジが書いた似非ポエムが添えられる。「ク・ミ・コ。声に出して言ってみる。ボクの心の日記帳はキミの名前でいっぱいなのさ」こんな詩は単独ではもちろん成立しない。が、グラビアがポエム抜きで成立しないこともまた事実で、結局、グラビアを見ている少年の恥ずかしさは、添えられたキャプションのこっ恥ずかしさで中和しないと解毒できない。そういことなのだ。
格闘技のイベントでも、リングアナウンサーの語りはいつしかポエムになる。「孤独な求道者の鉄の意志とぉー、血に飢えたプレデターの魂がぁー いまぁーリングに連なる獣道でひとつになったぁーーー。宿命と呼ぶにはあまりにもうつくしいー、バーリトゥードの旋律がぁ、いまぁー幕を切って落とされたぁああああ」こういう時、「旋律に幕なんてあるか?」 と突っ込む者はいない。ポエムは、殺伐とした空気を撹拌するための風だ。意味なんか要らない。むしろ、意味は有害。リングサイドの男たちは、あまりにも興奮していて、ポエム以外の日本語が理解できない。それだけのことなのだ。
神様のメモ帳とかまさにそんな感じ。読んでてイライラするのだな。
だから 前の時のように墓を暴いてまで自体を追求する義務はない。
「・・・証拠が見つからなかったら、適当に決めつけろってこと?」
「きみはどうしようもなく散文的な男だな」
終始こんな感じ。めんどくさい。アメリカドラマ好きな人が見たら発狂するレベル。
ポエミィや電波なヒロインと、どこまでも散文的な主人公。奇想天外なヒロインの行動を主人公がちくいち解釈する。
あるいはその反対の中二病の主人公と、現実的な幼なじみ。突飛な主人公の行動をちくいちたたきつぶすヒロインを見せる。
こういった組み合わせによって
人生経験も感性も乏しい読者に対して彼らにでもわかるような卑近な物事を、
電波なヒロインをドラッカーにかえたら200万部オーバーの作品ができることもあるわけでこういうものに対するニーズは根強くあるんだろうな。
もちろんそれ「だけ」と言いたいわけじゃない。ラノベ大好きだし。当てはまらない例のほうが多い。
勤め先は20床弱の老人病院(診療所)という場所柄なのだろうか、月に数名の患者様が亡くなられる。
つい先日、出勤したら患者様が亡くなったところだという。90余歳のお婆さん、大往生だった。
最後の研修とばかりに初めてエンジェルケアにご一緒させてもらった。
「もうお茶が飲みたいって言ってくれないんだねぇ」と語りかけ、
その言葉にハッとさせられ、後悔の念がこみ上げてきた。
起きている時はほとんど常に人を呼び、
「お茶が飲みたい・ベッドを上げてくれ・あれを取って・これをこうして…」
そんな要求が絶えない方だった。
寂しいのだろう、とみんな思っていた。自分も。おそらくそうだったのだろう。
呼ばれて飛んで行けばその場で用事を考えたりもされていた。
忙しい時などは「ちょっと待っててくださいね」と言って後回しにしてしまうこともあった。
今考えれば、もっとお願いを聞いてあげられたのではないだろうか?
寂しいのなら、もう少しお話を聞いて差し上げることもできたんじゃないだろうか…?
ご遺体をを拭きながら自分の狭量さに恥ずかしくなってきた。本当に今更な話だった。
他の患者様もいらっしゃるので全てのご要望を叶えて差し上げるのは無理だ。
だけどもう少し患者様の気持ちになって、もう少しの優しさを持っていれば。
そう心がけていれば、もしかしたらこんなに後悔はしなかったのかもしれない。
仕事で接する方だけではなくて、日ごろの人間関係にも同じ反省を。
もう少しの優しさと思いやりを持って身近な誰かの声に耳を傾けるような、思いを推し量れるような、そんな人で在りたいと思った。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
俺は、プログラマーだ。
地方に転勤してきたはいいものの、知り合いもおらず、出会いもなく、それどころか転勤してきて2ヶ月目で
長期のデスマ状態だった俺は、つかの間の癒しを求めてサイトを見ていた。
3歳下の女の投稿があっていた。顔半分が隠されてはいたが、まあいわゆるデブギャルの写メも載っていて、
俺はそれにメールを送った。顔は可愛かった。金髪で、もちろんおっぱいもでかそうだった。
体重は言おうとしなかったが、Gカップであること、写メの顎の感じ、チラッと映った首もとの感じなどから、彼女はなかなかのデブなのではないかと思った。身長も170cmと高い。もしかしたら体重3桁行ってるんじゃないかと思うくらいの巨体だ。
丸い顔、たぷたぷの二の腕、巨大な胸、突き出した腹、踵を付けて立てないくらいの太い足にしか魅力を感じ無い。
デスマ真っ最中のつかの間の息抜きとして始めたメールだったが、いつの間にかはまっていった。彼女は同じ市の、車で30分くらいの所に住んでいた。
写メは、(デブ専の俺にとっては)滅茶苦茶可愛らしく見えたし、仕事(デザイン系)をひたむきに頑張る姿勢や、ギャル系の格好をしているわりには性格も柔らかく、思いやりのある優しい子だと感じた。そしてなにげに頭もよかった。とにかく、俺のタイプの女の子だったのだ。
彼女も俺を好いていてくれたように思う。よく、プリクラの画像や普段の写メなんかもくれた。たまには谷間なんかも。
メールをはじめて3ヶ月くらい経った頃から、彼女から言われるようになる。
「会いたいな」
「いつ終わるの?」
『来月には』
来月には、と言いながら半年が経った。彼女の誕生日も、クリスマスも、正月も、バレンタインも過ぎた。
俺はずっと泊まり込みで仕事をしていた。深夜に交わす彼女とのメールだけが支えだった。
本当は、会えたのだと思う。寝る時間を削れば。でも伸びきった髪を整える暇がなかったし、流行の服だって持っていない。
そんなくだらない理由で俺は、完全に仕事を終わらせるまではメル友でいたい、などと自分勝手なことを言った。
彼女は俺とのメールを辞めようとしなかった。ありがたいことだと思う。でも、たまに卑屈なメールも来た。
『違うよ、ぽっちゃりは大好きだよ』
「うそつき。でも、気を使ってくれてありがとう」
『嘘じゃないよ』
そんなことを不安に思う彼女が可愛くて仕方なかった。ころころとよく笑い、前向きで、美味しいものが大好きで。そんな彼女が愛しいと思うようになった。
だが、優しく、素直で、礼儀正しく、話も面白く、可愛くて、ぽっちゃり。そんな理想の女そのものの彼女にどんどん惹かれていったし、メールは心から楽しかった。
そして、俺たちは11ヶ月かかってプロジェクトを終わらせた。
スタート時から3人が減り、2人が入院し、1人が自殺未遂した地獄のプロジェクトだった。その夜、久々に家の風呂に入った後仕事が終わった、と彼女に言った。彼女は驚きながらも喜んでくれた。
ちょうど翌日はどちらも休みだ。初対面を果たそうではないかと言うと、彼女は言った。
「嬉しいなあ、やっとだね」
『待たせてごめんね』
「待っててよかった!でも、会ってがっかりするかも」
『どうして?まだ体型気にしてるの?』
「うん…」
本心だった。一刻も早く、その豊満な身体を抱きしめて、結婚を前提に付き合ってくれというつもりだった。
きっと婚約指輪は特注だ。入るウエディングドレスはないかもしれない。それでもきっと世界一かわいい花嫁になるだろう。
馬鹿らしいが、そんなことまで考えながら、待ち合わせ時間まで車を走らせた。勿論美容室にも行って、新しい服を着て。
待ち合わせ時間に着いたが、彼女らしき姿は見当たらない。電話をかけると、彼女が出た。
『着いたよ』
「私も着いてるよ」
『どこ?』
「ゴミ箱の横らへん」
そして同時に、俺は泣きそうになった。
神を呪いたくなった。
なんなんだ、それは。
細い首は。浮き出た鎖骨は。ベルトで絞めつけられた60cmもなさそうなウエストは。
スキニーに包まれた長い棒のような脚は。太ももの間の隙間は。
誰なんだ、このどう見てもBMI17程度の、痩せ型の女は。
『ねえ、やっぱりデブでいやだった?会いたくない?』
俺は、車種と車を止めている場所を教えた。声は震えていた。
彼女は、枯れ木のような脚を動かしてこちらに歩いて来ると、助手席の
彼女は泣きそうな顔をしていた。頬はこけている。
俺は何も言えなかった。
本当に俺が好きだったということ、自分の体型にどうしても
自信が持てなかったこと、だから会うまでに内緒でダイエットしてキレイになって
だが、相当無理な食事制限をしたため拒食症気味になってしまったこと。
『ちょっとはマシになったかな?」
とこっちを伺った彼女は、どこにでもいるキレイなお姉さんだった。
盛り上がる頬の肉も、たるんだ二重あごもそこにはなかった。
"美人でモデル体型の女の子とメル友だったが会ってみるとマツコ・デラックスだった"
その衝撃以上のものを覚えた。
何を話したのかも覚えていないが、気づけば俺は一人車を走らせていた。
もう、携帯は鳴らない。
Five Egyptians
http://www.newyorker.com/online/blogs/newsdesk/2011/02/five-egyptians.html
Posted by Jenna Krajeski
February 10, 2011
雨と消耗、ホスニ・ムバーラクのかたくなな態度にも関わらず、タハリール広場の抗議者たちはその場にとどまっていた。
白衣の医師、スーツ姿の弁護士などの専門家もみすぼらしいキャンパーとともに金曜日の行進の先頭に立った。
ムバーラク退陣の憶測が流れる直前、私は5人のエジプト人にインタビューを申し込み、
今までの体験と今後の予定、拘束を解かれたばかりのグーグル幹部のゴニームへの印象、タハリール広場に行くかどうかについて聞いた。
友人の忠告を排して、「心理的に準備できていない」としてヴェールをかぶることを拒む。
■この16日間をまとめてみてください
サリームは抗議者たちについて当初、「複雑な感情」を持っていたという。
しかしその「勇気と辛抱強さ」が「数十年起こらなかったこと」を実現させたことで、衝撃をうけ感化され、「誇らしさを感じ、タハリールへ行きたいと思うようになった」と話す。
しかしサリームと同居する両親が身の危険を案じているため、実際には参加しないという。
「他の人たちと同じように、1週間休んでいた」
彼女たちは「状況がすっきりする、少なくとも道に出るのが安全になる」のを待っていたという。
■誰が次の大統領になるべきでしょうか?
■ニュースを知る手段は?
国営テレビについては、「しばらくはみていたけれど、信頼性に欠けていた。明らかに意見をねじ曲げて革命を攻撃していた」。
■ワーエル・ゴニームの印象は?
「行動を起こしたことについて尊敬しています。兄だったら、ものすごく誇りに思っていたと思う」
■エジプトを離れるつもりは?
31歳。アル・ジャジーラ・イングリッシュのカイロ特派員(エジプト出身、エジプトとアメリカ合衆国で育った)。
28日、モーヒェルディンはデモを生中継するアル・ジャジーラのチームを率いた。
彼自身はこのことをアル・ジャジーラの「湾岸戦争的瞬間」だと述懐している。
■この16日間をまとめてみてください
モーヒェルディンはタハリールで夜を過ごし、2度にわたってエジプト警察に身柄を拘束されたという。
抗議行動は「人々を喜ばせ、力づけ、怖がらせている。そしてそれ以上に、気づきを与えている」
「これほど多くの種類の感情が込められた事件を扱ったことはない」と語る。
「非常に厳しい」アル・ジャジーラのオフィスは2度侵入された。機材の一部は強奪され、レポーターたちは監視や取調べを受けた。モーヒェルディン自身は身柄を拘束された。
人目につかないようにカメラを持ち歩いて取材することは困難だが、彼は試みた。
「当局はアル・ジャジーラに対する糾弾キャンペーンを張った」という。
■誰が次の大統領になるべきでしょうか?
「外国の干渉を受けずにエジプト人が直接選挙で選んだ誰かになるべき」
■ニュースを知る手段は?
「主要な報道すべて」
ニュースを必要とする一般の人々にとって見るべきなのは、「アル・ジャジーラ・イングリッシュ。いや本気で」
「はい。ジャーナリストとして、起きたことを世界に伝える義務があります」
■ワーエル・ゴニームの印象は?
「エジプトの素晴らしさを体現している人物。彼のような人が何千といるのを見てから、エジプトの将来については楽観視している。彼らなら、正義と公平性の価値に基づいて自分たちの国の行く末を決めることができると思う」
■エジプトを離れるつもりは?
「仕事で派遣される場所は色々あるだろうけれど、私の足は常にエジプトに根ざしている」
定年まではエジプト内閣における人民議会のフランス語翻訳の責任者。
■この16日間をまとめてみてください
彼女は抗議行動の間、ガーデン・シティの自宅にとどまっていたが、元政府職員として状況を注視していたという。
「テレビで見る限り、怖かった。モロトフの博物館付近での爆破はとくに。ほとんど放火したようなもの。人間は逃げられるけど建物は逃げられない」
アブダラーは退職しているので、人民議会関係職員との接触はないという。
■誰が次の大統領になるべきでしょうか?
「オマール・スレイマンが一定期間の代役として有力な候補だとおもう。軍での経験は国を安定化させるのに役立つはず。人柄もいい。ムバーラクは病気だし、次の指導者は健康で強く、静かでなければならない」
■ニュースを知る手段は?
「アル・アラビーヤやアル・ジャジーラも以前は見ていたけれど、国営テレビに切り替えた。ケーブルテレビはものごとを誇張しすぎている」
■ワーエル・ゴニームの印象は?
アブダラーは彼について詳しくは知らなかった。「今の時点では、誰かをシンボル化するのはよくないとおもう。スタジオを泣きながら出たと聞いている。それは幼いと思う。ただ、インタビューを見ていないのでちゃんと判断はできない」
■エジプトを離れるつもりは?
「絶対にありません。旅行はするかもしれないけれど、帰ってきます」
29歳。作家、教師、学芸員。カイロにある多くの現代美術のギャラリーの展示を手がける。
■この16日間をまとめてみてください
「うまくまとめられない」リフキーは言う。
彼女は物理的にも「タハリールの人々数百万の中にいて」、仮想空間でも「#Jan25 革命のツイートの中にいた」。
「#Jan25 以来、普段どおりのこと、やらなければならないことだけをやっている。あまり睡眠がとれず、緊張している」
■誰が次の大統領になるべきでしょうか?
本当に聞くべきなのは、彼女によると「どういうシステムが作られるべきだと思うかということ。その上に誰が座るかではなく」。
■ニュースを知る手段は?
「複数のテレビチャンネルをみている。ほとんどすべての報道の抜粋も読んでいる。最初はCNNの報道を見ていたけれど、アル・ジャジーラ・アラビックとイングリッシュもみはじめ、主流メディアの状態をチェックするためにナイルテレビもときどきみるようになった。ただ、ニュースは市民の情報源から直接受け取ることも多い。自分自身頻繁にツイートするようになった」
新聞については「アル・マスリー・アル・ヨウム、アル・ショロウク、アル・アーラムを手がかりとして読んでいる。ニュースを知るのはジャーナリストの報告、市民のブログ、そしてほとんどの場合ツイッター経由。自治体 (governorate) に電話をして報告をもらったり伝えたりもする」
「毎日行っている。実際にその場に行くのと、情報交換をするのと両方に時間を割り振っている」。
木曜の夜、リフキーは広場で寝ることにしているといい、「寝袋を用意した。これがないと無理」
■ワーエル・ゴニームの印象は?
「彼は反対者として、政権の急所を突いた。感情的に情報操作をする、少し父権的すぎる政権。ゴニームは人々を有機的に代表した。ドリームテレビに彼が出演したとき、3000万人が共感した。あれで、金曜日の街に出る人数が1000万人は増えたと思う」
■エジプトを離れるつもりは?
「いままでもエジプト内外を行き来している。そういうことで、いつか、政治家になったほうがいいのかもしれない。いま考えている」
芸術と教育をタンタ大学で学び、現在は妻と娘とともにカイロで暮らす。
妻は妊娠中。
■この16日間をまとめてみてください
アボウ・ハターブはタハリール広場でなんどか夜を過ごしたという。
そしてその結果に驚いている。
タハリールでの集会では「はじめて、異なる政治的背景を持つエジプト人が一緒に住み、話し、この後の人生について夢を語った」という。
その日の広場では、ムバーラク派の抗議者は「昔ながらのラクダ使いとフェイスブック使い、ツイッター使いとの挟み撃ちにあっていた」。
2月2日の午後、アボウ・ハターブは自宅ちかくで襲撃を受けた。
そして首にかかっているIDカードを引っ張り、気道を切りつけ、黒い棒で彼を殴りつけた。
襲撃を受けてから、ファーティーは一週間の間、あまり仕事にもどる気分になれなかったという。
「仕事と抗議行動への参加とのバランスをとろうとしていた。エジプト市民として、、それをやるべきだし無視できないと思っていた。さいわい、仕事場でもニュースを伝え、知ることはできた。24時間いつでも読者に革命について伝えるようにしていた」
■誰が次の大統領になるべきでしょうか?
「タハリール広場が一人の選出に合意することはできないと思う。エジプト人全員の、自由な選挙にまかせるべき」
■ニュースを知る手段は?
テレビは「BBCアラビック、アル・アラビーヤ、BBCワールド」。
新聞は、すべてを読むが、アル・ハヤートが好み。
「もちろん。いつも行っている」
■ワーエル・ゴニームの印象は?
アボウ・ハターブの見るところ、ゴニームは「すごくがんばっている」という。
「ワーエルはフェイスブックのページの管理者が現実での指導者になる瞬間を体現した。ワーエル(が指導者になる)にはまだ努力が必要かとも思う。そう簡単ではない。新しい経験だから」
■エジプトを離れるつもりは?
去年の11月くらいにに某所で書いたものなのだけど、人の目に当たる事が殆ど無かった。
さっき風呂入ってぼんやりしてたら何となくこれの事を思い出したのでここに投げ込んでみる。
文体がやや気持ち悪いのはその時の精神状態と投下した場所でのキャラこんなだから。
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なんだかんだでもう10年は病んでて最近調子良くなってきたから社会復帰できるかな、と思いきや転落してまたニートもどきな日々を過ごしています。
数年前に某富士の麓に研究所がある自動車会社に派遣で行くことがありました。長期という話だったので御殿場の駅前の新築アパート借りてさぁ心機一転がんばるぞー、と働き始めました。
ところがこれがまた劣悪な職場な訳で…。
なんとか方式とかいう効率的な職場方針の大本だけあっていろいろと効率的です。工場じゃなくて研究所だから少しはマシかな、と思っていたらそうでもなかった。
なんていうか怖い。
期日がタイトなのはデフォルトとして、結果も求められる。失敗は許されない。
実験するんですよ。私は派遣の丁稚だからプロパー(自動車会社の正社員)さんにアゴで使われて実験のセッティングをして実験をしました。赴任一週間目だったと思います。
や、プロパーさんに「これくらいできるよね?」みたいな感じで早口でメモ取る余裕もなくあれこれ一方的に言われて「じゃ、忙しいから後は任せた」みたいな感じでさっさとどっか行っちゃうのです。
どうしろと?
実験と言ってもここでの実験は所謂物理学的な実験で私がバックグラウンドに持っている化学の実験の知識なんかクソほどに役に立ちません。
でもやらないと、ということで役に立たないメモと記憶を頼りに実験したら見事失敗。
部長(昭和の悪しき風習を未だに引きずってる感じのするオヤジ)と面談になってプロパーさんは胃に穴が開いてそうな顔をして
で、その部長さん、プロパーさんだけじゃなく私にも面談だと呼び出してきました。
実験を失敗させた「戦犯」だしガミガミ言われるのかな…と思いきやこう言ったのですよ。
「オマエ○○にいたんだろ?使えない奴だな。そんなだから半年でクビになるんだよ」
○○というのは栃木と埼玉に研究所を持つ自動車会社です。栃木の方に半年勤めていました。これも派遣なんですけど。
しかしそれは面倒くさい事に巻き込まれてそれに対して正論言ったらさらに面倒くさいことになってそれにカチンときたので更に言ったらパワハラまがいのこと喰らって、それが元でメンヘラが悪化してノックダウン、派遣元判断で強制退去と言う経緯があります。
面倒くさいことがなかったら多分長く続けることができたと思います。職場環境は今まで勤めた中でもずば抜けて良かったですし、今でももし機会があればまたそこで働きたいと思うほどです。
話を戻しましょう。
部長はその○○に何か執着があるのかそれ以降ことあるごとにそれを引き合いに出すようになりました。一番酷かったのは私の歓迎会という席で無理矢理酒飲まされそうになって断ったら「だから○○辞めさせられたんだよ!」と曰った事でしょうか。
それが切っ掛けという訳じゃないのですがそれから仕事場に行くたびにMP(メンタルポイント)が削られていくのがわかりました。実験は相変わらず上手く行かないし、新卒の小五月蠅いガキっぽいのがゴミを見るような目で無茶なことやらせたりでMPはどんどん減っていきます。
そして…某月某日、MPが尽きました。
朝起きても動けない。恐怖と不安で押しつぶされて身動きができない。今でも仕事決まって行こうとするとこの恐怖と不安の発作が出ます。それの始まりでした。
三日間全く動けず。
何して何食べてどうやって生きてたかは正直覚えてないです。寝て起きると汗びっしょりでクタクタで、それでもインターネットはやっていたらしいです。どんだけ好きなんだよインターネット。
三日目の夜携帯電話が鳴る。相手は派遣元の研究所担当の営業さん。
「完全にお怒りで…」
「明日何が何でも出社でき・・・」
「そうでなければ解雇wldajkfdhafasfa」
覚えているのは薬入れにあった向精神薬,睡眠薬全てを出して、冷蔵庫からスクリュードライバーの缶をだしてビーカーに注いで薬を全部飲んで布団敷いてメモに走り書き的な遺書書いて寝ていた。
…らしい。
発見されたときの状況がそうだったらしいのでそうだったのかもしれない。
電話の途中で思考がシャットダウンされた後の記憶は本当に無く、次に気がついたときには病院らしき場所でやたらでかい注射が打たれる瞬間だった。それを見た数秒後また意識が暗転。
次に気がついたときは当時所有してた車の助手席に座っていて、父が車を運転していた。何十年ぶりのマニュアル車でしかも外車なのに…申し訳ないと思ってまた意識が暗転。
次に気がついたのは実家の目の前。父が「降りろ」と言うので車から降りようとしたら足に全く力が入らず顔面からダイレクトに着地。まぶたが切れて血がどくどく出るわ眼鏡に傷がつくわ背伸びして買ったオサレ服屋のシャツに血がつくわで散々だった。
それから記憶がはっきりするのに一週間以上かかった気がします。
記憶がはっきりしないときに派遣元のコンプライアンス部長とかいう人が来たらしく、お金沢山あげるからもう金輪際関係はありませんさようならみたいな念書を書かされたようです。
実際体験して思ったことは「死は自動的」であるということ。行うときは本当に無意識に自動的に執り行われます。
死ぬ死ぬ喚いているうちは死にません。だって死ぬって宣言する時点でリミッターが働いているから。私も死ぬ死ぬ詐欺よくやるから解るけど、実際喚いている時は本当に苦しい。辛い。誰かに(辛さ、苦しみを)わかって欲しい。そうやってレスポンス貰ってようやく自分の中に空いた穴が満たされるのです。
少し前にUstreamで自殺実況して本当に死んじゃったって事件あるけどあれも本当に自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょうね。でも場所とオーディエンスが悪かった。
煽られ罵られ貶された末に彼がとった行動は「本当に」死ぬことだった。
多分怒りからきた衝動だと思う。そりゃ怒るよ。こっちは真剣に苦しいのに「早く死ね」とかナチュラルに匿名掲示板のノリで煽っちゃ。
基本的にメンヘラの人は怒りを自分自信に向ける。自罰的な人が多いって言うのだろうか。この場合だと
「死ねなかった」→煽られる→「くそ!死ねなかった俺が悪いんだくそ!くそ!くそ!」→衝動的に「行動」に移す→運悪く「成功」
怒りで死んじゃったら救われないよ…。
匿名掲示板という特殊環境と群集心理というのもあったのかもしれないけれど、あの場にいたオーディエンスは本当に悪質だと思う。正直、IP調べて書き込んだ奴らを自殺示唆で立件してもよかったんじゃないかとすら思っています。
自殺願望者にとって死は救いです。ギャグでも何でもなくて本気で死ぬことによって苦しみから解放されると思っています。
でも基本的に人間っていうのは自死に対してはリミッターが働いてしまう。だから苦しみから解放されず辛くて苦しい時を過ごさざるを得ない。で、その苦しみや辛さを知って欲しいからある人はリスカ写真あげるかもしれないし、死ぬ死ぬ詐欺する人もいるかもしれない。
今時珍しい(?)、他人の車を羨み蔑む同僚に対してどう振舞おうかという話。
移動は主に自転車や電車。車には興味もなく、特に乗りたいとも思わず、
19才で一応免許は取ったものの、ペーパードライバーとして過ごしてきた。
けど、都会と違って地方は足になる車がないとなかなかキツくなってきたのと、
業務で取引先等に行く際に社用車に乗る機会が出てきたので、さすがにペーパーの
ままではまずいなと思い、半年前に自分の車を買おうと思い立った。
中古で、予算は150万円以内。いい車はないかなーといろいろ物色していたところ、
ある日、毎日通勤で通う道にあるマツダディーラーの中古車展示場に置いてあった
ロードスター(NC1型)を見て一目惚れ。もうこれしかないと思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_.EF.BC.88NC.E5.9E.8B.EF.BC.89.282005-.29
後付で、買いたい車の条件として考えたのは以下の4点。
1.マニュアル車 → 最初に乗らないと、この先もう一生乗らないだろうと考えて
2.外観がカッコいい車 → スポーツカー or スポーティーカー
3.運転していて楽しい車 → 絶対的な速さは求めない。ハンドリングに定評のある車
4.若い今しか持てない車 → 2シーターでもOK。実用性はあまり考えない
で、ネットで探すこと約2ヶ月。マニュアルで、運転席がフルバケットシートの
ソフトトップ(幌)車を買った。最初はエンストや坂道発進でいろいろつまづいたり、
あまりに荷物が載らないことに戸惑いつつも、最近はようやく運転にも慣れて、
ビギナーなりに運転を楽しめるようになった。
問題はここから。
会社の同期の1人が、事あるごとに自分の目の前であからさまにロードスターの悪口を言う。曰く、
「荷物が載らない車なんて意味あるの?」
「こんなクソかっこ悪い車良く乗ってられんな」
「リクライニングできないシートなんてクズだわ」
買って間もなく助手席に載せたときは、自分はまともにマニュアル車を運転できないのに
「シフトチェンジがまだまだ」と評論したりと、まあ散々な言い様。
きっと羨ましいからわざとこんなことを言っているんだろうと好意的に解釈しているものの、
自分なりに考えて選んだ、アイデンティティを反映したモノを思いっきり否定されるというのは、
なかなか応える。
でもその一方で、友人のコンパクトカーやミニバンに乗るたびに、実用性の高い車にこだわる
同期の言い分も理解できる。不便なのを織り込み済みで乗っているが、かといって趣味車万歳と
開き直れない自分がいる。
2年半前、彼女は会社にやって来た。そして、僕の下に付いて一緒に研究開発業務を担当することになった。
彼女は僕より10歳近くも年下で、タバコを吸っていて、そして長年付き合っている彼氏がいた。だから僕は恋愛感情を抱くはずもなく、仕事を教えたり一緒に作業したりしながら、普通に先輩として接した。
派遣社員は入れ替わりが激しい。何人も僕の後輩として入って来て、そして辞めて行った。彼女もまた、いつか僕より先に辞めて行くのだろうと、ぼんやりと思っていた。
初めこそ頼り無かった彼女だが、持ち前の頑張りですぐに自ら進んでてきぱきと仕事をこなせるようになった。やがて僕の直下から離れて自分のテーマを与えられるようになった彼女は、助手から仕事仲間になった。彼女はよく僕に相談した。時には一緒に愚痴を言い合ったりもした。当時仕事を辞めようかと悩んでいたが、彼女に頼られることで僕自身もずいぶん救われていた。
彼女の成長は著しく、3年目に入る頃には工場や取引先とも率先して交渉して段取りを纏められるようになった。そういうのが苦手な僕よりもはるかに上手で、僕は彼女を見るのが眩しかった。娘の成長を見守る親の気持ちってこんなのかな、と思った。
12月に入ってすぐ、上司が彼女と僕を飲みに誘った。その前に大きなイベントがいくつかあったので、お疲れ様の会みたいなものだろうと思っていた。彼女の家庭のこと、彼氏のこと、彼女が周囲をどう見ているのかなど、それまで聞いたことの無かった話をいろいろ聞いた。見た目もあって子供っぽいと思っていたが、人間関係も自分の人生も冷静に見ていて、ずいぶん大人だなと思った。別の女性をライバル視していて「今年は勝てる最後のチャンスなので勝ちに行く」と宣言したのは意外だった。鈍感な僕は、まだ何も気付いていなかった。
中旬に差し掛かった頃、彼女が今月いっぱいで辞めて半年後には結婚すると聞かされた。寝耳に水だった。既に彼女がそこに居るのが当たり前になっていたので、なかなか実感が湧かなかった。それから2週間、年末の慌ただしさもあって、詳しい話は訊けないまま過ぎていった。ただ、これまで何度も経験したよりもずっと淋しかった。
残り2日の今日、突然仕事中に涙が浮かんできた。気を紛らわせようと、必死で仕事に集中しようとした。この期に及んで初めて、僕は彼女が好きだったことに気がついた。まったく、鈍感にもほどがある。初めて会ったときからのような気もするし、仲間として認識し始めた頃からのような気もする。まあ、気付いたところで初めから行き場のない気持ちではあったのだが。
明日は最終日。みっともないところは見せられない。ていうか客観的に見てキモい。だから、いつものようにニコニコしている先輩として見送るために、今夜だけ泣いておくことにする。そして、心から「お幸せに」と言おうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
元増田の気持ちがわかる。彼にぼくから付け加えることは何も無いし、何かを議論しようとも思わない。ただぼくは、彼と違って、「本当に人を大好きになってみたい、セックスしたいと思ってみたい(まあ、そうなれなくてもどっちでもいいけど)」とどこかで思っていたんだよね。同調圧力に屈したというのとは少し違っていて、むしろ同調圧力をかける側さえ実は手に入れていないような純粋な愛情のようなものがあるってことを信じる幼さが消えなかった感じ。そのことを少しだけ話したい。
ぼくは今年、「どっちでもいいこと」のうち、割合と簡単に実現できるものをいくつも試した。
高級な美容院に高いお金を払って通うとか、ミュージアムショップでアブストラクトな絵葉書やピンバッジを買うとか、カフェでメニューのアレンジを頼んで作ってもらうとか、そういう金さえ払えばどうにでもなるささやかなところから、友達数人と日本各地に旅行に行って、楽器を鳴らして歌を歌いながら歩くとか、山道や海沿いを交代でドライブするとかまで、やった。
試したときや、金を払ったときには、そこに価値なんてあるように思えなかった。でも、価値を保証してくれるものなんてどこにもないし、仮にそんなものあったってナンセンスだし、自分の見方を敷衍すれば、この世の全てのものは無価値だった。どうせ自分の好きなものなんてもうほとんどありはしないんだから、構わないといった感じで、試し続けた。
そういうことの一環で、知り合って3年くらいになる女友達と二人で工場見学のため、電車にごとごと揺られた。ちょうどいい陽気で、乗客は多くなく、緑と住宅がゆっくりと流れる景色に何が映ったかを二人で呟きながら、自分たちの仕事の話や専門の話、共通の友達のこと、読んだ本についておしゃべりをしていて、思った。こういうことがまたあればいいな。そして、彼女を助手席に乗せてドライブがしたいとも思った。運転が好きなんて感じたことは一度も無かったはずなのに。なんだかそれがちょっと嬉しくて、その日はいつもよりも楽しい話とか、思い出話とか、小さい頃に悩んでいたこととか結構濃い話が出来たような気がする。
その子と先日都内で食事をして、たっぷり5時間近くしゃべって、クリスマスの雰囲気が早くも出始めた街路を彼女の行き先の駅まで送り届けたときに、わけの分からないことが起こった。身体が勝手に動いたんだよ。本当に勝手に動いた。想像だにしないことだった。ぼくの身体が、勝手に、お別れの言葉とともに手を振る仕草をした彼女の手を、つかんで、そのまま引き寄せた。で、ぼくの口が勝手に動いて、言ったわけ。「帰らないで」って。いや、本当に。自分でも、なんだこれ、って思った。そんなことしようなんて本当に一瞬だって考えたこと無いのに、そうなっちゃった。びっくりしてたよ、彼女もぼくも。
そこからあとは、もう、まるで何もかも決められていたみたいに進んでしまった。駅を出てバス停を探して、別のイルミネーションを見に行って、そばのベンチに二人で腰掛けて、キスした。自分の頭や身体が自律的に動くのと、何者かによって動かされるのが半々くらいで、そうなった。自分事と他人事が一緒になったような感じ。なんかもう、圧倒的な感じ。それで、多分彼女の方も似たような感じになっていたんだろうなって、伝わってきて、なんかもうスケールがでかすぎるような満たされ方をした。たぶん、二人とも。キスするのやめて、最初に彼女の口から出てきた言葉が、「いま、なんかすごかったね」だったもん。駅のあたりからすごかったって伝えたら、彼女はそれのもう少し前からずっとすごかったって。
ぼくは今まで、好きっていうのは、意思や感情のことだと思ってたんだけど、違うんだなって悟った。あの、なんかすさまじくでかいものが、「好き」ってことなんだって考えることにした。ちょっと前のことだけど。全然上手く伝えられてないけど、誰かにいいたかった。あと蛇足だけど、彼女はぼくの彼女になってくれた。金曜日から。