はてなキーワード: 自律的とは
ワイズ先生(@YS_GPCR)が、性交同意年齢の16歳以上引き上げについて合理的な根拠がないと主張されている。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1770800526998819269
こういうふうに、説明つかないでしょ?
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771143471996551171
??
「14歳は性教育が足りないため、成人は14歳と性交すべきではない、という理屈は、年齢差5歳以下なら犯罪とならないことと辻褄が合わない」
に対して
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771402538862150118
「権力勾配」って、学校の先生と生徒とか上司とかの関係を言っていると思うんですけど、権力を利用して手籠めにしたのか、同意のある関係なのかは、個別に判断すればいいわけで、一律で禁止する合理性がない
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771404710995779643
これは「砂山の詭弁」の変形ですね。今回の性交同意年齢の議論は、グラデーションがありボーダーラインを便宜的に決めるしか無いものの一種です。だから、14歳を主張する人に「13や15はいけないのか?」と詰問することはできる。
個人的には性交同意年齢引き上げには合理性があると思うが、改めてその理由を問われると即答できない。そこで、政府答弁による公式の制度趣旨を調べたので、メモとして共有しておこう。
強制わいせつ罪、強制性交等罪は、性的自由、性的自己決定権を保護法益としております。性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力がそもそもない場合には、暴行等の意思決定に影響を及ぼすような状況がなかったとしても保護法益が侵害されると考えられるところ、その能力がないと言える年齢として、現在は十三歳未満、すなわちおおむね小学生の年齢層の者は行為の性的意味を認識する能力が一律に欠けるということから、現行法では十三歳未満がいわゆる性交同意年齢とされていると考えられます。
もっとも、性的行為に関して有効に自由な意思決定をするための能力の中身といたしましては、行為の性的意味を認識する能力だけではなく、行為の相手方との関係において、行為が自分に及ぼす影響について自律的に考えて理解したり、その結果に基づいて相手方に対処する能力が必要であると考えられます。
そして、十三歳以上十六歳未満の者はおおむね中学生の年齢層でありまして、性的な意味を理解する能力が一律に欠けているというわけではないことから、一律に相手方や状況を問わず性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力に欠けるとまでは言えない一方で、先ほど申し上げた後者の能力は十分に備わっておらず、対等な関係の下でなければ性的行為について有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると考えられるところでございます。
そして、相手方が年長である場合には、一般に、その年齢差が大きくなるほど、両者の間の社会経験や知識の差異などによりまして、その年齢差自体から対等な関係にあるとは言えなくなると考えられるところ、この性交同意年齢の問題は、性的行為をしたこと自体で直ちに性犯罪が成立するとするものとする規定でありますことから、刑罰の謙抑性の観点から、双方の年齢が要件を満たすだけで例外なくおよそ対等な関係はあり得ず、有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると言えるものであるものとすることが必要であると考えられます。
本法律案におきましては、そのような観点から、心理学的、精神医学的見地も踏まえまして、いわゆる性交同意年齢を十六歳未満とした上で、十三歳以上十六歳未満の者に対する性的行為について処罰対象となる得る者を、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者としているところでございます。
アウトラインで要約すると、以下となる(なお、「意味認識能力」などは便宜的な表現で専門用語ではないことに留意。3/25一部修正)。
以上のように考えるとワイズ先生の議論に対する違和感は、被影響認識能力と関係対処能力が当事者の年齢差に大きく左右されることを無視している点に根差すことに気付く。直観的に考えても、14歳と15歳のカップルと、14歳と25歳のカップルの違いは何かといえば、年長者と年少者間の年齢による社会経験の差と、その差が年少者側に与える影響の度合いである。
もっとも、改正後刑法の年齢区分が関係対処能力などの獲得と本当に対応していると証明できるかと問われれば、なお議論の余地はある。しかし、その点は単なる科学的な問題にととまらず価値判断の問題でもあり、国会で多数決で決めるという民主主義によって決する他あるまい。
結論を書き忘れていた。
以上より、性交同意年齢を引き上げて性交を一律で禁止することに、少なくとも法が備えるべき合理性はあると自分は考える。もちろん、年齢区分の妥当性について、生物学のように厳密に実証することはできず、この点につき異論はありうるだろう。しかし、理論的、経験的根拠を有する制度趣旨が政府から提示され、国会で一定の議論が交わされた上で多数決で刑法改正をした以上、性交同意年齢引き上げは法としては十分な合理性を持つ。
ワイズ先生は年齢区分の客観的な妥当性について議論を続けそうな雰囲気だが、もともと法律というのは完全に客観的というわけではい。法は価値判断を包含するものであり、最終的には選挙で選ばれた国会議員が多数決するという民主主義によって制定する他ない。逆に、価値判断をほとんど含まない問題については民主主義は不要である。例えば、ある物理現象のメカニズムは何かは、選挙で選ばれたわけでもない物理学者達が数理モデル化と実験を行い、その論文化と討議を通じて合意を形成して決まる。ここには価値判断の対立がなく、ほぼ客観的に議論が決する。法律はそうではないので、多少の客観性の欠如は国会議員の多数決で補う他ない。
少なくとも、以下の「年長女性の嫉妬」という下世話な動機で法改正されたわけではないのは確かだ。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771403509134758353
これはもともとの論点の「性交同意年齢を引き上げようとするのは結局年長女性の嫉妬」という根拠の一つだけど、権力勾配のある性的関係を一律で禁止しようとするのは、望んで高権力の相手を好きになる人の自由を踏みにじってるわけです。それを「グルーミングされただけ」などで押し切る強引さがおかしい
ttps://marshmallow-qa.com/messages/0ba4dc8f-aeef-493f-b199-88ebcde853fd?utm_medium=twitter&utm_source=answer
「不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とほぼ同旨の政府側答弁が、既になされている。
(中略)
例えばなんですけれども、十五歳で高校に入学しました、それで、シングルの成人の教員と相思相愛、愛し合うんですね、気持ちで愛し合いました、そして、結果、性行為を交わしたとします。それで、高校卒業と同時に婚姻関係となるケースも考えられます。私が高校時代なんかは、同級生が高校卒業したら結婚しちゃったというのは割とあったんですね。
このケースなんですけれども、円満に、穏やかに結婚生活、夫婦生活を行っていたとしても、今現在行っている、営んでいるそういう御家庭があったとしても、当時、お連れ合いのどちらかが、男女限りません、どちらかが十五歳当時でした、そのとき性行為を交わしていましたということが判明すると、その片方のパートナーは、六月以上十年以下の、有罪、拘禁刑の罰則対象となりますね。
(中略)
十五歳の高校生と二十三歳以上の大卒の先生という前提で申しますと、その年齢差は五年以上年長という要件に該当いたしますので、結婚したとしても、それからその結婚生活が円満だったとしても、その行った当時の年齢差ということで判断すべきことでございますので、改正後の刑法第百七十六条第三項又は百七十七条第三項の罪が成立し得るということになります。
例えば無許可の拳銃所持の内、美術的な鑑賞目的の事例が極少数存在するが、その他のほとんどの事例はそうではなく何らかの犯罪行為の準備が疑われるので一律に所持そのものを処罰する、というロジックは十分に合理的である。同様に、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例は極少数存在するが、他のほとんどの例はそうではないので一律に処罰する、というロジックは理に適っているように見える。
なぜワイズ先生批判派は上記のロジックを援用しないのだろうか。また、ワイズ先生はこのロジックならば異論はないのか。何が論争の争点だったのか、よく分からなくなってしまった。
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。
ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。
「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12)
それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。
しかしそうしたやり方では、人々の活動が規制の網の目に阻まれ、自由な競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。
しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題が顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブルに市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。
しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処のコストの予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視の機能を全面的に行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たちで自分たちを監視するようにする、という方針だ。
その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たちで監視し、自分たちで律してください、そのために自分たちで行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。
BPOが出来たのもこの頃よね。
それはいわば、上からの規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的な主体を作り出していくための手立てだった。
その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月に施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念は日本社会の中に急速に定着し、普及していった。
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
科学読み物でよく取り上げられる、常識レベルの話しかしていないのに、なぜ通じないんだろう?としか思っていないです
意識下の自認が
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてるので
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できないんで
まぁ増田には難しいかもなので、これならどうだろう?(再放送)
実在する物も、自己の認識にしか存在しない "記憶(想い)"も、万物はすべて変わる
そもそも"I (アイ)"自体が不確かなものなのだが、誓いとは、想いとはいったいなんなんだろうか?
増田は"今の子どもがいい"と言っているが、いったい何に対して愛を誓っているんだ?
かの有名な『ロミオとジュリエット』の中で夜ごとに形を変える月に愛を誓うなんて不実!みたいなシーンがあるが、
その愛は、実在する"物(物理)"に対して誓われたものなの?それとも自己の認識にしか存在しない "記憶(想い)"に対して誓われたものなの?
人間性は変わらないぞ。変わっていないのに、勝手に変わったとそう思い込んでるだけですね
これは『お前は一生そのままだ』という負の言葉の投げかけではなくて、自分を追い込まない&迷走しないための言葉
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えられていて、
すべては周囲に対する反応なんだよね
本当に、過去から完全に独立して、周囲の環境からも独立して、自律的に絶対的に自由意志が存在していたら、
厳しい状況下にある人の救いになると思うんだけど果たしてどうなんでしょうね?
いずれにせよ、『○○でありたい』と願う事は非常に尊いと思いますの
ゼロに何をかけてもゼロにしかならないが、そう願うという事は、環境が整えば動き出せるからだ
なので、増田が問うべきは、『親とどういう話し合いをして人間性を改善したか?』ではないですね
どう生きるかは決めることが出来るが、未来に起こることは誰にも決めることは出来ない
上級国民でもエリートでも善人でも、先進国の高級コンドミニアムで寝てるだけで死ぬ(戦争でも地震でも火事でも殺人でも老衰でもない)という現実を人力でどうにかすることは不可能だが、
絶対にハッピーになると決めることだけなら出来る、逆にいうとそれ以外に人間にできること何も無いです、マジで
ちなみに人って本質的に変わらないと思いますの。変わっていないのに、勝手に変わったとそう思い込んでるだけですね
これは『お前は一生そのままだ』という負の言葉の投げかけではなくて、自分を追い込まない&迷走しないための言葉
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えられていて、
すべては周囲に対する反応なんだよね
本当に、過去から完全に独立して、周囲の環境からも独立して、自律的に絶対的に自由意志が存在していたら、
厳しい状況下にある人の救いになると思うんだけど果たしてどうなんでしょうね?
いずれにせよ、『○○でありたい』と願う事は非常に尊いと思いますの
ゼロに何をかけてもゼロにしかならないが、そう願うという事は、環境が整えば動き出せるからだ
知的障害でもありますの?ちなみにガチで知的障害があっても正社員として働き、
余暇に大学行ったりピアノや絵画制作を楽しんでいる人たちがいる現実を重く重く受けて止めてもろて
一方で知的障害や重度の身体・内臓障害が無くてもそれがかなわない人たちがいる
こんなん親以外の誰の責任でもないでしょ
増田やこの増田(anond:20240101135523)がすべきことは、子の特性にあった養育をしなかった親の体面を慮ることではなくて、毒親との和解
子の特性にあった養育をしなかった親の体面を慮っても無意味どころか、社会にとって極めて有害(最悪は加藤智大元死刑囚や青葉被告) だが、
どーーーーーーーーしても親の名誉や体面を慮りたいなら、それ相応の振る舞いをすることですな
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
気付いたんですけど人は変わらないと思います。そう思い込んでるだけですね
これは『お前は一生そのままだ』という負の言葉の投げかけではなくて、自分を追い込まない&迷走しないための言葉
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えられていて、
すべては周囲に対する反応なんだよね
人間にできるのは、『○○でありたい』と願う事までで、あとは完全に運任せ神任せ
『○○でありたい』という願いと『周囲の環境』が噛み合ってはじめて習慣が変わるんだね
その習慣がその人の態度や思考と呼ばれるに至るかも、完全に運任せ神任せ
過去から完全に独立して、周囲の環境からも独立して自律的に絶対的に自由意志が存在していたら、
厳しい状況下にある人の救いになると思うんだけどどうなんでしょうね?
自己啓発の上っ面できゃっきゃやっている軽薄な人たちや、友達も彼氏彼女も家族も趣味もライフステージ(笑)で変えるらしい軽薄な人たちの
ご意見を聞きたいとこですな
エルフの赤ちゃんが何年くらいで自律的に活動ができるようになるのか?
エルフの子供は何年くらいで親の手が掛からないようになるのか?
それがエルフの人口増加率と人間の人口増加率の差分になると思う。
人間のように20年くらいで成人するのだとしたらエルフの人口増加は人間とほぼ変わらないはずである。
逆に長命がゆえに大家族になっていくエルフのほうが人間より繁栄する可能性が高い。
だから、もしエルフ20年成人説をとるのであればエルフの人口が人間より劣る理由を設定しなければならない。
しかし、エルフが成人するまでに200年掛かるとかいう設定なのであれば特に理由を設定する必要はなくなる。
エルフの赤ちゃんが幼児になるまでに20年程度かかるのであればひとつのエルフの家族が育てられる子供の数は自然と抑制されるからだ。
ただし上記したようにエルフは長命なので自然と大家族というか一族の数が膨大になっていくのでそれであれば助け合いにより子供の養育は容易になるはずだとも考えられる。
エルフの居住に適した環境が無限に広がる世界であれば問題ないがそうではないはずだからだ。
このへんは付加設定の範囲の話になるが、エルフの居住条件が人間よりも厳しいと設定すればエルフ人口が増えない理由として自然かもしれない。
人間は繁殖力が強くて、どこにでも住むことが出来るゴキブリのような存在。
対してエルフが住みやすいと思える環境は限られていて、進んで人間が居住してるような地域で住もうと思わない。
ゆえにある一定以上の人口を超えないように人口が抑制される傾向にある(それにより過去に戦争・紛争が状態化していた教訓からとか(しかしそれだとエルフらしい設定ではないからもう少しアレンジが必要か))。
気付いたんですけど人は変わらないと思います。そう思い込んでるだけですね
これは『お前は一生そのままだ』という負の言葉の投げかけではなくて、自分を追い込まない&迷走しないための言葉
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えられていて、
すべては周囲に対する反応なんだよね
人間にできるのは、『○○でありたい』と願う事までで、あとは完全に運任せ神任せ
『○○でありたい』という願いと『周囲の環境』が噛み合ってはじめて習慣が変わるんだね
その習慣がその人の態度や思考と呼ばれるに至るかも、完全に運任せ神任せ
過去から完全に独立して、周囲の環境からも独立して自律的に絶対的に自由意志が存在していたら、
厳しい状況下にある人の救いになると思うんだけどどうなんでしょうね?
自己啓発の上っ面できゃっきゃやっている軽薄な人たちや、友達も彼氏彼女も家族も趣味もライフステージ(笑)で変えるらしい軽薄な人たちの
ご意見を聞きたいとこですな
そもそも自我や自由意志なんてものは科学的根拠がないもの*1だから、自分で自己肯定しちゃっていいって言っても、それも出来ないっていうじゃん?
素直に親子関係に問題があったのだと自覚してプロや医師の手助けを受けてどうぞ
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
ゆうて、『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
たとえ頭が悪いが障害のニュアンス(知的障害等)も含むものだったとしても、
『作業所ではなくフツーに正規雇用で働いて暮らしてる。なんなら障害に無自覚なこともある』って言っても、増田は納得せんじゃん?
根本的な原因は、増田が親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられられなかったことだと思うけど、
そもそも自我や自由意志なんてものは科学的根拠がないもの*1だから、自分で自己肯定しちゃっていいって言っても、それも出来ないっていうじゃん?
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
増田さんのデートのお相手が、どのように考えるかにより答えは変わってきます。
一般的な回答としては、男らしさにフェミニズムは立ち入れない、かと。
フェミニズムはあくまで女性の権利と生きづらさの解消を目的とした立場です。
もちろん例外的に他の問題に手を出すフェミニストの先生もいるけれど、
それは彼女がフェミニズムの範囲を離れた個人として意見してると見るべき。
あくまで女性の権利を中心として問題の解決を図るアクティビティがフェミニズムなんです。
男らしさの問題は男性論とか、問題意識を持つ当事者が中心となって声を上げるのでしょう。
フェミニズムは女性の自由だとか権利が関係してこない限り、興味を持つことはありません。
だからデート相手がフェミニストかどうかは勘案する必要がないかと思います。
男らしいからどうとか、男の方が男らしくないから、のような観点はありません。
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』
そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
超現代 ultramodernity が記号の支配下の元に何を置こうともポストモダン postmodernity はそれをウイルスで転覆させる。文化が部分的な機械 partial-machines となるにつれ(そして自律的な再生産システムを失うにつれ)記号論はウイルス技術学へと転落する。
0010101011011100101101010101001100100010001010101110100001010110010100101000110010011100100010000000001001111110001001001010101010000100001010100111111001001000100011010010001010010101111000101001000010001110100
Yes No Yes No Yes Yes No longer それは何を意味しているのか?しかしどうやってそれは広がるのか?
複複複複製を超えた適切な実体や感覚を持たず、イエスノーノーウイルスの使用はかなり隠喩的だ。「ウイルス」という言葉は複複ウイルス以上の意味を持っている。
ポストモダン文化は複複絶えず物音を立てているウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルス01100010010010110100100
10110010010010010010「ウイルス」(ウイルス可塑性、ウイルス遺伝子、免疫抑制そしてそしてあるいは、メタ、あるいはあるいはそしてあるいはハイパー)ウイルス。10110010010011101100001001001。ハイパーウイルスは歴史の終わりを食らい尽くす。
001001001000101111010000100110101010101010001001101010010010100100101001011010010010111101000101010101010101001010100101011010100100000010001011101010010010101001010010010101010100100010010010010010010010100100101011010100100100101011010101010101111010000100110101010101010001001101101010101001100100010001010101110100001010110010100101000110010011110010001000000000100111111000100100101010101000010000
K(サイバーな)能動的プロセス(コード化)はその出現によって自動的に激しさを増す。文化的な例はハイプだ。未来における存在様式をATAT交換する製品、バーバーチャルなファッションの興亡、差し迫った技術的標準、自己実現する予言そしてそしてあるいはそして人工の運命。流行の終わり終わりを予期することはACCACCそれを加速する(それは自身で繰り繰り繰り返す流行だ)。ハイプはSFを触触触媒能力へと崩壊させ、未来の予想が現在CTCT作り上げることを通して未来のルートを変える。
みんなそれをやっているだろう。
ウイルスは寄生的な複製コードだ。機械仕掛けのデータータータの逆流の重要な連続オン/オフ、1/0、陽/陰は本質的に戦争へと定められている。メッセメッセージの中身の代わりにウイルスデータは触触媒(あるいはまったく不釣合いな)能力によって重要な素材から成り立っている。侵入コード、部分的なZIPコード、擬=遺伝子の代わりとなる命令、突然変異のジャンク(複合体しかし潜在的な分割)、そしてゴミ(余分なスクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップクラップ)。
生体ウイルスは有機体をタタタターゲットにし、細胞のDNA、ATGACTTATCCACGGTACATTCAGTをハッキング/再プログラムし、もっと多くのウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスを生み出す。レトロウイルスの逆転写酵素がカチッとなった瞬間(個体発生のDNA-RNA回路/細胞内部の操作を可能にし)その酵素のカット・アンド・ペースト組換え型ウェットウェアの接続は単一性を超える。
ATAGGTCATGAATCTACCGATTGCAGCTA
CGCTATTCCTCGATGATCGCATCGGGCTGACCGATGGCATCGTATCCGATCGAGGCTAGATTGCAGCTACGCTATTCCTCCGAGGCTAGATTGCAGCTACGTCGCATCGGGCTGACCGATGTAGGTCATGAATCTACCGATTGCAGATGACTTATCCACGGTACATTCGACTC
テクノウイルスは社会経済的な生生生産プロプロセスをターゲットにする。
情報ウイルスはデジタルな01001001000101111010000100110101010101010001001101010010010100コンピューターをターゲットにする。
1001010010110100100101111010001010101010101010010101001010110101001000000100010111010100100101010010100100101010101001000100100100100100100101001001010110101001001001010110101010101011110100001001101010101010100010011011010101010011001000100010101011101000010101100101001010001100100111001000100000000010011111100010010010101
ハイパーウイルスは知能の高い免疫防衛システムをターゲットにする。イエスイエスノーイエスノー特定のメディア(DNA、言語、象徴モデル、ビットの連続)からその過程をノマド的に盗み出し、自発的に自身を再設計しながら。それは血球のコードを再プログラム再プログラム再プログラム再プログラムするために再プログラムし自身に折り畳まれ内側に巻かれ複雑化する。ROMは再度の実験へと溶解してゆく。
00101001001001011000010101010101110101001010010010101000
011011001101001011000010001001001000 記録装置。コピー機。ファックス。サンプラー。Kのどもり(((再)再)再上映)オーファン・ドリフトによる間道。伝染病の反復。あらゆるハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイパーウイルスの菌株は可塑的で相互作用的だ。
インサート。ハイパーを接頭辞として用いる記号論の分野は、それらを仮想性やハイパースピード(非未来から独立した未来の貨幣)へと調整された抽象的な的な的な(非線型の間コード化可能な)機械システムへの変異として位置付ける付ける付ける。ハイパーメディアは治外法権プロセスの二次機能としての特定の媒介物あるいは領域の中にあらゆる実行を配列する。ハイパーへと(( ())) ( ) ( ) (( ) ) (( )) ( ) 突き進むことは活動性への存在を溶解する。物質の実体化オンオフオンオンオフ。ハイパープロセスはヘラクレイトスの火のように広がる複複複(ハイプハイプハイプハイプハイパースペースには何のアナロジーもメタファーもないけれども)。
存在は記憶の中に流れを閉じこめるるる。リリリアルな反存在論として機能しつつ、ウイルスの記憶喪失は生物学的なTGACTCACTTTACCGATTG、文化的かつ技術的な010110100100010110100101001001011101001010100100100100、の記憶構造を機械的に認識し溶解する。階層間-世代間の派生を切断し、系統発生のチックの凍りついたコードを個体発生へと折り畳み、過去を現在の流れに内在化する。その競争における手遅れ寸前の革新は貯蔵能能能力を消去してしまい、エネルギーと情報のストックをそしてそしてあるいはそしてそしてあるいは孤児=ヴァンパイアの複複横断的な110111100010101010ウイルウイルウイルスコミュニケーションのプロセスへと流流流流動化し、異種複製(そして/あるいは結合/結合的な分離)の振舞いとしてのコード(中身)の過剰な価値を表現する。
戦争が知知知性を増大させるにつれそれはよりソフトになる。宿主を捨て去ることによって冷酷なウイルス達は自身へと否定的にフィードバックせざるをえない。それは彼らの繁繁繁殖のための潜入を自動的に限界づけることになる。エボラCTGCGTGAGCAATCGGACTCGGCTGCTGT のような恐ろしい大量破壊者(身体はすぐにスライムへと溶けてしまう)は決して広がることはないだろう。メディアにおけるウイルスの侵略の一般的な原理は次のようなものだ。洗練されていなければいないほど感染し、広がれば広がるほどはね散らかすことになる(陽動戦術は除く)。
CAGCTACGCTATTCCTCCGAGGCTAGATTGCAGCTACGTCGCATCGGGCTGACCGATGTAGGTCATGAAT
CTACCGATTGCAGATGACTTATCCACGGTCTATTCCTCGATGATCGCATCGGGCTGACCGATGGCATCGTA
コピー。カット。ペースト。賢いウイルスはゆっくりとしていて共生的で柔軟性に溢れ巧みに逃げまわる。彼らは彼らの生物学的な資源の生命を長引かせ、繁殖のための機会を最大化し、敵対する防衛システムに侵入し無力化し、自分たちに役に立つような-+-++-+-++革革革新的科学技術へとフィードバックさせるような繊細な行動のコントロールをやってのける。マクロレベルでは仮想的な捕食動物は敵の頭の中に隠れた。
ハイプハイパーウイルスの狩りがその元となる宿主の種を見つけると、それは伝達量、人工密度、性的混乱、文化的乱婚、技術的な洗練の爆発的な増加によって示される論理的振舞いの洗練を経ることになる(それはサイバネティックの流れへのあらゆる結線のオンオフオンオフオフオン神経ゲノム的なフィードバック/流動化を導く)。惑惑星星星00011011010010010101011。
そういった宿主になるとまさに転覆寸前になる。カタカタストロフのOKOOKOK OKゼロ(0 ( or ((( ( )) (( ) ) ( )) ) 0o))Kウイルスと(RT)旧式のスクリプト(神戸、東京、オクラホマ(コレシュ、コーンク Koernke )。黙示録はコカコーラ販売機によって広がる。明日の紅茶の時間、韓国やコソボのニュース……。
テテテテープレコーダーとカットアップの再結合の道具を急いで脱ぎ捨て、ハイパーウイルスは1972年、K(コンドラチエフ Kondratieff )波の先端(ポストモダン性の閾)でバロウズに感染した。それは急速にそのターゲットを知性を持ったノーイエスイエスノーノーノヴァ・ウォー(戦争)工場へと再加工し、言語の歴史を複雑な言語ウイルスに蒸発させた。突然変異は飛躍と解釈することができるるるるる。ベクトルはバトラーやギブスンを通って向きを変え、キャディガンはそのシナジックな内部刺激を微調整し、電脳転移誘発K(広)の潜在能力を泥で塞ぎ、1100101001001010111101001011101011001000100010100100010010010010010010100101101001001001001001001001110100100100100011001000101100101010に傾向を定めた。Kパンクはテレマティックに加速する新-複製者 neoreplicator とともに鼓動する。
製者製者汚染。「スノウクラッシュを一発やりてえか?」# ### # ## # # # ## # # #### ## # # ## ## ### # ## ### # # # # ### # # ## ## # # # # # # # # ## # ## # # # #### ## # ##### ## ## ## # ## # # ##
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ポストモダン文化がハイパーマニアを超えそして### # ## # # # ## # # # ### ## # # ## ##### # # # ### # # # #### # # # # ## # # # # ## # # ## # # # # # ##### ## # ### ## ## ##### # # # # ### ## ## # ## # # # # ## # ノヴァを止まる行く止まる行く止まる行く行く行く時、それは安全性に対するするする戦争以外の何物でもないないないないない侵略的に自己複製する込み入った兵器システム(( ) ( ((( ) ((( ( )) ( )) ((( )(( ) ) ( ))))) ( ) ( ))) ) の多様な都市都市を個別化する。これはもはや観念的な表現や外因性の政治的動員、理論的な批評## ## # # ## # # ## # ### # ## # ## # ## # ## # # ## ## # # # # #### # #
# ### # あるいは戦術的な方向付けの問題オンオフオンなどではない、そうではなくて抗争に内在する力として機能する脱中心化された文化的ダイアグラムの問題なのだ。K戦争は敵の協調から唯一の首尾一貫性を得ている。リターン。
上/下。流((れ)れ)れを変えろ。(() (( ))) あ(るいはそし)て( )、Ko 八卦六線星形49:革命(羽毛が抜け変わり(( )))何も触れられずに( )そのまま残っ)ているいるいる。((( (( (( ) (( ))) (( ( ( ))) (( ))) ( )) (( ) ( ( )) ( ))) ( ))) ) サイバーパンクが再びダークサイドへ急速に滑る( (( )))周縁的なROMは戦術術を這い進んでいる。
(( (( ) ( ) ()) (( ))( )) ((( ) ( ))) (( ( (( ) ((())) (((( ) ( )) ( )) ( ( ))) (((( ) (( ))((( ) ((() ) ) (( ) ) ))) ( (( ) ))) ( (() () ( ))) ( ( ) )) ( (( ) ) ( ( ( ( ) ゼロ・プログラム。) ((( ))) (((( ) ( )) ( ))( ( ))) (((( ) (( )) ((((( ) ( ) )()(())(( ( )) ((( ) )) )( )) ))) ( (( ) () ())) ( ( ) )) ( (( ) ) ( ( (( ) ) ((( )))(((( ) ( )) ( )) ( ( ))) (((( ) (( ))((((( ) ( ) )()(())( ( ( )) ((( ) )) )( ))() ( ))) ( ( ) )) ( (( ) ) ( ( (( ) )((( ))) (((( ) ( )) ( )) ( ( ))) (((( ) (()) ((((( ) ( ) )()(())( ( ( )) ((( ) )) )()) )) ((( ) )) )( )) ))) ( (( ) () ())) ( ( ) )) ( (( ) ) ( ( (( ) ) ((( )))(((( ) ( )) ( )) ( ( ))) (((( ) (( ))((((( ) ( ) )()(())( ( ( )) ((( ) )) )( ))() ( ))) ( ( ) )) ( (( ) ) ( ( (( ) )((( ))) (((( ) ( )) ( )) ( ( ))) (((( ) (()) ((((( ) ( ) )()(())( ( ( )) ))) ( ( ))) ( (( ) ) ( ( (( )) ((( ))) (((( ) ()) ( )) ( ( ))) (((( ) (( )) ((((( ) ( )
意地悪をした人全員をサイコパス呼ばわりして、アマチュアの精神分析家ごっこをする罠にはまってしまう。
とはいえ、この分野は、実際に「自分の直感を信じる」ことができるかもしれないという研究結果もある。
研究によれば、サイコパスは本当に人を不安にさせる。なぜか?研究者たちは、それは "種内捕食者 "に対する進化的な反応ではないかと考えている。
最近の研究では、サイコ犯罪者と面談する際の「身体的反応」に関する、精神保健と刑事司法の専門家の反応が調査された。
その反応は様々で、胃腸(胃のむかつき、病気の感じ)、筋肉(震え、脱力感)、心臓血管(心臓のドキドキ)、肺(息切れ)などの感覚や感情を含んでいた。
この調査結果が、捕食者に対する原始的、自律的、恐怖的な反応の示唆的な証拠であると解釈できることを示した。彼らはサイコパスを「種内捕食者」と表現した。
悲しいことに、サイコパスにも「スパイディ・センス」がある。つまり連中は実際に、人を見ただけで、どの人がターゲットになりやすいかを見分けることができる。
そんなに簡単ならいいのだが...私が見たすべての情報源は、同じ主旨の提案をしていた。私生活であれば、それは可能だ。会社では、その選択肢はないかもしれない。
企業は、構造化された面接を複数回行うことで、潜在的サイコパスの採用を避けることができる。柔軟な面接方法は、魅力的な捕食者に影響力を行使する余地を与えすぎる。そして推薦状をチェックすること。サイコパスは履歴書に嘘を書く。よくあることだ。しかし、もしあなたが個人として連中と付き合わなければならず、逃げられないのであれば、連中のゲームに付き合わないことだ。連中は昔からそうしてきたので打ち負かされる可能性が高い。
サイコパスに対峙して、あなたはヒーローになったつもりかもしれないが、実際は連中の待ち伏せに突撃している。
ゲームに参加するな。陰謀は社会病質者の道具である。誘惑的な社会病質者と競争したり、連中を出し抜いたり、精神分析したり、あるいは連中と談笑したりする誘惑に抵抗すること。連中のレベルに自分を落とすだけでなく、本当に大切なこと、つまり自分を守ることから目をそらすことになる。たとえ勝ったとしても、どうなると思う?あなたは今、操作的なゲームを使っているのだ。あなたが連中のようになる確率は高いが、連中があなたのようになる確率は低い。連中を変えることはできない。もしそれが自分に合わないなら、うまくいくはずがない。
[対処法2: サイコの存在を「悪いニュース」でしかないことを受け入れる]
あなたはすべての人に良いところがあると信じているかもしれない。あるいは、どんな人でも直せると思っているかもしれない。
最初のルールは、文字通り良心のない人がいることを受け入れるという苦い錠剤を含む... 救われない人を救おうとしてはいけない。
連中を変えることはできない。あなたにできることは、連中がどう動くかを知り、自分自身をよく知ることだ。
自分の弱点がどこにあるのかを知ることだ。
サイコパスはそれを見つけ出す専門家だからだ。連中に弱点を突かれる前に、あなたの弱点に対処しろ。
これもすべての情報筋が同意したことだ。連中の得意な言い訳や合理化、明らかな嘘には耳を貸すな。連中が何をすると言っているかには耳を貸すな。連中が何をするかに注意を払うこと。
「1つの嘘、1つの約束違反、1つの責任放棄は、誤解かもしれない。2つなら重大な過ちかもしれない。しかし、3つの嘘は、あなたが嘘つきであり、欺瞞は良心のない行動の要であることを意味する」といった原則を使い、連中が常習的な嘘つきであるかを見極めろ。しかし、連中は執念深い集団だ。報復から身を守るにはどうすればいいか?
サイコパスは常に、上層部に無防備な "後援者 "を募り、連中の陰湿な行動に関する噂が流れたときに、知らず知らずのうちに連中の援護をしている。
そして連中はまた、自分たちの邪魔をしたり、脅威となる人物について、偽情報や嘘を広めるために、こうした人間関係を活用する。その中にはあなたも含まれるかもしれない。
だから、自分なりの人間関係を築き、働き者としての評判を保つよう心がけよう。非難されないように。不平を言わないこと。そうすれば、文句を言っても先輩は耳を傾けてくれる。
自分自身を守るためには、自分の評判を管理することにエネルギーを注ぎ、同僚や上司とオープンで誠実な関係を築き、自分の能力を最大限に発揮し、適用される方針や手続きに従うようにせよ。
また、私生活でサイコパスの可能性がある連中を相手にしている場合、人間関係は同様に重要である。
友人たちはしばしば、あなたよりも客観的に判断することができる。複数の親友が「アイツはダメだ」と言ったときに、あなたは注意を払うことができる。
サイコパスは攻撃的な性格である。連中は頭が悪いので勝ちたがる。連中があなたを陥れようとするよりも、あなたと一緒に仕事をする方が簡単で魅力的だと思わせることができれば、連中の冷酷さを抑えることができるかもしれない。
攻撃的な性格の異常者と交渉するときは、できるだけ多くのWin-Winのシナリオを提案するようにせよ。
これは非常に重要なことで、創造力と特別なマインドセットが必要だ。
[まとめ]
冷酷な怪物人間とのデスマッチの真っ只中にいるとき、皮肉屋であることは超能力を持っているようなものだ。色あせた視点は、相手の一歩先を行くことができる。しかし、長期的には毒になる。
本当に悪いやつを相手にしたからといって、すべての人間を見限らないでほしい。
大自然にはユーモアのセンスがある。一方には共感性ゼロのサイコパスがいる。一方で、ウィリアムズ症候群の人もいる。彼らは共感力がありすぎる。みんなを信頼する。みんなを愛している。
ウィリアムズ症候群の子供や大人は人が大好きで、文字通り病的に人を信頼する。社会的恐怖がない。これはおそらく大脳辺縁系、つまり感情を制御する脳の部分に問題があるためだろうと推論している。いつ信頼し、いつ不信感を抱くかを知らせる化学物質のひとつ(オキシトシン)に異常があるようだ。善人もいれば、悪人もいる。そして私たちのほとんどは、その中間にいる。誰か一人との嫌な経験でパーティーを台無しにしてはいけない。
良心のない人、あるいはそのような人が何人もいることで、人類は失敗だと思い込ませてはならない。ほとんどの人間は良心を持っている。ほとんどの人間は愛することができる。
幸せな人生を手に入れるためには、特定の人を見限る必要があるかもしれない。